『失われたもの 9』 |
「これ……ポップのなんだよ。なんか思い出せない?」 期待に目を輝かせ、ダイが差し出したのは一本の杖だった。 デザインは古いがよく使い込まれた品であり、かなり上質のものだとポップの知識は判断する。 だが――その杖と自分との繋がりを思い出すことはできなかった。 それを無碍にする勇気もなく、ポップは仕方無くその杖を手にしてみた。ひんやりとした金属の感触……古びた杖は、実際に手にしてみると意外なほどにしっくりと馴染む。 だが、それだけだった。 「えっとさ、その杖、ポップが持つと、しゃきーんとなって伸びたり、先の赤い玉が光ったりしたんだ」 まあ、ダイの言いたいことは分かる。 「悪いけどよ、期待されてもおれにはできねえって。言ったろ、魔法は使えないって」 自分は――『ポップ』は、魔法使いなのだと、この場にいる『仲間』達が教えてくれた。 それは嘘ではないだろうと、ポップは人事のように思う。自分の着ていた服が、魔法使い用の服なのは理解できたし、一般人にしては少し詳しすぎるほど、魔法や怪物に関する知識も、ポップの中にある。 だが、使い方としてではなく、あくまで一般の知識としてだ。自分が使う立場に立った上での知識ではない。 杖も、同じことだ。 だが、その具体的なやり方は一向に分からなかった。 「それは、おまえのものだ。持っているといい。何かのきっかけで、思い出すかもしれないだろう」 その言葉にすぐに頷かなかったのは、他意あってのことではない。 一通り、全員の名前や簡単な紹介を受けたが、さすがにそれらを一気に全部覚えるのは無理がある。 「ん……、ああ。ありがとよ」 そう言った途端、ヒュンケルやその他の人々が微妙に変な顔をする。が、その意味が分からなくて、ポップは首を傾げた。 「なんだよ、おれ、なんか変なこと言ったか?」 と、答えを求めるように、つい聞いてしまう相手は、ダイだ。 「ううんっ、そうじゃないよ。そうじゃないけど……でも、ポップがヒュンケルに素直にお礼を言うなんて、珍しいんだもん」 「はあ? 珍しいって、おれってそんなにこの人と仲が悪かったわけ?」 呆れてそう聞くと、ダイはブンブンと首を振って否定した。 「えっ? いや、ううんっ、違うよ! 仲が悪いって、わけじゃないわけでもないけど、でも……あれ?」 「って、どっちなんだよ!?」 間の抜けたダイと、思わず突っ込んでしまったポップとのやり取りに、自然に周囲から失笑がわき起こる。 だが、それはとても暖かく、少しも嫌な気持ちのするものではなかった。 「ともかく、その杖はポップが持っていて。ポップは、いつもそれを腰の後に差していたのよ」 そう声を掛けてきたのは、淡い赤毛の美少女だ。ちょっと気が強そうなマァムと言う名の少女は、世話好きなのかなにくれとなく面倒を見てくれる。 もしかして、この娘はちょっと……自分に気があったりするんじゃないだろうかと、ドキドキしてしまうのは都合のいい拡大解釈というものだろうか。 「こうか?」 言われるままに、ポップはそれに従う。 「うん、いっつもポップ、そうしてたんだよ!」 ひどく嬉しそうに、ダイが笑う。 それがポップには心強いし、嬉しく感じられる。 だが、それとは逆に、ポップを不安にさせるのは二人の美少女の存在だった。 一人、離れた所にいる黒髪の少女は、ポップと目が合う度にビクッと怯えたように身を竦め、物陰に隠れてしまう。 (おれ、よっぽどあの娘に嫌われてたのかな……) 結構好みのタイプなだけにあまり嬉しくない予想だが、そう思ってしまうほど、メルルと言う名の少女はポップに近寄らない。 「ところでポップ君、身体の具合はなんともないみたいだし、これから行ってほしいところがあるの」 長い栗色の髪を持つ、気品あふれる美少女。 