『釣竿を持たぬ太公望 ー中編ー』 |
「おい、いつまでもそんなところにいられたんじゃ、釣りの邪魔だ。 まるでとどめを刺すように。 強張った表情で自分を見ているロカやレイラの視線を感じ取りながら、ことさら下卑た口調で言ってのける。 「ま、そっちのネエちゃんがぱふぱふでもサービスしてくれるってんなら、ちったぁ考えてやらんでもねぇけどよ」 本気とは程遠い軽いからかいのつもりだったのだが、ロカは面白いぐらい素早く反応した。 「おいっ、じじいっ! ふざけるのもいい加減にしやがれよっ、言うにことを欠いてなにをぬかしやがるっ!?」 (おーお、本当に若いねえ) 潔癖な僧侶の少女では、この程度の軽い冗談を受け流す余裕などないだろう。また、若く血気盛んな兵士は、女性への侮辱を許せはしまい。 だが、それはある意味で好都合だ。ここまでムキになるということは、おそらくはロカはレイラに対して特別な感情を抱いているのだろう。 自分の感情を隠せもしないその若さに内心苦笑をしつつ、マトリフはロカの短気さを利用してさらに挑発を重ね、今度こそ追い払おうとした。 「まあまあ、ロカ。そんなに怒らないでくださいよ、ただの軽い冗談じゃないですか」 アバンのその軽い文句に、ロカは敵が増えたとばかりにきつい目を向け、矛先をかえて勇者に噛み付いた。 「冗談だって!? とてもそうとは思えなかったぞっ! おいっ、アバン、本気でこのエロジジイを仲間にする気なのかよ!?」 などと、声も抑えずに怒鳴るロカは、すでに礼儀や勧誘のことなどすっかり忘れているに違いない。 (頭は悪そうだが、なかなか見る目はある若造じゃねえか) 感情をまるっきり隠せない素直さや、猛然と文句をつけてくる一本気さには、好感を持てる。 だが、アバンの方はロカに比べると、まさに煮ても焼いても食えないしぶとさを持っていた。 「ええ、私は本気で彼を仲間に迎え入れるつもりですし、あの発言はちょっとお茶目な冗談だと思っていますよ」 ロカに対してはけろりとした口調でそう言ってのけるものの、分かっていますよと言わんばかりの意味ありげな視線をマトリフに投げ掛けるのが癪に障る。 どうやら、アバンはロカに比べると格段に頭が切れて、見る目もあるくせに悪趣味な男らしい。 「ほら、冗談だという証拠に――」 そう言ったかと思うと、アバンの身体がいきなり煙に包まれる。炎を全く上げず、熱くもないその煙が変身魔法特有のものだと、マトリフが見逃すはずもない。 「ええっ!?」 「な、なんだぁっ!? レイラが二人っ!?」 まるで分裂でもしたかのように、瓜二つの姿の僧侶の娘がそこに並んで立っていた。外見はそれこそ双子のようにそっくりで衣装まで同じだが、片方が驚いているのに対して、片方は平然とした顔でにこにこしている。 ロカやレイラほどではないが、マトリフもその光景には驚かずにはいられない。 変身魔法、モシャス。 モシャスならばマトリフ自身も使えるし、呪文の効力に驚いたわけではない。 俗に勇者は全ての職業の長所を兼ね備えていると言われるものの、伝承で語られる勇者の能力値は戦士に近い場合が多い。 あっさりとモシャスを使って見せたアバンは、レイラの姿形のまま、いかにも可愛らしい笑みを浮かべて訴えてくる。 「え、えっと、分かりました! 恥ずかしいですけど、それであなたが仲間になってくださるというなら……っ」 両手で自分の腕を抱き締めるいかにも女の子らしい健気なポーズは、同時にさりげなく胸を寄せあげ、強調するポーズになっていた。 モシャスが変化させるのは、ほとんど外見のみだ。レベルが高い術者ならば、姿を写した相手の能力値までそっくり再現できるというが、まあ、この際それはどうでもいい。 術のモデルらしく見えるように振る舞うのには、本人の演技力がものを言う。異性に化けるのはいろいろと難しいものだが、アバンは実に多芸だった。 少なくとも、女の子としては申し分ない。 なまじ自分自身も変身魔法が使えるだけに、外見だけ美女なら中身はどうでもいいとは思えない。 「じ、冗談はよしやがれっ」 反射的に身を引いた途端、レイラの顔に似合わない悪戯っぽい笑みが浮かぶ。