『もう一つの救済 5』

 

「……子供相手に、ずいぶんと厳重だな」

 意趣返しの意味合いをこめ、ヒュンケルは些か皮肉に言う。
 実際、地下牢に閉じ込められたポップの姿は、不必要と思われるほど厳重な拘束をされたものだった。

 そもそも入れられた場所が、ただの牢屋ではない。魔法力を持つ者を封じ込める働きを持つ魔牢だ。
 石造りの狭い牢獄自体は、他の牢屋と大きな差はない。しかし、壁に描かれた魔法陣の中央に深く打ち込まれた鉄鎖があるのが、普通の牢屋との差だ。

 魔牢には幾つかタイプがあるが、ここに設置されている魔法陣は魔法を封じるためのものではない。魔法力を奪いとり、結果的に魔法を使えない様にするためのものだ。

 その鎖で繋ぐことで魔法力を徐々に吸い上げ、魔法使いを無力化させる仕掛けである。通常よりもやや太めな鉄鎖は、ポップの細い首に嵌められた首輪へと繋がれている。

 それだけでも非力な魔法使いの少年にとっては十分な拘束になるだろうに、ポップはさらに手足まで縛られている。
 手は後ろ手に拘束され、足はちょうど胡座をかいた姿勢で足首を結び合わされてしまっている。

 胡座をかいた姿勢のまま拘束されているポップは、檻の前に立つヒュンケルやモルグを睨みつけるが、口は開かない。
 と言うよりも、開けないと言った方がいい。猿轡をされていては、しゃべることなどできるはずもない。

 まだ年端もいかない少年に対して、ここまですることはないだろうと思えるほど念の入った拘束ぶりである。
 だが、モルグは憂鬱そうに溜め息をついて言った。

「子供だから、ですよ。手足が細すぎて普通の魔封の枷では抜け落ちてしまうのです。ですから、やむをえず首に嵌めさせました」

 成人男性を標準に作られた魔法道具のサイズは、ポップにとっては少しばかり大きすぎるのは道理だ。
 その年齢の少年にしても細身と見える魔法使いの少年の腕の太さでは、並の男向けの手錠が合うはずがない。

「枷さえ合えば、この牢屋に閉じ込めることもなかったんですけどね」

 どこか残念そうにそういうモルグの人の良さを、ヒュンケルは軽く笑う。
 魔枷は文字通り、その者の魔法を使えなくする効果を持つ。魔法封じの呪文と効果はほとんど変わらない。

 これを嵌めたのなら、別に普通の牢屋に入れても構わなかった。魔法さえ封じれば、魔法使いなどただの人間と変わりはないのだから。

 ただし魔法を封じる枷は、普通は手錠かもしくは足錠の形で使われることが多い。一対で封じてこそ完全な効力を持つものであり、片方だけを付けたところで効果は半減する。

 魔法の使い手が強力な場合、半端な封印は破られる可能性がある。
 正直な話、ヒュンケルはポップがそこまで強力な魔法を使えるかどうかまで知ったことではないのだが、生真面目なモルグは主人の命令をまともに受け入れたらしい。

 文字通り、最高級の魔法使いを封じる手段を取っている
 だからこそ魔枷を半分付けた上で、この魔法吸収タイプの牢屋に閉じ込めるしかなかったという訳なのだろう。

 魔法力を吸収するタイプの牢屋は魔法使いにとっては常に体力を消耗し続けるため、本人にとっては大きな負担になる。
 人の良いゾンビは、敵とはいえまだ子供にそんな扱いをするのはさぞや気が進まなかったのだろう、どこか同情的だった。

「しかし、この子供ときたら目が覚めるなり嫌がって首輪を外そうともがきまくって、かえって自分で自分の身体を傷つけてしまう始末でしてね。
 もう少しで危うく、首吊りをするところでしたよ」

 全く人間というものは扱いに困りますと溜め息をつくモルグに、ヒュンケルは質問する。

「猿轡は?」

「ああ、この子供は見た目によらず気が強いのか、ずいぶんと騒ぎたててくれましたからね。まあ、普段ならば別に好きに騒がせていてもいいのですが……先程はハドラー様がお見えでしたし、お耳障りになるといけないと思いまして」

 見た目によらない細心さを持つモルグらしい気遣いだが、ヒュンケルにはそんなことはどうでもいいとしか思えなかった。
 かつては残虐さでその名を轟かせた魔王であり、現在は魔王軍総指令であるハドラーが人間の子供の悲鳴ごときを気にするとも思えない。

 だがモルグのその言葉に、ポップがビクリと反応したのが分かる。どうやらポップにとっては、ハドラーの名前は聞き捨てならないものであるらしい。
 その反応に、ヒュンケルは少しばかり興味をそそられた。

