『もう一つの救済 20』 |
「たぁっ!!」 元気はいいがどことなく間の抜けたかけ声と共とは裏腹に、驚くほどに鋭く剣を振る風切り音が聞こえる。それを耳にしながらヒュンケルもまた、剣を振るった。 途端に一陣の竜巻でも巻き起こった様に、周囲にいた骸骨兵士達がそろって崩れ落ちる。 しかし、いったんは崩れ去ってもそこは不死系怪物ならではのしぶとさがある。 骨だけになってガラガラと床に落ちた兵士達は、真の意味で死んだりなどしない。ほんのしばらくの停止の後、また動き出す。バラバラの骨が繋がりあい、それが人の形となって再び攻撃をしかけだすまでものの数分とはかからない。 だが、そんなことでダイは少しも怯みはしなかった。 (たいしたものだな) 敵として戦った時はアバンへの反感が先にたって彼を高く評価はしなかったが、こうして手を組めばこの小さな勇者の頼もしさがはっきりと分かる。 腕を複数持つ骸骨兵士を一撃で砕くのは、相当の腕がなければできることではない。さらにいうのなら、倒しても倒しても変わらずに襲いかかってくる敵を前にして、何の怯えもなく剣を振るい続けるのにはそれ以上の度胸が必要だ。 そのうえ――ダイには不死系怪物達への思いやりまであった。 むしろ、ダイの攻撃は骸骨兵士達を追い払うためのものだ。 周囲全部を敵に囲まれた状態では、いくらヒュンケルでも倒すだけで手一杯で、敵を一方向に向かって追い払うのは不可能だ。 だが、背後に協力者がいれば話は別だ。 恐れを知らず、決して後退をしない不死系怪物も、相手を打ち砕く度にわずかにでも後方に下がらせることを繰り返せば、後ろに追いやることは可能だ。 部屋の奥にいるマァムやクロコダインを庇うためにも、敵を廊下側に追い払おうと考えているらしい。 正直、マァムの腕前はそれほどたいしたものではない。ダイと比べれば、明らかに劣っている。 モルグに倒されることもなく、また、モルグに決定的なダメージも与えないまま、均衡した戦いを続けている。彼女もまた、不死系怪物を相手にしながら破壊的な攻撃をしたくはない様子だった。 もっと強力な攻撃を仕掛けるチャンスはあるはずなのに、マァムは徹底してモルグの足止めに専念し、ハンマースピアを振るい続けている。 その間も、マァムは相手に何かを話しかけているようだ。ヒュンケルと最初に戦った時、彼を説得しようとした時のように、マァムは不死系怪物に対しても慈悲をかけている。 周囲の騒音に紛れて彼女が何を話しているかまでは聞こえないが、不死系怪物を相手にまるで人間を説得するかのように話しかけているのは確かだ。 認めるのはいささか悔しかったが、マァムの援護を受け、ダイを背に戦うのは意外なぐらいの安心感があった。 「おい、離れていろ!!」 そう叫んでから、ヒュンケルは手にした剣を構えて己の必殺技を放つ。 もし、この技に骸骨兵士達が巻き込まれたのならば、ひとたまりもなく壊滅していただろう。 だが、ダイと二人がかりで時間をかけて追い払ったおかげで、彼らは一人も巻き込まずにすんだ。ヒュンケルの放った技は部屋の壁を壊し、そこに通じる廊下にぽっかりと大きな穴を開けたに過ぎない。 だが、それこそがヒュンケルの狙いだった。 ヒュンケルの姿を見て闇雲に襲いかかってくるように義務づけられた骸骨兵士達は、廊下の穴をどうにかする方法など思いつきもしない。巨大な穴の向こう側で、無意味にウロウロしているばかりである。 (これで、しばらくは時間が稼げるな) 幾分ホッとしてから、ヒュンケルは剣を手にしたまま振り返った。 そうされてなお、まだ藻掻こうと虫のようにジタバタしているモルグを眺めるのは、ヒュンケルにとっても心が痛む物だった。なまじいつものモルグを知っているだけに、知性のかけらも感じさせずに獣のように唸るだけのモルグを見ているのは辛かった。 モルグが未だに手にしたままの小さな鐘が、濁った音で鳴り続けている。それを聞きながら、ヒュンケルはあらためて剣を構え直した。 「女、どけ」 せめて、一太刀で終わらせてやろう――そう思った。 もう、苦しませる必要はない――そのつもりだった。 