『もう一つの救済 2』

 

「……なんの真似だ?」

 ヒュンケルの反応は素早かった。
 ポップが立ち上がりきらないうちにもう、剣呑さを秘めたヒュンケルの目がポップを射ぬく。

(まったく、嫌な野郎だぜ……!)

 内心、ポップは舌打ちせずにはいられない。
 突然現れたクロコダインに驚き、結果的に自慢の剣を封じられているはずなのに、ヒュンケルは少しも冷静さを失ってはいない。

 自分の前に立ちはだかったクロコダインの体調も正確に把握しているし、ほぼ戦力外のはずのポップの動きにも注意を払っているのだから。

『いいですか、ポップ。
 戦いの場では冷静さがなによりも大切なんですよ。冷静でありさえすれば周囲の状況も見えてくるし、打つべき手も考えられますからね』

 アバンの教えが、ふと、脳裏を蘇る。
 認めたくはないが、ヒュンケルはアバンが理想とした戦士としての条件を備えていると言える。

 肉体や技術だけではなく、その精神までも鍛えられているようだ。それも、アバンの教えの流れを引く形で。
 その事実に気がついた時、初めてポップの中にヒュンケルへの対抗心じみたものが浮かぶ。

(おれだって……!)

 ダイだけが、アバンの弟子なわけではない。剣の技こそは習わなかったが、ポップだってアバンの教えを受けた一人だ。

 ポップがアバンから習ったのは、決して魔法だけではない。戦いに対する心構えや、戦略についても教えを受けた。正直、戦いなど嫌いなポップはそれらの教えを真面目に習ったとは言い難いものはあるが、それでもアバンは根気よくポップに様々なことを教えてくれた。

『魔法使いと言うものは、パーティで一番クールでなければいけないんですよ。
 戦士らが戦いに集中している間も、違う角度から戦いを眺める冷静さを持ち続ける……私の知っている最高の魔法使いがそうでした』

 アバンの教えを信じるなら、魔法使いが戦士に冷静さや頭脳で劣るわけにはいかない。 気合いを込め、ポップはヒュンケルの視線を跳ね返す様に睨み返す。

「まさか、今度はおまえが一人で戦う気か?」

 ヒュンケルの声音に、小馬鹿にした響きが混じる。見下されるのは悔しかったが、そう言われても仕方がない実力差があるのをポップは理解していた。

 マァムと二人がかりで魔法を放ってもびくともしない相手に、魔法使い一人で挑んでも意味がないことも。
 それを理解しているのは、ポップだけではなかった。

「よ、よせ、ポップ……! ダイを連れて、逃げろ……っ」

 いかにも苦しげに言うクロコダインに、ポップは力強く肯定した。

「ああ、もちろんそうさせてもらうさ」

 言われるまでもなく、ポップにヒュンケルと戦う意志などない。逃げるのに、何の異存もない。
 それに、クロコダインへの恩義もある。

 もう、ポップはクロコダインを疑ってなどいない。これほどの重傷を押してまで助っ人にきてくれた相手を、どうして疑えるだろう。
 しかも、彼はダイだけでなく自分やマァムをも救おうとしてくれている。

 ダイだけを救いたいのなら、クロコダインはあのガルーダに命じればよかった。ヒュンケルの不意を突くためにも、いきなりガルーダを呼び出しダイを運ばせればそれでことが足りたはずだ。

 だが、クロコダインはポップにわざわざ説明をするという手間を掛けてまで、ポップにも一緒に逃げろと言った。
 余計な手間を掛ける分、クロコダインの危険度が上がると分かっていながらそう言ってくれたのだ。

 その気持ちを無駄にしないためには、彼の望み通り逃げることこそが一番だとポップは理解する。
 だが、仲間を置き去りにして逃げるなど論外だ。

「だけど! その前に少しだけ、おれに時間をくれ!」

 強く、ポップは叫ぶ。
 クロコダインがガルーダに命令を下してしまえば、おそらくお終いだとポップには分かっていた。

 ガルーダの足の大きさなら、人間を掴むぐらいたやすい。ダイとポップを片足ずつに掴み、飛ぶぐらいは平気でやってのけるだろう。

 しかし、鳥の足が二本しかない以上、一度に連れて行ける人数は二人に限られる。だからこそクロコダインはダイとポップにだけ逃げろと言っているのだとポップは解釈した。

 それは、大きく外れた推理ではないはずだ。
 重力的な問題だけを論点に絞れば、あのガルーダは子供三人程度は軽く運べるだろう。ならば、ダイかマァム……どちらかを起こすことができれば、状況は劇的に変わる。

 二人とも、腕力は並外れている。
 意識さえ戻れば、鳥の足に自力で掴むなり、あるいは仲間を抱きかかえるなどの補助を期待できる。

(……絶対…、みんなで逃げるんだ……!)

