『もう一つの救済 2』 |
「……なんの真似だ?」 ヒュンケルの反応は素早かった。 (まったく、嫌な野郎だぜ……!) 内心、ポップは舌打ちせずにはいられない。 自分の前に立ちはだかったクロコダインの体調も正確に把握しているし、ほぼ戦力外のはずのポップの動きにも注意を払っているのだから。 『いいですか、ポップ。 アバンの教えが、ふと、脳裏を蘇る。 肉体や技術だけではなく、その精神までも鍛えられているようだ。それも、アバンの教えの流れを引く形で。 (おれだって……!) ダイだけが、アバンの弟子なわけではない。剣の技こそは習わなかったが、ポップだってアバンの教えを受けた一人だ。 ポップがアバンから習ったのは、決して魔法だけではない。戦いに対する心構えや、戦略についても教えを受けた。正直、戦いなど嫌いなポップはそれらの教えを真面目に習ったとは言い難いものはあるが、それでもアバンは根気よくポップに様々なことを教えてくれた。 『魔法使いと言うものは、パーティで一番クールでなければいけないんですよ。 アバンの教えを信じるなら、魔法使いが戦士に冷静さや頭脳で劣るわけにはいかない。 気合いを込め、ポップはヒュンケルの視線を跳ね返す様に睨み返す。 「まさか、今度はおまえが一人で戦う気か?」 ヒュンケルの声音に、小馬鹿にした響きが混じる。見下されるのは悔しかったが、そう言われても仕方がない実力差があるのをポップは理解していた。 マァムと二人がかりで魔法を放ってもびくともしない相手に、魔法使い一人で挑んでも意味がないことも。 「よ、よせ、ポップ……! ダイを連れて、逃げろ……っ」 いかにも苦しげに言うクロコダインに、ポップは力強く肯定した。 「ああ、もちろんそうさせてもらうさ」 言われるまでもなく、ポップにヒュンケルと戦う意志などない。逃げるのに、何の異存もない。 もう、ポップはクロコダインを疑ってなどいない。これほどの重傷を押してまで助っ人にきてくれた相手を、どうして疑えるだろう。 ダイだけを救いたいのなら、クロコダインはあのガルーダに命じればよかった。ヒュンケルの不意を突くためにも、いきなりガルーダを呼び出しダイを運ばせればそれでことが足りたはずだ。 だが、クロコダインはポップにわざわざ説明をするという手間を掛けてまで、ポップにも一緒に逃げろと言った。 その気持ちを無駄にしないためには、彼の望み通り逃げることこそが一番だとポップは理解する。 「だけど! その前に少しだけ、おれに時間をくれ!」 強く、ポップは叫ぶ。 ガルーダの足の大きさなら、人間を掴むぐらいたやすい。ダイとポップを片足ずつに掴み、飛ぶぐらいは平気でやってのけるだろう。 しかし、鳥の足が二本しかない以上、一度に連れて行ける人数は二人に限られる。だからこそクロコダインはダイとポップにだけ逃げろと言っているのだとポップは解釈した。 それは、大きく外れた推理ではないはずだ。 二人とも、腕力は並外れている。 (……絶対…、みんなで逃げるんだ……!) よろけそうになる足に力を込め、ポップは杖に縋るようにして立ち上がる。そして足を向けたのは、マァムの方だった。 「……ぐ、ぐうう……!!」 クロコダインの漏らす呻き声が、肉体的な苦痛から漏れるものなのか、それとも希望を裏切られた苦痛によるものなのか、ポップには分からなかった。 (すまねえ……でも、頼む、信じてくれ!) 声に出すことができないまま、ポップはそう思うしかできなかった。 マァムの所に行くのは、作戦の一部だ。 「それでいい。逃げるのなら、おまえ達を追う気はない――む?」 マァムの側に辿り着いたポップは、彼女を助け起こさずにその腰からベルトごと銃を奪う。 「馬鹿馬鹿しい。魔法使いのおまえがその銃を使って、今更何になる」 ヒュンケルのその言葉は、正しすぎる程に正しい。