『もう一つの救済 26』

 激しい激突音が、広間中に響き渡る。
 その音と同時に、弾かれたようにヒュンケルとハドラーが左右に散り、互いに距離を取って対峙していた。

 まさに、一瞬の攻防――。
 瞬きを一つ二つすれば見逃してしまいそうな神速のやりとりを、瞬時に理解できる者は少ないだろう。

 実際、すぐ目の前で起こったはずの出来事なのに、ポップには互いの動きを完全に見切ることはできなかった。

 それでも、何が起こったのかぐらいはだいたい分かる。
 あの時、ヒュンケルは雄叫びのような声を上げ、躊躇せずに飛び降りてきた。

 並の人間なら足が竦む高さだが、ヒュンケルの卓越した運動神経はそのぐらいの高さなどものともしなかったらしい。むしろその高さすら利用して、真上からハドラーに向けて、攻撃を仕掛けたのだ。

 二階以上の建物に当たるであろう高さから剣を持ったまま飛び降りてくる度胸も、落下距離にも関わらず剣を構え続けられる腕も並ではないが、受け手の方も常識外れだ。

 ただでさえ頭上からの攻撃は、避けにくい。
 が、ほぼ真上から切り込んでくるヒュンケルの一撃を、ハドラーは見事に受けきった。奇襲に等しいその攻撃を防ぐだけでもたいしたものだが、それだけでなく逆にヒュンケルに反撃を仕掛けようとさえしたようだ。

 その証拠に、いつの間にかハドラーの両の手から、鋭い爪が生えている。先ほどポップと相対している時には出してはいなかったそれは、ハドラー独自の武器、地獄の爪(ヘルズ・クロー)だ。武闘家の鉄の爪と同じく拳に装着して打突技の威力を上げるための武器だ。

 重力という加速度をつけたヒュンケルの剣を受けきったのも、地獄の爪の硬度があってこそだろう。

 魔法も得意としているとは言え、ハドラーの本質は武闘家に近い。遊び半分のようにポップを魔法で焼き殺そうとした時と違い、とっておきの武器を見せたということは、彼の本気さを表している。

 互いに初撃を防ぎ合った二人の戦士は、まるで互いに打ち合わせをしたかのように、全く同時に距離を取った。そして、隙をうかがい合う獣のように殺気だった目で互いを睨みつけている。

 側にいるだけで空気がヒリヒリとひりつくようなその殺気に、ポップは居心地の悪さを感じずにはいられない。肉食獣同士の戦いの場に、運悪く迷い込んでしまった草食動物の気分だ。

 しかし、不幸中の幸いなのは、互いに敵の存在に気を取られるあまり、ポップのことにまで神経が回っていないように見えることだろうか。

 もちろん、ハドラーにせよヒュンケルにせよ、ポップがここにいることに気づいていないはずはないし、忘れたわけでもないだろう。だが、今はそんなことになど構っていられないだけだ。

 実力が拮抗した戦士達の間には、魔法使いなどには割り込めない気迫が立ちこめていた。一瞬たりとも気を逸らせば敗北するとばかりに、ハドラーもヒュンケルも互いだけに全神経を集中させている。

 ついさっきまではポップの言葉にいちいち反応し激高していたハドラーも、もはやポップになど見向きもしない。それは、ヒュンケルの方も同じだった。彼の険しい目はハドラーだけに向けられていて、ポップの居場所を確かめようとさえしなかった。

 ハドラーはともかくとして、自分のことをまるっきり無視しているヒュンケルに対して、ポップはなんとなくムカつく気分がないわけではなかった。

(こいつ、いったい何をしにきたんだよ!?)

 最初にヒュンケルを見た時、ポップはてっきり彼が自分を探しにきたのだと思った。

 ハドラーと話している時に、彼の頭上にあった扉が開いただけでも驚いたが、それを開けたのがヒュンケルだと気がついた時はもっと驚いた。と言うよりも、軽く混乱したと言った方がいい。

 はっきり言ってしまえば、ハドラーの話以上にヒュンケルの姿に気がついた時の驚きの方が大きかった。そんなことは、絶対にないだろうと思っていたのだから。

 逃げる最中に見た城内の様子から、ヒュンケルの配下のはずの不死系怪物達が反乱を起こしているとポップは判断していた。そんな状況下で指揮官が真っ先にすべきことは、反乱の制圧か、でなければ脱出のいずれかだ。

 そんな時に、捕虜のことにまで手が回るまい。
 自分で言うのもなんだが、ポップは価値がある人質とは言えない。ポップにはダイのような特別な力などはないし、多少魔法が使える程度のただの平凡な人間だ。

