『いつか、繋がる物語 6』

  

「不死騎士団長のヒュンケル殿にこんな場所にまでお越しいただけるとは、実に光栄ですな。
 何か、飲み物でも用意させましょうか?」

 表面上はそつなく客を歓待する態度を見せながらも、ザムザは内心では目の前にいる男を見下さずにはいられなかった。

(ふん、人間風情めが……!)

 彼は、自分の様な生粋な魔族のエリートとは違う。
 魔法など一つも使えない、ただの人間にすぎない。それにも関わらず彼は魔王軍の六団長の一人に抜擢され、幹部と認められている。

 なんでもバーンの腹心であるミストバーンのお気に入りであり、その剣の腕を大魔王バーンに買われたと聞く。
 だが、それはザムザにとっては不快なまでに分不相応な待遇であり、有り得ない不平等としか思えないものであり、不満の種でもあった。

 ザムザ自身も魔王軍に関わる一員であるが、彼は幹部とは程遠い。
 同じく魔王軍六団長の一人である、妖魔士団長ザボエラの息子である。一応、ザボエラつきの部下として妖魔学士という地位こそ得ているが、幹部の一人であるヒュンケルに比べれば確実に下位だ。

 バーンへの目通りも叶ったこともないし、魔軍司令であるハドラーともそうそう話した機会すらもない。
 野心や上昇志向の強いザムザにとっては、それはひどく悔しいことではあった。

 だが、ザムザがその地位の低さに甘んじているのは、ひとえに尊敬する父親……ザボエラのためだった。

『切り札とは、秘しておいてこそ役に立つものよ。おまえは今は力と知識を蓄え、いつかワシのために役に立つ道具となれ……!』

 まだ幼い頃に受けたその指針を胸に、ザムザはザボエラの命令に従い、表立って動けない父に代わって裏方の仕事を引き受けてきた。
 それに対して、ザムザは微塵の後悔もない。むしろそれこそが喜びと思い定め、ザボエラの命令に忠実に従っていた。

 盲信といってもいい程に父親を慕うザムザは、ザボエラ本人こそがザムザが上層部と直に接するチャンスを奪っている張本人だとは気がついてさえいない。
 ただただ、ザボエラの命令に従うのみだ。

 子供を誘拐しているのも、ザボエラの命令に従ったからこそだ。
 ザボエラが密かに研究している、超魔生物の研究――そのためには、魔法力の高いモルモットが必要だった。

 それも、若い実験体ほど望ましいというのが、ザボエラの意見だった。
 融合実験の適合率を高めるためには、細胞分裂の活発な若い実験体が最適だ。そのために、ザボエラは魔法力の高い人間の子供の誘拐を命じた。

 単に魔法力が高い者という条件だけなら、魔族の方が適している。だが、若くて魔法力の高い者を、地上で探すのは難しい。
 そもそも、魔族とは魔界に生まれるものだ。成長し、充分に力を身につけてからでなければ、まず地上に来ることはできない。

 地上に存在する魔族の大半は、すでに長い時間を生きているものがほとんどだ。彼らの数はそう多くはないし、ザボエラも彼らを実験体にするのには、諾わなかった。
 無論、それは良心的な理由からではない。

 味方を裏切ったり陥れるのを日常茶飯事とするザボエラが、配下を使い捨てるのをためらうはずがない。
 ただ、もうじき始まるであろう戦いに備えて、便利に使える配下の数を減らすのは避けたいという、極めて実際的、かつ利己的な理由ゆえの反対だった。

 よって、実験が軌道に乗るまでは、間に合わせに人間を使いたいというのがザボエラの結論だった。
 その命令に従ったからこそ、ザムザは噂や金をばらまき、人間の子供をこっそり誘拐するという作業を繰り返してきた。

 ヒュンケルを歓待するのも、元はと言えば父の命令に従うからこそだ。
 ザボエラは六団長と正面きってやりあう意志など、持っていない。むしろ、表面上はうまく取り入って利用したいと考えている。
 ならば、ザムザとしても問題を起こす訳にはいかなかった。

