『視線が絡む』

  
 

 ふっと、視線が絡む。
 先を歩いていた魔法使いの少年が、振り返ってこちらを見たからだ。
 それは、ある意味で必然だった。

 ヒュンケルが歩く時は、常に先を行くポップの様子に気を配りながら移動する。当然、ヒュンケルの意識や視点の中心はポップにある。
 だからポップが振り向いた時には、二人の視線が絡むのはいつものことだった。

 だが、それはほんの一瞬だ。確かに合わさったはずの視線は、すぐにぷいっと逸らされてしまう。
 目を逸らすのは、常にポップの方だ。

 それも、ゴキブリかゲジゲジでも見つけたとでも言わんばかりに露骨に顔をしかめ、わざと大袈裟に顔を逸らされる。
 失礼極まりない態度ではあるが、ヒュンケルにとってはそれはよくあることだった。
 旅の連れ……と言っていいかどうかは微妙だが、ポップの態度はいつもこんなものだ。


 機嫌がよほどよいか、あるいは何か用事がある時ならば、声を掛けてくる時もある。だが、それ以外の時にはとんだ失敗をしてしまったとばかりに勢い良く目を逸らすのが常だ。 ヒュンケルにとっては、すでに日常――だからその態度については別に文句もなかった。


(またか)

 ただ、苦笑混じりにそう思ったのみだ。
 今日も、そうだった。
 朝から何度も生あくびを繰り返すポップは、どうやらひどく眠いらしい。しょっちゅう足を止めては立ち止まっているし、のろのろと歩いている。

 普段から足がそう早い方とは言えないが、今日は一際ペースが遅かった。足を止める度に気になるように後ろを見ては、不機嫌に目を逸らす。

(別に、こっちを気にしなくてもいいんだがな)

 ヒュンケルは、ポップについていくために旅をしているだけだ。
 ポップがどんなペースで移動しようと、文句を言う気もないし、自分を配慮しろと言うつもりも更々ない。
 ポップが自分の好きなペースで、好きなように歩いて行けばいいと考えている。

 ポップの歩行ペースは、元々ヒュンケルよりも格段に遅い。ついていくのには、別に不自由はない。
 馬車などの手配をされればさすがに困るが、普段より歩くペースが多少落ちるぐらいならば別になんの問題もなかった。

 だが、ポップの方は違うらしい。
 やけにヒュンケルを気にして、何度も振り返らずにはいられないようだ。
 何回となくそれを繰り返した後、ポップは歩きだして間もないにも拘らず、木の下に腰を下ろして休憩し始めた。

 ポップが休憩をとるのは、珍しいことではない。魔法使いの常で体力に欠けるポップは、定期的な休憩を挟みながら無理のない速度で先に進もうとする。
 だが、こんな風に旅立ち直後にいきなり休むのは初めてだった。

 旅の目的地がどこかはヒュンケルはまだ知らないが、ポップがダイを探しているのは間違いはない。そして、ポップはそのために最大限の努力を惜しまない。
 普段からのポップの旅の様子を知っているヒュンケルから見れば、歩きだしてから30分も経たない内にポップが休むのは不自然に見える。

 しかし、それをポップに言う気はなかった。
 今までヒュンケルはポップの休息のタイミングに不満を言ったことはないし、言いたいとも思わない。

 目を瞑り、木にもたれかかっているポップが動きだすまで、待つつもりだった。
 だが、休息が長引くのであれば、立ったまま待つというのもあまりに間抜けだろうし、ポップに対しての無言のプレッシャーになりかねない。

 適当な場所に腰でも下ろそうかと周囲を見回した時だった――妙に重い、苦しそうな咳き込みが聞こえてきたのは。

「ポップ?!」

 胸を押さえ、激しく咳き込むポップはヒュンケルに返事をするどころか、自分の身体を支えるだけの力さえなかった。
 木からずり落ち、地面に転がりそうなったポップの身体を、ヒュンケルは辛うじて支えるのに間に合った。

 激しい咳に苦しむポップを少しでも助けようと、背を擦ってみたが効き目があるようには見えない。
 ポップの苦痛は、それほど長くは続かなかった。ものの数分もしないうちに、激しい咳に痙攣していた身体からガクリと力抜け、ヒュンケルの腕に全体重がかかる。

 一瞬ぎょっとしたが、単に気絶しただけのようで、か細く、不規則な浅い呼吸を繰り返している。
 力の抜けた手がダラリと落ちたのを見て、ヒュンケルは顔をしかめる。

 さっきまで必死になって自分の口許を押さえていた、ポップの両手。その手のひら部分に赤い染みが、滲んでいた。緑色の手袋を赤く染める染みは、ほんのわずかなもの。
 だが、ヒュンケルの肝を冷やすのには充分過ぎる量だった。

 あの日――ダイがいなくなった直後のように大量の喀血というわけではないが、旅立って以来始めてのポップの具合の急変は、ヒュンケルを不安のどん底に陥れる。

(とにかく、手当てをしなければ……)

 動揺する自分を叱咤しながら、ヒュンケルは完全に気絶したポップを抱き上げた――。

 

