『もう一つの救済 17』 |
「あやつがクロコダインを匿っているというのか。うむ……だが、それだけでは謀反の明らかな証拠とは言えまい」 苦りきった顔で、ハドラーはそう言うしかなかった。 が、妥当な判断に対して、ザボエラは不服とばかりに盛大に噛みついてきた。 「何を言うのですか、クロコダインめは脱走者ですぞ!! なのに、その脱走者を捕らえておきながらぬけぬけと知らぬと言い切り、素知らぬ顔で匿っているとは、何か企みがあるに決まっております!」 手足を振り回し、唾を飛ばして力説するザボエラに、ハドラーは辟易とした表情を隠しもしなかった。 確かに、ザボエラの言い分にも一理はある。 そして、軍隊では脱走ほど重い罪はない。どこの国の軍律でも、敵前逃亡は問答無用で重罪扱いになる。その意味では、クロコダインは魔王軍のお尋ね者と言ってもいい。 だが、ハドラーは事をそこまで荒立てる気はない。 クロコダインがダイに敗北したことを残念には思っているが、だからといってそれだけで即座に彼を処分する気はハドラーには最初からなかった。 どんな事情でクロコダインが脱走じみた真似をしたのか分からないが、彼がおとなしく戻ってくるようならばこの件は不問にしても良い――そう考えているハドラーにとっては、クロコダインの脱走を口実にヒュンケルを処断するわけにはいかない。 だが、ヒュンケルのついでにクロコダインも地位から引きずり落としたいと考えているザボエラにとって、この状況は魅力的なのだろう。ザボエラはひどく熱心に訴えてくる。 「それにですな、あのヒュンケルめが寝返る目論見を示す証拠ならば、他にもありますわい。あの若造はですな、アバンの使徒を地底魔城に引き入れて匿っておったのですぞ! これ以上はないという得意顔で、ザボエラはとっておきの切り札とばかりにその情報をひけらかす。 「……そんな報告は受けておらんが」 ザボエラの報告などに必要以上の反応を見せたくはないと思っていたハドラーだったが、声の端々に不機嫌さが滲むのを止められなかった。 ハドラーは最高指令官の権限として、ダイの討伐を最優先とせよという命令を全軍に放った。 ダイを抹殺するための手がかりや手段を確保したのならば、その時点で報告の一言があってしかるべきだ。 ダイの仲間であり、アバンの弟子の一人でもある魔法使いの少年ことはハドラーも記憶している。正直な話、ダイとは比べものにならない雑魚という印象しかないが、ダイの仲間だというのなら人質の役には十分だ。それなりの利用価値はある。 なのに、それを報告さえしようとしないヒュンケルの行為は、ハドラーには越権行為とさえ思えてそれだけで不快だ。 「そう、ハドラー様に無断でですぞ! おまけに、あやつはそのアバンの使徒を自由に城内で歩かせ、あまつさえ庇ってさえおったんですぞ!」 声高に主張するザボエラは、意図的に情報をいくつか伏せていた。 あの場の状況から見て、捕虜として捕らえたポップが勝手に逃げ出していただけなことはとっくに承知していたし、ヒュンケルが彼を庇ったのも自分の捕虜に対する執着心だったと解釈している。 しかし、ザボエラはほぼ真相に近い正確な推理をしておきながら、意図的に自分にとって都合のいい事実だけを口にしてハドラーを自分の都合のいい方向へ誘導しようとする。 「今は栄光ある魔王軍の一員とは言え、あやつも所詮はただの人間……いくらアバンを憎んでいたとしても、そこはそれ、同じ兄弟弟子同士で通じ合う物があるやもしれません。 クロコダインめのこともありますし、あやつの増長をこのまま見逃しておいてよろしいものですかな……? 失礼ながら、ハドラー様の威信に関わってくるのでは?」 もったいぶってそこで一息を置くザボエラは、どこか挑発的にハドラーを見上げてくる。 それを忌々しく思いながら、ハドラーは腕を組む。 ハドラーにとっても、ヒュンケルは目障り極まりない存在だ。剣の腕が多少立つのは認めるが、どうにも気に入らない相手だ。