「あいにく仮寓につきロクなものはありませんが……ああ、ワインなどはいかがですか?」
 表面上はそつなく――だが、言葉の端々や態度から、侮蔑が隠しきれずにこぼれ落ちる辺りがザムザの若さというものだろうか。
 しかし、ヒュンケルはそれ以上に若かった。

「いらん」

 素っ気ないにもほどがあるほど素っ気なく、ヒュンケルが切り捨てる。

「オレはここに、茶のみ話をしにきたわけではない。抗議に来ただけだ」

 前置きを入れず、ずばりと話を突きつけてくる性急さに、ザムザはかすかに舌打ちをする。

「このパプニカは、オレに攻略を任された場所だ。その場所で、あまり勝手なことをするな」

 淡々とした口調ながら、その中には抑えた怒りと不満がはっきりとこめられていた。

「おや、それはそれは。ご重責でございますな。ですが、私はパプニカの戦略に関わるようなことは一切しておりませんし、そのつもりもありませんが」

「ごまかすな。おまえがここで何をしているのか、オレが知らないとでも思っているのか? 子供の誘拐などという卑劣な真似は、即刻止めてもらおうか」

 駆け引きを全くしようともせず、直接に自分の意思だけをぶつけてくるヒュンケルは、ザムザにとっては苦手な相手だった。
 六団長の中で、一番苦手と言ってもいい。

 大魔王バーンが地上に居を構え、魔王ハドラーを魔王軍司令へと据え、六団長を揃えさせたのはほんの二年前のことだ。だが、バーンは基本的に、配下に表立った動きを控えさせている。

 そのせいで怪物達も穏やかなものだし、未だに人間達は魔王が復活したことすら知らない。
 いずれ、時が来たのなら存分に活躍してもらう――その言葉を信じて、魔王軍のメンバーは各自が自分達の軍団の力を高めていた。

 決起の時は、そう遠くはないと聞いていた。そして、人間達と戦いが始まる時は、六軍団長達がそれぞれ別個の国へ攻め入るという話も聞いていた。
 だが、よりによってヒュンケルがこのパプニカを攻める役割を担うとは、ザムザにとっては計算違いもいいところだ。

 これが、武骨だが実直なクロコダインや、野心家で合理主義者のフレイザードならば、口先を駆使して丸め込むこともできただろう。
 ミストバーンやバランならば駆け引きは通じないかもしれないが、その代わりザムザが何をしようが気にも止めない度量を持っている。

 基本的に、彼らは戦いを本分とする戦士達だ。
 戦闘に関わらない人間への関心は薄い。
 まあ、騎士道精神を持つクロコダインやバラン辺りは、戦う力も無い子供をさらうなどという行為に眉を顰めそうな気はするが、それでもあえて止めはしないだろう。

 弱い者が、戦いに巻き込まれるは必然。
 そもそも人間達に戦いを挑む以上、戦渦に巻き込まれる子供が発生するのは、当然のことだ。

 戦いと犠牲は、切り離せるものではない。
 人間への戦いをしかけながら、それでいて人間の子供を誘拐する事だけを不快に思うなどとは、ただの偽善か感傷にすぎないと割り切るだけの分別を持ち合わせている。

 だが、ヒュンケルは非戦闘員の犠牲は必然と割り切れる程には、成熟しきってはいないのだろう。
 縄張りを荒らされる不快感よりも、無力な子供を誘拐するという手段そのものを卑劣と嫌っている節がある。

 ヒュンケルの立場なら、直接ハドラーかザボエラに異議を申し立てれば良いものを、わざわざ自分で足を運んできてまで抗議する程、こだわらずにはいられないのだから。
 ヒュンケルのその感情の動きは、ザムザは甘さとしか思えなかった。

(ふん、所詮は人間ということか……)

 人間を嫌い、人間を裏切って魔王軍入りまでしておきながら、未だに人間にわずかにでも心を残すとは、なんたる愚か者か。
 心の底からヒュンケルを軽蔑し、嘲笑いつつも、ザムザは勿体ぶって一礼して見せる。
「……いいでしょう、ここは不死騎士団長様の顔を立てるといたしましょうか。確かに、計画前にあまり派手に動き過ぎて、人間に余計な警戒されても面倒ですしね」

