「信じてくれ、とは言わねえよ。実際、おれ自身だって未だにあれはただの夢だったんじゃないかって、思う時があるんだから。 けどよ……おれは、見たんだ。 ダイの、行方をさ――」
そう前置きをしてから、ポップはぽつりぽつりと語り始めた。
ダイに蹴り落されたあの日――ポップは、夢を見た。 それは、不思議な感覚だった。 正直、ポップは最初、自分が今度こそ死んだのかと思った。
なぜなら、夢の中でポップが見たものは、一度、自分が死んだ時に見た光景……光溢れる雲の上の光景だったのだから。
(ああ、今度こそ御陀仏しちまったんだな)
真っ先に思ったのは、それだった。 結局、こうなるのだったらダイには悪いことをしたな、とチラリと思ったのは覚えている。
ダイが土壇場で自分を蹴り落したのが、自分を守ろうとしたからだと、ポップはすでに理解していた。 まあ、正直言えば大きなお世話だと思ったし、そうされて嬉しいどころか腹が立ちまくったりしたのだが、ダイの意図や気持ちは分かる。
だが――そうと分かっていても、言い様のない悔しさや悲しみは消しきれなかった。 死ぬのだけなら、構わなかった。 そりゃあ、ポップだってまだ死にたくはない。でも、ダイと一緒なら、別にいいかと思っていた。
置いていかれる方が、よほど辛い。 アバンに庇われ、そのままアバンが自己犠牲呪文を唱えた時のことを、ポップは忘れたことはない。 もう、二度と置いていかれるのは御免だ……そんな風に思っていたものを――。
(あのバカ野郎……!)
ダイも、ゴメちゃんの姿も見えない雲の上で、ポップはしばらくぼんやりと突っ立っていた。前もそうだった様に、勝手に足が動いてどこかに行くのかなと思っていたが、そうはならなかった。
ポップは、そこから地上を見下ろしていただけだった。 不思議なことに、厚い雲が足下を覆っているのに、ポップの目はその下に広がる光景を捕らえていた。
そこで見たのは、一匹の竜。 どんな闇の中でも目を引く、白く光り輝く鱗に覆われたその竜は、並の竜と違って神々しいまでに美しかった。
竜族特有の猛々しさよりも、優美さを強く感じさせるその竜は、どこか優しげな瞳をしていた。 たった一度見ただけなのに、目に焼きついて忘れられないその竜の名を、ポップは知っていた。
聖母竜――マザードラゴンと呼ばれる竜は、手に人間大程もある球を抱え、暗い海の上を飛んでいた。 竜の騎士を生みだし、竜の騎士がその生涯を終える時に迎えに現れるという、神の使い。 初めてバーンと戦った直後に、ダイを連れて行こうとしたその竜を、ポップは覚えていた。 前に見た時と同じように神々しく……だが、前に見た時とは段違いに傷ついた姿で、聖母竜は飛んでいた。
全身のあちこちに傷を負い、バランスが悪いせいか傾きながら飛ぶその竜は、それでも大切そうに腕に球を抱えていた。 あの時と同じように、ダイの入った球を――。
聖母竜は力を振り絞る様に、西へと飛んでいく。 不思議なことに、ポップの目には聖母竜が移動していく様子がくっきりと見えた。 かの竜は、ひたすら飛ぶ。
西の海へ。そして、とある小島へと向かっていく。周囲を複雑な海流の渦に取り巻かれ、霧に覆われたその島で、聖母竜は島の中央の湖に飛び込んだ。 湖の底で、球を抱えたまま身体を丸め、聖母竜は目を瞑る。その穏やかな表情と、彼らの身体の周囲を取り巻くわずかな光の輝きを見て、ポップはなんとなく悟った。
この湖が、聖母竜にとっては身体を癒す効果を持つことを。そして、その効果はダイにも及んでいた。 たゆたう水の底で、ダイは母なる竜に抱かれ、安らいで眠っていた。
(ダイ……ッ!)
