『もう一つの救済 18』 |
「あそこね……!」 緊張した面持ちで、マァムは小声で呟く。 だが、地底魔城の入り口と思しき場所が、ぽっかりと明るく見えるのは、中で照らしている明かりが漏れているせいだ。その余波で、見張りの兵士の姿がはっきりと確認できる。 見張りまでの距離は相当あることを考えれば、別に声を潜める必要などないと分かっていても、ついそうしてしまうのは萎縮を感じているせいだろう。三人の中では最も戦闘経験があり、普段は自然とリーダーシップを取る立場にいる赤毛の少女はいつになく警戒心を露わにしていた。 「おお、そうじゃ。あれは間違いなく地底魔城! 忘れもしない15年前、あそこは魔王ハドラーの居城だったと言う話じゃ」 訳知り顔でそう教えてくれたのは、バダックだ。この気の良い老兵は、頼みもしないのにダイとマァムについてきた。 やる気に満ちあふれてはいても体力が今一歩な彼は、正直かなり邪魔というか足手まといではあるのだが、ダイもマァムも礼儀正しくて真面目な性格だ。自分よりもずっと年上の大人に対して、邪魔だからついてこなくてもいいなんて言えるわけもない。 ましてや、相手が善意からそうしてくれていると分かっているなら尚更だ。 バダックに教えられなければ、そこが地底魔城だと知らないままだっただろう。 (あそこで、アバン先生と父さんや母さん達が戦ったのね……!) アバンの仲間だった両親を持つマァムは、感慨深げな視線を地底にある城へと向ける。 両親はあまり魔王との戦いについて話してはくれなかったが、それでもいくらかは聞いている。上からは大きな螺旋階段のついたすり鉢状の巨大な穴に見えるが、この下には地下迷宮があるはずだ。 「ゴメちゃんは、あそこから逃げてきたんだよね。ポップはどの辺にいたか覚えている?」 「ピッ!」 元気よく返事をする金色の小さなスライムもまたいささか緊張気味だが、それも無理はない。 どう考えても、これは無謀な突撃だった。 その上、戦力差は歴然としている。 死を全く恐れず、傷を負ってもダメージにならない不死系怪物は、普通の兵士にとっては強敵だ。言っては悪いが、バダックでは太刀打ち出来るかどうか怪しいものである。 ダイやマァムとて、同じだ。並外れた力を持つ二人ならば、1対1の戦いで不死系怪物に劣ることは絶対にない。数体を同時に敵に回しても、問題はないかも知れない。 しかし、絶対的な物量の差の前では、どんな戦力差も意味がない。十数体程度ならばまだしも、それが百を超える単位で押し寄せてきたとすれば、どこまで戦えるかは保証の限りではない。 なにしろ不死系怪物達は粉微塵になるまで砕かれなければ動くのをやめないし、疲れも知らないが、ダイ達は生身の身体だ。ダメージも受ければ、疲れも蓄積されていく。 さらに言うならば、敵は不死系怪物だけではない。ダイの技量を遙かに上回る戦士――ヒュンケルがいる。 「ポップ……大丈夫かな」 二人が気にしているのは、仲間の安否のみだ。 マァムの回復魔法で体力だけは回復させたものの、ダイもマァムも休息すら取っていない。 これから夜も深まっていく時間であり、不死系怪物の活動が活性化される時間帯だ。夜目の利かない人間にはますます不利な条件なのだが、二人には朝まで待つという考えすら頭に浮かばなかった。 「行きましょう!」 「うんっ」 何の躊躇もなく頷き合い、動き出そうとする。 「な、なんじゃあっ!?」 驚いたせいか、バダックがそう叫ぶ。 戦いを覚悟し、ダイとマァムはそれぞれの武器を手に取った。 「え?」 きょとんと目を見張ったダイとマァムは、思わず顔を合わせる。 見張りが二名ならば不可能とは言い切れないが、見張りらしき兵士達は片手の数では足りないほどいた。ダイとマァムがどう頑張ったとしても、同時に彼らをまとめて倒すのはまず、無理だっただろう。 しかし、何のつもりなのか見張り達は一斉に城の中へと戻っていった。 不死系怪物達は、ほとんど思考を持たない。だからこそ主の命令に従って、黙々と行動するしかできないのである。そんな彼らが唐突に、通常とは違う行動を取ったとなれば、主から新たな命令が下ったと考えるしかない。 よほどの異常事態が起こったのか、それともなんらかの罠か――普通ならばそう考えるだろう。