『もう一つの救済 3』

 

「…………」

 ヒュンケルは、しばし無言のまま佇むだけだった。
 ダイを追いたい気持ちはある。
 が、鳥の怪物に運ばれていったダイには、もうさすがに追いつけない。それに自分でも意外だったが、追う気もない。
 立て続けに入った邪魔のせいで、気が殺がれたと言うべきか。

(何だと言うんだ、どいつもこいつも……!)

 苛立ちを込め、ヒュンケルはまずクロコダインを睨みつける。
 ダイを殺させないと邪魔をしに来ただけでも不愉快なのに、彼のその後の言葉はさらに不可解だった。

『……ヒュンケル……いいぞ…人間は……』

 人間を賛美してやまなかったクロコダインが、ヒュンケルには無性に苛立たしく感じられた。
 だからこそとどめを刺してやろうと思ったのに、それを邪魔した存在があった。

(こいつも、何を考えているんだ……!?)

 落下してきた魔法使いの少年を、ヒュンケルは怒りを込めて睨みつける。
 ヒュンケルをペテンにかける形で逃げだそうとしたことも腹立たしいが、それ以上に不愉快に感じるのはわざわざ魔法を放ったことだ。

(クロコダインを庇った……のか?)

 やめろという叫びからしてもそうとしか思えないが、なぜ彼がそうしたかが分からないのが無性に怒りを掻き立てる。
 あのままなら、ポップも逃げられるはずだった。なのに、そのチャンスを棒に振ってまで、なぜクロコダインを庇うような真似をしたのか──。

「う……ポッ……プ…」

 重傷を負いながらもまだ意識があったのかひくひくとわずかに痙攣していた巨体は、その言葉と同時に首をガクリと落とした。
 そして、それっきり動かなくなる。

 それは、ポップも同じことだった。
 たいした高さではなかったとはいえ、地面に叩き付けられた衝撃で気絶したのかポップはぴくりとも動かない。

 あるいは、打ち所か悪くて死んだ可能性もあるかもしれないと思いながらも、一応ヒュンケルは彼に近付いてみた。

 無防備に倒れている魔法使いの少年には、外傷らしき外傷はなかった。散々抵抗したクロコダインが血まみれになっているのと比べると、ほぼ無傷と言っていい状態でその場に倒れているだけだ。

 演技かと多少用心しないでもなかったが、ヒュンケルが近付いてもまったく反応を見せない。
 しかし、胸がかすかに上下しているところを見ると、息はある様だ。

 ポップをすぐ足下に見下ろす位置まで近寄ったヒュンケルは、無感動な目を真下へ向けた。
 特に、感慨が浮かぶでもない。

 強いて言うのなら、あまりの間抜けさに呆れる感情が浮かぶ程度のものだ。
 逃げられるはずの状況で、敵であるはずの怪物を庇おうとして魔法を放ち、勝手に逃げ損なって気絶するなど、呆れてものも言えはしない。

 敵のあしらい方なら心得ているが、こんな行動を取る突飛な敵を扱う方法など、ヒュンケルは知らなかった。

(どうしたものか──)

 ポップをどう扱っていいものか、ヒュンケルは少しだけ悩む。
 勇者ダイよりは年上のようだが、この魔法使いもまだ子供といっていい年齢だ。

 今にも魔法使いらしく、細身で肉体的な戦闘が苦手そうな身体付きの少年は、これといって目につく特徴もない。
 気を失った今では、どこにでもいそうな平凡な少年にしか見えなかった。

(念のため殺しておくか……)

 真っ先に浮かんだのは、その考えだった。
 もし、ここに残っていたのが女の方だったのなら、ヒュンケルはそうは思わなかっただろう。育ての父であるバルトスから騎士道精神を受け継いだヒュンケルにしてみれば、敵であっても女子供を殺すのにはためらいがある。

 だが、年齢から言えば子供の域を脱しきってはいなくても、ポップは男だ。そして、戦場に立つ者ならば年齢に関係なく戦士として扱うのが、ヒュンケルの流儀だ。

 戦渦に巻き込まれただけの無力な子供だというのなら女性に準じる扱いをしてやってもいいが、ポップはこれでも魔法使いだ。
  それも勇者と一緒に、戦いを挑んできた魔法使い──ならばその扱いは、勇者に準じるべきだろう。

 ポップよりも年下のダイをれっきとした敵と捉えた以上、彼よりも年上のポップを子供扱いする理由はない。
 魔法を弾く魔鎧を身につけたヒュンケルにとっては問題にもならない敵とはいえ、使った魔法から評価するなら、ポップはなかなかの腕と言える。

