『秘するべき使命 3』

 

「あいつが……っ、銀髪の狂戦士が、みんな悪いんだっ!! あんなことをしでかしておいて、のうのうと生きているあいつが……っ!」





 理屈では、理解していた。
 少なくとも、しているつもりだった。
 正式に国の裁きを受け、処罰を負うことで罪を償った者は許されるべきである、と。
 それこそが法と言うものであり、規律をなくして秩序は保たれない。

 戦いによって大切な人を失い、心に傷を負う悲しみは理解するが、個人が個々の感情により私刑に走れば、それは魔物との戦い以上に国を荒らす元になる。
 故に戦いの禍根は忘れ、今は未来に向かって力を合わせて歩きだすべき時だ――王女レオナが掲げたその理念を聞いた時は心からの感銘を受けたし、賛成したいと望んだ。

 だが、人の心は理屈や理想のままには動かないものだ。
 父王を亡くしながらもその悲しみに打ちのめされず、見事に国を背負い、ある意味で親の敵と言える魔王軍不死騎団長の改心を受け入れたレオナを心より尊敬している。
 彼女の判断ならば、間違ってはいないだろうとの信頼感もある。

 今はパプニカ王国の近衛兵隊長として活動しているヒュンケルが、真面目に勤務しているのも分かっている。
 しかし、それでもなお――わだかまりは、消えないのだ。どうしても消しされない気持ちが、彼らの中に根付いていた。

 平和だったパプニカの街を踏みにじり、多くの人を死に追いやった軍団長への恨みつらみは、根深く心に突き刺さってしまっている。
 自分達の国を一度は滅ぼしたのに、城でのうのうと働いているヒュンケルを、感情的に許せないと思ってしまう。

 最初は、それだけだった。
 だが、ふとしたことから自分と同じ考えを持っている者達と出会ったのは、果たして幸運だったのか、不運だったのか。

 互いに傷を舐め合うように単に愚痴をこぼすぐらいだったなら、それも問題はなかっただろう。
 しかし、彼らは文句を口にするだけで後は割り切るには、あまりにも若かった。

 感情に任せて文句をぶつけ合ううち、落ち着くどころか反って怒りを掻き立て、暴走気味にさえなっていた。
 ヒュンケルを許せないと思う気持ちが強まるあまり、彼を放置しておくことこそが悪とさえ思い込む。

 かつて、ヒュンケルがパプニカの街に対してそうしたように、自分達も彼に対して攻撃を行って、何が悪いのか?
 いや、むしろそうすることの方が、正義に違いない。これは、我らが行わなければならない使命だ。

 自分達はレオナ姫がそうしなかった正義を正す為に、然るべき手段をとるだけのこと――。
 一度、坂道を転がり始めた石に勢いがつき、止められなくなるように、彼らは容易く自分達の熱に煽られてしまった。

 もっとも素人の悲しさで、彼らは意欲こそ高くても行動力は今一歩なのが不幸中の幸いだったというべきか。
 正面きってヒュンケルに戦いを挑んだり、攻撃するだけの度胸や剣の腕はない。

 城に堂々と登城して王女に不正を訴え出るだけの正当性もなければ、詳細な情報を集めて真っ向からヒュンケル失脚を目論むだけの頭脳もなかった。
 だが、実力では決して成し遂げられないからこそ、恨みや妬みの気持ちはますます屈折し、暴走していく。

 その結果、彼らはあわよくばとチャンスを狙い、こそこそと城の周辺をうろついてはヒュンケルの様子に探りをいれると言う行動をとるようになった。傍目から見れば変質者一歩手前の、どう見ても正義があるとは思えない行動を取りまくっているのだが、すでに正常な感覚を失っている彼らに自覚はない。

 ヒュンケルへの恨みばかりに凝り固まっている彼らにとって、ポップの存在はちょっとしたチャンスだった。
 城門の中でヒュンケルと話している姿を目撃しただけの彼らの目には、ポップは彼の親しい知り合いと見えた。

 いかにも非力そうな、ごく平凡な少年……彼を人質に取れば、あのヒュンケルに目にものを見せることができるのではないか。
 ――ポップが何者かを知らないからこそ、とんでもないことを思いつけるものである。
 尤も、とことん半端な彼らは、目的の為には敢えて悪に徹するだけの度胸にも欠けていた。
 何かを成し遂げるには何もかもが中途半端過ぎるくせに、それでも諦めだけは悪すぎる点は果たして長所とカウントしてよいものかどうか。