だいたい魔弾銃に入っている攻撃呪文は全て、ポップ自身がいれたものなのだ。 だが、ポップはそれを承知に上で銃をしっかりと握り、ニヤリと笑って見せた。 「知ってるか? これは、アバン先生が作ったんだ」 「……なんだと」 ヒュンケルの顔色が変わる。それを見て、ポップは自分の狙いの正しさを確信した。 (思った通りだぜ) アバンへの強い復讐心を持つヒュンケルは、アバンの話に無関心でいられないのは、すでに分かっていた。 「そうだよ、アバン先生が、だ。あの先生が作った品が、並のアイテムだと思っているのかよ?」 わざとアバンの名に力を込めて言いながら、ポップは魔弾銃の弾へと手を伸ばす。 本来の持ち主であるマァムなら、弾を選ぶのに時間を掛けることはない。生真面目なマァムはどの弾に何を入れたのかをきちんと覚え、使いやすい様に順番に決めて並べておく習慣が身に付いている。 だからこそ彼女は目を瞑っていても、探している弾をサッと取り出して撃つことができる。 そもそもポップは、マァムほど几帳面ではない。自分の荷物さえきちんと整理整頓しているとは言えないポップが、マァムの持っている装備にまで気を配っているはずがない。 しかし、この弾に詰めているほとんどの魔法はポップ自身が詰めたものだ。弾の先端部分に少し触れれば、中が空かどうか、何が入っているかぐらいはすぐに分かる。 さらに微弱な魔法の差に注意を払えば、自分が入れた物かそうでないかも察知できる。 「この銃を使えば、魔法を使えない僧侶戦士でも自在に魔法を打ち出せる。 適当な会話を引き伸ばしてヒュンケルの気を引きながら、ポップはさりげなさを装って弾を探る。 ポップは幸運だった。 中に魔法が入っていて、さらにそれが自分の入れた魔法ではない物。その弾を取り出し、ポップはいささか手間取りながらもそれを魔弾銃に装填した。 だが、マァムの様に熟練した手つきとはお世辞にも言えない。不慣れなポップにはもたもたとした手つきでやっとこなせる程度なのだが、ポップは敢えてゆっくりとした手つきでそれを行う。 (焦っちゃ、ダメだ。ハッタリでもいい、あいつの気を引きつけるんだ……!!) 急いだところで無駄なのは、ポップが一番よく自覚していた。ヒュンケルの反射神経は、ポップを遥かに凌いでいる。 ましてや不慣れな武器を使っての攻撃では、尚更だ。 それが分かっているからこそ、ポップはスピードで勝負しようとは思わなかった。勝負を賭けるのは、心理戦だ。 まるで、わざと気を持たせてそうしているかのように。 ヒュンケルのアバンへの過剰な思い入れと復讐心を利用して、警戒心を強く持たせる。その作戦は、ヒュンケルに対しては効果的だった。 「たとえ、魔法を増幅したとしても、おまえに勝ち目はない。……言ったはずだ。極大閃熱呪文や極大爆烈呪文だろうとも、オレの鎧には傷一つつけられん。 落ち着き払った声でそう言っているヒュンケルは自覚はないだろうが、すでにポップの話術にはめられていると言える。 ポップのハッタリを信じたのか警戒をこちらに向け、しかし、クロコダインを刺した剣から手を離さないヒュンケルは、結果的に身動き一つしない。 さっき、ヒュンケルはダイの放つアバンの技を必要もないのにわざわざ受け止めて見せ、自分の力を誇示してみせた。 アバンの名を出して挑発した以上、放たれる魔法に対してもそうする可能性は高いと思っていた。 「へへ……さぁて、ね。こいつがあんたに効くかどうかは――試してみれば分かるさ」 「…………」 無言のまま、ヒュンケルは身動き一つしない。だが、強くポップを射ぬくその目がヒュンケルの意思を示している。 一応の操作は習ったし、遊び半分に撃たせてもらったことはあるが、ポップにはマァムのように素早く狙いを打ち抜くなんて真似はできない。 ある程度時間をかけて準備し、狙いを絞らなければ当たるものも当たらない。だからこそ、ポップはハッタリをしかけてまで時間を稼いだのだ。 (いよいよだ……!) 余裕に見せかけて時間を稼ぎ、ヒュンケルの気を引く――ここまでは、うまくやれた。 ポップは、銃の引き金を引きながら叫んだ。 「クロコダインッ!」 打ち出された弾は一直線に飛び、狙い違わず目標に当たった。 「……んっ」 弾があたった途端、ポワッとダイの身体が一瞬だけ光り、小さな呻き声を上げる。 「なにっ?!」 驚きを見せるヒュンケルの声と、クロコダインの上げる雄叫びは、全く同時だった。 空気を震わせ、辺り一面にまで響き渡るクロコダインの声に、今まで彫像の様に動かなかったガルーダが反応した。 「えっ、うわっ?!」 目が覚めるなりいきなりそうされて驚いたのか驚きの声を上げるダイに、ポップは目一杯声を張り上げて叫んだ。 「ダイっ、そいつは味方だ! 暴れるなよ!!」 その声がダイに届いたかどうか、また、届いたとしても今のダイがそれを理解できるかどうか怪しいとは思った。 なにしろ、ポップがダイに撃ったのは初級回復呪文にすぎない。 もっとも全部撃ち終わる前に訓練に飽きたポップがやめたので、1つ2つ余っていた……ほとんど忘れかけていたが記憶の片隅に残っていた。 普段は何の役にも立たないが、治療手が気絶中の今ならば役に立つ。少なからぬダメージを受けていたダイには初級回復魔法程度では焼け石に水だろうが、それでも意識ぐらいなら取り戻せたはずだ。 実際、ポップの声と同時にダイの動きが止まったのか、ガルーダのふらついた飛び方が急に安定し、空高くへと急上昇する。 「しまった!!」 ヒュンケルがダイを追って空を見上げるが、クロコダインがそれを許さなかった。剣から離しそうになったヒュンケルの手を、逆にしっかりと掴む。 「なにを…?! 離せっ!!」 苛立った声と共に、ヒュンケルがクロコダインに激しく殴りつける。聞くだけでも身が竦むような音が響き渡ったが、クロコダインはそれでもヒュンケルの手を離さなかった。 まだ剣の切っ先が自分の腹に埋まったままだというのに、ヒュンケルが暴れればその剣がより深く自分の腹を抉ると知った上で、彼の手を握り締めたままだ。 「たとえ死んでも、この手は離さん…!!」 そう言うクロコダインが、どれ程の激痛に耐えていることか。力を込めたせいでまた傷口が開き、腹の傷からも血が滴っているのに、クロコダインはそれでもヒュンケルの腕を離さない。それどころか、ポップに声を掛ける余裕すらあった。 「…い、急げ、ポップ……!」 もちろん、ポップもクロコダインが必死になって作ってくれている時間を無駄にはしていなかった。 魔弾銃をベルトごとマァムの腰に急いで戻し、彼女を抱えた姿勢で立ち上がる。気絶しているせいで自力では立てないマァムを支えるのはポップにはかなり大変だったが、それでもなんとかなったのは火事場の何とやらというものだろうか。 (うわ…っ、顔、近ぇ) そんな場合ではないと思っても、マァムと向かい合う形で、しかも身体を抱き締めて立ち上がった姿勢にポップはドキッとする。気絶しているマァムは目を閉じたままだし、キスをする直前を思わせる姿勢にドキドキせずにはいられない。 が、そのときめきを喜んでいる暇はない。ポップはしっかりとマァムを抱えて、彼女の背中がガルーダと正面から向かい合う位置にくる様に調整する。 マァムの肩越しに、まるで獲物を捕らえるがのごとく爪を開いてこちらに向かって飛んで来るガルーダと、両手を伸ばしているダイの姿が映る。 「ポップッ!!」 ダイが叫ぶのと、ガルーダがマァムを掴む衝撃はほぼ同時だった。物凄い力で自分の腕からマァムが奪い去られるのを感じながら、ポップも夢中でガルーダの足へとしがみつく。 掴み損なったら最後、自分だけ逃げ損なうかと思うとポップも必死だった。ポップの腕よりもずっと太いガルーダの足首を掴むのは難しかったが、ざらついた肌触りに助けられながら無我夢中でしがみつく。 