 魔法の使い手は魔王軍では珍しくもないが、大抵は一種類の魔法を使うだけがやっとという者が多い。
 魔法には才能や相性が必須であり、ほとんどの者は得意な系統の魔法しか使えないのが普通だ。

 だが、ポップはヒュンケルの目の前で少なくとも二種類の魔法を使って見せた。火系統の魔法が得意なようなのも、不死騎士団長としては見逃せない点だ。

 ヒュンケルが配下としているアンデッド族は、全員がそろいもそろって炎を弱点としている。
 自由にしておけば、必ずや不死騎士団にとって邪魔な存在になる魔法使いならば、やはり殺しておく方が無難というものだろう。

(それに……こいつも、アバンの弟子の一人だったしな)

 そう言えばアバンのしるしを見せろと言い出したのは、彼だったなとヒュンケルは思い出す。

 ダイやもう一人の娘が剣技を見ただけであっさりとヒュンケルを信用し、拍子抜けするほどに他愛もなく油断をしたのと違って、ポップだけは警戒の目を隠そうともしなかった。

 そういう意味では、ポップは見る目があると言える。
 それに、ハッタリでヒュンケルの気を引いたあの話術も曲者だ。

 アバンがよく説いていた、正義や人を信じる心をそのままそっくり受け継いだダイ達の方がアバンの弟子だという印象が強いが、ポップのその抜け目のなさはヒュンケルの神経に引っ掛かるものがあった。

 一見おおらかで、誰をも無条件に信用し受け入れているようでいて、どこかに抜け目のない計算高さを残している……アバンにはそんなところがあった。
 実際、アバンにその抜け目のなさがあったからこそ、ヒュンケルの今があるのだ。

 もし、アバンが身近な人をそのまま素直に受け入れ、疑いもしない純真さをもつ人間だったとすれば、ヒュンケルは復讐をとっくの昔に果たすことができていた。

 もし、アバンがヒュンケルを疑いもしない男だったとしたら。
 アバンの不意を突いて放ったヒュンケルの一撃を、ああも鮮やかに返されることはなかったはずだ。

 短くはない時間を共に旅をした弟子であっても完全に心を許しきることのなかった、アバンのあの抜け目のなさ──その片鱗をポップに見い出だした途端、ヒュンケルの心の奥がざわめいた。

「…………!!」

 血が、泡立つのを感じる。
 凶悪な欲望が、ヒュンケルの中に宿る。
  憎んでも憎みきれない、そして果たそうにも果たせないアバンへの復讐──それを、アバンの弟子へとぶつけて何が悪いというのだろう。

 それを邪魔してくれたクロコダインは、今は倒れ伏している。
 自分の実力も顧みず、逃げ出すチャンスを自ら投げ捨てた愚かなこの魔法使いにだって、ヒュンケルを止めることなどできない。

 無抵抗のポップをどう扱うかなど、ヒュンケルの胸の内一つだ。ズタズタに切り裂いてなぶり殺すのも、部下をけしかけて肉片一つ残さずに抹殺するのもたやすい。
 思いつく限りの残忍な殺し方を、試すことだってできる。

  ──だが、ヒュンケルは荒ぶる心を抑えてポップの側に屈み込んだ。
 ともすれば加虐に走りたくなる心があるのは、否定はしない。だが、魔族特有の人間に対する嗜虐心に嫌悪感を抱いているヒュンケルにしてみれば、彼らと同じことをしたいとは思えない。

 唾棄すべき相手と同じ行動をするのは、自分自身をも貶め、彼らと同じ立場へ自分を堕落させる行為と思える。
 それを思えば、いかに個人的な恨みを抱いた相手とはいえ、虐待を与えるつもりはない。

(せめて、安らかに眠らせてやる……)

 それぐらいの慈悲は、与えてやるつもりだった。
 ならば、その死を辱める気もない。

 必要以上の損傷を与えるような死なせ方だけは、やめておこうとヒュンケルは思う。戦略的には敵はできる限り残酷に殺し、その死骸を見せつける方が、敵の戦意を挫く上で有効だとは分かっている。

 ダイもマァムもまだ若いせいか、潔癖な程に正義感が強いように見えた。正義の味方が必ず勝つと信じているような純粋さを持つ彼らに、手厳しい現実を見せつけてやってもいい。

