『もう一つの救済 13』

「なんだと……!?」

 魔法使いの少年の挑発的な言葉に、反射的にヒュンケルの中に生まれたのは怒りの感情だった。生意気を言うなと怒鳴りつけ殴りつけてでも、この口の減らない魔法使いを黙らせたいと思う凶暴な感情。

 だが、もっと腹が立つのは、それでもこの魔法使いの言葉を無視しきれない自分だった。敵の言うことに耳を貸す必要などないと思う気持ちを飛び越え、ポップの言葉は狙い澄ましたようにヒュンケルの心の奥底の願いを貫く。

 15年前、ここで何が起こったのか――それを、こんなにも自分が知りたがっていることに気づかされ、一番驚いているのはヒュンケル自身だった。
 今まで、ここで起こった惨劇を疑ったことなどなかった。

 アバンと旅をしていた間も、ミストバーンに拾われて彼の修行を受けている間も、また、魔王軍の一員として働くようになってからでさえ、ずっとそう思っていたのだから。

 ここで、バルトスはアバンに殺された……あるいは、再起不能に近い大ダメージを受けたのだと。

 だが、捕虜のはずのこの魔法使いは、見たこともないはずの過去を証明してみせると言い切っている――怒りと好奇心が同等の配分で沸き起こり、ヒュンケルの心の天秤を揺らす。

 迷いにしばし動きを止めたヒュンケルの耳に、場違いにのんびりとした声が聞こえてきた。

「おお、ヒュンケル様、こんなところにおられましたか。現在、出口付近を中心に捜索しておりますがあの子供はまだ見つかっては――やや! ヒュンケル様が、この子を発見なさったのですか?」

 真面目腐った顔でポップはまだ見つかっていないと報告しかけたモルグは、すぐ近くに来てからポップの存在に気がついたらしい。驚きの表情を浮かべた後、彼はどこか心配そうな顔でヒュンケルの表情を伺い、ポップの腕を引こうとした。

「全く、勝手に出て行かれては困りますな。この城は生きている人間には危険な場所ですゆえ、おとなしくしてもらわないと」

「わっ、何すんだよっ、離せよっ!?」

「これこれ、暴れないでください。おとなしくしていれば、危害は加えませんから」

 そう窘めながらも、モルグの行動は丁寧なものだ。ポップの腕を掴んではいるものの、乱暴という程のものではない。その行動は逃げた捕虜を牢屋に連れ戻すためのものと言うよりは、むしろ幼い子を危険から遠ざけようとするもののように見えた。
 それに気がついた途端、ヒュンケルは声をかけていた。

「待て。まだ、そいつに用がある」

 制止の命令に、忠実なゾンビは逆らわない。だが、振り返ったモルグは心なしかポップを庇うように自分の身体の後ろに隠しつつ、控えめに進言してくる。

「あ、あの……お怒りはごもっともですが、どうかここは一つ、お許し願えませんか。監視の目を緩めた私にも落ち度はありますし、なんといっても相手はまだ子供なのですから」

 どうやら、ヒュンケルの顔がよほど険しかったせいか、モルグは自分の主人が捕虜を罰しようとしているのだと思っているらしい。捕虜を庇おうとするゾンビらしからぬ人の良さに呆れたが、さらに呆れたのは捕虜らしからぬ捕虜の方だった。

「なんだよっ、人をガキ扱いすんなよっ!」

 むくれて監視人に怒鳴りつけるその態度は、どう見たって捕虜の態度ではない。しかも、自分は子供じゃないとムキになって主張する辺りが返って子供っぽさを強調していることも気がついていない辺り、まるっきり子供だ。

「聞いただろう? 本人がこう言っているんだ、配慮は無用だ」

 冷笑を浮かべ、ヒュンケルはやや皮肉に言う。

「それに、別にこいつに処罰を与えようとしていたわけではない。ちょうどよかった、モルグ。この扉を閉めろ」

「は? この地獄門をですか?」
 
 唐突な命令に、モルグが不思議がるのも無理はない。
 ヒュンケルはハドラーが好んで使っていた魔王の間は、使用していない。地獄門を避けている彼は、この一角に近寄ることすら稀だった。

