『もう一つの救済 10』 |
(チッ、まずいところに現れよって……!!) 苛立ちと焦りに顔を歪ませながら、ザボエラはポップの前に立ちはだかったヒュンケルを見やった。彼の動きが戦士としても破格なのは承知していたが、今の動きは凄まじかった。 ザボエラが気がつかないうちにどれほどこの部屋まで接近していたのかは分からないが、彼が行動を起こしたのは明らかにザボエラが魔法を放ってからだったはずだ。なのに、彼の動きは魔法以上に素早かった。 廊下からこの部屋に侵入し、ザボエラの魔法を剣で見事に切り裂いて無効化してみせたのだから。 不死系怪物には、ザボエラが得意とする死の呪文も一切効果がない。まあ、ザボエラぐらいの実力の持ち主ならばこのレベルの怪物を一掃する攻撃呪文などいくらでも使えるが、問題なのはやはりヒュンケルの方だ。 実力的に、ザボエラはヒュンケルに劣っているつもりはない。 魔法使いとは、本来距離を取った戦いでこそその真価を発揮する。肉体的な脆さという欠点を抱え込む魔法使いが、接近戦のスペシャリストである戦士と近距離で戦うなど無謀にすぎない。 この距離ではザボエラが魔法を放つよりも先に、ヒュンケルの剣の方が早く振り下ろされることだろう。 なによりヒュンケルの最も厄介なところは、彼がバーンのお気に入りという点だ。魔法を弾く鎧をバーンより直々に拝領されたヒュンケルは、ザボエラにとっては敵に回せばもっとも相性の悪い敵と言える。 相性の問題だけではなく、彼がバーンに気に入られている点は無視しきれない。明確な理由もなくヒュンケルに危害を加えたことがバレれば、バーンの不興を買うことになるだろう。 あの好戦的なフレイザードでさえヒュンケルに表立ってケンカを売らない理由は、まさにそこにある。 上司にゴマをすりまくって出世の糸口にしているザボエラにしてみても、考えは同じだ。ヒュンケルは気に入らないものの、わざわざトップの機嫌を損ねてまで事を構えたいなどとはかけらも思わない。だからこそザボエラは内心の怒りを噛み殺し、無理に愛想笑いらしきものを浮かべた。 「い、いや、それは誤解というものじゃよ。何、こんなところに人間がうろついておったから、不審に思ってな。ちょいとばかり脅してやろうと思っただけじゃ。 思いっきり白々しく言い訳するザボエラを、ヒュンケルはひどく冷たい目つきで一瞥する。 「……こんなところをうろついているのが不審というなら、貴様も同じことだろう。犬でさえ主人の後に遅れずについて歩くが――貴様はそれ以下か?」 皮肉たっぷりのその一言に、ザボエラの顔が引きつる。 (くそっ、若造めが、調子にのりおって!!) 内心で腸が煮えくりかえるものを感じながらも、ザボエラは下手を装って狡猾に話を持ちかける。 「ああ、この城が広いものでつい迷ってしまってな。 その言葉に、ヒュンケルがわずかばかりに表情を動かすのを見たザボエラは、ニタリと笑う。接近戦こそ不得手でも、相手の弱みを見つけ出す目と弱点にすかさずにつけ込む小狡さに関しては、ザボエラは一級品だった。 勇者ダイに負けた時点で、クロコダインの地位は微妙な物になった。 だが、バーンか、もしくはハドラーの温情によって彼は蘇生装置に入れられ、治療を受けることになった。そこまではいいが、その後、無断でそこから脱走したのは明らかにバーンへの反逆行為だ。 脱走の理由によっては、失敗を二度どころか三度を重ねることになりかねない失態を、すでにクロコダインは披露しているのである。そんな男を庇うように治癒しているとは、ザボエラに言わせればすでに失敗だ。 「ひっひっひ、心配には及ばんて……。こう見えてもワシは口の堅い男じゃ、おまえさんが望むのならこのことはワシの胸一つに収めておいてもいいんじゃぞ」 口の軽さでは魔王軍随一とも言われているのに、ぬけぬけとそう言ってのけたザボエラに、ヒュンケルの表情はより一層険しいものとなる。