『綻びていく秘密 4』

 

「……なんて面をしてやがる。言っただろ、今のは伝説の話だ。ただの、カビの生えかけた昔話にすぎねえよ」

 苦笑混じりにマトリフにそう言われてからやっと、ヒュンケルは自分がしばし棒立ちになっていた事実に気がついた。
 だが、そう言われてもなお、ヒュンケルにはそれがただの昔話だと笑い飛ばすことなどできなかった。

 異端となった者を差別する――それは、決しておとぎ話だけの話ではない。現実でも十分に起こりうる話だ。

 人間は、差に敏感だ。
 少しでも自分達と違う部分がある者を、驚く程の鋭さで察知して排除しようとする傾向がある。

 魔族に拾われて育てられたヒュンケルは、身を持ってそれを知っていた。
 アバンと共に旅をしていた短い期間でさえ、旅先で出会ったそう多いとは言えない子供達は、ヒュンケルが普通の子供とは違うとすぐに見抜き、近付くのを嫌がった。

 ましてや、その相手が純粋な人間ではないのであれば、尚更だろう。
 竜の騎士と人間との混血児であるダイが自分の出生を知った後、悩んでいた事実をヒュンケルは知っている。

 それは、ラーハルトも同じだ。
 魔族と人間の混血であるラーハルトはどちらかといえば魔族寄りの体質に近い上に、魔族の間で過ごした時間の長さも手伝って、彼は精神面でも魔族に近い。
 だが、そんな彼でさえ人間と自分の違いを意識しているのは明白だった。

 ヒュンケルと一緒に旅をしている最中も、ラーハルトは極力人間との接触を避けていたし、宿に泊まるよりも野宿を好んだ。
 傍若無人なように見えて、ラーハルトもまた、自分が人に差別される存在であることを自覚していたし、顔にはださずとも密かに気にしていたのだろう。

 ラーハルトはあまり昔のことを口にする男ではないが、彼や彼の母親が人間に迫害を受けたのは想像に難くない。
 心の痛む話ではあるが、自分も含めて人外に位置する者達が人間に差別される立場だという事実は、ヒュンケルにとっては甘受せざるを得ない現実だと思っていた。

 だが、その迫害がポップにも及ぶかもしれないなどとは、一度も考えたことはなかった。 ポップは、良くも悪くも普通の少年だ。
 突出した魔法力を除けば、ポップはそれこそどこにでもいそうなありふれた少年にすぎない。

 人間以外のメンバーの多い勇者一行の中で、ポップこそは人間の代表のように感じていた。 ちょっと頼りないけれど暖かく、時に信じられないぐらいの底力を見せるポップこそが、人間の輝きを信じさせてくれる存在だったと言っていい。

 だが、そのポップが同じ人間達から迫害される運命を辿るかもしれない――それは、ただの仮定であってもヒュンケルを打ちのめした。
 予想外の衝撃に黙りこくっているだけのヒュンケルに、話を先に促したのはマトリフだった。

「まあ、そんなおとぎ話じみた伝説の話なんかはどうでもいい。正直な話、ポップの件に関してはオレには打てる手は思いつかねえな。
 人を無理に成長させる術も、逆に成長を止める魔法なんてものもありゃしねえんだ」

 変身魔法で一時的に姿を変えることはできるが、それを恒久的に行うのは相当な無理があるし身体にも負担が大きいと、マトリフは淡々と説明する。

「だいたい今のあいつが本当に不老化したのか、それとも一時的な体質変化により成長停止しているだけなのかさえ、分からねえ。
 黙って見ているぐらいしか、できるこたぁありゃしねえんだからよ。
 幸か不幸か、あいつは今、成長期だ。そう何年も待たずとも結果は見えてくる。
 それから手を打っても、遅くはあるまい」

 感情を交えず、淡々と状況と今後の方針を告げるその言葉は、不思議なぐらいの落ち着きをヒュンケルに与えてくれた。
 先の見通せない漠然とした不安に揺らいでいた心には、現状をしっかりと把握し、指針を指し示す言葉は安定剤のように深く染み込む。