 仲間の無残な死が、ダイやマァムに強いダメージを与えるのは疑いようはなかった。

 だが、ヒュンケルの目的は単にアバンの最後の弟子であるダイを単に倒すことではない。アバンの技や教えより、自分の方が上回っていると証明することこそが、最重要だ。
 そのためには、ダイとの直接対決は譲れない。

 ならば、ダイが戦う気すら無くすような衝撃を与えても意味はない。
 いずれダイが仲間の安否を気にしてここに戻ってきた時、ヒュンケルへの怒りを感じて戦う気になる程度のダメージを与えれば、それで充分だ。

 仲間の死体をここに投げ出しておくのは、そのためには手頃な手段と思えた。
 この場合、手っ取り早い上にあまり外傷を与えずにすむ方法といえば、絞殺だろう。何のためらいもなく、ヒュンケルはポップの首に手を掛けた。

(……細いな)

 片手でもくびり殺せそうな細い首だと思いながらも、ヒュンケルには手を緩めなかった。ポップの上に馬乗りになり、力を入れやすいように両手で細首を握り締める。

「……っ」

 重みを感じたのか、それとも首にかけられた手に不快さを感じたのか、ポップがわずかに呻く。
 意識を取り戻され、騒がれては面倒だ。
 一気に片付けようと手に力を込めようとした瞬間、指に異物感が走る。

「!?」

 反射的に手の力を緩めたのは、戦士として自然な反応だ。たとえわずか自分への攻撃を思わせる存在を感じたのなら、罠を警戒して被害を最小へと抑え込もうとする用心が、自然に身体を動かしていた。

 手の力を緩めてから初めて、ヒュンケルは自分の指先に絡んだのが細いチェーンなのに気がついた。
 ヒュンケルにとってひどく馴染みのある手応えの正体は、わざわざ確かめなくても分かってしまう。

 その事実に、ヒュンケルは顔をしかめた。
 だが、どんなに不快に思おうとも、事実は変わらない。
 それは、ヒュンケルもついさっきまで胸から下げていたのと同じ、アバンのしるしだった。

 指に絡む邪魔なチェーンが、ヒュンケルを必要以上に苛立たせる。
 もう、とっくに死んだはずなのに、いまだに弟子を庇おうとでも言うのか。

(こんなもの……!)

 手に力を込め、ヒュンケルは首飾りをチェーンごと引きちぎろうとした、まさにその時だった。

「……ン…せ……い……」

 か細いポップの呻き声は、確かにそう言った。
 ポップのその言葉に、ヒュンケルは凍りついたように動けなくなる。

 その衝撃の強さが、自分でも意外だった。
 頭では、今のポップがほぼ気絶しているのは分かっている。意識が朦朧としている人間が、助けを求めてか無意識に人の名を呼ぶのは珍しいことではない。

 なのになぜ、それがアバンの名と言うだけでここまで動揺を感じるのか。
 固まったように動きを止めたヒュンケルだったが、その耳に済んだ鈴の音が聞こえてきた。

 音の方角に目をやると、そこには世にも怪奇な人影があった。
 生きた人の肌色とはかけ離れ、腐敗の進んだ肉体にもかかわらず鈴を振りながら歩くのは『腐った死体』と呼ばれる怪物だ。その後に付き従う歩く、全身包帯を巻き付けた数体のミイラ男達もまた、不死系怪物だ。

 鈴の合図に合わせて、籠を背負ったミイラ男達はその辺に散らばった骨を拾位集めては、籠に放り込んでいる。
 子供が見たのなら泣き出すに違いない不気味さだが、ヒュンケルにとっては見慣れた光景だ。

 几帳面に鈴を鳴らしながら近付いてきた『腐った死体』は、ヒュンケルを見るといささかわざとらしく一礼した。

「おやおや、ヒュンケル様。その子も我らの仲間入りさせるおつもりで?」

 言外に、まだ子供ではありませんかとの非難の意思が感じられるように思うのは、ヒュンケルの邪推とばかりは言えないだろう。
 アンデッドでありながら高い知能と判断力を保持しているこの『腐った死体』は、名をモルグと言う。

 不死系怪物はその大半が知能が低く、自意識が消滅しているものだ。それだけに命令には愚鈍なまでに従順だし、ある意味使い勝手のいい駒ではあるのだが、召し使いとしてはいささか面倒でもある。

 こまかな雑用であれ、いちいち指示を与えなければ実行もできないときている。戦闘に関することならともかく、ヒュンケルにとっては居城の防衛を初めとして掃除や食事の支度などの日常的な雑事の指示までしなければならないのは、煩わしくてたまらなかった。

