『死なれちゃ後味悪いんだよ』 |
その男を見て、彼が何を考えているか分かる者はいなかっただろう。だが、誰もが思わず目を止めるだけの魅力が彼にはあった。 まるで彫刻の様に整った顔立ちや、服の上からでも逞しさのうかがえる引き締まった体付き。 しかし、人生の苦悩を一心の背負ったかのような深刻な表情で物思いに耽る彼に、せめて邪魔をしない様にと、未練ありげに遠慮して引き下がるのが常だった。 見た目はどうであれ、今の彼は迷子の心境と大差がなかった。
なぜならポップが進んでいたのは、今まではずっと街道や荒野など、人のいない場所だった。 だが、今回、ポップは初めて町へ入った。 しかも、人込みの中では標準よりも小柄なポップはものの見事に人波に紛れ込んでしまう。 (まいったな……ついに、してやられたか) 元々、ポップはヒュンケルが後をついてくることを、ひどく嫌がっていた。こうやって置き去りにされたとしても、仕方がないとは思う。 ポップを必ず探しだして、後を追う。 (こうしていても、見つからないか) じっとしていても仕方がないだろうと、ヒュンケルは取りあえず動きだす。 ポップはヒュンケルと話すのさえ嫌がっているし、無口なヒュンケルは自分から積極的にポップに話しかけることもない。その結果、ヒュンケルはポップの行く先さえ聞いていない。 ダイを探しているという目的は知っているものの、そのためにポップが具体的にどこに向かっているのかも分からないままだ。 西に向かうふりをしてヒュンケルを撒くつもりがなかったとは、言い切れないのだから。 つまりは手掛かり皆無に等しいのだが、それでもヒュンケルはポップを探そうと歩きだす。 人の波に目を凝らし、ポップを探してうろつくこと数時間……そろそろ日も沈み掛けた頃になってから、見慣れた色合いの人影が視界をかすめた。 「ポップ!」 思わずその腕を掴んで引き戻してから、ヒュンケルは間違いに気がついた。 掴んだ腕は、明らかに少女のものだった。 確かに年頃もポップと同じぐらいだろう。 正面から見れば、鮮やかな黄色のリボンを凝った形に結び、端を長く垂らしているのが分かる。着ている服だって、地味で古い型ではあるがワンピースだった。 「……すまない。連れと間違えた」 謝罪し、手を離すと、少女は苦笑するように首を左右に振った。 「いいの。こんなみっともない髪なんですもの、男の子と間違えられるのなんて、もう慣れちゃったわ」 いささか自嘲気味な台詞だが、それが重く聞こえないのは彼女の口調がいかにも明るく、人懐っこい笑みを浮かべているからだろうか。 「いや、髪というよりも、ちょうど君と同じぐらいの背格好の少年で、服装も似ているんだ。ポップという名なんだが、どこかで見掛けなかっただろうか?」 たいして返事を期待していたわけではない質問。それだけに、戻ってきた返事には驚いた。 「ポップ? 勇者一行の魔法使い様と同じ名前ね」 「知っているのか?」 意外さに、ヒュンケルは僅かに目を見開く。 「もちろんよ! わたしは、前にパプニカにいたんだもの。勇者様と魔法使い様を、お見掛けしたこともあるのよ」 少し自慢げにそう言った少女は――不意に黙り込んだ。 「……?」 じっと自分を見つめる少女に、ヒュンケルはふと疑問を感じた。単に、見つめるなんてレベルではない。まさに凝視するといった強さで、彼女はじっとヒュンケルを見返していた。 正直、ヒュンケルは他者から奇異の視線を向けられることには慣れている。魔王軍にいた頃は人間と蔑まれ、人間の味方になった後も元魔王軍の者だと複雑な視線を向けられるのは日常だったのだから。 少女は信じられないとばかりに、何度もヒュンケルを見返し、瞬きを繰り返す。 が、少女はその手を嫌って、大きく身を引いた。 「いてっ?!」 「おいっ、危ねえぞ!」 あまりに少女の後退りが大きかったせいか、後ろにいた人達にぶつかってしまったが、彼女は気にさえ止めなかった。 「ねえ、あなた、大丈夫? 真っ青よ、何かあったの?」 親切な女性が声を掛けるのも、物見高い連中が足を止めて自分達に注目するのにも、少女が気がついてもいなかった。 「……わたしがパプニカで見たのは……勇者様達だけじゃないわ。怪物達を指揮していた、鎧姿の戦士も見た……!」 ハッと息を飲んだヒュンケルを見て、少女は確信を持ったようだった。 「兜を外したところを、見たわ……!