叫んだつもりだったが、ポップの声はダイには届かなかった。 だが、大きな球の中で、ダイは確かに生きていた。目を閉じたままとはいえ、その胸が寝息で上下しているのを、見た。 瞼がわずかに、動くのも見えたのだ――。
それは、ただの夢だったのかもしれない。 瀕死寸前になるまで魔法力を使い、衰弱しきったポップが高熱に浮かされるままに自分に、都合のよい妄想を夢として思い浮かべただけなのかもしれない。
だが、あの夢こそがポップの希望だった。 ダイが、生きている。 そう思うだけで、元気が沸いた。自分自身が魔法をほとんど使えなくなったショックさえ、その喜びの前では霞んだ。
ダイの喪失に耐え、再び立ち上がる力をポップに与えてくれた。 だからこそ、ポップは意識が戻ってからすぐ、それを確かめたいと望んだ。体が治るのも待ちきれず、ダイの居場所を確かめるための旅を望んだ――。
「……なぜ、それを言わなかったんだ?」
ヒュンケルがそう言ったのは、ポップの話を聞き終わってから、ずいぶん経ってからのことだった。 ぶっきらぼうな言い方も、無表情なのもいつも通りと言えばいつも通りなのだが、どことなく責められているように感じるのは、ポップの気のせいか。
「だってよ……言えるわけねえだろ、こんな、ホントに夢みたいな話なんかよ――」
夢に大いに元気づけられたポップだったが、自分の見た夢を仲間達に告げるのには、ためらいがあった。 まず、確証がない。
夢を見たのはポップただ一人であり、しかも、見た夢を他の誰かに見せることなどできようはずもない。 まだこの夢を見たのがメルルであれば、説得力もあるだろう。今まで何度となく不思議な力で勇者一行に力を貸してくれた、神秘の占い師。
彼女が見た夢だと言うのなら、誰もが単なる夢だと思うまい。一種の予知として受け入れ、ダイ救出のために全力を注げるだろう。 だが、ポップはただの魔法使いだ、予知能力などありはしない。
意識が戻った後で、メルルと話した時にそれとなく聞いてみたが、彼女でさえダイの行方は全く分からないと答えた。 それだけに――ただの夢に過ぎないかもしれない自分の見た夢を、仲間達に話すのはためらいがあった。
なぜなら、ポップにはもう一つ見たものがあるのだから。 高熱にうなされながらも意識がフッと戻った時、ポップは現実の光景も見た。 おそらくは、倒れたポップの看病をしてくれていたのだろう。枕元の椅子に座り、美しい白い手を赤く腫らすのも厭わずにせっせとポップの額のタオルを変えてくれていた少女。
たまたまポップの意識が戻った時にそうしてくれていたのは、レオナだった。 こまめにタオルを替え、ポップの負担にならないように調節した回復魔法を時折かけるという看病をしてくれていた彼女は、ひどく辛そうに見えた。
ポップが意識を取り戻したことさえ気がつかないほど、彼女は疲れきり、打ちのめされているように見えた。 あの気丈な姫君が、ダイの名を呼びながら声を殺して泣いていた。
ダイの喪失に誰よりもショックを受け、なのにそれを人前で出すことのできなかったレオナが泣ける場所は、そこでしかなかったのだろう。 レオナの嗚咽を聞きながら、ポップはなんとか彼女を慰めたいと思ったが、意識を繋ぎ止めることができず、そのまままた眠りに落ちてしまった。
再び、ポップが目を覚ました時には、レオナはいつものレオナに戻っていたが……だからと言って、完全に立ち直ったとはとても思えない。 むしろ、レオナが気丈に振る舞っていればいる程、その奥に秘められた悲しみが深い証拠のように思えた。
だからこそ、ポップは夢を口にできなくなった。 自分自身は、いい。 ダイの行方がもし、ただの夢だったとしても……それには耐えられる。
もちろんがっかりはするだろうし、決して少なくないショックも受けるだろうが、それでも自業自得というものだ。自分自身の夢に振り回されただけだと、割り切れる。 自分の馬鹿さ加減を嘲笑い、現実を見ろと自分で自分を叱咤するだけですむ。
