『もう一つの救済 8』

 

「な……、なんだよ、おまえは何者なんだよ!?」

 混乱を感じつつも、ポップは突然現れた不気味な老人に対して身構えていた。

 いったい、いつからそこにいたのか。
 いつの間にか大きく開いた入り口の辺りに佇んで、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている老人は、明らかに人間ではなかった。

 それは、大きく張り出した耳を見れば一目瞭然だ。子供よりもよほど小さな背丈ではあるが、深い皺がぎっしりと刻まれた姿は老人そのものだ。だが、なによりも彼を印象づけているのは、相手を見下し切ったかのような三白眼だろう。

 嫌な感じの酷薄さを感じさせる眼差しでじっとこちらを見つめられるのは、不快なだけでなく不安を掻き立てられる。

 まだ、自分が見つかっただけならいい。もし、ゴメちゃんを窓から逃がした所まで見られていたのなら――そう考えるポップの背筋に、冷や汗が伝う。
 そんなポップに対して、老人は傲慢に問い返す。

「ヒッヒヒ、ワシの名を聞きたいのか、小僧?」

 もったいをつけるようにひとしきり笑った後、彼は小柄な身体を反っくり返らせんばかりに胸を張る。

「まあ、よかろうて。教えてやろう、ワシは魔王軍の妖魔士団長ザボエラ」

「妖魔士団……、だって!?」

 その驚きは、大きかった。
 クロコダインと戦った際、魔王軍にはそれぞれ別個の系統の怪物達を統率する六団長が存在すると聞かされた。詳しい情報までは知らなかったがクロコダイン、ヒュンケルが六団長であることを考えれば、それぞれが彼ら並みの強さを持っているのだろうとは薄々考えていた。

 その一人を目の前にして、驚くなと言う方が無理だ。呆然と立ち尽くすポップの目の前で、ザボエラはなおもいやらしい笑みを浮かべて佇んでいた――。

 

 

(驚いたのう、まさかこんなところでこの小僧に出会うとは……)

 ポップの驚きを心地よく受け止めながら、ザボエラはさてどうしてくれようかと考えながら彼を見やる。その目は、今、まさに釣り上げようとしている魚を見やる調理人の目と酷似していた。

 煮るも焼くも自由……人間など、ザボエラにとっては所詮その程度の存在だ。
 まあ、敢えて言うのならばポップはザボエラにとって、多少は特別な存在だった。なにしろ、以前、自分の作戦を邪魔してくれた人間なのだから。

(全くこの小僧さえがいなければ、ワシの完璧な作戦でダイの奴を確実に仕留められたものを)

 力こそ強くても頭脳面では劣っているクロコダインに巧みに交渉を持ちかけ、人質作戦を持ちかけたのは紛れもないザボエラだ。彼の読み通りに九分九厘成功していた作戦だったというのに、ギリギリのところで飛び込んできて邪魔した魔法使いの存在を、ザボエラは決して忘れてなどいなかった。

 恨みがましい性格であり、些細なことでもしつこく根に持つタイプであるザボエラにしてみれば、自分に一度でも損をさせた人間の名前を忘れるはずもない。

 もっとも、ポップは勇者ダイと比べれば明らかな雑魚だ。ダイを抹殺すればバーンの覚えもめでたくなろうというものだが、その仲間の魔法使いを抹殺したところで別に評価されるわけでもない。

 だからこそわざわざ手を尽くして仕返しをしたとまでは思わなかったのだが、自分から進んでザボエラの手元にやってきたのなら話は別だ。まさに、飛んで火に入る夏の虫――すぐにでも手を出せるところにいる獲物を、むざむざ見逃すほどザボエラは心が広くはなかった。

(探りを入れてみて、正解じゃったな)

 ハドラーの共として地底魔城に来たついでに、せっかくだからとヒュンケルの様子を探っていた自分の周到さを、ザボエラは自画自賛する。自分が他人の城に不法侵入をしているという罪悪感など、彼には微塵もなかった。

 それ以上に、他者が確保した捕虜に手出しをすることへの躊躇もない。
 檻の中に閉じ込められているのならばともかく、脱走した捕虜なら再度捕獲した者の自由だとザボエラは都合良く解釈していた。

 クロコダイン戦やその前後にダイを偵察していたザボエラは、ダイのついでに側にいたポップの戦いぶりも何度か見てはいる。年齢の割に多少は魔法を使えるようだが、六団長の一人であり高度な呪文を幾つも操れるザボエラから見ればまだまだひよっこに過ぎない。

 それに、性格には難があれど魔法にかけては六団長随一の知識を誇るザボエラは、ポップの首輪にとっくに気がついていた。魔法吸引の効果を持つ首輪をはめられているようならば、ろくに魔法も使えないと見ていい。

