『綻びていく秘密 4』 |
「……なんて面をしてやがる。言っただろ、今のは伝説の話だ。ただの、カビの生えかけた昔話にすぎねえよ」 苦笑混じりにマトリフにそう言われてからやっと、ヒュンケルは自分がしばし棒立ちになっていた事実に気がついた。 異端となった者を差別する――それは、決しておとぎ話だけの話ではない。現実でも十分に起こりうる話だ。 人間は、差に敏感だ。 魔族に拾われて育てられたヒュンケルは、身を持ってそれを知っていた。 ましてや、その相手が純粋な人間ではないのであれば、尚更だろう。 それは、ラーハルトも同じだ。 ヒュンケルと一緒に旅をしている最中も、ラーハルトは極力人間との接触を避けていたし、宿に泊まるよりも野宿を好んだ。 ラーハルトはあまり昔のことを口にする男ではないが、彼や彼の母親が人間に迫害を受けたのは想像に難くない。 だが、その迫害がポップにも及ぶかもしれないなどとは、一度も考えたことはなかった。 ポップは、良くも悪くも普通の少年だ。 人間以外のメンバーの多い勇者一行の中で、ポップこそは人間の代表のように感じていた。 ちょっと頼りないけれど暖かく、時に信じられないぐらいの底力を見せるポップこそが、人間の輝きを信じさせてくれる存在だったと言っていい。 だが、そのポップが同じ人間達から迫害される運命を辿るかもしれない――それは、ただの仮定であってもヒュンケルを打ちのめした。 「まあ、そんなおとぎ話じみた伝説の話なんかはどうでもいい。正直な話、ポップの件に関してはオレには打てる手は思いつかねえな。 変身魔法で一時的に姿を変えることはできるが、それを恒久的に行うのは相当な無理があるし身体にも負担が大きいと、マトリフは淡々と説明する。 「だいたい今のあいつが本当に不老化したのか、それとも一時的な体質変化により成長停止しているだけなのかさえ、分からねえ。 感情を交えず、淡々と状況と今後の方針を告げるその言葉は、不思議なぐらいの落ち着きをヒュンケルに与えてくれた。 もし、この先本当にポップが成長しないままだったとしても、まだ自分にもやれることがある――そう思えるのは、支えになった。 訪れるかもしれない、暗黒の未来が恐ろしかったのではない。その時に大切に思う人間が闇に飲まれていくのを見ながら、自分が手も足も出ず、何もできないことの方が恐ろしかった。 だが、わずかでも自分にもできることがあるのなら、ヒュンケルは全力で手を貸すつもりだった。 周囲やポップを説き伏せ、宮廷のように人目に触れる場所から遠ざかるように忠告するだけで、根本解決はできなくとも最悪の可能性は回避できる。 「何度も言うようだが、そんな深刻な面をすることじゃねえ。今説明したのは、可能性の一つに過ぎねえよ。 おそらく意図的に軽く言っているその口調に、ヒュンケルはこの老魔道士の観察眼の鋭さと、隠された優しさを知る。 (この人には適わないな……) ポップが竜の騎士の血を受けた事実や、彼の傷跡や身体を実際に見たからこそ、ヒュンケルは彼の成長が停止している事実に気がついた。 しかも、マトリフは竜の騎士の伝承にも詳しいし、治療のためにポップを診る機会も多かった。 しかし、真相に気付きながらもマトリフはそれを心の奥底に秘め、微塵も表にはださなかった。 どうせ見守るしかできないのであれば、他の誰に言っても言わなくても同じだと判断し、自分の内部だけに秘密を納めていたのだ。 「……感謝します。あなたに、相談を聞いてもらえてよかった」 深々と、ヒュンケルは頭を下げる。 「そいつは、こっちのセリフだな。 自分自身の不吉な未来さえもカラカラと笑い飛ばす老魔道士の存在を、頼もしく思う。 だが、それでも完全に安心しきれずに余分な心配事を見つけてしまうのは、性格というものだろうか。 「…………ポップは、このことを知っているのでしょうか?」 慎重に尋ねたヒュンケルの問いに対して、マトリフは無造作に首を横に振った。 「そいつは知らねえな。 一瞬、驚いてヒュンケルは周囲を見回した。 専門の知識がなければ読むことすら困難な程難しい本が、所狭しと置かれている。 「大戦中からあいつはここの本をちょくちょく読んでいたし、終わってからは尚更だ。 マトリフのその保証に、ヒュンケルは安堵していいのか、より不安になった方がいいのか、しばし迷う。 確かにポップは見た目によらぬ知能を持っているし、その調子のよさに似合わない努力家でもある。 戦いの間は魔法の習得に向けていた努力を、今、ポップはダイの捜索のために注ぎ込んでいる。 そして、ポップの記憶力はずば抜けている。 つまり、それは――ポップが自分の成長に不信を抱くと同時に、今、ヒュンケルがマトリフの手助けを借りてやっと受け入れた真相に、一気に辿り着いてしまうということだ。
