『優先順位 3』 |
その気配に真っ先に気がついたのは、見張りをしていたクロコダインだった。クロコダインが斧を身構えるわずかな身動ぎと、その際に漲る覇気が、周囲にいる戦士達の目を瞬時に覚まさせる。 ヒュンケルばかりではなく、少し前に合流したばかりでほとんど眠っていないはずのヒムやラーハルトも同様だった。 無言のまま戦闘態勢を整えた彼らに向かって、耳障りな笑い声がかけられる。 「あーあ、怖い、怖い。気配は消しておいたつもりなのに、見つかっちゃうだなんて失敗したなぁ」 聞く者の神経を逆撫でする、人を食った口調。 「ハァ〜イ、お久しぶりだねえ、皆さん。お元気な様子でなにより、クックックッ。――あ、一人だけそうでもない人がいるけど」 そこにいたのは、紛れもなく魔王軍の殺し屋と恐れられた男……キルバーンだった。 「てんめえ、生きていやがったのかよっ?! ――……あがっ?!」 と、叫んだヒムの頭を、無言のままラーハルトが槍の柄でど突く。つつくなんて可愛らしい言葉とは程遠い、常人なら頭蓋骨陥没したに違いない強烈な一撃を容赦なく仲間にお見舞いしたラーハルトは、低い声でそっけなく言った。 「声が大きい。一目見れば分かることで、いちいち無駄に騒ぐな」 そう言いながらラーハルトはちらりと、だが見逃すことのない動きでポップの方に目をやる。 「おやおや、かつての魔王軍メンバーともあろう方達が、その魔法使いクンにはずいぶんとお優しいことで。――そのボウヤが何を計画しているかも、知らされていないのにね」
「まあ、賢明なやり方ではあるよね。だって、秘密ってのは隠しておいてこそ価値があるもの……信用のおけない者には秘めておくに限るってね、ククク。 言外に、ポップは仲間を信頼していない……もしくは、仲間達はポップには信頼されいないと、ぬけぬけと仄めかす死神に、程度の差はあれ四人は不愉快そうに顔をしかめる。 が、四人のうちの誰が反応するよりも早く、炎の塊が生み出され漆黒の死神を襲う。 並の人間なら一撃で死にかねない炎だが、キルバーンはそれを首だけを曲げてヒョイと直撃を避けてしまう。 「やあ、魔法使いクン、お目覚めかい? これはこれは、ずいぶんと熱烈なご挨拶だねえ」
「うるせえ! てめえ……いったい何しにきやがったんだ?!」 「ん〜、何をって言われると困るんだけどね。まあ、言うなればちょっとした偵察って奴かなぁ? 暇潰し、とも言うけどね」 どこまでも人を小馬鹿にしたような調子で言ったかと思うと、キルバーンはひらりと一瞬だけ空に舞う。 「おっとっと、剣呑、剣呑。おっかないから、もう退散させてもらうよ」 まるで水面に潜る様にスムーズに、木の幹に消えていきながらキルバーンは最後にウインクと共に一言残していく。 「ところで、せっかくだから一つご忠告。洞窟探索ばかりに気を取られていないで、もっとも身近な敵にも気をつけた方がいいよ」 投げつけられたラーハルトの槍は、キルバーンの仮面を砕くのには一歩、間に合わなかった。 「チッ……! なんなんだ、あのキルバーンって野郎は。まったくいけ好かねえ奴だな」
正々堂々とした戦いを好む者にとっては、罠を張り巡らせ策略を仕掛けてくるキルバーンを卑怯と感じるのは当然だろう。 ましてや、彼らにとってはキルバーンはある意味で仇以上の相手だ。元はといえば、ダイが行方不明になったのは、あの死神のせいなのだから――。 「しかし、驚いたな。まさか、あいつが生きていたとは……!」 苦々しげにクロコダインが呟くと、ヒュンケルも深く頷く。 「……今後の動き方を、考え直した方がいいのかもしれんな」 元魔王軍軍団長である二人には、あの恐るべき暗殺者がどれほど厄介な存在なのか、身に染みていた。 かつての強敵の復活に、歴戦の戦士といえども動揺を感じたり、プレッシャーを感じて重苦しくなるのは当然だろう。 なにしろ、彼はキルバーンとは最後に一度、顔を会わせただけにすぎない。