『ときめきの白い日 4』

 

 瞬間移動呪文で移動したのは、ジャックにとっては正真正銘始めてだった。なにしろ名前は有名ではあっても、使い手が極端に少ない魔法だ。
 当然、一介の兵士が瞬間移動呪文で移動できる光栄を受ける機会は、ほとんどない。

 憧れこそは感じていても、自分の様な下っ端兵士が味わうのは一生無理だろうなと思っていた魔法の洗礼を、ジャックはごく唐突に受けた。
 瞬間移動呪文は、その効力や便利さを知っている者にとってはひどく手軽で使い勝手のいい呪文だ。

 空に舞い上がる一瞬は、爽快とさえ言えるかもしれない。
 が、なんの心構えすらもなく青空高く飛び上がることを強要された身にとっては、全力でがけっぷちから飛び出した暴れ馬の背に乗っているに等しいスリルを与えてくれた。

(ぁぁああああああっ、し、死ぬっ、死ぬっ、死んじまうぅうっ!!)

 生まれて始めて味わう速度に心の底からの恐怖を感じたが、その次の瞬間の衝撃はその比ではなかった。

「うぎゃあぁあっ?!」

 いきなり何か固いものに全身を打ちつけられた衝撃に、ジャックは大きくのけ反っていた。みっともない悲鳴を上げつつ、なんとか目を開けたジャックは自分が地べたに突っ伏しているのに気がついた。

「だ、大丈夫、ジャックさん?! ごめんね、そっちまで手が回らなくて」

 と、申し訳なさそうに謝っているのは、ダイだった。片手でしっかりとレオナを抱きかかえ、もう片手でポップの腕を掴んで支えているという状態の彼は、確かに他には手が回るまい。

「ホント、困ったものだわ。ポップ君ときたら、いまだにルーラの着地が苦手なんだから。トベルーラの方がよっぽど高度なのに、そちらが上手くてルーラの着地が苦手だなんて、理解に苦しむわよね」

 そう大袈裟に溜め息をついて見せるレオナは、自分からもしっかりとダイの首に両手を回してお姫様抱っこを満喫しているようにしか見えない。
 困ったどころか、役得を味わっているとばかりに楽しそうに見えるのは自分の目の錯覚だろうかと、ジャックはこっそりと思ってしまう。

「だ、誰にだって苦手な呪文ぐらいあるだろっ?!」

 照れ隠しなのか、ムキになって言い返すポップに対してジャックは落胆じみた感情を抱かずにはいられない。

(……ああ……大魔道士様って大魔道士様なのにすっごく大魔道士っぽくないんですね……)

 まあ、普段のポップをよく知っているジャックにしてみれば、ポップのイメージを元々そう高く見積もっていたわけではない。大体、普段から大魔道士っぽくないことでは定評のある少年なのである。

 だが、それでも彼が凄まじい魔法力を持っていて、魔法使いの魔法も僧侶の魔法も使いこなす力を持っていると聞けば、それなりの期待をするのは人情というものではないだろうか。

 身体に触るからという理由でポップはめったに魔法を使わないため、彼の魔法を実際に見たことのある兵士はごく少ない。

 が、その数少ない兵士達は口を揃えてポップの魔法の素晴らしさを褒めたたえているし、ジャックも直接見たわけではないとはいえ、孤児院の子供達の怪我を見事に治癒したポップの回復魔法の腕を尊敬していた。

 それだけに無意識に思っていたのは否めない  見た目や普段は普通っぽくても、いざとなればポップは素晴らしい魔法を使えるに違いない、と。
 勝手な思い込みと言われればそれまでだが、それでもなにやら、心の中に抱いていた英雄への期待やら希望やらがガラガラと音を立てて崩れていく気がする。

 いや、今までだって何度となくイメージの崩れる音は聞いてきた気もするが、今回のは一際酷かった。

「ん? おーい、ジャック、どうしたんだよ、どっか痛めたか?」

 なんならホイミでもかけようかなどと気楽なことを宣う大魔道士たる少年に、ジャックはとりあえず平気ですと棒読みで返事をしながら立ち上がる。

 痛むのは、決して身体などではない。
 実際、あれだけ派手に地面に投げ出された割にはダメージはいたって軽少だった。これなら兵士達の基本訓練の方が、よほどダメージが大きいぐらいである。

