『もう一つの救済 9』

 

(いったい、どうすりゃいいんだよ……?)

 ザボエラの言葉に、ポップは目に見えて悩みこむ。
 捕獲後の捕虜の扱いに対して思い悩んでいたのは、実はポップも同じだった。いや、捕虜をとった経験などない分、ポップの方が悩みが深いとも言える。

 とっさに機転を巡らせてザボエラを押さえ込むのに成功したとは言うものの、その後どうするかまではまるっきり考えていなかったのだから。

 ポップの体力はそれほどたいしたことはない。
 魔法使いとしては、ポップは体術を割と使える方ではある。

 一般的に壮年から老齢の年齢の魔法使いが多い中で、年齢的に若いポップはそれだけでも動作が機敏だ。なによりアバンに基礎的な体術は習ったので、護身術程度のたしなみはある。

 だが、それだけだ。
 確かに魔法使いの中ではそこそこ身体を動かすのが得意かもしれないが、本職の戦士と渡り合うまでにはいたらない。

 幸いにもザボエラよりは体格も体術も上回っていたからこそ身体の重みを利用して動きを封じてできたものの、ポップは特に押さえ込む技術が長けているわけでもない。

 素手のままで相手を気絶させるような技術などないし、ましてや相手を殺すような力もなければ、そんな度胸もなかった。相手が魔族であり、人質なんて卑怯な手を使った相手だと分かっていてでさえ、相手を傷つけるのにはためらいがある。

 それだけに、この先どうすればいいのか自分でも分からなかった。
 決定打を与えるだけの力はないし、かといって手を離せば逆に自分の方が襲われる可能性が高い。

 ポップの感覚から言えば、今の状況は毒のある蛇を偶然捕まえてしまったようなものだった。退治するほどの力はないし、かといって手放せば逆に噛みつかれてしまう可能性がある。

 密着していれば攻撃魔法を使われる心配はないが、ザボエラ自身の爪には要注意だった。

 ザボエラが爪で自分を刺そうとしたことも、その爪が石でできた床に食い込むほど鋭いことも、ポップは見逃していなかった。おまけに変に毒々しい色から見て、下手をすれば毒まで仕込んである恐れもある。

 回復魔法は一切使えず、毒消し草の持ち合わせのないポップにしてみれば、毒にやられれば致命的だ。それを思えば、押さえ込みの手を緩めるのは怖い。

 だが――ザボエラの提案はあまりにも魅力的だった。
 ポップ自身にはクロコダインが生きていることが分かっても、助ける方法など分からない。そもそもこの変な水槽じみたものからクロコダインをどうやって出せばいいのかも分からないのである。

 ポップの力では分厚い水槽を割ることさえ難しいし、治療手段のないままクロコダインをここから出していい物かどうかの迷いもあった。だが……もし、ザボエラがその方法を知っているというのならば、ポップにとっては渡りに船だ。

(問題はこいつ、あんまり正直そうなタイプにゃ見えないってことだけどな)

 やけに小狡そうなザボエラを見下ろしつつ、それでもポップは慎重に質問をぶつけてみた。

「おまえ、これが何なのか知っているのか?」

「そんなことも知らんのか。これはな、蘇生装置じゃよ。ここに入っている液体は、生物の回復力を極限まで高める効果があるんじゃ。多少の時間はかかるが、回復魔法では効果のない重傷でも癒やすことのできる優れものよ。まあ、魔族や怪物には効果的じゃが、脆弱な人間には効果がない代物じゃろうがな、キヒヒヒ」

 この状況にも関わらず、ザボエラの答えには自分の知識をひけらかすかのような自慢っぷりと、それさえ知らないポップを嘲っている響きが入り交じっていた。

 その態度に多少ムカつかないでもなかったが、ポップはもう一度水槽を見やる。
 先ほどは少し動いたものの、クロコダインは相変わらず目を閉じたままだ。だが、彼が生きていることは確実なのだ。

 クロコダインが助かってくれればそれだけで嬉しいし、心強い。ダイを逃がすために命を張ってくれた誇り高き獣王は、きっと心強い味方になってくれることだろう。
 
「本当に……おっさんを助けられるんだろうな?」

 疑いを持ちながらも、ポップはそう問いかけずにはいられない。 

「お、おう、おうとも、もちろんじゃっ! 足をどけてくれさえすれば、ワニ公……いや、クロコダインを助けてやってもよいぞ!!」

 やけに早口に、ついでに言うのならやたらと恩着せがましく言ってのけるザボエラの調子の良さは決して信頼できる物ではない。が、ザボエラは狡猾だった。

「どうした、足をどけろというのに。いいのかの、このままではクロコダインは決して助からんぞ?
 それに、おまえさんもあまり時間をかけてはまずいのではないかの?」

 嫌なところを突いてくるじじいだと、ポップは舌打ちしたい気分だった。ザボエラの言う通り、ポップにとって時間はあまりない。

 なにしろポップは脱走中なのだ、時間が経てば経つほど追っ手に追いつかれる可能性が高まる。慎重に時間をかけてクロコダインを助ける余裕など、ポップにはないのだ。

「……分かったよ、今、足をどける」

 しぶしぶポップがそう言った途端、ザボエラの顔に何とも言いようがない邪悪な笑みが浮かぶ。心なしか、爪がぎらりと妙に光ったような気もしたが、ポップはゆっくりとザボエラの背から足をどける。

