『綻びていく秘密 3』

 

「で、いったい、なんだってぇんだ? おまえさんがオレんとこに相談に来るなんて、初めてじゃねえのか」

 あからさまに物珍しげにじろじろ見られた揚げ句にそう言われても、ヒュンケルは返す言葉もなかった。
 事実、その通りだからだ。

 アバンの仲間であり、ポップの第二の師でもある初代大魔道士マトリフ。
 大戦中から何度か顔を合わせるや会話をする機会はあったものの、ヒュンケルにとってそれ程親しい相手とは言えない。

 しかし、彼についての噂はポップを初めとする仲間達から、よく聞かされた。
 百の魔法を操る、全ての魔法使いの頂点に立つ偉大な魔法使いだと――。
 特にポップは口ではあれこれ言うものの、師としてマトリフを尊敬し、慕っているようだった。

 高齢のマトリフは戦闘に直接参加することはほとんどなかったものの、ポップに修行をつけたり、その知恵を授けるなど間接的な方法で大いに勇者一行に力を貸してくれていたのも知っている。

 だが、単独行動を取りがちなヒュンケルはマトリフと接するのは稀だったし、少なくとも今まで一度も個人的な理由でマトリフと話をしたことなどなかった。
 アバンから再三誘われているのにも関わらず、地位を求めずにパプニカの海岸の洞窟にひっそりと隠れ棲むこの老人は、他者の来訪を好まない。

 それを承知しているからこそなおさら、ただの顔見知りにすぎない自分が突然押しかけてきても、迷惑なだけだろうとは思う。

 だが、そうと分かっていても、他に思いつく相手がいなかった。
 最初はレオナに相談しようと思った。聡明なあの姫は、若さに似合わずにどんな難問にも即座に解決策や打開策を思い付くことのできる猛者だ。

 ポップの無茶を心配して、彼を密かに援助している後見人でもあるレオナに対して、秘密を抱くのはむしろ失礼だとさえ思うし、報告する方が義務だろう。
 だが、それがためらわれるのは、彼女がポップのことを心配しているのを知っているからだ。

 行方不明のダイを心配するのと同様に、レオナはポップが無茶をするのを心配している。 その彼女にこれ以上心配をかけていいものかどうか――その迷いが、ヒュンケルにはあった。

 同じ迷いがあるからこそ、アバンに打ち明けるのもためらわれた。あの心優しい師は、やっと最愛の人と結ばれ幸せになったばかりだ。それだけに、迷惑や心配をかけたくはないと思う。

 それに実際的な問題として、いくら師弟関係だとはいえ王として働く彼の元へ突然尋ねていく訳にもいかないし、移動呪文の使えないヒュンケルがカール王国に在住しているアバンの所へ行くのは時間が掛かり過ぎる。

 ポップやレオナに頼めばその辺の問題は簡単に解決するだろうが、勘の鋭い二人に自分の悩みを気取られるかと思うと、迂闊に頼めない。

 しかし、だからといって一人で悩むのにも限界がある。
 ポップの秘密に気がついてしまった以上、とても放置はできない。だが、だからといってヒュンケルにできることなど思いもつかず、沈黙を保って一人で抱え込むのは重すぎた。


 悩んだ揚げ句、ヒュンケルが思い付いた相手はポップの師であるマトリフだった。
 レオナ以上の知性を持ち、アバンと同様に信頼のおけるポップの師であり、なおかつ口が堅い。
 ポップのことを相談する相手として、これ以上の相手はいないだろう。

 突然押しかけてきたヒュンケルを、マトリフは意外そうな顔をしつつもあっさりと洞窟の中へと招いてくれた。体調が優れないのか、ベッドの上で状態を起こしたままでの対面になったが、それに不満などない。むしろ、それにも関わらずヒュンケルの話を聞く姿勢を見せてくれた誠意に、心から感謝する。

