『助けるつもりなんてなかったんだ』

  
 

「……?」

 フッと、眠りが浅くなったのはかすかな気配のせいだった。
 自分のベッドに向かって、忍ばせた足音が聞こえてくる。
 普段のヒュンケルなら、その段階で跳ね起きて剣を手に取るだろう。

 だが今は、そうしていいものかどうか躊躇があり、ヒュンケルは目を閉じて寝たふりをしたまま、様子を見る。
 目を開けずとも、足音の大きさや気配で分かる。
 近付いてきたのは、ポップだった。

 盗賊だの見知らぬ他人ならまだしも、仲間であり、一応は旅の連れでもあるポップが近付いてきても警戒するには当たらない。
 疑問なのは、なぜポップが夜中にこっそりと、自分のベッドに近付いてくるか、だ。

 ポップが体調を崩してから、すでに三日が過ぎた。その間、ポップとヒュンケルはずっと同じ宿屋に逗留していた。
 体調の悪い時はとにかくゆっくりと休んでよく眠ること――その鉄則を守って、ポップはおとなしく横になっている。

 旅をやめる気は一向にないようだが、無茶をする気はないらしい。とりあえずポップは、体調が戻るまで宿屋に泊まるのには文句は言わなかった。
 ヒュンケルと同室なのが気に入らないのかいい顔はしなかったが、別に出て行けとまでは言わなかった。

 旅の最中や、野宿の時と同じようにヒュンケルの存在をしぶしぶ黙認している……そんな態度を崩さない。
 別に、ヒュンケルもポップのそんな態度に不満があるわけではない。だが、普段が普段なだけに、ポップの今の行動の意図が掴めなかった。

 そもそも、ポップはヒュンケルが後をついてくるのも嫌がるぐらいだ。彼から自分に近付いてきた試しなどないだけに、疑問が先に立つ。
 なにか用事あるのなら、まだ分かる。だが、その場合なら、ポップは昼間の間に普通に声を掛けてくるだろう。今、ポップは足音を殺してまでこっそりと近付いてきている。

 まあ、気配に敏感なヒュンケルの耳には隠しきれずに丸聞こえだが、ポップにしてみれば精一杯頑張っているのは間違いない。
 ベッドのすぐ側にまで近づいてきたポップが、じっと自分の様子を伺っているのが分かる。

(まさか、夜這いでもあるまいし)

 まさにそう思った瞬間、安物のベッドがぎしりときしむ音がした。ポップが、ベッドの上に乗ってきたのだ。
 完全に、ベッドの上に乗ってきたわけではない。片足だけを乗せ、身を乗り出しているだけのようだ。

 ポップの手が、遠慮がちにヒュンケルに触れてくる。たどたどしい手つきで探る様に胸元に触れてきた手は、ヒュンケルのシャツをはだけさせ、その中に潜り込んできた。
 ひんやりとした小さな手が直接肌に触れる感触に、ヒュンケルの困惑はますます深まるばかりだ。

 くらりと、目眩を感じたのは気のせいなのか。
 胸元を這い回る手に、どう反応をしていいのか分からない。
 これが痛みなどの苦痛を与えるものだったのなら、とっくの昔に反撃に出ていただろう。


 だが、ヒュンケルにとって困ったことに――ポップの手は、どちらかといえば気持ちがよいものだった。
 屈辱だの、身の危険を感じさせるには、その手はあまりにも華奢だった。慎重にヒュンケルに触れる手には、何の悪意も感じられない。

 くすぐったい様な心地好さは感じても、触れられて少しも嫌だとは思わない。
 それどころか、もっと触れてもらいたいと思ってしまう程だ。

(……ダイの気持ちが、少し分かるな)

 あの小さな勇者は、ポップに触れられる時は、いつもことのほか嬉しそうな顔をしていた。
 二人がじゃれ合っている姿をヒュンケルは何度も目撃したものだが、そんな時のダイはいつだって楽しそうだった。

 主人に頭を撫でられるのがなによりも嬉しくてたまらない子犬の様に、ポップの手で頭を撫でられるのを好んでいた。
 その気持ちが、今なら分かる気がする。

 ヒュンケルよりも体温が低いのか、ポップの手はわずかにひんやりしている。その手で、慰撫されるように撫でられる心地好さに、溶けてしまいそうだと思う。

 半ば夢見心地でうっすらと目を開けたヒュンケルは――不意に、その目を大きく見開いた。
 そして、間髪いれずに跳ね起きて、自分に触れる手を素早く掴む。

「……っ?!」

 ヒュンケルの急な反応に驚いているポップの手を軽く引き、身体を入れ替えさせる。
 呆然としているポップをベッドに押しつけるようにして捩じ伏せるのは、それこそ赤子の手を捻るよりたやすかった。