「そりゃあ、王女様に行けって言われれば行きますけど……、どこへだい?」 可愛いのは可愛いが、王女と聞いただけで自分とはかけ離れた遠い存在な気がして、きやすく話しかけるのもためらわれる。 『ポップ』らしくない行動をとる度に、周囲の人間が見せる失望の表情は、ポップにとってはあまり嬉しくないものだ。 (えっと、確か、おれはこの娘を『姫さん』って呼んでたんだっけ?) 聞いた話を思いかえしながら呼び直そうかとしたが、その前にレオナは一瞬で表情の揺らぎを抑え、きっぱりと言い切った。 「パプニカの洞窟に住んでいる、ある魔法使いに会いに行ってほしいの。きっと、あなたの記憶を取り戻す手助けになると思うわ」 ポップがレオナを苦手に思うのは、この一点だ。 記憶を取り戻させようとする熱意を、やけに強く感じる。未だに記憶が戻らないままのポップにしてみれば、少しばかり気が重い。 「う……ん……、分かったよ」 「じゃあ、道案内はエイミに――」 言いかけたレオナの言葉を遮って、元気よく手を上げたのはダイだった。 「あっ、それって、マトリフさんのことだろ? なら、おれ、一緒に行くよ! ポップ一人だと、行き方が分からないだろうし」 正直、そう言われて助かったとポップは思う。 「そうね、ダイ君と一緒なら安心ね。じゃあ、お願いするわ」
「ありがとう、マリン」 一人で部屋に籠もって山積みの書類をさばいていたレオナは、喜んでマリンの来訪を受け入れる。 特別な茶葉だと、すぐに分かった。 嗜好品などは、その際たるものだ。 今は王女であろうとも、贅沢をする余裕などない。 他の勇者一行と違い、まさにお姫様育ちの彼女は身の回りの品に不自由するという感覚自体、希薄だったのだから。 だが、レオナは失ったものを嘆くことなく、今あるものでやりくりする心得を持ち合わせている。 しかし、パプニカ王国落城前から誠実に仕えてくれている腹心のマリンには、それは見通せるのだろう。 「随分とお疲れのようでしたから、特別です。このハーブティーには心を癒やす効果があると、よく王妃様はおっしゃっていましたから……」 エイミ達には内緒ですよと笑うマリンに、レオナはちょっと泣きたくなるような懐かしさを覚える。 マリンが王妃と呼ぶ女性は、レオナの母……今は亡き、パプニカ王妃だ。 母の思い出を共有できる数少ない相手であるエイミとマリンに対しては、レオナは姉に対するような慕わしさすら感じている。 「あのね、マリン。あたしね……ポップ君が無事に戻ってきてくれて、嬉しいの。本当に、嬉しいのよ」 それは、レオナの本心だった。 レオナにとって、ポップは仲間であり、大切な友人の一人だ。 いくら王女という身分を気にしないで欲しいとレオナから主張した処で、それでも気になるのは人情と言うものだろう。 身分を気にせず、その上ぽんぽんと互角に言い合える相手なんて、そうそうお目にかかれるものではない。 見た目によらぬポップの思考力の高さや、他人の心の動きを読み取る洞察力はレオナにとっては理解しやすいものであり、それだけに違いに意図を伝えやすい相手だ。 会話の駆け引きを楽しめると言う点では、ダイやマァムよりも気が合うと言えるかもしれない。 「でも――きっと、私は、そう遠くないうちに、彼に言ってしまうわ……このままのあなたを、勇者一行と同行させるわけにはいかない、って」 言うべきことは、きっぱりと言う。 そうでなければ今までの戦いで、魔王軍との戦いで滅亡し掛けた祖国を立て直すことなどかなわなかっただろう。 だが、今は……迷いもなくそう考えてしまう自分が嫌になる。 だが、王女としての理性が、判断する。 ダイとポップでは、同じ記憶喪失であっても、立場が違う。 