『もう一つの救済 4』

 

「ポップ──ッ、ポップッ!!  くそぉっ、放せっ、放してくれよっ?!」

 叫びながら、ダイは必死になって身をよじる。
 一時も休むことなく手足をもがかせ、身体をくねらせたり、叫んだりと、今の自分にできる精一杯の抵抗をしながら、戒めから逃れようとしていた。

 ダイとマァムをがっちりと掴んだ、怪鳥ガルーダの爪から逃れるために。
 その行動が自分にとって無益どころかむしろ危険だということすら、ダイの頭にはない。もう、とっくの昔にポップやヒュンケルのいた場所から離れ、遠くまで飛んで来た事実さえ意識しないままダイはもがき続ける。

 幸いにもと言うべきか、ヒュンケルの攻撃のせいで弱り切ったダイにはいつものパワーはなく、ガルーダの爪を振り切ることはできない。
 むしろ暴れた分だけしっかりと掴まれてしまい、かえって脱出が難しくなるだけだ。

「お願いだから、下ろしてくれよっ! 聞こえているんだろっ?!」

 暴れるだけでなく、ダイは時折ガルーダに向かって懇願せずにはいられない。

 このガルーダが知能が高く、しかも律義な怪物であることはダイには分かっていた。なにしろこれだけ暴れてもガルーダはダイやマァムを離そうとはしない。

 暴れる生き物を運びながら飛ぶのは難しいことなのに、ガルーダはきちんとそれを行っている。
 しかも、力を込め過ぎてダイを傷つけないようにと気を使ってさえくれているのだ。優しい怪物であり、友達になれそうなタイプだとダイは思っていた。

 だが、残念ながらというべきか、ガルーダはクロコダインの忠実な手下だった。リーダーを決めた怪物の中には、そのリーダー以外の命令を受け付けない場合があるが、ガルーダもそういうタイプのようだ。

 ダイの呼び掛けに多少困ったような泣き声を出すが、クロコダインの命令を優先しているらしく迷いもなく一直線に飛んでいく。
 暴れようが、懇願しようが、ガルーダに運ばれるしかない状況だったが、ダイは少しもじっとしていられなかった。

 今のダイの脳裏を占めているのは、ポップのことだった。
 クロコダインを気にするあまり、魔法を使って落下していったポップの姿が、ダイの焦りを誘う。

(ポップ……っ、なんて無茶をするんだよっ?!)

 苛立ちにも似た強さで、そう思わずにはいられない。
 意地っ張りなくせに臆病なポップは、本当は戦いなんて好きじゃないはずだ。自分から望んで強い相手に戦いを挑む理由なんて、ポップにはかけらもない。

 だけど、ダイは知っている。
 いざと言う時、ポップがすごく無鉄砲になることを。
 ダイがクロコダインと戦った時が、そうだった。あんなに戦いを怖がっていたくせに、ポップはダイやマァムを助けるために戻ってきてくれた。

 それはすごく嬉しかったし、心底感謝もしているが、あの時と今では状況が違う。あの時はダイがポップを助けることができたが、今回はポップ一人っきりだ。

 魔法が効かない相手だというのに、魔法使いが残ってもお話にもならない。ましてや、相手はアバンへ深い恨みを持っているヒュンケルだ。
 アバンの使徒だという理由で、ダイにむき出しの殺意や敵意をぶつけてきたヒュンケルを、ダイは決して憎んではいない。

 どちらかというと、自分と似た境遇だと知って同情の気持ちの方が先に立ち、とても敵愾心は抱けない。

 だが、あの敵意がポップに向かうことを思うと、とてもじっとはしていられなかった。  それに、そもそもポップがあの高さから落ちて無事だったかどうか──思えば思う程、不安が膨れ上がる。

「ねえ、下ろしてくれよ! 頼むからっ」

 もう何度頼んだから忘れる程の懇願をまた繰り返したダイに、ガルーダは答えない。だが、速度を落としながら高度を低くする。

 それと同時に今まであれほど強く掴んでいた爪を緩める。どうやら下ろしてくれる気らしいと気がついたダイは、完全に地面に下りきるのも待たずに爪の緩みを振り切って飛びおりる。

 当然そんな下り方は衝撃も強く危うく転びそうになったが、踏ん張って立て直したダイはそのまままっしぐらに来た方向へと走り出そうとする。
 だが、それに思いがけない邪魔が入った。

「待って、ダイッ!!」

  体当たりする勢い──いや、文字通りにタックルをかけて、マァムがそれを止める。さすがのダイも、自分よりも年上で体格もいいマァムのタックルをまともに食らっては、足を止めざるを得ない。