 結局彼らはいつまでも踏ん切りも付けられず、ぐずぐずとポップの後を尾行しているしかできなかったのである――。






「あー……。そーゆー事情だったとはねー」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、ポップは呆れ半分に目の前にいる若者達を眺めやる。
 今にも泣き出さんばかりに動揺し、支離滅裂に言い訳じみたことばかり口走る彼らからなんとか事情を聞いた今となっては、ポップのやる気は下がる一方だった。

「わ……っ、悪かったよ、どうか許してくれないか……っ!? オレ達、どうかしていたんだ……っ、いくらあいつが憎いとはいえ、何の関係もない人を傷つけようなんて……!」

「本気じゃなかったんだよっ、い、いや、言い訳になるかもしれないけど、本当にあいつ以外に何かする気なんかなかったんだ!!」

 ポップの魔法に恐れを成したのか、年下の少年に向かってペコペコと謝りまくる連中には悪気というものが一切感じられない。
 それにここまで間抜けで根性がない連中ともなれば、反って親しみさえ感じてしまう。 それだけに、また厄介だった。

(これだったら、いきなり怪物に襲われたり、じゃなきゃ七面倒臭い黒幕がいるとかの方がいっそ楽だったよなー。ったく、ヒュンケルめ、話が全然違うじゃん!)

 まさかヒュンケルが口から出任せを言ったなんて思いもしないポップにしてみれば、余計な面倒ごとを拾った気分である。
 だが、だからと言って放っておくのもどうかと思える。

 今のところ犯罪こそ犯していないものの、彼らがその一歩手前辺りまで踏み込みかけているのは間違いない。
 ほとんど罪が発生しない今のうちに兵士に引き渡して、然るべき処分を与えて更生させるのが妥当な選択だろう。

 今なら説教や厳重程度で済むレベルだ、普段のポップなら間違いなくそうする。だが――彼らの狙いが他ならぬ兄弟子にあることが、ポップを迷わせる。

(間違ったってヒュンケルの奴がこんな根性無しな奴等にどうにかされるなんて思わねえけど……あいつ、無茶なところがあるからなー)

 自分のことを完全に棚に上げ、ポップは真剣にそう思わずにはいられない。
 確かに実力的には、彼らとヒュンケルでは天と地ほども違う。
 だが、ヒュンケルは妙に後ろ向きというか、それを通り越して自虐的な部分がある。

 自分が魔王軍の一員だったことを必要以上に気にして、その罪を償う為ならば死んでも構わないと考える精神。
 崇高と言えば言えなくもないが、ポップに言わせればそんな生真面目さは馬鹿げている。

 自分で自分をそこまで厳しく律し、自ら不幸を望むような真似をして、誰が幸せになれるというのか。
 この根性無しの男達とて、同じことだ。

 脅しのための魔法だけで震え上がったこの男達は、間違いなく実戦など知るまい。他人と戦い、傷つける覚悟もない者が復讐をしたところで気が晴れるとも思えない。もしヒュンケル打倒を果たしたとしても、せいぜい罪悪感や罪の意識に苛まれるのがオチだ。

 それを思えば、連中とヒュンケルを会わせない方がいいと思える。
 双方の為にもできるだけ穏便に、ついでに秘密裏に片付けたい――そう考えるポップだが、非常に残念なことにすでに手遅れだった。

 ピリピリピリピ――ッ!!
 
 妙に耳障りで、やけに甲高く響き渡る笛の音と共に複数の足音が一斉にこちらに迫ってくる。
 ハッとした時には、彼らはすでに武装した兵士達に囲まれていた。

「ここら一帯は完全に包囲した! 無駄な抵抗をやめて人質を解放し、おとなしく投降しろ!」

 声を張り上げる兵士達はポップの目から見て出さえ気迫に満ちあふれ、怖いぐらいの覇気がある。
 当然、当事者である若者達の目にはもっと恐ろしいもののように映ったに違いない。

「ひっ……!?」

「な、なんでっ、こんなに!?」

 あまりの数の多さと手際の良さに恐れを成したのか、若者らの顔色が青ざめるのを通り越して土気色に変わる。

(やりすぎだろ、これはっ)