それはヒュンケルも同じようで、アバンの弟子だったというあの男は、常に射るような目でハドラーを睨み付けてくる。 いつ、謀反を犯してもおかしくはないその目つきや反抗心が、気に入らない。 ただでさえ魔王軍の幹部に人間が存在することを面白く思わない者がいるのだ、そんな連中はヒュンケルだけでなく、ヒュンケルを配下としているハドラーさえ軽んじかねない。 自分の力を見せつけるためにも、ここでヒュンケルに厳しい処罰を与えたい気持ちはある。 だが、ヒュンケルは大魔王バーンが気に入って直々に魔王軍へと招いた男だ。バーンに無断でヒュンケルを討伐することは、大魔王の不興を買うようなものだ。 魔王としての矜持と、大魔王バーンの機嫌――その二つの天秤の傾き具合に迷うハドラーに対して、ザボエラは笑みを抑えきれなかった。 (ケケケッ、ここでハドラーめが怒ってヒュンケルを抹殺すれば良し、さらにそれでバーン様がお怒りになってハドラーを処分すれば、ワシにとっては万々歳じゃ!) ザボエラにとってはヒュンケルやクロコダインだけでなく、ハドラーも追い落とす対象であり、目障りな存在だ。うまく口先一つで操って、全員が共倒れになればザボエラにとってこれ以上の幸運はない。 その内心に気づかれないようにと、ザボエラは必要以上に卑屈に媚びてみせるのを忘れなかった。 「何を迷っておられるのですか、ハドラー様? あなた様ならば、あんな小生意気な若造など簡単に始末できるでしょうに」 手をすりあわせんばかりにそう言うザボエラに対して、ハドラーは腕を組んだまま沈黙を保つ。 「……!?」 瞬きを一つした後、ハドラーが、そしてワンテンポ遅れてからザボエラが驚愕に目を見張る。 「げええっ、ミストバーンッ!?」 驚きのあまり叫び、腰まで抜かさんばかりにザボエラに比べて、ハドラーの驚きは少なかった。 確かに不意に虚空から姿を現したことには驚いたが、それはミストバーンの得意技だ。実体などないかのような空虚な相貌を持つこの男は、何の気配も前触れもなくいきなりふいっと現れる術に長けている。 だからこそ、ハドラーは彼の出現に対しての驚きは最小限しか感じなかった。 それよりも驚異を感じるのは、その目的の方だ。 その弟子を抹殺するための密談を交わしている最中に、突如現れた師の存在にさすがのハドラーも冷や汗を隠せない。 大魔王バーンの片腕であると自他ともに認めているこの男に対しては、ヒュンケル以上に慎重に接する必要がある。だがそれでも、礼を尽くす気にまでなれないのは魔王としての矜持というものか。 「何用だ……!?」 ザボエラと違い、怯えを全く感じさせずに、相手の無礼を暗に咎めるかのように相手を一瞥するハドラーには、魔王の風格というものが確かにあった。 「…………バーン様からのご命令を、伝える――」
言葉を待ちながらも、決して急かそうとしないモルグを見下ろしながら、ヒュンケルは自問自答する。 明らかな迷いが、ヒュンケルの中に生じていた。 アバンの死を聞いて失望を感じても、その復讐心は消えはしなかった。アバンの意志を継ぐ弟子達がいると聞き、ならば彼らを殺せばいいと考えていた。 復讐だけを考えている間は、何も考えなくても良かった。だが、15年前に何が起こったか知りたいと望んだ途端、迷いが生まれ、世界は複雑化した。 この迷いを抱えたまま、自分はそれでも魔王軍にとどまりたいのか――そう自分に問いかけてから、ヒュンケルはそれに即答できない自分に気がついた。 「……もう、下がっていい」 不安そうに自分を見上げているモルグに向かい、ヒュンケルは短く命令を下した。 それは、真相に対して興味を失ったからではない。むしろ、過去を知りたいという思いは一層強まっている。 ミストバーンの教えを受けたヒュンケルは、彼の性格を熟知している。ミストバーンは寡黙で余計なことは一切言わない男であり、常に用意周到で先々のことまで考えて手を打ってくる男だ。 その男が、バルトスの死の真相に対してここまで入念に気を遣っているという事実は、ヒュンケルに否応なく真相の一部を思い知らせてくれる。 