『傷だらけの手 5』 |
「…………」 目をカッと見開き、傷だらけの腕を組んでどっかりと庭先の椅子に腰かけている先代当主の姿は実に貫録があった。無言のままでも迫力があるというのか、とてつもない存在感を漂わせている。 と、言うよりは、激しく威嚇的とでもいうべきか。 遠くからでも否応なく目立つその姿を見て、ティンは一瞬立ちすくみ、それから思った。 (ああ……、師匠の家が街中になくってよかったなぁ) しみじみと、ティンはそう思わずにはいられない。 その森の中にある鍛冶場ときたら寝泊まりする部屋がいくつもついている上に、倉庫まで一緒になっているせいで貴族の邸宅並に大きなものであり、場所が場所なだけにそうそう一般人が来れないような場所にある。 鍛冶を思う存分できるような場所をわざわざ王城の近くに与えられるとは、王からの信任があるからこそ与えられる厚遇ではあるが、実はその鍛冶場兼屋敷には先代当主は住んではいない。 これは先代当主だけに限らないが、当主になったからといってその屋敷に住む義務はないからだ。鍛冶場として使用するために屋敷は受け継ぐが、なにしろ本来は仕事場として作られただけに大きいことは大きいが人が住むには相応しいとは言えない。 鍛冶場なんてものは、火がついていれば強烈な熱気に覆われる上に喧しく、なおかつ換気がよいだけに火が消えた途端に寒々と寒い部屋に変わるものだ。 ティンもその一人であり街中に小さな家を借りて暮らしているが、先代当主は随分前から森の中に小さな家を建て、そこで暮らしている。 かつてはジャンクも住んでいたその家は、夫人の趣味なのか庭もきれいに手入れされており、天気の良い日に庭でお茶を楽しむためのテーブルや椅子もしつらえられている。 「師匠、何をやってらっしゃるんですか?」 挨拶すら忘れ、開口一番にそう言ってしまったティンに対して、先代当主はなお一層不機嫌そうな表情を見せる。 「ふん、人が自分ん家の庭で何をしようが、勝手だろうが!」 「いやまあ、確かにそうですけどね」 ため息交じりに、ティンは頑固者の師匠を眺めやる。 だがすでに秋も終わりかけて芝生も枯れたこの時期に、わざわざ庭に置かれているテーブルセットを利用してお茶を飲むのが風流だと思う粋人はそうそういないだろう。 実際、いくら厚着をして着込んでいるとはいえ、吹きっさらしの風にさらされている先代当主は寒そうだった。テーブルの上におざなりに置いてあるお茶など、もうとっくに冷え切っているのか湯気のかけらも見えない。 確かに年齢離れした頑健な身体の持ち主ではあるが、年も年なのだし暖かい部屋の中でいれたてのお茶でも飲みながらゆっくり待っていればいいものを――そう思うティンの気も知らず、先代当主は落ち着かない様子でジロリとティンを睨み付ける。 「そんなことより……、おめえ、一人なのかよ?」 咎めるようなその口調の鋭さは、聞く者を震え上がらせるような響きがあった。が、ティンは伊達に十何年もこの男の弟子をやっているわけではない。本気で怒った時の声と、照れ隠しで怒っているように見えるだけの時の声の見分けぐらいは簡単につく。 だからこそ怯えも見せず、おっとりとした調子で答える。 「ええ、ご覧の通りですが。それが何か?」 少し意地が悪かったかなと思いながら返したわざとらしい質問に、先代当主は突然むせこんだように咳き込みだす。しかし、その咳き込みはいかにも無理やりッぽく、わざとらしいものだった。 「えーおほんっ、ごほんっ、あ、あ……っ、あれはどうしたんだ?!」 「『あれ』じゃ分かりませんよ、師匠」 「あ、あれと言えば、あれに決まってるだろうが! 分かるだろうが、使えない奴だなっ!!」 「すみませんが、分かりません。出来の悪い不詳の弟子にも分かるよう、はっきりと教えていただけると嬉しいんですが」 言葉こそは丁寧ではあっても明らかにからかいの混じったティンの言葉に、先代当主は今にも噛みつきそうな目を見せつつ喉の奥で唸る。普段ならば怒鳴り散らすところだが、今日ばかりは知りたいと思う気持ちの方が勝ったらしい。 「だ、だからだなぁ……その、ま…、孫……でもなんでもねえ、赤の他人の子はどうしたって、聞いてるんだよっ!! てめえ、今日、つれてくる予定じゃなかったのか?!」 どこまでも素直じゃないその言い草に思わず吹き出しそうになるのを抑えつつ、ティンは今度は正直に教えることにした。あまり焦らすのも、気の毒というものだろう。 「安心してください、ちゃんと連れてきましたから。ただ……、さっき土産を持って来るのを忘れたからと言って、一旦戻ってしまっただけです」 約束通り、ティンはポップを祖父に会わせてやるつもりだったし、彼の方もそのつもりだったのだろう。待ち合わせをした場所に、ポップはちゃんと時間前から待っていた。 祖父や祖母に会えるのを楽しみにしていたのか、道々も楽しそうに話を聞きたがっていた。 