『助けるつもりなんてなかったんだ』 |
「……?」 フッと、眠りが浅くなったのはかすかな気配のせいだった。 だが今は、そうしていいものかどうか躊躇があり、ヒュンケルは目を閉じて寝たふりをしたまま、様子を見る。 盗賊だの見知らぬ他人ならまだしも、仲間であり、一応は旅の連れでもあるポップが近付いてきても警戒するには当たらない。 ポップが体調を崩してから、すでに三日が過ぎた。その間、ポップとヒュンケルはずっと同じ宿屋に逗留していた。 旅をやめる気は一向にないようだが、無茶をする気はないらしい。とりあえずポップは、体調が戻るまで宿屋に泊まるのには文句は言わなかった。 旅の最中や、野宿の時と同じようにヒュンケルの存在をしぶしぶ黙認している……そんな態度を崩さない。 そもそも、ポップはヒュンケルが後をついてくるのも嫌がるぐらいだ。彼から自分に近付いてきた試しなどないだけに、疑問が先に立つ。 まあ、気配に敏感なヒュンケルの耳には隠しきれずに丸聞こえだが、ポップにしてみれば精一杯頑張っているのは間違いない。 (まさか、夜這いでもあるまいし) まさにそう思った瞬間、安物のベッドがぎしりときしむ音がした。ポップが、ベッドの上に乗ってきたのだ。 ポップの手が、遠慮がちにヒュンケルに触れてくる。たどたどしい手つきで探る様に胸元に触れてきた手は、ヒュンケルのシャツをはだけさせ、その中に潜り込んできた。 くらりと、目眩を感じたのは気のせいなのか。
くすぐったい様な心地好さは感じても、触れられて少しも嫌だとは思わない。 (……ダイの気持ちが、少し分かるな) あの小さな勇者は、ポップに触れられる時は、いつもことのほか嬉しそうな顔をしていた。 主人に頭を撫でられるのがなによりも嬉しくてたまらない子犬の様に、ポップの手で頭を撫でられるのを好んでいた。 ヒュンケルよりも体温が低いのか、ポップの手はわずかにひんやりしている。その手で、慰撫されるように撫でられる心地好さに、溶けてしまいそうだと思う。 半ば夢見心地でうっすらと目を開けたヒュンケルは――不意に、その目を大きく見開いた。 「……っ?!」 ヒュンケルの急な反応に驚いているポップの手を軽く引き、身体を入れ替えさせる。 痛みは感じさせない様に、だが、ポップを逃がさない様にしっかりと押さえつけるために、彼の上に馬乗りになるようにして動きを封じる。 あまりの展開の急変についていけないのか、自分の身に何が起きたのか分からないとばかりに目を見張っているポップを見下ろしながら、ヒュンケルは押し殺した声で問い掛けた。 「今、何をしていたんだ、ポップ……?!」 そう問いかけると、ポップの身体がビクリと震える。怯えじみた色合いが彼の目に浮かぶのを見ながらも、ヒュンケルはポップを抑える手に力を込めずにはいられなかった。 「答えろ。何をしていた?」 「な……っ、べ、別に、何もしてねえよっ!」 怯えているくせに、妙に勝ち気に言い返してくる辺りがポップらしいと思いながらも、ヒュンケルは手を緩めない。 ついさっき、あれほどの安らぎを与えてくれた細い手――だが、その安らぎの正体を知った今、とてもその手に身を委ねることなどできなかった。 「嘘をつけ。おまえは今……回復魔法をかけていたな」 ヒュンケルに触れるポップの手は、仄かな光を放っていた。暖かみを感じさせる柔らかな光は回復魔法特有のものだ、見間違えるはずもない。 なにより、ヒュンケルの決め付けに、ポップが小さく息を飲んだのが何よりの証明だった。
自分の言葉が、ひどく冷たく聞こえるであろう事実を、ヒュンケルは自覚していた。 本来ならば、ポップのその行為に対して治療を受けた側であるヒュンケルが、こんな態度をとるなど言語道断だろう。 だが、感情がそれを許さなかった。
無理に連れ戻そうとすれば、ポップは魔法を使ってでも逃げるだろうと思えばこそ、ヒュンケルは今まで無理強いはしなかった。 「理由を言え」 その問い詰めに、ポップがためらうように何度か瞬きを繰り返す。その揚げ句、ぽつりと小さく呟いた。 「助けるつもりなんて……なかったんだ」 悪戯を白状する、子供の様な口調。 「でもよ……、見えちまったら、引き下がれなくなったんだよ」 「……どういう意味だ?」 意味を図りかねて問い返すと、ポップはむくれたように押さえられたままの腕に力を込める。 「放せよ。そうしたら、おれも話すからさ」