おそらく――いや、確実に、バルトスの死はヒュンケルが思っていた通りではなかったのだ。真相を知れば、ヒュンケルが心変わりしかねない秘密が隠されていると今こそ確信できる。 そして、ミストバーンは配下の命など手駒の一つとしか思わない男でもある。 ミストバーンがモルグに監視の役割も与えていたのならば、これ以上の質問は無意味なだけでなく、危険だ。あの慎重なミストバーンが、真相を下っ端の監視人に与えているとも思えない以上、これ以上真相に踏み込むともなればヒュンケルだけでなくモルグにとっても命取りになりかねない。 たとえ自分につけられた監視人であろうとも、人の良い執事を失いたいとはヒュンケルは思わない。だからこそヒュンケルはこれ以上、彼を苦しめるような質問をする気はなくなった。 「さようでございますか……」 そう呟くモルグが、ホッとしたような、それでいてどこか残念そうな顔で一礼し、その場を去ろうとする。普段よりも一回り小さく見えるその背に、ヒュンケルは声をかけた。 その呼び止めに、モルグが緊張するのが分かる。 「一つだけ、聞いておきたい。不死系の怪物にとって、想い出とはなんだ?」 唐突な質問に、モルグが不思議そうな表情を見せる。なぜ、そんなことを聞くのか分からない……そんな顔だ。 『ヒュンケル……想い出を……あ…り…が…とう……』 途切れ途切れの言葉で、やっとのように告げたその言葉を、ヒュンケルは未だに忘れられない。 だが、それなのにヒュンケルは父の遺志を理解できなかった。 父がその言葉に何を託したかったのか。 同じ不死系怪物ならば、何か分かるかも知れない――そんな風に思ったのも、今日が初めてだった。 「我々にとって想い出は、この上ない宝、です」 人の良い不死執事は、主人の唐突な問いに疑問を差し挟むことなく、きっぱりと答えた。 「かすかで朧気なものであっても、想い出というものは大切なものです。それがあるかないかで、不死者の心は大きく違ってくるものですよ。 私の経験上、意思を残す不死者とは、決まって想い出を持っている者です。それが暖かいものであれ、辛いものであれ、心に残る想い出こそが意思を繋ぎ止めるよすがになってくれる――そう言うものだと、私は思っています」 その質問はさっきまでの問いかけに比べれば、危険度はずっと低い物なのか、迷いも感じられない。また、バルトスの最後の言葉を知らないモルグにとっては、バルトスを意識しながら話すことでもないせいだろう、その言葉は自然で穏やかなものだった。 切々と語るモルグのその言葉を、ヒュンケルは無言のまま聞いた後で、小さく頷いた。 「……そうか。ご苦労だったな、モルグ。今度こそ下がっていいぞ」 それだけを言い残し、ヒュンケルはその場を立ち去った――。
体中の傷もずいぶんと薄れたのか、最初の時に半ば標本じみて見えていた時とは違って今にも目を開けそうなほど回復しているように見えた。 「ヒュンケルか……何か、話でもあるのか」 そう話しかけられてから、ヒュンケルは初めて気がついたように返事をする。 「ああ……、そうかもしれんな」 自室に戻って休んでも良かったのに、ヒュンケルはなんとなくクロコダインの様子を見たいという欲求を感じてここまで来た。それは、獣王と話してみたかったからかもしれないと、ヒュンケルは今更のように気がつく。 そして、そんな自分に驚いてもいた。 いくら腕が立つとは言え、ヒュンケルが魔王軍幹部と認められたのは、大魔王バーンの命令があるからこそだと彼は知っていた。 ヒュンケル自身を認めているからではなく、彼の後ろ盾である大魔王バーンに阿って表面上は仲間と取り繕って接しているだけだと、ずっと前から気がついていた。 他のメンバーと違ってクロコダインはヒュンケルに対し差別的な発言をすることはなかったが、だからといって気を許せる相手でもなかったはずだ。 「ちょうどよかった、オレもおまえに礼を言っておかなければならんと思っていたところだ。 正面切っての感謝の言葉に、ヒュンケルはどう反応していい物か分からずに戸惑わずにはいられない。