ダイを失う原因を作ったという恨みはあれ、戦った経験もないだけに特にこれと言った因縁もない。 それだけにキルバーンを過剰に意識することなく、現状を冷静に見据えることができた。仲間達を一通りとっくりと見返し、ラーハルトはポップを真正面から見据えて、聞く。 「おまえだけは驚いていない様だが――、もしかして、あいつが生きていたのを知っていたのか?」 「……っ?!」 その質問そのものよりも、それを聞いた途端にポップの見せた動揺こそが、一行の注目を彼に集めさせた。 「な、なななんの、証拠があって、そんなっ?!」 ……はっきり言って、この言動では事実を指摘されて動揺しまくる真犯人にしか聞こえないが。
「う、ううっ……っ」 そこまで言われて、ポップはとうとう観念したのか、自棄になった様に吐き捨てた。 「ああ、分かったよ、ホントのことを言やいいんだろ?! 知ってたよ! あの野郎、前におれんとこに来やがったからな」 「……なぜ、それを黙っていた」 兄弟子に静かに問い掛けられ、ポップは一瞬詰まってから、しぶしぶのように口を開く。 「だ、だってよ〜……、あんな物騒な奴が生きているってバレたら、姫さんが絶対黙っててくれるはずねえだろうし。いちいち、見張りとか護衛とかがつくと、自由に行動できなくなるし、そうなると色々と困るっていうか、その……」 しどろもどろに言い訳するポップの言い分を聞き、ヒュンケルのしかめっ面がより一層ひどくなる。 「――なるほど。つまり、パプニカ留学中におまえを襲った敵とは、どうやらあいつだったようだな」 以前、ポップが熱を出して寝込んでいる際、容易には近寄れないはずの幽閉室に何者かが忍び込んだという事件があった。 侵入形式から見て、犯人が高レベルの魔族だろうとの見当はついた。しかし、その先の捜査は捗々しくなかった。
「そのようだな。……これほど長い間、しらばっくれていたというわけか」 「ひ、人聞きが悪いこと、言うなよ! 準備が全部整ってから、ちゃんと話すつもりだったんだよっ!」 と、ポップは主張するが、それに対して向けられる目にいささか冷ややかさが混じるのは否めない。 「しかしよお、どうせ話す気があるんだったら、後じゃなくて先に話してもらいたいもんだよな。あんな野郎が妨害しにくるって分かってんのとそうじゃないのとじゃ、エラい差なんだからよ」 抗議の文句を言ったのはヒムだが、言った本人はもちろんのこと、他の三人もそれ以上ポップに問い質そうとはしなかった。 ポップが今まで口を噤んでいた理由など、分かり過ぎるぐらい分かりきっている。ダイを探すことを何より優先させているポップは、自分の身の安全を軽んじる傾向がある。 そんなポップがキルバーンの動きを知っていながら放置していたと言うのなら、そこからあの死神の行動目的も見えてくる。 ダイを探す妨げにはならず、他者に危害を加える危険性も薄い。だがポップにだけは危険がある――そういうことなのだろう。 「そ、それより、そろそろ出発しようぜ! せっかく早起きしたんだからよ!!」 なにかをごかますように急き立てるポップに苦笑する程度ですませ、仲間達は出発のための準備に取りかかった――。
目的地である遺跡には、なんなく見つかった。クロコダインが昨夜言った通り、魔法陣を阻害する土なども大方は取り除かれ、すぐにでも儀式に取り掛かれそうでもあった。 「まいったな。いくら夜だったとはいえ、あんな館に気がつかなかったとは、オレとしたことが不覚だったわ」 実際に偵察したクロコダインがぼやくが、彼を責めるのは酷だろう。 だが、古代儀式用の魔法陣の隠された遺跡とは、別に洞窟の奥にあるわけではない。地面に埋め込まれた石がそのまま魔法陣を形取る形で保存されることが多い。 それだけに、洞窟よりもよほど探すのも攻略するのも楽だと考えていたのだが、こんな例外があるとは想像すらしていなかった。 目と鼻の先、という程は近くないが、ここで何かすれば確実に館から見えるだろうと言うぐらいの距離だ。 