『もう一つの救済 27』

(おれを助けに、だって……? そうか、ダイの奴――)

 一瞬の混乱の後、ポップはなんとか状況を飲み込んだ。
 このタイミングでヒュンケルに続いてダイが降りてきたのが、偶然とは思えない。

 ポップの場所からはヒュンケルしか見えなかったが、その後ろにはダイもいたのだろう。元々、あの扉はこんな真下から上を見上げればどうしても視界が制限される場所にあった。おまけに小柄なダイでは、ヒュンケルの後ろにいたのなら隠れて見えなかったのも無理はない。

 しかも、ヒュンケルの部下と一緒に飛び降りてくると言うおまけつきだ。
 つまり、ダイとヒュンケルはいつの間にか手を組んだらしい。――そうなった事情はさっぱり分からないが。

 それを悟った瞬間、ポップはとりあえず気になる疑問を真っ先に投げつける。

「おい、ダイ、マァムはどうしたんだよ!?」

「心配ないよ、ゴメちゃんやクロコダインと一緒だから!」

 振り向きもせずにそう答えたダイの台詞には、ツッコミどころ満載だった。 この言い方ではどこにいるのかもわからない。

 それにゴメちゃんはともかくとして、地底魔城に捕まっていたはずのクロコダインも一緒とはどういうことなのか。
 心配がなくなるどころか、むしろ山積みになりそうな返事だ。

(だいたい、おれ、助けはいらねえって言ったのによ)

 ちらっとそんな不満も心に浮かんだが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 説明は下手だが、ダイは嘘をつくような奴ではない。そのダイが大丈夫だというなら、ポップはそれを信じるだけだ。詳しい説明を聞いたり、文句を言ったりするのは、後でもできる。

 ダイにしろ、ヒュンケルにしろ、それぞれ戦っている相手は紛れもない強敵だ。ハドラーはともかくとして、ダイの相手はポップにとって初めて見る相手ではあるが、見るからにただ者ではなかった。

「な……、なんなんだよ、こいつ……!?」

 ハドラーにも匹敵する長身の魔族だった。白いローブの中身は、どこまでも暗い闇で満たされている。そのくせ、目に当たる部分だけがぽっかりと光っているのが不気味だった。人間の姿はしているものの、幽霊を見ているかのように現実感がなく、ぞっとする雰囲気を持っている。

 その気配を誰よりも一番強く感じているのは、彼と敵対しているダイなのだろう。ポップの方を一度も振り返りもせず、敵だけに身構えている緊張した態度から、ダイがいつも以上に戦いに集中しているのが分かる。
 そうしなければならない相手だと、本能的に感じ取っているのだろう。

「お、お気をつけを。その方は魔影参謀ミストバーン様ですっ」

 悲鳴のような声でモルグが告げた名に、ポップは聞き覚えがあった。死にかけていたヒュンケルを拾ったという、魔王軍の幹部の名だ。

「おい、ダイ、気をつけろよ! そいつ、なんかヤバい感じがするぞ!!」

 そう叫んだのは、ほとんど直感だった。

「分かってる……! モルグさんは、下がってて!」

「は、はいっ」

 あたふたと駆けよってきたモルグと入れ違いに、ポップは前に進み出ようとした。

 ハドラーとミストバーンのどちらが強いかは分からないが、ダイが戦おうとしているのならそれを助けるのは、ポップにとっては当たり前のことだ。だが、前に進もうとした瞬間、背後から聞こえてきた金属音に思わず振り返る。

「……っ」

 その光景に、ポップは思わず息を飲んだ。
 そこで行われていたのは、死闘だ。

 攻撃の一降り、一降りに殺気が込められているのは、一目で分かる。もし、それをポップが受ける立場だとしたら避けることすらできずに一刀両断にされているだろう。

 だが、ハドラーとヒュンケルの実力は拮抗していた。
 必殺の鋭い一撃を、彼らは互いに見逃さずしっかりと受け止めている。

 武闘家と戦士の激しい攻防に、目も眩みそうだった。剣と鉄の爪がぶつかり合う度に火花を散らし、激しい激突音を奏でる。ほんのわずかでもどちらかのタイミングがずれれば、その瞬間に勝負がついていると思えるほど激しい攻撃のぶつかり合いが奏でる音は、不思議なぐらいに人を引きつける響きがあった。

