『もう一つの救済 14』 |
そこには、誰もいない。 そこは、神殿だった。 ちょうど、夕暮れになりかかった時刻も相まって赤く照らし出された壊れかけた神殿は、より一層に寂れて見えた。 「こりゃあ、ひどいもんじゃ。まさか、ここまでやられているとはのう」 その声が沈痛な物になるのも、無理もない。彼は、この国の出身なのだから。 山の中で出会ったダイとマァムに声をかけてきたバダックは、最初、怪物に襲われた見も知らぬ子供を保護してくれようとしたらしい。無理もないことだが、ガルーダに掴まって叫び続けるダイの姿は、どう見ても怪物に攫われている子供にしか見えなかったようだ。 だが、ダイの持っていたナイフが幸運を呼んだ。 それを持っていることは、ダイがレオナからそれだけの信頼を預かった人物だと立証している。おまけに、レオナの爺やに近い立場にいたバダックは、ダイの話を直接レオナから聞いていた。 南の島に住む、小さな勇者候補の少年――レオナが彼への好意と期待を込めて語ったその少年の存在を、バダックはよく知っていた。それだけにバダックはダイと、その仲間であるマァムを歓迎し、どんな協力でもしようとさえ言ってくれた。 生憎、レオナの居場所は分からないものの、彼女が無事だとバダックが保証してくれたのも好条件だった。 レオナの身を守るために、パプニカで最強の三人の賢者達が常に側にいる。 その情報で一気に元気を取り戻したダイは、ひとまず神殿へ戻ることにした。 「……誰も、いないんだね」 そう呟きながらもまだ諦めがつかないように、ダイは瓦礫だらけの神殿を何度も見回した。 当然のように、ポップの姿もクロコダインの姿もない。だが、瓦礫に残った不吉な血の染みの痕跡は、ダイとマァムに強いショックを与えた。 「こんな……!!」 特に気絶していた時間の長かったマァムには、生々しく残る戦いの痕跡は衝撃的だったらしい。すっかりと変色した染みを前にして、言葉も失う。 もし、この血を流したのがポップだったのなら――そんな不吉な予想を抱かずにはいられなかったから。 「これ……多分、クロコダインの血だよ。クロコダインは、全身傷だらけだったのにおれ達を助けに来てくれたんだ……!」 まだ半ば湿ったままの血の跡に手を触れながら、ダイは悔しそうに唇を噛みしめる。 あの時、ポップもクロコダインも助けることができなかったのは、ダイには痛恨の痛手だった。あの後、二人がどうなってしまったのか――そう思うと抑えきれず、ダイは大声で叫んでいた。 「ポップーッ!! ポップッ、返事をしてくれよーっ!」 「こ、これっ、あんまり大声をだすと危ないぞっ。何せ、この辺には時折不死系怪物どもがうろついているんじゃからなっ」 慌てたバダックにそう止められて仕方がなく口を叫ぶのはやめたものの、ダイとしてはむしろ怪物でもヒュンケルでも構わないから出てきて欲しかった。もちろん、一番の望みはポップが無事に出てきてくれることだが、仲間の安否が分かるのであれば、ここで敵と戦うだけの覚悟は最初からあった。 だが、幸か不幸か、ここには敵の姿すら見えない。 この神殿までは確かに一緒にいたのに、いつの間にかはぐれてしまっていた。敵も、さすがにクロコダインやポップなら見逃しはしないだろうが、小さなスライムならばそうそう気にするとも思えない。 もしかして、ガルーダについてこられなかったゴメちゃんがまだここにとどまって震えているのではないかと思ったダイとマァムだったが、その予想は残念ながら外れたようだ。 そして、ここまで案内してくれたバダックもまた、誰かを探すように周囲を見回していた。 「この神殿は、王家の第一避難場所だったんじゃ。城に何かがあった場合、まずはここに落ち延びる……だが、あの日、魔王軍はこの神殿にも襲撃をしかけてきた。 そう説明しながらも、バダックも諦めきれないように周囲を見回すのをやめなかった。彼も彼で、神殿にいたはずの兵士や神官達に会えることを期待していたらしい。 「うむ、もしかしたら神殿内部に誰かが隠れているかもしれないのう。ワシはちょっと見てくるから、ダイ君達は表を探していてくれ。 「うん、そうだよ。ゴメちゃんは恥ずかしがり屋だけど、名前を呼んだらきっと出てくるよ」 「そうか、そうか。恥ずかしがり屋なのか。じゃあ、驚かさないように探さないとな」 まるで祖父と孫のようなダイとバダックのやりとりを、マァムは微笑ましい思いで聞いていた。