『もう一つの救済 11』
 

 遠ざかっていくザボエラの足音を聞きながら、ヒュンケルは敢えて彼がどこへ向かって去って行ったかを確認しようとはしなかった。

 それは、関心がなかったからではない。
 一応は同じ軍に所属しているとは言え、ザボエラは決して信頼の置ける同僚とは言えない。むしろ、彼以上に油断のできない相手もいないと思っている。

 ハドラーやバーンには露骨にゴマをすろうとする態度も、隙さえあればコソコソと他人の動向に探りをいれる点も、何もかもが気に入らないし、気が抜けない相手だ。

 いつ自分を裏切るかもしれない油断のできない相手と認識しているからこそ、本来ならば注意深く観測する必要がある。きちんと彼がこの城から出て行ったかどうかを、確認した方がいいとは分かっていた。ザボエラがここにいるのは、まさにヒュンケルがハドラーの帰還の際にチェックを徹底させなかったのが原因だったのだ。

 しかし、理屈ではそう思ってはいても、ヒュンケルの感情がそれを許さなかった。
 ザボエラの言い分や態度に、苛立ちを抑えきれない。

 これ以上顔を合わせていれば、自分を抑えきれる自信がなかった。だからこそザボエラを見ないよう背を向けたヒュンケルだが、ポップに対してもそうするわけにはいかない。

 苛立ちを感じるという点ならばポップはある意味でザボエラ以上なのだが、厳重な地下牢からまんまと抜け出した捕虜をそのまま放置するわけにはいかない。

 ヒュンケルはゆっくりとポップへ視線を向ける。
 腰でも抜かしたのか、未だにぺたんと床に座り込んでいる少年は驚いたような顔でヒュンケルを見上げている。

 だが、目が合って開口一番にポップが言ったのは、なんとも可愛げのない一言だった。

「――礼は言わねえからな!!」

 ついさっきまで怯えてふるえていたというのに、いつの間にか負けん気の強い表情を取り戻している魔法使いの少年を見返しながら、ヒュンケルは素っ気なく応じた。

「もちろんだ」

 実際その必要などないと思っているし、言われたいとも思わない。ヒュンケルがポップを助けたのは、別に彼を思いやったからではない。勝手に自分の手元から逃げ出した獲物が、自分以外の者に始末されるのが嫌だっただけだ。

 ザボエラに殺されかけたポップを見た時に浮かんだ怒りにも似た感情を、ヒュンケルはそう解釈していた。決して、ポップを思いやったからこそ助けたわけではない。

 実際、ヒュンケルはポップを探す間に考えていたことをもし知ったとすれば、ポップは感謝するどころではなくなるだろう。

 見張りの人の良さにつけ込んで脱走した獲物に対して、ヒュンケルはさっきまで本気で腹を立てていた。捕まえたのなら罰を与えてやろうと、本気で考えてさえいたのである。

 さすがに殺す気まではなかったが、二度と逃げられないように手足の一本や二本をへし折ってもいいとぐらいは思っていた。それを実行せずにすんだのは、ある意味でザボエラのおかげだ。

 個人的な感情や趣味をむき出しにして、ポップをいたぶろうとしたザボエラの姿は醜悪すぎて吐き気すら催した。

 ザボエラを軽蔑しているからこそ、彼と同じところまで落ちたくはない――その自制心が、ヒュンケルに幾ばくかの冷静さを取り戻させる。
 波立つ感情を抑え、ヒュンケルは極力冷静にポップに言い放った。

「無駄な抵抗は諦めろ。オレは、おまえを逃がす気などない」

 確信を込め、ヒュンケルは淡々と告げる。
 地底魔城は防御を優先とした戦いのために作られた城だ。大部分が地下にあるため出入り口できる場所は限られている関係上、そう簡単に脱走はできない。

 何より、ヒュンケルはもう二度とポップに対して油断する気はなかった。
 一見平凡に見えるこの魔法使いの少年が、並以上の口の達者さだけでなく度胸と機転も併せ持っていることを、ヒュンケルは今こそ認めてやる。

 そして――アバンの弟子に相応しい優しさも備えていると見える。
 牢屋から脱走したのならばすぐさま逃げればいい物を、わざわざクロコダインを治療している部屋を探し当てているのだから。モルグの報告ではあと数日は目覚めないはずだったクロコダインが意識を取り戻しているのも、ポップの意思が無関係とは思えない。