確かに彼を助けるようにと命令はしたものの、そもそもクロコダインに瀕死の重傷を負わせたのはヒュンケル自身なのだから。 しかし、クロコダインはそんなことなど微塵も気にした様子も見せない。彼が気にかけているのは、別なことだった。 「しかし……、助けてもらっておいてこう言うのも何だが、大丈夫なのか? クロコダインが言ったのはそれだけだが、彼が言外に込めた意味合いは通じる。 「無用な心配だ」 元々、ヒュンケルは魔王軍に忠誠を誓った覚えなどない。その上、ミストバーンが自分を全く信頼せずに監視をつけていたと知った今、魔王軍での自分の立場など考える意味などない。 「それを言うのなら、おまえこそ魔王軍を裏切った後悔はないのか」 「ないな」 一拍の間も置かず、力強い答えが返ってきた。 「オレは、間違っていた……ならば、それを正したい。間違いの先に続く道に、意味があるとは思えんからな。 力強く、揺るぎのない言葉だった。 間違いを、正す。 ましてやこれまで自分の歩いていた道を間違いだったと認め投げ捨てるのには、相当以上の勇気と覚悟が必要になる。その上、クロコダインの場合はまさに命がけの行為になるだろう。 大魔王バーンは寛大ではあるが、峻烈な王だ。 そして、その畏敬の念はクロコダインの心を動かした勇者一行にも向けられる。 「あいつ――勇者ダイには、そんな力もあったのか」 アバンへの恨みに凝り固まって偏見が強かったとは言え、ヒュンケルの目にはダイはただの子供にしか見えなかった。確かに剣の振るい方にはたぐいまれな素質を感じたものの、戦いをためらうような甘さも感じられたし、総合的には高い評価を与える気にはならなかった。 それは自分の目のなさかと思うヒュンケルだったが、クロコダインは意外にも首を横に振った。 「いや。確かにダイの力がなかったとは言わないが……オレの目をぬぐってくれたのは、ポップだ」 ひょんなところで出てきた名に、ヒュンケルは思わず息を飲む。 「あいつはすごい奴だ。 ……あいつの言葉は、忘れられん。全く、あんな人間に会ったのは初めてだったよ」 どこか苦笑するような、暖かみのある太い笑みが獣王の口元に浮かぶ。ごくかすかなその笑みに釣られるように、ヒュンケルもまた、同じような表情を浮かべていた。 「ああ……、クロコダイン。オレも同感だな」 考えるよりも早く、するりと同意の言葉がこぼれる。 今や、ヒュンケルはクロコダインの言葉を疑う気はかけらもなかった。詳しく聞かなくても、それが真実だと確信できる。 ヒュンケルに対しても、ポップは同じ態度を取ったのだから。 ダイやマァムのようにヒュンケルの境遇に同情することもなかった目は、15年という年月さえ物ともせずにしっかりと真相を見抜いた。そして、ポップが心から叫んだ言葉には、魔法のような力があった。 長い間閉ざしていたヒュンケルの心の扉を解き放ったのは、紛れもなくポップだ。 「あいつは、確かにたいした奴だ」 本人に面と向かっては言えない言葉を、ヒュンケルはクロコダインに向かって呟く。 同じ気持ちを味わったはずのこの獣王となら分かり合えると、今なら思える。その思いが生まれた今ならば、自分をとめようとしたクロコダインの言葉が違った意味となって思い出せる。 人間は素晴らしいと言い、考え直せと涙ながらに訴えてきたクロコダインの言葉が、遅れて今になってから届いた気分だった――。
余韻に浸るように沈黙していた時間を破るように、クロコダインがそう言いかける。 激しい、突き上げるような縦揺れが地底魔城を襲う。頑強なはずの蘇生装置でさえ、危うく壊れ兼ねない程の激しい揺れに、さすがのヒュンケルもよろめいた。 「な、なんだ!?」 驚いたクロコダインの太い声すら掻き消したのは、大きな鐘の音だった。大きな教会にある巨大な鐘の音を間近で聞いたかのように、その音は耳に大きく鳴り響く。 悲鳴を思わせるけたたましさで、鐘の音は何度も何度も繰り返して地底魔城中に鳴り響いていた――。 《続く》 |