ベッドの上に座り込み、開き直ったような口調で話すポップの言葉は、ヒュンケルにとっては衝撃的な事実だった。 いつもはラリホーマで眠りを深めてから近付き、改めて回復魔法をかけるのだが、今日はどういうわけか魔法の効き目が薄かったらしい。 「おまえに、一番最初に回復魔法をかけた日……あの時に気がついた。だから、あれからずっとやっていた」 前に、少女に殺されかけた日、ヒュンケルを助けたポップは気がついてしまった。ヒュンケルの負ったダメージはひどく深く、そうそう癒せるものではない。 ポップは、魔法に関しては天才的な勘の持ち主だ。大魔道士マトリフ直伝の呪文を使用できる事実が証明している様に、絶妙な魔法バランスとセンスがある。 他の誰でもない、ポップが細心の注意を払って根気よく魔法をかけ続ければ、ヒュンケルの傷は治せるかもしれない可能がある――。 「ヒュンケル。おめえが知っているかどうか分からねえけど、病気と怪我じゃ回復魔法の効き方が全然違うんだよ」 ポップの言葉に、ヒュンケルは異議を唱えられなかった。 「回復魔法ってのは、基本的に生物の中の備わった回復力や生命力を増幅させるものなんだ。 そう言いながら、ポップは自分の胸元辺りに手を当てる。 「おれのこの身体は……おれ自身には、治せないんだ。どうやったらいいのか、悔しいけど見当もつかねえ」 ポップのその判断も、ヒュンケルは否定できなかった。 「今のおれの状態って、多分、病気に近いんだと思う。じゃなきゃ、老衰っつーか……一応機能はしているんだけど、全体的に弱っていてきちんと働いてない感じなんだ。 いっそ人事のように淡々と言うポップは、自分が再起不能になったという事実に固執していないようにさえ見える。 「だけど、おまえは違う。 射る様な視線に、熱の籠った口調。 「おめえの身体なら……可能性が見えちまった。それなのに、なにもしないで諦めるなんて、おれにはできねえよ……!」
「…………」 いつの間にか、立場が逆転していた。 「…………事情は分かった。それでも、もう……治療はいい」 それは、苦渋の決断だった。 だが、自分の治療のためにポップが無理を重ねる方が、恐怖だった。それぐらいなら、治療を放棄した方がはるかに気が楽だ。 (また、怒らせてしまっただろうか……) 少しばかりの不安と共に、ヒュンケルはポップの様子を窺う。 だが、落胆させるようなことは、したくはなかった。 口にこそ出さないが、ダイを助けられなかったことを誰よりも悔いて、自分の責任だと思い込んでいるのはポップだろう。 だが――ヒュンケルにとっては予想外なことに、ポップは怒った様子も傷ついた様子もない。 「嫌だね。断るぜ」 あっけらかんとした、それでいて決して譲らない強さを含んだ口調。 「ポップ……ッ!」 「おっと、説教なんかされたって、聞く気なんかねえからよ。 ヒュンケルの先手を打って、ポップは確実に彼の一番痛い処をついてくる。 「嫌なら、おれについて来なければいい」 屁理屈に近いごり押しとはいえ、要所は押さえたその言葉にヒュンケルは反論を封じられてしまう。 「知ってるぜ。おまえ、どうせキメラのつばさを隠し持ってるんだろ?」 それが図星だったからこそ、ヒュンケルは黙り込む。 「言っておくけど、それを使うならおまえ一人で頼むぜ。おれは、そんな危ない橋なんか渡りたくねえからな」 今までずっと疑い、事実かどうか迷っていたことにはっきりとした答えを突きつけられ、ヒュンケルは息を飲む。 それは、ポップを追って旅に出た日から、ずっとヒュンケルが持ち続けてきた疑問だった。 ゆえに、重傷者や病人を移動呪文を運ぶなんて真似は、極力控えるのが普通だ。 移動呪文が負担になるのなら、キメラのつばさでの移動も同じく負担になるのではないか――その疑問を、ヒュンケルはずっと抱いていた。 キメラのつばさを使うのはかなりの確率で賭けだと思っていたし、無理やり連れ戻そうとすれば、ポップが移動呪文を使って逃げにかかるだろうと予測できたから。 アバンやレオナが追っ手を差し向けてこないのも、ヒュンケルの推理を裏付けているように思えた。 だが……薄々ながら気がついているのと、本人の口からはっきりと断言されるのでは、ショックの度合いが段違いだ。 「分かったんなら、諦めろって。 勝手なことを言いながら延ばしてくるポップの手に、ヒュンケルは躊躇する。 「おっと、遠慮なんかさせないぜ。だいたい、ただで治すなんて言ってない。 もはや勝手を通り越して、押しつけとしか言えない理屈である。 「さっきも言ったけど、おれはおまえを助けるつもりなんか、ない。 《続く》 《後書き》 |