『もう一つの救済 15』 |
その部屋は、荒れ果てたまま時を止めていた。 もっとも、ヒュンケルは魔王の間の記憶などない。バルトスに行く場所を禁じられていた場所は元々多かったが、この部屋にはさらに特別だった。何があろうとも決して近づいてはならないと、厳しく言われていたからだ。 結局、幼い頃のヒュンケルは、結局一度もこの部屋に来たことはなかった。その影響か、大魔王バーンにこの城を授けられてからも、この部屋にはヒュンケルは近づこうともしなかった。 ハドラーに対して嫌悪感しか抱かないヒュンケルにしてみれば、彼の残して言った王座など何の興味もなかったし、何よりも地獄門に近づきたいとは思わなかった。 だが、思わぬ成り行きとは言え実際にアバンとハドラーが戦ったであろう場所を訪れるのは、意外にも感慨深い物があった。 (ここで、アバンは戦ったのか……) ここで激しい戦いが行われたのは一目で分かる。目に見える痕跡など皆無だった地獄門とは、どこまでも対照的だった。荒れ果てた魔王の間で、空席のままの王座をヒュンケルは険しい顔で睨み付けていた。 実際の話、ヒュンケルはそこに敵がいて欲しいとさえ思った。魔王でも、誰でも構わないから、この苛立ちをぶつけるに相応しい相手がいて欲しいと思う。 どうしても沈めることの出来ない苛立ちが、ヒュンケルの中に吹き荒れていた。何かを思いっきりぶち壊してやりたい衝動すら感じる。 「くそっ……!!」 気持ちが抑えきれず、ヒュンケルは拳で手近な壁に殴りつける。だが、そんなことで晴れるような容易い苛立ちではなかった。 (あの小僧め……!!) 怒りの矛先は、この苛立ちを招き寄せた魔法使いへと向けられる。 それぐらい、ポップの言葉はヒュンケルにとって大きなダメージを与えていた。 時間と共に落ち着くどころか、ますます怒りが増すばかりだ。 ポップの言葉は、返しのついた矢に似ている。 (バカな……、たかが、人間の小僧ではないか) 魔王軍には強力な魔法の使い手など、何人もいる。戦いの中でポップが使っていた魔法や、アバンが当時使っていた魔法でさえも軽く上回る魔法など、ヒュンケルはこれまでいくらでも見てきた。 だが、それらのどんな魔法よりも、ポップの使った魔法に脅威を感じる。 だが、それでいて、この効力はどういうことだろうか。 魔法すら使っていないのに、魔法以上の効力で他人の心に影響を与える魔法使いの少年――彼が、他の人間とはずいぶん違っていることを、ヒュンケルは認めざるを得なかった。 今まで、あんな人間になど会ったことはなかった。 他人に心を開くタイプとは言いがたいヒュンケルは、旅先で会った誰に対しても深い関心を抱いたりはしなかったし、また、通りすがりの人々も愛想の悪い無愛想な少年に積極的に関わろうとはしなかった。 一番深い関わりを持った人間はやはりアバンだったが、彼は穏やかでいつも笑顔を絶やさない男だった。めったにヒュンケルを叱りさえしない温厚な彼に、怒鳴りつけられた記憶などない。 それだけに、ヒュンケルにとってあんな風に、生の感情をぶつけて来る相手は初めてだった。 (全く、何のつもりであんなことを――) 冷静になって思い返せば、ポップにとっては意味のない討論だったはずだ。 当事者のヒュンケルならばともかく、15年前にここで何があろうとなかろうと、捕虜であるポップにとって意味のあることではない。 過去の真相が、彼にとって有利に働くわけでもないのだから。 ヒュンケル自身がそうだと信じていた事実とはかけ離れた『真相』は、受け入れがたい苦みに満ちていたのだから。 それをどう受け入れたものか、ヒュンケルは迷わずにはいられない。 それならば、ヒュンケルは頭からそれを嘘だと決めつけ、徹底抗戦の構えで否定し続けることができたものを。 『まぁ……、可哀想な子。でも、もう何も心配いらないわ、あなたはこれからは人間の世界で、ごく普通に、幸せに暮らせるのだから』 あれは、アバンと出会って間もない頃だっただろうか。やけにヒュンケルに同情して、やたらとそう繰り返していた女がいた。おそらくはアバンの仲間だったのだろう。 名前も顔も覚えていないが、確か、僧侶の女だったと記憶している。 だが、ヒュンケルはそれに大いに不満だった。 その女と一緒にいた戦士の男も、各段に口は悪かったが言っている内容は女と似たようなものだった。 『敵討ちだぁ? 復讐なんてやめておけよ。そんなことをしたって、後で後悔をするだけで何にもならねえよ』 今にして思えば、あの男女はヒュンケルに同情してくれていたのだろう。だが彼らは、頭っからヒュンケルの考えに否定的だった。 