『もう一つの救済 14

 そこには、誰もいない。
 遠くからでも、それは一目で分かった。だが、それでも彼らはきちんと事実を確認するために目的地へと足を運んだ。

 そこは、神殿だった。
 かつては立派な神殿だったことは、建物の広さや様式から容易に想像がつく。だが、今は見る影もない程壊され、ほとんど廃墟と呼んだ方がいいような有様だった。

 ちょうど、夕暮れになりかかった時刻も相まって赤く照らし出された壊れかけた神殿は、より一層に寂れて見えた。
 それを見て、年配の兵士は皺の浮いた顔にさらに皺を寄せる。

「こりゃあ、ひどいもんじゃ。まさか、ここまでやられているとはのう」

 その声が沈痛な物になるのも、無理もない。彼は、この国の出身なのだから。
 パプニカ王国の兵士であり、レオナのお付きの兵士だと名乗ったバダックは、老齢ながらもどこか茶目っ気を感じさせる兵士だった。

 山の中で出会ったダイとマァムに声をかけてきたバダックは、最初、怪物に襲われた見も知らぬ子供を保護してくれようとしたらしい。無理もないことだが、ガルーダに掴まって叫び続けるダイの姿は、どう見ても怪物に攫われている子供にしか見えなかったようだ。

 だが、ダイの持っていたナイフが幸運を呼んだ。
 レオナが直々にダイにプレゼントしたそのナイフは、たった三振りしかないパプニカのナイフだ。

 それを持っていることは、ダイがレオナからそれだけの信頼を預かった人物だと立証している。おまけに、レオナの爺やに近い立場にいたバダックは、ダイの話を直接レオナから聞いていた。

 南の島に住む、小さな勇者候補の少年――レオナが彼への好意と期待を込めて語ったその少年の存在を、バダックはよく知っていた。それだけにバダックはダイと、その仲間であるマァムを歓迎し、どんな協力でもしようとさえ言ってくれた。

 生憎、レオナの居場所は分からないものの、彼女が無事だとバダックが保証してくれたのも好条件だった。

 レオナの身を守るために、パプニカで最強の三人の賢者達が常に側にいる。
 落城前にレオナは三賢者と共に、城から逃げ出したとの情報を聞いた喜びは大きかった。たとえ居場所が分からなくても、彼女を実際に知っている人物から生存を保証された安心感は段違いだ。

 その情報で一気に元気を取り戻したダイは、ひとまず神殿へ戻ることにした。
 ダイがヒュンケルと戦い、そして、不本意ながらポップを置き去りにしてしまった場所に――。







「……誰も、いないんだね」

 そう呟きながらもまだ諦めがつかないように、ダイは瓦礫だらけの神殿を何度も見回した。
 さっきまではこの神殿を埋めるように湧き出てきた不死系怪物さえ、今はいなかった。

 当然のように、ポップの姿もクロコダインの姿もない。だが、瓦礫に残った不吉な血の染みの痕跡は、ダイとマァムに強いショックを与えた。

「こんな……!!」

 特に気絶していた時間の長かったマァムには、生々しく残る戦いの痕跡は衝撃的だったらしい。すっかりと変色した染みを前にして、言葉も失う。

 もし、この血を流したのがポップだったのなら――そんな不吉な予想を抱かずにはいられなかったから。
 だが、あの時、実際に現場を目撃していたダイの観察眼は確かだった。

「これ……多分、クロコダインの血だよ。クロコダインは、全身傷だらけだったのにおれ達を助けに来てくれたんだ……!」

 まだ半ば湿ったままの血の跡に手を触れながら、ダイは悔しそうに唇を噛みしめる。

 あの時、ポップもクロコダインも助けることができなかったのは、ダイには痛恨の痛手だった。あの後、二人がどうなってしまったのか――そう思うと抑えきれず、ダイは大声で叫んでいた。

「ポップーッ!! ポップッ、返事をしてくれよーっ!」

「こ、これっ、あんまり大声をだすと危ないぞっ。何せ、この辺には時折不死系怪物どもがうろついているんじゃからなっ」

 慌てたバダックにそう止められて仕方がなく口を叫ぶのはやめたものの、ダイとしてはむしろ怪物でもヒュンケルでも構わないから出てきて欲しかった。もちろん、一番の望みはポップが無事に出てきてくれることだが、仲間の安否が分かるのであれば、ここで敵と戦うだけの覚悟は最初からあった。

 だが、幸か不幸か、ここには敵の姿すら見えない。
 それでも、ダイが物陰を覗き込むようにしながら丹念に周囲を見回したのは、もう一人の仲間――金色の小さなスライムの姿を探すためだ。