途端に再び魔法の煙がはぜ、後にはその笑顔のままのアバンが残った。 「ほら、今のを聞きましたか、ロカ、レイラ? ね、さっきのはただの冗談だったでしょう?」 そう言った時のアバンのしたり顔ときたら――! 「それにしても報酬次第では参加を考えてくれる気があるとは、朗報ですね」 「考えると言っただけだ。別に、参加すると言ったわけじゃねえ」 ことさら不機嫌な声で肯定しつつも、マトリフは一応は抵抗して見せる。だが、内心では少々まずい展開になったなとは思っていた。 精霊と契約を交わすことで初めて魔法を使う力を手に入れるように、契約にはそれ自体に力があるとの考えが捨てきれない。 たとえそれが不本意なものであれ、また、勢いや口先だけの約束であったとしても、言葉には言霊が宿る。それを破ることは、魔法使いとしての格を自ら落とすことに他ならない。 契約をないがしろにする魔法使いは、精霊との契約でも力を失うという俗説もあるぐらいだ。 さすがにマトリフはそんな俗説をそのまま信じているわけではないが、それでも進んで自分から口にした契約を破りたいとは思わない。 「でも、考えてもいいとはおっしゃいましたよね? それなら、あなたのお望みのままにどんなものでも、と言いたいところなんですけどね。 「はあ? なんだ、そりゃあ?」 てっきり高報酬で釣ってくると思いきや、あまりに意外な話にマトリフはついつい間の抜けた声で問い返してしまう。 「ですから、お約束できる金銭的な報酬なんてないんですよ。なにしろ、私からしてボランティアですので。 「飽きれた野郎だな、なにをやってやがるんだか」 辛辣なこきおろしなどものともせず、アバンは上機嫌でいってのける。 「いやぁ、お恥ずかしい。まあ、こんなうっかりものだからこそ、年配者の助言や助けが必要なんですよ。 朗らかに話しかけてくる言葉が、すでに勧誘になっていることに気が付いて、マトリフは舌打ちをした。 (いけねえ、どうにも厄介だな) 若さに似合わず、アバンは口達者だ。 相手になどする気などないのに、気がつくとアバンのペースにまんまと巻き込まれてきる。 「その件は断ると言っただろうが。おまえもいいかげんしつこい奴だな、どんな報酬で釣ったって同じことだ」 実際、マトリフは欲深ではない。無報酬なのも歓迎はしたくないが、金銭的な報酬や褒美を約束されたからといってやる気など最初からない。 「いいか、オレもいい年なんでね、今更冒険なんざ望んじゃいねえ。 その言葉は、半分は本当で半分は嘘だった。 そんなものは、昔の古傷のようなものだ。 魔法の腕が衰えたとは思っていないが、マトリフもかなりの高齢だ。平均寿命を超える年齢まで生きてきたのだ、今更夢見がちな若者のように自分の冒険心を膨らませて旅に出たいなどと思わない。 マトリフのそんな口には出さない思惑をどこまで読み取ろうとしているのか、アバンはしばらくの間無言で彼を見つめる。 だが、マトリフがそれをしっかりと見定める前に、アバンは再びさっきまでと同じ笑顔と調子のよさを取り戻した。 「では、勝負をしてみませんか。 「いいぜ」 素早く、マトリフは頷く。 ましてや、この条件にはマトリフのメリットは少ない。 ここまで妙に人懐っこく、自分のペースに人を巻き込む男に側にいられると、調子が狂ってしまう。 しかし、こうなったらもう勝負でも何でもいいからさっさと済ませ、この奇妙な青年を追い出したいという気持ちの方が強かった。 「で、勝負ってのは何でやるんだ? 念を押すマトリフに対して、アバンは力強く頷いた。 「もちろん、言いませんとも。 何かを探すように周囲を見回したアバンの目が、マトリフの竿で止まる。 「あっ、釣り勝負などはどうです? 私はこう見えても、なかなかの釣り名人なんですよー」 さも、たった今いいアイデアを思いついたとばかりに手を打つしぐさをを見て、マトリフは内心思う。 (どうも信用できないんだよな、こいつは) 本人が意図しているかどうかは不明だが、アバンの言動には、どこかしら芝居掛かったわざとらしさが見え隠れしている。 