 よろけそうになる足に力を込め、ポップは杖に縋るようにして立ち上がる。そして足を向けたのは、マァムの方だった。

「……ぐ、ぐうう……!!」

 クロコダインの漏らす呻き声が、肉体的な苦痛から漏れるものなのか、それとも希望を裏切られた苦痛によるものなのか、ポップには分からなかった。

(すまねえ……でも、頼む、信じてくれ!)

 声に出すことができないまま、ポップはそう思うしかできなかった。
 ヒュンケルとクロコダインがあそこまで接近している以上、クロコダインにだけ作戦を打ち明けるなんて真似はできない。
 だから虫がよくて無茶な話だと知りつつ、信じてくれと願うしかない。

 マァムの所に行くのは、作戦の一部だ。
 ダイの側に行こうとすれば、ヒュンケルが黙って見過ごすわけがない。だが、ポップが女の子の方へと向かうのには彼は何一つ遮ろうとしなかった。
 むしろ、それを望むとばかりに鼻で笑う。

「それでいい。逃げるのなら、おまえ達を追う気はない――む?」

 マァムの側に辿り着いたポップは、彼女を助け起こさずにその腰からベルトごと銃を奪う。
 魔弾銃を手にしたポップを見ても、ヒュンケルの蔑む様な視線は変化しなかった。

「馬鹿馬鹿しい。魔法使いのおまえがその銃を使って、今更何になる」

 ヒュンケルのその言葉は、正しすぎる程に正しい。だいたい魔弾銃に入っている攻撃呪文は全て、ポップ自身がいれたものなのだ。
 銃を手にしたところで、ポップの攻撃力は少しも変わりはしない。それどころか、不慣れな銃を撃つという動作が入る分、普段よりも速度は劣る。

 だが、ポップはそれを承知に上で銃をしっかりと握り、ニヤリと笑って見せた。

「知ってるか? これは、アバン先生が作ったんだ」

「……なんだと」

 ヒュンケルの顔色が変わる。それを見て、ポップは自分の狙いの正しさを確信した。

(思った通りだぜ)

 アバンへの強い復讐心を持つヒュンケルは、アバンの話に無関心でいられないのは、すでに分かっていた。
 ならばアバンを思い出させることを言うだけで、簡単にヒュンケルの気を引きつけることができる。

「そうだよ、アバン先生が、だ。あの先生が作った品が、並のアイテムだと思っているのかよ?」

 わざとアバンの名に力を込めて言いながら、ポップは魔弾銃の弾へと手を伸ばす。

 本来の持ち主であるマァムなら、弾を選ぶのに時間を掛けることはない。生真面目なマァムはどの弾に何を入れたのかをきちんと覚え、使いやすい様に順番に決めて並べておく習慣が身に付いている。

 だからこそ彼女は目を瞑っていても、探している弾をサッと取り出して撃つことができる。
 だが、ポップではそうはいかない。

 そもそもポップは、マァムほど几帳面ではない。自分の荷物さえきちんと整理整頓しているとは言えないポップが、マァムの持っている装備にまで気を配っているはずがない。

 しかし、この弾に詰めているほとんどの魔法はポップ自身が詰めたものだ。弾の先端部分に少し触れれば、中が空かどうか、何が入っているかぐらいはすぐに分かる。

 さらに微弱な魔法の差に注意を払えば、自分が入れた物かそうでないかも察知できる。

「この銃を使えば、魔法を使えない僧侶戦士でも自在に魔法を打ち出せる。
 なら、最初から魔法を使える魔法使いが使ったら、どうなると思う?」

 適当な会話を引き伸ばしてヒュンケルの気を引きながら、ポップはさりげなさを装って弾を探る。

 ポップは幸運だった。
 魔弾銃の弾は10個あるのだが、運よくポップは三つ目の弾を探ったところで目当ての品を探り当てた。

 中に魔法が入っていて、さらにそれが自分の入れた魔法ではない物。その弾を取り出し、ポップはいささか手間取りながらもそれを魔弾銃に装填した。
 マァムが使うところを何度となく見ていたし、暇な時に銃の仕組みに興味を持って見せてもらったおかげで、なんとか扱うぐらいことはできる。

 だが、マァムの様に熟練した手つきとはお世辞にも言えない。不慣れなポップにはもたもたとした手つきでやっとこなせる程度なのだが、ポップは敢えてゆっくりとした手つきでそれを行う。

(焦っちゃ、ダメだ。ハッタリでもいい、あいつの気を引きつけるんだ……!!)