 この神殿までは確かに一緒にいたのに、いつの間にかはぐれてしまっていた。敵も、さすがにクロコダインやポップなら見逃しはしないだろうが、小さなスライムならばそうそう気にするとも思えない。

 もしかして、ガルーダについてこられなかったゴメちゃんがまだここにとどまって震えているのではないかと思ったダイとマァムだったが、その予想は残念ながら外れたようだ。

 そして、ここまで案内してくれたバダックもまた、誰かを探すように周囲を見回していた。

「この神殿は、王家の第一避難場所だったんじゃ。城に何かがあった場合、まずはここに落ち延びる……だが、あの日、魔王軍はこの神殿にも襲撃をしかけてきた。
 その際、みんなバラバラに逃げ出したっきりのようじゃな」

 そう説明しながらも、バダックも諦めきれないように周囲を見回すのをやめなかった。彼も彼で、神殿にいたはずの兵士や神官達に会えることを期待していたらしい。

「うむ、もしかしたら神殿内部に誰かが隠れているかもしれないのう。ワシはちょっと見てくるから、ダイ君達は表を探していてくれ。
 えーと、確かおまえさん達の探しているスライムは金色で、ゴメちゃんというんじゃったかな?」

「うん、そうだよ。ゴメちゃんは恥ずかしがり屋だけど、名前を呼んだらきっと出てくるよ」

「そうか、そうか。恥ずかしがり屋なのか。じゃあ、驚かさないように探さないとな」

 まるで祖父と孫のようなダイとバダックのやりとりを、マァムは微笑ましい思いで聞いていた。無害なスライムとは言え、一応は怪物の部類に入るはずのゴメちゃんの話をバダックは実に寛大に受け止めてくれた。

 非常事態の最中に他人のペットを探すだけの優しさを持った人間は、そういるものではないし、怪物への偏見を持たない人間も少ない。だが、バダックはその両者を兼ね備えた好人物だった。

 偶然会えたのが、バダックのような兵士だったのは幸運だったと思いながら、マァムは手がかりを求めて地面を注意深く見つめる。足跡でも残っていないかと期待したのだが、盗賊でも狩人でもない彼女の目では、踏み荒らされた複数の足跡の中から目的の人物の物を探すなど不可能だ。

 だが、地面を注意深く見つめていたマァムの目に、きらりと光る輝きが飛び込んでくる。
 それは、見覚えのあるペンダントだった。滴型の小さな石のついたシンプルなペンダント――それを、マァムは手に取った。

「やっぱり……!」

 見ただけでも確信していたが、手にとって一層はっきりとする。それは、紛れもなくアバンのしるしだった。
 それも、かなり古びている感じがする。

 アバンが自分の弟子に、卒業の証として与えるペンダント。マァム自身も持っているそれと全く同じペンダントを、マァムは固く握りしめる。

 ダイやポップも同じ物を持っているが、ついこの間、仮免扱いで卒業したばかりの彼らの持っているペンダントは新品同様だ。そして、マァム自身の持っているアバンのしるしは今も彼女の胸にぶら下がっている以上、このペンダントの持ち主は一人しかいまい。

『もう必要ない……』

 冷たくそう言って、ペンダントを弾き飛ばしたヒュンケルの姿を思い出す。何の未練もないように無造作にペンダントを放り投げた彼に対して、マァムはあの時、怒りに似た感情さえ感じたものだ。

 だが、今、ペンダントを握りしめながらマァムが感じるのは、怒りよりも当惑や悲しみの気持ちの方が強かった。

(どうして……?)

 アバンは、優しい師だった。
 マァムが彼に教えを受けたのはほんのしばらくの間だが、それでもその間の記憶は忘れられない思い出として胸に焼き付いている。

 アバンとの思い出は暖かく、忘れがたいものばかりだ。その教えは今もマァムの人生の指針となってくれることだろう。そして、同じようにアバンの教えを授かった者は、みんな同じ心を持っていてくれるとマァムは信じていた。

『これは、卒業の証ですよ、マァム。
 私の生徒達には、卒業の時には必ずこれを渡してきましたし、これからもそうするつもりです。つまり、このペンダントを持った者は、あなたと同じ心を持つ仲間というわけですよ』