 一見譲歩したかに思える言葉だが、実際にはそれは譲歩でも何でもなかった。
 たとえヒュンケルが来なかったとしても、ザムザはもうこれ以上子供を誘拐する気などなかった。

 条件に適ったモルモットが、やっと見つかったのだ。
 となれば、ここに長居する理由などない。それどころか一刻も早くここを引き払い、ザボエラの元に子供を届ける必要がある。

 だが、そんな事情を素直に打ち明けるより、ヒュンケルに恩を着せる形で退いた方がいいと計算した上で、ザムザはわざとらしくその点を強調する。
 そんなザムザのあざとさが分かるのか、ヒュンケルの目つきが一層険しくなるが、彼が文句を口にするよりも早く、場違いにのんびりとした声があげられた。

「ヒョッヒョッヒョッ、お話が丸くまとまったようでなによりでございますな」

 そういったのは、ヒュンケルについてやってきた腐った死体だった。
 どこかユーモラスで、場を和ませる雰囲気を持った怪物は、にこやかに言葉を続ける。
「おや、これはご挨拶が遅れて失礼を……お初にお目もじ致します、ザムサ様。わたくしは、ヒュンケル様の配下のモルグと申します。貴方様のご父君、ザボエラ様にご伝言を預かり、まかり越しました」

 ゾンビとは思えない丁寧さで一礼したモルグは、封をしたままの手紙をザムザへと恭しく差し出した。

「なに、父上からの!?」

 さっき、ヒュンケルの来訪を迎えた時とは比べ物にならない熱心さで、ザムザはその手紙を受け取り、その場で封を切って目を走らせる。
 短い手紙は、モルモットの入手を急げと催促をするものだった。

 実験がちょうど佳境に入り、早急に新たなモルモットが必要だと急かし立てる手紙を熱心に読むザムザに、モルグはのんびりとした調子で声を掛けた。

「もし、必要な様でしたらご返答をザボエラ様にお届け致しますが、いかが致しますか?」
「うむ……」

 父の手紙を見つめながら、ザムザはちらりと床に目をやった。
 正確に言うのならば、いまだに気絶して、床に倒れたままの魔法使いの少年を。
 自分自身もザボエラの研究の助手をしていたザムザには、分かる。

 この少年ならば、ザボエラが望むモルモットにはもってこいだと、確信できる。研究を最優先で思うのであれば、この場はこの少年をヒュンケルに預け、先にザボエラに届けてもらうのが得策だろう。

 手紙を読む限りは、ザボエラもそれを期待しているように思える。
 だいたい、元々の予定では一週間後にモルモットを連れ帰ることになっているのに、それさえ待たずに急かすぐらいだ、よほど切迫しているのだろう。

 無論、父親が望むのであればザムザも急ぐのに不満はない。
 しかし、ここを引き払うのであれば、すぐに移動するわけにもいかない。魔族がいたという根拠を消し、不必要となった子供の処分も考えなければならない。

 いくら急いだとしても2、3日の手間は掛かる。ほんの2、3日とはいえ、待つ身には長く感じるもの。

 ましてやザボエラはかなり短気な性格だし、実験途中でモルモットを必要としているのであれば、一刻も早い到着を望むものだ。
 だが――最善の道は見えていても、感情がそれに添うとは限らない。

『よくやった、ザムザよ。それでこそ、我が息子じゃ!』

 ザボエラにそう褒められたい――その想いが、ザムザの根底にある。
 それだけに、直接この魔法使いの少年を届けて、ザボエラ直々に褒められるという望みは捨てがたいものだった。
 しばし躊躇した揚げ句、ザムザは勿体をつけて言ってのけた。

「そうですな……それでは『畏まりました。2、3日のうちに、ご希望は叶えられるでしょう』とでもご伝言願いましょうか」

 ザムザのその答えに、モルグは確かに承ったと、丁寧に一礼した。


 