 捕まえるのは簡単だろうと、ザボエラは高をくくっていた。というよりも、もう生け捕りにした後のことしか考えてなどいない。

「ヒッヒッヒ……、さて、どう料理してくれようかのう……。術をかけて、おまえもブラスのように操ってやろうか?」

 サディスティックな笑いを浮かべつつ、ザボエラはそれも面白い見世物だろうと胸を躍らせる。

 人間が仲間や家族に対して、非常に弱い生き物だ。愛や友情などという益体もない感情に振り回され、操られた人質に対して対抗手段もなくうろたえる姿を見るのは、ザボエラにとっては噴飯ものの見世物だった。

 勇者ダイが、助けようとした仲間自身の手によって倒されるだなんて、これ以上面白い見世物はないだろう。

 実力的にはポップはダイに劣るだろうが、それはたいした問題ではない。まだ子供で、しかも人のいいあの小さな勇者に、いくら敵に洗脳されたとはいえ自分の仲間を切り捨てるような非情な決断を下せるはずもない。

 ブラスに対してそうだったように、為す術もなく泣くぐらいが関の山だろう。それに、ザボエラにしてみれば洗脳したポップがダイに返り討ちに遭ったところで、別に困るわけでもない。

 その場合は、仲間を殺してしまってショックを受けているに違いない小さな勇者を、ザボエラ自身の手でとどめを刺せばいいだけの話だ。むしろ、ザボエラにとってはその方が好都合かもしれない。

 品定めする目をポップに向けるザボエラを、ポップもまた不思議そうな目で見やる。

「ブラスって……なんでおまえがそれを――」

 不思議そうにそう言いかけてから、ポップはハッとしたような表情を見せる。

「まさか!? おまえがじいさんを攫った張本人なのかよ!?」

 そう叫んでから、自分で言ったセリフに触発されたように、ポップは続けざまに指摘してくる。

「やっと分かったぜ……、そうか、クロコダインのおっさんがあんな卑怯な真似をしたのはおまえの仕業だったんだな! 人質なんて、ど汚え手を使わせやがって……!」

 怒りを込めて自分を睨み付ける魔法使いの少年に、ザボエラが驚かなかったと言えば嘘になる。
 事実、ポップの言ったとおりだったからだ。

 クロコダインがダイと戦う時、裏から糸を引く形で知恵を授け、渋る彼を説得してブラスを人質として有効利用するように仕向けたのは、確かにザボエラのしたことだ。だが、悪魔の目玉で最低限の通信しかあの場に送らなかったザボエラの存在は、隠匿されていたはずだった。

 ましてやあの時、ポップは遅れて登場してきた。
 それにも関わらずあの時の状況をきちんと把握し、理解しているのだとすれば、並ならぬ賢さを持っていると言える。

 だが、見た目よりも頭の回転の速い小僧だと思いはしたものの、ザボエラにとってはそんなことはどうでもよかった。実験動物が予想よりも賢かったとしても、それによって実験を変えるなどあり得ない。どうせ、死んでしまえば多少の頭脳の差などどうでも良いことなのだから。

 一瞬の驚きなどすぐに飲み込んで見せ、ザボエラは手にした不気味な杖を振りかざしてみせる。

「ケッケッケ、それがどうしたと言うんじゃ? 知ったところで、おぬしにはなにもできまいて」

 ただの、無力で利用するのにちょうどいい実験動物――ザボエラにとって、ポップはそれだけの存在に過ぎない。虚勢を張ってはいるが、ポップは明らかに怯えを隠し切れていない。ザボエラから少しでも距離を取ろうとしてか、クロコダインの入った球体の後ろへと回り込もうとしている。

 実験用のゲージの中で逃げ回る実験動物の無駄なあがきを嘲笑いながら、ザボエラは杖を軽くふるって呪文を唱えた。

「無駄なことじゃ、ほれ……ラリホー」

 催眠呪文の前では、遮蔽物など何の意味もない。対個人に対する魔法ではなく、近くにいる生物に対して無差別に眠りに誘う集団魔法だ。元々気絶しているクロコダインごと、その背後に隠れたポップにまでその範囲は及ぶ。

「く……っ」

 小さなうめき声と共に、水槽越しにポップが倒れ込むのが見えた。それを見届けて、ザボエラはにんまりと笑う。

「ヒッヒッヒ、他愛もないものじゃて」
 
 床に倒れているポップを見下しながら、ザボエラはゆっくりとそちらに向かった。
 その手の爪が、ぎらりと不気味に光る。

 長く、鋭く尖らせたその爪はザボエラの自慢の武器だ。その硬度もそこそこの剣並の強度を誇るが、ザボエラが真に自慢に思っているのはその爪から生み出すことのできる毒薬の方だ。