 アバンがそう教えてくれたから、マァムはずっとその言葉を信じてきたというのに――。

「マァムー、どうしたの?」

 そう声をかけられて、マァムはハッとする。
 動かないマァムを心配したのか、ダイが駆け寄ってくるのが見えた。

「大丈夫? お腹、痛いの? それとも、お腹がすいた?」

 本気で心配してくれているのは疑いようがないが、ダイの関心事はお腹へと集中しているらしい。それに苦笑しながら、マァムは軽く首を振った。

「あ……、大丈夫よ、ダイ。それより、これを見て」

 手のひらに握りこんだアバンのしるしを見せると、ダイもハッとした表情になる。そんなダイの顔を見ながら、マァムはゆっくりと言った。

「あのね、ダイ。私は――やっぱり、あの人ともう一度話をしてみたいと思うの」

 言ってから、マァムは自分でも驚きを感じる。
 だが、口に出してからマァムはそれこそが自分の本心なのだと確信した。

「できるなら、ヒュンケルとは戦いたくはないわ……」

 父をアバンに殺された恨みを、強く持っている不幸な戦士。
 その復讐心が強ければ強いほど、マァムは彼が哀れに思えてならない。その恨みの強さが肉親への愛情から生まれたものだと思えば、彼を責める気も薄れていく。

 話し合えば、分かってもらえるかもしれない。
 相手が自分達を仇と呼び、実際に剣を交えたというのにそう思うのは、甘えかもしれない。だが、それでもマァムは同じ師に教えを受けた者に信頼を抱いている。
 その信頼は、信仰にも強い力でマァムの心にしっかりと根付いていた。

「アバン先生の弟子だった人が本当に悪に心を染めてしまったなんて、私には思えないの。あの時、彼が言った言葉が本当だったとしても――それだけが本音とは思えないわ」

 そう言いながら、マァムが無意識に思い出していたのはポップのことだった。

 ポップも、およそアバンの弟子らしからぬ少年だった。
 少なくとも最初はマァムはそう思ったし、本音を言えばずいぶんとがっかりさせられたものだ。

 臆病で、そのくせ口ばっかり達者で、ついでに言うのならエッチなことにばかり関心のある最低な男の子だと思った。ダイが強敵と戦おうとしている時に、友達を見捨てて自分だけ逃げ出そうとした態度には、決定的に失望した。

 あの時は、本気で腹を立てた。
 ポップとは決してわかり合えないのだと思い、もう二度と会いたくないとさえ思った。

 だが、その気持ちは良い意味で裏切られた。
 クロコダインとの戦いの最中に飛び込んできたポップは、やはりアバンの使徒だった。どんなにいい加減に見えても、やはりアバンの教えはポップの中に深く刻み込まれていた――それが、マァムには何より嬉しかった。

 ポップが考えを変えてくれたように、ヒュンケルもまた、考え直してくれるのではないか――その期待が、マァムの胸の中にある。
 そして、希望を持っているのにそれに挑戦もせずに諦めるマァムではなかった。

 だが、これはマァムの個人的な希望にすぎない。それだけにダイがどう返事をするか心配だったが、ダイは少し考えてからゆっくりと頷いた。

「そうだね。……おれもヒュンケルとは、戦いたくないや」

 その返事に、マァムは驚いた。
 アバンに強い恨みを持つヒュンケルの攻撃は、ダイの剣技を引き継ぐダイに集中していた。最も激しい攻撃を食らっていたダイが、マァムと同じ感想を抱いていてくれているとは思わなかったから。
 だが、ダイの口調はひどく同情的だった。

「あいつが言っていたことも、なんとなくだけど、分かるんだ。
 おれだって、じいちゃんが人間に殺されたりしたら……もしかしたら、人間を嫌いになったかもしれない」

 その呟きに込められた切実さに、マァムは胸を打たれた。
 それは、決して『もしも』の話などではない。

 ダイが思っているよりも、ずっと現実味のある可能性の話だ。ダイがクロコダインと戦っていた時、クロコダインの側で混乱魔法を連発していた鬼面道士  彼がダイの祖父だと聞かされる前、マァムはもう少しでその鬼面道士に攻撃を仕掛けるところだった。

 それはマァムだけでなく、城の兵士達も同じだった。
 暴れる怪物は敵であり、倒しても構わない――そんな発想は人間にとってはごく当たり前のものだ。もし、あの時、ダイが泣いてすがりつかなければ、マァムや城の兵士達が攻撃の手を止めることはなかっただろう。

 あの時、マァムはそうすることが正義だと思っていたのだから。
 しかし、もしそうなった場合、ダイは――どうなったことだろうか?
 それは、考えるだけでぞっとするような想像だった。

 ダイがクロコダインに向けた怒りを、人間達に向けたとしても少しもおかしくはなかったのだ。不思議な紋章を額に浮き上がらせた時の、ダイの人間離れした力を思い出してぶるりと身震いさえ感じたマァムだったが、ダイはマァムほど過程の未来を強く意識してはいないらしかった。

「そう思ったら、ヒュンケルに対して本気で怒れなくって……、戦えなかった。ポップには怒って戦えって言われたけど、でも、できなかったんだ。
 だから、戦わなくてすむなら、戦いたくない――けど」