「え……っ?! ま、魔王軍……っ?!」 「う、うそだろう?!」 少女の口から飛び出した衝撃な言葉に、その場にいた人の多くが足を止めた。 軍団長の名や強さに対する恐怖は、身に染みている。なにしろこの国はかつて、たった一人の軍団長によって滅ぼされかけたのだから。 「あなた…なん……でしょう? あなたが……パプニカを襲ったのね?!」 その糾弾を、否定することはそう難しくはなかった。 素知らぬ顔でしらばっくれれば、それ以上を追及はできまい。 「――そうだ。 忘れることのできない昔の肩書きを名乗ると、周囲のどよめきは一層大きくなる。それはたやすく大きなうねりへと変わり、不穏な雰囲気が巻き起こる。 「……人殺しっ!! 父さんを返して! 母さんを、返してよ!」 それがきっかけだった。 一吹き息を吹き掛けるだけで燃え上がる熾き火のように、人々の怒りは簡単に燃え上がった。 「人殺しっ! この裏切り者めっ!」 「魔王の手先など、死ねばいいんだわっ!」 集団ヒステリーに飲み込まれた人々の口からこぼれる言葉は、激しい飛礫となってヒュンケルを打つ。 気がつくと、ヒュンケルは武器を持った人々に取り囲まれ、リンチまがいの暴力を受けていた。 もし、ヒュンケルが望めば、彼らを一瞬で切り捨てるなどたやすかっただろう。いくら戦士としては再起不能と言われたとはいえ、数百匹の怪物相手に取り囲まれても勝ち残ったほどの男だ。
集団戦闘において、リーダーを真っ先に潰すのは戦いの定石だ。たとえ、それが群れとは言いがたい烏合の衆であったとしても、一番強いと思しき者を徹底して叩くことで、勢いや団結を殺ぐことができる。 殺傷能力の高い鍬を手にしている彼を真っ先に切り捨て、返す刀ですぐ隣にいる若い男を切ればいい――そう考えてしまってから、ヒュンケルはすぐにその考えを恥じた。 パプニカ王女であるレオナが許し、道を指し示してくれたことに心から感謝しつつも、ヒュンケルには自分の罪が完全に拭われたなどとは思えなかった。 そうされてもおかしくないだけの罪を、今まで犯してきたのだ。ならば犠牲となった者の憤りや怒りを素直に受け止めるのが、唯一の贖罪だろうと。 持っていた剣を投げ捨てたが、その音が周囲の人間の耳に届いていたかどうか。少なくとも、その音はヒュンケルの耳には聞こえなかった。 鈍痛に連続して襲われる時間が、どのぐらい続いたのかヒュンケルは自覚していなかった。 ただ、自分がいなくなったのなら……あの魔法使いの少年を見守る者はいなくなる。それだけが、唯一、気掛かりだ。 今のヒュンケルは単にポップの様子を見ているだけであり、彼を助けることも、止めることもできていない。 だが、それでも自分を見つめる目があることで、いくらかでも歯止めにはなるだろうと思った。
このまま静かに、闇に身を溶かしていくのも悪くないと思った。 自分とはかけ離れた強さと輝きを持つ光に、目が眩みそうだった。光は闇をたやすく打ち消し、世界は明るさで満たされる。 「ふざけるな! とっとと戻ってこい!」 強い叫びが、耳を貫く。 「……?」 最初に目に映ったのは、ポップだった。 怒ったように自分を睨みつける、ポップの表情までもが良く見えた。 ポップの両手は、実際にヒュンケルに触れている。 「な…ぜ……だ?」 それは、二重の意味での驚きだった。 死ねば、ヒュンケルは二度とポップの邪魔などできない。 「死なれちゃ、後味が悪いんだよ……っ!」 悪態をつく口調とは裏腹に、ポップの両手から注がれる光はひどく暖かく、柔らかなものだった。 「痛っ、何しやがる?!」 咄嗟のことで力を込め過ぎてしまったのかポップが痛がるが、ヒュンケルはその手を緩めなかった。 「それはこっちのセリフだ! 魔法を使うなと言われたのを、忘れたのか?!」 実際に死にかけた時よりも、背筋が冷える。 ポップが魔法を使わないように、見張ることこそが自分にできる唯一のことだと思っていた。 「いてっ、いてえって、離せよっ!」 騒ぎ立てるその声よりも、やっとポップの手から淡い魔法の光が消えたのを見てから、ヒュンケルは力を緩めた。 「痛えじゃねえか、この馬鹿力っ! ちったぁ手加減しろよっ」 いかにも痛そうに手首の辺りを擦るポップを見て、悪かったと思う気持ちはもちろんあった。 