『タナバタの夜に 4』 |
「なんだ、どうしたんだ、ジャック。ずいぶんと顔色が悪いが、寝不足かぁ?」 朝練中に同僚の兵士にそう声をかけられ、ジャックは内心を押し殺して曖昧に笑う。 「あー、うん、まあ、そんなとこ」 本心では、笑うどころではない。 いつ、不意打ちで敵に襲いかかられるか分からない不安感と恐怖――実戦の中で味わったその感覚を、ジャックは今、嫌と言うほど味わっていた。 そのせいでジャックは、肝心要の目的……レナをこっそり呼びだして指輪を渡す計画を考えるのをすっかりと忘れきっていた。冷静になって考えれば、旅ではしゃぎすぎて疲れ、なおかつ満腹した子供達がいつになく早寝した昨夜こそが絶好のチャンスだったのだが、正直ジャックはそれどころではなかった。 レナ達を手伝って子供達の面倒を見ながら宿舎にいる間も、自分の宿舎に戻った後も、いつポップやレオナが押しかけてくるかと思うと、一瞬たりとも気が抜けなかったのである。 結果的によく眠れなかったし、今も緊張感はマックスで持続中だった。訓練などそっちのけで、ジャックは戦く視線を周囲に向けた。 「それより……今日は、勇者様は?」 恐る恐るといった目で、ジャックはその辺に視線を彷徨わせる。 他の兵士達に比べれば小柄で、そのくせとびっきり腕の立つダイは嫌でも目立つ。 「ああ、そう言えばお見かけしないな」 同僚の方は、特に何とも思っていないような口調で軽く答える。 「お珍しいこともあるものだ。寝坊でもなさったとか……あるいはお身体の具合でも、悪いのかな?」 「はは、ない、ない。大魔道士様ならともかく、勇者様に限ってそんなことはないって」 何も知らない兵士達は、気楽にそんな会話を交わしている。 ジャックとしては、今日ばかりはダイの訓練参加を熱烈に希望していたのだから。 (あぁあああっ、勇者様ってばいつもは迷惑なぐらいしょっちゅう訓練に参加してるくせに、なんだって今日に限ってこないんだよぉおおっ!!) 心の中で絶叫しつつ、ジャックは諦め悪くダイの姿を探さずにはいられない。 (とにかく、どうにかして姫様に余計なことをしないでくれるように、頼んどかないと!) 昨日、ジャックは『エイミ』がドアをノックした時に、嫌と言うほど思い知らされた。 思い起こせば、クリスマスの時だってホワイト・デーの時だって、結果的にはあの二人の存在こそがプロポーズの最大の障害になったのだ。彼らに悪気があったとは思わないが、結果的には邪魔ではあった。そりゃあもう、筆舌に尽くし難いほどに。 さすがは勇者一行と言うべきか、身分を隠してのお忍びにもかかわらず、存在感が普通の少年少女とは段違いなのだ。 (ただでさえ、レナにはオレの印象って薄いのによ〜) ジャックは、意外と冷静に自分の立ち位置を承知していた。 まあ、ジャックとしてもレナの気質を知っているだけに、彼女の世話を必要としている子供達を優先したからと言って、焼き餅を妬いたり拗ねたりはしない。 が、いくらなんでもお姫様の気まぐれに三度までも邪魔をされ、プロポーズ失敗するのは避けたい。 せめて、レナにプロポーズを済ませるまでは、そっとしておいてはもらえないだろうか――もはや恥も外聞も無く、ジャックはそう頼むつもりだった。なんなら土下座をしたっていい。 しかし、一介の兵士にすぎないジャックでは、レオナへ直接面会を願い出るのはかなり難しい。王族とは思えないぐらいに公平で、気さくなレオナは一般市民や兵士の謁見にも寛大な方だが、それだけに正式に面会を申し込んでから実際に面会できるまでには時間がかかる。 正規の手続きを取って面会を申し入れれば、月単位の時間がかかってしまう。が、それではこの場合は手遅れだ。 近衛兵とは言え下っ端のジャックでは、よほど運がよくなければ姿を見ることさえ滅多にない。しかも、会えたとしても一介の兵士から王族に私的な会話を持ちかけるのは、本来禁じられている。 どう考えても、ジャックがレオナに直接面会して頼み事をするのはハードルが高すぎる。 この場合、ジャックがコネがある相手と言えば、ダイとポップだ。 「勇者様なら、また大魔道士様の所じゃないのか?」 「ああ、そうかもな。勇者様ときたら、暇さえあれば大魔道士様の所へいらっしゃるから」 おかしそうに笑う兵士達だが、その笑いは好意的な物だった。 それを平和の象徴のように感じ、微笑ましく感じている兵士らは多い。