 だが、そんなヒュンケルの面倒な手間を半減してくれたのが、このモルグだ。
 不死系怪物にも関わらず、自分の意思をいまだに保っているモルグは執事として使うにはもってこいだった。

 いちいちヒュンケルが命じなくとも、城を適度に管理し、人間に相応しい食事や身の回りの世話にも気を配るスキルを身に付けている。
 そのため、ヒュンケルはモルグを手頃な部下として重宝しているが、彼の欠点は未だに消えない人間味だ。

 もう人間だった頃の記憶などないはずなのに、モルグは未だに人間に対して好意じみた感情を抱いているらしい。
 自分自身が死んだ人間から派生した怪物であるにもかかわらず、人間に対する虐待や無闇な殺生を嫌うのだから呆れたものだ。

 特に子供に対してはその傾向が強いらしく、モルグは戦いに子供が巻き込まれそうな時には必ずといっていい程、命は助けてやってはいかがですかと進言してくる。

 厄介なことに、気絶しているポップはどう見てもただの子供にすぎない。無防備で弱々しいこの姿を見ただけでは、とても彼が油断のできない魔法使いだと思うわけがない。

 間違いなくモルグはポップを庇うだろうと思うと、途端に面倒な気分の方が強くなった。

「……興が殺がれた」

 それだけ言って、ヒュンケルはポップの上から立ち上がる。そして、ポップではなく後ろの方を指差しながら命令した。

「あいつを、手当てしてやれ」

「は? や、ややっ、この方は、クロコダイン様っ!?」

 ヒュンケルの指摘を受けてから、モルグはようやくクロコダインに気がついたらしく、滑稽な程うろたえている。
 不死系怪物ばなれした頭脳を持ってはいても、肉体的にはかなり損傷した死体であり、片目しかないモルグは視力は余りよくないのである。
 そのため、顔をまじまじと近付けてから彼はふるふると首を横に振った。

「し、しかし、この深手では……。どう見ても、助かるような怪我ではありませんぞ」

 モルグのその意見に、実はヒュンケルも同感だった。
 いかに頑強な肉体を持ち、その生命力の凄まじさで知られた獣王とはいえ、今の状態はあまりにもひどすぎる。

 手当てをしたところで、助かる確率は五分五分……いや、もっと低いかもしれないと分かっていた。
 しかし、それでもヒュンケルはモルグに命じる。

「かまわん……。武士の情けだ」

 未だに、ヒュンケルにはクロコダインの気持ちが理解できない。
 クロコダインが命を賭けてまで言おうとした、あの言葉の意味の半分もヒュンケルには伝わっていなかった。

 なぜ、突然人間の肩を持ち、命を懸けてまでヒュンケルを止めようなどという馬鹿げた行動をとったのか理解できないし、したくもない。

 しかしそれでもなお、ヒュンケルはクロコダインを評価している。
 魔王軍の連中は誰も彼もが信用がおけず、尊敬もできない連中揃いだが、その中でクロコダインだけは他の連中とはどこか違うと、ヒュンケルは思っていた。

 武人としての誇りを持ち、小細工を嫌う豪放磊落さを持つ男だ。
  死なせるには惜しい──その思いが、どこかにある。

 だが、ポップの場合はクロコダインとは全く印象が違う。
 命こそは助けてやったものの、勇者一行の魔法使いと知った上でこのまま見逃すほどに甘くなる気はないし、彼に対してはそんな義理さえもない。

「それから……この小僧を捕らえろ」

「この子供をですか?」

 怪訝そうに聞き返しながらも、殺せという命令でなかった分気楽だったのか、モルグは意外なぐらいに素直に命令に従った。配下のミイラ男に合図を送り、気絶したままのポップを担ぎあげさせる。
 いかにも無造作なその扱いを見て、ヒュンケルはさらに指示を加える。

「気をつけろ。そいつは勇者一行の魔法使いだ。そのつもりで扱え」

 その命令に、モルグは捕らえた少年の評価を改めたらしい。

「おや、そうですか、それならば急がなければなりませんね。意識を取り戻されては、厄介ですからな」

 ミイラ男に急ぐようにと指示を出しながら、モルグは鈴を振りながら、元来た方角に向かって歩きだす。
  その姿は徐々に小さくなっていき、やがて、鈴の音も完全に聞こえなくなった──。
                                    《続く》      


                                      

                     

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