 だが、マァムの力では完全にダイを止めきれない。
 結果、もんどり返って、二人そろってもつれて地面を転がる羽目になった。相当に痛い思いをすることになったが、ダイにとってはそんなことはどうでもよかった。

「いたた……っ、何するんだよっ、なんで止めるんだよっ、マァムッ?!」

 思わず強く言ってしまったダイだが、そのダイ以上の激しさで、マァムは噛みつく様に怒鳴りつけてくる。

「止めないわよ! ポップに、何かあったんでしょう?!」

 マァムの手が、驚く程の強さでダイの腕を掴む。

「だけど……っ、先に回復魔法をかけさせて!! すぐに治すわ……! それから、ポップを助けに行きましょう……!!」

 震える唇を噛み締めながらそう言うマァムを見て、ようやくダイは彼女の焦りに思い当たる。
 自分がポップを心配するように、マァムもまた、ポップを心配している。
 その事実に気がついたダイは、やっと身体の力を抜いてその場に座り直す。

「ごめん、マァム。おれ、焦ってて……っ」

「いいの、気持ちは分かるわ。私も同じだもの……!」

 そう言いながらマァムもまた表情を和らげ、その手から魔法の光を放ちだす。回復魔法特有の暖かい光が広がり、じんわりと身体から痛みが抜け落ちていくのが分かる。

 普段ならその心地好さに心までホッとできるのだが、今日ばかりは無理だった。早く回復が終わらないかと気が焦るばかりで、いつものように心地好さにうっとりすることはない。

 それはマァムも同じようで、魔法を使いながら青ざめた顔で話しかけてきた。

「ねえ……ダイ、教えて。私が気絶している間、何が起こったの?」

 ヒュンケルとの戦いの中、彼に幻惑呪文で挑んで負けたところでマァムの意識は途切れている。
 気がついたのは、ダイの悲痛な声のせいだった。

 空中を飛んでいるのも驚きだったが、それ以上にポップの姿がないことに驚きと不安を掻き立てられた。

 ダイの必死の呼びかけも合わせて考えても、ポップに何かがあったらしいとは見当はついたが、細かなことが分かるはずもない。
 しかし、マァムの質問にダイは顔を曇らせる。

「おれも……よく知らないんだ。マァムが気絶した後、おれもヒュンケルにやられそうになって、気絶して……気がついたら、この鳥に掴まれて飛んでいたんだ」

 言いながら、ダイは改めてガルーダを見上げる。
 ダイとマァムを地面に下ろした怪鳥は一緒にその場に下り、おとなしくじっとしていた。

「ポップはこいつのことを味方だって、言ってたよ。クロコダインが助けてくれた……そう、言ってた」

 考え、考え、ダイはゆっくりとしゃべる。
 気絶から目覚めたばかりではっきりとしない意識の中でも、クロコダインの巨体がヒュンケルと向かい合っていたのはよく覚えている。

 死んだと思われていたクロコダインが、なぜ突然現れたのか、また、なぜダイ達に味方してくれたのかなんてダイには分からない。だが、ポップが彼が助けてくれたと言ったのなら、きっとそうなのだろう。

「よく分からないけど……ポップは……おれやマァムを助けようとしてくれてた。ううん、おれ達だけじゃなくて、多分、クロコダインのことも助けたかったんだ」

 はっきりと見たわけではないが、ダイはそれを確信していた。ガルーダからぶら下がるという不自然な体勢だったのに、ポップは下の方ばかりを気にしてなかなかダイの手を取ろうとはしなかった。

「ヒュンケルとクロコダインの戦いに、ポップがメラを撃って……その拍子に、ガルーダから落ちちゃったんだ……!」

 その時のことを思い出し、ダイは唇を噛む。
  もう少し、早くポップの手を掴まえてさえいれば──そう思わずにはいられない。いつものダイの体力なら、落ちそうになったポップをしっかりと支えるぐらいのことが出来たはずだ。

 顔を歪めるダイの傷を癒しながらマァムもまた、苦いものを無理に飲み込む表情で頷く。

「そう……だったのね」

 暗い表情のマァムもまた、ダイと同じように自分の無力さを悔いているのだろう。肝心な時に気絶していたという事実に、心を痛めているに違いない。
 だが、マァムはその心の痛みや嘆きを口にすることなく、しっかりと周囲を見回す。

「ここは、どこなのかしら?」

 マァムのその質問に、ダイも答えることは出来ない。なにしろ、ここはガルーダが勝手に飛んで来た場所だ。そう長くは飛んでいなかったからパプニカ国内なのは間違いないだろうが、詳しい場所や地名をダイが知るはずもない。

