『優先順位 2』

  
 

「この遺跡は、完全に土に埋もれてしまっていると見た方がいいな。かなり昔に、大規模な土崩れが発生したようだ。地図を見ただけでも、地形からして変わってしまっている」

 最新の地図と、古い地図を照らし合わせながら、ラーハルトは淡々と説明をする。
 それは、旅人にはある意味で常識の行為だった。
 地形とは、不変のものではない。

 長い年月の間に、少しずつだが変わっていくものだ。それに、古い地図だと測量や記録の不備が多いのも見逃せない。
 古い地図を元に旅をする際には、その点も考慮して最新の情報と合わせながら、旅をする方が効率的だ。

「うむ……それも考えられるな。ポップはどう思う?」

 と、クロコダインが水を向けたものの、返事はなかった。

「ポップ?」

「無駄だ、クロコダイン。ポップなら、ほら……」

 苦笑しながら、ヒュンケルは木にもたれかかったまま眠っている少年を指差した。早くも寝息を立てている弟弟子に対して、ヒュンケルはいつになく優しい眼差しを向ける。

「疲れたんだろうな、よく寝ている」

 伝説級の洞窟の探索――。
 しかし、大層な目標を掲げた旅としては、意外と楽なものではあった。
 予定よりはやや遅れているとはいえ、二ヵ月半程で二つの洞窟を攻略し、現在は遺跡を探索中だ。

 本来なら伝説級の遺跡というものは、その所在を掴むのが最大の苦労点なのだが、今回の場合はその心配はない。
 一年半という時間をかけ、各国秘蔵の古文書を直接閲覧したポップが入念に下調べをしたおかげで、目指している洞窟や遺跡の場所や数ははっきりとしている。

 洞窟の内部構造までだいたい把握し、どこに宝が隠されているかまで調べ上げているのだから、その意味では苦労がない。
 洞窟攻略も、罠や魔法の仕掛けが多くて苦労はさせられるが困難と言う程のものではない……少なくとも、ヒュンケル、ラーハルト、クロコダイン、ヒムの四人にとっては。

 高いレベルの戦士がそろっているだけに、強力な怪物が行く手を阻んでもほどんど障害にもならない。十分に余裕を持って戦い、先を進むことが出来る。
 だが、残り一名にとっては、遺跡探索だけでなくそこに至るまでの旅路までもが苦になりまくっているのだ。

 ポップは魔法使いにしては体力がある方だが、さすがに他の4人と比較になるはずもない。
 卓越した戦士である4人は、極力ポップの足に合わせてペースを落としていたつもりだが、それでも相当にきついのだろう。

 移動中はよく頑張っていて珍しく文句すら言わなかったが、小休憩のため腰を落とした途端、気が抜けてしまったらしい。
 体力的には、とっくに限界だったのだろう。

「無理もないか……。頑張っていたからな」

 わずかに声を潜めるクロコダインにもまた、ポップへの気遣いと優しさが感じられる。


「少し早いが、今日はここに野宿の拠点を置こう。その後、班を分けて偵察と休息に分けて行動する。偵察隊は遺跡の正確な場所を調査し、成果の有無に限らず夜明けまでにこの地点に戻ってくること。休息隊は、合流時間までこの場で待機だ。
 何か、不満はあるか?」

 てきぱきと、ぶっきらぼうながらも事務的にそう言ったのは、ラーハルトだった。
 今回の旅でリーダーを勤めているラーハルトの指示に、他のメンバーは異議を唱えなかった。

 唯一、まだ野宿には早いとか、偵察隊と休息隊の差が不公平だのと文句をつけそうなポップは、完全に寝入ってしまっている。
 結果、満場一致でラーハルトの提案が通った。

「では、オレはこっちの辺りを探すとするかな。水場の捜索なら、お手の物だ」

 沼が多く点在する湿地帯の辺りをさし、クロコダインがのっそりと立ち上がる。普通の人間には旅しにくい条件の土地だが、リザードマンであるクロコダインには湿地帯はダメージにもならない。