「ところでここは?」

 ぱたぱたと土埃をはたきつつ、ジャックはようやく周囲を見回すゆとりを持てた。
 ついさっきまで城のジャックの部屋にいたはずだが、ここはどう見ても戸外である。急に切り替わった景色に戸惑ったが、よく見ればここはパプニカの城下町にある公園の一つだ。

 元々森だった場所に設置された大きめの公園であり、ちょうど木々や茂みに囲まれていた場所に下り立ったせいで魔法を使った移動という派手な着地も上手く人目から隠されていたらしい。

「あ、なんかこの辺、いい匂いがするね」

 嬉しそうにダイが言い出すまでもなく、濃厚な甘い匂いがその辺に漂っているのが分かる。

「ああ、ここって例の店のすぐ裏にあるんだよ。直接店の前に飛んだりしたら、騒ぎになるかもしんないだろ」

 あれだけ雑な着地をした人間とも思えない繊細な心遣いに、ジャックは感心していいのか呆れていいのかしばし悩む。

(目的地にそれだけ気を使えるのに、なんで着地が苦手なんだか謎ですよ、大魔道士様……)

 ジャックとしては心底疑問に感じたのだが、他のメンバーは誰一人としてそんなことは気にしてもいなかった。

「さぁーて、じゃ、店に向かいましょっ♪
うふふっ、ヒュンケルったらいくつぐらいお返しを買ったのかしらね? 本命はいるのかしら?」

 今にもスキップをしそうな勢いで楽しげに表通りの方に向かったのは、レオナだった。それを見やってから、やっとジャックは自分と彼女の立場を思い出す。

「あっ、ああーっ、姫様っ?! そ、そんなっ、一人で行かれては危ないですっ!」

 あまりの展開に呆気に取られていたが、レオナはジャックにとって仕えるべき主君である。

 それも、今となってはパプニカ王国のたった一人の正統王位後継者だ。彼女の存在がいかに掛け替えのないものであり、彼女の身の安全は何をおいても優先すべきかは、どんな下っ端兵士にもきっちりと教え込まれる教育事項である。
 レオナだけに限らないが、王族の行動には常に護衛が付き添うのが普通だ。

 まあ、レオナは意外とおてんばというか行動的で、比較的自由に行動している方ではあるし、時にはお忍びで城外にさえでているのは近衛兵にとっては周知の事実だったりするのだが。

 が、それでもなお、護衛兵の端くれであるジャックとしては自国の姫君が勝手に城の外で散歩をするのを見逃せるわけがない。
 だが、ジャックの必死の引き止めにレオナはいたって軽く答える。

「何を言っているのよ、ただお菓子屋に行くだけなのに何が危ないって言うのよ?」

「それはそうですが、万一のことがありでもしたら……っ、姫様の御身に何かがあっては困りますっ!」

 最悪の事態に備えるのは護衛にとっては常識だが、ジャックのその危機感や逼迫感は他の三人には今一つ受け入れて貰えなかった。

「んな大袈裟なー。護衛みたいに固いこと言うなよ、ジャック」

「みたいじゃなくって、オレはこれでもれっきとした近衛兵なんですよぉおっ!」

 気軽に言ってのけるポップに、ジャックはなにやら泣きたい気分になって訴えかける。


「いいじゃないかよ、おまえ、今日非番なんだしさ。それにおれやダイもついてるんだし問題ないじゃん」

(いや、そここそが大問題なんですってばっっっ!)