「それより、身体は平気なのか?」 「平気だよ! 攻撃魔法と違って、回復魔法なら反動もたいしてねえんだっつーの!」 怒りに満ちて言い返してくるポップを、信じていいものかどうか、ヒュンケルはしばし迷う。 「だからといって、なぜこんな真似を……っ」 仮にも助けてくれた相手に対して随分な言い様だという自覚は、ヒュンケルにもあった。だが、そんな理性よりも感情の方が先走る。 よりによって、自分を助けるために無茶をしたポップに対して、感謝よりも憤りの感情の方が強く込み上げてくる。 「……私が頼んだからよ」 「……?!」 今までポップに気をとられて過ぎていて気がつかなかったが、少し離れた所に佇んでいるのは、紛れもなくあの少女だった。 「わたしは……あなたを、許していないわ」 その言葉が嘘ではないと、一目で分かった。 彼女は、小刻みに震えていた。 「魔王軍のせいで、父さんは死んだわ……! 父さんはね、兵士だったの……っ! 王国を守るためなんだっていって、国境警備の任務に旅立っていった。 堰を切ったようにまくし立て出した少女を、ヒュンケルもポップも止めなかった。 目線だけでポップを制して、彼の後ろにかばうような位置で立ち上がる。 年若い少女とは思えないほどの気迫が、彼女にはあった。死を前にして、全力で戦いを挑みかかってくる獣を思わせる気迫が。 「覚えているわよね? それとも、忘れてしまったの? パプニカの城下町では多くの人が怪物に襲われたし、多くの家が燃えたわ。 少女の手が、髪に巻いたリボンを軽く撥ね除ける。身に染み付いた癖となって残るその仕草は、おそらくは無意識のものなのだろう。 失った髪の毛を、払いのける必要などない。 「すまな……」 思わず口から零れた謝罪の言葉を、少女の甲高い声が遮った。 「謝らないでっ! こんなこと、謝ってもらう価値もないわっ。だって、髪なんかたいしたことじゃないもの。 畳み掛けるような彼女の言葉を、ヒュンケルは黙って聞いているしかなかった。 今の彼女は、火の中に投じられた栗のようなものだ。 「でも、あの時は思ったわ。父さんさえ戻ってきてくれれば、なにもかもうまくいくだろうって。 容赦なく突き付けられる不幸の連続は、聞いているだけで心を痛める。ならば、それを実際に自分の身で受け止めた衝撃はいかほどのものだったのか――。 「父さんの死にショックを受けたから、母さんも流行病なんかであっさり死んじゃったのよ! 魔王軍がいなかったなら、父さんも母さんもきっと生きていた!」 もはや泣きながら、少女は叫ぶ。 「あなたを許さないし、許せない……! きっと、一生許せない――」 激しい興奮と、大声を出し続けた疲れのせいか、少女は息を切らしていた。 だが、言いたい言葉はすべて言い尽くしてしまったのか、彼女はもう何も言おうとしない。 何か言いたげに、だが口を引き結んで自分を睨みつける少女に向かって、ヒュンケルは静かに言った。 「ああ。許せとは、言わない」 華奢な少女の身体に耐えきれないと思えるような不幸と悲しみが、立て続けに彼女を襲った。 平和で幸せな毎日や、掛け替えのない家族……それらを彼女は一気に失ってしまった。ならば、その要因をもたらした者に恨みを持つなとは言えはしない。 「だが……それなら、なぜ、オレを助けた? オレが、憎いのだろう?」 「ええ、私はあなたを一生許さない」 迷いのない早さで、少女は強く言い返す。 「だけど……っ、あんなやり方は間違っているもの」 やっと、押し出された言葉は、ひどく震えていて不明瞭に響く。あまりにも辛そうな様子に、もういいと止めたくなるほどだった。 「間違っているって分かっていることを、やりたくはない……。でも、どうしても許せない者が存在するのを見ているのは、苦しいの……っ! 苦しくて、苦しくてたまらなくなる……!」 喘ぐように、少女は自分の胸を強く押さえる。心の痛みを実際に身体の痛みとして感じているのか、呼吸さえも苦しそうだった。 「なんで……っ、なんで、あなたが生きていて、父さんや母さん達が死ななければならなかったのっ?!」 叩きつけるような激しい糾弾に、ヒュンケルは答えられなかった。 「あなたの顔なんて、もう見たくないわ! 二度と、わたしの目の前に姿を表さないで!」 それが、最後の言葉だった。 黄色のリボンが鮮やかに翻った一瞬を、ヒュンケルは見た。 だが、そう思った端から、後悔が込み上げる。