だが、ダイもマァムもどちらにせよ普通とはかけ離れていた。 「チャンスだ、行こう!」 「ええ、分かったわ!」 いち早く駆けだしたダイに、マァムも続く。正直に言えば、マァムはダイほど今の機会をチャンスとは思ってはいなかったし、多少の不安を感じないでもなかった。 だが、仲間の救出という目的のためには、多少の不安や危険要素など気にしていられない。さっきまでとは比べものにならない速度で走り出した二人の後ろから、情けない声が聞こえてくる。 「お、おいっ、待ってくれ!? い、今のでぎっくり腰が……っ。あちちち……」 痛そうに呻く声と、蹲っている人影をちらっと確認してから、マァムは素早く決断した。 「バダックさんは、そこで待っていて! ポップを助けたら、すぐに戻ってくるから!!」 普段のマァムならば、たいしたことがなくても怪我人や病人を放ってはおけない。相手が老人であれば、尚更だ。 しかし、今は状況が状況だ。 後ろから聞こえる抗議の声らしきものを無視して、ダイとマァムは一気に地底魔城の入り口の中に飛び込んだ。 入った途端、目の前に幾つもの通路が見えてマァムは多少混乱を感じる。 が、ダイは迷う様子もなく一方向に走り出す。その後を追ったマァムだが、すぐに後悔した。 「あれ? 行き止まりだあ〜」 「仕方がないわ、違う道を行きましょう。こんなところにいつまでもいると、危ないわ」 袋小路にいるところを敵に追い詰められたら、最悪だ。だが、後ろを振り向いたダイとマァムはぎくりとする。 とっさに武器を身構えた二人だったが、意外なことに骸骨兵士達は袋小路の方ヘはやってこなかった。ダイやマァムなどまるで見えていないかのように、袋小路の方に見向きもせずにそのまま直進していく。 「あいつら、どうしちゃったんだろ?」 侵入者であるダイ達に興味すら見せない不死系怪物達に、さすがのダイも戸惑いを隠せない。 「分からないけど、あいつらは戦う気はないみたいね。なら、今のうちにさっさとポップを探しましょう!」 「誰か! 誰か、いないのか!?」 けたたましく鳴り響いた鐘の音が治まった後、ヒュンケルは声を張り上げて部下を呼ぶ。 地底魔城では、常に見張り役の不死系怪物達が巡回している。疲れを知らぬ不死系怪物は何の不満もなく、同じ行動を何年でもとり続けることができるからこそ出来る技だ。 そのおかげで、回廊でヒュンケルが声を張り上げさえすれば、その声は巡回中の兵士達の耳に必ず入る。 主人の命令に忠実な不死系怪物達は、見張り役の途中であっても呼びかけられれば従順に近づいてくる。それはヒュンケルにとって見慣れた光景なだけに、ヒュンケルは自分の呼びかけに応じた不死系怪物達が数人やってきても不思議に思わなかった。 たまたま、近くに数名の見張りがいただけだろうと考える。 「モルグを呼んでこい。急げ」 地底魔城について、最も詳しいのはモルグだ。 「おい? 何をしている、モルグを呼んでこいと言っているだろう」 命じる声に、わずかな苛立ちがこもる。 だが、今、不死系怪物達は微動だにしなかった。 「――!?」 気を抜いていただけに完全に気を抜いていたが、ヒュンケルの身体は突発事態には強かった。危機に際して、身体が反射的に動く。 振り下ろされる刃を、ヒュンケルは常に持ち歩いている剣の柄で食い止め、払いのける。その動作が強すぎたためか不死系怪物はそのまま壁に叩きつけられ、あえなく半壊する。 (なぜだ? なぜ、こいつらがオレを?) 今まで、ヒュンケルは配下の不死系怪物達に対して警戒を向けた試しなどなかった。と言うよりも、警戒するに値しないと思っていたと言った方が正しいかも知れない。 自分の意思を持たないか、もしくは持っていても命令には忠実な不死系怪物達は、決して主人には逆らわない。彼らが自分を襲う可能性など、今まで考えたことすらなかった。 「やめろ! やめろと、命令している!!」 そう叫ばずにはいられないのは、不死系怪物達と戦いたくはない――そう思う気持ちがあるからだ。 ヒュンケルほどの腕があれば、骸骨兵士達を粉々に砕くのは難しくはない。だが、自分でも意外だったが、突如反旗を翻した部下達と戦うことに対して、ヒュンケルはわずかにためらいを感じていた。 そんな気持ちは、初めてだった。 