だが、それはアバンの純粋さを証明とは言えないだろう。むしろ、アバンの言動の全てが計算した上での演出ではないかとの疑いを、マトリフは捨てきれない。 つまり、今のアバンの思い付きが単なる思い付きではなく、予め仕組んであった予定である可能性を、マトリフは感じ取っていた。 「ああ、いいぜ。 どう見ても旅装束の彼らを見て、マトリフは珍しくも出血大サービスな申し出をしてやったが、アバンはピッと指を一本立ててそれを振って見せた。 「チッチッチッ、ご心配なく! ちょーっとだけ待っててくださいね」 弾んだ声でそう言いながら、アバンは自分の荷物の中から小さな包みを取り出す。その中には、細い竹を短く切った物が何本も包まれていた。 「どうです、アバン流スペシャルロッド・マーク?は! 研究に研究を重ね、一から手作りした自慢の品なんですよ〜。 などと、得意げに竿を軽く振って見せるアバンに、呆れたのはマトリフだけではなかった。 (……なんだってこいつは、魔王退治の旅に釣り竿なんて持ってこようと思ったんだ?) 「勝負の条件を決めるぜ。 「ええ、いいですよ。それなら公平ですし」 にこにこと快諾するアバンを見て、マトリフは密かにほくそ笑む。 「じゃ、早速始めるとするか」 と、手にした竿をそのまま振り上げたマトリフを見て、アバンは戸惑った声を上げる。 「え? 竿を変えないんですか?」 釣りの知識が少しでもある者なら、数釣り勝負で大物釣り用の仕掛けがどれだけ足を引っ張るか、知らないはずがない。 大物用に糸の太さや針の大きさをそろえてしまうと、小魚の口のサイズには合わない。大物釣りに挑む者は、大きな獲物を釣るか、さもなくばまるっきりのボウズになるかの二択しかない。 それに対してアバンの持つ軽い簡易竿こそ、数釣りにはぴったりだ。大物を釣るには強度が足りないが、広く浅く釣るためには手頃な竿と言える。 「ああ、その必要はねえ」 初めて見るアバンの戸惑いを楽しみながら、マトリフは竿を持っていない手を水面に向かって振り下ろす。 「イオラ!」 途端に凄まじい爆音が響き渡り、水面が激しく波打つ。いきなりの魔法に驚いたのか後ろからロカやレイラの悲鳴じみた声が上がるが、マトリフは後ろを見ようともしなかった。 充分に手加減して水に打ち込んだ魔法は、派手に水飛沫はあげるものの実害はほとんどない。 ただ、一瞬、水を激しく揺らすだけのことだ。 それも、一匹や二匹などという生易しい数ではない。数十匹、もしかすると百にまで届くかもしれない数の魚達が一斉に浮かんできたのだ。 「なっ、なんなんだよっ、こりゃあっ!?」 驚きのあまり水面を飛び込みそうな勢いで覗き込むロカを、マトリフは面白そうに見やる。 「うそ……っ!? こんなのって、信じられない」 レイラも驚きを隠せないが、マトリフにとってはアバンの驚きの方が見ていて気分がいい。 「これは――信じられない腕ですね」 感嘆したようにアバンが呟く言葉自体はレイラと似ているが、その意味は大きく違う。 ただ、驚いているだけのロカやレイラと違い、アバンはマトリフが行った魔法がどれほど卓越した技術なのか、理解しているのだろう。 あまり推奨されない魚取りの方法として、ガッチン漁と呼ばれる手法がある。川の中にある岩を叩き、その振動で周囲の魚を気絶させて捕らえる手法だ。 普通に魔法を水に叩き込むだけでは、これほど大量の魚を得ることなどできない。水の抵抗というのは予想以上に強く、ほとんどの魔法は威力を殺されてしまうものだ。 ちょうど、魚が気絶するだけの威力の魔法を広範囲に亘って叩き込む――それがどんなに凄まじい魔法技量を必要とするものなのか。 しかし、こんなことは、マトリフにとってはまさに朝飯前だ。 本気で食糧補給を狙うなら、マトリフが頼りにする獲物は、ただ一つなのは言うまでもない。 「――オレの勝ちで文句はねえな」 そう言って、マトリフは不敵にニヤリと笑みを浮かべた――。 《続く》
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