 だが、話はそこで止まっている。
 覚悟を決めてここまでやってきたはずなのに、いざとなると重い蓋でふさがれたように言葉が出てこない。

 マトリフのベッドのすぐ側で、椅子ではなく地べたに直接に座したまま黙りこくっているのがやっとだ。
 自分から押しかけてきたくせに無言を通す来訪者の無礼を、マトリフは咎めなかった。
 決して短くはない時間そうしていたはずだが、マトリフは急かしもせず、ただ、おかしそうに口端だけで笑う。

「ったく、おめえとポップの奴は全然似てねえと思ってたんだが、兄弟弟子ってのは変なところだけ似るもんなんだな。
 ポップの野郎も大戦中にそうやって、相談に押しかけて来た癖にだんまりを決め込んで、結局は一人で何とかすると言ってそのまま帰っちまったことがあったけどよ。
 おまえさんも、そのクチか?」

 いささかからかいめかしたマトリフのその言葉に、ヒュンケルはわずかに表情を緩めた。
(……ポップらしいな)

 意地っ張りな弟弟子らしいエピソードはヒュンケルには初耳だったが、それがもたらした効果は大きかった。
 張り詰めていた気が緩み、やっと、自分の抱え込んでいた悩みを口にすることができた。


「いえ……、是非ご相談させてください。オレはあなたの意見を伺いたい」

 きちんと姿勢を正し、ヒュンケルはマトリフに向き直る。最大限の礼儀と敬意を払うに値する老魔道士に対して、ヒュンケルは自分の疑問を投げかけた。

「あなたは、ご存じですか? ポップが……年を、取っていないのを」

 

 

「………………」

 マトリフはすぐには返事をしなかった。
 そのせいで、洞窟内にしばしの沈黙が落ちる。答えを持つヒュンケルにはそれがずいぶんと長いもののように感じられたが、実際にはそれ程でもなかっただろう。

「ふん」

 何を大袈裟なとばかりに鼻を鳴らすマトリフは、顔色一つ変えなかった。

「年を取っていないとは、またずいぶんとはっきりと断言したもんだな。
 そんなもの、ただ成長が遅いだけだっつー話じゃねえのか?」

 ヒュンケルの話にほとんど興味を示した様子もなく、マトリフは鼻をほじりながら面倒そうに答える。

「回復魔法の知識がちっとでもあれば常識だが、蘇生ってのは身体にとって大きな負担がかかるもんだ。
 ある程度の年齢の奴に蘇生呪文をかけると、必ずといってもいい程その後、老けこんだように見えるものだし、その後の老化も早くなる。
 若い奴……特に、ポップのように成長期も終わってねえガキなら、老化の変わりに成長が遅れるのが普通だ。大病を患った人間と同じだ、そう珍しいことじゃねえ」

 至極常識的なマトリフの言葉に、ヒュンケルは陰鬱な表情で首を振った。

「…………オレも、そう思いたかったです」

 心の底から、ヒュンケルはそう思う。
 戦士であるヒュンケルは、回復魔法の知識には疎い。文武両道を豪語するアバンの主義により、多少はアバンから基礎的な魔法知識を習った分、並の戦士よりは魔法に詳しいがそんなものは素人に毛が生えたような代物だ。

 魔法使いのポップがそこそこ程度に体術を使える程度の、ほんの嗜み程度の知識でしかない。
 ヒュンケルの持つ魔法知識など、マトリフどころかポップの足下にも及ばないだろう。
 そのヒュンケルでさえ、今、マトリフが説明した話は知っていた。
 

 自分だけではなく、専門家もそういうのであれば間違いはないだろうと納得し、安堵できたのなら。やはり単に成長が遅いだけなのだろうと思えるのなら、どんなに良かっただろう。

 だが、ヒュンケルはすでに確信していた。
 男子の平均的な成長期から言えば、ポップの年齢はまさに伸び盛りのはずだ。だが、物事には必ず例外というものが存在する。

 成長には個人差があり、それが早い者もいれば遅い者もいる。また、身長や体格その物にも個人差はある。
 極論を言ってしまえば、ポップぐらいの伸長や体格のままで成長が終わってしまう人も、少数ではあっても決して皆無ではあるまい。

