『失われたもの 9』

  

「これ……ポップのなんだよ。なんか思い出せない?」

 期待に目を輝かせ、ダイが差し出したのは一本の杖だった。
 なんの説明もされなかったが、それが魔法使いの杖だと、ポップには一目で理解できた。

 デザインは古いがよく使い込まれた品であり、かなり上質のものだとポップの知識は判断する。

 だが――その杖と自分との繋がりを思い出すことはできなかった。
 しかし、それをストレートに言うには、さすがに気がとがめる。なにせダイだけではなく他のメンバーもそろって、期待するような目でじっと自分を見つめているのだから。

 それを無碍にする勇気もなく、ポップは仕方無くその杖を手にしてみた。ひんやりとした金属の感触……古びた杖は、実際に手にしてみると意外なほどにしっくりと馴染む。

 だが、それだけだった。
 それ以上のものは、特にない。

「えっとさ、その杖、ポップが持つと、しゃきーんとなって伸びたり、先の赤い玉が光ったりしたんだ」

 まあ、ダイの言いたいことは分かる。
 分かるが、その表現の子供っぽさにポップは思わず笑ってしまった。

「悪いけどよ、期待されてもおれにはできねえって。言ったろ、魔法は使えないって」

 自分は――『ポップ』は、魔法使いなのだと、この場にいる『仲間』達が教えてくれた。

 それは嘘ではないだろうと、ポップは人事のように思う。自分の着ていた服が、魔法使い用の服なのは理解できたし、一般人にしては少し詳しすぎるほど、魔法や怪物に関する知識も、ポップの中にある。

 だが、使い方としてではなく、あくまで一般の知識としてだ。自分が使う立場に立った上での知識ではない。

 杖も、同じことだ。
 魔法の杖は、魔法使いが魔法力を込めることで、その効力を発揮する。杖の種類にもよるが魔法力に反応して光ったり、長さや強度が変わるのは珍しくはないと、知識としては分かる。

 だが、その具体的なやり方は一向に分からなかった。
 だからしばらく杖を握った後、ポップはそれを返そうとする。しかし、それを押しとどめたのは、銀髪の戦士だった。

「それは、おまえのものだ。持っているといい。何かのきっかけで、思い出すかもしれないだろう」

 その言葉にすぐに頷かなかったのは、他意あってのことではない。
 やけに美形の、長身の戦士。彼の名がヒュンケルだと、一拍時間を置かなければ一致しなかっただけだ。

 一通り、全員の名前や簡単な紹介を受けたが、さすがにそれらを一気に全部覚えるのは無理がある。
 ポップにとって、目の前にいるのは初めて会ったも同然の人ばかりなのだから。

「ん……、ああ。ありがとよ」

 そう言った途端、ヒュンケルやその他の人々が微妙に変な顔をする。が、その意味が分からなくて、ポップは首を傾げた。

「なんだよ、おれ、なんか変なこと言ったか?」

 と、答えを求めるように、つい聞いてしまう相手は、ダイだ。
 まだ、名前と顔が一致しきっていない『仲間』達に比べれば、実際に助けてくれたダイに一番の親近感を抱いている。

「ううんっ、そうじゃないよ。そうじゃないけど……でも、ポップがヒュンケルに素直にお礼を言うなんて、珍しいんだもん」

「はあ? 珍しいって、おれってそんなにこの人と仲が悪かったわけ?」

 呆れてそう聞くと、ダイはブンブンと首を振って否定した。

「えっ? いや、ううんっ、違うよ! 仲が悪いって、わけじゃないわけでもないけど、でも……あれ?」

「って、どっちなんだよ!?」

 間の抜けたダイと、思わず突っ込んでしまったポップとのやり取りに、自然に周囲から失笑がわき起こる。

 だが、それはとても暖かく、少しも嫌な気持ちのするものではなかった。
 覚えてはいないが、自分は確かに彼らの仲間だったのだろうと感じさせる親しみが込められている。

「ともかく、その杖はポップが持っていて。ポップは、いつもそれを腰の後に差していたのよ」

 そう声を掛けてきたのは、淡い赤毛の美少女だ。ちょっと気が強そうなマァムと言う名の少女は、世話好きなのかなにくれとなく面倒を見てくれる。

 もしかして、この娘はちょっと……自分に気があったりするんじゃないだろうかと、ドキドキしてしまうのは都合のいい拡大解釈というものだろうか。

「こうか?」

 言われるままに、ポップはそれに従う。
 ベルトの癖のついている部分がやや緩めだと思ったら、最初からこの杖を腰に差すのを前提に、穴一つ分緩く止めてあったらしい。
 確かにそうするとぴったりで、不思議なくらい馴染んだ。

