『失われたもの 15』 

 

「ちょ……っ、ちょっと、ちょっと待てっ、待てっ! 落ちるっ、落ちるって、ダイッ!」

「って、ポップーッ!? くっ、くすぐったいっ、くすぐったいってっ!! それに暴れちゃダメだよっ、落っこちるってばーっ!」

 本人達は必死なのだろうが、どこか間の抜けた叫び声が、ようやく明るんできた空に響き渡る。
 格好良さとは程遠いぶきっちょさで、やっと空を飛んでいる小柄な子供に、必死になってその背中にしがみつこうとしている少年。

 それは、紛れもなくダイとポップだった。
 ドタバタと大騒ぎしている二人の少年は、とてもこれから決闘に赴く勇者とその立会人とは思えない。

 てんやわんやの大騒ぎを繰り広げた揚げ句、なんとか態勢を安定させて飛んでいるとはいうものの、それでもどこかしら危なっかさが残っている。
 それはダイが一番に感じているのか、彼は肩越しに背にしがみつくポップに声をかける。

「ポップ、もっとしっかり掴まってないと危ないよ」

(バカヤローッ、これで全力だっ!)

 と、怒鳴り返したい文句を、ポップは辛うじて飲み込んだ。
 決闘の場所への移動手段……それは、ダイの瞬間移動呪文と飛翔呪文を組み合わせたものだった。

 ハドラーが指定したと言う、南海の孤島――そこはダイの故郷デルムリン島からそう離れていない場所だと言う。

 ただ、近くにあるというだけの無人島なだけに、ダイもさすがに行ったことがないので、直接飛ぶことはできない。
 そこでダイは一度デルムリン島上空まで瞬間移動呪文で移動し、その後は飛翔呪文で目的地まで飛んでいく、という方法を選んだ。

 自分で魔法を使えないポップは、その提案に異議を唱えることなく素直に賛成したのだが……。

(う〜っ、こうなると知っていたのなら、賛成するんじゃなかったっ)

 飛んでいる人間に掴まって、一緒に飛んでいく――それが、こんなに難しいことだなんて、ポップは知らなかった。

 ただ瞬間移動するだけなら、よかった。
 相手の身体の一部にでも触れていれば、一緒に魔法が発動する。だが……飛翔呪文の場合は、そうではなかった。

 ダイと手を繋いでいるだけでは、どうやらポップの身体にまでは浮力が及ばないらしい。
 それが飛翔呪文の本来の性質なのか、単にダイの魔法技術が未熟なだけなのかは悩むところだが、どちらにせよひどい目に遭った。

 デルムリン島を見下ろす上空まで移動した途端、ポップだけいきなり落下しそうになって死ぬ程慌てたものである。
 まあ、幸いにもダイがしっかりと手を繋いでいたおかげで落下だけは免れたものの、空中で態勢を整え直すのには苦労させられた。

 飛ぶことの出来ないポップは、決闘の地に向かうまでダイに頼るより他に道がない。
 飛ぶダイの背に身体を預け、首にしがみつく姿勢をなんとか保とうと、ポップは目一杯努力していた。

 だが、自分よりも小柄な人の背中に乗るのは、意外と難しい。
 おまけに自分でよく分かっているが、ポップの腕力はさして強くない。現に、ポップにしてみれば目一杯の力でしっかりとダイに掴まっているつもりだが、はっきりいってギリギリである。

 少しでも油断すれば風にさらわれてしまいそうになるし、バランスを崩せば自分で自分の身体を支えることもできず、そのまま海に落下するだろう。
 全力でのポップのしがみつきを、ダイが『くすぐったい』などと表現されているのは本気でへこみたくもなるが、弱音を吐くのは嫌だった。

「つーかっ、まっすぐ飛べねえのかよ、おまえっ!? フラフラしてっから、バランスがとりにくいんだよっ」

 八つ当たりっぽく文句をつけると、ダイはかえって安心したように笑った。

「えー、ひどいなあ」

 その顔を見て、ポップは今のやり取りが正しかったことを確信する。
 ポップが内心怖がっていることなど、ダイにわざわざ教える必要はない。
 そもそも、ポップの身の安全を最優先するなら、腕力に勝るダイがしっかりとポップの身体を確保しながら移動した方がいい。