 考えもしなかったが、ポップとクロコダインが手を組めばそれはヒュンケルにとっても軽視できないタッグになる。ほとんどの魔法は弾くヒュンケルの鎧も、打撃攻撃が無効なわけではない。

 もちろん並の鎧などとは比べものにならない高い防御力を誇るが、それでもクロコダインの様に打突系の武器を得意とする怪力の戦士と戦うとなれば苦戦は免れない。その際、優れた魔法使いの援護があるのは厄介な物だ。

 魔法は弾く鎧の魔剣とは言え、鎧は鎧である。間接を自由に動かすためには全身をくまなくすっぽりと覆うわけにはいかないし、どうしても隙間や装甲の薄い部分が存在する物だ。ダイが戦いの中でそうしたように、目などをピンポイントで狙って魔法を放たれれば多少のダメージは食らう。

 クロコダインほどの男と戦うのであれば、そんなかすかなダメージでも隙となり、敗因になりかねない。
 間違ってもこの二人を共闘させるわけにはいかないと思いながら、ヒュンケルは短く命じた。

「立て」

 その命令に、ポップはすぐには従わなかった。
 と言うよりも、従えなかった、と言うべきか。ヒュンケルを睨みながら立とうとしたポップは、よろけてその場に再び崩れこむ。どうやら、立ち上がることすら難しいぐらいに体力を消耗しているらしい。

 普段のヒュンケルならば、部下に命じてポップを再び牢屋に運ばせただろう。

 が、ポップに対しての評価を改めたヒュンケルは、ポップに対して過大評価とも言うべき警戒心を抱いていた。弱っている様に見えても、それも演技かもしれないという疑惑を捨てきれない。

「立つんだ」

 時間稼ぎをさせれば、何をしでかすか分からない――その思いから、ヒュンケルはポップの腕を掴んで乱暴に引き起こす。だが、予想外と言うべきか、ポップの軽い身体は何の抵抗もなくあっさりと起こすことができた。片手だけでも持ち上げられそうな軽さと、驚くほど細い腕に戸惑いを感じずにはいられない。

 が、もはや外見だけでこの魔法使いを侮るわけにはいかないと、ヒュンケルは手に力を込めてポップを引き寄せようとする。抵抗するのなら、引きずってでも連れて行くつもりだった。
 しかしその時、声がかけられた。

「ま、……待てッ、ヒュンケルッ……!」

 どこかくぐもった、苦しそうな声はクロコダインの物だった。

「ポップを……どうする気だ……?」

 どこか不安を交えたその問いかけに、ヒュンケルはすぐには答えなかった。
 少し前までのヒュンケルならば、おまえの知ったことではないと撥ね付けただろう。たとえ同じ魔王軍に籍を置く身だったとしても、魔王軍の幹部同士に連帯感などありはしない。

 むしろ、身近なライバルとしてしのぎを削り合う立場だったと言っていい。いつ、敵となってもおかしくない――そんな関係だった。
 敵かもしれない相手の疑問など、答える義理はない。

 だが、命がけでダイを庇い、ヒュンケルに向かって必死になってまで考え直せと迫ったクロコダインの言葉は、なぜか無視しきれなかった。無意識に足を止めた自分に驚き、ヒュンケルはなおさら言葉に詰まる。
 と、そんな彼に代わるように口を開いたのはポップだった。

「大丈夫だって、おっさん。おれは平気だからよ」

 捕虜とは思えない、明るく元気な声音だった。聞いているヒュンケルの方が驚くほど、脳天気な顔でけろりと言う。

「しかし……」

「マジで平気だって、心配は要らないよ。だって、こいつ、おれのことを殺す気はないっつったもん。な、そうだろ?」

 答えを促されるのは業腹だったが、事実は事実なのでヒュンケルは低く頷く。

「ああ」

 その返事は、少なからずクロコダインの気を落ち着けたに違いない。蘇生装置の中でクロコダインが大きく息を吐き、目を閉じる。
 水槽内に浮かび上がる気泡に、一瞬、断末魔の息を連想したもののどうやら再び気を失っただけのようだ。ポップの無事を確認し、気が緩んだのだろう。

(わずかの間に、ずいぶんと親交を深めたものだな)