 急いだところで無駄なのは、ポップが一番よく自覚していた。ヒュンケルの反射神経は、ポップを遥かに凌いでいる。
 ポップが一番得意とする魔法で攻撃を仕掛けたとしても、彼の不意を突くのは難しいだろう。

 ましてや不慣れな武器を使っての攻撃では、尚更だ。
 ポップがどんなに急いで魔弾銃で攻撃を仕掛けたとしても、ヒュンケルはポップが弾を込め終わらない内にバッサリとこちらを切るだけの早さと力を持っている。

 それが分かっているからこそ、ポップはスピードで勝負しようとは思わなかった。勝負を賭けるのは、心理戦だ。

 まるで、わざと気を持たせてそうしているかのように。
 手にした武器に自信があるからこそ急ぐ必要もなく、余裕をもって行動しているのだと相手に思わせるために。

 ヒュンケルのアバンへの過剰な思い入れと復讐心を利用して、警戒心を強く持たせる。その作戦は、ヒュンケルに対しては効果的だった。

「たとえ、魔法を増幅したとしても、おまえに勝ち目はない。……言ったはずだ。極大閃熱呪文や極大爆烈呪文だろうとも、オレの鎧には傷一つつけられん。
 幻惑呪文も、もうオレには効かん」

 落ち着き払った声でそう言っているヒュンケルは自覚はないだろうが、すでにポップの話術にはめられていると言える。
 言う必要さえない予測や牽制の言葉をわざわざ口にするのは、ポップの持っている魔弾銃に対し、過剰の警戒心を持っている証拠だ。

 ポップのハッタリを信じたのか警戒をこちらに向け、しかし、クロコダインを刺した剣から手を離さないヒュンケルは、結果的に身動き一つしない。
 その反応は、ポップには読めていた。

 さっき、ヒュンケルはダイの放つアバンの技を必要もないのにわざわざ受け止めて見せ、自分の力を誇示してみせた。
 自分の防御力は、アバンの教えよりも上だと見せつけようとするかのように。

 アバンの名を出して挑発した以上、放たれる魔法に対してもそうする可能性は高いと思っていた。
 と言うよりも、その反応を誘うためにポップは不敵を装って強気に言ってのける。

「へへ……さぁて、ね。こいつがあんたに効くかどうかは――試してみれば分かるさ」

「…………」

 無言のまま、ヒュンケルは身動き一つしない。だが、強くポップを射ぬくその目がヒュンケルの意思を示している。
 避ける気配のないヒュンケルを見ながら、ポップは十分に狙いをつけることができた。

 一応の操作は習ったし、遊び半分に撃たせてもらったことはあるが、ポップにはマァムのように素早く狙いを打ち抜くなんて真似はできない。

 ある程度時間をかけて準備し、狙いを絞らなければ当たるものも当たらない。だからこそ、ポップはハッタリをしかけてまで時間を稼いだのだ。
 狙いをピタリと絞り、ポップは一つ息をつく。

(いよいよだ……!)

  余裕に見せかけて時間を稼ぎ、ヒュンケルの気を引く――ここまでは、うまくやれた。
だが、ここからが肝心だ。これからは一気呵成に、素早くすませなければ意味がない。

 ポップは、銃の引き金を引きながら叫んだ。
 どうか通じてくれと、なかば祈りながら。

「クロコダインッ!」

 打ち出された弾は一直線に飛び、狙い違わず目標に当たった。
 ヒュンケルにではなく、いまだ倒れたままのダイに。

「……んっ」

 弾があたった途端、ポワッとダイの身体が一瞬だけ光り、小さな呻き声を上げる。

「なにっ?!」

 驚きを見せるヒュンケルの声と、クロコダインの上げる雄叫びは、全く同時だった。

 空気を震わせ、辺り一面にまで響き渡るクロコダインの声に、今まで彫像の様に動かなかったガルーダが反応した。
 やおら翼を広げ、すぐ側にいるダイを掴んで空に飛び上がる。

「えっ、うわっ?!」

 目が覚めるなりいきなりそうされて驚いたのか驚きの声を上げるダイに、ポップは目一杯声を張り上げて叫んだ。

「ダイっ、そいつは味方だ! 暴れるなよ!!」

 その声がダイに届いたかどうか、また、届いたとしても今のダイがそれを理解できるかどうか怪しいとは思った。

 なにしろ、ポップがダイに撃ったのは初級回復呪文にすぎない。
 遊び半分に行ったポップの銃の訓練のため、もし誤射したとしてもまったく害のない回復魔法をマァムがいくつか詰めてくれたことがあった。

