『もう一つの救済 23』 |
「ポップ――ッ、ポップ――ッ、聞こえるかいっ!?」 何度も叫びながら、ダイは先頭を切って小部屋を目指していた。 モルグもモルグなりに精一杯急いでいるのだが、それではまだ足りないとばかりにダイはモルグに先んじて走っている。 その行く道を塞ぐように骸骨兵士などの不死系怪物達が立ちはだかるが、小さな勇者の前では彼らなど足止めにすらならない。戦いを最小限に抑え、小柄な身体ならではの素早さで敵の間をすり抜けていく。 ヒュンケルやモルグさえ追いつかない速度で小部屋へと真っ先に辿り着いたダイは、何の躊躇もせず閉まっていた扉を開けた。 だが、扉を開けた途端、中から二体の骸骨兵士達が飛び出てきて一斉にダイに攻撃をしかける。それにはさすがに驚いたのか、ダイも大きく身体を仰け反らせる。 しかし、その驚きさえダイの前進を阻むことなどできなかった。 ヒュンケルとモルグが駆けつけた時にはすでにダイは骸骨兵士達を部屋の中から引きずり出し、自身は中に飛び込んでいた。 「ポップッ!?」 大声で呼びかけ、ダイは首を左右に巡らせる。 「いないや……」 その事実に、一番驚きを見せたのは他ならぬモルグだった。 「そ、そんな……!? 確かに、この部屋に寝かせておいたのに……っ!?」 うろたえ、ひどく取り乱すモルグと、ただオロオロとしているだけのダイに向かって、ヒュンケルは意図的に突き放した口調で言った。 「それはよかったな」 「……!?」 ヒュンケルの言葉に、ダイが戸惑った表情を、モルグに至っては珍しくも怒りじみた表情を浮かべた。 「ヒュンケル様、いくらなんでもそれは――」 非難がましく文句を言おうとしたモルグの先手を打ち、ヒュンケルは静かに告げる。 「ここにあいつの死体がないことを、喜ぶべきだと思うが」 「あ……」 途端に、モルグの顔に理解の色合いが浮かぶ。 だが、ヒュンケルは常に最悪の事態に備える心構えが出来ている。 「あいつは、どうやら目を覚ましたらしいな」 努めて冷静に、ヒュンケルは事実だけを確認しようと部屋を見回す。 むしろ、居住にほとんど関心を持たないヒュンケルは、自分の居城だというのに一度も入ったことのない部屋などいくらでもある。 ヒュンケルが普段使っている自室からも離れている上、主要となる回廊からも外れた場所にある小さな部屋だった。半ば倉庫として使っていた物なのか、雑多な品が置かれているだけの部屋だ。 それでも一応は掃除がされているのか、長年ほったらかしにされていた部屋特有の埃っぽさや黴びた臭いはない。 申し訳程度に置かれた小さめのベッドは、毛布や枕がぐしゃぐしゃのままで放り出されていて、確かに少し前まで誰かが眠っていた形跡が感じられる。が、ベッドやベッドの周辺の物に剣を振り回した跡が所々に残っている。 (どうやら、骸骨兵士達が暴れたのは間違いないようだな) それを確認してから、ヒュンケルはモルグに質問する。 「おい、あいつの見張りには何体の骸骨兵士をつけておいたんだ?」 その質問に、モルグは慌てながらも返事をした。 子供相手に厳重すぎるようだが、それはある意味で仕方がないことだ。 本来ならばこの部屋の中には二体、部屋の前にも一体の骸骨兵士がいるはずだった。 部屋の前にいるはずだった一体の骸骨兵士の役割は、伝令だ。 そして、もう一体の骸骨兵士には何があろうともドアを塞いで立ちはだかるように命じておいた。 なにしろ、ポップは扉解除の魔法を使える。いくらドアに鍵をかけておいたとしても、無駄なことだ。だが、骸骨兵士が入り口を陣取るバリケードの役割をしていれば、そこを押し通るなんて無茶なこともしないだろうと考えたのだ。 骸骨兵士達には、手加減をして人間を取り押さえるなんてのは難しい。だからこそ、モルグは骸骨兵士に入り口を塞げとしか命じなかった。そうすれば骸骨兵士が勝手にポップを殺す心配は、ほぼなくなる。