『もう一つの救済 16』 |
「それで、私は何にお答えすればよろしいのでしょうか」 そう尋ねるモルグの声は、いつもと同じように落ち着き払って丁寧なものだった。だが、それでいてどこかしらの違和感を覚えたのは、ヒュンケルが彼をよく知っているからこそだ。 並の不死系怪物は感情をほとんど持たないため、どんな命令を受けたとしても特に反応を見せはしない。たとえヒュンケルが感情任せに矛盾した命令を出したとしても、彼らは疑問を感じた様子もなく、ただ命令にそのまま従うだけだ。 だが、モルグは精神的には人間に近い。 だが、今のモルグにはそんな拗ねた態度や、慌てた様子などは微塵も感じさせない。 ついさっきまで、ポップのことを気にしてかオタオタしていたのが嘘のように、開き直った態度を見せる執事に疑問を抱かないわけではなかった。しかし、その疑問は先ほどポップが残していった疑惑の数々に比べれば、昼間の月のように薄く感じられる。 一番、胸に強くこみ上げる疑問を、ヒュンケルはそのままモルグにぶつけた。 「――あの魔法使いの質問に、おまえならなんと答えた?」 あの時、ポップは真っ直ぐにモルグを見ながら疑問を口にしていた。 あそこで力尽きなければ、ポップはきっとヒュンケルに対してそうしたように、モルグに対しても自分の推理を突きつけ、真相を暴き立てていただろう。 相手が動揺しようと激高しようとお構いなしに言いたいことを言い放ち、いつの間にか自分のペースへと巻き込んでいく話術を、ポップは持ち合わせている。 だが、ヒュンケルはポップではない。 続けざまに疑問をぶつけることも、自分なりの考えを話すこともなく、だが、決して答えを聞かずには済まさないぞと言わんばかりの絶対の気迫を秘めたまま、ヒュンケルはモルグを睨み続ける。 その待ち時間をヒュンケルはずいぶんと長いもののように感じたが、実際にはそう長くもなかったのだろう。 「さようでございますな……ヒュンケル様もご存じかも知れませんが、我々のような不死の怪物は、生前の記憶はほとんど持っておりません」 訥々と話し出したモルグの言葉は、ヒュンケルが望んでいた答えとはずいぶんかけ離れているようだったが、敢えて遮らなかった。 そして、それは掛け値なしの事実でもある。 不死の怪物達は不死身に近い肉体を得る代償のように、決まって過去の記憶に問題が生じる。身体に刻み込んだ技術や専門的な知識は残っているが、不死者達は生前の自分自身の過去については、ほとんどと言っていい程何も思い出せなくなるものだ。 「私もそうです。 モルグの一つしかない目が、ふとヒュンケルから離れて虚空を彷徨う。それは、ひどく遠くを見つめているかのような目つきだった。 「私には、家族がおりました。それも、おそらく……子供が、いたはずです」 「……!!」 モルグの言葉に、ヒュンケルは思わず息を飲んでいた。 モルグが人間の子供に対して、妙に思い入れがあるというかやけに親切なことに、ヒュンケルはずいぶん前から気がついていた。だが、その理由までは考えていなかった自分の薄情さに、ヒュンケルは今更のように驚く。 だが、思えばそれはもっと早く気がついても何の不思議もないことだった。 「小さな手を、覚えています。抱き上げた子供の身体の軽さと、暖かさを覚えております。 静かな口調が、胸に染みいるようだった。 「ですから――私ならば……、子供のためならば鍵を渡してしまうかもしれませんな」 独り言のようなその言葉を聞いて一拍以上置いてから、ヒュンケルはやっとその言葉こそが質問に対しての答えなのだと気がついた。 そう――ポップは言った。 それに対するモルグの答えなのだと気がついた後で、ヒュンケルは心臓が奇妙にざわめくのを感じた。 「父も……そうだったというのか?」 そう尋ね返す声が、かすかに震える。 だからこそ、バルトスが戦いもせずに自ら敵に鍵を差し出すなんてあり得ないと思っていた。主君に対して深い忠誠を誓い、それを貫こうとしていたバルトスが、その志を曲げてまで大切に思うものがあるはずがないと、疑う余地すらない程に信じることができた。 しかし、今のモルグの言葉はヒュンケルが今まで抱いていた前提を、軽々と覆すものだった。 その上、この言葉にはヒュンケルは反論しきれない。 