 法則もまとまりもない不規則な音にもかかわらず、まるで予定調和の上での戯曲の演奏であるかのように、途切れることなく見事に繋がり続けている。
 ポップなどには到底手の届かないレベルの肉弾戦だった。

 そんな場合ではないと分かっているのに、思わず目を奪われそうになる。いや、実際にポップはその戦いに目を奪われていた。

(すげえ、あいつ……! あんなに、強かったなんて……!!)

 ヒュンケルの強さを、ポップは知っているつもりだった。
 ダイとマァムと一緒に三人がかりで戦っても、まるっきり歯が立たなかった相手だ。だが、その強さは彼の鎧の魔剣がもたらしている効果が大きいと思っていた。

 魔法を弾き、絶大な防御力を誇る鎧を身につけているからこそ、あれだけの強さを発揮するのだと、そんな風に考えているところがあった。
 しかし、それはヒュンケルに対する侮辱だったと、ポップは今こそ思い知る。

 魔剣に頼らずとも、ヒュンケルは強かった。
 怒りのままにハドラーへと斬りかかったヒュンケルは、鎧を武装してはいない。

 だが、それにも関わらず魔王と互角以上に渡り合っていた。
 その姿を見ると、否応なく思い出すのはアバンのことだ。アバンもまた、鎧もないままでハドラーと剣一つで戦った。終始ハドラーに押され気味だったアバンよりも、ヒュンケルの方が力強く見える。

 もちろん、直前に魔法力を使いすぎて体力を消耗していたアバンと、今のヒュンケルを単純に比較できないとは分かっているが、アバンの苦戦を見ていただけに今のヒュンケルの実力を思い知らされる。

 もしかして、彼ならば一人でもハドラーを倒してしまうかもしれない――そう思った時、ダイの声が響き渡った。

「うわぁっ!?」

「ダイッ!」

 ハッとしてダイの方に目をやると、不自然な姿勢のまま空中に浮かび上がる小柄な姿が見えた。まるで、見えない糸でがんじがらめに縛り上げられ、無理矢理宙に吊されているかのようなその姿は、ポップには見覚えがあった。

「闘魔傀儡掌!? なんでだよっ!?」

 ヒュンケルの技をやすやすと使って見せるミストバーンに、ポップは驚きの声をあげずにはいられない。その問いをミストバーンは完全に黙殺したが、モルグが焦ったような声音で補足する。

「ミ、ミストバーン様は、ヒュンケル様の師に当たる方です! 同じ技を、いえ、もっと強力な技を使えるのです!!」

 その言葉に疑問の余地はなかった。
 術に完全に拘束されたダイは、ひどく苦しそうだった。ダイのそのピンチに呼応したように、背後から聞こえる剣戟の音が乱れる。そして、勝ち誇ったようなハドラーの高笑いが聞こえた。

「ハッハハハハッ、どうした、どうしたぁっ!? 兄弟弟子がそんなに気になるとは、不死騎士団長もわずかの間にすっかり人間らしくなったものよな!!」

 ちらりとそちらに目をやると、状況は一変していた。

「ぐ……っ!!」

 さっきまではハドラーに対して互角以上に戦っていたはずなのに、ヒュンケルは今や押され気味だった。先ほどまではあれ程完璧な協和音を奏でていたはずの剣戟の音は、今やリズムも合わない不協和音となりはてている。

 辛うじてハドラーの刃を受け止めるだけのヒュンケルが小さく呻く声が、ポップの耳にはっきりと聞こえた――。







(こんなことになろうとは……!!)