だが――レオナはどうだろう? ダイが生きていると聞けば、レオナは喜ぶだろう。 あの深い悲しみから、彼女を救うことができる。……しかし、それがただの夢だった場合、より深い絶望にレオナを叩き落とすことになりかねない。
それを、ポップは恐れずにはいられなかった。 どうせ打ち明けるのなら、それなりの確証を得てからの方が、いいだろうと思った。あれがただの夢などではなく、現実だというはっきりさせてからの方がいい。
なによりポップ自身が、自分の目でダイの無事を確かめたいと望んだ。 だからこそ、ポップは誰にも何も言わないまま、一人、旅立つ道を選んだのだ。
「…………バカなことを」
全てを話し終えた後、さっきよりも長い沈黙を置いた上でぽつりと呟かれたヒュンケルの言葉は、ポップを激怒させるには十分だった。
「なんだよ、その言い方は?! ああっ、くそ、だからてめえには話したくなかったんだよっ、どーせ信じないと思ったしよ!」
怒るポップの目の前で、ヒュンケルはゆっくりと首を左右に振る。そして、その口から聞こえたのはポップにとっては意外な言葉だった。
「いや。信じるさ」
「え?」
「おまえの言葉なら、オレは信じた」
いつものように静かに、嘘とは無縁なきっぱりとした言葉を、ポップは目を丸くして聞いていた――。
(……本当に、馬鹿馬鹿しい程分かっていない奴だ)
驚きにきょとんと目を見開いているポップを、心底呆れた思いで、ヒュンケルは見つめる。 前から、ポップの自己評価が妙に低いのには気がついていたが、己を知らないにもほどがあると言うものだ。
そんな理由なら、誰にも、何も言わないまま旅に出る必要などなかった。 ポップの言葉なら、誰もが信じただろうに。 言っては悪いが、メルルの予知よりもよほど強く、仲間達の心を動かすだろう。
その話をしていたのなら、ポップの旅立ちも割とすんなりと決まったかもしれない。無論、あれほど弱っていたポップをそのまま旅立たせるのは問題だし、付き添いだの行動制限を設けただろう。
だが、それでもポップを信じて、彼の望みに添う形で全力で力を貸したに違いない。 勇者一行にとっては自明の理であり、誰もが諸手を挙げて賛成するであろうそんな当たり前の事実を、当の本人であるポップだけが自覚していないとは。 こんな、バカげた話はない。
「オレだけじゃない。皆も、それを聞けば信じるだろう。 それに、そうすれば協力も得られる」
促すと、ポップは少し考え込む素振りを見せた。 だが、その首を小さく左右に振る。
「……そのうち話すよ。でも、さっきも言ったろ、まずはオレの目で確かめてからだ」
強い光が、ポップの目に浮かんでいた。 決して後には引かない、不退転の決意を込めた光。誰もが絶望したバーンの前でさえ、ポップが最後の最後まで失わなかった光だった。 その目と、ヒュンケルの戦士としての本能が教えてくれた。
「――戦いが、待っているのか?」
ポップの顔に浮かんだ驚きは、すぐに消える。
「ああ、多分な。 だから、最低限の戦力ぐらいは欲しいと思っていたんだ。まあ、いざとなったら自分でなんとかするつもりだけどさ、手は多い方がいいじゃん?」
軽い口調とは裏腹に、その決断には多大な勇気が必要だったに違いない。 魔法をろくに使えないポップにとって、戦いは命取りになりかねない。だが……そうと知っている癖に、ポップには何の迷いも見られなかった。
「……一人で、行くつもりだったのか?」
「いいや。元々、ダイの居場所を突き止めたなら、みんなに話すつもりだったし、その時は手を借りる予定だって。 別に、無茶なんかする気はねえよ。おれだって馬鹿じゃねえんだ、ヤバいと思ったら一度引き返すつもりぐらいあるって」
「…………」
