『もう一つの救済 19』

「…………」

 言葉には出さなかったが、意外なぐらいの失望感がヒュンケルの心を覆う。
 モルグの姿を一目見た時には、すでにヒュンケルは悟っていた。
 あの忠実で気のいい執事は、もはや戦うだけしか能のない不死系怪物になりさがってしまったのだと。

 虚ろな目には意思を全く感じさせず、常に丁寧な敬語で話しかけてきた彼の口元は、今はだらしなく緩んでいる。
 言葉になりきっていない呻き声をあげながらモルグが襲いかかってくるのを、ヒュンケルはごく冷静に見据えていた。

 残念なことに、ここでモルグに呼びかけ、正気を取り戻してくれと願うにはヒュンケルはあまりに不死系怪物の生態に詳しすぎた。

 不死系怪物は、元来は強力な魔族の魔力によって召喚され、この世に舞い戻ってきた戦士達だ。大半の不死系怪物達は己の意思を全く持たない操り人形に等しいが、稀にバルトスやモルグのように自意識を強く持った者も存在する。

 使い手にとってはある程度の知恵があった方が使いやすいため、そんな不死系怪物達は優遇されることが多い。羊を飼う際、牧羊犬に見張りをさせるように、他の不死系怪物の面倒を見る役を振られることが多いのだ。

 だが、所詮は召喚物の悲しさというべきか。
 召喚主の意向次第では、その意思を消されることも有り得る。

 召喚物に対して、召還者の意思は絶対だ。望むのであれば、魔力を断ち切って不死系怪物をただの屍に戻すこともできるし、逆に支配を強めて自由意思を持てないレベルまでに操ることもできる。

 今のモルグは、明らかに後者だ。
 普段の彼とは全く違う様子を見ながら、せめて意思が残っていなければいいとヒュンケルは願う。
 操られているのなら、いっそ心などない方がましというものだ。

 もし、身体を操られているのを自覚しながら、自分の力では何ともしがたい状況で戦わされているのなら、それはモルグにとってはひどく苦痛だろう。それぐらいなら、本人の意識が失われている状態の方がまだ幸せではないかと思える。

 だが、そう望みながらも、ヒュンケルは知っていた。
 おそらく、そうではないだろう、と。

 ミストバーンが得意とする闘魔傀儡掌は、相手の意思を無視して強引にその身体を動かす術だ。生物に対してでさえ有効なその技は、自分の支配下にある不死系怪物にとってはさらに効果が高いだろう。

(ミストバーンめ……!)

 一時とは言え師と呼んだ男の底知れない悪意を思い知りながら、ヒュンケルは手にした剣を強く握りしめる。
 モルグへの同情は感じるが、ここで死ぬわけにはいかない。

 復讐への渇望とは違う、新たな希望がヒュンケルの中には生まれていた。
 15年前にここで何が起こったのか――それを確かめたいという思いが、いつしかヒュンケルには生まれていた。

 目的のために全力を尽くすのが、ヒュンケルの主義だ。誰かがそれを邪魔するというのなら、邪魔は切り捨てるまでの話だ。 
 たとえ、それが自分に忠実に仕え続けていた配下であったとしても――。

「……さあ、こいッ!!」

 気迫のこもったかけ声に応じるように、モルグを初めとする大勢の不死系怪物達が一斉にヒュンケルに襲いかかった――。






「なんだか、あっちの方が騒がしくない?」

 そう言いながら、ダイは落ち着き払った手つきで自分に襲いかかってくる骸骨兵士の頭をぶん殴る。もちろん不死系怪物にとってはそれはたいしたダメージにはならないが、的確に首を狙って殴っているだけに頸骨が折れて頭蓋骨が転げ落ちる。

 それをひょいと蹴飛ばしてしまうと、骸骨兵士は自分の頭を求めてそちらに向かう。

 その辺にはすでに複数の頭蓋骨がごろごろと転がっているせいで、どれが自分の頭かを探すのに苦労しているのか、頭を失った骸骨兵士達はそうそう戻っては来ない。

 ダイはそうやって、自分達に襲いかかってくる不死系怪物を無力化していた。

 不死系怪物達はどうやら何らかの目的地があるらしく、侵入者のダイ達をほとんど無視して一方向に向かって歩いている。ダイ達に襲いかかってくるのは、よほど近くに近寄った時ぐらいのものだ。

 さすがに剣が届く程の間合いまで近づいた存在は無視できないのか、機械的に襲いかかってくる。
 だが、そのぐらいの数をあしらうのはダイやマァムにとっては難しくはなかった。