神殿でダイ達と初めて出会った時、とりあえず相手の反応を見るために平気で攻撃をしかけることができたのも、そのためだ。 (なぜだ?) 疑問が揺れる。 未完成とは言え、その技は容易く数体の不死の兵士達を吹き飛ばし、その身体をバラバラに砕いた。骨が石の床に落ちる乾いた音が、ヒュンケルの中の古く、辛い記憶を思い出させる。 それは、父バルトスを失った時の記憶だった。 当時のヒュンケルを可愛がってくれた不死系怪物達――モルグがそうだったように、彼らもまだこの地底魔城にいるかもしれない。その思いが、ヒュンケルの中に迷いを生み出す。 相手に気がつかないまま、当時は味方だったはずの骸骨兵士達を自分自身の手で打ち砕くかもしれないと思うのは、恐怖だった。もう、縁がないと思ってうち捨てていたはずの想い出が、今になってから急に色鮮やかに蘇ってくる。 その想い出に繋がるかも知れない相手と、戦うのにためらわずにはいられない。 「ヒュンケル、何をしている!? 危ないっ!」 蘇生装置の中から、クロコダインが吠える。 父と同じく腕を複数持つ骸骨戦士が相手だという皮肉さに気づき、ヒュンケルはわずかに口端を歪める。 (許せ……!) 壁までも切り裂けとばかりに、重い剣が振るわれる。それは、まるで嵐のような一撃だった。周囲に存在する不死系怪物達を今度こそ一掃し、彼らを粉微塵になるまで粉砕する。 廊下に集まってきた十数体を超える不死系怪物達を、ヒュンケルはその一撃で全て打ち払っていた。しかし、剣を手にしたまま佇む彼の顔には、勝利の喜びなど全く感じられない。 苦々しい表情のまま剣を握りしめているヒュンケルに、クロコダインは声をかけた。 「大丈夫か……と聞くのは、かえって無礼か。 心底不思議そうに聞くクロコダインの言葉が、なぜか胸に痛かった。ヒュンケルは自嘲気味に呟く。 「分からん。だが――どうやら、オレは裏切り者と思われたらしいな」 冷静さを取り戻せば、事態は驚くほど簡単に見抜くことができる。
手を打って喜び、やたらと嬉しそうな顔で地底魔城を見下ろしているのは、ザボエラだった。 世界各地に配下の悪魔の目玉をくまなく配置し、盗聴や盗撮に熱心なザボエラにも手出しをしにくい場所というのはある。ザボエラにとって残念なことに、地底魔城もその一つだった。 不死系怪物しかいない地底魔城には、他の系統の怪物を潜り込ませるのは難しい。それに、わざわざザボエラの手の物を送り込まずとも、すでに見張りの目は存在している。 地底魔城に無数に存在する数多くの不死系怪物達……つい先ほどまでヒュンケルの配下だった彼らは、今や一斉に蜂起して不死騎団長討伐のために戦い始めたはずだ。 飼い犬に手を噛まれたヒュンケルを想像し、ザボエラはほくそ笑まずにはいられない。 「フッ、愚かじゃのう。所詮、人間ごときが軍団長気取りでしゃしゃり出てくるのが間違いじゃったんじゃ」 ザボエラもそうだが、六団長の配下達はバーンから授けられたものではない。軍団長その人の力量にひれ伏した者達なのである。 だからこそ各個の軍団の怪物達は、基本的にはその長である軍団長の命令しか聞かない。クロコダインの配下の怪物達が、彼の断末魔の命令で人間を襲うのをやめたのも、そのせいだ。 しかし、六団長の中でただ一人、ヒュンケルだけは子飼いの部下を持ってはいなかった。いくら腕が立とうとも、人間を偏見なく上司として認めることのできる怪物や魔族の数は少ないし、そもそもヒュンケル自身が手数を集めると言うことに無頓着だった。 自分の腕を磨くことにのみ執心するヒュンケルに対して、ミストバーンが自分の部下を貸し与える形を取ったのである。だが、それが親切だと思う者は魔王軍には誰一人としていなかっただろう。 ザボエラに言わせれば、他人から与えられた部下など敵も同然だ。いつ寝首を掻かれてもおかしくはないし、情報も筒抜けになると思った方がいい。 (ヒッヒッヒ、なんたる幸運! まさか、ミストバーンめがヒュンケルを殺すのを手伝うとはのう) 思わぬ幸運に歓喜するザボエラに対して、ハドラーは渋い表情でかつての己の居城を見下ろしていた。 地底魔城を一望できる頂きに佇んでいるのは、ザボエラとハドラーのみではない。ミストバーンもまた、影のようにその場に佇んでいる。 顔の見えない暗闇の中に浮かぶ双眸がどこを見ているのか今ひとつ定かではないが、彼もまた地底魔城を見下ろしている様に見えた。 