「うん、いっつもポップ、そうしてたんだよ!」

 ひどく嬉しそうに、ダイが笑う。
 ポップが無意識にとる行動が、記憶を失う前のものと重なると、ダイはそんな風に無邪気な笑顔を見せる。

 それがポップには心強いし、嬉しく感じられる。
 どこか不安そうに、どことなくぎこちなく接してくる『仲間』達といるより、ダイといる方がずっと安心できるし、落ち着ける。
 ここにいてもいいのだと、思わせてくれるから――。

 だが、それとは逆に、ポップを不安にさせるのは二人の美少女の存在だった。

 一人、離れた所にいる黒髪の少女は、ポップと目が合う度にビクッと怯えたように身を竦め、物陰に隠れてしまう。

(おれ、よっぽどあの娘に嫌われてたのかな……)

 結構好みのタイプなだけにあまり嬉しくない予想だが、そう思ってしまうほど、メルルと言う名の少女はポップに近寄らない。
 そして、もう一人の不安の源は――。

「ところでポップ君、身体の具合はなんともないみたいだし、これから行ってほしいところがあるの」

 長い栗色の髪を持つ、気品あふれる美少女。
 きびきびと話しかけてくる少女……レオナもまた、とびっきりの美少女だ。が、彼女に話しかけられると、なぜか萎縮感が込み上げてくる。

「そりゃあ、王女様に行けって言われれば行きますけど……、どこへだい?」

 可愛いのは可愛いが、王女と聞いただけで自分とはかけ離れた遠い存在な気がして、きやすく話しかけるのもためらわれる。
 が、わずかに交じっただけの敬語を聞いて、レオナが少し眉をひそめたのを見て、かえって失敗したかなと思う。

 『ポップ』らしくない行動をとる度に、周囲の人間が見せる失望の表情は、ポップにとってはあまり嬉しくないものだ。

(えっと、確か、おれはこの娘を『姫さん』って呼んでたんだっけ?)

 聞いた話を思いかえしながら呼び直そうかとしたが、その前にレオナは一瞬で表情の揺らぎを抑え、きっぱりと言い切った。

「パプニカの洞窟に住んでいる、ある魔法使いに会いに行ってほしいの。きっと、あなたの記憶を取り戻す手助けになると思うわ」

 ポップがレオナを苦手に思うのは、この一点だ。
 他の人が遠慮して聞かないことでも、詳細に説明を求めたり、記憶を取り戻させるための手をあれこれ打ってくる点。

 記憶を取り戻させようとする熱意を、やけに強く感じる。未だに記憶が戻らないままのポップにしてみれば、少しばかり気が重い。
 だが、断る理由も思い当たらなかった。

「う……ん……、分かったよ」

「じゃあ、道案内はエイミに――」

 言いかけたレオナの言葉を遮って、元気よく手を上げたのはダイだった。

「あっ、それって、マトリフさんのことだろ? なら、おれ、一緒に行くよ! ポップ一人だと、行き方が分からないだろうし」

 正直、そう言われて助かったとポップは思う。
 知らない人に、よく知らない人と一緒に会いに行くよりも、ダイと一緒に行った方が気が楽だ。
 ただ、レオナが反対しないか心配だったが、彼女はこっくりと頷いた。

「そうね、ダイ君と一緒なら安心ね。じゃあ、お願いするわ」








「姫様、お茶をお持ちしましたわ」

「ありがとう、マリン」

 一人で部屋に籠もって山積みの書類をさばいていたレオナは、喜んでマリンの来訪を受け入れる。
 各国の王達へ当てた書簡を書く手を止め、香草茶を受け取ってすぐ、レオナは「あら」と声を上げた。

 特別な茶葉だと、すぐに分かった。
 最上質のお茶は心地好く香り、喉と同時に心までも潤す。
 本来ならそれは、国賓を持て成すためにとっておいた貴重な一品だ。いくら王国とはいえ、戦時中のパプニカではまだまだ様々な品が不足している。

 嗜好品などは、その際たるものだ。
 あれば心を和ませて日常を豊かにしてくれるが、なければないでやり過ごせるもの――ならば、非常時に真っ先に切り捨ててしまうものだ。

 今は王女であろうとも、贅沢をする余裕などない。
 以前はごく当たり前のように毎日嗜んでいたものを、節約して過ごさなければならない不自由さを一番強く味わっているのは、間違いなくレオナだろう。

 他の勇者一行と違い、まさにお姫様育ちの彼女は身の回りの品に不自由するという感覚自体、希薄だったのだから。

 だが、レオナは失ったものを嘆くことなく、今あるものでやりくりする心得を持ち合わせている。
 気丈で前向きなレオナが細やかな不自由に耐えていることなど、他のみんなは気付いてさえいない。

