『もう一つの救済 24』

「ああ、もう全く、あの子達は何をしておるんじゃ!?」

 もどかしげに言いながら、バダックは何度となく地底魔城を見下ろさずにはいられない。

 不気味な揺れも、ここにまで聞こえてくる歪んだ鐘の音も、何時しか治まっている。しかし、それでも感じられる鳴動があった。洞窟の入り口でチラチラと灯りが揺らいで見えるのは、内部で怪物達の動きが絶え間ない証拠だ。

(なにやら、よくない予感がするのう……)

 年老いたとは言えバダックはこれでも歴戦の兵士であり、なおかつ未だに現役だ。実力的には今一歩なレベルの兵士とは言え二度の魔王襲来を経験した彼は、城全体が浮き足立つ騒動を見極める目には長けている。

 あそこで、大騒動が起こっているのは見て取れる。それも、ちょっとやそっとの騒ぎなどではない。城の浮沈に関わる大騒動だ。
 その中に飛び込んだっきり、戻ってこないダイとマァムをバダックは心配していた。

 レオナが大いに期待をかけていた勇者の少年――ダイは、まだほんの子供だった。連れのマァムという少女も、彼よりは多少は年上とは言え、少女の域を出ていない。二人とも、バダックから見れば孫と呼んでも差し支えのない年齢の少年少女達だ。

 本来なら守ってやらなければならない年齢の子供達だけを、危険の待ち構えている敵城へ行かせてしまったのはバダックにとっては大いに不本意なことだった。

 が、少しでも動こうとすると腰が痛むこの現状では文字通り身動きがとれない。

 だからといって一人だけ安全な場所に避難する気にもならず、バダックは二人の身を案じながらじっと地底魔城の様子を窺っていた。そちらばかりに気を取られていた彼は、己の背後になど全く関心を払っていなかった。

「……おい、そこのじいさん」

 野太い声で呼びかけられ、バダックは振り向く。
 が、その途端にまたも腰が抜けるところだった。

「な、なんじゃあぁあっ!?」

 暗がりからのそりと現れたのは、驚くべき巨体だった。熊をも軽く上回る大きさと分厚さを持った巨体の怪物が、バダックを見下ろしている。

 見たこともない怪物だが、ワニ系の獣人と一目で分かるその怪物は壊れているとは言え重厚な鎧を身につけ、巨大な斧を手にしていた。
 パプニカが落城した時でさえ、こんな強そうな怪物には会ったことがない。

(う、うわわわわ、こんなところで死ぬとは……っ)

 老兵士の脳裏を過ぎるのは走馬燈でも、とうの昔に亡くなって先に自分を待っていてくれているはずの両親や妻の姿でもなく、生意気盛りの孫や娘夫婦の姿だった。

 だが、半ば以上死を覚悟したバダックに続けてかけられた声は、予想外のものだった。

「よかった、無事だったのね、バダックさん! 心配していたのよ」

「はぁ?」

 女の子特有の甲高い声で名を呼ばれ、バダックはきょとんとして目の前の巨体の怪物を見返す。あまりにもインパクト大なその姿のせいで見逃していたが、その怪物を後ろから支えるような形で顔を覗かせたのはマァムだった。その方で、ピイピイと可愛らしい鳴き声を立てているのは金色の小さなスライムだ。

「おお、マァム! 良かった、無事だったのか!! それに、ゴメちゃんも一緒だったんだな、良かった、良かった」

 ホッとしたバダックに向かって、苦笑の交じった様な声音がかけられる。

「驚かせたようですまんな、じいさん。だが、安心してくれ、オレは別に敵というわけではない」

「そうよ、彼は私達を助けてくれたわ。クロコダインというの」

 マァムが紹介してくれたこともあり、バダックはクロコダインへの警戒心を緩めた。顔こそは怖いし図体は威圧的だが、見た目と反して意外なぐらい穏やかな口調であり、攻撃を仕掛けてくる気配もない。

 それでも、普通の人間ならば怪物への恐怖心をそうそうはぬぐい去れないだろうが、バダックは年に似合わぬ柔軟性の持ち主だ。自分の孫ほどの年齢の姫や勇者を平気で受け入れることのできる精神は、怪物に対しても有効だった。

