『忘却の川の渡河 ー中編ー』 |
「ポップ君……私は『なんとかして』って頼んだのよ?」 こめかみにうっすらと青筋を立てつつも、レオナはにっこりと微笑みかける。一見、なんの非の打ち所のない、麗しい姫君の微笑。 「大魔王バーンにさえその頭脳を認められ、今や世界最高の賢者と評判の高い大魔道士様ならば、一介の賢者の卵にすぎないあたしなんて足下にも及ばないような、素晴らしい策があるんじゃないかと思って、期待していたのよ?」 凄絶としか言い様がない微笑のまま、レオナはポップに詰め寄った。 「なのに、より症状を悪化させてどうする気なのよっ!? どうしてくれるのよぉおっ!?」 首が抜けそうなくらい揺さぶられるポップをみて、とりあえず、ダイは果敢にも口を挟んだ。 「レオナぁ、ポップはさっき溺れたばっかなんだから、あんまり揺さぶらない方が……」 他の誰が声をかけてもレオナは手を緩めもしなかっただろうが、彼だけは特別だ。 「そんなことを言ってもね、ダイ君っ! おかげで状況は思いっきり悪化してんのよっ!? コレ見てみてよっ、コレをっ!」 『コレ』呼ばわりされ、力の限り指差された先にいたのは――暗黒闘気を身にまとったかのような男だった。 「……はなせっ! これをほどけっ」 場所は、パプニカ城の客間。 しっかりと拘束されているのも関わらず、今にも縄をぶっちぎってしまいそうな勢いで暴れつつ、どことなく幼い口調で叫び続けている。 「おしえろっ! アバンはどこにいるっ!?」 「あー、そのよ。その前に確認しときたいから、もう一度、こっちの質問に答えてくれや。おまえさんの名前は?」 どこかうんざりしたような表情でそう問い掛けるヒムに対して、ヒュンケルはキッと彼を睨みつる。 「……おまえ、アバンじゃないな。 「いや、それもそうかもしれんけどよ、言っても減るもんじゃないだろ?」 いささかなだめすかせるような口調になるヒムに、ヒュンケルはフンとそっぽを向いてしまう。 「うわ、可愛くねーな」 と、ヒュンケルをいささか持て余し気味のヒムに変わって、ラーハルトがずいと前にでた。 「……おまえも、アバン、じゃないな」 さっきヒムに対して断じたよりも区切りが多いのは、多少の迷いがあるせいだろう。 「ああ。オレは、ラーハルトと言う。おまえの名は?」 「…………」 「どうした、オレは名乗ったぞ。おまえは、名乗りもできない臆病者なのか?」 ラーハルトの挑発に、ヒュンケルは露骨にムッとした表情を見せた。 「……ヒュンケルだ」 「そうか。年は?」 「七つだ。父さんが、そう言っていた」 本来なら今年で23歳(推定)になるはずの青年は、真顔でそう言ってのける。 「まったく……どーするのよっ、コレっ!?」 仮にも自国の近衛隊隊長をつかまえてコレ呼ばわりはあんまりではないか――との感想が、数人の頭を過ぎらないでもなかったが、敢えて口に出すほどの愚者はいなかった。 「んなこと言ったって! おれだってまさか、ンなことになるなんて思わなかったんだよっ!」 くしゃみを繰り返しつつ、ポップもやけになったように怒鳴り散らす。 「これは記憶退行した……のでしょうな。人間にとって、幼い頃の記憶は人生を決定づける極めて重要なものです。幼児性は成長と共に無意識下に沈んでいくものですが、それは決して消えたわけではありません」 暴れるヒュンケルから十分に距離をとり、ちゃっかりと安全圏を確保しながら、侍医はカルテになにやら文字を書き綴っていた。 「年老いた者が現在の記憶を忘れて子供の頃の記憶に立ち返るように、あの青年もまた、一時的に子供帰りした……まあ、そう見るのが妥当でしょう」 「いや、妥当かどうかは知らないけど、これって、なんとかならんのかね?」 うんざりした声を隠しもせず、ヒムは殺気をまき散らしながら叫び続けているヒュンケルを見ながら、侍医に問う。 かと言って、本人に怪我を負わせないように手加減した拘束を心掛けているせいで、見張っているヒムにはストレスがたまりまくりだった。 