 混乱に乗じて捕虜が逃げたことに気がついたとしても、わざわざ追いはしないないだろう。そう思っていただけに、ヒュンケルの姿を見てポップはひどく驚いた。

 思わず彼の名を呼んでしまった時は、しまったと思った。
 だが、その時、偶然にもハドラーがヒュンケルの話をしていただけに、なんとかごまかせたのは運が良かった。

 ハドラーと出会っただけでもポップには十分な驚きだったし、魔王と一対一で対峙しなければならない状況は、ポップにとっては多大な緊張と負担を強いられるものだった。

 そのせいもあって、ハドラーがポップの驚き方や様子に不審は感じなかったのは二重の幸運だった。

『ヒュンケル、も殺すのかよ……!? 
 なんでだよっ、あいつもおまえと同じ魔王軍の一員のはずだろ!?』

 混乱した風を装ってそう叫んだのは、本心からの疑問とはほど遠い。
 本当は、そんなのは聞くまでもなく分かっていた。

 ヒュンケルが魔王軍との連中とうまくいってないのは、彼とザボエラのやり取りを見た時から予測はついていた。それに、ポップがハドラーと会うのは初めてではない。

 人間を見下す尊大な魔王と、魔族をもものともしない不敵な人間の青年が、気が合うとはとても思えない。彼らが仲間意識を持ち合っているだなんて、最初から思いもしなかった。

 しかし、その場をごまかすためのその質問は、意外にもハドラーにとってはプライドを刺激されるものだったらしい。怒り出したハドラーを見て、ポップには閃くものがあった。
 ヒュンケルに真実を知らせるのなら、今こそが絶好の機会だと――。

『ちょ、ちょっと待ってくれよ!』

 あの叫びは、ハドラーに向けたものではなかった。
 剣を抜こうとしていた、ヒュンケルに向けたものだった。
 ヒュンケルがわざわざポップを探しに来たのか、それとも、偶然なのか――そんなことは分からない。

 だが、ハドラーが手から炎を燃え上がらせたのを見て、ヒュンケルが剣を抜いたことだけは確かだ。ザボエラに殺されかけたポップを助けたように、ハドラーに殺されかけているポップを見て、ヒュンケルは行動しようとしていた。
 それを、ポップは止めさせた。

 そして、口車を駆使してハドラーを誘導し、バルトスの話を持ちかけた。ハドラー本人の口から、真実を聞き出すために。

 ある意味では、これは絶好の機会だった。
 ポップはバルトスの死の話を聞いた時から、ずっとハドラーを疑っていた。バルトスの死に関して、アバン以上にハドラーに責任がある――そんな風に思っていたポップにとって、それを確かめるために質問をするのはそう難しくはなかった。

 ポップのその目論見は、予想以上に成功した。
 真相を知ったヒュンケルが激高してハドラーと戦い、また、ハドラーも戦いに夢中になってポップのことなど忘れてしまう――それは、ある意味ではポップの理想通りの展開と言えるのだが……誤算が一つあった。

(なんで、よりによって通路の真ん前で戦い始めやがるんだよっ!?)

 これでは脱出路へ向かうには、決闘している二人の間を通り抜けていくしかない。いくら何でも、そんな度胸などポップにはない。

 もし、そんな真似をしたのなら、ハドラーとヒュンケルの両方を一度に敵に回すも同然だ。彼らは一斉に攻撃目標をポップに変えてくるに決まっている。どう考えても、もう脱出路は使えない。

 それでも、ポップにはまだ逃げ道はある。逆戻りすることにはなってしまうが、地底魔城へ逃げることもできる。

 脱出路からは遠ざかることになるし、再び不死系怪物達の大群の中に戻ることにはなるが、少なくともここで魔王レベルの決闘の邪魔をする形で無理矢理脱出するよりは、よほどマシなはずだ。

(……今なら、逃げられる……よな?)

 じりじりと後ずさりながら、ポップはハドラーとヒュンケルの様子を窺う。
 敵だけを睨み合っている彼らは、ポップの邪魔をする様子はない。ポップを止めるために声をかけるだけでも、それが隙になると分かっているからこそ敢えて無視しているのだろう。

 つまり、逃げるなら今がチャンスだ。
 ――だが、それが分かっていても、ポップはその場から動けなかった。もう一度、彼らを見る。ハドラーとヒュンケルを……そして、もう一度ヒュンケルを。

(くそ……っ、おれには関係ないじゃねえかよ!!)