もし、ポップがその入り口を無理矢理通ろうとすれば反撃ぐらいはするだろうが、幸いにもポップは相当に利口だった。 骸骨兵士が入り口に近づかなければ攻撃もしないと気がつけば、無理を押してまで逃げだそうとは思わなくなるだろう……それが、モルグの狙いだった。 だがどんなにモルグが工夫をしていたとしても、不死系怪物達への命令は、召還者から別の命令があれば上書きされてしまう。 ポップが目覚めたのを見た途端、不死系怪物達はヒュンケルに対してそうしたように一斉にポップに襲いかかったに違いない。だが、その割にはこの部屋には血の跡などは残っていないし、ポップ本人の姿も見えないところも見れば、答えは一つだ。 「あいつはどうやら、この部屋から逃げ出したようだな」 つい苦笑が浮かぶのは、あのどうにもしぶとい魔法使いの少年の諦めの悪さを思い出したせいか。 魔法を封じる部屋に閉じ込められても、全く怯まずに脱走を試みたあの少年は、今度もまたまんまと逃げ出したらしい。見たところ、魔法を使った痕跡もないのにどうやってか骸骨兵士達の攻撃をかいくぐってこの部屋から脱したらしい。 「――おい、モルグ、この通風口はどこへ通じている?」 部屋の隅にある通風口をめざとく見つけ、ヒュンケルはまたモルグに問いを投げかける。 脱走したポップを見つけた時、手足が埃まみれだったことをヒュンケルは見逃してなどいない。なかなか見つからなかったことも併せて考えれば、小柄な身体を活かして通風口沿いに逃げたのだろうと容易に想像はつく。 それを思えば、今回もポップが同じことをして逃げたと考えてもおかしくはない。 「そ、そこは……行き止まりの隠し部屋に通じています」 問いかけにモルグは一瞬だけ目を見張り、それから妙に緊張した様子で答えるモルグの不自然さを、ヒュンケルは気にもとめていなかった。 「そうか」 口には出さなかったが、ヒュンケルはこの段階でポップが隠し部屋にいる可能性は薄いだろうなと判断していた。 もし、ポップが隠し部屋の方へ逃げたのなら、今、部屋に飛び込んできたダイの声が聞こえなかったはずはない。ヒュンケルやモルグだけならともかく、仲間であるダイの声を聞いたのなら、ポップも顔を見せただろう。 だが、未だにポップが姿を現す様子もないところを見ると、ドアの外へと逃げ出した可能性の方が濃厚なような気がする。 それならば、一刻の猶予もない。 だが、その懸念をヒュンケルが口にするよりも早く、ダイは通風口を指さした。 「でも、ポップ、一度はあそこへ逃げたはずだよ」 彼の言う通り、通風口の出入り口に汚れた手の後や、その下の壁に足跡らしき汚れが見える。 「まだ、あそこにいるのかも……おれっ、ちょっと見てくる!」 そう言ったかと思うと、止める間もなくダイは通風口へと飛び上がり、あっという間にその中に潜り込んだ。 「ポップ! ポップ、いるなら、出てきてよ! おれだよ!!」 狭い通路の中を、ダイはポップに呼びかけながら進む。その声が敵を呼び寄せるかも知れないなんて不安など、ダイには微塵もなかった。ダイが心配しているのは、ポップのことだけだ。 だが、残念なことに狭い通路でポップに出会うこともなく、ダイは対して時間もかからないうちに無人の隠し部屋に辿り着いていた。その部屋にもポップの姿が見えないことにがっかりしながら、それでもダイは一応隠し部屋に飛び降りる。 通風口は狭すぎて、小柄なダイでさえ一度外に出なければ身体の向きを変えられないからだ。 (あ、宝箱だ) ポップと違って、ダイは全く迷わなかった。 彼が見たことのある宝箱は、せいぜい王様から直接もらったご褒美ぐらいのものだ。 ダイが考えたことはただ一つ、それがポップに繋がる手がかりになるかもしれないというかすかな期待だった。だからこそ、ダイは何の迷いもなく素直に宝箱を開けた――。 (……遅いな) 内心、焦れったさを感じながらもヒュンケルはダイを待っていた。 その時間がやけに長く感じることに、ヒュンケルは二重の意味で苛立ちを感じる。 (オレとしたことが、何を気にしているんだ!?) 実際には、ダイが隠し部屋に行ってからそう時間が経っているわけではない。だが、そんなわずかな時間をひどく感じるのは、ヒュンケルがダイの帰りを必要以上に気にしているせいだ。 それは言い換えれば、ポップの安否を気にしているに等しい。 ポップがドアから逃げたのならば、捜索範囲は恐ろしいまでに広い。仮にも元は魔王の城だったのだ、広さだけなら地底魔城は通常の王家の城の広さを遙かに超える。 その中に人間の少年が一人迷い込んだのを探し出すのは、容易なことではない。現に、先ほどポップが脱走した際、不死系怪物達を使って捜索してもポップを見つけるのに苦労を強いられたのだ。 今度はその不死系怪物達の手助けを借りるどころか、彼ら全員が敵に回ったことを思えば、尚更だ。少しでも早く追いかけた方がいいのではないか――そう考えてから、ヒュンケルは自分で自分に舌打ちしたい気分になった。 (チッ、これではまるで……) まるで、本気でポップの心配でもしているかのようではないか。 なのに、縁もゆかりもないはずのあの魔法使いを、自分でも思っている以上に気にしている事実に、ヒュンケルは戸惑わずにはいられない。そのせいもあって落ち着かないヒュンケルに対して、モルグが話しかけてきた。 「ヒュンケル様、やはりご心配ですか?」 「心配などしていない!」 ただの否定にしては強すぎる返答は、図星を突かれたからこその反応だった。それに気がつかない執事ではないだろうに、モルグは素知らぬ顔でさらりと受け答える。 「あの少年は、ずいぶんと利口ですばしっこいようですから、そうそうめったなことにはならないとは思うのですが……」 「気になどしていないと言っているだろう!」 まるで叱りつけるような勢いで強く言い放ったヒュンケルに対し、モルグはわずかに苦笑する。 「そうですか……では、話は変わりますが、ヒュンケル様、この小部屋に見覚えはありませんか?」 文字通り唐突に変わったその言葉に、ヒュンケルはほとんど考えもせずに答える。 「ないな」 「まことでございますか? どこかで……わずかであっても、見覚えがあるのではないのですか?」 いつになく食い下がるモルグの言葉に、ヒュンケルは眉をひそめる。 ――ない、はずだった。 (なんだ……?) ひどく、不安で嫌な思いが蘇りかけていた。こんな小部屋など知らないと言いきりたいのに、そうは言い切れない不快さが残る。どんなに傘で防ごうとしても、いつの間にか身体を濡らしている霧雨のように、拭いきれない既視感がいつの間にかヒュンケルにまとわりついていた。 (いや、知らん! こんな小部屋などは――) 何かを振り切るように、ヒュンケルは激しく首を横に振る。そう、こんな『小』部屋などは知らない。 あの時、ヒュンケルがいたのはこんなに小さな部屋などではなかった。自分を見下ろすように並んでいた荷物の影で、震えていた記憶がある。こんな、立っているだけでヒュンケルの頭がぶつかりそうなほど、天井も低くはなかったはずだ。 不安さから何度も上を見上げた天井が、やけに高く見えたことを今も覚えている。 ちょうどヒュンケルがそう言おうとした時に、ダイが戻ってきた。身軽に通風口から飛び降りてきたダイは、真っ先に言った。 「ポップ、奥の部屋にもいなかったよ」 しょんぼりしたようなダイの報告に、がっかりとした顔を見せたのはモルグの方だった。最初からその可能性も想定していたヒュンケルは、失望もしない。 「そうか。もうここには用はない」 そう言って、ヒュンケルは歩き出そうとした。 そのままならば、ヒュンケルは勘に任せてポップを探しに行っただろう。しかし、それを止める声が響き渡った。 「お待ちを。