 元々は敵同士であり、怪物と人間というかけ離れた種族なのにも関わらず、いつの間にか友情らしきものを交わし合っている捕虜達に苛立ちを感じながら、ヒュンケルは乱暴にポップの腕を引っ張った。

「来い」

 まだクロコダインの水槽を気にしていたポップだったが、ヒュンケルに力任せに引っ張られるととても抵抗はできない。足を踏ん張ることもできず、引きずられるままに歩き出す。だが、それでいて彼は文句だけは忘れなかった。

「痛えなぁっ、手を離せよっ!! 引っ張られなくったって、自分で歩けるって!」

 捕まれた腕をふりほどくだけの力もないくせに、ずいぶんな強気な態度を取る物だと思いながらも、ヒュンケルは無言で手を放して軽く突き飛ばす。

「ならば先を歩け。言っておくが、逃げようとしても無駄だ」

 手を引きながら引きずって歩くよりも、先に歩かせて後ろから見張っていた方が隙が少ない。そう判断してポップを先に歩かせたヒュンケルだが、その足の遅さには辟易する。

 自由になったポップが走って逃げ出すことを警戒していたヒュンケルにとっては意外なことに、ポップの足取りはずいぶんと遅かった。逃げ出すどころか、ついて歩いて行くのが焦れったくなるぐらいにゆっくりとした足取りだ。

 わざとなのか、それとも体力がないだけなのか分からないが、ポップはキョロキョロと辺りを見回しながら気軽に話しかけてくる。

「それにしてもここ、ずいぶんとボロい城だよなぁ。あちこち壊れているとことかあるけど、修理とかしねえの?」

 激戦の跡があちこちに残っている通路を眺めながら、捕虜の立場なのにも関わらず遠慮なしにそんなことを言うポップに呆れずにはいられない。だが、さっきまでと違ってポップへの侮りを捨てたヒュンケルは、それがただの軽口とは思えなかった。

「ずいぶん凝った地下牢もあるし、迷宮もあるし。ここってずいぶんと広い城みたいだな。こんな城があるなんて、港からじゃ分からなかったぜ。神殿からも、見かけなかったしさ」

 一見好奇心の強い子供の他愛もない質問のように見せかけて、さりげなく自分の望む情報を聞き出そうと誘導しようとしているポップの小賢しさに、ヒュンケルは眉を寄せる。

「かまをかけるのはよせ。そんなに知りたいのなら、教えてやる。ここは地底魔城だ」

 ポップの意図が分かっていながらずばりとそう告げたのは、遠回しに探られるよりもその方が手っ取り早いと判断したせいだ。

「地底魔城……!」

 案の定、顔色を変えたポップを見て、ヒュンケルは自分の考えの正しさを確信する。

「おまえも話ぐらいは聞いたことがあるだろう。かつては魔王ハドラーが居住していた城だ、生半可な者がこれる場所ではないし、脱走も不可能だ」

 助けが来る当てもなく、また、逃げ出すこともできない場所に閉じ込められていると分かれば、大概の囚人はおとなしくなるものだ。しかし、ポップは少しも絶望した様子はなかった。 

「かつては、って言ったな? なら、今はここはハドラーの城じゃねえのか」

 思わぬ所に食いついてきた魔法使いに、ヒュンケルは少々戸惑いつつも返答する。

「ああ、今はオレの城だ」

「ふぅん……」

 その言葉をどう受け止めたのか、ポップはそれっきり黙り込む。何かを考え込んでいるらしいが、質問をやめたのはヒュンケルにとっても好都合だ。

 足取りは相変わらず遅かったが、ヒュンケルは特に急かしもせず、時折、曲がり角に出くわした時にだけ行く方向を指示するにとどめた。その指示にポップも素直に従っていたが、とある曲がり角を曲がった所でぴたりと足を止める。

「休むな。さっさと歩け」

「休んでいるわけじゃねえよ、あれを見ていたんだよ」

 生意気にも口答えをしながらポップが指さしたのは、禍々しい印象を与える巨大な門だった。それを見て、ヒュンケルは反射的に顔をしかめる。

 開けっ放しのままのその門の名は、地獄門。
 魔王の間へ繋がる道を隔てる門であり、ヒュンケルの養父であるバルトスが守り続けていた門だった。

(しまった……、この道を通っていたのか)