 もっとも全部撃ち終わる前に訓練に飽きたポップがやめたので、1つ2つ余っていた……ほとんど忘れかけていたが記憶の片隅に残っていた。

 普段は何の役にも立たないが、治療手が気絶中の今ならば役に立つ。少なからぬダメージを受けていたダイには初級回復魔法程度では焼け石に水だろうが、それでも意識ぐらいなら取り戻せたはずだ。

 実際、ポップの声と同時にダイの動きが止まったのか、ガルーダのふらついた飛び方が急に安定し、空高くへと急上昇する。

「しまった!!」

 ヒュンケルがダイを追って空を見上げるが、クロコダインがそれを許さなかった。剣から離しそうになったヒュンケルの手を、逆にしっかりと掴む。

「なにを…?! 離せっ!!」

 苛立った声と共に、ヒュンケルがクロコダインに激しく殴りつける。聞くだけでも身が竦むような音が響き渡ったが、クロコダインはそれでもヒュンケルの手を離さなかった。

 まだ剣の切っ先が自分の腹に埋まったままだというのに、ヒュンケルが暴れればその剣がより深く自分の腹を抉ると知った上で、彼の手を握り締めたままだ。

「たとえ死んでも、この手は離さん…!!」

 そう言うクロコダインが、どれ程の激痛に耐えていることか。力を込めたせいでまた傷口が開き、腹の傷からも血が滴っているのに、クロコダインはそれでもヒュンケルの腕を離さない。それどころか、ポップに声を掛ける余裕すらあった。

「…い、急げ、ポップ……!」

 もちろん、ポップもクロコダインが必死になって作ってくれている時間を無駄にはしていなかった。

 魔弾銃をベルトごとマァムの腰に急いで戻し、彼女を抱えた姿勢で立ち上がる。気絶しているせいで自力では立てないマァムを支えるのはポップにはかなり大変だったが、それでもなんとかなったのは火事場の何とやらというものだろうか。

(うわ…っ、顔、近ぇ)

 そんな場合ではないと思っても、マァムと向かい合う形で、しかも身体を抱き締めて立ち上がった姿勢にポップはドキッとする。気絶しているマァムは目を閉じたままだし、キスをする直前を思わせる姿勢にドキドキせずにはいられない。

 が、そのときめきを喜んでいる暇はない。ポップはしっかりとマァムを抱えて、彼女の背中がガルーダと正面から向かい合う位置にくる様に調整する。
 その作業は、どうやらぎりぎりで間に合ったらしい。

 マァムの肩越しに、まるで獲物を捕らえるがのごとく爪を開いてこちらに向かって飛んで来るガルーダと、両手を伸ばしているダイの姿が映る。

「ポップッ!!」

 ダイが叫ぶのと、ガルーダがマァムを掴む衝撃はほぼ同時だった。物凄い力で自分の腕からマァムが奪い去られるのを感じながら、ポップも夢中でガルーダの足へとしがみつく。

 掴み損なったら最後、自分だけ逃げ損なうかと思うとポップも必死だった。ポップの腕よりもずっと太いガルーダの足首を掴むのは難しかったが、ざらついた肌触りに助けられながら無我夢中でしがみつく。

「ポップ、しっかり!」

 ダイの手が、ギュッとポップの腕を掴むのを感じた時、足が空に浮く。そのまま、ポップ達は空中へと持ち上げられていた。
 身体がだらりとぶら下がるのと、ガルーダが大きく傾くのを感じてひやりとしたが、それでも怪鳥は空中高くに飛び上がった。

「よ、よかったぁ〜、なんとか成功したぜ〜」

 曲がりなりにも作戦が成功したと悟り、ポップはホッと息をつく。
 マァムを背中から掴んでもらうため、ポップ自身は真正面からガルーダを待ち受けていた関係上、ポップは今、ガルーダの進行方向とは逆側の方を身ながらぶら下がっていた。

 前の方を向いた姿勢でガルーダの足に掴まれたダイやマァムとは正反対の方向を向いていることになるが、それでも二人の無事は確かめられる。
 ダイのお尻はともかく、マァムのお尻を眺めてニヤリとする余裕もある。

 ポップ自身はガルーダの両足に自分で掴まり、なんとかぶら下がっている状態で不安定極まりない格好だが、ダイがポップの腕を掴んでくれているおかげでそれほど不安もない。
 が、ダイの声はひどく不安そうだった。