 痛みは感じさせない様に、だが、ポップを逃がさない様にしっかりと押さえつけるために、彼の上に馬乗りになるようにして動きを封じる。

 あまりの展開の急変についていけないのか、自分の身に何が起きたのか分からないとばかりに目を見張っているポップを見下ろしながら、ヒュンケルは押し殺した声で問い掛けた。

「今、何をしていたんだ、ポップ……?!」

 そう問いかけると、ポップの身体がビクリと震える。怯えじみた色合いが彼の目に浮かぶのを見ながらも、ヒュンケルはポップを抑える手に力を込めずにはいられなかった。

「答えろ。何をしていた?」

「な……っ、べ、別に、何もしてねえよっ!」

 怯えているくせに、妙に勝ち気に言い返してくる辺りがポップらしいと思いながらも、ヒュンケルは手を緩めない。

 ついさっき、あれほどの安らぎを与えてくれた細い手――だが、その安らぎの正体を知った今、とてもその手に身を委ねることなどできなかった。
 なぜなら、ヒュンケルは見てしまったのだから。

「嘘をつけ。おまえは今……回復魔法をかけていたな」

 ヒュンケルに触れるポップの手は、仄かな光を放っていた。暖かみを感じさせる柔らかな光は回復魔法特有のものだ、見間違えるはずもない。

 なにより、ヒュンケルの決め付けに、ポップが小さく息を飲んだのが何よりの証明だった。
 その表情が、十分に答えになっていた――。

 

 


「なぜ、こんな真似をした?」

 自分の言葉が、ひどく冷たく聞こえるであろう事実を、ヒュンケルは自覚していた。
 問い掛ける声は、兵士が罪人に詰問するそれに近い。
 理屈では、ポップをこんな風に扱うのは間違っていると分かっている。ポップの意図はどうであれ、彼がしたことが自分への治療だとはヒュンケルには理解できた。

 本来ならば、ポップのその行為に対して治療を受けた側であるヒュンケルが、こんな態度をとるなど言語道断だろう。
 むしろ、治療してもらったことに感謝の念を抱くべきだ。

 だが、感情がそれを許さなかった。
 今のポップにとって、魔法を使うことがいかに負担になるか……旅立つ前に聞いた、アバンがポップに告げた注意の言葉を、ヒュンケルは一言足りとも忘れたことはない。


 あの言葉自体も、それを聞いた時の恐怖も、いまだにヒュンケルの中では鮮明だった。
 だからこそ、ヒュンケルはポップの旅を妨げず、だが決して目を離さないように追って来た。
 ポップが、魔法を使うのを防ぐために。
 それこそが、ヒュンケルにできる最大の援護だと信じたかった。

 無理に連れ戻そうとすれば、ポップは魔法を使ってでも逃げるだろうと思えばこそ、ヒュンケルは今まで無理強いはしなかった。
 だが――この行為は、見逃すわけにはいかない。いざとなれば、腕ずくも辞さない気迫を込め、ヒュンケルはポップを糾弾する。

「理由を言え」

 その問い詰めに、ポップがためらうように何度か瞬きを繰り返す。その揚げ句、ぽつりと小さく呟いた。

「助けるつもりなんて……なかったんだ」

 悪戯を白状する、子供の様な口調。
 ぽろりとこぼれた様なその言葉は、おそらくはポップの本音なのだろう。だが、すぐにポップの目には負けん気の強い光が浮かぶ。

「でもよ……、見えちまったら、引き下がれなくなったんだよ」

「……どういう意味だ?」

 意味を図りかねて問い返すと、ポップはむくれたように押さえられたままの腕に力を込める。
 そうしたところでヒュンケルの腕は振り払えないのだが、押さえられているのを嫌がっている拒絶は十分に伝わった。

「放せよ。そうしたら、おれも話すからさ」

 

 


「だからよー、これ、今回が初めてってわけじゃねえんだよ」

 ベッドの上に座り込み、開き直ったような口調で話すポップの言葉は、ヒュンケルにとっては衝撃的な事実だった。
 今まで密かに、夜になる度にヒュンケルに魔法をかけてきたと、ポップは白状した。