 歯噛みをしたい気分だった。
 いや、むしろ苛立ちに任せて噛みつきまくりたい気分だ。ハドラーやミストバーンに対する怒りもあるが、最大の怒りは他でもない、自分自身に対するものだった。
 自分のミスを、ヒュンケルは嫌と言うほど自覚していた。

『ヒュンケル、あなたは剣士としてはすでに十分な力を身につけています。ですけれど、その殺気だけはバッドですねえ。いけませんよ。
 怒りに身を任せては、戦いの場では不利になるだけですよ』

 長い間、思い出しもしなかったはずのアバンの声が耳に蘇る様な気がするのは皮肉な話だった。当時は何度説教されても反発し、どうしても納得できなかったその説教が、今こそしみじみと身にしみる。

 そう、ヒュンケルが怒りに我を忘れなければこの危機は訪れなかったのだから。

 ヒュンケルがポップを見つけたのは、偶然だった。
 モルグの要求通り鐘のある広間にポップがいた驚きも大きかったが、彼が話している相手がハドラーだと知った時は、驚愕した。しかし、それはすぐに納得できた。

 ミストバーンは、大魔王に絶対の忠誠を抱いている男だ。
 そのミストバーンが弟子である自分を殺そうとしているのなら、それはバーンの命令だと予想がつく。ならば、ハドラーもそれに従ってもおかしくはない。

 自分がハドラーから疎まれている事実をヒュンケルは嫌という程知っていたし、元々地底魔城は彼の居城だった。不死系怪物だけで始末しきれないと判断し、直々にハドラーが手を下そうとしてもなんの不思議もない。

 最初の驚きが過ぎれば、ヒュンケルはハドラーと戦うのにはなんの躊躇いも感じなかった。
 ポップを見つけ、すぐにでも飛び降りたがるダイをモルグに命じて制し、タイミングを見計らって攻撃しようと思うだけの余裕もあった。

 何とも都合のいいことに、ハドラーはポップに気を取られていてヒュンケルやダイの気配に気がついていなかった。鎧化して態勢を整え、ダイと時間差で連続の不意打ちを食らわせれば大幅に勝率は上がるとヒュンケルは計算した。 だが、それをダイに打ち合わせようとした時、ポップの声が耳に飛び込んできた。

『ヒュンケル、も殺すのかよ……!?』 

 そう叫んだ時のポップと、一瞬、目が合ったかと思った。
 その視線に気を取られたのと、まるで自分を庇っているかのようなその言葉に、ヒュンケルは思わず耳を傾けてしまった。ハドラーが話していた内容が、ヒュンケル自身に関してだったことも、その理由の一つだ。

 だが、ヒュンケルはその会話を最後まで聞く気などなかった。
 ハドラーが自分を人間と見下し、手駒と考えていた事実は腹立たしかったが、それはヒュンケルも承知の上のことだ。ヒュンケル自身も自分の復讐のために魔王軍を利用しようとしていたのだ、その逆をされたからと言って文句を言える立場ではない。

 会話の最中ならば、ハドラーの気も逸れるし奇襲にはもってこいだ――そんな風に考えていた。
 だが、それに待ったをかけたのは、他ならぬポップ自身だった。

『ちょ、ちょっと待ってくれよ!』

 あの一瞬、ポップは確かにヒュンケルを見ていた。
 前に伸ばした手も、明らかにヒュンケルに向けられていた。

 その度胸に、ヒュンケルは度肝を抜かれたと言ってもいい。ハドラーがどれほどの強敵か、ポップが知らないとは思えない。ハドラー自身が、弟子の前でアバンを殺してやったと自慢げに吹聴していたのだ、アバンの死も、ハドラーの強さも、ポップは目の当たりにしたはずだ。

 にも拘わらず、ポップは魔王に恐れることなく真相を追究した。
 さっき、ヒュンケルを糾弾するような勢いで舌戦を仕掛けてきたポップが、今度はハドラーに向かってその武器を振るっているのに気づいたのは、その後だった。

 ヒュンケルを怒らせ、翻弄しつつも証拠を挙げて真相を突きつけてきたように、ポップは口先一つで魔王を手玉に取り、バルトスの死の真相を彼自身の口から言わせることに成功した。