「そ、そうか、それならいいんじゃ。ところで、ダイは? それに、ポップとか言う仲間はどこじゃ?」

 その質問に、マァムの顔にわずかに憂いが浮かぶ。

「ダイは……、ポップを助けるためにまだあそこにいるわ。私達だけ、先に脱出してきたのよ」

 マァムの憂いに引きずられるように、バダックの顔にも心配そうな表情が浮かぶ。

「ダイ一人で? ……大丈夫なのかの?」

 出会ったばかりのバダックは、ダイの実力は知らない。
 見ただけで相手の実力を推し量れるほどの慧眼はバダックにはないし、一緒に戦った経験があるわけでもない。

 小さくて、魔法も苦手だけれどダイは立派な勇者なのだと嬉しそうに語っていたレオナの話が全てだ。

 しばらく一緒に行動して、ダイやマァムがその年齢とは思えないぐらいの体力の持ち主だとは分かっているが、それだけで魔王軍の兵士達とも互角に戦えるかどうか心配するのも当然だろう。
 だが、マァムは口元に微笑みを浮かべながら答える。

「大丈夫よ、きっと。それに、ダイは一人じゃないもの」







「ポップーッ、ポップ、聞こえたら返事をしてくれよーっ!!」

 移動する最中も、ダイは何度も声を張り上げて叫ぶ。
 全力で走りながら叫ぶのは、体力を必要以上に消耗する上に結構大変なものだが、ダイは声を惜しまなかった。

 ヒュンケルやモルグは、敢えて呼びかけは行わない。自分とダイ達が一時的とは言え手を組んだという事情を、ポップは知らない。自分達が呼びかければ、ポップが警戒してかえって出てこなくなるだろうと考えてのことだ。

 しかし、それでもどこかにポップの姿が見えないかと周囲に目を配ることを忘れない。ダイの声に反応し、ポップが自分から姿を現してくれるのならそれに越したことはない。

 だが、残念なことに周囲に見えるのは不死系怪物だけであり、人間の少年など全く見かけない。

(……もしかすると、すでに手遅れかもしれないな)

 考えたくはないが、最悪の事態をヒュンケルは予測せずにはいられない。これだけの数の不死系怪物達がうろつく中で、いかに魔法使いといえども人間の少年が生き延びるのは困難だ。

 この大群とまともに戦って切り抜ける程の力があるようにはとても見えなかったし、実際、ポップはあの部屋から逃げ出す際に戦った形跡を残していない。

 だが、とヒュンケルは思い直す。
 認めるのは癪だが、確かにポップは並の少年ではない。魔法使いだという点を除いてもなお、並外れた賢さを持つ少年だというのは否定できない。

 警戒厳重な地下牢から逃げ出し、自分以外の捕虜の居場所を探し当てたポップならば、この状況下でも安全な逃げ場所を探すことも可能ではないか。

 見た目によらぬ理論的な視点で15年前の真相を見抜いたポップならば、敵と見れば戦うしか思いつかない自分とは違う方法で切り抜けるかもしれない。
 いや、そうあってほしい。

 いつの間にか期待を乗せてそう考えている自分に気がつき、ヒュンケルは苦笑する。

(……あいつを、助けたいと思うほどの義理はなかったはずなんだがな)

 どうやら自分は、自分で思っている以上にポップを高く評価し、彼の生存を祈っているようだ。

「ポップッ、ポップ、聞こえたら出てきてよーっ!」

 ダイの必死な呼びかけを聞きながら、ヒュンケルもまた、心の中で魔法使いの少年の無事を祈り、救出を望んでいた――。

 







 薄暗い通路の中を、不死系怪物達はフラフラと歩いていた。
 どこに向かっているかもおぼつかない足取りで、だが全員が一方向に向かって歩いている。

 それが一変したのは、とある曲がり角を折れた時だった。
 通路の先に人影を見た途端、不死系怪物達の動きは一変した。人影に向かって突進する勢いで、駆け出していく。声になりきっていない呻き声を立てながら、彼らは人影に全力で斬りかかった。

 金属がぶつかり合う音が響き渡り、複数の不死系怪物達の猛攻が続く。だが、その攻撃は始まった時と同じように唐突に止んだ。

 斬りかかっていた『もの』が床に崩れ落ちると同時に、不死系怪物達はそれに興味を失ったように散り散りに離れていき、またフラフラと歩き出す。その場に残されたものは、もはや人影とは縁遠い『もの』になりはてていた。
 バラバラに崩れ落ちた鎧の残骸を見て、ポップは思わず肩をすくめる。

(あーあ、容赦ねえよなぁ)

 通風口から壊れた鎧を見下ろしながら、ポップは小さくため息をつく。
 自分の意思というものを持ち合わせていない不死系怪物達は、生きた人間と飾りのために置かれた甲冑の区別もつかないらしい。しかし、鎧に対して仕掛けられた執拗な攻撃を見て、ポップには一つ推理できたことがあった。

(――これってどうやら、あいつの命令じゃなさそうだな)

 ポップ自身も何度も不死系怪物達に襲われたが、今の鎧に対する攻撃ほど強烈な攻撃は食らわなかった。明らかにポップよりも鎧に対して激しい反応を見せた不死系怪物達は、人間を……それも、おそらくは戦士を狙って攻撃するように命令されているとしか思えない。