 しかし、見晴らしのいい岩山なだけに元々自分達がいた神殿の跡地がはっきりと見える。さすがに距離があり過ぎて目のいいダイでも、そこに人がいるかどうかは確かめられなかったが、目的地が視認出来る場所にあるという事実は大きかった。

「見てよ、マァム。あの神殿からそんなには離れていないんだ、急いで戻ればまだ間に合うかも……!」

 ダイのその言葉は、無茶もいいところだ。
 確かに目的地が見えているとは言え、ここから神殿に戻るまではきつい山道を下っておりていかなければならない。
 どんなに急いで戻ったとしても、数時間はかかるであろう距離だ。

 その間、ポップやヒュンケルがあそこから動かないと言う保証はない。いや、むしろ、この段階ですでに手遅れになっている可能性の方が大きいのである。
 だが、マァムもダイと同じ考えだった。

「そうね、戻りましょう……!」

 本気で間に合うと思っているわけではない。だが、まだ間に合うと思いたいし、なにより自分の目で確かめたいという思いが強い。
  あれから、ポップがどうなったのか──。

 しかし、二人がそろって腰を浮かしかけたその時、背後から砂利を踏む音が聞こえた。それはかすかな音に過ぎなかったが、明らかな物音にダイとマァムはそろってそちらに顔を向ける。
  彼らの目に映ったのは、剣を持ち、鎧で身を固めた兵士の姿だった──。

 

 

 その城は、地底の奥深くに存在していた。
 死火山の火口に作られた、大きな渦上の螺旋階段をどこまでも降りていった先にある洞窟から続くのは、半ば壊れかけた迷宮。

 15年前、そこがかつての魔王ハドラーの居城であり、また、迷宮を突破していったのが当時の勇者である勇者アバンその人だったと知っている者はいまや少ないだろう。

 あちこちがひび割れている壁や、壊れたまま放置されている扉など、随所に戦いの痕跡の残るこの居城は、今は魔王軍不死騎士団軍団長に与えられたものだった。

 その自負が、ヒュンケルにはある。
 だからこそヒュンケルは、必要以上に挑発的だった。

 そうたいした要件でもないのにわざわざザボエラを連れて視察に来たハドラーに対してことさら強い口調で反論し、バーンの命令を盾に相手の神経をわざと逆撫でするような言動を繰り返す。
 しかし、ハドラーもさすがは魔王と言うべきか。

「……そうか……。ならば、よい」

 感じたはずの怒りを抑えこみ、何事もなかった様に背を向けて立ち去ろうとする。背を向けた魔王に向かって、ヒュンケルはとどめの様に挑発した。

「……せっかくお見えになったのだ、ゆっくりと見物なさっていってはいかがです。
『兵どもが夢の跡』をね……!!」

  その言葉に、ハドラーがわずかに足を止めた──ように見えたのは、ヒュンケルの気のせいだろうか。
 しかし、ハドラーは半ばヒュンケルが望んでいた様に激昂することもなく、そのまま足取りを変えずに立ち去る。

 その背中を、ヒュンケルはしばらく黙って見送る。
  ──爽快感など、全くなかった。
 アバンこそが真の意味でヒュンケルの仇だが、ハドラーもまたヒュンケルにとっては縁のない相手ではない。

 バルトスが死んだ一因が当時の魔王の力量不足にあると考えているヒュンケルにとっては、ハドラーも広義の意味では憎しみの対象だ。
 それを思えば、ハドラーに好意的な感情が持てるはずもない。

 しかし、仮にもバーンの与えた総指令という役職についているハドラーは、ヒュンケルの上司に当たる。
 それを思えば、公然と逆らうわけにはいけないとヒュンケルは考えていた。まだ、しばらくは──。

「……フン」

 不機嫌に舌打ちをし、ヒュンケルは自分も向きを変えて歩きだす。
 地底魔城の名に相応しく、この城は日の当たらない地下深くに迷宮を張り巡らせている。普通ならば迷うだろうが、ヒュンケルにはここはよく知った道だ。

 十数年前とはいえ、元々は自分の住んでいた場所なのだから。
 地下牢に向かって歩くヒュンケルは、その途中でも様々な怪物達と擦れ違う。

 そこにいる怪物達はほとんどが不死系の怪物達であり、どこかぎこちない動きながら休むことなく淡々と動き続けている。
 普通の人ならば一目見ただけでギョッとしてしまう光景だが、ヒュンケルにとってはそうでもない。

 昔から地底魔城では立地条件のせいか、不死系の怪物が数多く存在した。
 ましてや、今この城にいる怪物達は全てがヒュンケルの配下であり、彼の命令のままに動く。昔以上に恐れる理由などない。