 アバンではなく、ハドラー自身がバルトスを殺したという、忌まわしい真実を。

 その瞬間、ヒュンケルの脳裏から全てが消えた。
 全てが空白になったのではない。全てが、どす黒い怒りで塗りつぶされたのだ。

 今まで、ずっと騙されていた――。
 そう思った瞬間、ヒュンケルは完全にぶち切れた。我を忘れ、気がつくとハドラーに斬りかかった後だった。

 予定や段取りなど全て忘れ、感情のままに動いてしまった自分の浅はかさに、自分で呆れてしまう。相手の不意を突くどころか、わざわざ相手の注意を引きつけて攻撃を仕掛けるなど、愚の骨頂だ。

 しかも、感情的なヒュンケルの行動は、自身を危機に追いやっただけではない。

 ポップに対しても、そうだった。
 当初の予定では、まずはヒュンケルが、続け様にダイが不意打ちを仕掛ける際に、ポップを逃がすはずの予定だった。魔法力が回復しきっていない魔法使いなど、ハドラーにとってはものの数にもならない。戦力に加えることの出来ない味方は、安全圏に離脱させるのが定石だ。

 そして、ヒュンケルとダイがハドラーを抑えている間に、モルグが不死系怪物達の暴動を止める……それが、本来の作戦だったのだ。

 だが、予定は驚くほどあっさりと崩れ去った。
 ヒュンケルの暴走のせいでダイとの連携は不可能になったし、ポップに避難を促す余裕もなかった。

 しかし、途方もない失敗をしでかしたと思いながらも、ハドラーと対峙したヒュンケルはかえって落ち着きを取り戻していた。

 これはこれで悪くない――そう、思った。
 元々、ヒュンケルの目的はただ一つ、父の敵討ちだ。ならば、ここでハドラーと戦うのは望むところだ。鎧も身につけずに戦うには強敵すぎるが、それでもいいと思えた。

 憎い仇と差し違えるのなら、本望だ。
 そして、そのついでにポップも助けられるのなら文句はない。ハドラーも、さすがにヒュンケルを前にしながらポップへ攻撃するだけの余裕はあるまい。自分がハドラーと戦っている間に、ポップが逃げるのは簡単な話だ。

 ヒュンケルとハドラーが脱出口付近にいるだけに外には出られないが、今、来た道の方へは戻れるはずだ。

 そして、ダイの側にはモルグがいる。
 地底魔城を熟知しているモルグならダイをポップが逃げ込んだ通路まで導き、別の脱出路を教えるぐらいはできるだろう。

 そうできるぐらいの時間は稼いでやってもいい――ヒュンケルはそう思った。

 兄弟弟子だからと言って、情けをかけるのとは少し違う。
 むしろ、これは罪滅ぼしのようなものだ。
 アバンを仇と誤解し続けた自分に、真相を突きつけたあの魔法使いの少年に対して。

 ポップのおかげで真の仇の正体を知り、本当の敵に相対することができたのだ。また、ダイやマァムのおかげでモルグを失わずにすんだ。彼らのしてくれたことを思えば、そのぐらいはしてやってもいいと思えた。

 そして彼らを助けることは、復讐に凝り固まった自分を弟子として育ててくれた師への罪滅ぼしにもなる。

 だからこそ、ヒュンケルは逸る心を抑える。
 ポップが逃げるのを待って、それから攻撃をしかけようと思った。

 ――なのに、ポップは逃げようとしなかった。
 あれ程の頭の回転の鋭さを見せた少年が、状況判断も出来ない子供のように呆然と突っ立っているばかりだった。

 驚きすぎて腰が抜けているわけでも、怯えて竦んでいるわけでもない。なのに動こうとしないでこちらばかりを見ているポップに、ヒュンケルは苛立ちさえ覚えた。

 なぜさっさと逃げないのかと、叫べるものなら叫びたかった。
 ここでポップが逃げれば、彼らに……引いて言うのならば、アバンに対する義理も果たせる。後は思い残すことなく仇を戦うだけだ。
 それで命を落としても、文句はない。

