『背中は預けたぞ』 |
「……すげえ……」 掠れた様な声が、ポップの口から漏れる。その目は、大きく見開かれたままだ。 小さな湖の周囲に、そこを取り巻く様にずらりと建ち並ぶ怪物の大群。 地上の怪物達よりもずっと強靭であり、強さも狡猾さも持った恐るべき怪物達。しかも、ここにいるのは一匹や二匹ではない。 もし、何も知らぬ者が見たのならば、目を疑うか、でなければあまりの恐ろしさに驚愕するばかりだっただろう。 その表情には、ヒュンケルは見覚えがあった。 「へへっ……おい、見ろよ。すげえ光景だと思わねえか?」 恐怖がないわけではないだろうに、少しおどけた口調で強がる態度。それに応じて、ヒュンケルも短く答えた。 「ああ。壮観だな」 元魔王軍に在住し、後に人間の味方として魔王軍と戦ったヒュンケルでさえ、これほどの大群の怪物が一か所にそろうところなど、そうそう見た記憶はない。 魔王などの上位の存在からの思念派での命令を受けない限り、種族の違う怪物が一か所に集うなど有り得ない。 「ホントだよな……本当に、こんな光景が見れるなんて思わなかったぜ」 怪物の群れを見ながら、ポップは小刻みに震えていた。 今のポップを震わせているのは、怯えの感情のせいではない。抑えられない歓喜が、ポップの身を震わせている。 通常では有り得ないこの光景は、ポップの見た夢がただの夢ではないという立証に他ならない。 まさにその小島にやってきて、こんな光景を目の当たりにするとは、予想外もいいところだ。 怪物が……それも、本来ならば地上で見るはずもない魔界の怪物が、理由もなく集まる訳はない。しかも、ここに集う怪物達はみんながみんな、湖に気を取られている。 狼の狩りは、特殊だ。 獲物が弱り、抵抗できなくなる状態になるまで追い詰め、それから集団で一斉に襲いかかるのだ。 どの怪物達も例外なく湖に気を奪われ、背後にいるポップ達に気がつきもしない。中には待ちきれないとばかりに湖に飛び込もうとする怪物もいるが、抜け駆けは許さないとばかりに他の多くの怪物に襲われる。 湖に惹きつけられながらも、湖に入ることを互いに牽制し、争い合うせいで、かえって怪物の均衡が取れているのは皮肉な話だった。 この小島はデルムリン島のように絶海の孤島ではなく、陸地からさほど離れていない場所にある。 怪物達がその気になれば、大挙して港を襲うのは簡単なはずだ。だが、空を飛ぶことのできる怪物でさえ、この湖を気にして移動しようとはしない。 「……ちくしょう、飛べさえすりゃ簡単なんだけどよ……!」 悔しそうに、ポップが呟く。 だが、それは危険を伴う一か八かの賭けになる。
「強行突破、が妥当だろうな……」 力押しで戦うしかできない戦士として、その発想は当然だった。正攻法は、どんな時であっても有効な定法なのだから。 前よりも格段に身体が弱り、戦いには向かなくなったと分かっていてでさえ、その強気は失われなかった。 ヒュンケルにしてみれば、魔界の怪物は恐れる対象ではない。確かに地上の怪物に比べて強靭であり、未知の能力を持っている場合が多いとは言え、それでも倒せない相手とは思えない。 不安の源は別にある。 「心配すんなって、今日は体調がバッチリなんだ。まあ、さすがに大呪文は無理でも、援護ぐらいならできるって」 口先だけは立派なものだが、力こぶもできない様な細腕で薄い胸を叩いてみせるその仕草は、頼もしいとは言い難いものがある。 「それに、策もある。ちょっと耳を貸しな」
「言っておくけど無茶するんじゃねえぞ」 打ち合わせが済み、それぞれが武器を手にして準備を整えた後で、ポップが念を押すようにそう言った。 いくら治療しているとは言え、それはまだ途中であり、到底完治したとは言えない状態だ。 例えるのであれば、壊れた壺のかけらを合わせてヒビの入った場所を塞いだような状態だ。一見、問題がないように見えるし、使えない訳ではない。 だが、ヒビが完全に塞がった訳ではないから、無理をすれば再びかけらがバラバラになり、砕けてしまう――そんな風に、ポップは説明した。 それは前と同じように戦うことはできても、前と同じように敵の攻撃を食らうことはできない、と言う意味だ。以前ならば耐えることのできた攻撃も、今のヒュンケルにとっては致命傷になりかねない。 前より劣る攻撃力や身体能力で、なおかつ敵の攻撃を全て躱しきらなければならない――その難しさを承知していながら、ヒュンケルは少しも怯まなかった。 「……その言葉、そのままそっくり返す」 ヒュンケルのその言葉に、ポップがちょっとムッとした顔を見せる。だが、即座に文句を言い返さないところを見ると、本人にもそれなりの自覚はあるのだろう。 ポップも魔法を使えないという訳ではない。 敵に近付かず、大軍を一掃できる便利な呪文はこんな場でこそ最大抗力を発揮する。それができるのなら、最初からポップはその作戦を上げていたはずだ。 しかも、今のポップは移動呪文の類いは、反動が大きすぎて一切使えない。それがどれ程ポップにとって不利な条件か、ヒュンケルは知っていた。 今までも戦いの最中、ポップは細かいところで移動呪文を使用していた。敵の攻撃を躱す際や移動する時、自分の肉体能力に少し上乗せするような形で、微妙に魔法力を使っていたのだ。 それができるからこそ、ポップは戦士と並んで前線に立つことができた。 敵の攻撃に対して防御力がないと言う点に関しては、ポップはヒュンケルよりも分が悪い。元々、魔法使いの肉体は一般人と大差がない。 