 ただの成長の個人差のせいだとでも、無理やりにでも思えたのなら、どんなに気が安らいだだろう。

 だが、ヒュンケルは見てしまった。
 嘘だと、思いたかった。
 見間違いに決まっている――いや、そうであってほしいと、何度も確かめ直した。

 だが、事実は変わらない。
 久し振りに会ったポップは、きちんとした盛装に近い服装のせいで、一見大人びたようには見えた。だが、そんなものは脱いでしまえば、本来の身体付きをごまかせるわけがない。

 自分の目による主観だけはでなく、客観的な事実を求めて、ヒュンケルはエイミに協力を頼んだ。

『ポップが一年前に着ていた服がもしあるのなら、それを着替えとして持ってきてくれないか』

 嫌な顔一つせずに頼みを聞いてくれたエイミのおかげで、確認できた。
 伸び盛りの年頃のはずなのに、一年前の服を窮屈がりもせずにそのまま着れるポップは、まるで成長してはいない。
 驚く程、一年前のままだった。

「背や体格に変化がないだけなら、そう思うこともできましたが……あの肩の傷跡を見てしまっては……とてもそうは思えませんでした」

 ポップが肩に怪我をしたのは、魔王軍との戦いの最中……バランとの戦いの時だった。 ちょうど、左肩を真後ろから貫かれた傷跡は、本人が見ようと思ってもそう簡単に見れる場所ではない。

 複数の鏡を利用して確かめようとでもしない限り、確認できない場所だ。 治療中ならまだしも、傷自体は完全に治った今となっては、ポップがいちいち自分の傷跡を確かめる理由はない。

 だが、風呂を共にする相手にとっては、容易に確かめられる場所だ。
 ヒュンケルがポップと一緒に風呂に入る機会は少なかったが、それだけに印象には残っている。
 特にポップが肩に傷を負った後で一緒に風呂に入ったのは、一度きりだ。

 その時のことを、ヒュンケルは忘れはしなかった。まだ治ったばかりだった傷は湯で暖まると赤く染まって目立ち、いかにも痛々しかった。
 そして、昨日一緒に入った風呂で見た傷跡も同じだ。
 治りたての皮膚特有の真新しさが、未だに残っていた。

 一年以上前の傷とはとても思えない傷跡は、かけ湯だけにも敏感に反応して赤く染まった。
 ポップ自身も、意識はしていない――というよりも、知らないのだろう。そうでなければ、そもそもポップはもっと警戒したに違いないのだから。

 それらの事実を、どう老魔道士に伝えようかと口下手なヒュンケルは頭を悩ませる。だが、深い溜め息をついたマトリフの表情を見て、ヒュンケルは説明など不要だったと悟った。

「ふん……そこまで気付いているってんなら、今更とぼけるまでもねえか」

 揺るぎもない、鋭い眼光。
 とてもその年齢の老人とは思えない程の鋭さを持つ目は、鋭さだけでなく深い叡智の輝きも備えている。

 ヒュンケルが何度も見て、その上でやっと受け入れることのできた現実を、マトリフはすでに承知していたのだろう。

「知っているか。竜の騎士って奴はな、不老の存在だとされているんだよ」

 韜晦を捨てた大魔道士は、前置きもなくいきなり核心を突いてきた。
 竜騎士の血。
 一度は死んだポップを生き返らせた、神秘の血。ポップが成長を止めた……すなわち不老の存在になったとすれば、それが原因ではないかとヒュンケルも薄々思っていたことだ。
 だが、ヒュンケルには漠然と想像するしかできなかった推論を、マトリフは確かな事実として淡々と説明する。

「竜の騎士は、成長過程ではほぼ人間と変わりがない。普通に成長し、年も取っていく。 だが、真に覚醒を遂げた竜の騎士は、その段階で年齢が固定されると聞いている。ま、少なくとも古い文献にゃあそう書いてあるな。
 最高の戦士としての状態を保つために、最大の戦闘力を発揮できるところまで肉体成長を遂げた後は、その後、一切老化しなくなる……そういう理屈らしい」