「なら、オレはこちらへ。ヒュンケルは、北側の崖を探ってくれ」

 声を潜めながらの短い相談に、ヒムが軽く手を上げる。

「あ、ものは相談だがよ、オレがおめえらのどっちかに変わるから、休憩隊と交替してくんねえか?」

 下手をすればほぼ徹夜での重動労を要求される偵察隊と、極端に楽なはずの休息隊との交替は、本来ならよい申し出と言うだろう。が、ラーハルトはとんだ悪条件の取引を申し出られたように眉を潜め、そっけなく突き放した。

「今日は、おまえの番だ」

「いや、それは分かってるけどよ、だから相談してるんだろうが。だいたい、オレぁ、人間みたいにいちいち毎日休むなんて真似は必要ないしさ」

 金属生命体であるヒムは、よほど体力を消耗でもしない限り、不眠不休での活動が可能だ。

「それがどうした。誰も『おまえ』に休めなどとは言ってない」

 取り付く島のない調子での突き放しに、妙に人懐っこい魔族の男も諦めたらしい。

「やれやれ。野宿やら料理ってのは、かえって面倒なんだけどなぁー」

 大袈裟に、ヒムがぼやく。
 ヒムにしてみれば、人間にとっては必須な食事や睡眠の場を整えることからして、理解しにくい。

 基本的に食事を取らないヒムにしてみれば、人間が一日に三度に分けて食料を食べるのが時間の無駄と思えてならないのだから。
 そして、食べる習慣がないだけに、料理なんてものはヒムにはひどく不得意な分野でもある。

 最初の料理当番の時、ヒムは味付けにも火加減にも失敗して、とてつもなくひどい料理を作り上げたものである。
 何回か失敗を繰り返した揚げ句、やっとそれなりのものを作れるようになったとはいえ、料理はヒムにとっては苦手極まりないものには違いない。

 不満を顔に出すだけでなく、口にまでだしてぶつくさ言っているヒムだったが、思いも掛けない助け手が差し延べられた。

「オレが代わろう」

「えっ、本当かよ。悪いな、また代わってもらっちゃってよ」

 はしゃぐヒムとは対照的に、無言のラーハルトの目は不満げにヒュンケルを睨む。甘すぎるとでも言わんばかりの視線を感じながら、ヒュンケルは事も無げに言った。

「別に、礼はいらんさ。悪いが、おまえのためにではないからな」

 

 


 ぱちぱちと、火の燃える音が心地好く聞こえる。
 焚き火の勢いを調整しながら、ヒュンケルは料理の支度に余念がなかった。料理とは言っても、それほどたいした物ではない。手持ちの干し肉と薬草を合わせただけの、簡素なスープ。

 そして、堅パンを甘味を強めたミルクで煮て、簡単なパン粥を作る――ただ、それだけだ。
 すぐに作れるだけに、タイミングが重要だ。
 パンを煮る時間が短すぎても、長すぎても、食べ時を逸してしまう。

(さて、パン粥の方はポップが起きたら煮始めるか)

 そう考えながら、ヒュンケルは最初の師を思い出す。
 旅で野宿する度に凝りに凝った手料理を用意するあの男には、当時でさえ呆れたものだが、それはある意味でひどく役に立った教えだった。
 おかげで、こうやって曲がりなりにも食事の支度をすることができるのだから――。

「ん……」

 小さなうめき声と共に、焚き火の向こうでポップが寝返りを打つ。
 ポップはかなり、寝相が悪い。
 一応、ポップが少しぐらい寝返りを打ったとしても焚き火に飛び込む危険が無いように、気を使って寝かせておいたつもりだが、ヒュンケルは手を留めて様子を見た。

「……え? あれれっ?!」

 目を開けるなり、驚いたようにそう叫んだポップは跳ね起きようとした。だが、起き抜けに急な動きをとったせいで目まいでもしたのか、へなへなと倒れかかる。
 転びそうになった身体を軽く支えてやると、ポップはムッとしたような顔をして手を払ってくる。