 確かに、護衛という点からみればジャックなどよりも勇者や大魔道士であるダイやポップの方がはるかに腕が立つに違いない。
 が、近衛兵ルールでは、ポップも護衛対象の一人だ。それもレオナに次ぐ重要人物として、特に注意して護衛すべしと命じられている人物である。

 魔法の腕は優れていても、結局は魔法使いであるポップの身のこなしや耐久力はほぼ一般人と代わりはない。その点を憂慮され彼への護衛は、王族に準じている。
 それに比べて意外と言うべきか当然というべきか、勇者ダイに対しては護衛の命令はアバウトであまり気にされていない。

 まだ子供とはいえ並の兵士をはるかに上回る剣の腕と、実戦で鍛え抜かれた勘の良さを持つダイは、護衛など必要としていないのは明らかだ。
 とはいえ、それでも彼もパプニカ城の重要人物であることは間違いない。彼の身になにかがあったりすれば、一番近くにいた護衛兵に責任が被さってくるのは当然だろう。

 考えれば考える程、今の自分のおかれた立場が非常にまずいものであることをジャックは自覚し始めた。

 レオナ、ダイ、ポップの三人がお忍びで城からこっそりを抜け出すのはよくあることと言えば、よくあることだ。
 まあ、大抵は大騒ぎになる前にこっそりと戻ってくることが多いので表立って問題視されることはないのだが。

 が、警備上の問題から言えば、門番に一言も無しに城から抜け出されるだけでもひどく迷惑である。
 王女という高い身分を思えば、兵士達から文句を言うなど恐れ多いから口にはださないが、そんな迷惑なことはやめてほしいというのが護衛側の本音である。

 その迷惑行為に、いくら非番とはいえ近衛兵が荷担したとしたら、先輩兵士達がどう思うか――。
 考えるだけでもゾッとする想像に、ジャックは震え上がる。

 しかも、それは想像だけでは済むまい。
 なんといってもこの三人はヒュンケル――ジャックの上司の所へ行こうとしているのだ、一発でバレるに決まっている。

 途方もない美形だが、怒ると凄まじいまでの殺気を放つ鬼隊長を思い出すと、それだけでジャックの足が竦む。
 ただでさえ仕事には真面目で厳しい男だが、彼は王女への忠誠がひたすら厚い上に、見た目によらず弟弟子思いなのだ。

(ぁああっ、こんなのバレたら隊長に叱られる……っていうか、殺されるよっ?! もし運良く生き延びられても賞与半減とか給料減額?!
 いやいやっ、クビになったらどうしようっ?!)

 プロポーズどころかこの先の人生設計にまで最悪の方向に転びかねない展開に慌てふためきながら、ジャックは必死になってレオナ達を引き止めようと努力は試みる。

「や、やっぱりやめませんか、こんなこと?! 隊長がまだここにいるとは限りませんし、せめて城に戻ってから聞いた方が  」

 なんとか考え直してはもらえないだろうかと、必死になってすがりつくジャックの意見なんぞ、三人はまるっきり聞いてはいなかった。
 いや、正確にいえば純真かつ真面目な勇者様だけはちゃんと聞いてくれてはいたのだが、それはまさに聞いているだけだった。

「そうなの?」

 と、きょとんと目を見開いて聞いている姿は素直ではあるものの、全く頼りにはならない。
 肝心のポップやレオナの方は足を止める気配すら見せず、さっさと先へと進んでいく。


 この状況でダイを引き止めてしまう危険性に、ジャックは気がついていなかった。
 護衛をするどころか、護衛替わりとなるはずの勇者を引き止め、自分自身も護衛を放棄しているも同然だと気がついたのは、女性の悲鳴を聞いてからのことだった。

「きゃああぁあっ?!」

 耳を貫く甲高い悲鳴に、ハッと顔色を変えたのはジャックだけではなかった。ダイもまた、瞬時に幼い顔を引き締める。

 悲鳴には、驚くほど豊かな情報が含まれているものだ。
 兵士としての経験から、ジャックはほぼ瞬時に今の声がレオナのものではないこと、だが切迫感を孕んだ緊急性の高い悲鳴だと聞き分けていた。

 その判断は大戦を戦い抜いた勇者も同じだったのか、ダイは即座に行動に移る。一瞬の間も置かず、声の聞こえた方向に向かって走り出す。
 その動きが巻き起こす風を頬に感じてから、ジャックも慌てて後を追った。

(まさか……! まさかとは思うけど……っ?!)