 


 ザムザは、知らない。
 この時、彼が下した決断が、自分自身とポップの運命を大きく変えたという事実を。

 もし、ヒュンケルにポップを託してザボエラに一足先に渡してもらうという手――もし、そうしていれば、この先の道は大きく変わっていたかもしれない未来があった。

 ザボエラの研究テーマである超魔生物が、本来の歴史よりも早く完成するという未来が。 元々、超魔生物の研究理論は、他の魔族に比べて肉体強度に劣る妖魔師団を強化するための研究だ。

 つまり、魔法力のみが突出し、肉体が脆弱な者こそがもっとも実験に相応しいモルモットと言える。
 ポップをモルモットとして実験していれば、超魔生物の完成は早まっただろう。

 ダイが最強の剣を手にするよりも早く、ハドラーが超魔生物として完成される未来も、有り得たかもしれない。
 そして、その前にダイが倒される未来も在りうる。

 未完成な試作品として作り出された超魔生物ポップは、勇者ダイにとって切り札的な意味を持つことになるだろうから。
 自分の意思で魔王軍に身を投じたアバンの使徒、ヒュンケルに対してでさえ戦いをためらったダイにとって、もう一人の兄弟子と戦うのは非常に辛い選択となったはずだ。

 魔王軍に誘拐され、無理やり実験体にされたポップに対して、ダイが同情の念を抱かないはずがない。
 もしかしたら有り得たかもしれない、人間達にとっては最悪の、そして魔族にとってはこの上なく幸運な未来の一つ……それが、今、回避された事実を、ザムザは知らなかった。

 


 そしてもう一人、運命をこの場で選択した者がいた。
 ザムザが一つの未来を知らず知らずの内に選択したように、ヒュンケルもまた、この時、一つの選択肢を選ぼうとしていた。

 





「承知致しました。それでは、しかとザボエラ様にお伝え致しましょう。それで、よろしいですか、ヒュンケル様」

 配下からの確認の言葉に、ヒュンケルは生返事を返す。

「ああ……」

 正直、ヒュンケルにとってはザボエラとの連絡などどうでもいい。彼は、檻の内外にいる子供達に注意を奪われていた。
 怯え、声を殺しながら泣いている子供達の声を聞いていると、奇妙に落ち着かなくなる。――そう考える自分に、ヒュンケルは驚きすら感じていた。

 ヒュンケルは、人間を憎んでいる。
 人間を……というよりは、人間が信じたがる正義という存在を、と言う方がより正しいだろうか。

 ヒュンケルにとって、人間の身でありながら、人間の国を攻め滅ぼすことに迷いはない。 だが、それでも、魔族のやり方や思考に全面的に賛成している訳ではない。
 無力で、抵抗の力も持たない子供を誘拐するなどというやり方には、虫酸が走る。

 パプニカ攻略を任された不死騎士団長として、ザボエラが子供達の誘拐事件を起こしていると知った際、ヒュンケルは強い不快感を覚えた。
 その気持ちを抑えきれず、即刻抗議し、止めさせるようにと脅しをかけた。

 ヒュンケルの要求に、ザボエラは嫌とは言わなかった。拍子抜けするほどあっさりとヒュンケルの言い分を受け入れ、計画を実行している息子に作戦の停止を言いつけると承知した。

 だが、それだけでは、ヒュンケルは満足できなかった。
 ザボエラ本人が移動魔法呪文の使い手でもあるし、配下にも魔法使い系の怪物を多く従えている。

 それなのに、あえてヒュンケルが直接伝言を伝えにきたのには、ザムザに圧力を掛け、少しでも早く誘拐などと言う忌まわしい行為を止めさせるためだ。

「それで、あの子供達はどうするつもりだ?」

 威嚇の意図を込めて睨みつけるヒュンケルに対して、ザムザは興味なさそうな視線を奥へと向ける。

「ああ、そうでしたね。必要なモルモットは、この子だけで十分に間に合いますからな。他の子供は適当に処分しておきましょう」

「処分……だと?」

 ヒュンケルの顔に浮かんだ一瞬の衝撃や苦悩の色を、ザムザは見逃さなかった。そんなヒュンケルの人間味を嘲笑うがごとく口端を歪め、皮肉たっぷりに言ってのける。

「おやおや、随分と瑣末なことを気にするものですな。ですが、ご安心を……こう見えても私も学者の端くれですのでね、不必要な殺戮などは趣味ではありませんよ。
 まあ、ゴミも同然な者など殺しても構いませんが、ここでは死体の処理が面倒ですから」

