『背中合わせの沈黙 ー中編ー』

 

「みなさん、お夕食ができました」

 その呼び掛けはそう大きなものではなかったが、誰もがその声に注目し、顔を綻ばせる。

 占い師の衣装の上に簡素なエプロンをつけたメルルは、食堂の扉を開いて一同を誘う。自分は戦いの役には立たないからと自ら望んで食事や雑事を引き受けているメルルだが、彼女の料理や食事への呼び掛けを楽しみにしている者は多い。

「がはは、嬢ちゃん、いつもありがとうよ!」

「待ってました、これが一日の楽しみなんだよなー」

 当番の者を除く兵士や男達が集まってくるのを確認してから、食堂の扉を閉めようとしたメルルはその人影に気がついた。

 食事の呼び掛けに全く反応を見せず、壁際に置かれた椅子に座っている一人の男に。
 瞑目し、身動き一つしないその男は、鍛え上げられた肉体も手伝ってまるで彫像のようにさえ見える。

 他者を拒む空気を発しているかのようなその男に近付くのは、メルルには大変な勇気を必要とした。

 なにしろその男は、メルルの生まれ育ったテランで、神とも悪魔とも伝えられている伝説の存在――竜の騎士バランなのだから。
 しかし、メルルは勇気を振り絞って忠実に自分の義務を果たそうとした。

「あの……、お食事、あなたの分も用意しておりますけど……」

 おずおずとかけられたその言葉に、バランは目さえ開けようとはしなかった。

「不要だ」

 素っ気のないその一言に、メルルはどうしていいのか分からないとばかりにうろたえる。

「え……で、でも……」

 義務を気にして拒絶をそのまま受け入れられず、さりとて強く進めることもできずおろおろと立ちすくむ少女の気配を感じてか、バランは素っ気ないながらも言葉を続ける。

「成長を終えた竜の騎士は、体質は魔族に近くなる。人間の様にむやみに食事を必要とはしない」

 淡々としたその説明には、説得力があった。本人が望まず、また、必要不可欠な物でもないのなら、それ以上強いて薦めるのは失礼かもしれない――そう考えたメルルが退こうとした時、強い口調が遮った。

「でも、食べられないわけではないのでしょう?」

 そう言いながら、マァムは恐れる様子もなくバランの真正面に立つ。

「そうだが」

 初めて、バランが目を開ける。
 落ち着いている状態でさえ威圧感を撒き散らすその視線に、普通の少女ならばまず怯えるだろう。

 だが、両親そろってアバンの仲間であり、自身もアバンの教えを授かったマァムは、並の少女ではなかった。

「では、召し上がってください。作る前ならいざ知らず、もう作ってしまった後なんですもの。
 食べなければ勿体ないし、第一、作ってくれた人にも失礼だわ」

 正しくはあるが失礼すれすれのことを堂々とそう言ってのけるマァムに、メルルはよりいっそううろたえてすがりつく。

「マ、マァムさん……っ」

 修行のため勇者一行と離れていたマァムが何も知らないのは無理もないが、怒れる竜の騎士の凄まじさを知っているメルルにしてみればマァムの言動にヒヤヒヤせずにはいられない。

 マァムのこの正義感の強さには感心するし、料理の作り手である自分達を思いやってくれての言葉だと思えば嬉しいが、バランをむやみに刺激するのはメルルには危険過ぎるように思えてならなかった。

 バランから見れば、メルルもマァムもほぼ変わりなくただの小娘にすぎない。そして、得てして大人の男性というものは変なところでプライドが高く、女子供から注意をされるのを嫌う傾向がある。

 たとえごく真っ当な忠告であっても、小娘の癖に生意気だと不機嫌になったり、時には血相を変えて逆ぎれするのは珍しくない。
 旅の占い師という経験上、それをよく知っているメルルは不安を感じずにはいられなかったが、予想に反してバランは穏やかだった。

「……正論だな」

 やはりそっけなくそう言うと、すっと腰を上げる。先に立って案内するマァムに付いて、そのまま食堂の方に歩いていくバランに、メルルの方が呆気に取られて見送るしかできなかった。







「…………!」

 『彼』の気配に、真っ先に気がついたのはダイだった。気がつかないわけがない、たとえ眠っていたとしてもダイに備わった本能は、常に敏感に周囲の気配へと気を配り続けているのだから。

 相手に敵意がある無しに関係なく、怪物や魔族がある程度以上近付けば、ダイはそれに気がつく。

 ましてや、その相手がこの上ない強敵なのだとすれば尚更だった。
 マァムに先導される形で、バランが食堂に入ってくるのを見た途端に、ダイは凍りついたように動けなくなってしまう。

(あの人だ……!)