 もし、この先本当にポップが成長しないままだったとしても、まだ自分にもやれることがある――そう思えるのは、支えになった。 訪れるかもしれない、暗黒の未来が恐ろしかったのではない。その時に大切に思う人間が闇に飲まれていくのを見ながら、自分が手も足も出ず、何もできないことの方が恐ろしかった。

 だが、わずかでも自分にもできることがあるのなら、ヒュンケルは全力で手を貸すつもりだった。
 さすがに何年も経てば誰の目にもごまかしきれなくなるだろうが、周囲に事情を知っている人間がいるだけでも話はずいぶんと違ってくるだろう。

 周囲やポップを説き伏せ、宮廷のように人目に触れる場所から遠ざかるように忠告するだけで、根本解決はできなくとも最悪の可能性は回避できる。
 ヒュンケルがそう思い直し、自分を立て直すのを見計らったかのようなタイミングで、マトリフが再び口を開く。

「何度も言うようだが、そんな深刻な面をすることじゃねえ。今説明したのは、可能性の一つに過ぎねえよ。
 確かに今のポップの成長は停止しているらしいが、それがこの先どうなるかはまだ決まったわけじゃねえんだ。
 こんな話も、ただの取り越し苦労で終わる可能性だって十分にあるんだぜ」

 おそらく意図的に軽く言っているその口調に、ヒュンケルはこの老魔道士の観察眼の鋭さと、隠された優しさを知る。

(この人には適わないな……)

 ポップが竜の騎士の血を受けた事実や、彼の傷跡や身体を実際に見たからこそ、ヒュンケルは彼の成長が停止している事実に気がついた。
 ならば、同じ事実を知っている上に、ヒュンケルよりも頻繁にポップに会う機会のあったマトリフならば尚更、真実に気づくのはたやすかっただろう。

 しかも、マトリフは竜の騎士の伝承にも詳しいし、治療のためにポップを診る機会も多かった。
 ポップがまるっきり成長していないことなど、ヒュンケルが気付くよりも早く知っていて当然だったのだ。

 しかし、真相に気付きながらもマトリフはそれを心の奥底に秘め、微塵も表にはださなかった。

 どうせ見守るしかできないのであれば、他の誰に言っても言わなくても同じだと判断し、自分の内部だけに秘密を納めていたのだ。
 その心の強さと思慮の深さに、ヒュンケルは敬意を払わずにはいられない。

「……感謝します。あなたに、相談を聞いてもらえてよかった」

 深々と、ヒュンケルは頭を下げる。
 問題が解決したわけではないとは言え、心はずいぶんと軽くなった。それは、明らかにマトリフがもたらしてくれた功績だ。

「そいつは、こっちのセリフだな。
 ぶっちゃけてしまえばよ、おまえさんが来てくれたったのは、オレにはありがたいぐらいだよ。
 1年や2年ならともかく、数年後の観察まではオレもさすがに自信がなかったからな」
 

 自分自身の不吉な未来さえもカラカラと笑い飛ばす老魔道士の存在を、頼もしく思う。 だが、それでも完全に安心しきれずに余分な心配事を見つけてしまうのは、性格というものだろうか。

「…………ポップは、このことを知っているのでしょうか?」

 慎重に尋ねたヒュンケルの問いに対して、マトリフは無造作に首を横に振った。

「そいつは知らねえな。
 少なくとも、オレのところにはあいつがその件で泣き付いてきたことはねえからよ。
 だがよ……ポップの野郎には、オレの持っている全ての書を好きなように見ていいという許可はくれてやった」

 一瞬、驚いてヒュンケルは周囲を見回した。
 雑然と様々な品物が散らかっている印象があるマトリフの洞窟だが、よくよく見れば一番多いのは本類だ。それも、一般的に世間で流通している本などではない。

 専門の知識がなければ読むことすら困難な程難しい本が、所狭しと置かれている。
 ヒュンケルもアバンの教育の結果、人並み以上に読書はする方だとは思うが、それでさえこの本の量には怯んでしまう。だが、マトリフは事も無げに言った。