「そうね。今までとは少し、違うみたい。なんとか、この隙にポップを助け出したいんだけど……」

 そう言いながら、マァムはハンマースピアを斜め下へと大きく振り下ろす。しなった穂先は、ものの見事に襲いかかってくる骸骨兵士の脛を砕いた。

 片足を失ってしまえば、たとえ不死系怪物と言えども動きが大幅に制限される。時間が経てば自然に再生するとは言え、足を失った不死系怪物が藻掻いている間にこの場から逃げ出すには十分な時間を稼げる。

 敵を殲滅しようとは最初から思いもせず、徹底的に戦う必要性を感じないダイとマァムにとっては、それで十分だった。少しでも早く先に進むため、ダイとマァムは多少の危険を承知の上で通路を走っていた。

 何が起こったのかは分からないが、地底魔城で何らかの騒ぎが起こっていることは間違いないだろう。おかげで進入するのには何の苦労もなかったが、ダイとマァムが心配しているのはポップのことだった。

 この騒ぎが、ポップにとっては有利に働いているかどうかは分からない。それを思えば、足は自然に速まる。

 正直な話、この騒動の原因を確かめるよりもポップの救出を優先したいのがマァムの本音だった。
 だが、残念なことにそうもいかないらしい。

「ゴメちゃんはあっちの部屋から逃げ出したのね?」

「ピッ!」

 不死系怪物の手が届かないよう、天井すれすれを飛んでいるゴメちゃんが気合いの入った返事をしつつ指さしたのは、一際大勢の不死系怪物達が向かっている部屋だった。

 騒音が聞こえるのも、その部屋からだ。
 剣を打ちかわせているのか金属音が聞こえてくるし、妙に濁った鐘の音も聞こえている。

 あそこに誰かがいて、しかも戦っているのは間違いがなさそうだ。
 そして、その誰かがポップである可能性が低いこともダイ達は気がついていた。アバンから多少の体術は習ったとは言え、ポップは剣技はとことん不得手だ。

 ポップが不死系怪物と戦うのならば、魔法を使いはしても剣を使うことはまず、ないだろう。おそらく、あの中にいるのはポップであるよりも他の人物の可能性の方が高いと、ダイとマァムは薄々感づいていた。

 だが、それでもゴメちゃんの話ではポップがあそこにいたのは、間違いがないのだ。それを思えば、ここで慎重に行動しようと考えることなんかできなかった。

「ポップッ!!」

 叫び、その部屋に突進していくダイをマァムは止めなかった。それどころか、自分も遅れじとばかりにその後に続く。
 だが、その部屋に突入した二人が見たのは予想外にも程のある光景だった。

「!?」

 ダイもマァムも、思わず大きく目を見張る。
 部屋の中で真っ先に目に飛び込んでくるのは、やたらと大きな水晶球のような物体と、その中に閉じ込められているクロコダインの姿だ。

 それも驚きだったが、二人を心底驚かせたのは獣王の姿ではない。
 ヒュンケルが不死系怪物達と戦っている――その事実に、二人は驚かずにはいられない。

「な、なんで?」

 ヒュンケルは、不死騎団長だ。
 不死系怪物達を束ねるはずの六団長の一人が、なぜ彼らと戦うのか。その理由が、ダイには思いつかない。

 しかも、不死系怪物達は明らかにヒュンケルに狙いを定めていた。この部屋に入ってからというものの、呆然として思わず棒立ちになったダイやマァムに見向きもせず、不死系怪物達はただヒュンケルのみを狙う。
 理解を超えた出来事に、ダイもマァムも唖然とするばかりだった――。






(なぜ、よりによってこんな時に!?)

 驚きを感じたのは、ヒュンケルも同じことだった。
 ダイといずれ戦うことを望んでいたヒュンケルにとってみれば、彼が地底魔城までやってくるのはある意味で望むところだ。だが、さすがにタイミングが悪すぎる。

 配下の不死系怪物達が一斉に反乱を起こしたタイミングで敵がやってくるなど、最悪もいいところだ。

 なんとかしたいのは山々だが、ヒュンケルには驚きはしても、そのために呆然とする時間すらなかった。次々と襲い来る不死系怪物達を切り捨てるだけで、手一杯だ。

 いっそ、大技を放って不死系怪物ごとダイ達まで攻撃を仕掛けようかとは思うが、思考に反して手は動きを止める。

「キシヤァアアア――ッ」

 意味不明の雄叫びを上げながら、襲いかかってくるモルグの動きを、ヒュンケルは冷静に見切っていた。骸骨兵士と違って武器を持たず、手に小さな鐘を持っているだけの不死系怪物の力任せの攻撃など、簡単に見切れる。