 だが、そんな風に反応したのはダイ一人だけだった。
 レオナやクロコダインなど、バランを直接知っているからこそ驚きの表情を見せる者はいても、大半の人間はバランにそこまで注意を払わない。

 詳しい事情を知らない者にとっては、バランはいかにも強そうな戦士ではあっても、穏やかな落ち着いた男だ。見知らぬ者が食堂に入ってきたことにわずかに注目はしても、すぐに興味を失ってしまう。

 普段の食事光景と同じ、賑やかな喧騒の中を歩いて来るバランに対して、いつにない反応を見せているのはダイ一人と言っていい。
 すぐ隣にいるポップはバランにまるで気が付いていないのか、不思議そうにダイを見ている。

「どうしたんだよ、ダイ? 急に、ぽかんとしちゃって。珍しいな、おまえが飯の時にぼーっとするなんて、明日は雨でも――」

 そんな風にからかいかけたポップの言葉が不意に途切れたのは、すぐ目の前までやってきたのが誰か、さすがに気がついたせいだろう。
 驚きで目を真ん丸くしたポップと、最初っから大きく目を見張ったまんまのダイの前で、マァムはにこやかにバランに席を勧める。

「こちらでどうぞ」

 と、勧めたのはちょうどダイの隣……本来ならマァムが座るはずの場所だった。すでに食事も運ばれていた後は食べるだけになっている場所を、マァムは惜しげもなく譲る。

「お代わりが欲しかったらまだありますので、給仕係のところへいってください。
 じゃ、ダイ、ポップ、後はお願いね」

 一方的にそう頼んだかと思うと、マァムは他に空いている席を求めて、さっさとその場を離れてしまう。

 そうなると取り残された三人の間に漂うのは、なんとも気まずい空気だった。――いや、正確に言うのなら、気まずさを感じているのは二人だけ、と言うべきか。

 無言のまま空いている席に座り、黙々と食事を取り始めたバランは、少なくとも表面上はなんの動揺も見られない。
 すぐ隣に息子がいるのも気にしていないかのように、姿勢を正して食事を取っている。

「あー……、まあ、冷める前に食おうぜ、ダイ」

「……、うん」

 ポップに促され、ダイも再び食事に戻りはしたものの――正直な話、集中できなかった。普段ならばポップやみんなと楽しく喋りながら食べるのだが、今は何を言っていいのかも分からない。
 食事の味さえ曖昧で、美味しいかどうかさえよく分からないぐらいだ。

(この人は……食べにくくないのかな?)

 どうしても隣が気になって、ダイは何度となくそちらを見ずにはいられない。

 見たところ、バランは特に食べ難そうな様子はない。落ち着き払った様子でゆったりと食事を取る姿は意外なぐらいに姿勢がよく、ナイフやフォークの使い方も堂に入っていてダイよりもよほどマナーがいい。

 時々、ナイフとフォークをどっちの手で持てばいいのか分からなくなるレベルのダイから見れば、なぜそんなに上手にできるのかと感心したくなる程スムーズだ。

 そんな風にバランの手元をじっと見ていたダイは、どうやら自分で思っていたよりもずっと熱心に、彼ばかりに気を取られていたらしい。

「……い! おい、ダイってば!」

 何回目かに呼ばれるついでにつつかれてから、ダイはようやくポップの方を振り向いた。

「え、な、なにっ、ポップ!?」

「何、じゃねえよ、さっきっから呼んでるのにさ。ちょっと、そこの塩、とってくれよ」

 と、ポップが指差したのはダイの斜め前にある小さな瓶だった。

「あ。分かったよ」

 言われるままに塩をとろうと手を伸ばしかけるダイだが、少しばかり届かなかった。

 ほんのちょっとだが、手の長さが足りない。それを補うために腰を浮かしかけた時、ダイの目の前で大きな手がその塩の瓶を掴む。
 ちょうど、ダイがそうしたいと思ったタイミングで、塩の瓶をダイの前に差し出したのはバランだった。

「…………!」

 呆然としてそれを見ているダイに、バランは静かに声をかける。

「どうした。これを、取ろうとしたのではなかったのか」

 そう言われればその通りなので、ダイは素直に塩の瓶を受け取る。

「う、うん。ありがとう」

 お礼を言うと、バランは一瞬だけ目を見張り――2、3度咳払いをして目を逸らす。

(どうしたんだろ?)