「ありゃあ、貴族かなんかの別荘みたいだな。くそっ、なんだってこんな所に建てやがったのかな」 と、ポップがぼやくのも無理はない。 だが、どう見てもこの場所は見栄えがするとは、お世辞にも言えない。そもそも湿地帯なのだから、環境がいいどころか悪条件もいいところだ。 「前に調べた時は、ここはもう百年以上もほったらかされていた地だったのによー」 だが、ポップがこの魔法陣の遺跡の場所をつき止めたのは、もうずいぶんと前の話だ。リンガイアに留学した時のことだから、もう一年以上前になる。 「で、どうするよ? 今、やるのか? それとも、出直すのか?」 どちらでも良さそうな口調で、ヒムが問う。 今となってはすっかりと忘れ去られ、持ち主であるはずの各国の国王ですら知らない物とはいえ、秘宝を独断で手に入れているのだから。 古代の魔法陣とて、同じことだ。 表沙汰になればいろいろとまずいと自覚しているからこそ、ポップの返事は歯切れも悪いものになる。 「う、うーん……。まずは、あの別荘に人がいるのかどうか確かめてから――」 「その必要はないようだな。向こうから、やってきてくれたぞ」 ヒュンケルが言った通り、別荘の方から武器を身につけた数名の人間がやってきた。 それなりに統制は取れているが、目立った汚れや傷がない装備を見れば、彼らがさしたる戦闘経験がないのは簡単に見て取れる。 「失礼ながら、大魔道士ポップ様とお見受けいたします。お目にかかれて光栄です」 (げっ、バレてんのかよ) 大魔道士ポップの名は有名だが、その実像を知っている人間はそう多くない。 ポップから見れば見覚えがなくても、城の中枢部分に出入りをしていた人間に対しては、知名度は高いのだ。 「このような形で初のご挨拶をするのは心苦しいのですが、ここは我らが主君の領地である以上、見過ごすことはできませんので……」 最上級の礼儀を取りながらも、私兵達はポップが不法侵入した件を控え目に咎め、主人が釈明を求めていることを告げる。 「なんだよ、それならそっちから来ればいいのによ」 ヒムが聞こえない程度の小声でぼやく言葉は、程度の差はあれ一行には同感できるものだった。 「蹴散らすか?」 小声でラーハルトに耳打ちされ、ポップは即座に言い返す。 「やめろって、それはっ!」 確かに、それが一番手っ取り早いと言えば早いが、いくらなんでもそこまではやりたくない。 それに、向こうから話し合いを求めているというのに、いきなり乱暴をするなどはやり過ぎというものだ。 「分かったよ、挨拶にいくよ」 「そうしていただけると、助かります。ですが、お連れの方々はご遠慮願いたいかと……」 ごく当然の様にポップの後をついて行こうとした四人を、私兵は押しとどめようとする。
「こちらとしても、勝手な要求は困惑する。護衛として、対象から側を離れるわけにはいかない」 つっけんどんながら正論を口にするラーハルトを、ポップは慌てて止めた。 「あー、待った、待った! 悪いけど、この場は引いてくれよ。外で待っててくれ、すぐに終わらせるからさ」 最終的には、ポップのその言葉が決め手になった。 まだ、人々は怪物や魔物を見れば恐れたり、威圧感を感じて当然だ。 「……分かった、この場はおまえに任せよう」 クロコダインがそう言うのをきっかけに、残りの三人もとりあえずは足を止める。 「じゃ、ちょっくら行ってくら」 気軽にそういって歩きだしたポップに対して、私兵が寄り添う。 「では、ご案内します」 数名の私兵が、ポップを取り囲んだまま歩調を合わせる。ポップより一際体格がよく、背も高い男達にそうされたせいで、その姿は案内されているというよりも連行されているように見えた――。
