『失われたもの 10』

  
 

「じゃあ、行ってくるね!」

 元気よく言い、一同に向かって手を振るダイに比べ、ポップの方はいかにもぎこちなかった。
 申し訳低度に手を振るしぐさを見せるだけの出立の挨拶は、普段のポップとはかけ離れている。

 普段のポップならどこに行くにしても、一言告げたかと思うと気軽に飛び出していってしまう。移動魔法を使えるせいで余計にそうなのかもしれないが、普段のポップは誰も止める暇もないほど気軽に、ひょいっと窓から飛び出してしまうことも珍しくない。

 だが、今、ポップはダイに先導される形で、城門から歩いて移動しようとしていた。

 それを心配するように、レオナを除く一行のほとんどが見送るのも、普段とはまるっきり違っている。
 そして、もう一つ、普段とは違うことが起こった。

「……オレも、同行する」

 と、突然言い出したヒュンケルに、ダイもポップも一瞬、きょとんとする。その際、互いに答えを探すように顔を見合わせるしぐさが、息がぴったりすぎて、少しおかしかった。
 記憶はないはずだが、そんなところは変わっていないらしい。

 そして、戸惑っているのはダイやポップだけではなく、他の者も同じだった。特にエイミやマァムなどはどことなく心配そうに、引き止めたいと言わんばかりの表情でヒュンケルを見つめている。

 だが、完治とは言えないまでも、だいたい傷も治った今となっては、引き止められる義理はもうない。
 よって、疑問を口にしたのはダイだけだった。

「いいけど、なんで?」

 ダイらしいシンプルな問い掛けに、ヒュンケルは至って真面目に答える。

「マトリフ師に、少し尋ねたいことがあるだけだ。おまえ達の邪魔はしないから、安心しろ」

 そうは言ったが、嘘ではないもののそれはヒュンケルの本心ではなかった。

「…………」

 ポップが一瞬だけ顔を曇らせたのが分かったが、それでも引くつもりはなかった。

 ポップが戻ってきて以来、ヒュンケルは彼を監視するように、常に視界の範囲に置いてきた。
 それにポップも気がついているのか、居心地が悪そうにしている時もあったが、それでもやめるつもりなどない。

 ヒュンケルは決して、ポップを信用していないだけではない。
 信用できないのは、ザボエラだった。

 あの卑劣な男が、どこまでも信用出来ない上に小細工や罠を好むかを、ヒュンケルは嫌というほど知っている。
 彼に限って言うのなら、捕虜に対して慈悲などかけるなど有り得ない。徹底的に利用し、その揚げ句容赦なく殺すぐらいのことは平気でやる。

 捕虜に薬物を与えて操ったり、致命的な損傷を与えることなど、意にも介さない男なのだ。
 そのザボエラが、ポップに何もしないまま放免したなどとは信じられない。

 ポップのはめている腕輪を見る度に、あれに何か仕掛けがあるのかと気にせずにはいられない。
 それを確認するまでは、ポップから目を離す気はなかった。

 何かが起こったらすぐに対処出来る距離内で、見張らずにはいられなかった。

 ヒュンケルのその用心に、気がついているのはそう多くはない。おそらくは、同じくザボエラという男を知り抜いているクロコダインと、聡明さが抜きんでているレオナぐらいのものだろう。

 ダイなどは、まるで気がついた様子もない。
 だが――皮肉なことに、ポップの方は見張られているのに気がついている様子だ。

 記憶はなくても、妙に聡いところは以前と変わっていない。
 ダイと並んで歩きながらも、時折、後ろから歩く自分を気にするようにポップは何度も振り返る。

「気にするな。オレはいないものと思ってくれていい」

 そう言い、ヒュンケルはわざと足を緩めて歩く速度を落とし、二人と距離を開ける。

 ヒュンケルは、レオナの判断を信じている。
 ポップの記憶を取り戻させるために、大勢でわいわいと騒ぐよりも、ダイやマトリフと深く話し合う機会を持たせる方が有効と考えたのなら、それを妨げる気などない。

 結果的にポップを疑い監視するような態度を取ってしまっているが、ヒュンケルの目的は、ただ一つ。
 記憶を失い、魔法を使えなくなったポップの身の安全の確保だ。

 記憶を失ったポップに、記憶を取り戻させてやるのが自分の役目とは、到底思えない。
 ダイが記憶を失った時だって、ヒュンケルはダイとは直接は、ほぼ関わらないままだった。

 ダイを奪おうとする者とは積極的に関わり合い、戦いも辞さなかった。だが、ポップやレオナがそうしていたように、記憶を取り戻させるためにダイと会話を交わすことなどなかった。