(……アバンはハドラーに殺されたはずだったな)

 そのことを嘲った時、激しく反応したダイを思い出しながらヒュンケルは無残に拘束されたポップを眺める。

 その時、この少年もその場にいたのだろうか。とすれば師を殺された怒りや復讐心を、彼も持っているかもしれない。それを、確かめてみるのも面白いと思った。

「鍵を開けろ」

 主人の命令に、モルグは素直に従った。扉をくぐって中に入ると、ポップがわずかに身をよじる。

 厳重に縛られているから動けないとはいえ、少しでも敵から遠ざかろうとしているのだろう。その無駄な抵抗をヒュンケルはせせら笑わずにはいられない。

 今の状態で、逃げられるわけがないものを。
 わざとのようにゆっくりとポップに近付いてから、ヒュンケルは命令を重ねた。

「猿轡を外せ」

「……ご命令ならば外しますが……しかし、さっきも申し上げたようにこの子供は見た目によらず口が悪いですよ」

 さっきと違って少し間を置くモルグは、お薦め出来ないとばかりに首を軽く横に振る。だが、ヒュンケルは一言で切って捨てた。

「構わん」

 ポップの口の悪さなら、ヒュンケルはすでに知っている。その程度のことで腹を立てる程、狭量ではないつもりだ。

 だいたいポップは初対面の時からヒュンケルに対して敵対的であり、疑ってかかっていた。ダイやマァムが諸手を上げて歓迎していたにも関わらず、だ。
  その反抗的な態度を、この状況でもまだ貫けるかどうか──そこにも興味があった。

「さようですか……」

 心配そうにヒュンケルの様子を伺いながら、忠実なゾンビはそれでも命令に従った。
 ゾンビに間近に寄られてポップのもがきが大きくなったが、モルグはそれを宥める様に言う。

「こら、おとなしくしておいでなさい。暴れると、また怪我が深くなるじゃないですか」

 見れば、ポップの首輪の周辺や首元には赤い色の染みで汚れている。おそらくはもがいているうちに擦れてしまったのだろう、ほんの掠り傷ではあるが出来立ての傷跡は生々しかった。

 しかし、ポップ自身は傷のことなど気にしている様子もない。猿轡をはずされた途端、ヒュンケルを睨みつけ、噛みつく様な勢いで叫ぶ。

「おいっ、てめえっ!! クロコダインのおっさんをどうしたんだよっ!?」

(ほう……)

 驚きに、ヒュンケルはわずかに目を見開く。
 この状況での第一声としては、実に意外だったからだ。

  人は真っ先に自分の身を案じる──それが普通の反応だ。今のポップの様に戦いで敗北した段階で気を失い、目が覚めた時は捕虜となった人間なら尚更だろう。

 自分をどうするつもりかと問い詰めたり、負けた恨み言を並べたり……捕虜の反応は普通、そんなものだ。

 もっとも、世の中にはアバンの様に正義感をやけに振りかざす人間もいることはいる。綺麗事の正義を口にする人間ならば、自分よりも他人を優先した心配してみせるかもしれない。

 しかし、その場合は当然その対象は仲間や同族に限られる。
 それを思えば、怪物であり、しかも元敵だったはずのクロコダインを真っ先に案じるポップは異例中の異例だ。

 正直、こんな反応をするとは思いもしなかった。驚きからつい無口になったヒュンケルを見て、ポップは不安に駆られたらしい。

「まさか……っ、おっさんを殺したのか……っ!? なんでてめえら、なんにも答えねえんだよっ!?」

 声が一段と甲高くなり、悲鳴じみた響きを帯びる。親しみの籠った呼び掛けから見てもどうやら本気で心配しているらしいなと思いながら、ヒュンケルは目線だけでモルグに問い掛ける。

 こいつは、ずっとこの調子だったのかと。
 無言のまま静かに頷くモルグは、その通りだと言っているも同然だった。

 捕虜を扱う際、その質問や要求に応じないのは監視人の基本だ。
 捕虜をどう扱うか決める権限がない以上、捕虜が知りたがっている情報を勝手に与えるのは監視人の分を超える。

 その情報が、捕虜を尋問する際の切り札になるかもしれないからだ。そんなことは戦場で過ごした経験がある兵士なら常識なのだが、どう見ても経験の浅そうな魔法使いはそんなことを知りもしないのだろう。

 駆け引きも何もなく、クロコダインの無事を案じている態度を隠しもしない。
 その質問に応じる義務などヒュンケルにはないし、返事を勿体ぶって焦らすのも自由なのだが、気が付くと彼は自分でも驚くぐらい正直に答えていた。