無害なスライムとは言え、一応は怪物の部類に入るはずのゴメちゃんの話をバダックは実に寛大に受け止めてくれた。 非常事態の最中に他人のペットを探すだけの優しさを持った人間は、そういるものではないし、怪物への偏見を持たない人間も少ない。だが、バダックはその両者を兼ね備えた好人物だった。 偶然会えたのが、バダックのような兵士だったのは幸運だったと思いながら、マァムは手がかりを求めて地面を注意深く見つめる。足跡でも残っていないかと期待したのだが、盗賊でも狩人でもない彼女の目では、踏み荒らされた複数の足跡の中から目的の人物の物を探すなど不可能だ。 だが、地面を注意深く見つめていたマァムの目に、きらりと光る輝きが飛び込んでくる。 「やっぱり……!」 見ただけでも確信していたが、手にとって一層はっきりとする。それは、紛れもなくアバンのしるしだった。 アバンが自分の弟子に、卒業の証として与えるペンダント。マァム自身も持っているそれと全く同じペンダントを、マァムは固く握りしめる。 ダイやポップも同じ物を持っているが、ついこの間、仮免扱いで卒業したばかりの彼らの持っているペンダントは新品同様だ。そして、マァム自身の持っているアバンのしるしは今も彼女の胸にぶら下がっている以上、このペンダントの持ち主は一人しかいまい。 『もう必要ない……』 冷たくそう言って、ペンダントを弾き飛ばしたヒュンケルの姿を思い出す。何の未練もないように無造作にペンダントを放り投げた彼に対して、マァムはあの時、怒りに似た感情さえ感じたものだ。 だが、今、ペンダントを握りしめながらマァムが感じるのは、怒りよりも当惑や悲しみの気持ちの方が強かった。 (どうして……?) アバンは、優しい師だった。 アバンとの思い出は暖かく、忘れがたいものばかりだ。その教えは今もマァムの人生の指針となってくれることだろう。そして、同じようにアバンの教えを授かった者は、みんな同じ心を持っていてくれるとマァムは信じていた。 『これは、卒業の証ですよ、マァム。 アバンがそう教えてくれたから、マァムはずっとその言葉を信じてきたというのに――。 「マァムー、どうしたの?」 そう声をかけられて、マァムはハッとする。 「大丈夫? お腹、痛いの? それとも、お腹がすいた?」 本気で心配してくれているのは疑いようがないが、ダイの関心事はお腹へと集中しているらしい。それに苦笑しながら、マァムは軽く首を振った。 「あ……、大丈夫よ、ダイ。それより、これを見て」 手のひらに握りこんだアバンのしるしを見せると、ダイもハッとした表情になる。そんなダイの顔を見ながら、マァムはゆっくりと言った。 「あのね、ダイ。私は――やっぱり、あの人ともう一度話をしてみたいと思うの」 言ってから、マァムは自分でも驚きを感じる。 「できるなら、ヒュンケルとは戦いたくはないわ……」 父をアバンに殺された恨みを、強く持っている不幸な戦士。 話し合えば、分かってもらえるかもしれない。 「アバン先生の弟子だった人が本当に悪に心を染めてしまったなんて、私には思えないの。あの時、彼が言った言葉が本当だったとしても――それだけが本音とは思えないわ」 そう言いながら、マァムが無意識に思い出していたのはポップのことだった。 ポップも、およそアバンの弟子らしからぬ少年だった。 臆病で、そのくせ口ばっかり達者で、ついでに言うのならエッチなことにばかり関心のある最低な男の子だと思った。ダイが強敵と戦おうとしている時に、友達を見捨てて自分だけ逃げ出そうとした態度には、決定的に失望した。 あの時は、本気で腹を立てた。 だが、その気持ちは良い意味で裏切られた。 ポップが考えを変えてくれたように、ヒュンケルもまた、考え直してくれるのではないか――その期待が、マァムの胸の中にある。 だが、これはマァムの個人的な希望にすぎない。それだけにダイがどう返事をするか心配だったが、ダイは少し考えてからゆっくりと頷いた。 「そうだね。……おれもヒュンケルとは、戦いたくないや」 その返事に、マァムは驚いた。 「あいつが言っていたことも、なんとなくだけど、分かるんだ。 その呟きに込められた切実さに、マァムは胸を打たれた。 ダイが思っているよりも、ずっと現実味のある可能性の話だ。