しかし、バルトスがなによりも大切にしていたのが、任務以上に自分だったと――その言葉に、どうして反論することができるだろう? そんなことが、できるわけがなかった。 「それは……分かりませんな。言ったはずです、これはあくまで私の場合の話ですから。バルトス様がどのようなおつもりだったのか、私などには分かりかねます。 動揺するヒュンケルに対して、モルグはどこまでも穏やかな口調で語る。それは、聞いている者の心を和ませる暖かさがあった。ヒュンケルでさえその暖かさに流されかけたが、引っかかるものがあった。 「待て……! モルグ、おまえは……父を知っているのか?」 ヒュンケルの生い立ちだけなら、モルグが知っていてもさして不思議ではない。幼い頃、ミストバーンに拾われた時、ヒュンケルは問われるままに自分の身の上をミストバーンへと語った。 モルグは、そのミストバーンから与えられた部下の一人だ。二年前にヒュンケルが軍団長に就任して地底魔城を拝領した際、城を維持するためには専門の役割を持つ者も必要だろうと言われ、モルグが与えられた。 モルグは戦闘力よりも家政能力に優れているため、身近に置いて身の回りの世話を言いつけるようにと寄越された執事だ。だからこそヒュンケルの簡単な生い立ちを知っていても、別に不思議とは思わなかった。 だが、今のモルグの言葉には懐かしさに溢れていた。単に伝聞で知っただけとは思えない熱意の込められた言葉を、今のヒュンケルは聞き逃さなかった。 細かな矛盾も見逃さず、真相を暴き立てたあの魔法使いの少年の精神は、明らかにヒュンケルに影響を与えている。彼の精神が移ったかのように、今のヒュンケルには以前は見逃していたことに目をとめることができた。 思えば、あの寡黙で余計なことなど口にしないミストバーンが、不死系怪物やヒュンケルに対してわざわざそんな気遣いをするとは思えない。そのことに、ヒュンケルは今更のように気がついた。 「ああ、やっとそれをお聞きになりましたな。いつかはそれを聞かれるのではないかと、ずっと恐れておりました。 困った様に首を左右に振った後、モルグは慇懃に頭を下げる。 「存じておりますとも。私は――ずっと以前……まだこの城がハドラー様の居城だった頃から、この城にいたのですから。この城で最高の騎士であり、門番だったバルトス様は我々のような者にとっては憧れの存在でした」 「この城にいた……だと!?」 思わず、ヒュンケルは目を見張る。 「それは、本当なのか……?」 「はい。ヒュンケル様、あなたにご記憶にはないのも無理もないことでしょうが、私は幼いあなたとお会いしたこともございます。 (オレが、希望だっただと?) あまりにも今の自分に似つかわしくない言葉に、ヒュンケルは戸惑わずにはいられない。 怪物しかいない城だったが、あの頃に出会った怪物達はヒュンケルに対して常に優しかった記憶がある。思えば人間の子供など厄介なだけだっただろうに、バルトスだけでなく他の多くの怪物達が協力してヒュンケルの養育に力を貸してくれていた。 世界を席巻し、人間を支配しようと目論む魔王ハドラーにとっては人間の子供が自城いること自体が不快であっただろう。成長して魔王軍で暮らすようになってから、ヒュンケルは身をもって人間を忌み嫌い、隙あらば痛めつけようと考える魔族の多さを知った。 人間が花を見れば摘みたがるように、何の悪気もなく人間の命を摘み取る魔族は一定数以上いるものだ。しかし、幼い頃のヒュンケルはそんなことさえ知らなかった。 幼いヒュンケルの出会った怪物達はみんな親切であり、優しい者ばかりだった。 「二年前に再びお会いできた時は、本当に驚きました。まさか、あの時の幼子が生き延びておられたとは……」 しみじみと語るモルグの言葉は、到底嘘とは思えなかった。何より、ヒュンケルは覚えている。 幼い頃の出会いは覚えていないとは言え、ミストバーンの紹介でモルグと初めて引き合わされた時、この不死系怪物がやけに驚いたような様子を見せたのは印象に残っていた。 だが、それは単に人間が不死騎団長という地位に就いたことへの驚きだと思い、深く考えもしなかった。その後も、幾度かこの執事が妙に自分に対して過保護というか、子供扱いをするように感じたこともあった。慣れ慣れしく自分に話しかけてくることすら、疑問として認識していなかったのだ。 