「前にも言いましたが、記憶喪失うんぬんに関しては私の専門外でして。 と、医者はそう結論づけてあっさりと去っていったが、残された人々にとっては難問が積み上げられたも同然だ。 「……ほんっと、どうすればいーのよ、コレ……」 頭を押さえる姫の、うんざりとした呟きはその場にいるもの全員の代弁でもあった。 「でも姫様、……感情をそのまま表情に見せるヒュンケルも、新鮮でいいと思いません?」 当然のことながらその意見は完璧に黙殺され、誰もが聞いていなかったふりをする。 実際、今の状況は色恋沙汰がどうこうと言ってられる状況じゃない。なにしろヒュンケルときたら、目が合った相手を漏れなくにらみ付けては、殺気をまき散らして怒鳴りつけているのだから。 「おいっ、そこのニンゲン! おまえがアバンか!?」 と、怒鳴る相手がエイミに対してだったりするのだから、本格的にどうかしている。 「…………あいつって人の顔の区別、ついてないみたいだなー」 というか、男女の区別すらついているかどうか怪しい気がするレベルのようだ。頭を抱え込みたくなるポップだったが、意外にも賛同者が現れた。 「分かるよー、人間ってみんな似たような格好してて、分かりにくいもんね。おれも、最初の頃はよく分からなかったし」 と、うんうんと頷くダイに、ポップは戸惑わずにはいられない。 「分からなかったって……おまえ、人を間違えるなんてこと、なかったじゃないか」 ポップはダイとは、旅の最初からずっと一緒にだった。それだけに、ダイが人の判別に困っているところなど、見た記憶がないと断言出来る。 「そりゃ、間違えないよ。見た目だけだとちょっと区別しにくい時もあったけど、匂いで分かるもん」 「おっ、おまえ、今まで匂いで人を区別してたのかっ!?」 出会ってから数年、今まで知らなかった衝撃の事実にポップはちょっと――というか、かなりのレベルで驚いたが、生憎と驚いたのは人間組ばかりだった。 「いや、怪物からすれば普通だぞ、それは。まあ、見慣れてくれば外見だけで区別もつく様になるし、闘気で見分けるという方法もあるがな」 と、しごく当然の様な顔をして肯定するクロコダインに、追従する様にヒムやラーハルトも頷く。 (こ……こいつらって……っ!) 「なに、頭抱え込んでるの、ポップ?」 「あー、なんか、なんつーか……。アバン先生があんな格好していた理由が、今、分かったかなーって気がして」 珍妙な髪形に、目立ちまくる真っ赤な服。 ――今から思えば、あの格好は最初の弟子……ヒュンケルのためにだったのだろう。 竜の騎士のせいか、はたまた怪物島で育ったせいか、やたらと五感の鋭いダイと比べれば、ヒュンケルは曲がりなりにも一応は普通の人間だ。 そんなヒュンケルが、一目で自分を見分けられるように――多分、そのつもりでアバンはあの衣装を選択したのだ。 同じ種類のスライムが何匹いても区別はつかないが、一匹だけゴールデンメタルスライムがいればさすがに区別が付く様に、わざと目立つ格好を選択した。 「アバン先生……趣味が悪かったわけじゃ、なかったんだなー」 しみじみと失礼なことを呟くポップだったが、思いがけずに思わぬ返答が帰ってきた。 「おやおや、ショックですねえ。ポップは私のことをそんな風に思っていたんですか?」 聞き覚えがありすぎるほどある声に、ポップがギョッとして振り返ると、果たして予想通りの人物がそこにはいた。 「アッ、アバン先生っ!? なんでここにっ!? い、今、忙しいはずでしょうっ!?」 焦りまくる愛弟子に対して、いつのまにか他国の王宮内にまで潜り込んできたアバンは、けろりとした顔で答える。 「ああ、パプニカ王宮の方で何か騒ぎがあったらしいって、マトリフが教えてくれたんですよー」 (うっ、そういや師匠に口止めしとくの、忘れてたっ!) 事情が事情だった上、ダイから詳しい話も聞かない内に急いで城に戻ったから、マトリフには何も説明しないままだった。 