 実際、ヒュンケルはその覚悟だった。ハドラーに対して不遜な態度を取ってはいても、ヒュンケルは見かけよりはずっと彼を高く評価しているし、警戒していた。仮にも魔王と呼ばれ、大魔王バーンの加護を受けて蘇ったハドラーの強さを侮ったことなど一度もない。

 ヒュンケルがハドラーにも恨みを抱きながらも、それでも敢えて従っていたのは、戦って確実に勝つ自信がなかったからだ。

 勝機がないとは、思わない。しかし、良くて相打ちに持ち込めるかどうかではないかと、戦士としてのヒュンケルの勘は怜悧に判断していた。死は恐れないが、今までのヒュンケルは復讐を捨てられなかった。

 本来の仇を討つ前に死ぬわけにはいかなかったからこそ、ヒュンケルはハドラーに正面きって挑むのは避けていた。

 しかし、今なら何の心残りも憂いもない。
 ポップを無事に逃がせば、その後は何も考えずに戦いに専念できる。それを思えば、逃げようとしない少年が腹立たしいぐらいだ。

 なのに、ポップはやはり逃げない。
 それどころか、ポップが手から魔法の光を放ちだしたのを見て、ヒュンケルは仰天した。

『馬鹿め、何をして……ッ!?』

 思わず叫んでしまったのは、失敗だった。少なくともハドラーほどの敵を前にして、することではなかった。
 鎧を身につけずに敵に打ちかかった以上の愚行を後悔する間さえ、ヒュンケルには与えられなかった。

 ポップの背後に、白い影が蠢くのを見てしまったから。
 その瞬間に感じた、全身を一気に凍らせるような感情――それは、紛れもなく恐怖だった。モルグを失うかも知れないと思った時に感じたのと同じ感情が、思いがけずにヒュンケルを襲う。

 間に合わない…………!
 絶望的にそう思った瞬間、流星のように突っ込んでポップを救ったのはダイだった。あの真っ直ぐな勇者の少年は、仲間の危機に迷いも見せなかった。後ろからモルグに押さえられていたにもかかわらず、モルグごと引きずって飛び降りてきたらしい。

 とりあえずポップが命拾いしたと知り、わずかに余裕を取り戻したヒュンケルはハドラーとの戦いに集中する。しかし、それは見せかけだけの集中に過ぎなかった。

 なぜなら、ヒュンケルは知っている――ハドラーなどよりも、もっと恐るべき存在なのは、ミストバーンの方だと。

 ハドラーが相手ならば、ヒュンケルは戦える自信がある。
 たとえそれが自分の命と引き替えの勝利か、あるいは惜敗になるかもしれないが、それでも互角の戦いのできる相手だと思っている。

 しかし、ミストバーン相手ではその自信はない。
 底の知れない力を持つあの男と、まともに渡り合って勝てる気はしない。
 寡黙で謎めいたあの男は、弟子に当たるヒュンケルに対してでさえ自分の力の奥底を見せたことがない。正直な話、ハドラーなどよりもよほどの強敵だ。

 自分相手にさえ苦戦をしていた、ダイやポップがかなう相手とは思えない。しかし、ヒュンケルではハドラーだけならばともかく、ミストバーンの相手も同時にすることは不可能だ。

 ハドラーだけならば、問題はなかった。だが、ミストバーンが現れた時点で、事実上脱出の希望が失われたことを知ったヒュンケルの失望感は大きかった。

 状況は、絶望的だ。
 ヒュンケルは、ハドラーとの戦いで手一杯だ。鎧化する隙すら与えてくれないこの強敵を前にして、ダイやポップに対して援護をしてやれるだけの余裕はない。

(オレには、その程度の力もないのか……!)