正直、今の言葉に関しては、ヒュンケルはさっきと違って素直に信じることはできなかった。 他のことならさておき、自分自身の身の安全と言う面においては、ポップの自己評価は今一歩どころか全然当てにならない。
ましてや、ダイを助けるためにはポップはとんでもない無茶をしでかす傾向がある。感情に任せて、ポップが何度無茶を繰り返したことか。 だが、ここでポップを説得したところで、意味がないのはヒュンケルにも分かっていた。
なにより、ポップ自身が強く望んでいる。 他ならぬポップが、ダイに会いたいと望んでいるのだ。 いくら止めようとも、ポップがじっとしていられるはずがない。他人に任せず、自分自身の目で確かめようとするだろう。
ならば、それを叶えるために力を貸してやりたいと思う。 だからヒュンケルは、わずかに瞑目した後で尋ねた。
「……その言葉に、嘘はないな?」
本来は、それは聞くまでもない質問だと分かっていた。 今のポップが嘘などついてはいないことは、ヒュンケルには直感で分かる。だから、念を押したのはポップ自身の口から、保証を受けたかっただけのことだ。
「約束しろ。 オレは、おまえの望みのために手を貸そう。そのために必要な治療なら、甘んじて受けよう。 だから……決して、一人で無茶をするな」
それは、ヒュンケルにとっては決して譲れない、ぎりぎりの譲歩。 敵対者に見せるような気迫さえ滲ませて返答を待つ兄弟子に対して、弟弟子は軽く肩を竦めてみせた。
「ああ、約束してやるよ。 ダイを見つけるまで、おまえと一緒に行く。それまでは癪だけど、おまえの手を借りてやるよ」
助っ人を頼むにしては、あまりに軽く、そしてあまりに尊大な言い分ではあったが、ヒュンケルは気にならなかった。 軽口だろうと何だろうと、ポップの約束を聞いてずいぶんと心が軽くなったのだから。
「ああ、いくらでも貸そう。存分に使え」
そう言いながらヒュンケルは実際に手を、ポップに向かって差し延べる。今、この場でその手を貸すことも厭わないと言わんばかりに。 その手を見て、ポップは笑いながら自分も手を伸ばしてくる。
「へん、言ったな。じゃ、遠慮なんかしねえからな」
握手をするかのように近付いた手は、寸前で気を変えた様に拳を作り、こつんとぶつけられる。 ずらされたタイミングに拍子抜けを感じながらも、ヒュンケルもまた手を拳に握り変えてそれに合わせた。
こつんと、魔法使いの拳と戦士の拳がまるで乾杯でもするかのように、空中で打ち合わせられる。
「約束だ。おれは、絶対にダイを探しだす」
「ならば、オレはそれに力を貸そう」
ぶつけたお互いの拳を見つめながら、ポップとヒュンケルはそろって不敵な笑みを浮かべていた――。 《続く》
《後書き》
この二人旅シリーズでは、ダイの生存の確認方法やダイがいる場所がメインルートとは大幅に違っています。
ダイが聖母竜に救われて、どこかで眠りに就いているパターン……これも好きなパターンなんです♪ その割には、メインルートではヴェルザーと一緒だったりしますが(笑)
ところで余談になりますが、聖母竜の話などを。 ○ャンプのカラーページにたった一度しか登場せず、コミックスの表紙にも出番なしで終わってしまったため、今となっては知っている人は少なくなったかもしれませんが、聖母竜は白竜です。
ポップやダイが一度死んだ時、雲の上のような場所に行くシーンがありますが、その雲に溶け込むような色合いの綺麗な竜です。 あの竜のカラーを、もっと見たかったという希望がいまだに捨てきれません。
一度でいいから、冥王竜ヴェルザーと聖母竜のカラーを見てみたかったですっ! 大判コミックスサイズ、カラー完全再現、さらには書き下ろしイラストや解説付ののダイの大冒険再版本が出たら全巻買うのにな〜と、心の底から思いますっ。
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