 しかし、パプニカ王国落城前から誠実に仕えてくれている腹心のマリンには、それは見通せるのだろう。

「随分とお疲れのようでしたから、特別です。このハーブティーには心を癒やす効果があると、よく王妃様はおっしゃっていましたから……」

 エイミ達には内緒ですよと笑うマリンに、レオナはちょっと泣きたくなるような懐かしさを覚える。

 マリンが王妃と呼ぶ女性は、レオナの母……今は亡き、パプニカ王妃だ。
 レオナの遊び相手として選ばれ、三賢者に選出される前から城で暮らしていたエイミとマリン姉妹は、王妃と会う機会も多かった。

 母の思い出を共有できる数少ない相手であるエイミとマリンに対しては、レオナは姉に対するような慕わしさすら感じている。
 だからだろう。
 気が緩んで、少しだけ本音を漏らしてしまったのは。

「あのね、マリン。あたしね……ポップ君が無事に戻ってきてくれて、嬉しいの。本当に、嬉しいのよ」

 それは、レオナの本心だった。
 ポップがキルバーンやミストバーンに連れて行かれたと聞いて、どんなに心を痛めたか……彼の生還を、心から喜んでいる。

 レオナにとって、ポップは仲間であり、大切な友人の一人だ。
 ダイとは意味合いが全く違うが、それでもレオナはポップを気兼ねしなくていい友達だと認識している。

 いくら王女という身分を気にしないで欲しいとレオナから主張した処で、それでも気になるのは人情と言うものだろう。
 それに立場上、レオナにはけじめをつけなければならない時もある。

 身分を気にせず、その上ぽんぽんと互角に言い合える相手なんて、そうそうお目にかかれるものではない。

 見た目によらぬポップの思考力の高さや、他人の心の動きを読み取る洞察力はレオナにとっては理解しやすいものであり、それだけに違いに意図を伝えやすい相手だ。

 会話の駆け引きを楽しめると言う点では、ダイやマァムよりも気が合うと言えるかもしれない。
 そんな彼に『王女様』と呼ばれるのは、ちょっと辛い。
 だが、それ以上にレオナの心を痛めるのは、自分の中の考えの方だった。

「でも――きっと、私は、そう遠くないうちに、彼に言ってしまうわ……このままのあなたを、勇者一行と同行させるわけにはいかない、って」

 言うべきことは、きっぱりと言う。
 切り捨てるべきは、切り捨てていく。
 それは、レオナが王女として皆を導くために身に付けたものだ。

 そうでなければ今までの戦いで、魔王軍との戦いで滅亡し掛けた祖国を立て直すことなどかなわなかっただろう。

 だが、今は……迷いもなくそう考えてしまう自分が嫌になる。
 あんなにもポップの無事を喜び、記憶を取り戻させようと一生懸命なダイを見ていると、なおさらだ。

 だが、王女としての理性が、判断する。
 魔法使いでなくなったポップは、ここで切り捨てた方がいい、と。
 自分の非常さに、震えが走る。――だが、理性は常に計算高く、手持ちの戦力を分析してしまう。

 ダイとポップでは、同じ記憶喪失であっても、立場が違う。
 勇者は、戦いには必要不可欠だ。

 勇者の存在なくして、人々の希望を集めることはできない。だからこそ、レオナは個人的感情以外の理由でも、ダイをバランの手に渡すのを良しとはしなかった。

 記憶を失い、幼い子供に戻ってしまっても、勇者は勇者だ。
 勇者が魔王軍に連れて行かれてしまったと知られたら、それだけで人々は希望を無くしてしまうから。

 だからこそレオナは非情と思えても、ダイの記憶を取り戻させることよりも、彼の身の安全を図り、バランから守ることに重点をおいた。

 だが、魔法使いはそうではない。
 確かに、魔法の使い手がいるのといないのとでは、戦力に大幅な差が生まれる。その意味では、いた方がいいと自信を持って言える。

 しかし……記憶を失ったポップにその役割を望めないのであれば、別の人が代行した方が良い。
 ポップに変わって、レオナは勇者一行の新たな一員として、アポロを推薦するだろう。

 攻撃魔法ではポップに劣るものの、攻守の魔法に優れたアポロは三賢者の中でも最もバランスがよく、即戦力として勇者一行に助力できるのだから。
 そんな風に仲間のすげ替えを考慮できる自分が、ひどく冷たい人間に思えてならない。