もし、ポップがいたのなら見逃さずに変だと言いそうなそれらの細かな疑問点を、ヒュンケルは今まで疑問として自覚さえせず、見逃し続けていた。 「なぜ、今までそれを言わなかった!?」 親しみを感じている相手だからこそ、許しがたいこともある。 ポップへ対するものとは違う怒りに身を震わせるヒュンケルを前にして、モルグはなんら恐れる様子は見せなかった。 「……聞かれませんでしたので」 「ふざけるな!」 「滅相もない、そんなつもりなど毛頭ございません。ご不快にさせてしまったのなら、お詫びいたします。ですが――私は立場上、聞かれもしないことに答えるわけにはいかないのです。 「オレはそんな命令など、出した覚えなど――」 ない、と言い切ろうとして、そこで言葉を途切れさえたのは思い出したせいだった。 「お忘れですか。我々不死系怪物は、主の……召還者の命令には抗えません」 諦めきったような口調で、モルグは憂鬱に呟く。 ヒュンケルの脳裏に、白いマントで顔も身体までも覆い隠した男の姿が浮かぶ。 「まさか……ミストバーンの命令か!?」 叫ぶようなヒュンケルの声を聞いて、ただでさえいいとは言いがたいモルグの顔が尚更沈んだものへと変わる。そして、彼は深いため息と共に肯定の言葉を吐き出した。 「……はい。その通りでございます。 そこまで言ってから、モルグは一瞬だけ顔をしかめた。 もし、彼が人間であったのなら、大丈夫かと声をかけて背の一つも擦っていただろう。実際、相手が不死系怪物だと知っていながら、ヒュンケルは手を伸ばしかけていた。 「いいえ、ご心配なく。それより……、その命令もお聞きになりたい、ですか?」 その質問に対しての答えは、否だった。興味がないでもないが、ひどく苦しそうなモルグに敢えて聞きたいとは思わない。 「お聞きになりたい、ですよね?」 自分をじっと見上げるその目を見て、ようやくヒュンケルは悟った。 (そうか、こいつは呪縛されていたのか――!!) 高位の魔族の中には、自分の支配する魔族に対して絶対の強制力を発揮出来る者がいる。一定の命令に従わなければ相手に苦痛を与えるタイプの呪縛は、呪いの定番だ。 ましてや不死系怪物に呪縛を与えるのは、簡単だろう。なにしろ、不死系怪物は召還者の魔法力によってこの世に舞い戻ってきた存在だ。言うことに逆らうのなら、その魔法力を断つと脅せば従順にならざるを得ない。 モルグにかけられている呪いがどんなものか、魔法に疎いヒュンケルには分からないが、それでも今、彼が口にしようとしていることが呪いに抵触しかけていることは分かる。 なのに、それでも苦痛を承知で自分に何かを伝えたがっているモルグを、ヒュンケルは無碍にはできなかった。 「ああ。命令だ、話せ」 命じると、モルグはフッと表情を緩ませる。 「ありがとうございます……、では、お答えします。 「――――――!!」 その言葉に、ヒュンケルは改めて背筋が震える感覚を味わう。 『……これは、役に立つ男だ……。何か聞きたいことがあれば、こいつに聞けばいい……』 師の姿と言葉を、ヒュンケルは今こそはっきりと思い出した。 自力で生き延びられない者になど興味はないとばかりに、徹底した放任で突き放した。ヒュンケルもまた、その放任に実力で応えた。自分の始末は自分でつけられるようになってから久しかったし、執事など無意味な存在だと思っていた。 だが、強いて断る程の拘りもなかったから側に置いていた執事――その真の目的が、自分への監視役だった。 ミストバーン――師と仰いで、確かに彼には戦い方を習った。だが、彼に心を許した覚えも、信用した覚えもない。むしろ、疑ってかかってさえいた。 だが、それは思えば、どこまでもミストバーンらしい命令ではあった。 「…………ヒュンケル様……それでも、お聞きになるのですか?」 途切れがちの声で、モルグが再度問う。 「あなたのご質問ならば、お答えします……それが、命令ですので。
そもそも、現在の時刻は夜分だ。深夜と言えるほど遅くはないが、恋人ならばともかく知人程度への訪問にはすでに遅い時間と言える。そんな時間に連絡もなしに突然押しかけてきた来客など、迷惑なこと極まりないだろう。 だが、やってきた来客は神経が図太いにも程があった。 「――と、いうわけですのじゃ。 そう言って、意味ありげに目をギラリと輝かせたのは、妖魔司教ザボエラだった――。 《続く》 |