「いやよ!」 モルグを押さえ込みながらも、マァムは彼を庇うように上から被さる素振りを見せる。 「なぜ、庇う?」 人は、怪物を恐れる。 怪物の方に特に害意がなかったとしても、人間は怪物を忌み嫌い、恐れる傾向を持っている。ヒュンケルにとっては親しみさえ抱いている不死系怪物は、人間にとっては特に恐れられ、嫌われる存在なのだと、魔王軍に入ってからヒュンケルは嫌と言うほど思い知っていた。 不死系怪物の中にも、バルトスやモルグのように善良な者も存在するというのに、そんなことも知らずにただ怪物と言うだけで忌み嫌う人間達――。 「そんなの、関係ないわ! あなたはこの人を助けたいと思ったんでしょう!? なのに、なぜそんなに簡単に諦めたりできるの!?」 揺るぎない正義を語るように強く糾弾する少女の声に、ヒュンケルは思わず顔をしかめる。 「黙れッ!!」 浅薄な正義感を振りかざす少女に、苛立ちを感じずにはいられなかった。 確かに、ヒュンケルはモルグを助けたいと思った。――だが、その方法がないことなど、身にしみている。 そして、ヒュンケルはミストバーンのことをよく知っている。あの完璧主義の男が、一度捨てようとした相手に対してどれほど容赦がないか、良く知り抜いている。 だからこそ、分かるのだ。 何も知らないくせに、青臭い正義を無邪気に信じているこの少女に怒りさえ覚える。 「黙れと言っただろう!! モルグは……こいつは、もう助からん!!」 そう叫んだ途端、マァムの顔がさっと朱に染まる。それが怒り故の紅潮だと気づいたのは、少女の叫びを聞いてからだった。 「なぜ、そんなに簡単に諦めてしまえるの!? 名前を呼ぶ程、大切な人なんじゃないの!」 その指摘に、ヒュンケルは一瞬怯む。と、マァムはさらに思いがけないことを叫んだ。 「そんなに辛そうな顔をしているのに、どうして大切な人を切ろうなんてできるの!?」 「辛そう、だと……? オレが、か?」 オウム返しに呟き、ヒュンケルは呆然としたようにマァムを見つめる。だが、マァムは迷わずにきっぱりと言い切る。 「気がついていないの? あなたは……すごく辛そうよ。 そう言いながら伏せられたマァムの顔こそ、辛そうだった。 「ここにいるゾンビ達はあなたと戦いたくないんだって、ダイが言っていたわ。この人……モルグさんも、きっとそうなのね。 その言葉に、ヒュンケルは今更のように気がついた。 それをヒュンケルは彼が知性を失った証としか受け止めなかったのだが、マァムはそうは思わなかったらしい。戦いの最中も彼女がずっとモルグに対して話しかけ続けていたことを、ヒュンケルは今更のように思い出した。 (この女は……) 驚きと共に、ヒュンケルは目の前にいる少女を見返す。 「この人はきっと、あなたに何かを言いたいのよ。私の呼びかけには応えてはくれなかったけど、でも、あなたの声ならば届くかも知れない……! ひどく熱心に訴えるその言葉は、モルグを――初めて会ったはずの不死系怪物を救うための物だった。そのためになら命をかけてもいいとばかりに、モルグを庇う素振りを見せるマァムは、少女とはとても思えない。 見返りを求めない、無償の愛。 「おまえは……、モルグを助けようというのか?」 呆然と、ヒュンケルは呟く。 たまたま都合がいいから共闘しているとはいえ、所詮は敵なのだから。 「助けられるかどうかなんて、そんなのやってみなければ分からないわ! あなたが助ける方法を知らないからと言って、絶対に助けられないなんて決めつけられないでしょう!?」 「そうだよ! おれだって分からないけど、でもポップならできるかもしんないし!」 援護するようなダイの言葉に、ヒュンケルは不意打ちを食らったような気分を味わう。 「ポップだと?」 当惑と疑問、それでいて奇妙に納得できる気持ちが同時に胸にこみ上げてくる。 常識的に考えれば、不死系怪物に救いを与えられるとすれば高位の僧侶か賢者でもなければ不可能だ。魔法使いという職業では、不死系怪物に対してできることなどほぼあるまい。 だが、そう言い切れないのは、ヒュンケル自身がポップを知っているからだ。 