 息苦しいほどの悔しさを感じてから、ヒュンケルは気がついた。
 いつの間にか、仇であるはずのハドラーとの戦いよりも、ダイやポップ達に助力できない自分の不甲斐なさに腹を立てている事実に。

 その事実に動揺するヒュンケルの目の前で、ダイがミストバーンの闘魔傀儡掌に捕まったことでさらに心のざわめきは大きくなる。その動揺を見逃してくれるほど、ハドラーは甘い相手ではなかった。

「ハッハハハハッ、どうした、どうしたぁっ!? 兄弟弟子がそんなに気になる
とは、不死騎士団長もわずかの間にすっかり人間らしくなったものよな!!」

 的確な嘲りの声が、耳に突き刺さる。
 事実であるからこそ、その嘲りが強く堪える。実力が拮抗する相手では、そんな些細な精神的な動揺すら致命的だった。防戦一方に追いやられながら、ヒュンケルは思わずにはいられない。

(せめて、鎧化さえできていれば――!)

 攻撃に専念しているのならばともかく、防戦に徹するには今の鎧無しの状態はあまりにも不利だ。いつもならば鎧で弾く程度の攻撃でさえ確実に躱さなければならないため、消耗を強いられてしまう。

 このままでは長くは持たないと歯を強く食いしばった時、その声は聞こえた。

「メラゾーマッ!!」

 どこか子供っぽさを残した声と同時に、強い熱気がヒュンケルに迫る。はっきりと感じ取れる熱気の正体が凄まじい業火だと知った時は、それはヒュンケルの脇を通り抜けてハドラーに直撃していた。

「うぬぅっ!?」

 ダメージそのものはたいしたことはないだろう。
 だが、それはハドラーにとっては不意打ちだっただけに、驚きが勝っていたようだ。 
 ハドラーを包んだ一瞬の炎が消えぬ間に、再び同じ声が響き渡る。

「ギラッ!!」

 鋭い熱線は一直線にミストバーンへと伸び、その手をかすめる。最初からかすめるために狙ったのか、それとも、ミストバーンが避けたせいでかすめにとどまったのかは定かではないが、その瞬間にポップがニヤリと笑うのが見えた。
 その意味を、ヒュンケルは瞬時に悟る。

(抜け目のない奴だ……!)

 今のポップの攻撃の順番には、意味があった。
 ポップはまず、ハドラーを狙った。ポップにとっては味方であるダイの危機を差し置いて、敵であるはずのヒュンケルの援護をする形でハドラーに攻撃をしかけた。

 まさか、ポップがヒュンケルの援護をするとは思わないだけに、ハドラーは予測もしなかったはずだ。それだけに不意打ちとして、まともに食らった。

 そして、その不意打ちはミストバーンへの攻撃の布石にもなっていた。
 ポップがヒュンケルに味方をするとは思わなかったのは、おそらくミストバーンも同様のはずだ。

 それに驚いたからこそ、わずかにでも隙を見せた――その隙を、ポップは最初から狙っていたのだ。
 ダイを、助けるために。

「うぉおおっ!!」

 ミストバーンの手が動いた瞬間、呪縛から解かれたダイは身体の自由を取り戻した。その途端、再び剣を振り上げて彼に斬りかかる。
 それを、ヒュンケルも指をくわえて見ているだけではなかった。

「ええい、くそおっ! ……なにぃっ!?」

 やっと炎を振り切ったハドラーが、驚愕の叫びを上げる。
 ハドラーが炎の塊を振り払った時にはすでに、ヒュンケルは鎧化を終えていた。ポップの援護のもたらしたわずかな時間に、切り札を身につけたのだ。今度、余裕を持って相手に切りつけるのはヒュンケルの方だった。

 全く同時に、二重の金属音が広間に響き渡る。
 ヒュンケルがハドラーに斬りかかった音と、ダイがミストバーンに斬りかかった音が、見事に重なったのだ。

 だが、どちらも刃に似た硬度を持つ敵の手に阻まれて防がれたのも、同じだった。
 そして、その音が鳴り止まない内に魔法使いの少年の声が響き渡る。

「ダイッ、それにヒュンケルッ!! 頼む……、少しだけ時間を稼いでくれっ!」    

                                              《続く》

 

28に進む
26に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system