 心の中で毒づくが、足が動かない。
 この手の足の重さを味わうのは、ポップにとって初めてではない。
 前にも、経験したことがある――クロコダインと戦うダイとマァムを見捨てて、一人だけ逃げ出そうとした時に感じたものだ。

 このまま逃げ出せば安全だと分かっていたのに、どうしても足が動いてくれなかった。ダイ達を助けにいくほどの思い切りも持てなくて、そのくせ逃げ出せる程の悪党にもなりきれなくて宿屋にとどまっているしかできなかった。あの時は自分がひどくちっぽけで、嫌な奴になった様な気分を味わった。

 今の気分は、その時のものに似ていた。
 それが自分でも納得できず、腹立たしいまでの理不尽さを掻き立てる。

(こいつは……っ、敵じゃないか! 先生を仇と言って、ダイまで殺そうとして! そんな奴がどうなろうと、おれには関係ないじゃないかよっ!!)

 自分に言い聞かせるように、心の中で強く叫ぶ。――が、そのすぐ傍らから、別の声が心の奥で囁いていた。

 ――こいつは、誤解しているだけだ。

 アバンを仇と思い込んだ……もしくは、思い込まされたヒュンケルは、魔王軍に利用されている。その事実に、ポップは地獄門を見た時にすでに気がついていた。

 ――こいつは、クロコダインのおっさんもおれも殺そうとはしなかった。

 ヒュンケルがダイを殺そうとしたのは、事実だ。だが、だからといってヒュンケルが冷酷な殺人鬼とは思えない。ダイを庇うために行動した、クロコダインとポップを殺そうとはしなかったのだから。

 クロコダインにしろポップにしろ、殺したいと思うのならいくらでも機会はあったはずだ。だが、ヒュンケルはそうはしなかったし、むしろ命を救ってさえくれた。

 重傷だったクロコダインは、手当をされなかったらおそらく死んでいただろう。
 それに、ポップだってそうだ。

 もしヒュンケルがポップに積極的に危害を加える気なら、ポップは二度と目覚めることなどなかっただろう。なにしろ、ポップはヒュンケルの目の前で、魔法力を使い果たして二度も気絶していたのだから。

 それに、ザボエラに殺されかけたポップを助けてくれたのは……認めたくはないが、ヒュンケルだった。ポップを背に庇い、敵に立ちはだかった背中を見た時の驚きを、覚えている。

 あの時、ポップが咄嗟に思い出したのはアバンの背中だった。
 初めて会った時も、修行の旅の途中も、危険に出くわした時はアバンはいつもポップを背に庇ってくれた。

 顔も、性格も、雰囲気も何も似ていないのに、あの時のヒュンケルの姿が懐かしいアバンにダブって見えたのが、ポップには驚きだった。

(先生……っ)

 歯を食いしばって、ポップは今はいない師を思う。
 苦しい時や、自分ではどうしようもできない時、アバンに救いを求めるのはずいぶん前からのポップの癖だ。アバンを失った後でさえ、その癖は消えてはいない。

 もし、アバンがここにいたのならどうしたか――。 
 その答えは、簡単だった。

(先生なら……きっと、あいつを助けるに決まっている……!)

 アバンは、優しい師だった。
 押しかけ弟子のポップでさえ突き放さず、導いてくれたあのアバンが、一番弟子を見捨てるなど考えられない。

(そうだよ……、先生なら、きっと――)

 自分に言い聞かせるように心の中でそう繰り返すポップは、気がついてはいなかった。ポップがヒュンケルを助けようとしているのは、今に始まったことではない。

 アバンの思い出にすがって言い訳を探すよりもずっと早く、ハドラーから真実を聞き出すという形ですでにヒュンケルを援護している事実を、ポップは全く自覚していなかった。

(……よぉしっ!!)

 迷いはしたものの、ポップが心を決めるまで実際にかかった時間はそう長くはなかった。ハドラーとヒュンケルが決闘を始まるよりも早く、ポップは決心を固めていたのだから。

 一度、心を決めればポップの行動は早かった。後ずさりをやめ、ポップは息を整えながらその手を強く握りしめる。

 その手が見る間に光に覆われていくのは、魔法力が高められている証だ。
 その光に気がついたのか、ハドラーとヒュンケルの両者の視線が同時にポップへと注がれる。

 だが、ポップは構わなかった。
 なにせアバンの魔法でさえ通用しなかった相手だ、ポップの魔法が効くとは最初から思ってなどいない。ついでにいうのなら、ヒュンケルも魔法を弾く鎧を持っているだけにポップの魔法など気にするとは思えない。