 途端にザボエラが起き上がりかけたが、間髪入れずにポップはザボエラの襟首を引っ掴んで水槽へと押しつけた。

「おわわっ、な、なにをするんじゃっ、離さんかっ!?」

 じたばたと貼り付けにされた昆虫のように藻掻く小柄な魔族に対して、ポップは渾身の力を込めてザボエラを水槽へと押しつける。

「離すのは、おっさんを助けた後だ! まずは回復魔法をかけてもらうぜ、できるだろ?」

 できる限り強気に言いながら、ポップは内心は冷や汗ものだった。
 ザボエラがあまり信用できないとは思っていたが、今のタイミングは実に危うかった。なにしろザボエラときたら、ポップが足から力を抜いた途端に振り返ろうとした。

 もし、ポップがそのままなにもしなければ、見るからに妙な液をしたたらせた爪に引っかかれていたことだろう。ザボエラの反応を予想していたからこそ、なんとか対処できたようなものだ。

「か、回復魔法は……ワシは使えん。離せば、あのワニを水槽から出してやるから……な、な?」

 顔を水槽のガラスに押しつけられたせいで無様にひしゃげた顔をさらしながらも、ザボエラはどこかポップの機嫌を取るように懐柔しようとする。だが、ポップは手を緩めなかった。

「できないなんて言わせないぜ。妖魔司教なんて名乗ってて、僧侶系の魔法が一切使えないはずなんかねえだろ!?」

 それは、確信を持ってと言うよりはハッタリ混じりの決めつけだった。
 確かにザボエラは妖魔司教と名乗っていたが、魔族も人間と同じように司教と名乗る者が必ず回復魔法を使えるという常識が通じるかどうか、ポップは知らない。

 だいたいザボエラの外見からしてどう見ても魔法使いよりの上、回復魔法などまるっきり無縁なように見えるのだ。正直半信半疑もいいところだったが、少し手に力を込めるとザボエラはあっさりと降参した。

「うぐぐ、わ、分かったわい、かけてやるから手を離さんかっ。これでは魔法もかけようがないわい」

「だめだ、このままやるんだ! ガラス越しだって、魔法はかけれるだろ」

 何とか手を離させようと藻掻くザボエラに、ポップは強く言い返す。回復魔法は基本的に相手に直接接触してかける魔法ではあるが、多少の遮蔽物ならば問題がない。

 確かに素手で相手の肌や怪我をした箇所に直接触れて魔法をかけた方が効果は高いが、服の上からかけても十分にその力は発揮されるのだ。ならば、透明なガラスで覆われ、回復効果を持つ液体で満たされた水槽が問題になるとは思えない。

 案の定、強気に命じたポップの言葉に対し、ザボエラはぶつくさ言いながらも従った。

「く、くそお、調子にのりおって……、いいじゃろう、回復魔法をかければいいんじゃな!?」

 ぶつくさと文句を言いながらもザボエラの手が回復魔法特有の柔らかい光に輝き、クロコダインを照らし出す。魔族ではあってもその力は確かな物らしく、ポップの目にはその光の強さはマァムよりも上回っているように見えた。

 が、光こそは強くてもマァムの持つ柔らかく暖かい輝きはない。どこか冷たさを感じさせる光なのは、術者の個性と言う物だろうか。それでも効き目だけはあるらしく、水の中のクロコダインがわずかに動き出した。

 しかし、ザボエラは探るような目をポップの方にチラチラと向けながら言う。

「ふん……、言っておくが、この重傷では助かるかどうかは保証しきれんぞ? 普通じゃったら即死していてもおかしくもなんともない怪我じゃ、いくらこのワシが回復魔法をかけたところで助らんもんは助からんぞ」

 自慢したいのか責任逃れしたいのか分からないザボエラの言い訳など、ポップはろくすっぽ聞いてはいなかった。

「おっさんっ! クロコダインのおっさん、聞こえるか!?」

 水の中まで聞こえるかどうかなど、まるっきり意識しないままポップは水槽に張り付くようにしてクロコダインに呼びかける。それでもその声に応じるかのように、何度か瞬きを繰り返した獣王はその目を開く。