 時間的にその余裕がなかったのが最大の理由だが、もし、その時間が与えられたとしても、ヒュンケルにダイの記憶を取り戻せたとは思えない。

 その気持ちは、今も同じだ。
 だからこそ、せめてポップを守る手助けだけでもしたいと思う。
 なぜなら、記憶を取り戻す役割はきっと他にいるだろうから。

 ようやく後ろを気にするのをやめて、楽しそうに何か会話しながら並んで歩くダイとポップの背中を見つめながら、ヒュンケルはことさらゆっくりと歩きだした――。








「なんだか、賑やかな感じの町だなー。すごく、逞しい気がするし」

 復興途中のパプニカの町並みを物珍しげに眺めながらそう言うポップに、ダイは思わず嬉しくなってしまった。

「前に歩いてた時も、ポップ、そんなこと言ってたんだよ!」

 ダイの新しい武器を捜すため、一緒にパプニカ城下町を歩いたのはそんなに前の思い出ではない。
 あの時も一緒に並んで歩いては、増えていく町並みに感心しながら、武器屋や道具屋を覗き込んだ。

 買い物に不慣れなダイが物珍しげにあちこちを見るのを笑いながらも、あれこれと教えてくれたのは他ならぬポップだ。だが、今はポップの方が周囲を見回すのに熱心で、説明とかはしてくれそうもない。

 ポップのしてくれる説明や、調子のいい口調がないのが物足りなくて、ダイはつい、聞いてしまう。

「ポップは……覚えてないの?」

「悪ぃな、思い出せないんだ」

 すまなそうにそう言うポップに、ダイは慌てて言い添えた。

「いいんだよ。焦んなくても」

 焦ってはいけない。
 それは、レオナとクロコダインからくれぐれもと念を押されて、言い聞かされたことだ。

 以前、バランと言う強敵を目前としていたせいで、記憶を失ったダイへの接し方がどうしても焦ったものになってしまった苦い経験。
 それを経た者からの忠告を、ダイは真摯に受け止めていた。
 焦らず、だが、ゆっくりとポップの思い出を刺激すること。

 瞬間移動呪文を使えば一瞬なのに、時間が掛かるのを承知でこうやって歩いて移動しているのも、ポップの記憶を取り戻すきっかけになればと思えばこそだ。

「ところでよ、これから会いに行く魔法使いって、どんな人なんだ?」

 ポップからの質問に、ダイは元気よく答えた。
 聞かれることには、出来る限り答えてあげること――それも、レオナが教えてくれた忠告の一つだ。

「マトリフさんはね、ポップの二番目の先生なんだよ。すっごい魔法を使えるし、すっごくいろんなことを知っている人だから、きっと助けになってくれるよ」

 もし、ここでポップに記憶があるのなら、ダイのその説明には色々と突っ込みどころが満載だっただろう。
 だが、マトリフを知らないポップにとって、今の説明で不審に思ったのはたった一ヵ所だった。

「二番目の先生って、おれ、他にも習っていた人がいたのか?」

「うん。ポップの最初の先生は……アバン先生って言うんだ」

 その名前を口にするのに、ダイには勇気が必要だった。
 いつものポップなら、アバンの名に冷静ではいられなくなるのを知っているから。

 それぐらい、ポップにとってアバンは特別な存在だった。ましてやあの壮絶な別れを思えば、当然だろう。

 アバンの死に、ポップが声を上げて泣き続けた姿は、今も鮮明に焼きついてしまっている。
 ダイや皆の前では平気なふりをしていても、夜中にうなされて飛び起きたり、こっそりと一人で泣いていたことがあったのも、知っていた。

 あれから時間が経った分、だいぶ落ち着いたとはいえ、今でもポップは会話の中に不意にアバンの名が交じると、動揺を見せる。
 ポップが一瞬とはいえ悲しそうな表情を見せるのも、それを隠そうと空元気を張るのも見たくはなくて、ダイは極力アバンの話題は避けていた。

 だが――今は、悲しい記憶を揺さぶることになったとしても、ポップに思い出してほしい気持ちの方が強かった。

「先生は勇者の家庭教師で、優しくて、強くて……ポップはアバン先生をすごく尊敬してたんだよ」

 ポップの表情を伺いながら、ダイは慎重にアバンの説明をする。
 だが、いつもと違ってポップに動揺は見られなかった。それに対して、がっかりするような、ホッとするような気分を味わいながらも、ダイは知っていることを全部話した。