だが、師匠ならば別に説明をしなくても事情を分かってくれるという甘えが、ポップのどこかにあった。 (し、師匠っ、性格悪いぜ……っ!) これが心配や気遣いなどではなく、嫌がらせに近い行為だとは、ポップにはよ〜く分かっている。 なんと言っても初代大魔道士だ、状況の分析力や洞察力はポップのはるか上を行く。 もし城で起きたのが政争に関わるような重大事ならば、しどろもどろであやふやな伝言しかできないダイ一人で、伝言に飛ばすはずがない。 戦闘の申し子である竜の騎士の血ゆえか、ダイは緊急時の対応力は優れている。そのダイが、ただの子供のようにあたふたとしているだけなのを見て、マトリフは事件のレベルの低さを悟ったに違いない。 しかも、その後、ポップはマトリフに事情を説明しに戻ることもなかった。 「マトリフの話では、どうもヒュンケルになにかあったらしいということだったので。それで飛んで来たんですよ」 文字通りの意味で実行してきたカール国王に、周囲からの呆れの視線が集まる。 ――今更言っても、無駄なことではあるし。 「しかし……まさか記憶喪失、というか記憶後退とはねえ。私もこの目で見るのは初めてですよ」 「アッ、アバン先生ッ、迂闊に近付いたりしない方がっ!?」 と、ポップが止めるのも遅く、アバンはのこのことヒュンケルの側へと歩み寄った。 「おまえ、アバンか……!?」 「ええ、そうですよ、ヒュンケル。私です、アバンですよ」 落ち着き払った声で穏やかに答えるアバンは、しゃがみ込んでヒュンケルと目線を合わせる。 「私を探していたようですね、ヒュンケル。何か、用ですか?」 「きまっているだろ!? おまえは……っ、おれの父さんの仇だ……っ! 絶対、ゆるさない!!」 どこか幼い口調で遠慮なくぶつけてくる弟子の恨みを、アバンは穏やかな笑顔で受け止める。 「そうでしたっけね。それならここは一つ、決闘でもしちゃいましょうかね」
落ち着かない様子のポップにダイが慰めの言葉をかけるが、それは一向に成功した様子はなかった。 「だってよぉ、いくらなんでも心配しないでいられるわけねえだろ!? 先生とあの野郎が本気で決闘したら、どうなるか……」 と、気遣わしげにポップは、中庭にいる二人の男を見つめている。 「もう、好きにして。この際面倒だから、決闘でも結婚でもなんでも勝手にしちゃっていーわよ」 と、いともあっさりと許可を出してしまったのだから、どうしようもない。 魔王ハドラーを倒した功績により大勇者と呼ばれているアバンは、大魔王バーンにさえその頭脳を危険視されたほどの切れ者だ。 その中で唯一、いまだに文句を言っているのは、ポップぐらいのものだ。 純粋な体力や戦士の技量で言うのなら、ヒュンケルの方がはるかに上回っているのだ。いくらヒュンケルの記憶が失われているとは言え、まともにぶつかれば結果は見えている。 殺気だった気迫を撒き散らしているヒュンケルに対して、アバンはいつも通りののほほんとした表情のままで、にこにこしているばかりだ。 アバンという男を良く知らない者ならば、いささか不安を感じて当然の、決闘の前の風景だ。 「でも、先生がああ言うからには、何か意味があるんだわ。だから、ここは先生に任せた方がいいと思うの」 アバンへの、絶大な信頼感――それがなければ、こうは言えない。 アバンの知略や策略は、素直で純粋なダイやマァムとは全く無縁の思考だ。最初から及びもつかない策略を推理するよりも、ただ、素直に先生を信じてすべてを任せる――そんな発想に繋がっている。 それに比べると、なまじアバンの考えや作戦を読み取れる能力を持っているだけのポップの方が、中途半端にあれこれと気を揉んでしまい、落ち着かないのかもしれない。 仲間二人になだめられても、少しも気が休まらない様な表情で、ポップは兄弟子と師匠が剣を手に向かい合うのを見守る。
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