 だが、魔法を受けることでハドラーに少しでも隙ができれば、結果的にそれがヒュンケルへの援護になるはずだとポップは考えた。

 なのに、彼らの反応はポップの予想を大きく裏切るものだった。
 魔法を放とうとしているポップを見て、顔色を変えたのはヒュンケルの方だった。 

「馬鹿め、何をして……ッ!?」

 怒りに似た叫び声が途中で途切れたのは、ハドラーがヒュンケルの見せた隙を逃さずに襲いかかったせいだ。

「甘いわっ!!」

 吠える様な声と共に、ハドラーの両腕が凄まじい勢いで振り下ろされる。交差する形で振り下ろされた地獄の爪を、ヒュンケルが剣で辛うじて受け止めはした。

 そのまま鍔迫り合いの姿勢へと持ち込んだ二人だったが、どう見ても有利なのはハドラーの方だ。大きく隙を見せたヒュンケルの姿勢が整えきらぬうちに斬りかかったハドラーは、力を込めてそのまま押し切ろうとする。

「え……?」

 驚きに、ポップは戸惑わずにはいられない。
 まさか、こんな展開になるなんて夢にも思わなかった。

(な、なんで……? なんで、あいつが?)

 ヒュンケルの予想外の反応に気を取られ、さらに今となっては魔法をどう放てばいいのか迷うポップは、気がつかなかった。
 いつの間にか、自分の背後に音もなく忍び寄った白い影に。

 ゆらり……と空間を歪ませ、スゥッと姿を現した白ずくめの男の存在にポップは全く気がつけなかった。自分のすぐ真後ろに立ったその男こそが、六団長の一人であり魔影参謀ミストバーンだと、ポップが知るはずもない。

 その手が、ゆっくりと振り上げられるのをポップはもちろん見なかった。鋭い爪の生えた手は、ポップの頭上でぴたりと動きを止める。丁度、勢いをつけて振り下ろすには適切な距離だと言うことも、気づかない。

 ポップが気がついたのは、鍔迫り合いの最中だというのにそれでもまだこちらに幾度も目を向けているヒュンケルの焦りだった。

「馬鹿が……ッ、何をしている、早く逃げろっ!!」

 それが自分に向けられた言葉だとポップがようやく気がついた時に、勝ち誇った声でハドラーが言ってのける。

「もう、遅い。どうせ早いか、遅いかの違いだ……兄弟弟子そろって、仲良くあの世に行くといい!」

 ハドラーの言葉に合わせるように、ミストバーンの高質化した手が一気に振り下ろされる。その動きが巻き起こすわずかな風を感じ取って、ようやく振り返ったポップの目が、最大限に見開かれた。

 だが、すでに逃げるには遅い。
 驚くだけで身動きも出来ないポップの頭めがけて、凶悪な爪が振り下ろされる。

(あ、おれ、死ぬのかな……)

 どこか人ごとのようにそう思った瞬間のことだった――その声が、聞こえたのは。

「ポップッ!」

 聞き覚えのある声。
 それがあまりにも耳に馴染んだ声だっただけに、ポップは自分をかすめるように後方から突っ込んできたものを、避けようともしなかった。それを見越していたように、鋭い刃はポップをギリギリにかすめて白ずくめの男へと切りつけられる。

 それは、たとえるなら流れ星に近い。
 一瞬で上から下へと走る星と同じ角度と早さで、突っ込んできた刃を嫌ってか、ミストバーンが大きく一歩下がる。白くて長いフードが翻るのを見送ってから、ポップはようやく突っ込んできた「もの」の正体を知った。

 剣をしっかりと構え、なぜか背中に不死系怪物をすがりつかせた小柄な少年。後ろ姿しか見えなくても、その特徴的なボサボサ頭を見間違えるはずなど、絶対にない。

「ダ、ダイッ!?」

 驚きながら呼びかけても、ダイは振り向きはしなかった。
 だが、その態度がかえってダイらしいとポップは思う。見た目や年齢こそは子供でも、ダイはれっきとした勇者だ。敵を前にしたのなら、何をすべきかを心得ている。

「なんで、おまえがここに……?」

 戸惑いながら尋ねるポップの問いに、力強い答えが戻ってくる。

「そんなの、ポップを助けに来たに決まってるじゃないか!」

 当たり前のことだと言わんばかりに、ダイは元気よく言い切った――。
                                                        
                                                                                                               《続く》

 

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