 こいつは別に珍しい体質というわけじゃない、ともマトリフは続けた。魔族の大半はそうであり、老化が極端に遅い種族の方が多いと説明した後で、彼は深く溜め息をつく。

「一説に拠れば、竜の騎士ってのは本来は不老不死の生物だともいうが、こいつはどうかは怪しいもんだと思うがな。
 ダイの父親がそうだったように、竜の騎士ってのは不死身ってわけじゃない。それどころか必ず戦いの中で命を落としている。平均的に見れば、人間の常識から言っても短命だ」


 その言葉にチクリと胸が痛むのは、大戦中に見たバランの壮絶な最期を思い出したせいだ。

 あれほど強く、欠点など何一つ見つからないような完成された戦士だったバランでさえ、戦いの中で命を落とした事実を思えば、竜の騎士が不死身ではないという言葉はすんなりと受け入れられた。
 激しい戦いに自ら望んで赴いた結果が、戦死に繋がるのは当たり前の話だ。

「不老なのは確かなようだが、竜の騎士が寿命を全うさせることができるなら、本来は不老不死の存在なのか、単に不老なだけで寿命は人間並みなのか、そんなのは分からねえな。 なにしろ資料が絶対的に少ねえんだ、検討のしようもねえ」

(そういえば……ポップも、そんなことを言っていたな)

 忘れもしない、大魔王バーンとの戦いの最中。
 ポップはダイの寿命の長さがどれぐらいなのか、バーンへ問いかけていた。あの頃から、ポップは竜の騎士の寿命について考えていたのかと感心じみた感情を抱いた後で、ヒュンケルは寒くもないのに身震いする。

 竜の騎士が不老で、寿命不明の存在だとしたら、その血を受けた人間はどうなるのか――。
 疑問を口にはしなかったが、マトリフ程の洞察力を持っていればそんなものは目を見るだけで察しがついたのだろう。

「竜の騎士の資料でさえろくすっぽないんだ。ましてや竜の騎士の血で生還した人間の記録なんざ、もっと少ねえよ。
 竜の騎士の血を受けた人間自体そう多くはねえし、しかも大半はそのまま蘇生しないで終わっている」

 心を読み取ったように説明をしてくれる老魔道士の言葉には、微塵の迷いも容赦もなかった。

「成功例なんてものは、伝説で多少聞く程度だ。とても、資料として役に立つ部類のもんじゃねえぜ」

 その言葉で締めくくられた説明を、ヒュンケルはとても受け入れきれなかった。このまま、終わってなどほしくはない。

「…………他に竜の騎士の血を受けた人間の話は、ないんですか?」

 すがりつくように、尋ねずにはいられない。
 大魔道士マトリフの説明に異を唱えるなんてつもりは毛頭ないが、少しでもいいから安心できる情報がほしかった。

「例えば……伝説の竜の血を飲んだ人間は不死身の力を得る……そんな話なら、昔、アバンに聞いたことがあります」

「ああ、その話ならオレも知っている。というか、オレがあいつに教えたんだ。
 あいつは、それしか教えなかったのか?」

 頷くヒュンケルを、マトリフはしばし黙ったまま見つめる。その目に、どこか哀れみじみたものを感じたのは……気のせいだろうか。

「伝説の話ってのは、大抵長い時間の間に変質するもんだ。竜の血を飲んだ人間が得たのが、超常的な力だったり、不老不死だったりと幾つかのパターンがある。
 ま、ラストだけはなぜか同じなんだけどな」

 そこで一度言葉を切り、マトリフは皮肉げな表情を浮かべる。

「聞きたいか?」

 少しためらいを感じたが、ヒュンケルは頷いた。たとえ伝説でも構わないから、少しでも多くの手掛かりがほしい――そう思ったからだ。
 だが、ヒュンケルはすぐにそれを後悔する。

「竜の血を飲んだ人間は――その力を欲したり妬んだりした大勢の人間達によって殺される。
 それが、お定まりの結末さ」
                                《続く》

 

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