 

「気がついたのか?」

 安定していた寝息のリズムが、微妙に変わる。
 瞬きを数度繰り返した後、ゆっくりとポップが目を開けるのを待ってから、ヒュンケルは静かに問いかけた。

 目覚めたポップは、すぐには状況が掴めなかったらしい。
 ベッドに横たわったまま、首だけをわずかに動かして周囲に目をやる。

「…………ここ……どこだ?」

「昨日、泊まった町の宿屋だ。ここが一番近いから、引き返してきた」

 ヒュンケルが説明したのはそれだけだったが、ポップは枕元のサイドテーブルに置いてある薬の入った袋を見て、察したらしかった。

「薬師か、医者に診せたのか。……じゃ、バレちまったんだな」

 そう言ってポップは、笑った。
 吹っ切れたような明るさの感じられる、いかにもポップらしい笑顔。
 ダイがいなくなって以来、ほとんど見せることのなくなったその笑顔を心から望んでいたはずなのに、なぜか心が痛かった――。

 

 


『こんな身体で旅をしているだって……?! なんて、無茶な…自殺行為もいいところだ!』


 あれからすぐ、ヒュンケルはポップを抱えて町に引き返した。
 幸いにも、かなり大きな町だったため回復魔法を使える僧侶のみならず、医者も存在した。

 病気に関しては、回復魔法はあまり効き目は期待できない。やっと見つけた医者の元へ駆け込んで、真っ先に言われたのがその言葉だった。
 ポップを診察した医者は怒りも露に、即刻旅を中断するようにと言った。このまま無理を重ねれば、どんどん身体を衰弱させていくだけだ、と。

 それでも旅を続ければどうなるかと問いかけたヒュンケルの質問に対して、医者はしばしの間をおいて答えた。
 その場合は――命の保証はできないだろう、と。

 それを聞いて以来、ヒュンケルはその事実をどうポップに伝えればいいのかと、悩んでいた。
 少しでもショックを少なく穏やかに……それでいて、ポップがその言葉をちゃんと信じられるように、はっきりと教えなければ意味がない。

 口下手な自分にできるだろうかと危ぶみながら、アバンの教えを思い出しつつ幾通りかのパターンを考えていた。
 だが――たった今、ヒュンケルはそれが杞憂だったことを悟った。

 教えるまでもない。
 ポップは最初から――それこそ旅立つ前から、無理は禁物だと知っていたのだろう。
 小さく溜め息をつき、ポップは親指で自分の胸辺りをつついて見せる。

「……どうも、中身がやられちまったみたいでさ、ここんとこ妙にしんどかったから……今朝起きた時は、自分でもまずいなって思ってたんだ」

 喋る口調こそは、明るい。
 だが、ベッドの上に起き上がるだけの体力もないのか、ポップは寝そべったままだった。 それを見て、ヒュンケルは悔いずにはいられない。――なぜ、今迄気がつかなかったのか。

 ポップの体調が、以前より悪化していることに。
 魔王軍と戦っていた頃より、明らかに今の方が身体が弱っている。
 確かに、魔法使いのポップは頑健な肉体を持っているとは言えなかった。だが、仮にも勇者であるアバンに鍛えられたのだ、並の魔法使いを上回る肉体能力は備えていた。

 大きな魔法を使った後、苦しそうにしているのは見掛けたことはあったが、それでも戦いの最中はポップの様子に変化は見られなかった。
 怪我や消耗のせいで休むことは度々あったとはいえ、少々無理をしただけで発作を起こしたり、熱を出して寝込むような衰弱ぶりは、以前にはなかった。

 旅を始めた頃と比べたって、そうだ。
 ポップの足取りは確実に遅くなり始めたし、それと反比例して休む時間は徐々に増えている。

 特に、眠る時間は格段に増えてきている。
 それを単に日が短くなってきたせいだろうと単純に考えていた自分の愚かさが、腹立たしい。

 口には出さなかったが、ポップ自身はずっと前から自分の体調の変化に気がついていたのだろう。
 だが、それをポップは決して口にはしなかった――。

「でもよ、ちょっと休めば良くなるんだ。確かに苦しい時もあるけどよ、そんなに長くは続かないしさ。
 無理さえしなければ、旅したって平気だよ」

 こともなげに言う口調が、空々しく聞こえる。
 魔法使いとしては、再起不能だとポップはアバンに診断された。だが、魔法さえ使わなければ普通に暮らすことは可能だと……そう聞いた言葉を、ヒュンケルはずっと信じていた。

 魔法を使わなければ、平気だと――。
 いや、そう思いたかっただけだったのだと、ヒュンケルは今更のように思い知る。

『差し当たって命の危険があるわけではない』

 アバンは、そう言ったのだ。そして、レオナはポップのために静養できる部屋を用意すると言っていた。
 その意味を、なぜ考えようとしなかったのか。

 魔法を使わなかったとしてもポップの体調では無理は禁物であり、安静を必要とするものだと、なぜ、今迄気がつこうともしなかったのか。
 胸苦しいまでの後悔に苛まれながら、ヒュンケルはできる限り淡々と医者からの言葉を伝える。