 一度、モルグが城の修復やら使わない扉は閉めておいた方がいいなどと提案したことがあるが、それを却下したのはヒュンケル自身だ。

 この城をできるだけバルトスがいた頃のままにしておきたいと言う思いが、ヒュンケルの中にあったからだ。
 しかし、今、ヒュンケルの中には別の望みが生まれていた。

「そうだ。地獄門の扉を閉め、きちんと鍵をかけろ。――急げ」

 説明すら許さない、決然とした命令にモルグは二度は問い返さなかった。

「かしこまりました、しばしお待ちを」







 
 地底魔城の現主君はヒュンケルだが、各部屋の鍵を預かるのは執事の仕事だ。見た目よりも優秀な執事であるモルグは、そう長い時間、主人を待たせなかった。

 しばらく経ってから戻ってきたモルグは、力を込めて頑丈な扉を閉ざし、鍵をかけた。重い音を立てて閉ざされた扉を、ヒュンケルは軽く押してみる。
 ヒュンケルも力には相当自信のある方だが、当然のようにこの扉はびくともしなかった。

「さあ、これで準備は整えてやったぞ。あれ程の大口を叩いたんだ、証拠とやらを見せてもらおうか」

 出来る物ならばやって見せろとばかりに、ヒュンケルは挑発的に声をかける。口には出さなかったが、ポップが見せる『証拠』が益体もないものであったのなら、ただで済ませる気などなかった。

 だが、ヒュンケルのそんな思惑を知っているのか知らないのか、ポップはあくまで強気だった。

「ああ、目ん玉おっ広げてよっく見てろよ」

 そう言ってからポップは地獄門の真正面に立ち、すっと両手を伸ばして目を閉じた。扉に向かってかざされた手は門そのものには触れてはいないが、その手が明らかに輝きだしたのにヒュンケルが気がついた。

「この世にあまたに散らばる精霊よ、我が声に耳を傾けたまえ……!」

 子供っぽさの抜けきっていない声に相応しくない古めかしい呪文が、その場に朗々と響き渡った。

 その声に応じるように、淡く、柔らかな光が眩くポップの手を輝かせていく。光っているのは主に手だが、その光の照り返しがポップ自身も輝かせ、どこにでもいそうなごくありふれた少年を、神秘的にさえ見せている。
 今、ヒュンケルの目の前にいるのは紛れもない魔法使いだった。

「おお……!」

 感嘆したようなモルグの言葉に、ヒュンケルはハッと顔をしかめる。一瞬とは言え、自分もまた今の輝きに本気で見とれてしまっていたのが腹立たしい。

(バカな、初めて魔法を見た子供でもあるまいし)

 フッと脳裏を過ぎったのは、昔、アバンと旅をしていた頃の思い出だった。
 当たり前と言えば当たり前かもしれないが、ポップの唱えた古めかしい呪文は、アバンが唱えていた呪文に似ていた。

 ヒュンケルには魔法の素質が皆無だが、知識が全くないわけではない。
 剣士である父に憧れていたせいもありヒュンケルは魔法など最初から興味も持たなかったが、アバンは最初の頃はヒュンケルにも魔法を教えようとしていた。

 文武両道が基本だと言って、基礎的な魔法の知識程度は授業に組み込まれていたし、素質を見極めるまでは魔法契約なども実際にやらされた。

 魔法に興味を持たないヒュンケルの気を引くように、アバンはもったいをつけて呪文を唱えてみせたり、ことさらゆっくりと魔法を使っては気を引こうとしていた。

 そんなアバンの思惑に気がついていながらうかうかとのせられて、彼の使う魔法に目を奪われたのは一度や二度ではない。
 あれからずいぶんと経ったはずなのに、また同じ手にのせられたようで腹立たしい。

 だが、それでも目を離すことは出来なかった。アバンとは全く似ていないのに、アバンの魔法の使い方を継承した少年の姿に、知らず知らずのうちに見入ってしまう。

 光の強まりが最高潮に達した時、ポップは閉じていた目を見開いて高らかに叫ぶ。

「開け、閉ざされし扉よ――アバカム!」

 その途端、彼の手から生み出された光が扉に向かって放たれ、地獄門がその光によって輝いた。
 だが、それはほんの一瞬だ。吸い込まれるようにその光が消えていくのを見て、ヒュンケルは思う。

(失敗、か?)

 しかし、ポップは得意げにニヤリと笑った。
 その笑みと同時に、誰も触れていないはずの扉が大きく軋む音がした。長い間放置されていたため、先ほどモルグが閉める時にはさんざん苦労していたはずの扉は、まるで油を差した軽い扉であるかのようになめらかに開いていく。

 それは、文字通り魔法だった。
 閉めるだけでも大変な分厚いこの扉は、本来ならばポップのような少年が一人で開けられるような代物ではない。だが彼の唱えた魔法の言葉は、どんな熟練のドアマンでさえこれ以上優雅にはできないと思えるほどに、なめらかに扉を開け放った。

 神秘の光景は、時として人から言葉を奪う。
 あれ程反感を抱いていたにも関わらず、つい見入っていたヒュンケルも、モルグも言葉をなくしてただ佇んでいた。
 が、その止まった時を動かしたのは、当の魔法を見せつけた本人だった。