 何か喉に詰まったんだろうかとダイが思った時、なぜか反対側の隣でポップが吹き出す声が聞こえた。

「ポップ? なんか、おかしいことがあったの?」

「いーや、なんでも! サンキューな、ダイ」

 笑いを噛み殺しつつ塩を受け取った割には、ポップはおざなりにそれをちょっと使っただけで、すぐに手近に調味料置き場に戻してしまった。

 調味料置き場は大きなテーブルに数か所設置されている物だが、よく見るとダイよりもポップの近くにあったようだ。
 しかも、ポップのすぐ目の前と言っていい場所の調味料置き場には、ポップが今置いた塩の他に、もう一つ塩の瓶がある。

(なんだ、ポップ、気がつかなかったのかなー)

 そんな風に思いながら、ダイは再び食事に戻った――。








(これなら、上手くいくかもしれないわ)

 ひどくご機嫌な気分で歩くレオナの足取りは、軽かった。
 夕食の最中、レオナは離れた席に座ってこそいたものの、ずっとダイとバランに注目していた。

 と言っても、ダイもバランもほぼ無言で、会話らしい会話もしないで食事を終えたのだが。
 思いがけない申し出から共闘を決めたものの、ダイとバランの間にぎくしゃくとした感じが残っているのは仕方がないことだろう。

 しかし、それほど問題はないだろうとレオナは思っている。
 正直な話、あれ程の死闘を演じた二人だ、再び出会っても一触即発の雰囲気になるかもしれないとさえ思っていた。
 最悪、再びあの死闘が行われる可能性も、レオナは案じていたのだ。

 それを考えれば、あの程度のぎこちなさは問題にもならない。
 バランは少なくとも表面上は充分な冷静さを保っているし、ダイもどう接していいのかわからずに戸惑っているだけのように見えた。

(うふふ、ダイ君ってばホーント、可愛いんだから♪ それに、ポップ君とマァムもグッジョブよね〜)

 そんなことを考えながら、レオナは急ぎ足で病室へと向かっていた。
 世界会議により各国の王達から、勇者一行の実質的な指導者として承認されたレオナは、名実共にこの砦の最高指揮者だ。

 やることはいくらでもあるのだが、やりたいと個人的に望むことだってある。

 今回の一件での最高功労者……バランを引き止めるために重傷を負ったヒュンケルを、労ってあげたい――その思いが、レオナにはある。
 もっとも、深い傷を負ったヒュンケルはなんとか命は取り留めたものの、あれからずっと意識を失ったままだし、当分目を覚ます気配もない。

 だが、それが分かっていても、レオナはヒュンケルの様子を確かめるために、彼の部屋に向かった。

 習慣上軽くノックしたものの、正直レオナは返事など期待していなかった。どうせヒュンケルはまだ眠ったままだろうと、高を括っていたから。
 しかし、予想外に返事が戻ってくる。

「どーぞ」

「……あら?」

 その部屋にいる人物の意外さに、レオナは思わず目を見張る。
 もし、そこにいるのがエイミかマァムだとしたら、レオナは驚きさえしなかっただろう。

 ともに回復魔法の能力を持ち、仲間の看護を重視する女性らが手当てを買って出るのは自然な話だ。
 だが、全く予想外なことに、そこにいたのはポップだった。

「ポップ君……! 珍しいわね、あなたがヒュンケルの見舞いに来るだなんて」

 そうは言ったものの、レオナの驚きは速やかに静まっていた。
 ポップが何かにつけ兄弟子に反抗し、文句ばかり言うのは勇者一行では有名な話だ。

 そのせいで彼らをよく知らないものからは、一見、犬猿の仲のようにさえ見えるのだが、レオナはずっと前から真実を看破している。
 兄弟子にはやたらと反抗的なポップだが、彼は別にヒュンケルを芯から嫌っているわけではない。

 ただ、素直になれないだけで、ポップがヒュンケルを兄弟子として認めているのは、傍目から見ていれば一目瞭然だ。
 しかし、意地っ張りな魔法使いはどこまでも強情だった。

「別に、見舞いに来たわけじゃねーよ。
 目を覚ましたんなら、文句の一つでも言ってやろうかと思ってきただけだって」

 なのに、こいつまだ寝ているからと、ポップはヒュンケルのベッドのすぐ近くの出窓に座って、ぶらぶらと足を遊ばせている。

 意地を張ったその口調とは裏腹に、ポップの目はいかにも心配そうにヒュンケルの身体に注がれている。
 だが、それでもやっぱりポップは素直ではなかった。

「ったく、こんなになるまで無茶しやがってさ……! 危険だって分かってたくせに人に隠しごとして、一人で勝手に突っ張りしやがって……!」

(それ、ポップ君も全然人のこと言えないと思うけどね)