「いちいち、大袈裟なんだよ! ちっとばかり、ふらっとしただけだろっ」

 ひとしきり文句を言ってから、ポップは急に眉を潜め、険しい表情でこちらを睨んでくる。

「おれ……寝ていた、のか?」

 疑うように聞いてくるポップは、やけに周囲をキョロキョロと落ち着きなく見回している。

「ああ」

 簡潔に答えながら、ヒュンケルは堅パンを鍋の中に放り込む。

「なんだよ、なら、起こせばいいだろ。他のみんなはどうしたんだよ?」

「偵察に行った。オレ達は、留守居役だ」

「なんだよ、またかよ?!」

 膨れたポップは、周囲に立ち込める匂いから料理中だと悟ったらしい。こちらの方にやってきて、機嫌悪そうに「どけよ」と、ヒュンケルを押し退けた。
 料理の味付けはポップの方がうまいので、ヒュンケルは素直にその場を引き下がり、ポップの好きなようにさせておく。

 実際、旅先ということもありろくな調味料がないにも関わらず、ポップが作った料理は抜きんでて味がいい。

 多少岩塩を入れたり、薬草を追加するだけとしか見えないが、ポップが手を加えると明らかに一段上の味になる。
 だが、ポップはヒム以上に料理には反対派だった。

「まったくよ、わざわざ料理なんかするこたぁねえだろうによ! なんだって、毎日毎日、こんな真似するんだか!」

 慣れた手つきで器用に料理の仕上げをしながら、ポップはぷんぷんに怒って文句をつけるのを忘れない。
 その不満に対して、ヒュンケルは特に何も言わなかった。

 基本的意見としては、全く同感だからだ。
 暖を取るための焚き火はともかくとして、普通ならわざわざ野宿で煮炊きものなどはしない。

 大人数で長期間の旅をするキャラバンや、師であるアバンのような酔興な旅人ならともかく、普通の旅人ならば干し肉や堅パンなど簡易的な非常食を、そのまま食べるのが恒例だ。

 だが、今、ヒュンケル達は日に最低でも一度は必ず火を通した食事を用意する習慣がついた。
 面倒であり、リスクのある行為をわざわざ行う理由は簡単だ……ポップの体力の消耗がひどすぎて、充分な栄養を取れなくなってきたからだ。

 旅に出た最初の頃はともかく、疲れが貯まってきた今となっては、その傾向が特に強かった。
 携帯食を食べようとしても、弱った胃が受け付けないのか、ろくに食べようとしなくなってきた。

 ほんの少し、申し訳程度に口にするのがやっとのポップを見兼ねて、料理をしはじめたのはヒュンケルだった。
 柔らかで暖かいものを用意してやれば、ポップも割と楽に、そして比較的まともな量を食べることができる。

 それに気がついて以来、一行は代わる代わる食事当番を設け、ポップの口に調理された物が入るように工夫を凝らすようにしている。
 ――だが、それでもまだ足りないのを、ヒュンケルは知っていた。

 昔、アバンがヒュンケルを連れて旅をしていた時、野宿と宿屋をうまく織り交ぜながら旅をしていた。
 できるのなら、今のポップに対してもそうしてやりたいとヒュンケルは思う。

 だが、ポップが行きたいと望んでいる場所が、彼が一度も行ったことのない人里離れた山奥ばかりな以上、宿屋に泊まるなどとは無理な相談だ。
 宿屋はおろか、人家すら見当たらないような場所を旅しているのだから、野宿を繰り返して先に進むしか道がない。

 できるだけポップの負担が軽くなる様に、見張りや野宿の支度、遺跡の下調べなどは極力、周囲が引き受ける様にしていた。
 だが、ポップにとってはそれさえも精神的な負担になっているらしい。

 おまけにそうまでしても、旅のスケジュールはかなり詰まったギリギリのものであり、ポップの体調はどんどん悪くなっていく一方だった。
 もっとも、ポップ本人は決してそれを認めようとせず、どこまでも強情に意地を張ろうとする。

「今日はおれが先に見張りをするから、おまえは寝ろよ」

 食事の後。
 やけにきっぱりとした口調でポップがそう宣言するのを聞いて、ヒュンケルはしばし、返事に迷って黙り込んだ。

「なんだよ? なんか、文句でもあるのか?」

 沈黙に焦れたのか、ポップがジロッと睨み上げながら凄んでくる。
 ……まあ、正直にいえば、その凄みには迫力など微塵も感じられない。どこぞのお姫様の凄みの方がよほど迫力があるなと思ったが、さすがのヒュンケルもそれをそのまま口にしてポップを余計に怒らせるような愚は犯さなかった。