 今や完全に自分の城となったはずの場所を、ヒュンケルは足音も高らかに歩いていた。その足取りはいつもよりも確実に荒々しいという自覚もある。
 だが、抑えようとしてもどうしても込み上げる苛立ちにそうせずにはいられない。

 しかし、そんなヒュンケルに対して周囲にいる部下達はなんの反応も見せなかった。
 骸骨姿の剣士達は、生きてはいない。それゆえに特に何の感情も見せず、決められた命令に従うしかできない。

 ヒュンケルが彼らに与えた命令は、侵入者がいないか見張れというものにすぎない。
 その命令に愚直に従う骸骨剣士達は、不機嫌そうに歩く己の主人を見ても特に反応を示しはしない。

  挨拶すらしようとしない、無言のままの部下達──いつもなら気にさえならないのに、それさえも今日はなぜか癪に障る。

(チ……ッ)

 未だに自分が何に腹を立てているのか分からないまま、ヒュンケルは再び舌打ちをする。  ──懐かしいはずなのに、どうにも馴染めない。
 ヒュンケルにとって、地底魔城は常にそんな矛盾を感じさせる居城だった。
 この地底魔城は、ヒュンケルが望んで得たわけではない。

 大魔王バーンはそれぞれの軍団長のために、拠点となる場所を与えた。その際、不死騎士団軍団長に元はハドラーの居城であった地底魔城を割り当てたのは果たして偶然なのか、作為があるのか──ヒュンケルには未だに分からない。

 しかし、バーンの思惑はどうあれ、ヒュンケルは彼に逆らう気はない。
  居住に拘る気はないし、くれると言うものなら受け取ればいい──その程度の考えだったし内心では嬉しくないこともなかった。

 ヒュンケルにとっては、この城はただの城ではない。幼少時、養父であるバルトスと共に暮らした場所でもある。
 その城に十数年ぶりに戻るというのは、ヒュンケルにとってまったく無意味なわけはなかった。

 アバンに師事していた間は地上で旅をして暮らし、ミストバーンに拾われて修行を受けている間も単に一時的な部屋を与えられていたヒュンケルは、家というものを持たなかった。

 ヒュンケルにとって、家と呼べる場所があるのならバルトスと過ごしたこの地底魔城こそが家であり、いつか帰りたいと思っていた場所だ。
 もっともその思いは淡いものであり、日々を生き延びることやアバンへの復讐心に比べれば比較にならない程薄い望みに過ぎなかったが。

 だが、密かに抱いていたはずの夢が叶った後になってから、ヒュンケルは叶わない方がよい夢もあるのだと悟った。

 地底魔城は以前と同じままでありながら、以前のままではなかった。
 戦いの傷跡を残したまま長年放置されていた魔城は、ヒュンケルの幼い頃の記憶とは重なる様で重ならない。

 あの頃はもっと広く、暖かい場所だった様に記憶していた迷宮は、こんなにも薄汚れて寂れた場所だったのか。
 帰るまで時間が掛かり過ぎたせいか、あるいは城が壊れ過ぎたせいか、ヒュンケルには自分が暮らしていた部屋さえ見分けがつかなくなっていた。

 あの頃、人間の子供を育てることに反対をするものは多かったため、バルトスはヒュンケルを隠す様に育てていた上、しょっちゅう部屋を点々と移動させていたのも悪かったのだろう。

 それらしい場所はいくつか見つけたものの、養父との生活を思い出せる名残はほとんど残ってはいなかった。
 似ている様で似ていないのは、城の中にいる怪物達も同じことだ。

 確かにあの頃も不死系の怪物は多かった。だが、当時の父がそうだった様に明確な意思を持ち、生前の記憶をきちんと持っている者が多数だった。
 彼らは決して、今のヒュンケルの部下達の様にただの生きる屍ではなかった。彼らと今の自分の部下を同一に考えることは、冒涜に等しい。

 十年以上の時をかけ、ヒュンケルが取り戻したと思ったものは、似て比なるものにすぎない。
 それを目の当たりにするのはヒュンケルにとっては腹立たしく、無性に苛立ちを誘われる。

 自分でも説明のつかない苛立ちに苛まれながら、ヒュンケルが足を向けたのは地下牢の方向だった。

(確か、魔法使い用の牢はこちらだったな)

 ハドラーの訪問の直前、モルグは捕虜の魔法使いを地下牢に閉じ込めておいたと報告してきた。
 ポップの様子を見てみようと思ったのは、気紛れに近かった。

 報告を受けた際には特に興味も湧かなかったのだが、ハドラーとの対面で荒れた気晴らしぐらいにはなるだろう……そう思い、ヒュンケルは荒い足音を立てながら地下牢へと向かった──。
                                    《続く》 

                            

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