「ぷっはぁ〜、あー、疲れた〜」

 もはや魔法使いの神秘さのかけらもなく、仕事明けの親父じみた言葉を吐きながらその場にぺたりと座り込んだポップに、夢から覚めた様な気分を味あわされる。

 バテきったようにへたり込んでいるポップは、どこかどう見てもただの人間の少年としか見えない。肩すかしを感じるその姿を見下しながら、ヒュンケルは敢えて冷めた口調で淡々と言う。

「なかなか面白い見世物だったが、証拠とやらはどうした? 師の無実を証明するんじゃなかったのか?」

 魔法の見事さには脅かされたものの、今の呪文が何を証明しているのかなどヒュンケルにはさっぱり分からなかった。むしろ、逆効果ではないかとさえ思える。

「この扉が魔法でも開けられると証明して、何の意味がある? アバンがその魔法を使えなかったとでも証明するのならともかく」

「んなこた、できねえよ。おれ、先生がアバカムを使ったのは見たことねえけど……、あの人なら使えてもおかしくねえし。
 なにせ、勇者なのに魔法使いの魔法まで使える人だったから」

 ポップの言葉に、ああそうだったなと思い出すのが自分でも意外だった。
 魔法は、全ての人間が使えるわけではない。 
 たとえば魔法使いには決して回復魔法は使えないなど、職業によって使える魔法には差があるのが普通だ。

 だが、アバンは特別だった。
 後で思い返せば、不自然なぐらいに多くの種類の魔法を易々と使いこなす男だった。

「でも、違う。先生は……少なくとも、この扉には魔法は使わなかった」

 本気で疲れているのか、肩で息をしているポップは手を上げるのもだるいとばかりに、億劫そうに顎で扉を指す。

「…証明なら……とっくにしてるって…。……だから、よく見ろって言ったじゃねえか。扉の、鍵のとこ、よっく見てみろよ」
 
 言われるままに扉に向けられたヒュンケルの目が、大きく見開かれる。
 大きく開き放たれた扉――よくよく見れば、それは少しばかり変だった。開いた扉に存在する、小さな出っ張りが見える。明らかに鍵がかかった状態のままで、その扉は開かれていた。

「アバカムは……鍵がかかった扉を開ける魔法なんだ。鍵そのものを開ける力があるわけじゃねえんだよ。
 だから魔法の力で開けられた扉は、一目で見分けがつく。たとえ、どんなに時間が経ったってな」

 ポップの説明を聞いて、モルグがハッとしたような顔をする。

「そう言えば、先ほど拝見した地下牢の扉もそうでした! 鍵は確かにかかった状態のままなのに扉が開いているから、おかしいと思っておりました。てっきり、ヒュンケル様がなさったのかと思っていましたが」

「そんなわけがないだろう」

 とっさに否定してから、ヒュンケルはその事実を噛みしめる。
 そう、それはありえない。もし開いていた扉が鍵のかかった状態のままだというのならば、普通の人間ならば戸を開けた後で鍵をかけ直すしかない。が、そんなことをしたところで、意味などない。

 開いた扉に鍵がかかるわけでなし、逆に次に扉を閉める時には邪魔になる。どんな物好きな人間でも、一度開けた扉の鍵をかけ直したりはすまい。

 だが、魔法は人知を超越した力だ。
 開閉呪文とは、鍵を開けると言うよりはどうやら鍵をすり抜けさせるようにして扉を開ける魔法のようだ。

 もし、15年前にアバンもこの魔法を使って扉を開けたのなら、今、ポップが証明したのと同じように鍵がかかったままの不自然な形で扉が開いていただろう。

 しかし、ヒュンケルははっきりと覚えていた。
 ついさっき、モルグが扉を閉める直前までこの扉の鍵は確かに開いていた――。

「分かっただろ? 
 先生はこの扉を、鍵を使って開けたんだ。戦いもせず、騙しもせずに堂々と鍵を使って門番の前を通っていったってんなら……、その門番自身が認めたとしか考えられねえじゃないか」

 







「…………なぜ、そんなことが……」

 やっとのように呟く言葉は、明らかに掠れていた。
 それはさっき、ポップを怒鳴りつけた時と同じような言葉であって、全く意味の違う言葉だった。

 さっき、なぜと問いかけたのは、ポップの言葉を根拠のないでたらめと思えばこそだった。この小生意気な魔法使いを糾弾する意思を込め、殺気すら滲ませて怒鳴ることが出来た。
 だが、今の自分の声の弱々しさはどうだ。

(バカな、これではまるで――)