ヒュンケル様、勇者様、一つ提案があります。 それが、いつものモルグの口調での言葉だったのなら、ヒュンケルは足を緩めさえしなかっただろう。ヒュンケルはモルグの人の良さを気に入ってはいるが、そのせいで彼の提案が常に中途半端な妥協案になりがちなことも知っている。 だからこそ、ヒュンケルは普段ならばモルグの提案をそのまま受け入れようとは思わない。 しかし、今の声音は、いつもとは違っていた。 「何か、手があるのか?」 ヒュンケルの問いかけに、モルグはひどく真面目な顔で頷いた。 「はい。私のこの鈴……今までお話ししませんでしたが、実はこれは地底魔城の最奥の部屋にある大きな鐘と連動しております」 そう言いながら、モルグは未だに手にしっかりと持っている鈴を持ち上げてみせる。 (ああ、あの最奥の部屋か) 城主であるヒュンケルには、思い当たる部屋があった。 もっとも、魔法には全く興味のないヒュンケルはその部屋をその後も気にしたこともなく、今となってはほとんど忘れかけていた。 「あの部屋に行って、直接鐘を操作すれば……この城にいる全ての不死系怪物の動きを止めることも可能です。もし、そうできれば――」 「あっ、そうか! それだったら、ポップがどこに逃げたか分からなくても、ポップを助けられるんだね!」 ダイがパッと表情を輝かせる。 「悪くない考えだが、……いいのか?」 ダイの手前、はっきりとは口にしなかったが、ヒュンケルはモルグへと問いかけずにはいられない。 ただでさえ一度、ミストバーンに操られて正気を失ったモルグが、再び召還者を裏切る様な真似をしたともなれば、どんな処罰が待っていることか。それを思えば、躊躇いも生まれる。 「いいも悪いもありませんよ。私の主君は、ヒュンケル様です。私は、ヒュンケル様のご命令に従うまでです」 「……」 ヒュンケルにしては珍しく答えに詰まったのは、胸にこみ上げてきた熱さのせいだった。 モルグがミストバーンの手下だったと聞かされた時、感じた冷たさとは真逆の暖かさが、喉元まで突き上げてくる。こんな気持ちを味わうのは久しぶりすぎて、それがなんと呼ばれる感情なのか、思い出せなかった。 ましてや、こんな時にはどう言えばいいのかも分からない。 「……ならば、命令だ。最奥の間へ、行く」 その言葉を同時に歩き出したのは、先ほど小部屋から背を向けたのとは全く違う感情のせいだった。 照れくささから必要以上に早足で歩くヒュンケルの後を、今度はダイとモルグが遅れて追いかける形になる。 「あ、そうだ。宝箱に入ってたけど、これってヒュンケルのなの?」 そう言いながらダイが差し出した貝殻を見て、モルグは思わず立ち竦んでいた。驚きに大きく目を見張るモルグに、身が入っていない貝みたいだけど、と言うダイはまるっきり気が付いていないのだろう。 自分が手にした貝がただの貝などではなく、貝に模して作られた精巧な偽物であり、世にも珍しい魔法道具なのだとは。ましてや、それがどれほどの意味を持っているかなど、知るはずもない。 「…………ああ……、それを、見つけたのですね……」 深いため息がモルグの口から漏れる。 「あの少年なら、もしかしたら気づいてくれるかも知れないかと思っていましたが……そうですか、あなたが見つけてくれたのですね」 しみじみと語るモルグの言葉に、ダイは当惑気味だった。 「? おれが見つけちゃ、まずかったの?」 「いえいえ、そんなことはありません。あなたが見つけたのも、運命というものでしょう。それは、確かにヒュンケル様の物なのですから。 「? ? えっと、じゃあ、よく分からないけど、そうするね」 疑問に首を傾げながらも、ダイは言われた通り素直に貝殻を懐のポケットにしまい込み直す。今は話を聞いている場合じゃないと思ったのか、足を速めてヒュンケルを追う小さな勇者の後を、モルグもまた追って走り出した――。 《続く》 |