彼らが善意からそうしていたことは、今から思えば明白だ。だが、当時のヒュンケルは、彼らに徹底的に反抗した。 正義感を振りかざして親切を強要する彼らを、敵であるかのように反発し続けた。皮肉な話だが、彼らの善意からくる説得はヒュンケルの中の復讐心を寄り強め、決意を固めただけにすぎなかった。 だが――アバンは、二人とは違っていた。 だが、それでいてアバンは自分の考えを押しつけたりはしなかった。 仲間など要らないし、自分の力で自分を守れもしない奴など足手まといだと言い張った記憶は今も残っている。 師の教えにことごとく反発し、疑ってかかる意固地な生徒に、困った子だと苦笑しながらもアバンは正解を押しつけたことはなかった。いつでも自分で考えてみなさいとばかりに、ヒュンケル自身に解答を探させる余地を与えてくれた。 正義がこれだと押しつけられるのも気に入らなかったが、正解を知っていながら敢えて教えず、高い場所から見下ろしているかのようなアバンのその態度もまた、当時のヒュンケルには苛立ちの的だったものだが。 それでも、アバンがヒュンケルに自分で正解をみつけさせようことは間違いはない。 ポップは言いたいことを言いまくったくせに、ヒュンケルにどうしろとは言わなかった。分からないことは分からないと言い、疑問だけを投げかけてそのまま気絶してしまった。 本人にその意図があったかどうか定かではないが、いつの間にかヒュンケルは自分自身で投げかけられた疑問の答えを探してしまっている。 ポップの思惑に乗せられたようで面白くなかったが、それでもヒュンケルが考えずにはいられなかった。 『なぁ……、不死系怪物って……いつ死ぬんだ?』 不死系怪物は、一度死して蘇ってきた怪物の総称だ。 ダメージによっては復活まで時間がかかるかも知れないが、基本的に不死系怪物の肉体は強い再生能力を持っている。 だが、決して彼らは文字通りの不死であるわけではない。死んだ魂を、術者の魔力によって死体に無理矢理つなぎ止め、活動を可能にしているだけの話だ。 それゆえ、不死系怪物は彼らを死の底から呼び戻した召還者と強い繋がりを持っている。肉体的なダメージには強い不死系怪物達も、召還者の命が亡くなれば同じ運命を辿ることになる。 つまり、不死系怪物にとって真の死は、召還者の死によって訪れることになる。 (あいつは、何を言おうとしていたんだ……!?) 分かりそうで分からない苛立ちが、ヒュンケルの中で揺れ動く。 これまでは、ヒュンケルに迷いなどなかった。 バルトスはアバンのとの戦いに破れて鍵を奪われた後、主君であるハドラーの死により完全に命を失い、崩れ去った……ヒュンケルはずっとそう思っていた。 だが、ポップは戦いがなかった事実を指摘した。その指摘は、ヒュンケルの恨みを根柢から揺るがした。 固い岩盤と信じて砦を築いた後で、その土台が波に攫われる砂地だったと知 (時間が不自然じゃなかったか、だと……? バカな、そんなはずは……) そんなはずはないと言い返したいと思うのに、それを言えるだけの根拠がヒュンケルにはなかった。 あの日、魔王の断末魔の叫びを聞いたのは確かに覚えている。その後、急に城が静まりかえり、それをきっかけにヒュンケルは隠し部屋を飛び出した。矢も盾もたまらず、とにかく父が心配で地獄門へと向かったあの時――どれぐらいの時間がかかったのだろうか? それはいくら思い出そうとしても、はっきりとしない。 思えば、あの時には、すでに魔王城はがらんとしていたような気もする。 (あの時……すでに、父以外のゾンビは死んだ後だったのか?) そう思ってから、ヒュンケルは顔をしかめる。 そもそも、怪物達の存在がいなかった原因が、魔王の死のせいか、それとも勇者達の活躍のせいだったのかさえ、今となっては分からない。 ヒュンケルが確実に言えるのは、バルトスの最後の言葉を聞き取るのに間にあったことだけだ。その後で崩れ去ったバルトスの前で泣き出したヒュンケルの前に、アバンが現れた――。 (父の死が、例外的に遅かったのか? いや、それともオレが思っていたよりも、時間が経ってからのことだったのか?) いくら思い出そうとしても、混乱は強まるばかりだった。 なにしろ子供の頃の記憶だ、きちんと思い出そうとしてもそれは不可能だった。 『でも、ハドラーは生きているのに、変じゃないか?』 その事実を、ヒュンケルは今まではさして問題にしてはいなかった。 思えば、アバンがバルトスと戦ったかどうかは、ある意味ではどうでもいいとも言える。もし、そこでアバンがバルトスをバラバラに打ち砕いたとしても、ハドラーが生きている限りバルトスは復活しただろうから。 