 無論、気分的には、反対したい。
 だが、そのための具体的な言葉は浮かばないし、口の達者さでは自分に遥かに勝る弟弟子を説得出来るかどうか、ヒュンケルには自信がなかった。

 大体、嘘をつける程器用ではない。
 困ってしまい、ヒュンケルは答えを先伸ばしするかのように、焚き火に木の枝を放り込みながら聞いた。

「オレが先では、なにか問題があるのか?」

 途端に、ポップは文句をまくし立ててくる。

「あるに決まってんるだろ?! おまえ、おれの見張り当番の時間になっても、起こさないでそのまま自分でやっちまうじゃねえか!」

「…………」

 事実であるだけに、反論できなかった。
 実際、ポップに後で見張りを交替してもらうといっておきながら、そのまま朝まで眠らせておくことなど、すでに何度もやっている。

 たまたま忘れただの、早めにラーハルト達と合流したから必要なくなっただの、何事もなかったから起こすには及ばなかっただのと言い訳もしてきたが、ポップがそれに不満そうな顔をしているのは知っていた。
 だが、ヒュンケルにしてみれば、ヒュンケルの言い分がある。

 基本的に、ポップは見張りにはそう向く方ではない。
 魔法を使って暗躍してくる敵に対しては、確かにポップはこのメンバーの中で誰よりも敵を早く察知し、対応できるかもしれない。

 だが、それ以外の敵に対しては、極端に鈍い。
 魔法使いの常で気配察知力が弱く、敵や獣の接近に気がつきにくい。正直に言うのなら、ポップの見張りはいないよりはましという、せいぜい気休め程度の効き目しかない。

 それならばなおさら、ポップに無理に見張りをさせるよりは、休ませて置いてやりたかった。
 ヒュンケル達とポップとでは、話が違う。

 戦士である彼らと、魔法使いであるポップが同じ条件で旅すること自体が、そもそも無茶なのだ。
 鍛え上げられた身体を持ち、頑健な成人男性であるヒュンケルは、睡眠は短くても構わない。

 魔族であるラーハルトや、怪物のクロコダインやヒムは言うまでもない。彼らは元々、人間以上の頑強さと劣悪な環境にも耐えうる生命力を備えている。
 浅い眠りを数時間とればそれだけで疲れが抜けるし、体調を十分に維持出来る。

 だが、ポップはそうはいかない。
 成長期という年齢から言っても、また魔法使いという職業から言っても、ポップは十分な睡眠を必要としている。

 魔法という、精神の力のみに頼って発動させる力を使用するには、良質な休息をとり、睡眠を十分にとることが必須条件だ。
 ただでさえそうなのに、体調が悪い今は尚更なはずだ。

 宮廷魔道士見習いとして留学していた期間はまだ安定していたが、だからといって禁呪のせいで衰えた体調が好転したわけでもない。
 本来ならば安静とまでは言えなくとも、無理をしない日常生活を送るように心掛けろと、二人の師より強く言いつけられた体調なのだ。

 今回の旅自体、アバンもマトリフも良い顔はしなかった。
 ポップがどうしてもと望み、体調が悪くなったら必ずパプニカに戻るという条件をつけて、やっと許可をもらったような有様だった。

 二人の師匠の危惧は、当たっていた。
 無理な洞窟探索や野宿の連続は、ポップの体力を見る見るうちに削っているのだから。 お世辞にも良いとは言えない、劣悪な環境の中で生きてきたヒュンケルにとっては、野宿はそうダメージにはならない。

 宿屋で眠ろうと野宿だろうと、眠りの深さに大差はないし、回復の程度も変わりはない。 ラーハルト達にいたっては、むしろ不慣れな宿屋の方が回復に難が出るぐらいのもので、野宿を苦になどしない。

 だが、ポップは違う。
 アバンとの旅の間に野宿のコツは身につけているとはいえ、やはりポップは普通の環境で暮らしてきた少年だ。

 野宿では疲れが抜けきらないのは、傍目からも明らかだ。旅に出始めた頃に比べると、動きが徐々に鈍くなってきたことや、寝起きや寝入る時の顔色の悪さから見ても、疲れが蓄積されてきているのが分かる。

 それに、季節も悪かった。
 冬は、本来、旅に向くシーズンではない。
 他の季節ならいざ知らず、冬の旅路は危険度も疲れの度合いも他の季節を遥かに凌ぐ。 せめて、旅を春から始めれば、まだもう少しはましだっただろう。