ダイがクロコダインと戦っていた時、クロコダインの側で混乱魔法を連発していた鬼面道士 彼がダイの祖父だと聞かされる前、マァムはもう少しでその鬼面道士に攻撃を仕掛けるところだった。 それはマァムだけでなく、城の兵士達も同じだった。 あの時、マァムはそうすることが正義だと思っていたのだから。 ダイがクロコダインに向けた怒りを、人間達に向けたとしても少しもおかしくはなかったのだ。不思議な紋章を額に浮き上がらせた時の、ダイの人間離れした力を思い出してぶるりと身震いさえ感じたマァムだったが、ダイはマァムほど過程の未来を強く意識してはいないらしかった。 「そう思ったら、ヒュンケルに対して本気で怒れなくって……、戦えなかった。ポップには怒って戦えって言われたけど、でも、できなかったんだ。 そこまで言ってから、ダイは言葉を詰まらせて黙り込む。その言葉の途切れからがあまりにも不自然だったので、マァムは不思議そうに彼の顔を覗き込む。 「だけどおれ……」 胸がつかえているように、ひどく苦しそうにダイは言った。 「もし、ヒュンケルが……、ポップやレオナに何かをしたなら……、おれ……多分、絶対に許せない……!」 筋が浮くほど強く握りこまれた拳が、震えている。 「ダイ……」 何かを言ってあげたいのに、言うべき言葉が思いつかない。 「え……?」 真っ赤な夕日の中、身体をキラキラと輝かせて一直線にこちらに飛んでくる小さなもの――その正体に気がついた時には、すでに金色の塊はダイの背中に直撃していた。 「うわっ!?」 ダイが大声を上げたが、それはびっくりしたからあげてしまった悲鳴に過ぎない。 「あっ、ゴメちゃんっ! よかった、無事だったんだねっ」 「ピピィーッ!!」 ダイの背中に体当たりしてきた小さなスライムは、まだ足りないとばかりに二度、三度とダイの身体をところ構わず跳ね回る。その愛らしさにホッとしつつも、マァムはすぐに気がついた。 「ゴメちゃん、それって!? もしかして、ポップのじゃない?」 ゴメちゃんの身体に器用に巻き付けてある黄色の布きれに目をとめたマァムは、スライムを抱き上げて急いでそれを解く。まだはしゃぎ足りなさそうなゴメちゃんがじっとしたがらないので苦労したが、布は比較的簡単に解くことが出来た。 「やっぱり……!」 広げてみて、マァムは確信する。 「これ、ポップが!? なんて書いてあるの!?」 顔をくっつけんばかりにダイがマァムの手元を覗き込み、尋ねてくる。自分の方が近くから見ているのになぜ聞くのだろうと疑問に思いながらも、村で目の弱ってきた老人や字の読めない子供に代わって字を読んでやることになれているマァムは、尋ねられるままにその文章を読み上げる。 『おれも、クロコダインのおっさんも無事だ。すぐに逃げだすから、心配すんな。 名前も宛先もないその短い手紙を読み終わったマァムとダイは、そろって、互いの顔を見合わせる。 だが――。 「ねえ、ダイ。どう、思う?」 この手紙の指示通りにするかどうか。 「ポップを助けに行こう!」 その返事の早さが、マァムには嬉しかった。マァム自身、そうしたいと思っていたのだから。 「でも、レオナ王女を探さなくていいの?」 ダイがパプニカのお姫様と友達で、彼女を助けるためにパプニカを目指していると言うのは、ポップから聞いたことだ。その時、ダイはひどくムキになっていたことからも、ダイにとってレオナが大切な存在だというのは見て取れた。 なのに、その目的を後回しにしてしまって大丈夫なのかと心配だったが、ダイは迷う様子もなく頷いた。 「レオナも心配だけど、ポップはもっと心配だよ。だって、ポップ、時々すごい無茶するんだもん」 「ピピーッ!」 その通りだ、と言わんばかりのタイミングで鳴いたゴメちゃんに、マァムは思わず笑ってしまう。この小さなスライムでさえ、どうやら同じ意見らしい。もっとも、マァムもその意見には同感だった。 心配するな、などと言われたぐらいでは全く安心できやしない。きちんとポップに会って無事を確かめなければ、気が治まらないだろう。ましてや、ポップが今どこにいるか、明確な手がかりが飛び込んできた今ならば尚更だ。 「賛成! じゃあ、ポップを助けにいきましょう。ゴメちゃん、案内してくれる?」 「ピッ!」 マァムの問いかけに、ゴメちゃんが目一杯気張った返事をした――。 《続く》 |