「まさか、おまえが自らヒュンケルを殺すべきだなどと言うとはな。オレは、おまえがもっとヒュンケルを買っていたと思っていたが」 皮肉ではなく、本心からハドラーはそう言っていた。 それだけに、ミストバーンがヒュンケル暗殺の計画の真っ最中にやってきて、反対するどころか進んで協力するなどとは思いもしなかった。 「……期待はしていた。 いかにもミストバーンらしい言葉だった。 王が歩く道に小石が転がっているのも許せないとばかりに、徹底排除しようとする彼の完璧主義を改めて思い知りながら、ハドラーは再び地底魔城に目を落とす。 その目に、わずかばかりだが感傷じみたものが浮かぶ。 ハドラーが一時的に死亡し、活動を停止している間だけは動きを止めても、彼が復活すれば同じく復活し、忠実に戦うはずの兵士達だった。 『ハドラーよ、おまえの力を最大限に活かすには以前の部下では役不足というものだ。屍など、うち捨ててしまえ。 バーンの誘いを、ハドラーは受け入れた。 主人がいなくなった後の不死系怪物達は再びただの屍となり、今度こそ永遠の眠りにつけるはずだった。だが、それを邪魔したのが、ミストバーンだった。 ミストバーンは主をなくした不死怪物達を、自身の魔力で呼び戻し、己の配下として召喚し直した。 結果として、今や地底魔城にいる不死系怪物の全てはミストバーンの魔力で召喚された怪物達だ。彼らの中にはかつての主君であるハドラーを記憶している者もいるかも知れないが、もうハドラーの命令には従わない。 この間、地底魔城を訪れたハドラーに対して、何の反応も見せなかった不死系怪物達を思いだしながら、元魔王はふと不安を覚えないでもなかった。 (もしかすると、オレも同じかもしれんな……) ミストバーンの思惑一つで動く部下を与えられたヒュンケルを、ハドラーは内心馬鹿にし、哀れんでさえいた。いつ主君を裏切ってもおかしくはない配下を与えられ、廃墟となった城を与えられたことで喜ぶような人間は、愚か極まりない裸の王様だと嘲ったものだ。 だが――今になってから、その嘲りが自分に跳ね返ってくる様に感じる。 六団長は実力こそ優れていても、ハドラーに対する忠誠心はごく低い。それどころか、互いに覇を競い合う関係だと言わんばかりに張り合う彼らは、横の繋がりも薄く、組織としては脆弱だ。 彼らがいつハドラーに反旗を翻し、立ち向かってくるか分かった物ではない。 「…………」 既視感と言うよりは、いつか自分の身に降りかかってくる未来の予知のような感覚を覚えながら、ハドラーは唸りを上げる地底魔城を見下ろし続ける。 「そんな……、ミストバーンがおまえを裏切ったというのか」 まるで自分のことのように、クロコダインは苦悩の表情を見せた。 「甘く見られたものだな。こいつら程度に、オレを始末できると思われるとは」 地底魔城にどれほどの数の不死系怪物がいるのか、ヒュンケル自身も正確には把握はしていない。 だが、彼は少しも恐れる様子を見せなかった。 ミストバーンが自分を始末しようとするなら、それはそれでいい。 むしろ、信頼していなかった組織から切り捨てられようとしているのは、ある意味では好都合というものかも知れない。バルトスの死への疑惑を抱えながら、それでもなおハドラーに見せかけだけでも忠誠を捧げられる程、ヒュンケルは器用ではないのだから。 (まずは、ここから脱出してからだ) 実際に戦って負ける気などないが、不死系怪物達とは好んで戦いたいとは思わない。ここは最短ルートを通ってさっさとこの城を脱出するのが先決だろうと、ヒュンケルは考える。 ハドラーやミストバーンへの落とし前の付け方は、それから考えても遅くはない。 リヴィーン……リヴィーン…… 奇妙に濁った鐘の音が、近づいてくる。その音は、とある不死系怪物が手にした鈴から奏でられていた。 不死系怪物の足取りは大抵が鈍く、おぼつかないようなぎこちなさがあるものだが、その怪物の足取りは特にひどかった。まるで酔っ払っているかのような千鳥足で、よろよろと歩いてくる。 後ろに十数名の不死系怪物を引き連れながら歩いてくるその不死系怪物を見て、ヒュンケルは顔を強張らせる。 「モルグ……!」 呼びかけた言葉に、返事はない。 《続く》 |