勇者の存在なくして、人々の希望を集めることはできない。だからこそ、レオナは個人的感情以外の理由でも、ダイをバランの手に渡すのを良しとはしなかった。 記憶を失い、幼い子供に戻ってしまっても、勇者は勇者だ。 だからこそレオナは非情と思えても、ダイの記憶を取り戻させることよりも、彼の身の安全を図り、バランから守ることに重点をおいた。 だが、魔法使いはそうではない。 しかし……記憶を失ったポップにその役割を望めないのであれば、別の人が代行した方が良い。 攻撃魔法ではポップに劣るものの、攻守の魔法に優れたアポロは三賢者の中でも最もバランスがよく、即戦力として勇者一行に助力できるのだから。 「……姫様……」 慰めを言うでなく、もちろん非難がましいこともいわずに、気遣うように自分の名を呼ぶマリンの優しさに、レオナは小さく微笑んだ。 「…………仲間なのに、ひどいわよね」 個人的には、ポップにいて欲しい。 だが、王女として、勇者一行のパトロン的存在としてのレオナには、冷静に判断する。 魔法の使えない魔法使いを一行に置くのは、害が多いだけで本人のためにも周囲のためにもならないように思える。 今までのように前線にいることを望む意識が、少なからず皆の中に存在している。今のままでは足手まといにしかならないと承知していても、それでもポップの存在は勇者一行にとっては不可欠なものだと意識しているのだろう。 現にダイなどは、すでに自分の剣の捜索よりも、ポップの記憶を取り戻させる方に意識がいってしまっている。 だが、ダイの勇者としての役割を考えれば、それでは困るのだ。 けれど、今までポップが一番接した時間が長い人物と、思い出を喚起させるように過ごさせた方がいいとなれば、適任者は別にいる。 子供にとって、人生で最も強く、多く関わっている存在は、親だ。 ダイやマァム、メルルの話から、ポップの両親は誠実でいて優しく、そして温かい人柄であることは充分に伺えた。 ならば、血の繋がりを証明する何よりの手掛かりになるだろうし、安堵感も増す要因となる。 実際、ポップのあの腕輪がなければ、レオナはとっくにその結論を皆に話し、反対を押し切ってでも実行していただろう。 ザボエラにはめるように強要されたという腕輪がどんな物か分からない以上、迂闊にポップを勇者一行から離すのはためらわれた。 だが、だからといって、このままダイの隣に……前線に置いておく気は、毛頭ない。 なぜなら、今のポップには戦いに一番必要なものが、欠けている。 「戦う理由も、覚悟もない人間を、戦場に置くのは不幸になるだけだわ。本人にとっても、側にいる人にとっても――」 魔王軍との戦いを世界に向かって宣言したパプニカの姫は、目を伏せながらそう言った。 その言葉の正しさに、マリンもまた言葉をなくして俯くばかりだ。 しばし、沈黙が落ちる。 「でも、まだこんな心配はするのは、早いわよね。ポップ君さえ記憶を取り戻してくれるなら……そして、あの腕輪をはずせれば問題ないですものね」 まだ、しばらくは猶予がある。 その間に、ポップが記憶を取り戻すのなら、多分、それが一番いい。 ダイの記憶喪失を治したのがポップだったように、ポップの記憶喪失を治すのは、ダイだと信じている。 それを助けるためにも、やらなければならないことは、まだまだある。その中でもダイの剣を捜しだすのは、優先事項だ。 さらには、剣を早く探せと要求する各国の王達をなだめ、時間稼ぎも必要だろう。 「ごちそうさま、マリン。ありがとう、いい気分転換になったわ」 とっくに冷めきってしまった香草茶を飲み干し、レオナは再びペンを手に取って、書類書きと言う名の自分の戦いへと戻った――。 《続く》 |