「う、うぐ……っ」

 その口からくぐもった声と共に、泡がこぼれ落ちて水面へと上がっていく。普通ならば水中で空気を吐き出すような真似をすれば溺れるだけだが、クロコダインはわずかな気泡を吐き出した後も特に苦しむ様子は見せなかった。
 開けたばかりの目が迷うように視線が揺れ、それからポップに向けられる。

「……!? ポップ……っ、か…?」

 水中からだというのに、その声ははっきりとポップに聞こえた。多少のくぐもりは感じられるが、それでも会話ができるとまでは思っていなかっただけにポップは驚く。

 だが、怪物を蘇生させるための特別な装置ならば、それぐらいの機能は備えていてもおかしくはないだろうとすぐに思い直した。

 なにより、クロコダインの意識を確認できた安心感は大きかった。やや反応が鈍く疲れているように見えるが、これだけの重傷を負って回復魔法によりやっと目覚めたとすれば当然だと思える許容範囲にすぎない。

「おっさん、よかった……! やっぱ生きてたんだな、へっ、あんたがそう簡単に死ぬとは思ってなかったけどよ」

 敵として戦ったクロコダインは、ポップから見ればどうしても倒せないほど強大で、信じられない程の頑強さを持つ敵だった。ダイが打ち破ったことだってすぐには信じられない程、強い敵だった。

 だが、そんな相手だったのに彼の無事を知って、不思議なほどホッとできる。
 安堵のあまり、目に熱い物がにじんでくるぐらいだった。

「ポップ、なぜおまえが……、いや、ここはどこだ……?」

 目覚めたばかりのクロコダインは状況が全くつかめていないらしく、なおも周囲を見回そうとする。

 だが、その顔が大きく強ばった。
 ポップに気を取られていたクロコダインは、今になってようやく、ポップの前に小柄な魔族がいるのに気がついたのだ。

「ザボエラッ!? ――いかんっ、ポップ、そいつから離れろっ!!」

 水中からとは信じられないぐらいの大声で、クロコダインが叫ぶ。だが、その時にはもう遅かった。

「え?」

 戸惑ったポップの耳に、小声でブツブツと呟くザボエラの声がようやく聞こえてきた。さっきから彼がぶつくさと言っているのは知っていたものの、クロコダインに気を取られていたポップはどうせ文句でも言っているのだろうと、それをほとんど聞き流していた。

 しかし、耳を澄ませて見ればそれは到底聞き逃せる内容の言葉ではなかった。

「……よ。全てのありとあらゆるものを司る闇よ、その大いなる力を持てこの者らの生の光を打ち消したまえ。
 全ては滅び逝く定めのままに――!!」

 死誘導呪文――聞いた者達を死へと誘う死の呪文。自分では使えなくとも、アバンからその呪文の存在を教えられたことのあるポップは唱えられている呪文に戦慄する。
 だが、その時にはすでに呪文は完成していた。

「う、うわぁああっ!?」

 強烈な目眩がして、目の前が暗く霞んでいく。それと同時に、身体から何かを抜き出されるような脱力感がポップを襲う。

 ポップはとっさに耳を押さえてその場に蹲ったが、そんなことで呪文の効果が消えるはずもない。現にもうザボエラが呪文を唱えていないのにも関わらず、不気味な声は耳鳴りのように木霊して聞こえる。

 だが、その木霊以上に大きく聞こえるのはザボエラの勝ち誇ったような哄笑だった。

「ケケケッ、やっぱり人間など愚かなものじゃ!! 敵を助けようとして、油断するとはな! 愚かにも程があるわい。
 おまえのような小生意気な小僧など、死ね、死ね、死んでしまえっ!!」

 狂ったように死ねと繰り返すザボエラの声に応じて、死の呪文の強さが跳ね上がるのが分かる。

(くそ……ッ、油断したっ)

 苦痛にのたうちながら、ポップはこみ上げる悔しさにも呻いていた。ザボエラが僧侶系の呪文が使えると気がついたのなら、当然、死を司る呪文も使えて当たり前だとなぜ思い至らなかったのか。

 しかも、ポップはザボエラの性格を侮っていた。
 油断ができない卑怯な敵だと分かっていたが、ここまで卑劣な男だとは思わなかったのだ。根に持ちそうなタイプだとは思ったが、予想以上だ。
 ポップの反撃に腹を立て、いきなり殺そうとするとは。

 そして、ザボエラの魔法力は予想以上に強力だった。今すぐにでもくじけてしまいそうになる脱力感が、ポップを闇に引き込もうとする。

 それは、ある意味で眠気に似ていた。吸い込まれてしまいそうな吸引力があり、少しでも気を抜けばふっと意識を失ってしまいそうな感じがそっくりだ。
 だが、それは二度と目覚めることのない眠りになる。