だが、それを図星を突かれた動揺の証と見て取ったザボエラは、やたらと上機嫌になった。 相手の弱みを確実に握ったという思いが、ザボエラの舌をますますなめらかにする。 「いや、それどころか協力するのも吝かではないぞ。 ヒュンケルの背後にいるポップが、ぴくりと身体を強ばらせるのを見てとったザボエラは、満足感を味わう。ザボエラにはさんざん逆らい、諦め悪く抵抗した魔法使いの小僧がおとなしくなったのを見るのは、それだけでも溜飲が下がる気分だ。 だが、根に持つタイプであるザボエラは、味わった屈辱の仕返しはきっちりしたいと望むタチだ。さらにいうのならば、ザボエラにとってこれは願ってもないチャンスでもある。 バーンの命令により、ヒュンケルがダイ討伐を行うのを誰も邪魔できなくなってしまった。言い換えればヒュンケルが手柄を立てるのを、他の六団長達は指をくわえて見ているしかないということだ。 出世のためになら抜け駆けを辞さないザボエラにしてみれば、歯がゆくて仕方がなかったことだった。 しかし、この状況はザボエラにとっては有利だ。 ヒュンケルの弱みを握って、彼を操縦する形で手を組めれば申し分ない 密かに胸を躍らせながら、ザボエラは猫なで声でヒュンケルを丸め込もうとしていた。 「ヒヒヒッ、あのにっくきダイ討伐のためには、もってこいの人質をすでに捕まえているとはさすがじゃな。だが、ワシに任せればそいつをもっと効果的に使うことができるぞ、ギッヒッヒ」 「……不要だ。手助けなど、いらん」 (ええい、せっかくこのワシがいい話を持ちかけてやっておるのに、断るとは生意気なっ!!) そう思いながらもザボエラは表面上は笑顔を取り繕う。だが、内心の不満が全く隠せていないその笑顔は醜悪であり、見ている人に警戒心を呼び起こさせるだけだったが、本人だけはそれに気がついていなかった。 「いやいや、遠慮はいらんぞ。おまえさんもその魔法使いの小僧めには、いささか手を焼いておるのじゃろう? いくら人質とは言え少しは素直になるように、仕置きぐらいはしてやらんとな。 軽い火傷のせいでひりひり痛む手を押さえつつ、ザボエラはしばし自分の夢想に酔う。 人間の生体にも造詣が深く、下手な医師以上の知識を持つザボエラには、どの辺までは生存可能な怪我か見極めるなどお手の物だ。 「ザボエラッ、貴様なんてことを……っ。やめるんだっ」 蘇生装置の中から、クロコダインがそう叫ぶのを聞いてザボエラはゾクゾクするような興奮を掻き立てられる。 常に堂々とし、高い位置からザボエラを見下ろし続けていたクロコダインの悲痛な声は、ザボエラにとっては優越感を抱かせるものだった。別にクロコダインに手出しをする気はなかったが、ポップを痛めつけることによって誇り高き獣王も精神的に痛めつけることができるのなら、ザボエラにとっては一石二鳥だ。 ますます乗り気になって、ザボエラはポップの方へと近づく。その動きにあわせてヒュンケルがわずかに足を動かし、道を空ける。その仕草を賛成の意思と受け止めたザボエラは、ますます上機嫌になった。 ポップが青ざめてわずかに身じろぐが、怯えているのか、あるいは魔法力を使い果たしたのかその動きはザボエラの目から見てでさえ弱々しく、鈍かった。 それにも関わらず反抗的な視線でザボエラを睨み付けている点が、かえって興味を引きつける。どこまでも反抗的な相手だからこそ、屈服させてみたいという征服欲が刺激されるというものだ。 小生意気で挑発的な言葉を吐いていた口から許しを請わせ、この目に怯えしか浮かばなくなるように痛めつけてみたいという欲望が膨れあがっていく。 「ヒッヒッヒッ……さてさて、まずはどうしてくれようかのう?」 苦痛を与えるのも良し、あるいはそれ以上の屈辱を与えてやるも良し――澱んだ楽しみにすっかり気を取られながら、ザボエラはポップへと手を伸ばす。 