 地獄門を目の当たりにして、ヒュンケルは思わず顔をしかめる。
 ヒュンケルにとって、この門は今も昔も禁忌だった。幼い頃は、父であるバルトスにこの門には決して近寄らないようにと言い含められていた。大事な仕事の場だから、子供が来るような場所ではないと当時は言われていたが、今にして思えばそれはヒュンケルを庇う意味が強かったのだろう。

 ハドラーや彼に面会を許される魔族達に、人間の子供が見つかれば面倒なことになるのは目に見えていたのだから。

 幼い頃は知るよしもなかった現実が、今のヒュンケルには見通せる。
 バルトスや彼の仲間である不死系怪物達は、ヒュンケルに対しては常に優しく暖かい存在だったが、魔王軍の一員としてはそんな怪物達はむしろ少数派なのだと彼は成長してから知った。

 魔族にとって、人間は脆弱な生き物だとの認識がある。その上魔族達には攻撃精神が強く、残虐性を強く持つ者が少なくはない。人間を見かければ、面白半分にいたぶろうとしたり、意味もなく殺そうとする魔族は呆れるほど多く存在するのである。

 そして、怪物達は強力な魔族の影響を受けやすい。
 通常の状態ならば動物とほぼ大差のない怪物達も、魔王が出現すればその思念派に影響されて性質が凶暴化するものだ。

 それを知っていたであろうバルトスは、幼いヒュンケルを地獄門に近づけることはなかった。ヒュンケルが初めてこの門に来たのは、あの日――アバンがバルトスを殺したあの日だけだ。

 そして、バーンよりこの城を拝領した後もヒュンケルは地獄門に近寄ることはなかった。
 ここには、辛い思い出がありすぎる。

 だからこそヒュンケルは地底魔城が自分のものとなってからも、地獄門をそのままにしておいた。修理もせず、新たな門番も設置せずにあの日のままに開けっ放しのまま放置し、近づかないようにしていた。

 だが、今日ばかりは失敗してしまったようだ。ポップを地下牢へ連れ戻すために最短ルートを歩いていたせいで、門の近くを通ってしまった。

「……そんなもの、どうでもいいだろう。いくぞ」

 そう言ってヒュンケルは門に背を向けて、歩き出す。本人は意識していなかったが、それは逃げるのに等しかった。

 が、ポップはヒュンケルとは逆に、地獄門に向かって歩いていく。なまじヒュンケルの方は早足で門から遠ざかろうとしたせいで、距離が開いてしまう。それに気がついたヒュンケルは、慌ててとって返した。

「おい、勝手な行動を取るな!」

 そう声をかけたが、ポップはヒュンケルの制止などには知らん顔で正反対の方向へと歩いて行く。逃げ出す気かと思ったが、ポップは門の前に立ち止まってジロジロとその門を見つめたり、何かを確かめるように扉に手を当てたりしているだけだ。

「何をしている!?」

「調べてたんだよ。ここで15年前に何があったのか、をさ」

 事件を調べる探偵のように、ポップはその扉を注意深く眺めたり、触れたりしている。その仕草が、ヒュンケルには腹立たしく見えた。

 バルトスの息子であるヒュンケル自身が近寄ることもできなかった地獄門を、平然と調べることのできるこの魔法使いが憎らしい。が、ポップの方はヒュンケルの内心になどお構いなしで自分の気の済むように門を調べ続けている。

「さっき、あんたはここは自分の城だって言ったよな? この門って、修理したこととか、ある?」

「いいや」

 とっさに正直に答えてしまった後で、ヒュンケルは猛然とした怒りを感じる。そんなことは、いちいち答えるまでもないことだ。

「いい加減にしろ、そんなことはおまえには関係ないことだろう!!」

 強く言い、ヒュンケルはポップの腕を再び掴んで引き寄せようとした。今度こそ、力尽くでも彼を牢屋へ連れて行き放り込もうと思ったのだ。
 が、強い視線が挑戦的にヒュンケルを見返す。

「あるね。だって、アバン先生が関わっているんだからよ」

 当然だとばかりに、ポップは胸を張ってそう宣言する。

「薄々変だと思っていたけど……今こそ、確信したよ。おまえの親父さんを殺したのは、先生じゃないってね」


                                                                                               《続く》

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