 だが、そんなのは矛盾した命令だ。
 不死系怪物達の知識は、ごく低い。人間を探して殺せなどという迂闊な命令を下せば、命令を与えたヒュンケルさえ攻撃しかねない愚直さを持っているのだ。

 不死騎士団長を名乗っているぐらいなのだから、ヒュンケルがそれを知らないとも思えない。自分で自分の身を危うくするような命令を下すほど、間抜けな男とは思えなかった。
 となれば、考えられるのは……敵勢力内での揉めごとだろうか。

(あいつら、仲が悪そうだったしな)

 六団長の一人だと名乗ったザボエラを思い浮かべながら、ポップは何となく嫌な気分を味わう。

 ヒステリックにわめき立てていたザボエラは、いかにも根性が悪そうな煮ても焼いても食えないクソじじいと見えた。覚えていろよと捨て台詞を残して去って行ったザボエラが、なんらかの形でヒュンケルへの報復を目論んだと聞いても、ポップは驚きもしない。

 正直に言ってしまえば、ザボエラはそんな執念深さを感じさせる男だった。ポップの些細な反撃にあれだけ激高してやり返そうとしたザボエラなら、ヒュンケルに対してもそうしようとしてもなんの不思議はない。

 実際、ヒュンケルの態度はポップの目から見てでさえ、無礼で尊大にも程があると思えた。あれではわざわざ喧嘩を売っているも同然だ、常にあんな態度を取っているのだとすれば、ヒュンケルは魔王軍内部にいてでさえ敵には困るまい。

(……あいつは、無事なのかな?)

 つい、そう考えてから、ポップは意図的に首を横に振った。
 気にならないと言えば嘘になるが、そんなことを考えている場合などではない。ポップ本人の方が、よほど危うい立場にいるのだから。

 これだけの数の不死系怪物と、戦って切り抜けるなんて発想は最初からポップにはない。

 不死系怪物達だらけの廊下を死にものぐるいで走って逃げ、なんとか通風口に逃げ込めたものの、ここが安全圏とは言い切れない。基本的に不死系怪物達の注意力は低く、物音でもしない限り目線を上にあげたりはしないから見つかる可能性は低いものの、いいつまでも通風口に隠れているわけにはいかない。

 だいたい、食料も水もない状態でこんな場所に隠れていられる時間は、そう長くはない。不死系怪物達から隠れるために、飢え死にするなんて最後だけは死んでもごめんだ。

 どうしたって、城の外に出る必要がある。
 そう思ったポップは、通風口沿いに下に向かって移動し始めた。
 大半の不死系怪物達が上方向に向かっているため、下降する方が楽だったせいもあるが、ポップにはもう一つ目当てがあった。

『いいですか、ポップ。城の構造というものはね、案外似通っているものなんですよー』

 思い出すのは、懐かしい声。
 どうせ自分には関係ないやと思いながら、適当に聞き流していた授業の一つだった。絵も結構得意なアバンは、図解付きでポップに城の基本的な構造を教えてくれた。

 その大小に関わらず、城というものは本来の出入り口とは別に、脱出路が隠されていることが多い。それは万一の時、城主やその一族だけは安全に逃げ出すための仕掛けだと習った時、ポップにはぴんとこなかった。

 そんな風に自分達だけ逃げ出すなんて、卑怯で自分勝手なことではないかと考えたからだ。
 弟子の浅い考えを、アバンは笑いながら諭してくれた。
 
『それは違いますよ、ポップ。
 城主というものはね、何があっても生き延びる義務があるんです。チェスで王の駒が取られたらゲームが終わりのように、城主が死んでしまえばそこでその国は終わりですからね。ですが、王が生きていれば次の手も打てます。

 だからこそ、万が一に備えて脱出路を確保しておくのは珍しいことではないのですよ』

 そう言いながら、アバンは隠し通路は地下の一番深い場所に作ることが多いのだと教えてくれた。

 人知れずに、しかも複数が城を脱するのならば、地下にこっそりとトンネルを作っておくのが一番利用しやすい。しかもそこは普段から人があまり近寄らず、なおかつ、いざという時には玉座から短時間でそこに行ける場所でなければ意味はない。

 とは言っても、それだけのヒントで初めて来た城の構造を、完全に推測しきれるわけがない。

 だが、目星をつけることが出来たのは、皮肉にもヒュンケルが地獄門の場所を教えてくれたおかげだった。あれが魔王の間へ通じる場所だというのなら、あの地獄門から下へ下へと移動していけば隠し通路を見つけられる可能性が高い。

 そう読んだポップの思考は、間違ってはいなかった。
 不死系怪物達をやり過ごしながら、下へ下へと移動した結果、ポップは不自然なほど頑丈な鍵のかかった扉を発見したのだから。

(ホントにあった……!)