 ザボエラは望むのであれば体内に流れる様々な毒素を調合し、特殊な効果を持つ毒液を随時生み出すことができる。

 調合に多少時間がかかるのと、爪を相手の身体に食い込ませなければ毒液をしっかりと注ぎ込むことができず効果がないという欠点があるため、実戦では使い勝手の悪い切り札ではあるが、こんな時には非常に役に立つ。

 小柄な体格のため肉弾戦が苦手なザボエラは、どんな相手だろうと接近戦をしかけるような度胸などない。だが、眠り込んで無防備な人間相手ならば爪を刺すなどたやすい。 

 この小生意気な魔法使いの意思を殺し、自分の言いなりになる生き人形へと変化させてやろうとザボエラはほくそ笑む。

 ザボエラにとって、そうすることなど簡単だ。
 厳密に言えば、それは生き人形を作るだけの毒というよりは、期間限定の生きた屍を作るための毒と言った方が正しい。

 一度精神を破壊してしまえば、その相手はもう二度と心を取り戻すことはないのだし、強烈な毒素が神経や身体に与える影響は大きく、毒素を注ぎ込まれた者の身体そのものも損なうのだから。

 それでもまだ生命力の強い怪物ならば多少は持つが、か弱い人間の身体ではそう長くは持つまい。ましてポップのように成長期も終わっていないような少年では、2、3日持つかどうかと言ったところだろう。

 しかし、ザボエラにしてみればそんなことはどうでもいい。長く飼うつもりもない実験動物の命が縮んだところで、ザボエラにとっては何の痛痒にもならない。所詮、実験動物など使い捨てるための存在だ。

 ダイをおびき寄せて攻撃する程度の時間だけもってくれれば、それで十分だ。

「ヒヒヒ、ワシの手足となって使われるのを光栄と思うがいいっ!!」

 毒液のしたたる爪を高々と振り上げ、ザボエラはそれを無防備に横たわるポップに突き刺そうとした。
 ――が、その時、追い詰められた獲物のはずのポップが、突然目を開けてニヤリと笑う。

「……!?」

 驚くザボエラの目の前で、ポップは不敵に言い放つ。

「へっ、やっぱりな! あんたはラリホーを使ってくると思ったぜ!!」

 言うなり、ポップは近くにあった木箱を強く突き飛ばす反動で、そのまま身体をごろりと回転させてその場を逃れる。魔法使いとは言え、年若い少年ならではの機敏なその動きにザボエラはとっさには反応できなかった。

 ザボエラが勢い込んで突き立てようとした爪は、そのまま空振りして床へと突き刺さる。
 何が起こったのか分からず戸惑うザボエラの上に、バランスを崩した木箱が複数転がり落ちてくる。それはついさっき、ポップが天窓から外を覗くために寄せ集めただけの木箱だったが、ザボエラがそんなことを知るわけがない。

 小柄なザボエラからすれば、自分ほどの大きさもある箱が次々と降ってくる驚きは大きかった。

「うぉわぁあっ!?」

 間の抜けた声を上げながら、それでもザボエラは木箱の直撃を躱そうとした。が、深々と床に食い込んでしまった爪が抜けず、その場を動くことができない。

 その事実に一瞬パニックを起こしたザボエラは、ほぼ無防備に木箱の連打を食らうことになる。冷静さを保っていたのなら、空の木箱が複数落ちてこようとも魔法で全て燃やし尽くすのはザボエラにはたやすかっただろう。

 だが、パニックに陥った時はそうそう適切な行動をとれるものではない。慌てふためくザボエラが己のミスに気がついたのは、背中に重みがかけられ、そのまま地べたに押しつけられてからだった。

「ぐぇえっ!?」

 潰れたカエルのような声を上げ、ザボエラはジタバタと手足を藻掻かせる。が、それは全くの無駄だった。

「へっ、捕まえたぜ……ッ!」

 背後から聞こえるのは、紛れもなくポップの声だ。
 見えないが、ポップが自分の背後にいるのはザボエラにも分かる。それも背中に堅い物が押し当てられているように感じるのは、ポップが足を使ってザボエラを床に押しつけているせいだろう。

 今のポップは、膝をザボエラの腰骨に押し当てたまま体重を乗せて動きを封じている。そのせいで未だに床に食い込んでいる爪を抜くこともできず、せっかくの毒液混じりの爪を振り回すこともできない。