「ポップは偶然出会ったアバン先生に憧れて、家出して押しかけ弟子になったんだって、聞いた」

「へー、家出、ねえ? おれが、そんな思い切ったことを?」

 なんだか、他人の話を聞いてるみたいだなーと笑うポップに釣られてダイも笑ったものの、少し胸が痛む。

(……やっぱ、思い出してほしいな)

 ダイは、そう思わずにはいられなかった。








(思い出してやりたいんだけどな……)

 少し無理をして笑っているように見えるダイを見て、ポップはそう思う。
 確かに、記憶喪失という状況は不安だ。
 思い出したいのに何も思い出せないもどかしさは、常にある。

 だが――それでも今の状態は、ポップにとってはそれほどに悪いものとは思えない。

 魔族達に囚われていた時、ポップが感じていたのは恐怖よりも、強烈な孤独感だった。
 正体不明の魔族達に、もちろん恐怖を感じなかったわけではない。だが、それ以上に恐ろしかったのは、一人、放り出された孤独の方だ。

 記憶を失った自分を、誰一人として顧みようとはしなかった。牢屋に閉じ込められ、そのまま放置されたあの時に感じた虚無感――自分という存在が、何の意味もない無価値なものなのだと言われているようで、恐ろしかった。

 自分を待っていてくれる人も、受け入れてくれる人もいないのだと思った時の絶望……自分などいなくなっても構わない存在なのだと、そう思わずにはいられなかった。

 怪物に無理やりどこかに連れて行かれかけた時は、てっきりこのまま死ぬのだと思った。

 自分の記憶も何も彼も忘れたまま、怪物に殺される運命……それを覆してくれたのが、ダイだ。

 自分をあんなにも必死に呼び、一生懸命になって手を伸ばしてくれ、助けようとしてくれた少年。
 怪物の大群にさえ怯んだ様子を見せなかったくせに、ポップの言葉や行動に一々反応する姿が、ひどく目を引いた。

 その気持ちを特に強く感じたのは、安全な場所で目覚めた直後だった。
 傷ついたような目をして、元気なく俯いてしまったダイを見ているのが、わけもなく嫌だった。
 何か、元気づけることを言ってやりたいと、素直に思えた。

 記憶を失った自分を、誰もが見守るように距離を置く中で、素直に喜んだりがっかりした様子を見せるダイは、一緒にいて一番安心できる相手だ。
 そのダイが、自分の記憶を思い出してくれと強く望むのであれば、叶えたいと思う。

「えっと……おれだけじゃなくって、おまえとか、ヒュンケルとか、あの武闘家の女の子もアバン先生の弟子だって言ってたよな? じゃあ、おれ達は同じ先生のところでずっと一緒に習っていたんだな?」

 聞いた話を繋ぎ合わせながら、ポップは今までの『自分達』を理解しようとする。
 だが、てっきり頷くと思っていたのに、ダイはぷるぷると首を横に振った。

「ううん、違うよ。一緒に習ったのはおれとポップだけだよ。それも、三日だけだったし」

「へ? 三日?」

 意外すぎる短さに、ポップは思わず足を止めてしまった。

「うん。おれ、一週間で勇者になれるスペシャルハードコースを選んだんだけど、途中までしか受けられなかったから。だから、一緒に修行したのは三日だけなんだ」

(一週間って……)

 今度こそ、ポップは絶句してしまう。
 記憶はないが――勇者というのは、一週間でなれるようなお手軽なものだったとは、とても思えない。
 ……というか、あまりそうは思いたくない。

 記憶はないものの、知識は残っている。
 世界を救う勇者という存在に、ポップは憧れじみた感情を抱いている。自分などとは次元が違う、物凄く強くて偉大な人間、という感覚でとらえている。

 それがたった一週間でなれてしまうだなんてのは…………何かが激しく違う気がしてならない。
 だいたいそれを言うのなら『勇者の家庭教師』という職業自体、なんともうさん臭くて信用度が下がる気がする。

(……そんな信用出来ないような人に憧れて、家出までしたのかな、前のおれって。って言うか、ひょっとしておれも、まさか一週間しか弟子入りしなかったクチだとか?)