 こっそりと心の中で兵士達の総指揮者である兄弟子に文句を付けつつ、ポップは弱腰な彼らに向かって励ました。

「大丈夫だって、まだ何もしてない訳だしちゃんと事情を話せば分かるって」

 兵士達が殺気立っているのは、彼らを『反対派』と間違えているせいだとポップは認識していた。
 だからこそ、少し事情を話せば誤解は解けると楽観していたが、兵士達から見れば全く話が違う。

 体調不良の大魔道士の保護こそが、最大問題――兵士達はそう認識している。
 普段ならまだしも、多少でも具合が悪い時はポップはまず魔法は使えないと見た方がいい。

 実際には使えないことはないのだが、制御が甘くなるため使用したがらなくなるのだ。牽制や脅し程度ならまだいいが、普段と違い魔法の強弱を完全に操れなくなる。それではいざという時手加減ができなくなるなるからと、魔法を使わずに済ませようとする。

 大魔道士本人が自衛のための魔法を禁じ手にしてしまう分、兵士達はそれを上回る対応をするつもりでいる。
 大魔道士を守る邪魔になるのであれば、たとえ女子供であっても敵と見なす……ましてや血気盛んな年齢の若い男ならば尚更だ。

 正体不明の若者達がポップに危害を加える可能性を危惧して、必要以上に警戒し、神経を尖らせていた。
 それでも、まだ集まってきたのが兵士だけならばさしたる問題にはならなかっただろう。

 怯えきっていた若者達は完全にすくみあがり、動く気力もなくへたりこんでいたのだから。
 だが、よりによって近衛隊隊長が直々に陣頭指揮を執り、この場にも駆け付けてきたのが不幸だった。

「……ひ……っ」

「ぅぁああ……っ!?」

 たとえ、幽霊と真正面から顔を突き合わせたところで、これ以上驚くことも怯えることもなかっただろう。
 敵と思い定めてきたヒュンケルを実際に目の当たりして、彼らは恐怖から半ばパニックを起こしてさえいた。

 ほとんどの者は震えて蹲っているだけだったが、恐怖が臨界を超えたのか一人は立ち上がって絶叫する。

「く、くるなぁっ!? こないでくれぇえっ!」

 その叫びは、脅しというよりは悲鳴にしか聞こえなかった。身構える姿勢も、戦うためというよりもへっぴり腰で後込みしているようにしか見えない。
 だが、ガタガタに震える手に、刃物が握られているのが問題だった。

「く……っ、くるな……っ、来たら……オレは……」

 彼が手にしているのは、安物の銅の剣にすぎない。
 だが、どんなに安物だろうと手入れが悪かろうと、武器は武器だ。

 完全にイッてしまったような目をして、うわ言めいたことを呟く犯人は、ひどく危うかった。
 追い詰められた獣が牙をむき出して最後の抵抗を試みるように、自分にできる精一杯の威嚇をせずにはいられなくなっているのだ。

「よせ……! 武器を、捨てろ」

 わずかに顔をしかめて、ヒュンケルができるだけ冷静に声をかける。
 戦士の立場から見れば、怯えきった者の持つ剣ほど怖いものはない。技術も度胸もないものが闇雲に振るう剣の動きほど、予測がつかないものがない。

 そして、それは思わぬ悲劇を招くことも珍しくない。本人にその気がなくとも、本人や周囲を傷つけかねないのだ。
 だからこそ怯えきって刃物を手にした犯人の扱いには、慎重さが求められる。

 それは百も承知しているはずだったが、さすがのヒュンケルも身内が事件に絡んでいては平静ではいられない。
 犯人の攻撃範囲に、よりによってポップが無防備に突っ立っているのだ。

「そいつから、離れるんだ……!」

 犯人に向けたともポップに向けたともつかない一言は、落ち着き以上に苛立ちを感じさせるものだった。
 ヒュンケルの怒りを感じてか、犯人はより一層怯えるが、ポップの方はそんなものは微塵も感じていないらしい。

 ポップときたら魔法を使う気配もなく、それどころか犯人を心配するように話しかけている。

「ど、どうしたんだよ、急に!? やめろよ、そんな真似は。ほら、武器なんか捨てろって」

 友人に話しかけるように親しげに、犯人から剣を取り上げようとするポップの行為は、見上げた善意と言っていいだろう。
 だが、怯えきった者の目には他人の善意すら歪んで映る。
 犯人の目には、無防備な少年の気遣いでさえ自分への攻撃として映ってしまった。

「う、うわぁあああっ!?」

 悲鳴を上げ、犯人が刃物を振り上げたのを見た瞬間、ヒュンケルは彼への慈悲を捨てた。

(許せ、とは言わない……!)