 まあ、たとえ手が自由であったとしてもこんな風に完全に背後を取られてしまっては、身体の固いザボエラには攻撃を仕掛けにくい。

「く、くそおっ、このクソガキめが……っ!!」

 状況を把握した途端、ザボエラが感じたのは憎しみにも似た屈辱感だった。
 こんな小僧にしてやられた――その屈辱感がザボエラのプライドを引き裂き、苛立ちを誘う。

 人間の小僧ごときにまんまと騙されてしまった悔しさに、ザボエラは歯がみせずにはいられない。
 今思えば、ポップは最初からザボエラが何の魔法を使おうとしているのか見抜いていたに違いない。

 様々な呪文を使いこなすザボエラだが、この状況下では使える呪文にはさすがに制限がある。

 まず、ポップを生け捕りにするという目的がある以上、一撃で死なせるような魔法を使うわけにはいかなかった。と言うよりも、この状況では攻撃系の魔法を使うのは論外だ。

 意思を持つ人間を洗脳するための呪文を使うには、それなりの時間や準備が欠かせないため、それもこの場では不可能だ。

 一番手っ取り早く安全な方法を選ぶのならば、やはり催眠呪文で眠らせるのがいいだろうと予想するのは難しくあるまい。そして、相手が使ってくる呪文が分かっているのと分かっていないのでは、雲泥の差がある。

 敵の精神に働きかける呪文は、必ずしも効力が発揮されるわけではない。相手の精神的な抵抗力が勝れば、効果は全く発揮されないのだ。つまり、何の呪文が来るのか予測し心の準備をしておけば抵抗できる可能性はそれだけ上がる。

 ポップはその法則を知った上で、巧みに利用したのだ。
 わざと魔法にかかったふりをして、ザボエラを近くまで引き寄せてから反撃に出た。

 しかも、ポップは自分が魔法使いだけあって魔法使いの長所と欠点も知り抜いていた。

「おっと、呪文を唱えようとか、少しでも変な動きをしたらただじゃおかねえからな……! って言っても、この状態じゃおれだけに魔法をかけるなんて無理だろうけどさ」

 悔しいが、ポップの言う通りだった。
 ここまで相手と密着してしまえば、使うことのできる魔法は格段に絞られてしまう。自分自身もダメージを負う覚悟があれば別だが、ザボエラにはそんな覚悟など微塵もない。

 他人はいくら傷つけてもいいと思っているし気にもしないが、自分自身に関してはかすり傷を負っても大騒ぎするタイプだ。

「うぬぬぬぬっ、ち、調子にのりおって……ッ!」

 罵ろうとするザボエラだが、その背に重みがかかるのを感じて苦痛に顔を歪める。正直な話たいした痛みではないのだが、ザボエラは苦痛には嘆かわしい程弱い男だった。

 鈍い鈍痛を感じただけで、このまま殺されるのではないかとの危惧を感じてしまう。少なくともザボエラならば、敵の背後を取って捕らえたのならすぐに殺す。

 自分がそうなだけに、相手もそうするに違いないと思う強迫観念に、ザボエラは声をひっくり返してわめき立てる。

「こっ、小僧ッ、待てっ!! ま、待つんじゃ、は、話を聞けっ! わ、分かった、魔法をかけるような真似はしない、だからこの足をどけろっ、な、な!? い、いや、どけてくれ、頼むっ」

 恥も外聞もなく助けを求めるザボエラに、背後のポップがやや呆れたような声を返す。

「何、いきなり都合のいいこと言ってるんだよ?」

 ザボエラ自身でさえそう思うのだから、ポップがそういうのも無理はないだろう。

「そんなの、信じられるわけねえだろ。だいたいおめえは、じいさんをひどい目に遭わせた上におっさんを騙したくせに……!」

(おや、こいつは――?)

 いかにも不満そうにそう訴えるポップの口調を、ザボエラは意外に思う。
 ポップが『じいさん』と呼ぶ相手は、おそらくブラスだろうし、『おっさん』と呼んでいるのはおそらくクロコダインのことだろうと見当はつく。

 ダイにとっては育ての親だったブラスだが、並の人間にとってはただの怪物にすぎまい。なのに、ブラスに親しみを感じているようなこの台詞も意外だったが、それ以上にポップがクロコダインに親しみを感じている方が不思議だった。

 なにしろクロコダインは魔王軍としてダイとポップと戦った相手だ、親しみを感じるような接点などザボエラには思いもつかない。しかし、ザボエラの実際的な頭脳は疑問よりも有効な利用価値のみを素早く計算し、弾き出した。

「そ、そうじゃ……! もし、ワシを放してくれるのなら、あのワニ……いや、クロコダインを助けてやっても良いぞ、どうじゃっ!?」

「――――!?」

 その言葉に、背後のポップが息をのむ。それと同時に、背中を押さえつけていた足の力が緩められたのを感じ、ザボエラはニヤリとほくそ笑んだ――。                                                                                      《続く》 
 

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