「大戦中からあいつはここの本をちょくちょく読んでいたし、終わってからは尚更だ。
 なんだかんだいって、今となっては全部一通り目を通しているだろうぜ。
 当然、オレが今話したことぐらいはあいつは知っていると思っていい」

 マトリフのその保証に、ヒュンケルは安堵していいのか、より不安になった方がいいのか、しばし迷う。

 確かにポップは見た目によらぬ知能を持っているし、その調子のよさに似合わない努力家でもある。
 魔王軍との戦いの最中も人の知らないところで密かに修行をしていた事実を、ヒュンケルはちゃんと知っていた。

 戦いの間は魔法の習得に向けていた努力を、今、ポップはダイの捜索のために注ぎ込んでいる。
 ダイを探すための手掛かりがほんのわずかでも得られる可能性があるのなら、ポップはどんな大量の本の山にも怯むことなく読破するだろう。

 そして、ポップの記憶力はずば抜けている。
 一度聞いたことは、彼は些細なことでも忘れたりはしない。たとえすぐに役に立たない知識だとしても、記憶の引き出しにしまい込んでおいて必要な時には的確に思い出す能力に長けている。

 つまり、それは――ポップが自分の成長に不信を抱くと同時に、今、ヒュンケルがマトリフの手助けを借りてやっと受け入れた真相に、一気に辿り着いてしまうということだ。


 それだけに、ヒュンケルは迷う。
 ポップの成長に関しては、どちらにしろ時を待つしかない。
 マトリフが誰にも言わぬまま、時が来るまで黙って見守る覚悟を固めているのは見て取れる。それはおそらく、もっとも賢明な選択だろう。

 だが、そうとは分かっていても、ヒュンケルには多少の迷いがあった。
 できるだけ早い時期にポップが自分の体質を自覚していた方がいいのか、あるいはどうせ打つ手がないのなら、何も知らないままで過ごす方が気楽にすごせるのか。
 どちらがポップにとっていいことなのか、ヒュンケルには決めかねた――。

 

 

(……やはり、黙っていた方がいいのだろうか……?)

 帰り道、ヒュンケルの足取りはどことなく重かった。
 マトリフの洞窟は、城からそう遠いわけではない。ただ、入り組んだ場所に隠されているから行きにくいだけで、距離的にはたいしたものではない。
 急げば、もっと早く帰れただろう。

 だが、ヒュンケルは敢えて急ごうとは思わなかった。
 人間の城というものは例外なく夕刻になると門を閉められ、一切の行き来が禁じられる。あらかじめ許可を得ていなければ、城の住人でさえ門を通してもらえないのが原則だ。

 しかし、それが分かっていても、ヒュンケルは急がなかった。
 城の門限に間に合わず、締め切られてしまっても構わないとさえ思う。なんの支度もしてこなかったが、この時期の野宿ならば少しも苦にならない。

 むしろ、まだ動揺が残るうちに城に帰って、ポップやレオナと顔を会わせることの方が怖かった。ずば抜けて勘がよく、その上頭の回転の早い二人を相手に、秘密を持ち続けるのには覚悟が必要だ。

 特に、レオナに対して隠し事を抱くのは心理的な抵抗が強い。自分を捌いてくれたパプニカ王女に対して、ヒュンケルは強い恩義を感じている。
 その上、彼女は聡明だ。
 もし、この先ポップの成長が止まったままだとして、彼が宮廷を辞する日が来るのだとすれば、レオナの手助けは欠かせまい。

 その際、誰よりも見事に手を打てるのは、間違いなく彼女のはずだ。
 先々のことを思えば、いっそポップ本人には真相は伏せていたまま、レオナには密かに打ち明けた方がいいのかもしれない――そんなことさえ考えていた時のことだった。

「あっ、いたいたっ、やっと見つけた!」

 どこかで待ち構えていたのか、その声と同時にポップは文字通り空を飛んでやってきた。 見慣れた、緑色の旅人の服姿のポップは器用に空中にフワリと浮いたまま、ヒュンケルをわずかに見下ろす位置に陣取ってぎろりと睨みつけてくる。