 だが、ポップがどうしても、冬の最後の新月の日までに間に合わせたいと時間指定をしているのが、今回の旅の最大のネックになっている。
 レオナの計らいで十分な旅支度や防寒具を用意してもらったとはいえ、野宿のせいで体温を奪われがちなのか、ポップが変に咳き込むのは珍しいことではなくなっていた。

 熱はないし、本人は大丈夫だと言い張るが……正直、ポップ本人の体調についての意見に関しては、ヒュンケルは余り信用してはいなかった。

(……この際、手っ取り早く当て身で気絶させてでも、休ませておくべきか?)

 いたって実戦派であるヒュンケルは実も蓋もないことを考えたが、彼がその作戦を実行する前に地響きを立てて近付いてくる巨大な影があった。

「……?!」

 ヒュンケルから二呼吸か三呼吸遅れて気が付いたポップが警戒の視線を向けるが、茂みをかき分けてのっそりと現れたのは見慣れたリザードマンだった。

「よお、いい匂いがしているな。オレの分も残っているとありがたいんだが」

「なんだ、おっさんかよ、驚かせるなよー」

 警戒からホッとした表情に変わってクロコダインを出迎えるポップと違い、ヒュンケルの表情は一切変わらなかった。

 ヒュンケルにしてみれば、巨漢が近付いていると気がついた段階でそれに全く敵意がなく、おそらくクロコダインだろうとの見当をつけていた。
 だから別に驚くでもなく、短く声をかける。

「ずいぶんと早いな」

 地形調査に出掛けて、予定よりも帰還が早い場合は結果は両極に分かれる。
 首尾よく目当てを見つけたか、それとも探すまでもない程、徹底的にその可能性がないかのどちらかだ。

 答えを探る様にクロコダインの格好に目をやるヒュンケルだが、彼はそれよりも早く答えを自ら明かした。

「おう、遺跡が見つかったからな。半ば埋もれかけていたが、余分な土は大方取り除いてきたから大丈夫だ。明日にでも儀式は入れるだろうよ」

「ホントかよ?! さすがおっさんだよな、頼りになるぜ!」

 嬉しそうにはしゃぐポップの頭に、クロコダインの大きな手がごく軽くのせられる。堅い鱗に覆われた武骨な手ながら、その手には細心の注意が込められていた。

「なぁに、明日はおまえの魔法に頼らせてもらうさ。だから、そのためにも早く休め。今、無理をされて明日に魔法を使えなくなっては、先には進めないからな」

「え、でも、今日はおれの見張り番だしよ〜……」

 ヒュンケルが同じ台詞を言ったのを聞いた時は猛然と反発したポップだったが、クロコダインが相手だと勝手が違うらしい。
 だが、それでもまだ未練ありげに渋るポップに対して、豪放磊落な獣王は余分な心配とばかりに笑い飛ばした。

「おいおい、この獣王が居て襲ってくるような怪物や獣がいるとでも本気で思っているのか?」

 獣王の称号こそは、二代目獣王に敬意を表して譲ったものの、クロコダインは自分の実力が衰えたなどとは思っていない。
 怪物は、基本的に動物と変わりがない。

 人間に対しては時として凶暴性を見せる怪物も、自分よりも強い怪物に対しては現金なまでに本能に忠実だ。
 それだけにクロコダインの言葉には説得力があったし、なにより持ち前の豪快さがポップのためらいを吹き飛ばしたらしい。

「……そうだよなー。分かったよ、おっさんがそこまで言うなら、今日はもう休んでやるよ」

 なとど、いかにも譲歩してやると言わんばかりの態度でえらそうにそう言ったポップは、呆れる程の早さで再び眠りについてしまった――。

 

 


「すまないな。恩に着る」

 ポップの寝息が深くなった頃、ヒュンケルはそう言ってクロコダインに向かって目礼する。
 ヒュンケルがどんなに言葉を尽くしてもポップの反感を買うばかりであり、説得するのは非常に困難だ。