「奴なら生きている。少なくとも、今のところはな」

 それは紛れもない事実だ。
 クロコダインは、未だに死んではいない。いつ死んでもおかしくはない重傷を負いながらも、彼の強靭な生命力は凄まじかった。

 まだ意識は戻らないものの、それでもモルグの話ではこのままならうまくすれば持ち直すかもしれないという話だった。
 だが、ヒュンケルはそこまで詳しく教えてやる程親切ではない。

 しかしその情報だけでも、ポップの顔に明らかな安堵が浮かぶ。その反応が、ヒュンケルにはどうにも解せない。

「おかしな小僧だな。そんなことより、自分の心配をしなくていいのか」

 ポップとクロコダインは同じ捕虜でも、立場が違う。
 裏切りに近い行動を取ったとはいえ、まだ魔王軍軍団長の任から下ろされてはいないクロコダインは、ヒュンケルにとっては勝手に始末をするわけにはいかない相手だ。

 ハドラーへの反感と、クロコダインの真意が分からないせいで先程は黙秘を決め込んだが、本来ならヒュンケルは彼の所在をバーンに報告する義務がある。

 彼の処遇を決めるのは最終的にはバーンの判断になるだろうが、クロコダイン程の実績と実力を持つ男ともなれば、処分に恩情をかけられる可能性は高い。
 捕虜というよりも、むしろ客分に近い扱いだ。

 だが、ポップの場合は紛れもない敵だ。
 しかも、ハドラーが最優先で命令を下した、ダイ討伐のためにはもってこいの人質の価値を持つ捕虜だ。

 どう楽天的に考えても、ポップの立場は絶望的である。
 だが、ポップは開き直った様に言い切った。

「あぁ? んなもん、今更心配するまでもねーじゃねえか。おまえはおれを殺さなかったんだからさ」

 その言葉に一瞬ギクリとしたのは、ヒュンケルがまさにポップを殺そうとしたせいだろう。

(まさか──!?)

  気がついていたのか──そう問い掛けたくなる心を、ヒュンケルは辛うじて自制する。

 まさかもなにも、あの時はポップは完全に気絶していた。その間に起こったことや、ましてやヒュンケルの迷いなど知っているわけがない。
 そう、ヒュンケルが自分で自分に言い聞かせる間も、ポップは言葉を続ける。

「で、こうやってご丁寧に魔法まで封じて掴まえたってことは、すぐにオレを殺す気はないってことだろ」

 その口調は投げやりというわけではなかったが、吹っ切った様な明るさがあった。そして、それ以上にヒュンケルを驚かせる鋭さがある。

(この小僧……)

 驚きとともに、ヒュンケルは改めてポップを見返す。感情を隠しもせずに言いたい放題に言うポップは、一見すると何も考えていないただの子供に見える。

 魔法を使えることは知っていても、ついつい見くびってしまいたくなる軽さや調子のよさがポップにはあるのだ。

 実際、ダイと戦っている間はヒュンケルはポップなど問題にもしなかった。
 だが、一対一で向き合ってから初めてポップの資質が見えてくる。窮地に陥ってから本領を発揮するタイプとでも言うべきか。

 見た目によらないのは、アバン譲りと思わせる小賢しい頭脳の働きばかりではなく、度胸もそうらしい。
 たとえ虚勢混じりだろうともこの状況下で怯えを見せようとせず、冷静に状況を把握できるとはつくづく並ではない。

 しかも、ポップは状況を把握するだけでなく、さらに先を読もうとしていた。

「で、わざわざあんたがおれに会いに来たってことは、尋問でもする気か? それとも……おれをダイへの人質にでもする気かよ……?」

 妙に落ち着いたその口調よりも、ヒュンケルにはポップの目の方が気になった。自分を見定める様に睨み付けているのは、別にいい。この状況で捕虜が、自分を捕らえた者の意図を知りたがるのはむしろ当たり前なのだから。

 だが、ヒュンケルにとって引っ掛かるのは、やけに落ち着いて見えるポップの態度の方だった。
 たとえヒュンケルがどう答えようとも、恐れる必要はないとばかりの開き直りが解せない。

 なにより、ヒュンケルにとって引っ掛かるのはポップの目だ。
  覚悟を決めた者だけが持っている、強い光の浮かんだ目──それを見ているうち、ヒュンケルは突然、気がついた。
 そして、気付くと同時に行動に移る。

「う……ぐぅうっ!?」

 ヒュンケルの手際は、早かった。
 ポップが呻き声を上げた時は、すでに魔法使いの顎を強く捕らえていた。

「ヒ、ヒュンケル様っ!? 何をなさるのですか、なにも乱暴などしなくても……」

 主人の唐突な行動にモルグが戸惑ったように声をかけるが、ヒュンケルは一切それを黙殺した。
 顎の付け値に力を込めて口の動きを封じてから、無理やりポップに上を向かせる。