「なんだよ、おまえ、どこ行ってたんだよ? さっきからさんっざん探してたんだぜ、おまえなー、出かけるなら出かけるで一言ぐらい伝言残してから行けよな!」

 掴まっていきなり文句をまくし立てられたヒュンケルは、戸惑いつつもつい思わずにはいられなかった。

(……それは、おまえだけは言われたくないが)

 大戦中もその後も、感情のままに鉄砲玉のように飛び出していくポップの行動には周囲はずいぶん肝を冷やされたものである。
 そのことを口にしようか、それともやはりここは一応は謝った方がいいのだろうかとヒュンケルが悩む間も、ポップの文句は止まらなかった。

「だいたいおまえときたら、魔王軍との戦いの時からずっと単独行動ばっか取りやがってさ! さっそく、姫さんに嫌味を言われちまったじゃねえか。
 飛び出して言ったっきり戻ってこないのは、アバン流の教えなのかしらなんて言われちまったんだぜ?!」

 そんな文句ならば直接アバンにでも言って欲しいと思ったが、ポップだけならともかくレオナへの不満に繋がることを口にする気にはならないヒュンケルは沈黙を保つ。

 だが、いつものことだが、ヒュンケルにしてみればよかれと思ってとった言動は、いたくポップの気に触ったらしい。
 ますますぶんむくれた顔をしながら、ポップは手を伸ばしてきた。

「ったく、涼しい顔して突っ立ってないでさっさと手を出せよ! ルーラするんだからさ」


「いや、オレは別に――」

 断ろうとしたヒュンケルだが、ポップは強引に手を掴んでくる。

「おまえな〜。城に居候してすぐに無断外泊なんて真似したら、姫さんが黙っているわけないだろ?
 いいから来いって!!」

 強く言われて、ヒュンケルはおとなしくポップの手を自分からも掴み直す。本来なら術者が一緒に移動させたい相手に軽く触れていれば、それでことが足りる。が、いまだに瞬間移動呪文の着地が苦手なポップの場合、逆に一緒に移動する相手がしっかりとポップを掴まえていないと、着地のバランスを崩しまくる可能性が高いのだ。

 ヒュンケルが手を掴んだのを確認したかと思うと、ポップが呪文を唱える。
 途端に、浮遊感が二人を包む。
 だが、その移動には違和感があった。

(変だな……?)

 瞬間移動呪文  その呼び名の通り、呪文を唱えれば即座に術者がイメージした場所へと移動できる便利な呪文だ。
 だが、文字通りの『瞬間』の移動とは言えない。

 この魔法は、光と同じ早さで、凄まじいまでの高速移動をしているだけの呪文だ。だからこそ移動斜線上に障害物があれば移動できなくなるし、近場と遠方に飛ぶ際には微妙に異動時間に差が発生する。

 例えば、今回のように目で見える範囲に移動するのは、最も容易く、また、最も速い速度で移動できる。
 近ければ近いほど瞬間に近い早さで移動できるはずのこの呪文で、この短い距離を移動する間に違和感を覚えるのは不自然だ。

 そんな疑問を抱ける程度の時間の中、ヒュンケルは着地の衝撃に備えて掴んでいたポップの腕を強く引き寄せる。
 無意識のうちにしっかりと地面に着地し、投げ出されかけたポップの軽い身体をしっかりと引き寄せて着地の衝撃を殺す。

 腕の中でポップが暴れたせいで非常にやりにくかったが、それでもなんとか自分もポップも地面に投げ出されないまま地面に下り立った事実にホッとしてから、ヒュンケルは改めて『それ』に気がついた。

「ここ……は?」

 がらりと変わった風景に、戸惑わずにはいられなかった。
 ついさっきまで、城を遠くに望む緑豊かな喉かな風景の中にいたはずだったのに、今、目に入るのは荒涼とした荒れ地だった。

 植物の姿すらなく、尖った岩山の数々が並ぶ刺々しい風景は、どこか見覚えのあるものだった。

(まさか、ここは  )

 そう思うヒュンケルの心を先読みしたように、ポップがニッと笑って言ってのけた。

「分かんねえの? 死の大地だよ」
                                        《続く》

 

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