 そうとは分かっていても、強烈な眠気に似た感覚は恐ろしいほど甘美だった。最初の目眩や苦痛はいつの間にか消え、強烈な吸引力だけがポップを支配していた。
 眠ってはいけないと思いながらも、それでもポップは誘惑に屈しそうになっていく。

 だが、その時だった。

「ぐぉおぉおっ」

 吠えるようなクロコダインの声に、ポップはハッとする。

(そうだ、おっさんが……っ)

 死誘導呪文は、集団呪文だ。聞こえる範囲にいる相手に対して無差別に効果を発揮するタイプの呪文である。当然、近くにいたクロコダインにもかかったことだろう。

 声が聞こえるということは、彼はまだ死んではいないようだがこんな強力な呪文にいつまで耐えられることか。それに気がついた途端、こみ上げてきたのは罪悪感だった。

(おれのせいで……っ)

 ザボエラの狙いは、ポップだった。
 元は魔王軍の仲間だった割には、ザボエラはクロコダインにはなんの関心も見せなかった。ポップがクロコダインを助けたいと思わなければ、ザボエラは彼に対して何もしなかっただろう。

 そう思うと、自分のミスのせいでクロコダインにまで巻き添えにしてしまったことを、ひしひしと思い知らされる。
 ポップが余計なことをしなければ、クロコダインがこの呪文を浴びることなどなかった――そう思えば、とてもじっとしていられなかった。

「く……そぉっ」

 気力を振り絞って、ポップはザボエラがいると思える方向に手を伸ばす。と言ってもとっくにポップの手の届く範囲から逃げてしまっているが、高笑いを止めない彼の居場所は目が霞んでいても見当をつけるのは容易かった。
 死の誘惑に耐えながら、ポップは残り少ない魔法力を自分の指先に集める。

「くらいやがれっ!!」

 放った火の塊は、普段のポップの火炎呪文に比べればだいぶ落ちる小ささだったが、それでもザボエラを驚かすには十分だったらしい。

「う、うわちっ!?」

 間抜けな悲鳴と同時に、それまで強烈にポップを苛んでいた死誘導呪文の効果がふっと消える。

 威力も弱く、狙いもあやふやだったポップの火炎呪文は、ザボエラにわずかにかすったに過ぎない。だが、炎に驚いた拍子に精神の集中が破れてしまったのだろう。
 一瞬ホッとしたポップだったが、安堵の息をつく暇はなかった。

「くぅぬぬ、この小僧めが、一度ならず二度までも、よくもっ!! もう、決して許さんぞっ!!」

 カンカンに腹を立てヒステリックな叫びを上げたザボエラの手の上で、炎の塊がゆらりと揺れる。さっきポップが放ったものが初級火炎呪文としても小さなものだったとすれば、今のザボエラの炎は紛れもなく最大火炎呪文の大きさだった。

 離れていても感じる熱気に、ポップは無意識に後ずさろうとする――が、その足が動かなかった。足だけでなく身体全体がずっしりと重く、動かそうにも動かせない。

 明らかに魔法力切れの兆候に、ポップはますます青ざめる。これでは魔法で相殺するどころか、逃げることさえできない――。

「ワシに火傷を負わせた罰じゃ、黒焦げになるがいいっ!!」

 ザボエラの声と炎の渦巻く音に混じって、クロコダインが自分を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、はっきりとは分からない。

 間近に迫った死の恐怖に怯え、ポップは思わず目を閉じてしまう。焼き殺されるのは、きっと死誘導呪文よりも苦しいだろうなと思った思考が最後になる――そう思った。

 しかし、熱気と同時に風を斬る音が響き渡る。
 勢いよいその音は、ポップにとっては何度か聞いた覚えのあるものだった。強い風が後方から一気に吹き抜け、熱気をかきちらすのが分かる。次いで、誰かが走る足音も聞こえた。

「……?」

 疑問を感じながら目を開けたポップの目に、真っ先に飛び込んできたのは自分の前に立ちはだかる背中だった。
 その背を見て、ポップの心臓が一瞬跳ね上がる。

 細身なのに逞しく、まるでポップを庇うかのようなその背中を見て、ポップは無意識に叫んでいた。

「せんせ……っ」

 つい、そう呼びかけてから、気がついた。
 目の前にいるのは、アバンではないと。確かに背の高さや肩幅まで似ているが、目の前の男はアバンの髪の色とは全く違う。ほとんど白に近い銀髪をなびかせている男は、ポップの声を確かに聞いたらしい。肩の辺りの筋肉がぴくりと動いたが、彼は振り向こうとはしなかった。

 剣を身構えたまま、ザボエラと正対している男――ヒュンケルは、ぞっとするほど冷たい声で言った。

「貴様……、オレの獲物に何をしている?」                          《続く》 

 

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