言ってみれば、アバンがバルトスと戦おうが戦うまいが、運命は変わらない。 だからこそ、ヒュンケルはハドラー以上にアバンを憎んだ。 だからこそ、ヒュンケルはアバンを殺せば復讐を果たせると信じていた。その後で、まだ気が済まないのならハドラーも倒せばいい……それが正しいと信じていたのだ。 なのに、ポップの言葉を聞いてからと言うものの、自分でも不思議なほどに引っかかる。何が引っかかるのか分からないまま、苛立ちだけが強まっていく。 (くそぉ……っ、何が変だと言うんだ!? あいつは、いったい何を言おうとした――?) もう、気にならない振りを貫くこともできなかった。 それは、形になりきっていないジグソーパズルに対する苛立ちに近い。全てのピースはそろっているはずなのに、組み合わせ方がうまくいかないせいで全体像が分からず、バラバラのままだ。 もう少しで見えてきそうで、見えないものほど、人を惹きつけるものはない。 古い扉を見ただけで15年前の真相を悟ったあの魔法使いの少年は、どうやら見た目以上の頭脳を持っているらしい。悔しいが、彼の目にはすでに見えていたのだろう。 全てのピースを組み合わせた結果、導き出される15年前の真実が。 その苛立ちのまま、ヒュンケルが踵を返そうかと思った時のことだった。聞き慣れた鈴の音が響いてきたのは。 ゆっくりと鳴るその鈴の主は、放っておいてもヒュンケルの側へとやってくるだろう。だが、それさえ待ちきれず、ヒュンケルは自分から王間を出ていく。 そのせいで、ちょうど地獄門の所でヒュンケルはモルグと危うくぶつかりそうになった。 「おっと、これはヒュンケル様。お急ぎのご様子ですが、いったい……」 「あの魔法使いは、どこだ。地下牢か?」 言葉を遮って性急に質問をぶつけると、モルグはなぜか戸惑うように視線を左右へと泳がせた。 「え。え、ええ、お言いつけ通りに、見張りをつけて閉じ込めてありますが」 「そうか」 短く頷き、ヒュンケルは地下牢へ向かおうとした。 「で、ですが、あの子供は気を失ったままですが。あの様子では、当分目覚めないかと思います、はい。わざわざ様子を見に行くには、及ばないかと……っ」 「別に、様子を見に行くわけではない。用があるだけだ」 「し、しかしですな、何度も言うようですが、あの子は完全に気絶していて、目を覚ます気配がないのですよ?」 いつになく焦った様子でそう言うモルグの様子に、疑問を感じないわけではなかった。 基本的に、不死系怪物は自分の意思が薄い。 モルグは不死系怪物の割にはかなり人間味が強く、自主的な行動もとれる方とは言え、こんな風にあからさまにヒュンケルに逆らう素振りを見せるは初めてだった。 常にヒュンケルに対して忠実なこの不死執事は、どんな時も主には従順に振る舞うのが常だったのだから。それだけに、物珍しさにヒュンケルは思わず足を止めていた。 もし、これが他の不死系怪物がそうしたのならば、ヒュンケルは邪魔をされたことに苛立ち、強引に自分の意思を押し通しただろう。 しかし、モルグはヒュンケルにとっては第一と呼んでも差し支えのない部下だ。意思を持たない他の不死系怪物と同列に扱ったことはない。それに――もう一つ、ヒュンケルにはモルグを特別扱いする理由があった。 (そういえば、あの魔法使いはこいつに向かって質問をぶつけていたな……) ポップが何のつもりでそうしたのかは分からないが、モルグが動揺を見せたのはヒュンケルも覚えている。 「――ならば、おまえでもいい」 「は?」 戸惑うような様子を見せるモルグに、ヒュンケルは重ねて言った。 「オレはあの小僧に、いくつか尋ねたいことがある。おまえがそれに答えられるというのなら、別にあいつでなくともいい」 その言葉を聞いて、モルグは幾度も一つしかない目を瞬かせた。それから、ためらうように恐る恐ると問い返してくる。 「それは……ご命令でしょうか?」 妙なことを確認するものだと思いながらも、ヒュンケルは頷いた。 「ああ、不死騎団長として命じる」 それは、ヒュンケルとしては日常で使うありきたりの言葉の一つに過ぎなかった。不死系怪物達がなかなか言うことを聞かない時に、六団長の名にかけて命じるといいと教えてくれたのは他ならぬモルグ自身だったのだから。 なのにその命令を聞いて、呼吸をしていないはずの不死執事は大きくため息をつく。それはひどく深々とした、やけに人間味を感じさせるため息だった。 「……ご命令とあれば、従わない訳にはいきませんな。どうぞ、なんなりとご質問くださいませ」 《続く》 |