「……姫様……」

 慰めを言うでなく、もちろん非難がましいこともいわずに、気遣うように自分の名を呼ぶマリンの優しさに、レオナは小さく微笑んだ。

「…………仲間なのに、ひどいわよね」

 個人的には、ポップにいて欲しい。
 たとえ記憶を失ったままであったとしても、ポップの明るさや前向きさに変化はない。前線に出ない形で助力してもらえたのなら、どんなに心強いだろうとも思う。

 だが、王女として、勇者一行のパトロン的存在としてのレオナには、冷静に判断する。

 魔法の使えない魔法使いを一行に置くのは、害が多いだけで本人のためにも周囲のためにもならないように思える。
 記憶を失ったままのポップをそのまま受け入れるのには、周囲の期待度が高すぎるのだ。

 今までのように前線にいることを望む意識が、少なからず皆の中に存在している。今のままでは足手まといにしかならないと承知していても、それでもポップの存在は勇者一行にとっては不可欠なものだと意識しているのだろう。

 現にダイなどは、すでに自分の剣の捜索よりも、ポップの記憶を取り戻させる方に意識がいってしまっている。

 だが、ダイの勇者としての役割を考えれば、それでは困るのだ。
 確かに、勇者一行の中ではダイとポップは一番過ごした時間が長く、また、固い絆で結ばれているかもしれない。

 けれど、今までポップが一番接した時間が長い人物と、思い出を喚起させるように過ごさせた方がいいとなれば、適任者は別にいる。

 子供にとって、人生で最も強く、多く関わっている存在は、親だ。
 幸いにも、ポップの実家の場所はつい最近分かったばかりだ。記憶を取り戻すまでに時間が掛かるというのなら、家に帰して両親のもとで静養させた方がいい。

 ダイやマァム、メルルの話から、ポップの両親は誠実でいて優しく、そして温かい人柄であることは充分に伺えた。
 それに、幸いなことにポップは母親似で、一目で親子と分かるほどによく似た顔をしているという。

 ならば、血の繋がりを証明する何よりの手掛かりになるだろうし、安堵感も増す要因となる。
 ポップ自身のことを思うなら、一度故郷に帰してやる方がよほど安全だし、本人のためにもなるだろう。

 実際、ポップのあの腕輪がなければ、レオナはとっくにその結論を皆に話し、反対を押し切ってでも実行していただろう。

 ザボエラにはめるように強要されたという腕輪がどんな物か分からない以上、迂闊にポップを勇者一行から離すのはためらわれた。
 あの腕輪のせいで、ポップに万一のことがあったら、きっと後悔するだろうから。

 だが、だからといって、このままダイの隣に……前線に置いておく気は、毛頭ない。

 なぜなら、今のポップには戦いに一番必要なものが、欠けている。
 魔法力の有無など、関係ない。
 戦う力以上に必要なものが、今の彼にはないのだ。

「戦う理由も、覚悟もない人間を、戦場に置くのは不幸になるだけだわ。本人にとっても、側にいる人にとっても――」

 魔王軍との戦いを世界に向かって宣言したパプニカの姫は、目を伏せながらそう言った。

 その言葉の正しさに、マリンもまた言葉をなくして俯くばかりだ。
 いきなり魔王軍の猛攻を受けた国だけに、心構えも持つ余裕のないまま戦いに巻き込まれた非戦闘員の悲劇は、身に染みている。

 しばし、沈黙が落ちる。
 だが、それを振り切るように、レオナは髪を揺らすほど勢いよく顔を上げた。

「でも、まだこんな心配はするのは、早いわよね。ポップ君さえ記憶を取り戻してくれるなら……そして、あの腕輪をはずせれば問題ないですものね」

 まだ、しばらくは猶予がある。
 国同士の連携には、それなりの準備がいる。勇者一行が死の大地へと旅立つまで、時間的余裕があるのだ。

 その間に、ポップが記憶を取り戻すのなら、多分、それが一番いい。
 そのために、レオナはできるだけの時間を、ダイがポップと過ごせるように図るつもりだった。

 ダイの記憶喪失を治したのがポップだったように、ポップの記憶喪失を治すのは、ダイだと信じている。

 それを助けるためにも、やらなければならないことは、まだまだある。その中でもダイの剣を捜しだすのは、優先事項だ。
 ダイとクロコダイン、チウの捜索でも見つからなかった以上、他の手を考える必要がある。

 さらには、剣を早く探せと要求する各国の王達をなだめ、時間稼ぎも必要だろう。
 そのせいで余計な仕事が増えてしまっているが、レオナは盛り上がる書類の山に怯む気配も見せなかった。

「ごちそうさま、マリン。ありがとう、いい気分転換になったわ」

 とっくに冷めきってしまった香草茶を飲み干し、レオナは再びペンを手に取って、書類書きと言う名の自分の戦いへと戻った――。

                                                《続く》
 
 

10に進む
8に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system