 ザムザの言い方に不快は感じたものの、ヒュンケルはそれに関しては特に異議を唱えなかった。
 ザムザやザボエラの思惑はどうであれ、子供達はとりあえずは開放されるらしい。それならば、それでいいと思える。だが、――たった一人だけはそうもいかないようだ。

「………………」

 ザムザのすぐ足下に倒れている少年を、ヒュンケルはよくは見なかった。敢えて目を逸らしている、と言った方が近い。

 気絶しているのかぴくりとも動かないその少年は、他の子供と違って助けを求めて泣いているわけではない。
 しかし、彼こそが最も助けを必要としている――。

「…………」

 迷いが、ヒュンケルの心を揺らす。
 人間を憎む心とは裏腹に、子供を見殺しにすることをためらう気持ちが、ヒュンケルの中には存在していた。

 捨てようとしても捨てきれない人間としての感情と、魔王軍の軍団長としての振るまわねばならない気負い……その両者の間で、心が揺らぐ。
 ヒュンケルのその迷いは、そのままなら前者に傾くこともあったかもしれない。
 だが、ザムザの嘲りじみた言葉が、心のバランスを傾けた。

「おやおや、どうなさいましたか? まさか、不死騎士団長ともあろう方が、人間の子供ごときに情けをおかけになるとでも?」

「……ッ! そんなわけがないだろう!」

 苛立ちに声を荒らげ、ヒュンケルはザムザや子供達に背を向ける。

「要件は、それだけだ。パプニカ後略の邪魔にならぬよう、できるだけ早く撤退しろ」

 それを捨て台詞に、ヒュンケルは疚しい気持ちから逃れるかのように、早足にその場から立ち去った。
 そんな彼を、ザムザは面白い見せ物でも眺めるような目で、見送った。

 ザムザにとってみれば、今のヒュンケルの言動全てが、愚かしい人間の証明としか思えない。
 だが、見る人によっては、それはまったく違う意味となって目に映るものだ。

 足音も高らかにザムザの元から離れていくヒュンケルの後を、モルグは忠実に追いかける。
 ザムザからある程度離れた所までくると、モルグは静かに、短い言葉を口にした。

「ヒュンケル様は、お優しい。それを、誇られてもよろしいかと思いますが」

 短くはあっても、主君の行動を認めようとする、尊敬の籠もった言葉。だが、配下の気遣いすらも、今のヒュンケルには受け入れなかった。
 

「……黙れ!」

「これは、失礼を申しました」

 主君の命令に対して、モルグは忠実に従う。
 かくして、二人は無言のままザムザの元を去った。





 

 それが、現実に起こったこと。
 だが――もし、ヒュンケルがこの時、ポップを助けようとしたのなら。いや、そうまでしなかったとしても、彼に興味を持って少しでも調べたのなら……その服の模様に気がついたはずだった。

 アバンが直々に手作りし、自分の家紋を模様とした服を、ヒュンケルが見逃すなど有り得なかった。
 その昔、父の仇と見定めた青年の家紋を、ヒュンケルは未だに忘れていないのだから。

 アバンの弟子をこの時に発見したのなら、ヒュンケルのその後の動きは大きく違ったはずだった。
 そうなれば、ザボエラと敵対することになったとしても、ヒュンケルはポップを――引いては、アバンの存在を無視するはずはなかっただろう。

 数奇な運命により、引き裂かれた師弟が本来とは違う形で再会できたかもしれない可能性……それがたった今失われたことを、ヒュンケルは知らなかった――。

 


                                     《続く》
  
  

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