不貞腐れきった口調でポップがそう話しかけてきたのは、ずいぶんと経ってからだったように思う。 少女が面罵したのは、ヒュンケルだ。
これ以上を望むのは甘えと思ったが、それでもポップの優しさに縋るように、ヒュンケルはあの少女には尋ねることができなかった疑問を口にする。 「……オレは…………どうすればいい……?」 何度も自問自答して、それでも答えを得られなかった問い。 「簡単だろ。あの娘がいつか、おまえを許せる気持ちになるまで、生きていればそれでいい」 閃光が、眼裏に弾けたかと思った。 「……それは……無理な話だろう」 理想は、理想。 あれほど強い憎しみを自分にぶつけてきた少女が、自分を許せるとはヒュンケルには到底思えなかった。 罪を犯した自分が生きていて、大切な家族がいたはずの彼女の両親が死ななければいけないなどとは、不公平にもほどがある話だ。 「おまえに死んで欲しいなら、あの娘は何もする必要はなかったんだ。自分の手を汚す必要さえない……ただ、黙って成り行きを見ていれば果たせたんだ。 ポップの口調は、慰めを口にするためのものではなかった。 「あの娘は、わざわざおれを探しだして頼んできたんだ。『おまえを助けてくれ』って。 息を切らして、汗でビッショリになっていたよ。そんなに必死になってまで、あの娘はおまえを助けたいって思ったんだ」 ポップの説明に、ヒュンケルはわずかに目を見開く。 彼は、いつものように不機嫌な表情でヒュンケルを睨み付けてはしなかった。そこに浮かんでいるのは、静かで、穏やかな表情。 「おれは、アバン先生の仇だって思ってたけど……それでも、ハドラーを許せたぜ」 ま、結局、先生ってば死んではいなかったけどな、と付け加えてポップが笑う。 ポップがハドラーを許したのは、アバンの生存を知る前だった。つまり、ポップにとってあの時のハドラーは、敬愛する先生の命を奪った仇のままだったのだ。 それがどんなに難しいことか……安易に復讐に走ったヒュンケルは、よく分かる。 憎しみや辛さに引きずられるままに、闇に落ちる者も少なくはないだろう。……ヒュンケル自身も、そうだったように。 「さて、と。……おれはもう行くぜ。先を急ぐからよ」 ポップのその言葉が掛け値なしのものだと、ヒュンケルは知っている。 数時間とはいえ、自分などのためにそれを妨げてしまったことに罪悪感を感じたからこそ、ヒュンケルはすぐには動かなかった。 ここはどうやら町外れで、しばらくはポップは荒野の方へ行くつもりらしい。それならば、いつもよりも距離をおいてついて行こう……そう思っていたのだが、歩きだしたばかりのポップが、ぴたりと足を止めた。 「2メートルだ」 背中を向けたまま、唐突に言われたその言葉を理解しかねて、ヒュンケルは沈黙する。 と、ポップが苛立ったように、怒鳴る。 「そこまでなら、ぎりぎりで許してやるよ。けど、それ以上近寄ったりしたら承知しねえからな!」 その言葉の意味を理解して――ヒュンケルは破顔していた。 「ああ……、承知した」 ヒュンケルの返事に、ポップは返事をしないままで再び歩きだす。2メートルの間を開けて、ヒュンケルもそれに続いた。 ポップの頑なさを思えば、決して自分との旅を許さないだろうと思っていた。だが……そうではなかったようだ。 ――ならば、そんな心境の変化があの娘にも起きないと、誰に断言できるだろう。 怒りや、他者の扇動に惑わされず、自分自身が犯そうとした過ちを許さなかった。 あの少女が自分を糾弾したのは、事実。 その苦悩は、ヒュンケルにも覚えがあるものだ。アバンを恨み、正義や人間に絶望し、それでも心の奥底で、人間への思いを残していた。 ならば、同じ安らぎや感謝が、彼女にも訪れることを願う。 死だけが、贖罪なわけではない。 《後書き》 ヒュンケルを仇と思う人間って、結構多いんじゃないかと思っているんですが、原作では一度も触れられてなかったので気になっていました。 |