 実際、最初はダイはポップを抱きかかえて運ぼうとしたが、それではいざと戦いになった時、手が自由に使えないだろうと拒否したのはポップ自身だ。

 ダイの足手まといになるために、我を通してまでついてきたのではない。
 ほんの少しでもダイの手助けになるために――そのためにこそ、ポップは一緒に来たのだ。

「それより、打ち合わせを忘れるなよ。ハドラーって奴の言葉に少しでも嘘があるようなら、バカ正直に決闘なんて受けるこたぁねえぜ。とっとと、逃げちまおう」

 ポップのその言葉に、ダイはふと真顔になって頷いた。

「うん」

(ま……、あいつを信用してないわけじゃないんだけどな)

 ポップには、ハドラーの記憶はない。
 周囲から教えてもらった、知識だけが全てだ。

 15年前に一度、世界を征服しようとした魔王ハドラー。
 かつて勇者に破れたが大魔王バーンにより蘇生され、現在の魔王軍の総指令の地位に就いた男。

 それだけではハドラーの漠然とした恐ろしさは伝わってきても、具体的にどんな敵なのか、窺い知ることもできない。
 だが、記憶を失った直後に見掛けた魔族の一人――あれこそがハドラーだろうという程度の記憶なら、ポップにはある。

 どこか不満そうな、もの言いたげ目で自分を見ていたのが印象的だった。
 あの時の威風堂々とした姿は、未だに記憶に新しい。
 ハドラーの分身体であるヒムとて、そうだった。もし、ポップを殺したいと望むのなら簡単に殺せた状況だったのに、何の危害も加えずに去っていった。

 レオナの話を聞いても、城の兵士達に対しても同様の態度を貫いたヒムの行動には、罠の気配は感じられない。

 だが、いくら騎士道精神に溢れた相手だろうと、敵は敵だ。
 用心に越したことはないと、ポップは気を引き締める。
 ――が、決闘の当事者であるダイの方ときたら、その辺は呆れる程のんきなものだった。敵の罠の可能性とか思惑など、全然考えている様子もない。

「そんなことより、ポップこそ忘れちゃだめだよ。怪物が、いつ襲ってくるかも分からないんだから……っ。もし、少しでも危ないって思ったら、絶対におれを呼んでくれよ」

(そんなことって、おまえな〜)

 考えるポイントが違うだろとポップは呆れずにはいられないが、ダイの考えでは違うらしい。

「聞いている、ポップ? 絶対だからね!!」

「ああ、うん、分かってるって」

 念を押されておざなりに頷いたものの、ポップはそれについてはたいして心配してはいなかった。
 ダイは気にしていたが、ポップは自分の呪いの腕輪について、それほど悲観してはいない。

 確かにこの呪いは厄介だとは思うし、周囲に迷惑になりかねない。
 だが、時と場合によってはかえって利用できると、ポップは気づいたのだ。

 例えば今回のような場合では、特にだ。
 ハドラーが約束を破って怪物の手下を連れてきているようなら、たとえ隠れていたとしても分かるだろうと、ポップは予測していた。

 ポップの腕にはめられている呪いの腕輪……この効力を考えれば、近くまで来た怪物は必ず引き寄せられてくると確信できる。
 現に、ポップ自身が敵の視界範囲から隠れた場所に逃げたのに、キメラは襲ってきたのだから。

 正直に言えば、ポップはダイとハドラーの決闘を全うさせたいだなんて考えてはいない。
 たとえハドラーが本気で決闘を望んでいるだけだったとしても、ダイが応じなければならないとは思えない。

 剣さえ取り戻したのなら、一時撤退して態勢を立て直した方がいいぐらいの考えでいる。
 そのためになら、悪いがポップを心配するダイの優しさに付け込むことも想定に入っている。

 利用できるものなら、なんでも利用してやろうと思う開き直りが、ポップの中にはあった。
 ダイは心配しているが、呪いの腕輪さえポップにとっては利用対象に入っている。

 ザボエラの目的は未だに判明していないが、この機会に確かめられるかもしれないとまで、考えている。

 魔王軍として考えれば、ザボエラの動きは明らかにイレギュラーだった。
 ポップをあのまま牢屋に閉じ込めて放っておくのが、魔王軍としての考えだったはずだ。少なくとも、影のみしか見えなかったもっとも存在感を漂わせていた男はそう結論を出した。

 多分、彼こそが大魔王バーンだったのだろうと、今となってからポップは思う。
 あの時、周囲にいた魔族の態度から見ても、彼こそが最高権力者としか思えなかった。

 だが、ザボエラの行動は、どう考えても大魔王の命令とは食い違っていた。
 その理由が最初、ポップには分からなかったが、レオナの説明やヒュンケルの態度のおかげで、今なら読める。