「……熱が完全に引くまでは安静にしろと、医者は言っていた。宿屋も、数日泊まれるように手配済みだ」

 今回、ポップが倒れたのは基本的には風邪のせいだと、医者は言った。
 今回の風邪だけを問題にするのなら、決して命に関わるという類いのものではない、とも。だが、そう言いながらも、医者は同時に危険の告知も忘れなかった。

 普通の人ならば、問題にもならないただの風邪……だが、体力が落ちているポップにとっては、それは命取りになりかねない危険を孕んでいる。

 健康な若者がかかるならほんの数日で治る風邪が、抵抗力の衰えた老人がかかれば命取りになりかねないのと同じだ。
 それさえも承知しているのか、ポップは億劫そうに頷く。

「ああ……分かったよ。しばらくはおとなしく寝ている」

 拍子抜けするぐらいあっけなくそう言ったポップは、本当にそうした。
 そのままずっと横になったままでいたし、ヒュンケルが持ってきた食事にも文句をつけなかった。

 普段のポップの頑固さを考えれば、嘘のように素直な反応だった。
 食欲がないのかほとんど喉を通らないようだが、それでも少しでも食べようと努力はしていたし、食後に飲めと押しつけた薬も、文句をつけなかった。
 ただ、ある一点を除いては。

「カーテン……閉めないでくれないか」

 うつらうつらと眠りかけていたはずのポップを気遣って、そっとカーテンを閉めようとした時にそう言われた。
 あまり賛成できないわがままに、ヒュンケルはしばし迷う。

 カーテンは遮光と保温の効果がある。あまり立て付けの良くない窓は、どうしても透き間風が付き物だ。
 ごくわずかとはいえ、冷えきった外気は弱った身体には毒だろう。

 それに下弦の月とはいえ、今夜の月は随分と明るかった。その光が眠りの妨げになるのではないかと思ったが、ポップは頭を枕に埋めながら微かに首を振る。

「……もう少し……月を見ていたいんだ」

 弱々しい声での重ねてのわがままを、ヒュンケルは拒めなかった。
 それがあまり健康上良くないと分かっていても、ポップがこんな風にヒュンケルに物事を頼むなんて、初めてだ。

 それがひどく大事なことでもあるように、必死に自分に頼むポップの願いを、どうしても突き放せなかった。

「……分かった」

 そう頷くとポップはホッとしたような表情を浮かべ、窓越しに見える月の方へと目を向けた――。

 

 


 月明りが、ポップの寝顔を照らしだす。
 寝入ってしまったポップにとっては、その明かりは別に眠りの妨げにはならないらしい。昼間の苦しみが嘘のように、今のポップの寝顔は安らかだった。

 だが、あれからずっと起きていて、ポップの様子を見ているヒュンケルにとっては、その月明りは不吉なもののように見えた。
 日の光の下が似合うと思っていた弟弟子は、月明りの下で見るとずいぶんと儚げに見えた。

 月明りに照らされた顔には、痩せた頬や顔色の悪さが目立つように見えて、無性に不安を駆り立てられる。
 ――今回は、それほど深刻な状態にはならなかったかもしれない。

 だが、ポップが旅を続ける限り、危険は常に付きまとう。
 どんなに気をつけて行動するにしても、安静にしながら日常生活を送るのと、旅をするのでは運動量や危険遭遇率が格段に違ってくる。身体にかかる負担がポップの体力を上回れば、いつ倒れてもおかしくはないのだ。

 危険とすぐ背中合わせのそれは、例えるのなら綱渡りのようなものだ。
 第三者の目からは、いかにも気楽に、こともなげに歩いているように見えるかもしれない。

 だが、些細な油断が、あるいはふとした突風が、予測外のアクシデントが一つでも起こればたちまちバランスを崩し、奈落の底まで落ちてしまう――。
 そんなにも危険な旅だということを知っていたのはポップだけだと言う事実が、またヒュンケルの心を責める。

 最近、ポップとやけに視線が合う気がする――そう気がついていたのに、その意味を深くは考えなかったことが、悔やまれる。
 今までは、ヒュンケルだけがポップを見ていて、ポップは前を――ダイを探すことだけを見ていた。

 だが、体調の悪化……それをヒュンケルに気づかれていないか確認するために、ポップは何度となく振り返るようになったのだろう。
 秘密を暴かれるのを必要以上に恐れ、目でヒュンケルを追っていた。

 だからこそ、視線が絡んでいたのだ。
 口にこそしなくても、それはポップからのSOSに等しい。
 それに気づけなかった愚かな自分を、ヒュンケルは責めずにはいられない。

 眠っているポップの枕元で彼を見下ろしながら、ヒュンケルはそのまま長い間、動かずに佇んでいた――。                           

                                                       《続く》


《後書き》
 ポップの体調、悪化編です。
 うちでは大抵のルートではそうなりがちなんですが、無理をして旅を続けたりするんだから、そうなるんじゃないかな〜と考えてます。
 
 

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