それを思えば、ポップならばもしかしたら――そう期待を抱かないと言えば嘘になる。 「そうだよ、ポップはおれのじいちゃんを助けてくれたんだ! ハドラーの魔力のせいで、凶暴になっていたじいちゃんをだよ」 ポップに対する揺るぎにない信頼を感じさせるダイの言葉に、ヒュンケルはわずかに戸惑う。 「ハドラーのせいで凶暴になっただと? バカな、それではまるで――」 魔王が出現したからと言って、人間に影響がでることはない。 「じいちゃんは、鬼面道士なんだ」 「……!?」 目を見張るヒュンケルに、ダイは静かに言った。 「おれも怪物に育てられたんだ。赤ん坊の時に、じいちゃんがおれを拾ってくれた。おれが育った島には怪物しかいなくって、人間はおれ一人だったんだ」 常識的には、それはあり得ないことだ。 だが、ヒュンケルは普通の人間ではない。 「ダイの言っていることは本当だ。オレも、この目で見た」 水槽の中から、クロコダインが太い声で保証する。 (そうか。……だから、だったのか) 何も言わなくても、ダイは骸骨剣士達を破壊したくないというヒュンケルの思いを、汲み取ってくれた。それは、彼もまた怪物を仲間として認めているからに違いない。 だが――それなら、マァムはなぜモルグに対して慈悲をかけるのか。 「……女。おまえはなぜ、こいつを助ける?」 彼の問いかけに、マァムが一瞬きょとんとした表情を見せる。なぜ、そんな「ことを聞かれるのか分からないとばかりの顔だった。 「そんなの、あたりまえじゃない。あなたもこの人も、戦う理由なんてないのに戦っているなんて……そんなの、悲しすぎるわ」 それを吟遊詩人の語る伝承歌の主人公が言ったのなら、ヒュンケルは何も知らないくせに綺麗事を言うものだとと、軽蔑しただろう。 だが、傷だらけになり、泥にまみれてまで腐った死体を押さえつけながらそう訴える少女の言葉は、とてもただの綺麗事とは聞こえなかった。 「お願い、ヒュンケル。この人に呼びかけてあげて! モルグさんも、きっと待っているわ!」 その言葉を、信じたわけではない。 それに、目が合ったクロコダインが、小さく頷いてくれたのがヒュンケルの背を押してくれる。 「……モルグ」 低い声で、ヒュンケルは自分の執事に向かって呼びかける。 「目を覚ませ。おまえは……オレの執事のはずだ。自分を、見失うな……!」 真剣にモルグに話しかけるヒュンケルは、気がつかなかった。また、彼だけでなくダイもマァムも、クロコダインでさえヒュンケルとモルグに注目したせいで見逃していた。 小さな金色のスライムが、わずかな燐光を放っているのを。マァムと一緒にモルグを押さえつけているダイと一緒に、モルグを押さえ込もうとしているのかその背に乗っているゴメちゃんの身体が光り輝き、その光がすうっとモルグに吸い込まれていくのに誰も気がつかなかった。 彼らが真っ先に気がついたのは、いきなり清浄なものに変化した鐘の音だった。 チリーン……チリーン…… モルグが手にしていたままの小さな鐘の音が、澄んだ音へと変わる。それと同時に、モルグの濁った目が正気の色合いを取り戻した。 「ヒュ……ヒュン、ケル……さま……?」 その声を聞いた時の驚きは大きかった。 その強い驚きが喜びや安堵に変わるよりも早く、モルグは血相を変えたと言っていい勢いで必死に主君の足にすがりつく。 「お、お許しをっ! 私はっ、私はなんということを……っ、お許しください、ヒュンケル様っ!!」 「落ち着け、モルグ。オレは無事だ。気にすることはない」 取り乱す執事を助け起こしてやりながら、ヒュンケルは彼を落ち着かせようとした。 だが、モルグはそんなに首を振って大丈夫なのかと心配になるぐらい、激しく首を横に振る。 「違うのです、そうではないのです! いえ、それもそれで申し訳ないのですが、それだけではなく……私は……私は、とんでもない失敗を……」 ふるふると震えながら、モルグは土下座せんばかりにヒュンケルの足にしがみついて叫んだ。 「このままでは、あの魔法使いの少年が殺されてしまいます――!」 《続く》 |