 ずる賢く、味方の足さえ引っ張りかねない程に出世欲が強い男。それがザボエラという魔族の特徴と聞いたし、実際に会った印象からもポップも同様の感想を抱いている。

 そして、相手の性格が読めれば、相手の行動や目的も少しは見えてくる。
 ザボエラの目的が出世にあるのなら、彼が欲するものは大きな手柄だろう。ポップをわざわざ逃がしたのは、言うなれば餌……勇者に対する罠としか思えない。

 今のままでは、ザボエラの目的と腕輪の正確な機能が分からないだけに、勇者一行にとってポップは不安要素を含んだ爆弾も同然になってしまっている。

 怪物を呼び寄せる機能がついているのは間違いがないにしても、どのくらいの効き目があるのか――さらに言うのなら、その効力をザボエラが左右できるのかが、一番の疑問点だ。

 それが分からない限り、いつまでも疑心暗鬼になりつつ、自分が見張られているのかどうか怯えながら、周囲との距離を測らなければならない。

 そんなのは、真っ平御免だった。
 怯えながら守りにつく気などない、こちらの情報が相手にも知られてしまうのであれば、それも利用すればいいだけだ。

 少なくとも、今回ポップがダイと同行することで、ザボエラが動くかどうかで、監視を受けているかどうかを判別できる。
 他人の出世の足を引っ張るのがザボエラの持ち前の行動パターンだとしたら、今回のハドラーの挑戦を無視できるはずがない。

 魔王軍から見れば、地上侵略においては勇者こそが一番の強敵であり、彼を倒すことこそが最大の手柄となるのだから。
 それを阻もうと考えるなら、ザボエラは必ず動いてくるはずだ。

 その場合ザボエラの妨害が、ハドラーに向けられる可能性もある。うまくいけば、仲間割れを誘えるかもしれない。
 危険率は高いかもしれないが、試す価値は充分にあると思える。

 そして、自分の記憶を取り戻す『鍵』も、そこにあるように思えた。
 マトリフの教えてくれた『鍵』は、今のポップには全然思い出せないが、おそらくは――日常の中で見い出せるものではないのだろう。

 仲間と会っても、今までの経過の説明を受けても、ピンとさえこなかったのだから。
 ならば、多少の危険は覚悟の上で、一か八かの賭けに出た方が勝算が高いと思える。

 それらを考え合わせた上でも、ポップはダイへの同行を決意したのだが……しがみついている少年を見ながら、ポップは思わずにはいられない。

(――けど、こいつってやっぱ普通じゃねえっていうか、すげえよなぁ〜)

 ダイは、ポップの決意を重視してくれた。
 あれほどポップの身の安全を心配してくれていたのに、それでもポップの意思の方を尊重してくれたのだ。

 ポップが地下牢でさんざん考えた小賢しい計算や勝算など、聞きもしないまま同行を承知してくれた。いざとなったら、理屈でごり押してでも無理やりついていこうと思っていたポップにしてみれば、拍子抜けするぐらい、あっさりと。

 説明などするまでもなく、ダイはポップを信じてくれたのだ。
 ダイのそのおおらかさや真っ直ぐさが、ポップにとっては嬉しく感じられる。

 ダイが自分を……記憶を失ってしまった自分でも、それでも信頼してくれるというのなら、それに応えたいと思う。
 実際以上に大きく感じる、小さな勇者の背中にポップはしっかりとしがみつき、口には出さずに心の中だけで思う。

(ダイ……おれも、おまえを信じているからな……!!)

 夜は、もう明け始めていた――。







 朝日が水平線から顔を覗かせ、世界を明るく照らしだし始めていた。
 太陽の恩恵は、地上にあまねくもたらされる。
 多くの人が住まう大陸にも、人のいない孤島でもそれは変わりがない。

 南国特有の植物の生い茂る、小さな島。
 人は住んでいないはずだが動物は住んでいるのか、動物の雄叫びや鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 本来なら底抜けの青空が似合うはずの南の島は、今は茜色に染め上げられている。本来なら白い海岸も、今は赤い。
 その中に、二人の人影が佇んでいた。

 一人は、三本の角を頭上に抱く堂々たる偉丈夫だった。
 重厚な飾りのついたマントで身を包んだ、覇王の雰囲気を漂わせた魔族。
 もう一人は、美しい女性の姿を象った彫像の美女。銀色に輝くボディーを茜に染めた姿は、人ではありえない異形の身体ではあったが、美しかった。