目上の者の前で武装をするのはもちろん無礼に当たるとはいえ、大抵の者はそれほど強くこだわらない。 その場合はむしろ客人の武装を積極的に許し、自分は相手を信頼していると度量を示す方が礼儀正しいとさえ言える。 護衛となる戦士を引き離すどころか館の中にさえいれず、ポップからも武器を取り上げなければ挨拶さえ応じない気らしい。 正直、あまり嬉しい扱いとは言えないが、魔法使いであるポップは武器がなくてもそうは困らない。 「ありがとうございます、では、こちらへ……」 ポップは上等な客間に通され、丁寧には扱われた。 だが、それだけのもてなしを受けながらも、ポップとしては針の筵に座らされたような心境だった。 「あなたが大魔道士様ですね? ようこそ、我が別荘に」 一言で言えば、慇懃無礼とでも言うべきか。一応は丁寧なはずなのに、妙なそっけなさと尊大さを感じる声。 所謂貴族と呼ばれる人種の中でも、ポップが特に苦手にしていた連中の口調がこんなだった。 ポップの向かい側のソファに座った男は、顔は蝶を模したマスクで隠していてはっきりとは見定められない。 (……って言うか、これって隠す意味がねーじゃん) 顔が見えなくても、これほど特徴的な体型は印象に残りやすい。それにやけに色素の薄い髪や肌は、北方の国出身者特有の特徴だ。まず、リンガイアかカール当たりの貴族だろうとは見当がつく。 国外にこんな別荘を持つぐらいの財力もあるなら、その気になって少し調べれば正体など簡単に分かるだろう。 「はっきり申し上げまして、我々はあなたの独断専行を決して快くは思っていないのですよ。各国の王に取り入って渡り歩いたかと思えば、魔族や魔王軍の残党と共に旅を繰り返しているとは……。 口調こそは丁寧かもしれない。
すでに話す前から自分の結論を譲る気さえない彼には、ポップが何を言おうとも聞く耳すら持とうとしない。 「ですから、おれはっ、別に危険なことをするつもりなんかはないって言ってるじゃ……」
全ての人間は自分の味方であり、自分こそが世界の正義の代表とばかりに大上段から構え、目下の者を諭すような上から目線の言葉に、ポップは何度堪忍袋の尾が切れそうになったかしれない。 決して迷惑はかけないから別荘の領地を少しばかり貸してくれと頼むどころか、ろくに言葉すら言わせてはくれない。 (は、話が通じねえっ! なんなんだ、この思い込み野郎は?!) 怒鳴りつけたい気持ちを必死で堪えつつ、ポップはすでに説得や話し合いを諦め、次の手段について考え出していた。 (もー、こんな奴を説得してまで筋を通さなくてもいいや。この際、夜中にこっそりとでもいいから、さっさと儀式をやって逃げ出しちまうか) 一通り話がすむと、また冒頭に戻ってエンドレスに続く話を聞いているふりをしながら適当に頷きつつ、どのタイミングで逃げ出そうかと考えていた時のことだった。 「……え?」 ソファの上にぽてんと横倒しになってから、ポップは自分が何の前触れもなく倒れたのに気がついた。 「あ、し、失礼……っ」 一応、非礼を詫び、とりあえず身体を起こそうとして――ポップは、身体にろくすっぽ力が入らないのに気がついた。 (……?!) 気持ちがどんなに焦っても、それは身体には伝わってくれない。それどころか、ますます脱力感が強まってくる。 (なんだ……変、だ、これ……?) 戸惑いの中、ポップは部屋に漂う甘い香りが強まってきているのに気づいた。 息苦しいまでに匂いが強まった今になってから、ポップはやっと気がついた。 思えば身体の妙な倦怠感や、しびれる様な感覚もあれと似ている。気がついた時には、魔法が使えなくなっている点も――。 元々、ずっと身体が気怠かったし、熱っぽくって目まいを感じることも度々あった。それが日常の状態だったからこそ、実際に倒れるまでこの香のせいだとは思いもしなかった。 だが原因が分かった以上、それを企んだのが誰なのかは、言われるまでもなく分かる。 「く……っ」 ポップは怒りの籠った目で、目の前にいる男を見上げた。 驚きも、質問すらせず、当たり前のことを眺める冷徹な眼差しで――。 「お聞きになられていますか、大魔道士様。 |