 ついさっき、レオナは笑いながら軽く言った。

『ただお菓子屋に行くだけなのに何が危ないって言うのよ?』

 その言葉に、ジャックも基本的には賛成だった。昼間、平和で人も少ない公園から表通りのお菓子屋に行くのは特に危険も無いだろうと高を括っていた。
 レオナに危険だからと食い下がったのは、あくまで護衛兵のマニュアルや規則に従ってのことで、本気で危険性について考えていたわけではなかったのだ。

 むしろ自分が責任を取らされるのではないかと、そればかりを怯えていた。
 だが、そんな保身よりも何よりも、なぜ自分は王女の護衛を優先しなかったのかとジャックは悔いる。

 今の声はレオナのものでは無かったとはいえ、まさに彼女が向かった先から悲鳴が聞こえてきたのだ。
 しかも、悲鳴は一度きりではなかった。続け様に複数の女性の悲鳴やら大きな音が聞こえてくる。何か、事件が起こっているのは明白だ。

 もし、自分が駆けつけるまでの間に彼女に万一のことがあったら  。
 わずか十数メートルの距離が、途方もなく遠く感じられた。また、先を走るダイの足の早さが、自分の足の遅さや無能さを思い知らせてくれる。

 だが、今はそんなことを気にしている場合では無い。
 一刻も早く、レオナやポップの無事を確認するのが先決だし、そのためにダイが先に行ってくれるのを感謝こそすれ、文句を言う気など微塵も無い。

「わっ?!」

 ジャックより早く表通りに飛び出したダイが、驚きの声を上げるのが聞こえた。十数歩遅れで同じく通りへと飛び出したジャックもまた、驚きに目を見張る。

「……っ?!」

 ガラガラと地響きを立てて暴走する馬車が、目に飛び込んできた。二頭だての荷馬車は、町中ではあるまじき速度で疾走している。しかも、その走りが危なっかしいことこの上ない。

 迷走状態とでも言うべきか、蛇行を描くように走る馬車は今にも道を外れてその辺の家か店にぶつかりそうな勢いだ。
 すでに道端の看板などが薙ぎ倒されているのが見えるし、進行方向にいる人々が慌てて逃げ惑い、悲鳴を上げている。

 まだ決定的な事故こそは起こっていない様だが、いつそうなってもおかしくはない  そんな状況に出くわしたのはジャックも初めてだった。

 パニックを起こして浮き足立った人々に囲まれ、ジャックもまた、どうしていいか分からず、棒立ちになってしまう。
 が、さすがに歴戦の勇者は違った。

「ポップッ、レオナ!!」

 混乱状況の中でも素早く目当ての人物を見極め、素早くそちらへと駆け寄る。
 怪我をした様子も無く、二人そろっている様子にジャックはまず安堵を感じる。どうやら、心配は取り越し苦労だったらしい。

 考えてみれば、ポップだけでなくレオナもまた、魔王軍との戦いに身を投じた経歴の持ち主だ。
 騒ぐだけの一般人の中で冷静さを保ちながら、しかも比較的安全で状況をよく見れる場所にいるのはさすがだった。

 その上、さすがは王女というべきか、彼女が考えているのは自分の身の安全などではなかった。

「あたしは平気よ! それより、馬車を!!」

「ダイ、いいところに来た! 今の見たか?! 手を貸せよ、あれ、早く止めないとあの娘が危ないぜ」

 ポップのその言葉に、ジャックは初めて暴走している馬車の馭者が女であることに気がついた。
 良く見れば、確かにその通りだ。頼りなく手綱にしがみついているのは、まだ年若い少女だ。

 しかも、その姿には見覚えがある。というよりも、その姿を見た途端、ジャックの顔から血の気がはっきりと引いた。
 いささか古ぼけたシスター服を着た赤毛の少女――ずっと一緒に成長し、この先の人生も共に生きたいと願っている彼女の姿を見間違えるはずもない。

「レ、レナ――――っ?!」
                                    《続く》

 

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