 探していたとは言え、本当にそれらしき場所を見つけて驚かずにはいられない。アバンを信じていなかったわけではないが、普通に地上に建っている城ならばいざ知らず、最初から地下に作られた地底魔城でも脱出路の法則は通用するのかどうか、半信半疑だったのだ。

 しかし、目の前の扉が特別なものだとポップは見ただけで直感できた。
 こんな地下の一番深くに存在するにしては、この扉は立派すぎる。魔王の間に通じる、地獄門によく似ているのだ。ならば、ここも魔王に関わる重要な場所を守る扉だと考えるのが自然だ。

 問題はこれが本当に脱出路かどうかだが、そんなものは確かめてみればすぐに分かる。本来ならば城主以外は鍵を持つことも禁じられ、余人には決して開けられない扉も、今のポップには意味はない。

「開け、アバカム!」

 扉に手を押し当てて叫んだ呪文は、ものの見事に効力を発揮した。音もなく開かれた扉に、ポップは大きく息を吸い込んでから足を踏み入れる。
 その途端、室内にぱぁっと灯りがついた。

「う、うわっ!?」

 一瞬、焦ったポップだったが、それは焦るには及ばない代物だった。ポップが室内に入った途端、随所に設置された燭台に自動的に灯が灯っただけのことだ。

 ずっと光を灯し続ける燭台と違い、人や生き物に反応して灯りが灯るタイプの燭台というのも世の中には存在する。後者の方が難しいのか数は少ないが、そういう灯りもあることだけはポップはアバンに聞いたことがあった。
 誰かが灯りをつけた訳ではないと知り、ポップはわずかに安堵する。

 あらためて部屋の中を見回してみると、そこは無人だった。部屋と呼ぶにはあまりにも広くて、むしろ広間と呼んだ方がいいような天井の高い部屋だ。その天井には、ポップの予想もしないものがあった。

(なんだ、あれ?)

 鐘が、そこにはぶら下がっていた。
 教会に相応しいと思えるような巨大な鐘が、天井の一番高い部分にある。だが、普通の鐘ならば鐘撞きやら足場やらが備わっていそうなものだが、そこにあるのはただの鐘だけだ。

 そのくせ鐘があるのと同じ高さの位置に、扉が見えるのがなお奇妙だった。ポップが入った扉とは比べものにならない粗末な扉であり、城の正門と使用人の通用口ぐらいの差がある。

 なにせ天井の高い部屋なだけに、その扉は普通の感覚で言えば二階建ての家の天窓に近い場所にある。だが、その扉から鐘に行くまでの足場は、存在してはいないのだ。

 しかも、その扉から上下に移動するための足場もない。
 あれでは文字通り、窓代わりにこの部屋を覗き込むぐらいしかできまい。なんのために作られた扉なのかと、ポップは少しだけ考えた。

 が、すぐにそんなことを考えている場合じゃないと考え直す。
 あまりにも意味不明なものを見たせいで戸惑ったが、あの巨大な鐘が何であってもポップには関係がない。肝心なのは、ここから外へ脱出する路があるかどうかだ。

 幸いにもと言うべきか、それらしき扉はすぐに見つかった。
 ちょうど粗末な通用口の真下、ポップが入ってきた扉の真正面に当たる位置に、もう一つの扉が見える。

 それが外に通じているかどうか確かめようと、足を踏み出しかけた時のことだった。
 音もなく、その扉が開いたのは。

「――!?」

 その扉の向こうは薄暗くてよくは見えないが、どうやら通路らしきものが広がっているのが見て取れた。ポップが望んだ通りトンネルになっているようだが、その事実は少しもポップを喜ばせてはくれない。

 あれ程望んだ脱出路以上に、部屋に入ってきた人物の方に目を奪われる。
 魔法を使った様子もないのに、巨大な石製の扉を易々と開けて見せた巨漢の魔族は、ポップに目をとめてわずかに意外そうな顔をする。

「おや……思わぬところで会ったものだな、小僧」

 皮肉さを交えてはいるというものの、どこか気安いその呼びかけにポップは返事をするどころではなかった。

 真っ青になり、その場に立ち竦むことしか出来ない。
 身体が自然に震えだしたのを、ポップは自覚していなかった。極度の緊張と恐怖による息苦しさのせいで、それどころではなかったからだ。

 これ以上ない程目を見開き、ポップは何度も息を飲み込む。そして、全身の力を振り絞って、声を出そうとする。二、三度失敗してからやっと絞り出された声は、悲鳴じみた響きがあった。

「なんで……なんでっ、おまえがここにいるんだよ、ハドラーッ!?」
 
                                                                                                                                                    《続く》

 

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