「言っておくが、舌を噛み切って死のうだなんて真似はやめておけ。苦しむだけで、即死などできないからな」

 そう告げた時にポップが顔をしかめたのは、抑えられた顎が痛むせいではないだろう。図星をつかれたからだとヒュンケルは確信する。

(この小僧、本気で死ぬ気だったのか……)

 内心、舌を巻く思いだった。
 確かに捕虜の行動としては、それが最善だ。尋問で情報を垂れ流し、揚げ句に人質として味方の足を引っ張るだけの存在となるぐらいなら、その前に自決した方がいい。

 だが、理屈はそうでもその手段を選ぶことのできる者は多くはいまい。
 歴戦の戦士であってもそう簡単には選ぶことのできない方法を、こんな小僧がやろうとしたとは。

(いったい、なんのために──)

 戦士ならば、まだ納得できないでもない。仕える主君のためになら命さえ惜しまず、忠義を尽くすのが理想の戦士というものだ。

 だが、ポップは魔法使いだ。
 それにも関わらず、仲間の足を引っ張るぐらいならば死を選ぶと思えるのは、よほど勇者ダイへ思い入れがあるのか。

  それとも──それが、アバンの教えなのか。
 そう思った途端、怒りに似た感情がヒュンケルの中を燃やす。強い酒が胃でカッと熱くなる様に、その感情は簡単にヒュンケルの激昂を呼び起こした。

「自惚れるな……!」

 顎を掴んでいた手で襟元を掴み、引き寄せる。たいして力を入れなくとも、軽い身体はなんの抵抗もなく簡単に浮き上がった。

「尋問などする気はない。おまえは人質でさえない……ただの囮だ」

 はっきりと、ヒュンケルはそう言い切った。
 それは、ポップに自分の立場を思い知らせてやるためだけではなかった。
 むしろ自分自身に対する宣言に近い。

「ダイをおびき寄せる餌として利用はするが、それだけだ。ダイには……オレは、実力で勝ってみせる」

 父の敵を討つ。
 それは、ヒュンケルの中ではすでに絶対の強さで刻み込まれた正義だ。どんなに時間が掛かっても、また、どんな手段をとっても実行するつもりだった敵討ち……それが無になった時の喪失感は大きかった。

 ハドラーごときに殺されたアバンに、腹さえたったものだ。
 どうせなら、自分の手で殺したかった。なのに、ヒュンケルにはアバンを殺すことはできない。
 もう死んだ者を、殺せる人間などいないのだから。

  だが、勇者と名乗ったあの少年──アバンの後継者を殺すことならできる。アバンの教えを全て否定し、アバンの弟子よりも自分の方が実力で上回っていることを証明してやりたい。

 そのために、人質など必要はない。
 人質を盾に、何一つ抵抗しない勇者を斬ったところで少しも気が晴れはしない。ヒュンケルにとっては、あくまで実力で勝負しなければ意味がない。

  アバンの使徒に対する、明確な敵意と宣戦布告──だが、残念なことにポップはろくな反応を見せなかった。

「…っ……ぁ…」

 襟首が詰まって苦しいのか、ポップは苦しそうな顔で呻くばかりだ。ヒュンケルが掴んでいるのはあくまで襟だけだが、不自然な格好で縛られているだけに完全に空中に浮いた姿勢ではきついらしい。

 このまま、息を詰まらせて死なれてもつまらない。
 そう思ってヒュンケルは、ポップから手を離した。軽く放るように床に投げ出すと、ポップがくぐもった悲鳴を上げる。

 特に乱暴をした覚えはないが、蛙の様にべしゃっと床に突っ伏したポップはその格好のまま呻いているだけだ。

 手足が縛られていてろくに身体を動かせないせいもあるかもしれないが、起き上がるどころかこちらを見る余裕もないポップに向かって、ヒュンケルは冷たく言い捨てた。

「無駄死にしてくれるなよ。ダイのやる気を殺がれても困るからな」

 そう言いながら、ヒュンケルは自分自身の行動の矛盾に苦笑する。
 ヒュンケルがポップを殺そうとしてから、まだ半日と経っていない。にも拘わらず、ヒュンケルはいつの間にかすっかりと逆の気持ちになっていた。

 ポップがアバンの教えゆえに自決しようとするのなら、決してそれを許す気はない。むしろ、それを阻止してやろうと思う。

「モルグ。後でこいつをちゃんと手当てしておけ。勝手に死なれては、迷惑だ」

  腹心の部下にそう言いつけ、ヒュンケルは地下牢を後にした──。
                                    《続く》 


                                     

                             

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