「ぎょえっ!?」 強烈な痛みに、ザボエラは悲鳴を上げずにはいられない。 しかし、肉体が丈夫なことと、痛みに耐える精神力を持っているかどうかは全く別の問題だ。 「なっ、なにをするんじゃあっ!?」 ザボエラにしてみれば、それは青天の霹靂だ。 が、苦しさの中でヒュンケルの顔を見返して、ザボエラは自分の思い違いに気がつく。 「……っ」 思わず、息を飲む。 「……聞こえなかったのか? 手出しは不要だ」 押し殺したような平坦な声は、ただ聞いただけならば冷め切った言葉にしか聞こえなかっただろう。だが、真正面から睨みつけられていたザボエラには、その言葉は全く違って聞こえた。 (な、なんて目なんじゃ……!) ハドラー以上の長寿を誇るザボエラは、これまで多くの人間や魔族を見てきた。その中には悪辣な者や残虐な者も、多くいた。荒んだ目で殺気をまき散らしている戦士など、魔界にはいくらでもいるのだから。 だが、そんな連中を見慣れているはずのザボエラでさえ、今のヒュンケルの目には怯んでしまう。 殺気をたぎらせた険しい目で見据えられ、ザボエラは震え上がる。このまま、素手でくびり殺されるのではないかという恐怖に身体が勝手に震えだして止まらない。 「ダニめ!! 貴様は六団長の恥さらしだ。とっとと消えないと、骸の仲間入りをさせてやるぞ」 軽蔑しきったその口調は、脅しだけとは思えない気迫に満ちあふれている。 「わ、分か……った、分……かった……から、離……」 息が詰まりそうになりながらやっとの思いでそう言うと、ヒュンケルはまるで投げ出すようにザボエラの身体を突き飛ばす。その扱われ方に屈辱を感じたものの、それでも自由になったザボエラは素早く身を翻して部屋の外へと飛び出す。 「よ、よくもこんな真似を……!! 後悔するぞっ! あのクロコダインもワシの言うことをよく聞かんかったから、負けたんじゃからなっ」 苛立ちそのままに、ザボエラはヒュンケルの背に文句を叩きつける。多少の距離を取って強気になったせいもあるが、その距離は正直安全圏とはほど遠い。 もし、ザボエラの言葉にヒュンケルが激高し、戦いを挑んできたのならさっきの二の舞になりかねない距離である。 「……違うな。奴が負けたのは、貴様の下らん入れ知恵のせいだろうよ」 まるで相手にさえされていないと思える素っ気のない言葉は、ザボエラのプライドを二重に傷つける。 (ワシを……このワシを、どこまで馬鹿にすれば気がすむんじゃっ!?) 今度、ザボエラが震えだしたのは痛みのせいでも、屈辱のせいでもない。目もくらまんばかりの怒りに、妖魔司教は歯噛みする。 たかが人間ごときにここまで正面きって愚弄されるなど、ザボエラにとっては初めての経験だ。 「お、覚えておれよ――っ」 古今東西、典型的な雑魚敵の負け惜しみを投げつけ、逃げるようにその場を立ち去るザボエラに、ヒュンケルはなんの興味も関心も見せない。だが、ザボエラの方は燃え立たんばかりの怒りをたぎらせながら、彼への復讐を企て始めていた。 走らんばかりの急ぎ足も、もはや逃げるためのものではない。一刻も早く自分のアジトへ戻り、ヒュンケルへの復讐対策を練るための前進だった。その怒りは、厳密に言えばヒュンケル一人に向けられたものではない。 あの小生意気な魔法使いの少年に対しても、捨てきれない腹立ちを感じている。 もっともザボエラがポップに対して感じている腹立ちは、ヒュンケルに対するものとはレベルが違う。手に入る寸前だった面白そうな玩具を、不意に取り上げられたような気持ちだ。 (まったくどいつもこいつもワシを軽んじおって!! 見ておれ、絶対に吠え面をかかせてやるからの……!) 心に固く復讐を誓いながら、ザボエラはより一層足を速めだした――。 《続く》
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