 相手の攻撃を避けるだけでなく、逆に反撃して切ることだって可能だっただろう。

 ――だが、ヒュンケルは剣を振りきることはできなかった。
 モルグに対して、致命的となる攻撃を仕掛けることを身体が拒否したのだ。モルグは、不死系怪物としてはさして強い方ではない。

 不死系怪物は肉体的は頑強であり、再生能力に優れてはいるが、生憎と精神面に関しては不滅というわけではない。肉体に損傷を受けることで、それまで保っていた意思を保てなくなることがあるのだ。

 それだけにその肉体を損傷するような攻撃を仕掛けるのには、抵抗があった。
 ヒュンケルのその迷いが、剣に如実に表れている。

 敵を倒すためと言うよりは、自衛のために剣を振るいながらヒュンケルは予期せぬ侵入者達を睨み付ける。彼らが何かを仕掛けてきたら厄介だと言う思いから牽制の意味をこめて睨み付けたのだが、二人は予想外にも動こうとはしない。
 迷うように、その場に立ち竦んでいた――。







 実際、ダイとマァムは迷っていた。
 仲間の姿が見えない以上、この部屋に用はない。理屈で言うのなら、すぐにこの部屋から出て行ってポップを探すのが得策だとはダイにもマァムにも分かっていた。

 だが、ヒュンケルとクロコダインの姿が、ダイ達をここに引き留める。
 クロコダインに対して、ダイもマァムも決して悪感情を抱いてはいない。ロモス城で戦いはしたものの、クロコダインの堂々たる戦いぶりと潔い最期は印象的なものだった。

 なにより、クロコダインが自分達を助けに来てくれたことを、ダイはポップから聞いている。もし、ここにいるのがクロコダインだけだったのなら、ダイもマァムも迷わずに彼を助けるために駆け寄っていただろう。

 しかし、ここにはヒュンケルがいる。
 不死騎団長にも関わらず、不死系怪物達に襲われている彼に対してどう振る舞えばいいのか、ダイにもマァムにもとっさには分からなかった。

 真っ直ぐな性格の二人には、敵の弱みや混乱に乗じてどさくさ紛れに攻撃を仕掛けるなんて発想はない。突然の敵の仲間割れを目の前にして、チャンスだと思うよりも戸惑いの方を強く感じていた。

 ダイには、事情は分からない。
 だが、ダイの目には怪物達が望んで戦っている様には見えなかった。

 生まれた時からずっと怪物達と一緒に過ごしていたダイにとって、種族は違えど怪物はみんな近しい仲間も同然だ。言葉などなくとも、怪物達の気持ちはダイには何となく分かる。

「……きっと、ヒュンケルと戦いたくないんだ、このゾンビ達」

 独り言のようなダイの言葉に、マァムは反対も賛成もしなかった。
 怪物にダイほどの馴染みを持っていないマァムには、不死系怪物達の微妙な心情は分からない。しかし、ヒュンケルに注目している彼女にこそ見えることもあった。

「私には……、ヒュンケルもあのゾンビと戦いたがっていない様に見えるわ」

 険ばかりが目立ち、表情が乏しく感じられるヒュンケルだが、彼の目はひどく寂しそうに見える――マァムは、最初からそう感じていた。

 それは直感的な感覚であり、なんの根拠もなかったが、それでもマァムはその直感を信じている。
 だからこそ、彼女はすぐに結論をだすことができた。

「……戦いを止めましょう、ダイ」

 不死系怪物もヒュンケルも本当は戦いたくはないのであれば、戦う理由などないはずだ。戦う必要もないのに、またそのつもりもないのに戦わなければならないのだとしたら、悲しすぎる。

 他人を思いやる気持ちが人一倍強いマァムにとっては、それだけで戦いの中に飛び込む理由になる。
 全く躊躇せず、マァムは部屋の中に飛び込んでいった。

「あっ、マァム!?」

 慌てたようにダイとゴメちゃんが彼女に続くが、真っ先に行動したマァムの方が当然早い。いち早く飛び込んだマァムは、手にしたハンマースピアをヒュンケルの目の前にいる腐った死体へと打ち込む。

 それは、牽制のための動きだとダイには一目で分かった。
 迷宮内でそうしていたように、不死系怪物を一時的に戦闘不能に追い込むために最小限のダメージを与えるのが目的であり、殺気など微塵もない攻撃だ。