「ポップ、しっかり!」 ダイの手が、ギュッとポップの腕を掴むのを感じた時、足が空に浮く。そのまま、ポップ達は空中へと持ち上げられていた。 「よ、よかったぁ〜、なんとか成功したぜ〜」 曲がりなりにも作戦が成功したと悟り、ポップはホッと息をつく。 前の方を向いた姿勢でガルーダの足に掴まれたダイやマァムとは正反対の方向を向いていることになるが、それでも二人の無事は確かめられる。 ポップ自身はガルーダの両足に自分で掴まり、なんとかぶら下がっている状態で不安定極まりない格好だが、ダイがポップの腕を掴んでくれているおかげでそれほど不安もない。 「よくないよ、なんだよ、これ?!」 「心配すんな、クロコダインが助けてくれたんだよ。このガルーダは味方だ……多分」 軽く説明しかけたが、ダイにしては珍しくポップの話を遮って叫ぶ。 「話は後でいいよ、ポップ、とにかく早くこっちに手を伸ばして! こっち側にこれる?!」 ポップ以上に焦りながら、ダイが急かす。その焦りの理由は、ポップは身に染みるほど分かっていた。 このままでは遠からず、力尽きて落ちるのは目に見えている。ダイやマァムに支えてもらわなければ、長くは持たない。 しかし、余裕がなかったから仕方がないとはいえ、ポップが掴まった位置と向きが悪かった。 「あ、ああ、今そっちに移るよ」 理想を言えば、ダイとマァムに片手ずつしっかりと掴んでもらってぶら下がるのが一番バランスがいい。だが、マァムが目覚める気配が無い今、それを望めるはずもない。 そのためには、短い時間とはいえ片手を離す必要がある。片手だけで自分の全体重を支えるのは大変な上、空中でそれを行うのは恐怖もあったが、ポップは覚悟を決めてそれをやろうとした。 (けど……落ちたら只じゃすまねえよなぁ、ここからじゃ) 見ても意味はないし無駄に恐怖をあおるだけだと思っても、つい下を見てしまう。実際にはポップ達があれこれ動くせいでバランスがとりにくいのか、ガルーダはまだそんなに高度をとってはいない。 せいぜい二階建ての屋根程度の高さを旋回しているだけだが、空を飛べない人間にとっては恐怖を呼び起こすには十分な高さだ。 「あ……」 まだ、ヒュンケルとクロコダインがその場にいるのを見えて、ポップは顔をしかめる。 (なんだよ、まだ逃げてなかったのかよ……?!) 自分達が逃げれば、クロコダインもこの場にとどまる必要はなくなると思っていた。だが、クロコダインはダイ達がガルーダに掴まれた後も、その場から動かない。 何か、ヒュンケルと言い合っている様ではあるが、さすがに距離があるのとガルーダの羽音が邪魔になってよくは聞こえない。 「ポップ、早く?! 何やっているんだよ!!」 「ん…、ああ」 ダイに再び急かされ、ポップはクロコダインに気を残しつつも手を移動させようとした――が、その時、血飛沫が上がるのが見えた。 「――?!」 クロコダインの背中から噴き上がる血に、血に濡れた剣の切っ先。それを見た瞬間、ポップの頭の中が真っ白になる。 「やめろぉっ!!」 叫ぶと同時に、ポップの手から炎の固まりが生み出される。それは一直線にヒュンケルに向かい、彼の背中にぶつかって散った。 だが、それでもその魔法がヒュンケルの注意を引きつけたのは間違いない。力を込めてクロコダインを刺し貫いていた手を緩め、空を振り仰ぐ。 「あっ、うわっ?」 魔法を放った時、ポップは三つのことを忘れていた。 そして、なによりポップ自身も本調子とは程遠く、片手で自分を支えながら魔法を撃てる状態ではないことを――。 「ポップッ?!」 ダイの必死の叫びと掴もうとした手も空しく、ポップの身体はあっけない程あっさりと落下した。 貧血に似た目眩と、落下感がポップを襲う。
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