敵の攻撃を一撃でも食らえば、そこで終わり――最初っから背水の陣を引いた状態で、ポップとヒュンケルは戦いを挑もうとしていた。 まず、先陣を切るのは戦士の役割だ。 自分自身が研ぎ澄まされた剣へと変化していくような感覚を、ヒュンケルは久々に感じ取っていた。 身体が沸き立つような高揚感に、その癖、頭だけは冷静に冷えていく爽快感――自分はやはり戦士なのだと実感できる。 「ブラッディースクライド!」 螺旋状に伝えられる闘気が、渦を巻いて敵へと襲いかかる。 敵が一番密集していた部分を目掛けて放った技は、その斜線上にいた全ての怪物を飲み込み、吹き飛ばす。 それは、湖にまで一直線に続く花道だった。 湖に向かって、一直線に。 「ギィイイイッ!!」 奇声を上げて飛び掛かろうとする怪物にむかって、ポップの放った魔法が炸裂する。 「イオラッ!」 魔法力が大気中の成分を合成変換し、一定範囲内の空間に爆発を引き起こす。中級呪文とはいえ、ポップの基礎魔法力は並のものではない。 しかも連続して呪文を唱えるポップを、止めることのできる怪物はいなかった。 それを好機と見たのか、何匹の怪物が奇声をあげて襲いかかる。 「後ろは見なくていいぞ、ポップ。おまえは、おまえのやるべきことをやれ」 剣を構えたヒュンケルは、そこにはいた。 「へっ……任せらぁ。背中は預けたぞ」 背中越しにかけた言葉に、返事はなかった。 だからこそポップは敵に周囲を囲まれているという不安や焦りを感じることなく、生すべきことに集中できた。 ポケットから取り出した小瓶を周囲にざっと振り撒き、簡単に線を引く。途切れがちな上に歪んでいるが、曲がりなりにも円になるように聖水を振り撒いた後、ポップは魔法力を高めて叫んだ。 「邪なる威力よ、退け! マホカトール!」 ポップの叫びに応じて、近くにいた怪物達を弾き飛ばしながら光り輝く魔法陣が生み出される。ポップを中心とした、直系三メートル程の大きさにすぎないが、そこは光の結界に覆われた場所だ。 そこに立つポップやヒュンケルにとっては、何の害もない場所。 それを目で見送ってから、ヒュンケルは敵に向き直る。 それらの攻撃を使う怪物がいるなら、排除しておく必要がある。それに、ポップが戻ってくる時のスキを突かれないように、用心するのはもちろんだ。
できるだけ呼吸を持たせようとしながら、ポップは下へ、下へと潜っていく。湖の水は冷たくて閉口したが、思っていたよりもすんでいる綺麗な水なのは幸いだった。 湖の底に沈んでいる、光り輝く巨大な白竜。 残念なことに、聖母竜がかばっているせいで球の中身はよくは見えなかったが、おぼろげに見えるだけでも十分だった。 (間違いねえ、ダイの奴だ……!) どんなに離れていても、また、チラッとしか見えなくても、ポップには分かる。 それはほとんど透明であり、手で触れて初めて存在しているのが分かるものだった。まるでスライムの様に、ぐにゃぐにゃとした柔らさと弾力性を備えた膜だ。 心の底から望み、やっと目の前まで辿り着いた目的を目の前にしたというのに、自分の力ではどうしようもできないことで道を阻まれている。 (ダイッ……!) 水の中だと言うのも忘れて思わず呼び掛けようとしたせいで、口から気泡が零れて上へと零れていく。 「……!」 驚くポップの目の前で、聖母竜は何度か目を瞬かせる。その度に、ポップの頭の中に直接聞こえる声があった。 『力を……貸して……さい……』 それは酷く不明瞭で、聞き取りにくいものだった。だが、それでも確かに聞こえる声だった。 『……今は……まだ……時が…来ていない……』 (どういうことだ?) 聞き返したいこと、言いたいことは山ほどある。 しかし、ポップの肺活量ではもはや限界いっぱいだった。息苦しさのせいで、頭の奥が痛い。 『……満月…の夜に、もう……一度ここに……』 その言葉を最後まで聞いたかどうか。ゴボリと息を吐きだしてしまったのと同時に、意識が薄れていくのをポップは感じていた――。
定期的にかけられる声と、同じく定期的に胸を圧迫する重み。そのどちらに先に意識が呼び戻されたのか、ポップには分からなかった。 「ぶっ、ぶはっ、なにしやがるんだっ、てめえ?!」
「気がついたか……」 「え? あ、あれ?」 自分の周囲を見渡して、ポップはようやく現状を悟る。 どうやら気絶した自分をヒュンケルが助けて、ここまで連れてきたらしいとやっと思い当たる。 (でも……一応は礼ぐらい言った方がいいのかな、こいつに借りを作るのも癪だし) などと、ポップは少しばかりためらいやらこだわりがあるが、ヒュンケルはポップが意識を取り戻した途端、剣を手に取り怪物達の方に向き直る。 「それで、どうだった?」 それを聞いた途端、ポップの意識も切り替わる。今の気まずさや男の体面などよりも、もっと大事なことがある。 「ああ……、バッチリだったぜ。ここには聖母竜が確かにいた……! それに、ダイも……っ。ダイを、もうじき取り戻せるんだ――!!」 《続く》
思えば、ヒュン兄さんの必殺技シーンを書いたのは初めてです! …しかし、漫画だとあの手の必殺技は一目瞭然でかっこいいのですが、文字で表現するにはキツいんですよね、これが。 ところで、裏の恋愛成立後設定では、ポップは水が苦手になって泳げない設定になっていますが(笑)、このサブルートでは泳げます。
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