 だが、突然割り込んできたマァムに驚いたのか、ヒュンケルは顔色を変えた――。






「やめろ……っ!」

 掠れ気味の叫びが、ヒュンケルの喉から漏れる。
 呆然としていたのは事実だが、ダイとマァムが悩んでいた時間は実質的にはごく短かった。それこそ、瞬きを十数回するほどの時間で覚悟を決めたのか部屋に飛び込んできた勇者とその仲間に対して、ヒュンケルは戦慄を感じる。

 それは、自分が倒されることへの恐怖ではない。
 モルグを失うかも知れないことへの恐怖――それを明確に感じていた。肌身に迫る恐怖に対してとっさに剣をふるいかけるのは、戦士としての性か。

 だが、その剣がマァムに届く前に、ダイの剣がしっかりとヒュンケルの剣を受け止めていた。幼いながらもさすがは勇者と言うべきか、彼は自分よりも体格を遙かに上回るヒュンケルの剣を揺るぎもせずに受け止める。

「どけっ、貴様……ッ、邪魔をする気か!?」

 焦りを込めてダイを突き放そうとするが、小さな勇者はその見た目からは信じられないような力で押し返してくる。

「いやだ、どかない!」

「どけっ、今は貴様らと戦っている暇はないんだ!!」

 苛立ち、より声を荒げたヒュンケルに対し、ダイは恐れた様子も見せずに言い返してくる。

「おれだって、おまえと戦う気なんかないよ!」

 その答えに、ヒュンケルはまたも驚かされる。ならば、なんのためにここに来たのか――それを問う前に、淡い赤毛の少女が武器を振るいながら叫んだ。

「ヒュンケル、あなたはこのゾンビと……この人と、戦いたくないんでしょう!? なら、戦うべきじゃないわ!」

 その時になってから、やっとヒュンケルが気がついた。
 一見容赦のないように見えるマァムの攻撃が見かけよりもずっと手緩い、加減したものである事実に。

 自分の身長以上の長さの槍を操るせいでマァムの攻撃は派手に見えるが、彼女はその攻撃を刃のついた穂先ではなく、わざわざ打点をずらして軸の部分で攻撃をしかけていた。

 あれでは、峰打ちも同然だ。敵の足止めは出来ても、決定的な攻撃にはなり得ない。

 それに気がついてから、ヒュンケルは鍔迫り合いを仕掛けているダイの動きの不自然さにも気がついた。
 ダイはヒュンケルの力に対抗して力は込めてくるが、自分からは仕掛けようとしない。ヒュンケルの攻撃を止める――それだけが目的らしい。

 だが、さすがに他の不死系怪物達が気になるのか、ダイの目の配り方や身のこなしには油断がなかった。

「マァムが、あのゾンビの動きを止めてくれる。その間に、他の連中を何とかしないとっ」

 ダイの言葉は、ヒュンケルにとっては渡りに船だ。無意味に部下を傷つけたくはないヒュンケルにとって、これ以上都合のいい展開などない。

 だが、それでもそんな都合のいい言葉を敵から聞かされるのは、戸惑いや迷いを感じてしまう。しかし、その迷いに背を押したのはクロコダインの言葉だった。

「ヒュンケル、ここはダイ達を信じろ! まずは、この場を切り抜けるのが先決だろう!!」

 ――その言葉に、肩の力が抜けた様な気がした。

(それも、そうか……)

 言われた通りに、ダイを信じようと思ったわけではない。
 だが、ヒュンケルにはこれ以上疑うものなどなにもなかった。思えば、今日はいろいろなことがありすぎた。

 長年に憎み続けていた父親の敵が実は間違っていたと知り、忠実な執事と思っていた男が自分の監視人だと知り、仮にも師と呼んでいた男が自分を裏切ったのだと知った。
 なのに、これ以上裏切りを警戒してどうなるというのだろう?

 自嘲めいた笑みを浮かべ、ヒュンケルは手にした剣から力を抜いた。それだけでダイもヒュンケルの意図を悟ったのか、剣を引いて身構え直す。いくら周囲の不死系怪物の数が多いからと言って大胆にもヒュンケルに背中を向ける辺り、大物なのか、何も考えていないのか。

 少なくとも、この小さな勇者が裏切りを考えている可能性だけがないだろうなと思いながら、ヒュンケルもまた、彼に背を向ける。
 仇の弟子のはずなのに、そうすることに何の不安感も感じない。

「……いいだろう。この場は、とりあえず手を組んでやる」

「うんっ」

 互いの声を背中越しに聞きながら、アバンの弟子達は背中合わせに戦いを開始した――。                                                                                         《続く》

 

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