「よくないよ、なんだよ、これ?!」

「心配すんな、クロコダインが助けてくれたんだよ。このガルーダは味方だ……多分」

 軽く説明しかけたが、ダイにしては珍しくポップの話を遮って叫ぶ。

「話は後でいいよ、ポップ、とにかく早くこっちに手を伸ばして! こっち側にこれる?!」

 ポップ以上に焦りながら、ダイが急かす。その焦りの理由は、ポップは身に染みるほど分かっていた。
 こんなぶら下がる姿勢で自分の体重をずっと支え続けられるような腕力など、ポップにはない。

 このままでは遠からず、力尽きて落ちるのは目に見えている。ダイやマァムに支えてもらわなければ、長くは持たない。

 しかし、余裕がなかったから仕方がないとはいえ、ポップが掴まった位置と向きが悪かった。
 ポップから頼むまでもなくダイは一生懸命ポップを支えようとしてくれているが、手が届きにくい位置ではさすがのダイも力の入れようがないらしい。

「あ、ああ、今そっちに移るよ」

 理想を言えば、ダイとマァムに片手ずつしっかりと掴んでもらってぶら下がるのが一番バランスがいい。だが、マァムが目覚める気配が無い今、それを望めるはずもない。
 多少バランスが悪くなるのを覚悟で、ダイがいる方の足にポップが掴まり直した方がいい。

 そのためには、短い時間とはいえ片手を離す必要がある。片手だけで自分の全体重を支えるのは大変な上、空中でそれを行うのは恐怖もあったが、ポップは覚悟を決めてそれをやろうとした。

(けど……落ちたら只じゃすまねえよなぁ、ここからじゃ)

 見ても意味はないし無駄に恐怖をあおるだけだと思っても、つい下を見てしまう。実際にはポップ達があれこれ動くせいでバランスがとりにくいのか、ガルーダはまだそんなに高度をとってはいない。

 せいぜい二階建ての屋根程度の高さを旋回しているだけだが、空を飛べない人間にとっては恐怖を呼び起こすには十分な高さだ。

「あ……」

 まだ、ヒュンケルとクロコダインがその場にいるのを見えて、ポップは顔をしかめる。

(なんだよ、まだ逃げてなかったのかよ……?!)

 自分達が逃げれば、クロコダインもこの場にとどまる必要はなくなると思っていた。だが、クロコダインはダイ達がガルーダに掴まれた後も、その場から動かない。

 何か、ヒュンケルと言い合っている様ではあるが、さすがに距離があるのとガルーダの羽音が邪魔になってよくは聞こえない。
 しかし、それがいい方向の話し合いとは思えない雰囲気だけは分かる。

「ポップ、早く?! 何やっているんだよ!!」

「ん…、ああ」

 ダイに再び急かされ、ポップはクロコダインに気を残しつつも手を移動させようとした――が、その時、血飛沫が上がるのが見えた。

「――?!」

 クロコダインの背中から噴き上がる血に、血に濡れた剣の切っ先。それを見た瞬間、ポップの頭の中が真っ白になる。

「やめろぉっ!!」

 叫ぶと同時に、ポップの手から炎の固まりが生み出される。それは一直線にヒュンケルに向かい、彼の背中にぶつかって散った。
 その攻撃が、ヒュンケルにとって何かダメージを与えたはずはない。鎧の魔力により、炎はあっさりと表面上を撥ね、散って消えたのだから。

 だが、それでもその魔法がヒュンケルの注意を引きつけたのは間違いない。力を込めてクロコダインを刺し貫いていた手を緩め、空を振り仰ぐ。
 だが、ポップはヒュンケルのそんな様子など見てはいなかった。

「あっ、うわっ?」

 魔法を放った時、ポップは三つのことを忘れていた。
 一つは、魔法を撃つ際は多少なりとも反動があること。
 一つは、ダイも本調子でなく、しかも姿勢が悪いせいで十分に支えることができないこと。

 そして、なによりポップ自身も本調子とは程遠く、片手で自分を支えながら魔法を撃てる状態ではないことを――。

「ポップッ?!」

 ダイの必死の叫びと掴もうとした手も空しく、ポップの身体はあっけない程あっさりと落下した。

 貧血に似た目眩と、落下感がポップを襲う。
 しまったと思うのと、全身を強く打つ痛みのどちらが早かったのか分からないまま、ポップの意識は不意に途切れた――。
                                    《続く》

                             

3に進む
1に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system