だが、そうとは分かっていても、ヒュンケルには多少の迷いがあった。
(……やはり、黙っていた方がいいのだろうか……?) 帰り道、ヒュンケルの足取りはどことなく重かった。 だが、ヒュンケルは敢えて急ごうとは思わなかった。 しかし、それが分かっていても、ヒュンケルは急がなかった。 むしろ、まだ動揺が残るうちに城に帰って、ポップやレオナと顔を会わせることの方が怖かった。ずば抜けて勘がよく、その上頭の回転の早い二人を相手に、秘密を持ち続けるのには覚悟が必要だ。 特に、レオナに対して隠し事を抱くのは心理的な抵抗が強い。自分を捌いてくれたパプニカ王女に対して、ヒュンケルは強い恩義を感じている。 その際、誰よりも見事に手を打てるのは、間違いなく彼女のはずだ。 「あっ、いたいたっ、やっと見つけた!」 どこかで待ち構えていたのか、その声と同時にポップは文字通り空を飛んでやってきた。 見慣れた、緑色の旅人の服姿のポップは器用に空中にフワリと浮いたまま、ヒュンケルをわずかに見下ろす位置に陣取ってぎろりと睨みつけてくる。 「なんだよ、おまえ、どこ行ってたんだよ? さっきからさんっざん探してたんだぜ、おまえなー、出かけるなら出かけるで一言ぐらい伝言残してから行けよな!」 掴まっていきなり文句をまくし立てられたヒュンケルは、戸惑いつつもつい思わずにはいられなかった。 (……それは、おまえだけは言われたくないが) 大戦中もその後も、感情のままに鉄砲玉のように飛び出していくポップの行動には周囲はずいぶん肝を冷やされたものである。 「だいたいおまえときたら、魔王軍との戦いの時からずっと単独行動ばっか取りやがってさ! さっそく、姫さんに嫌味を言われちまったじゃねえか。 そんな文句ならば直接アバンにでも言って欲しいと思ったが、ポップだけならともかくレオナへの不満に繋がることを口にする気にはならないヒュンケルは沈黙を保つ。 だが、いつものことだが、ヒュンケルにしてみればよかれと思ってとった言動は、いたくポップの気に触ったらしい。 「ったく、涼しい顔して突っ立ってないでさっさと手を出せよ! ルーラするんだからさ」
断ろうとしたヒュンケルだが、ポップは強引に手を掴んでくる。 「おまえな〜。城に居候してすぐに無断外泊なんて真似したら、姫さんが黙っているわけないだろ? 強く言われて、ヒュンケルはおとなしくポップの手を自分からも掴み直す。本来なら術者が一緒に移動させたい相手に軽く触れていれば、それでことが足りる。が、いまだに瞬間移動呪文の着地が苦手なポップの場合、逆に一緒に移動する相手がしっかりとポップを掴まえていないと、着地のバランスを崩しまくる可能性が高いのだ。 ヒュンケルが手を掴んだのを確認したかと思うと、ポップが呪文を唱える。 (変だな……?) 瞬間移動呪文 その呼び名の通り、呪文を唱えれば即座に術者がイメージした場所へと移動できる便利な呪文だ。 この魔法は、光と同じ早さで、凄まじいまでの高速移動をしているだけの呪文だ。だからこそ移動斜線上に障害物があれば移動できなくなるし、近場と遠方に飛ぶ際には微妙に異動時間に差が発生する。 例えば、今回のように目で見える範囲に移動するのは、最も容易く、また、最も速い速度で移動できる。 そんな疑問を抱ける程度の時間の中、ヒュンケルは着地の衝撃に備えて掴んでいたポップの腕を強く引き寄せる。 腕の中でポップが暴れたせいで非常にやりにくかったが、それでもなんとか自分もポップも地面に投げ出されないまま地面に下り立った事実にホッとしてから、ヒュンケルは改めて『それ』に気がついた。 「ここ……は?」 がらりと変わった風景に、戸惑わずにはいられなかった。 植物の姿すらなく、尖った岩山の数々が並ぶ刺々しい風景は、どこか見覚えのあるものだった。 (まさか、ここは ) そう思うヒュンケルの心を先読みしたように、ポップがニッと笑って言ってのけた。 「分かんねえの? 死の大地だよ」
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