 魔王ハドラーに、アルビナス。
 二人の魔族は、無言のまま佇んでいた。
 繰り返し寄せる波が砂浜を洗う様を眺めながら、アルビナスは静かに問いかけた。

「ハドラー様。……なぜ、この場所を決闘の舞台に選んだのですか?」

 それは、地図を用意した時からの疑問だった。
 ハドラーの分身体であるアルビナスには常識や知識は学ぶまでもなく、すでに身に備わっている。

 その常識から言えば、南の孤島は決闘の場に相応しい地とは思えない。まだ、無人の荒野である死の大地の方が、決闘の地には相応しいと言えるだろう。

 ハドラーの意図が誰にも邪魔されることのない決闘にあるのを、アルビナスは理解している。
 正直に言えば、アルビナスとしてはこの決闘に賛成はできない。戦略的にはあまり意味を感じないが、異議を唱える気はなかった。

 ハドラーの手駒として、ハドラー親衛隊はこの世に生み出された。その事実を、アルビナスは肯定的に受け止めている。

 いかに智慧に優れた軍師であろうと、自分の戦略だけにこだわるようでは、所詮は二流。
 主君の望みを実現するために知略を駆使してこそ、軍師の存在意義があるというのがアルビナスの持論だった。

 ハドラーが望むのであれば、大魔王バーンに逆らってでもダイとの決闘の舞台を整えるのが、アルビナスの任務だ。
 この件がバーンの耳に入って邪魔や横やりを入れられないように、残りの親衛隊に周囲を厳重に見張るように命じたのは、アルビナスの配慮だった。

 だが、この場所を選んだのアルビナスではなく、ハドラーだった。
 魔王軍側も勇者側からも手の届きにくい場所を選んだにしても、他にも相応しい候補地はいくらでもある。

 それなのに、あえてこの場所を選んだ理由が分からずに首を傾げるアルビナスだが、ハドラーは泰然と答える。

「やつらが来れば、分かる」

 自信に満ちたその言葉に、アルビナスはもう一つ聞きたいと思っていた質問を投げ掛けるきっかけを失った。
 勇者ダイは本当に来るのか――。

(……私としたことが、とんだ愚問を口にするところでしたね)

 アルビナスは主君の揺るぎのない横顔を見つめながら、自身の不明を恥じる。
 ハドラーにとって、勇者ダイが決闘に応じるのはすでに疑問の余地もなく決定事項だと、最初から気付くべきだった。

 そして、主君が信じて疑わないことに、部下が疑念を抱くは不遜というもの。
 さらに言うのなら、疑問はすでに消え去った。

 夜明けの空を飛んで来る、小さな人影。
 それが人間の少年二人組だと気づくまで、時間はかからなかった。
 砂浜の上に落下するように下り立った二人は、一斉に身構える。

 その際、小柄な少年の方が前に出て、もう一人の魔法使いを庇う位置へと立った。二人は何かを確認するように素早く周囲を一瞥すると、同時に目を見合わせて頷いた。

 まるで打ち合わせでもしていたかのようにそろった動きを見て、ハドラーは満足そうにニヤリと笑う。

「待ち兼ねたぞ、ダイ」

「……ハドラー!!」

 砂をしっかりと踏み締め、勇者はかつての魔王と相対した――。







「ヒッヒッヒッ……、これはこれは、願ってもないチャンスがきたもんじゃわい……っ!」

 歓喜に顔を歪ませながら、ザボエラは笑いを抑えきれないでいた。
 目の前の光景は、それ程までにザボエラに取っては好都合だ。

 笑いが止まらない。
 だが、ザボエラはその声を抑えようとさえしなかった。
 いくら笑ったところで、その声がダイやハドラー達に聞こえる気遣いなどない。

 なぜなら、ここはザボエラの研究室。
 鍵が厳重に掛かっている上に、防音のついたこの部屋にいるザボエラの行動を咎める者はいない。

 そして、ザボエラは見つめているのは水晶玉から見える、向こう側の光景。
 ダイとハドラーが向かいあっている図を、ダイの後方から眺めている光景は、視点がやけに低い。

 それは、ポップの腕輪からの見える光景に他ならない。
 水晶玉に映る光景として、ザボエラはそれを見ていた――。



                             《続く》
 
 

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