 いつもはラリホーマで眠りを深めてから近付き、改めて回復魔法をかけるのだが、今日はどういうわけか魔法の効き目が薄かったらしい。

「おまえに、一番最初に回復魔法をかけた日……あの時に気がついた。だから、あれからずっとやっていた」

 前に、少女に殺されかけた日、ヒュンケルを助けたポップは気がついてしまった。ヒュンケルの負ったダメージはひどく深く、そうそう癒せるものではない。
 普通の回復魔法の使い手では到底無理かもしれないが、ポップにならばできる可能性があった。

 ポップは、魔法に関しては天才的な勘の持ち主だ。大魔道士マトリフ直伝の呪文を使用できる事実が証明している様に、絶妙な魔法バランスとセンスがある。
 ただのメラとヒャドを究極の魔法へと転じられるセンスをもってすれば、回復魔法の効果や威力も跳ね上げることができる。

 他の誰でもない、ポップが細心の注意を払って根気よく魔法をかけ続ければ、ヒュンケルの傷は治せるかもしれない可能がある――。

「ヒュンケル。おめえが知っているかどうか分からねえけど、病気と怪我じゃ回復魔法の効き方が全然違うんだよ」

 ポップの言葉に、ヒュンケルは異議を唱えられなかった。
 一介の戦士であるヒュンケルは、魔法は専門外だ。一応、基本ぐらいは知っているが、詳細な知識ではポップにかなうはずがないと知っている。

「回復魔法ってのは、基本的に生物の中の備わった回復力や生命力を増幅させるものなんだ。
 つまり、元々の体力のある者にこそ、効き目が強まる……怪我と病気だったら、圧倒的に怪我の方が治しやすいんだ」

 そう言いながら、ポップは自分の胸元辺りに手を当てる。

「おれのこの身体は……おれ自身には、治せないんだ。どうやったらいいのか、悔しいけど見当もつかねえ」

 ポップのその判断も、ヒュンケルは否定できなかった。
 回復魔法に置いては一家言を持つアバンやレオナが、そろって諦めたのだ。治せる見込みが薄いのは、最初から分かっていた。

「今のおれの状態って、多分、病気に近いんだと思う。じゃなきゃ、老衰っつーか……一応機能はしているんだけど、全体的に弱っていてきちんと働いてない感じなんだ。
 元々の体力や生命力が落ちている以上、回復魔法でも薬草でもたいした効果はない」

 いっそ人事のように淡々と言うポップは、自分が再起不能になったという事実に固執していないようにさえ見える。
 突き放したような諦観が、そこにはあった。だが、静かな湖面が一気に波で荒れ狂う様に、諦観が熱意へと取って代わる。

「だけど、おまえは違う。
 おまえも衰弱して身体が弱っているとはいえ、おれと違って病気が原因ってわけじゃない。怪我の上に怪我を重ねるなんて無茶をしでかしたのが問題とは言え、生命力まで落ちたわけじゃない。
 可能性は、あるんだ!」

 射る様な視線に、熱の籠った口調。
 それは、すでに言い訳でも説明でもない。治療に渋る患者を説得するための医師のような熱意で、ポップはヒュンケルに訴えていた。

「おめえの身体なら……可能性が見えちまった。それなのに、なにもしないで諦めるなんて、おれにはできねえよ……!」

 

 

 

「…………」

 いつの間にか、立場が逆転していた。
 逃がさないぞとばかりに真っ向から自分を睨み付けてくるポップからわずかに目を逸らし、ヒュンケルはやっと返事を口にする。

「…………事情は分かった。それでも、もう……治療はいい」

 それは、苦渋の決断だった。
 ヒュンケル自身の身体の治療を諦めるのが、苦痛なのではない。治りたくないと言えば、確かに嘘になる。

 だが、自分の治療のためにポップが無理を重ねる方が、恐怖だった。それぐらいなら、治療を放棄した方がはるかに気が楽だ。
 ただ、気掛かりだったのは、ポップがこれほどの熱意を込めて密かに行ってくれていた努力を無にすることの方だ。

(また、怒らせてしまっただろうか……)

 少しばかりの不安と共に、ヒュンケルはポップの様子を窺う。
 ヒュンケルのすること、なすことがすべて気に食わないとばかりに、ポップはよく腹を立てている。八つ当たり気味に文句を言われることも珍しくはないが、そんな風に怒られるのは別に何とも思わない。

 だが、落胆させるようなことは、したくはなかった。
 自分の力が足りないことに苦悩し、悔しがるポップの姿をヒュンケルは今まで何度も見てきた。

 口にこそ出さないが、ダイを助けられなかったことを誰よりも悔いて、自分の責任だと思い込んでいるのはポップだろう。
 そんなポップが、これ以上の重荷や後悔に傷つくところなど見たくはなかった。