 以前の自分にまで懐疑を抱きたくなってしまった衝撃で、ポップは持って当然の疑問にさえ抱かなかった。

 ――なぜダイが、途中までしか修行を受けられなかったのか。
 その疑問をうかうかと見逃したまま、ポップは思わず聞いていた。

「それっていったい、どれぐらい前のことなんだ?」

 ダイが勇者であり、自分達が勇者一行として魔王軍と戦っているという簡単な説明は受けた。
 正直、ダイのような子供が勇者というのもイメージが違うなと思ったものの、実際に彼の強さを見ているからそれほどの違和感はない。

 むしろ、自分がその仲間だった方が驚きだ。
 全然実感の湧かない勇者一行としての行動が、いつからのことなのか、ポップはまだ聞いていなかった。

「えっとね……ひのふの……」

 と、ダイは指を折って、真剣に数えだす。ポップが思ったよりも時間を掛けてから、ダイは思いもかけない時間を教えてくれた。

「んーとね、だいたいお月様が二回りするぐらいかな」

「そんなもんだったのか?」

 二ヵ月。
 それは、あまりにも短すぎる時間のように思えた。
 少なくとも、ポップが漠然と予想していた年月よりも、ずっと短い。

「………………」

 言葉をなくして、ポップは立ち止まっていた。
 ダイや他の仲間達が、自分を心配し、記憶を取り戻させようとしてくれている気持ちは、分かる。

 それは――自分で言うのは少し気恥ずかしい気がするが、かつての自分が、一行にとっては欠かせない、親しい関係だったという証明だろう。
 長年の友人か、家族も同然の間柄……そうだったのだとしたら、それを育むためにかけた時間は少なくはなかったのだろうと、漠然と考えていた。

 だが、そうではなかった。
 もちろん、人と人との付き合いは、時間だけで計れるものではない。
 互いに一目ぼれした男女が、その日から激しい恋に落ちることだって皆無とは言えない。

 そこまで極端でなくても、一緒に事件を乗り越えた間柄なら過ごした時間は短くとも、連帯感は強く感じて当然だ。
 ちょうど今、ポップが自分を助けにきてくれたダイやクロコダイン達に対して、他の仲間よりも親しみを感じているように。

 たった二ヵ月余りの間に、あんなに強い親しみを感じさせるようになった仲間達と、かつての自分がどんな時を過ごしたのか――今のポップには分からない。

 だが、それが平坦で穏やかな時間であったわけでないことだけは、予測がつく。

 魔王軍と戦うことが、危険でないはずがない。危機は少なくなかっただろうし、逆に、それらを乗り越えることで獲得出来た絆は、小さなものではなかっただろう。
 それらを一切忘れてしまったことが、今、初めて罪だと思った……。

「どうしたの、ポップ? 疲れた?」

 ダイが心配そうにそう問いかけるまで、ポップは足を止めたままだった。

「あ……いや、大丈夫だよ。悪ぃな、ちょっとボーッとしてた」

 慌ててそう答え、ちらっと後方を見ると、ヒュンケルもまた足を止めているのが見えた。律義なことに、彼もまた、ポップが足を止めている間、立ち止まっていたらしい。

 直接、話しかけてくることは少ないものの、あの無口な戦士が自分を気にしてくれているのは理解出来る。
 ちらっと、こっちからもっと話しかけるべきかなとも思ったが、実行する前にダイが手を引いてきた。

「じゃあ、行こうよ。マトリフさんなら、その腕輪の取り方とか分かるかもしんないし」

 ダイに言われて、ポップは自分の手を見下ろす。
 ブカブカなのにもかかわらず、どうしても外せない奇妙な腕輪。
 不安感はあるが、無理に外そうとすると激痛が走るので、結局そのままにしてある。

 あの時はただ死にたくない一心で、信用出来ないと分かっていながら魔族の誘いに乗って腕輪をはめてしまった。
 だが、これになんの意味があったのか……それは、未だに分からない。
 しかし、一つだけ自信を持ってはっきり言えることがあった。

「でもよ、この腕輪は記憶喪失とは何の関係もないと思うぜ。だって、腕輪をはめる前から、おれ、なんにも覚えてなかったもんな」

 そのことはダイだけでなく、レオナや全員に向かって詳しく説明したはずだが、ダイはまだ納得出来ていないらしい。

「でも、おれ、なんかその腕輪、嫌なんだ! なんとなく、よくないもののような気がするんだもん」

 理由にも何にもなっていない言葉を口にするダイは、勇者なんて肩書きが嘘のように子供っぽい。
 それがおかしくて、ポップはつい笑っていた。

「あんま、心配するなって」

 そう言いながら、ポップは無意識にダイの頭に手を置いていた。
 ダイとは頭一つ分そこそこの身長差があるせいで、手を乗っけるには丁度いい。それに、その手触りはなんとなく懐かしい気がする。

 癖のある短い黒髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でていたのは、無意識だった。だけど、やってみると以前から何度もそうしていたかのように、しっくりと馴染む。

「わわっ、くすぐったいってば、ポップ!」

 そう言いながらも、ダイの方もポップの手を避けようともしない。むしろ嬉しそうに笑っているダイを見て、ポップもまた、いつの間にか声を立てて笑っていた――。

                                                           《続く》
 

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