 図星を突かれて動揺しているかのようではないか……そう思うヒュンケルの気を知ってか知らずか、ポップは小さく首を振る。

「そんなの、分からねえよ。さっきも言ったろ、おれはおまえの親父さんを知らねえって。
 でも――」

 そこで一回言葉を切ってから、ポップは自分で自分に問いかけるように少しの間目を閉じた。

「それがどんなに大事な任務だったか知らねえけど、それ以上に大事なもののためにだったら、おれなら鍵なんか渡しちまうね」

「大事なもの……、ですか」

 噛みしめるように、その言葉を繰り返したのはモルグだった。
 どこまでもヒュンケルに忠実な執事は、主人の代わりに考えるのも役割とばかりになにやら考え込んでいるようだ。
 答えを探すかのように、未だに握りしめている鍵をじっと見つめている

「……もう一つ、気になっていることがあるんだ……」

 ポップの口調は、ずいぶんと弱々しくなっていた。見れば、さっきまではかなりバテていたとは言え一応自力で胡座をかいて座っていたのに、いつの間にかポップは壁により掛かるようにして身体を支えていた。

 だが、それでさえ身体を支えきれないのか、ずるずると身体がすべりかけている。なのに、そんな状況でもポップの目の輝きだけはしっかりとしていた。

「なあ……、不死系怪物って……いつに死ぬんだ? 時間、が不自然じゃなかったのかよ? 親父さんが死んだのは、魔王が死んですぐ……だったのか?」

 それは、ヒュンケルにだけ向けられた問いではなかった。
 答えの在処をすでに知っているかのように、ポップの黒い目はしっかりとモルグへと向けられていた。

「え……っ!? あ、いや、その……っ」

 不死系怪物とは思えない慌てふためきを見せるモルグは、なにやら言い訳を探すように手を無闇に振り回す。だが、ポップはその言い訳を聞く気はまったくないらしく、独り言のように呟く。

「アバン先生……が、魔王を倒したから……配下の不死系怪物も死ぬのは分かるんだ。……でも、ハドラーは生きてるのに……変、じゃない、か……?」

 螺子の切れたオルゴールのように間延びした声なのにも関わらず、聞き捨てならない鋭さを持つ疑問が、ヒュンケルの胸を貫く。
 この時、ヒュンケルが感じたのは戦慄に近かった。

 ヒュンケルが今まで気がつきもしなかった真相を次々に暴き立て、しかもそれを疑問の余地すら持てないまでに理論立てて証明していく魔法使いの少年に、恐れじみた思いすら感じる。
 だが、その恐れさえ真相を知りたいと思う気持ちの前には無意味だった。

「おい、それはどういう意味だ!?」

 今度は何を言うつもりなのか、それを聞き出したくてヒュンケルはポップを怒鳴りつける。

 だが、今までは怒鳴られればその声以上の大きさで怒鳴り返していた魔法使いの少年は、全く反応しなかった。ずるりとだらしなく床に崩れ落ちた身体は、力を失ってそのまま投げ出される。

「おい、小僧!?」

 思わず襟首を掴んで揺さぶったが、まるで人形のように無抵抗に首を揺らすだけのポップは完全に気を失っていた。ついさっきまで火花を散らす様な勢いで議論をふっかけてきた少年は、いまや目を閉じてぐったりと横たわっているだけだ。

「おやおや……、これは魔法力切れのようですな」

 いち早くポップの状態に気がついたモルグの説明に、ヒュンケルは舌打ちしたい気分だった。
 魔法を使い切った魔法使いは、往々にして気を失う――それは、ヒュンケルも聞いたことがあるし、実際に見たこともある。

 だが、こんな形で気絶するような魔法使いなど、まさに前代未聞だろう。 
 捕虜の身でありながら、戦いでも逃走のためではなく、ただ自分の言葉を  師匠の無実を証明するためだけに魔法力を使い切って気絶するなど。

 しかも、ポップはとんでもない置き土産を残していった。
 解き明かされた真実以上に気になる謎を一つ残し、自分だけさっさと意識を手放してしまった魔法使いを、ヒュンケルは忌ま忌ましげに睨みつける。

 だが、それでも怒りのままに無抵抗の少年に当たり散らす様な真似をするほど、ヒュンケルの誇りは安くはない。怒りを辛うじて飲み込みながら、ヒュンケルは乱暴になりすぎないように注意を払ってポップをモルグへと押しつけた。

「……この小僧を、連れて行け。いいか、厳重に見張りをつけて今度こそ絶対に逃がすな」

「は、はい、かしこまりました」

「それから――そいつが目を覚ましたらすぐに知らせろ」

 その命令を最後に、ヒュンケルは開いたばかりの地獄門をそのまま通って魔王の間へと向かっていった――。


                                  《続く》

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