 そこまで言ってから、ダイは言葉を詰まらせて黙り込む。その言葉の途切れからがあまりにも不自然だったので、マァムは不思議そうに彼の顔を覗き込む。
 だが、ダイはそれにさえ気がつかないように小刻みに震えていた。

「だけどおれ……」

 胸がつかえているように、ひどく苦しそうにダイは言った。

「もし、ヒュンケルが……、ポップやレオナに何かをしたなら……、おれ……多分、絶対に許せない……!」

 筋が浮くほど強く握りこまれた拳が、震えている。

「ダイ……」

 何かを言ってあげたいのに、言うべき言葉が思いつかない。
 こんな時に、ポップがいてくれたのなら――マァムがそう思った瞬間、目に飛び込んできた光があった。

「え……?」

 真っ赤な夕日の中、身体をキラキラと輝かせて一直線にこちらに飛んでくる小さなもの――その正体に気がついた時には、すでに金色の塊はダイの背中に直撃していた。

「うわっ!?」

 ダイが大声を上げたが、それはびっくりしたからあげてしまった悲鳴に過ぎない。
 次の瞬間には、ダイは喜びの表情でその金色の塊――ゴメちゃんを抱きしめていた。

「あっ、ゴメちゃんっ! よかった、無事だったんだねっ」

「ピピィーッ!!」

 ダイの背中に体当たりしてきた小さなスライムは、まだ足りないとばかりに二度、三度とダイの身体をところ構わず跳ね回る。その愛らしさにホッとしつつも、マァムはすぐに気がついた。

「ゴメちゃん、それって!? もしかして、ポップのじゃない?」

 ゴメちゃんの身体に器用に巻き付けてある黄色の布きれに目をとめたマァムは、スライムを抱き上げて急いでそれを解く。まだはしゃぎ足りなさそうなゴメちゃんがじっとしたがらないので苦労したが、布は比較的簡単に解くことが出来た。

「やっぱり……!」

 広げてみて、マァムは確信する。
 それは紛れもなく、ポップがいつも身につけているバンダナだった。そして、そのバンダナの中央部分に紙切れがしっかりと折り込まれている。それを広げると、走り書きされた短い文章があった。

「これ、ポップが!? なんて書いてあるの!?」

 顔をくっつけんばかりにダイがマァムの手元を覗き込み、尋ねてくる。自分の方が近くから見ているのになぜ聞くのだろうと疑問に思いながらも、村で目の弱ってきた老人や字の読めない子供に代わって字を読んでやることになれているマァムは、尋ねられるままにその文章を読み上げる。

『おれも、クロコダインのおっさんも無事だ。すぐに逃げだすから、心配すんな。
 おまえらは、先にパプニカのお姫さんを探してろよ』

 名前も宛先もないその短い手紙を読み終わったマァムとダイは、そろって、互いの顔を見合わせる。
 二人とも、真っ先に安堵を感じたのは確かだ。この手紙は確かに、ポップの無事を証明してくれたのだから。

 だが――。

「ねえ、ダイ。どう、思う?」

 この手紙の指示通りにするかどうか。
 その意味合いを込めてかけた言葉に、ダイは迷わず、きっぱり答えた。

「ポップを助けに行こう!」

 その返事の早さが、マァムには嬉しかった。マァム自身、そうしたいと思っていたのだから。
 だが、それでも聞き返さずにはいられない。

「でも、レオナ王女を探さなくていいの?」

 ダイがパプニカのお姫様と友達で、彼女を助けるためにパプニカを目指していると言うのは、ポップから聞いたことだ。その時、ダイはひどくムキになっていたことからも、ダイにとってレオナが大切な存在だというのは見て取れた。

 なのに、その目的を後回しにしてしまって大丈夫なのかと心配だったが、ダイは迷う様子もなく頷いた。

「レオナも心配だけど、ポップはもっと心配だよ。だって、ポップ、時々すごい無茶するんだもん」

「ピピーッ!」

 その通りだ、と言わんばかりのタイミングで鳴いたゴメちゃんに、マァムは思わず笑ってしまう。この小さなスライムでさえ、どうやら同じ意見らしい。もっとも、マァムもその意見には同感だった。

 心配するな、などと言われたぐらいでは全く安心できやしない。きちんとポップに会って無事を確かめなければ、気が治まらないだろう。ましてや、ポップが今どこにいるか、明確な手がかりが飛び込んできた今ならば尚更だ。

「賛成! じゃあ、ポップを助けにいきましょう。ゴメちゃん、案内してくれる?」

「ピッ!」

 マァムの問いかけに、ゴメちゃんが目一杯気張った返事をした――。 

                                                                        《続く》 

 

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