 だが――ヒュンケルにとっては予想外なことに、ポップは怒った様子も傷ついた様子もない。
 ヒュンケルの答えなど最初からお見通しとばかりに、不敵な表情を浮かべていた。

「嫌だね。断るぜ」

 あっけらかんとした、それでいて決して譲らない強さを含んだ口調。

「ポップ……ッ!」

「おっと、説教なんかされたって、聞く気なんかねえからよ。
 おまえだって同じことをしているくせに。
 おれが嫌だって言ってもおまえが無理やりついてくるのなら、おれもそうさせてもらうだけだっつーの」

 ヒュンケルの先手を打って、ポップは確実に彼の一番痛い処をついてくる。

「嫌なら、おれについて来なければいい」

 屁理屈に近いごり押しとはいえ、要所は押さえたその言葉にヒュンケルは反論を封じられてしまう。
 そして、ポップの追及はさらに続く。

「知ってるぜ。おまえ、どうせキメラのつばさを隠し持ってるんだろ?」

 それが図星だったからこそ、ヒュンケルは黙り込む。
 いざと言う時のために、密かに用意しておいた切り札を、ヒュンケルは使うべきかどうか、常に迷い続けていた。
 だが、その迷いも見透かした様に、ポップは一刀両断する。

「言っておくけど、それを使うならおまえ一人で頼むぜ。おれは、そんな危ない橋なんか渡りたくねえからな」

 今までずっと疑い、事実かどうか迷っていたことにはっきりとした答えを突きつけられ、ヒュンケルは息を飲む。
 いざと言う時、無理やりにでもポップを連れて仲間達の元に戻れるか、どうか。

 それは、ポップを追って旅に出た日から、ずっとヒュンケルが持ち続けてきた疑問だった。
 ダイがいなくなったあの日、ポップは移動呪文を使おうとして、急激に体調を崩した。
 後に、アバンも移動呪文は危険だとわざわざ念を押したように、彼にとって移動呪文は身体にこたえるのは知っていた。
 魔法で成し遂げるとはいえ、急激な移動は体調の悪い人間には良くないと言うのは、ただでさえ常識だ。

 ゆえに、重傷者や病人を移動呪文を運ぶなんて真似は、極力控えるのが普通だ。
 そして、移動呪文とキメラのつばさは、魔法と道具という差はあれど、効力はほぼ同じだ。

 移動呪文が負担になるのなら、キメラのつばさでの移動も同じく負担になるのではないか――その疑問を、ヒュンケルはずっと抱いていた。
 ポップの旅を黙認する形でずっと後を追うだけにとどめていたのは、そのためだ。

 キメラのつばさを使うのはかなりの確率で賭けだと思っていたし、無理やり連れ戻そうとすれば、ポップが移動呪文を使って逃げにかかるだろうと予測できたから。
 いざとなれば、ポップは手段など選ばない。自分の身が危うくなるなどお構いなしの魔法でも躊躇なく使うのは、仲間なだけによく承知している。

 アバンやレオナが追っ手を差し向けてこないのも、ヒュンケルの推理を裏付けているように思えた。

 だが……薄々ながら気がついているのと、本人の口からはっきりと断言されるのでは、ショックの度合いが段違いだ。
 黙り込むヒュンケルを見て、ポップがしてやったりとばかりに得意げな表情を浮かべる。
 

「分かったんなら、諦めろって。
 おとなしく、おれに治療されとけよ。いちいちラリホーマをかけるより、その方がおれも楽だし」

 勝手なことを言いながら延ばしてくるポップの手に、ヒュンケルは躊躇する。

「おっと、遠慮なんかさせないぜ。だいたい、ただで治すなんて言ってない。
 治したのを恩に着せて、やってもらいたいことがあるだけだって」

 もはや勝手を通り越して、押しつけとしか言えない理屈である。
 本当は、治してから言うつもりだったんだけど、などと言いながら、ヒュンケルの手を握りしめるポップの腕力は、決して強くはない。だが、心まで鷲掴むような言葉がヒュンケルに投げ掛けられる。

「さっきも言ったけど、おれはおまえを助けるつもりなんか、ない。
 おれは――ダイを、助けたいんだ」

                                    《続く》


《後書き》
    
 ポップの夜這い(笑)シーンは、結構書いてて楽しかったです。
 しかし、会話ばかりのシーンだとヒュンケルってつくづく役に立たないと実感しました。ポップに言い返しもできてない上、完全に丸め込まれているし……っ(笑)
 結局のところ、ヒュン兄さんには実力行使しか、道はない様です。
 
 

7に進む
5に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system