 魔王軍との戦いが終わった今となっては、もう二度と人を斬りたいなどと思ったこともない。たとえ重犯罪人だろうと、二度と人を殺したくなどない。
 しかし、ほぼ素人同然と分かっていても、また、本人に殺意がないと知っていても、それでも譲れないことがある。

 ヒュンケル自身の命を狙ってきたというのなら、もう少し恩情を掛けてやっても良かった。
 だが、ポップの身の安全を最優先にする以上、犯人を殺すことになっても致し方がないと、ヒュンケルは瞬時に判断していた。

 迷いのない動きで腰の剣を抜き、犯人へと切りかかる。その動きのせいで、犯人の意識はポップからヒュンケルへと向けられた。

「ぁああああっ!?」

 悲鳴を上げ、瞬きを繰り返しながら敵を認識し、怯えながらも剣を向けようとする――無駄が多く、雑な動きだ。
 それに対し、ヒュンケルの動きは滑らかだった。

 最初の一歩を踏み出し、剣を鞘から脱ぐ仕草がすでに攻撃の予備動作に繋がっていた。水が上から下に流れるように、ごく自然に、ヒュンケルは剣を振る。

 犯人が慌てふためきながら不器用に剣を身構え直すより早く、ヒュンケルの剣は彼に致命傷を与えるはずだった。
 だが、思いがけない邪魔が入る。

「やめろっ!?」

 不意に自分と犯人の斜線上に飛び込んできた、人影。
 それが誰かを、ヒュンケルは確かめるよりも早く直感していた。背筋を凍らせる戦慄を感じながら、ヒュンケルは全身の力を振り絞る。

「くぅっ!?」

 苦痛の悲鳴が、自然に漏れるのも無理はない。
 全力で攻撃をしかけた剣を途中で止めるのは、単に剣を振り抜く以上の筋力と反射神経が要求される。無理な動きを強いられた筋肉が、苦痛を訴える。

 だが、それでもなんとか、犯人を斬り殺すはずだった剣はぎりぎりで止まってくれた。緑色の旅人の服に触れるか触れないという所で止まった剣を、ヒュンケルは慌てて引いた。
「ポップッ、何を……!?」

 犯人を庇うように、自分の目の前に立ちはだかった弟弟子を怒鳴りつけながら、ヒュンケルは素早く彼の様子を確かめる。
 一歩間違えれば撫で斬りにしてしまう筈だった胴に真っ先に目が行くが、そこには何の問題もない。

 だが、ポップは苦痛に顔を歪ませながら、ゆらりとふらついた。持たれ掛かるように倒れてくる細い身体を、ヒュンケルは無意識に受け止めた。
 その後ろに、ガクガクと震えたまま銅の剣を構えている男の姿が見えた。落ち着きなく震えている切っ先は赤く染まっていて、刃を伝って赤い雫が滴り落ちていく。

「――っ!?」

 その光景を、ヒュンケルは一瞬、理解しきれなかった。
 戦いの場では何度となく目にし、簡単にできる筈の状況判断が、とてつもなく難しい難問であるかのように膨れ上がっていく。
 だが、そんなヒュンケルを嘲笑うかのように、目の前の光景はどこまでも現実だった。

(ポップ……ッ!?)

 ヒュンケルの胸にすっかりと身を預けている、弟弟子――だが、普段ならこんなことがあり得る筈がない。
 兄弟子の手を借りるのを異常なまでに嫌がり、文句を付けずにはいられない反抗的なポップが、こんな風におとなしくヒュンケルの腕の中に収まっているだなんて。

 だが、今はぐったりと力なくヒュンケルに持たれ掛かったポップは、彼の手を振り払いもしない。
 ポップのそう広いとは言えない背に回した手が、妙にべたつく液体に触れる。緑色の服に広がっていく赤い染みを見て、ヒュンケルはさっき以上の戦慄に襲われた――。


                                     《続く》

 

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