 もし、クロコダインがあのタイミングで戻ってこなかったら、ヒュンケルはポップを余計に怒らせ、意地を張らせるだけだっただろう。

「いや、たいしたことはしていないさ。……正直、気休め程度にしかならないだろうしな」


 と、クロコダインはいかにも気掛かりそうにポップの様子を見やった。

「それより……ポップは本当に大丈夫なのか?」

 いかにも気掛かりそうに尋ねられた質問に、ヒュンケルは答えられなかった。
 なぜなら、ヒュンケルは知っているのだから。
 ポップの身体が、本来なら旅をするのを差し止められるほど弱っていることを。一年以上前にレオナから聞かされた事実を、ヒュンケルは片時も忘れたことはない。

 ごく一部の人間しか知らないその事実を、ヒュンケルは今までずっと隠したままでいた。仲間に会うことがあっても、あえてその件は話さなかったし、今回の旅にあたってもクロコダインやヒムには教えてはいない。

 それは、口止めをされたからではない。
 仲間達に心配をかけたくないという気持ちや、ポップ本人が自分の体調を知られるのを嫌っているという理由があるのも確かだが、それが最大要因ではない。
 何より、ヒュンケル自身がそれを認めたくないと考えているのが、大きかった。

 口にするのも不吉な事実を、言葉にするのはためらわれた。口にすれば、それがそのまま真実になってしまいそうで――。
 しかし真相を押し殺したまま、せめてもの気休めにと気軽に嘘をつくには、ヒュンケルはあまりにも不器用だった。

 結果、沈黙しか出来ない魔戦士を、クロコダインは責めなかった。
 焚き火を慎重に木の枝で掻きたてながら、低く、どっしりとした声で言う。

「――そうか。まあ……悩むところだな。ポップの気持ちを思えば、このまま旅を続けさせてやりたいところなんだが……」

 ヒュンケルの沈黙から答えを読み取った獣王の呟きは、そのままヒュンケルの本音でもある。
 ポップが何を望んでいるか、仲間達が知らないわけがない。

 ダイとの再会だけを望むポップの姿を、彼らはずっと見てきたのだから。そして、行方不明になって久しい小さな勇者を、助けたいと望む気持ちは彼らも同じだ。
 ダイの無事を確かめたいし、彼を心配している仲間達の元に連れ戻してやりたいと思わずにはいられない。

 それだけにポップの願いが叶うといいと思いはするが……一抹の不安が消せないのも事実だった。
 ポップは、いざとなれば危険など顧みない。

 ダイを助けるために、自己犠牲呪文を唱えるような無茶さを持った少年なのだ。ポップの行動を心配するのは、杞憂とは言えまい。
 それだけに、ヒュンケルには迷いがある。

 ポップの気持ちを尊重して、ダイを探す旅を手助けすべきなのか。
 それともポップの身を案じて、彼の無茶を止めるべきなのか。
 それだけでもどちらを優先すればいいのか悩む問題なのに、さらに迷いを深めるのがダイの存在だ。

 ダイを助けたいと、ヒュンケルも心の底から思っている。だが、そのためにポップが無理を重ねるのを見過ごしていいものか。
 迷いに、なかなか答えはでてはくれなかった。

(……あいつならば、見えているのだろうがな)

 フッと、頭をよぎったは半魔の青年だった。
 以前、ヒュンケルはラーハルトから戦士としての死を宣告された。
 ヒュンケルの心の甘さを指摘し、戦士失格だと判断したラーハルトの言葉に、ヒュンケルは反論する気はない。

 ある意味では、それは正しい。
 戦士に必要なのは、不要な感情を切り捨てても目的を果たす強い意志だ。冷たいと言われようとも、いざとなれば冷酷に徹する精神を持つ覚悟が戦士には必要だ。

 そして、終生を懸けて悔いなしと決めた主を持つラーハルトには、行動に迷いがない。感情に惑わされることなく、優先すべきものだけを見据え、余分なものは切り捨ててでも先へと進もうとする。

 それを否定する気は、ヒュンケルには最初からない。
 だが  ラーハルトの優先する答えが、自分のそれと全く違うものにならないようにとは、願う。

 今のヒュンケルには、何を優先するべきなのか、いまだ答えが見えない。
 揺らぐ心を象徴している様な、揺らめく炎を見つめながらヒュンケルは二人の弟弟子達のことを考えていた――。
                                    《続く》
 
 

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