 内心、ちらりとそう思わないでもなかったが、とりあえずレオナはそれに対しては突っ込まなかった。

 正直言えば、自分の身も顧みずに敵陣へ無謀に突っ込んでいくこの兄弟弟子達に言いたいことがないでもなかったが、少なくともヒュンケルに対して今は文句を言うつもりは一切ない。

 彼は、すでに充分過ぎる程の罰を受けた。戦士として再起不能と言っていい重傷を負った男に、これ以上追い討ちを掛ける気はさらさらない。
 だからこそ、レオナはヒュンケルの功績だけを褒め上げた。

「だけど、彼のおかげで、私達はバランと手を組むことができたわ」

 でも……それが、いいことかどうかは分からないけれど――。

 誰にも言えない本音を、レオナは口の中に飲み込む。
 正直に言えば、レオナには不安がある。

 実際の戦力を優先し、これ幸いとばかりにバランを仲間に引き入れたとは言え、それがダイとバランにとって本当にいいことなのかどうか――その判断がつかない。

 思っている以上にいい雰囲気のダイとバランの態度にホッとしたものの、それだけで不安の芽を全て消すことなどできない。
 バランは手を組むのはこの一時だけで、それが済めばまたダイと戦うと明言した。

 それが本当だとすれば、バランと個人的な触れ合いを持つこの一時は、ダイにとって辛いだけの記憶になるのではないか――どんなに楽観的に利点をみようと勤めてみても、その不安は拭いされない。
 しかし、何気ない言葉が、その不安を打ち消す。

「それって、姫さんのおかげでもあるだろ。
 おれも最初は驚いたけどさ、……でもよ。案外、あいつら、うまくいきそうな気がするぜ」

 その言葉は意外なぐらい深く、レオナの胸を突いた。
 本人は、何気なく言った言葉かもしれない。
 だが、その言葉には、厚く曇った空にサッと日が差したかのように、周囲を照らしだす力があった。

「本当……? 本当に、そう思う?」

 すがる響きを交えたレオナの問いに対して、ごく当たり前のようにポップは言う。

「ああ。
 あいつらって、やっぱり親子だよ。不器用な上に頑固ときている。まったく、変なとこだけそっくりだぜ」

 あきれ半分にしみじみと呟いたポップ本人は、知るまい。不安で堪らなかったレオナの心を、その一言がどんなに救ってくれたかを。

 その言葉に、根拠があるわけではない。
 だが、勇者を一番よく知っている魔法使いの言葉は、魔法が込められているかのように、心に自然に染み入ってくれる。

 不安に傾き掛けていた心が、楽観的な希望へと方向を変えていくのを、レオナは感じ取っていた。

「そうよね、あたしもそう思いたい……いえ、そう思うわ。意外と、似たもの親子なのかもね」

 そんな軽口さえ、口にする余裕が生まれる。いつの間にか、レオナの顔には自然な笑顔が浮かんでいた――。







「あ、マァム。ポップを見なかった?」

 その頃、ダイはポップを探して砦の中をうろうろと歩き回っていた。
 いつもなら探すまでもなく、ポップはダイと一緒にいるのだが、今日はポップは食事が終わるとダイを待たずにさっさと行ってしまった。

 バランを気にして食事が遅かったダイは、置いてきぼりをくらったわけだ。
 それからずっと、ダイはポップがいそうな所を探しているのだが、一向に見つからないのである。

「さあ、そう言えば私も見ていないけど」

 寝具を一組手にしたマァムは、小首を傾げる。
 かさ張る上に結構重い荷物を抱えているマァムを見て、ダイは思わず声をかけた。

「すごい荷物だね、マァム。おれ、手伝おうか?」

「あら、これぐらい平気よ」

 女の子らしい外見に反して、見た目以上の力を誇るマァムは明るく笑ったが、ふと思い直す。

「あ、でも、ダイに手を貸してもらった方がいいかもしれないわね。これは、ダイの部屋に運ぶ荷物なんだし」

 そう言いながら、マァムは重い荷物をあっさりとダイへと渡す。それは軽々と受け取ったものの、言葉の意味が分からなくてダイは首を捻った。

「おれの部屋? なんで?」

 ダイ、ポップ、マァムなど勇者一行の主要メンバーはその活躍を期待されているせいか、ゆっくりと休めるようにそれぞれ個室を与えられている。

 その部屋には当然最初から寝具も用意されているので、なぜさらにもう一つ必要なのかダイには見当すらつかなかった。
 しかし、マァムは当たり前にように言う。

「だって、それ、ダイのお父さんの分の寝具だもの。今日はダイの部屋にお父さんを泊めてあげてね」
 


                                          《続く》

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