『ほんっと悪ぃんだけど、先に行っててくれないかな? 渡すつもりだった土産を、取ってきたいんだ。すぐに戻るから!』 そういうなり、止めるもなくポップは空中に飛び上ってしまった。光の塊となって飛び上っていく魔法使いの姿に、ティンはびっくりして見送るしかできなかった。 まるで流れ星が地上から空へと遡っているのを見るような気がしたものだ。ティンも間近で見るのは初めてだったが、あれは瞬間移動呪文というものだろう。 「あー……、そうか、さっき空に見えたあの光が……」 ティンの説明を聞いて、先代当主にも思い当たることがあったらしい。露骨にがっかりした顔をして、未練がましく何度もちらちらと空を見上げる。 「師匠……。あのですね、少しは落ち着かれたらいかがですか?」 あまりの落ち込みっぷりにそう声をかけると、先代当主は向きになって怒鳴り返してくる。 「オ、オレはただ、天気が気になるだけだ!」 「……はいはい。まあ、すぐに戻るって言っていたんだから、そのうち戻ってくるでしょう。家の中で待ってらっしゃったらどうですか?」 丁度、ティンがそう言った時に空に再び流星のような光が見えた。その光は空中で止まり、人の姿へと形を変える。 「……!」 驚きに息をのんだのは、はたしてティンだったのか、それとも先代当主だったのか。 いずれにせよ二人はそろって驚きながら、空中に浮かんでいる少年の姿を見上げていた。自在に空を飛ぶこの少年こそが、大魔道士ポップ そして、ジャンクの息子だ。 両手でしっかりと大きめの布包みを抱えたポップは、そのままふわりと地上へと降りてくる。 もっとも地面に降り立ってしまえば、そこにいるのはごく普通の少年にしか見えなかった。 着ている服も、ごく在り来たりの旅人の服に過ぎない。鮮やかな緑色がよく似合っていたし、それなりに生地や仕立てはよさそうだが、言っては悪いがさして高価な品には見えなかった。王宮内では立派な賢者の衣装を身に着けていたが、本来はこちらの方が普段着なのかしっくりと似合っている。 ただ、髪に巻いている黄色のバンダナだけが王宮で見た時と同じだった。 「…………」 無言のまま、先代当主はその少年を凝視していた。……というより、睨み付けていた、と言いたくなるような目つきではあったが。 先代当主をよく知っているティンにしてみれば、彼に悪気はないのはよく分かっていた。この照れ屋で不器用な頑固老人は、照れまくっている時ほど口が悪くなるか、でなければ無口になるだけなのだ。 特に初対面の相手には人見知りをする質であり、その悪癖のせいで新入りの弟子が恐れをなして初日で逃げ出したことなど何度もある。先代当主にしてみれば単に相手を見ているだけのつもりかもしれないが、とにかく彼は地顔が怖いのである。 (あちゃー、こうなるんじゃないかと思ったけど、本当に不器用な人だな〜。ポップ君も誤解して怯えなければいいんだけど) 祖父と孫を引き合わせた責任上、何かフォローしようとティンが口を開きかけた時、それまで黙りこくっていたポップが先に口を開いた。 「うっわー、驚いた。どんな人かと思っていたけど、親父にそっくり」 物怖じをしない、その口の利き方は怯えている様子などかけらもない。と、その顔に自然な笑みが浮かぶ。 「って、親子なんだから、当たり前と言えば当たり前か。えーと、初めまして。おれ、ポップって言うんだ」 親しげな挨拶をするポップに対して、先代当主は未だに彼を睨み付けるような目で見ているばかりだ。もしかすると挨拶を無視する気かと、ティンが密かにハラハラするぐらいの時間が経ってから、やっと先代当主は口を開いた。だが、その声はやけに低く、聞こえにくいものだった。 「……だ?」 「え、ごめん、聞こえなかった。なに?」 「その名前は、誰がつけたんだ?」 その質問に、ポップは再びきょとんとした顔になる。 「え? そんなの聞いたことないけど……多分、親父と母さんじゃないかな?」 特に考えたことがなかったとばかりにそう答えるポップに、先代当主は深く頷いて見せる。 「し、師匠、なにも今、そんな話をしなくっても」 歓迎の挨拶よりも先に、いきなり重くなりそうな話を持ちだした先代当主をティンは慌てて諌めようとする。一族の確執やら裏事情など、ティンはまだポップには話していない。 大人の事情の絡む身内のゴタゴタというものは、説明しずらいものだ。それに自分よりも年下の子供にみっともないところを見せたくないという大人の見栄もある。 ただ、ポップがベンガーナにいる間は一族の余計なちょっかいに悩まされることなく、平和に過ごしてほしいというのがティンの願いだった。それをポップに知らせて恩に着せたり、気を使わせたいなどとはかけらも思わない。 慌てて止めようとするティンを目だけで制し、先代当主はぶっきらぼうな口調で淡々と告げる。 「聞いているかもしれねえが、オレは実の息子を――おまえの親父を勘当した男だ。 (正直すぎますよ、師匠……) どこまでも不器用で真っ直ぐな先代当主のやり方に、ティンは内心ため息をつきたい気分だった。 彼は、ひどく正直だ。 普通ならば子供にみっともないところを見せたくないという大人の見栄もあ その上、ティンには先代当主の責任感も理解できる。 本来ならそれは、ポップを一族として扱わないように主張した現当主であるティンが負うべきものだっただろうに。 ちょっと聞いただけでは、冷たく、突き放しているようにしか聞こえない。ましてや相手が子供ならば、大人の深い配慮や思考はなおのこと見通せないだろう。 下手をすればなんという偏屈な頑固爺だと、孫が反感を抱いてしまいかねない。そうでなかったとしても、歓迎されてないのかという誤解を与えてしまうだろう。 あんなに会いたがっていたのに、そしてせっかく会えたというのに、親子だけでなく孫とも断絶する気なのかとティンは頭を抱え込みたくなった。これではいつ、ポップの方がこの場を立ち去ってもおかしくはない。 (あぁあああ、ジャンクさん、ごめん! オレ、やっぱり何もできなかったかも) だが、予想外にもポップは怒る気配も戸惑う気配も見せなかった。 「白い手の一族のこと? あっさりとそう答えるポップに、ティンの方が目が飛び出すほどの驚きを感じてしまう。 「おれ、留学前に、ひ……知り合いに、忠告されたことがあるんだ。王宮に行くのなら、古い知り合いとか親戚と名乗る連中にはくれぐれも気をつけなさいって」 ポップが途中で呼びかけた名前を言い換えたから相手が誰かは分からなかったが、その忠告の的確さにティンは感心してしまう。 王宮に関わるというのは、名誉なことではあっても楽なこととは言えない。否応なく、様々な面倒やら人間関係に巻き込まれることになるからだ。世の中には王宮に入りたがったり、王との繋がりやコネを手に入れるためにならどんな手でも使うという連中が掃いて捨てるほどいる。 ポップの場合、古い知り合いと言ってもたいした問題はないだろう。何しろ年齢が年齢だ、昔の馴染みを装ってへつらってくる連中が出現するのには若すぎる。 だが、それだけに親戚の方は厄介だ。 ティンも随分とそんな相手に悩まされたものだし、現代進行形で苦労してい だが、ティンはそれが相手を子供扱いしたある意味で失礼な対応だったと、今こそ気が付いた。 「最初にその忠告を聞いた時は全然ぴんとこなかったけど、今なら分からない さらりとした口調だったが、その言葉の裏にあるものを汲み取れないほどティンは鈍くはない。一般市民として育った少年が王宮入りするのには、苦労がつきものなのだ。 だが、ティンの読み違いは大魔道士と呼ばれる少年の賢さを軽んじていたことだった。いかに見た目は平凡な少年であっても、勇者と共に魔王と戦った後で各国王宮に留学してる大魔道士は、やはり並ではなかった。 「だから、ベンガーナに来る時はちょっと嫌だなって思っていだんだ。前に親父がここの大臣をぶん殴ったって聞いてたし、親父の知り合いとかはいるだろうなって覚悟してたからよ。 並ではない、どころではない。 そして、自分から右手にはめている手袋をはずし、その手を先代当主……実の祖父に向かって差し伸べる。 その手に対して、先代当主は慎重だった。 それは、ティンも最初にポップに会った時にやったことだった。 ポップのバンダナを一目見て、それが一族の宝だと気が付いたティンは彼の正体がジャンクの弟子か、もしくは息子ではないかと推測した。だからこそ手を確かめて、傷痕の有無を調べたのだ。 数日前のティンと同じくしばらくの間そうしてから、先代当主は苦笑じみた笑みを浮かべる。 「――なるほどな」 おそらく、ポップはその気があったとしても鍛冶職人には向かないだろう。 出来の良しあしに関わらず、弟子を鍛えるためのノウハウは身に着けていた。もし、仕込む気ならばたとえ不向きな弟子であってもそれなりの武器職人にすることは可能だっただろう。 もし、ポップがジャンクの関係者なら、たとえ古傷だろうと鍛冶職人の修行を受けた名残があるのではないかと予測したからこそ、無傷の手を見てティンは大いに戸惑ったのだ。 ポップの手には新しい傷跡どころか、それらしい古傷さえ見当たらなかったのだから。 「この手は、職人に向く手じゃねえな。……あの馬鹿息子も、そこまで底抜けの馬鹿じゃなかったってわけか」 (ああ……そうだったんだ) 今になってから、ティンは深く納得する。 適性のない息子に無理に鍛冶を叩きこむのではなく、好きなように本人の才能を伸ばさせた――魔法使いとなったポップの無傷の手に、ジャンクの息子への思いが見てとれる。 見方によって、先代当主の突き放した言葉から確かな情愛が見て取れるように――。 弟弟子であるティンよりも、師匠である先代当主の方がやはり深くジャンクを理解しているようだ。 「よく来たな」 短く、ぶっきらぼうではあるが、それでも相手を歓迎する意思を込めた言葉 《続く》 |