ジャックもその一人であるのだが、今日ばかりは微笑ましく思うどころではなかった。 (あぁああああっ、全くもう、どうせ毎日会っている癖にっ。だいたい、勇者様よりもオレの方がよっぽど大魔道士様に会いたいのによっ) 勇者と張り合おうとは恐れ多いが、今日ばかりはジャックはそう思わずにはいられない。 しかし、ポップはダイと違って兵士の訓練には参加しないし、日中は執務室にいることが多い。文官のほぼトップに近い仕事をこなしているポップの執務室に、一介の兵士が勤務中に訪問するのもまた、非礼に値する。 せめて、見張りや護衛の任務に就くことが出来れば――そう思ってから、ジャックはハッと気がついた。 「あ、そうだ! 今日、王宮の回廊の見張り当番って誰だっけ?」 王宮の回廊――そこは、ちょうど大魔道士ポップの自室付近に位置している。底を見張る兵士達は王宮への不審者の出入りを見張ると同時に、ポップの部屋の出入りをチェックするのも役割だ。 「ん、それならオレだよ。訓練の後、交代する予定なんだ」 「ホントか!? なら、悪いけど、代わって欲しいんだけどっ」 勢い込んで、ジャックはそう答えた同僚にすがりつく。 「ええ〜、んなこと急に言われてもよぉ〜」 唐突なジャックの頼みに、兵士が渋るのも無理もない。回廊の見張り当番は、近衛兵にとっては人気のある仕事の一つだ。城内を見張るだけに楽な任務だし、普段ならそうそう親しく話すことの出来ない大魔道士や勇者、運がよければ王女とも顔を合わせる機会が多い。 それだけに、当番が交代を嫌がるにも理解できる。が、ジャックにしてもここで引くわけにはいかなかった。 「そう言わずに、頼むよ! 不寝番と交代でいいから! 何なら二日分……いや、三日分の夜勤と交代でもいい!」 「え、マジかよ? それなら――」 思いっきり下手にでたジャックの申し出に、現金にも乗り気になった兵士が頷こうとしたその瞬間、鋭い声が響き渡った。 「そこ! 訓練中は私語を慎め!」 「「「は、はいっ」」」 途端に直立不動の姿勢で敬礼してしまうのは、訓練を叩き込まれた兵士ならではの習慣だ。 (うげっ、隊長だぁ〜っ) パプニカ近衛隊長ヒュンケルの登場に、兵士達は一斉に訓練へと打ち込みだした。 見た目は役者も裸足で逃げ出すような色男でありながら、恐ろしいまでの強さを誇るヒュンケルは、部下にとっては鬼よりも怖い上司だ。訓練に少しでも手を抜けば、情け容赦なく猛特訓を課せられてしまう。それも、並の猛特訓では済まされない。 熟練の兵士達でさえ、バテバテになって立ち上がれなくなるほどの激しい訓練だ。軽いランニングとして50キロ走ってこいだの、素振りを1000回だのはまだマシな方で、近衛隊長との模擬試合形式の訓練を行った兵士達は、口を揃えて「あんな地獄を味わうぐらいなら、もう一度魔王と戦った方がマシだ」とぼやく代物である。 ヒュンケル的には手を抜いて、ごく軽く訓練をしているつもりな様だが、魔王軍で不死身の異名を誇った戦士と普通の人間を一緒にされては困る。 だが――ジャックのすぐ近くを通りかかったヒュンケルは、ぴたりと足を止めた。しかも、じーっと彼に注視され、ジャックの心拍数は異常なまでに跳ね上がる。 (な、なにっ!? オレ、なんかしたっけ!?) 隊長に見つめられるだけですくみ上がる……情けないようだが、ジャックはその程度の兵士だ。 「おまえは……確か、ジャックだったな」 「は、はいっ、そうでありますっ!」 隊長から声をかけられ、驚きと緊張のあまり声が裏返ってしまう。こちこちに固まったジャックに向かって、ヒュンケルは素っ気ない口調で言った。 「今すぐ、訓練を中止しろ」 「えっ?」 予想外にも程のある言葉に、ジャックはすぐには反応しきれなかった。驚きのあまり動きは止めたものの、剣を持ったまま呆然としてしまう。と、ヒュンケルはもう一度言った。 「聞こえなかったのか。訓練を中止しろと言ったんだ」 淡々とした、抑えた口調――だが、ヒュンケルの言葉は、ひどく冷たく聞こえる。整いすぎたその顔のせいか、あるいは感情の窺えない抑揚のなさのなせる技か、内心の怒りをこらえているように聞こえるのである。 「は、はいっ」 なにやら隊長の怒りを買ってしまったらしいと、ジャックは焦って剣を納めた。その素早いことと言ったら、山賊に武器を捨てろと要求されてもこれ以上早くは出来なかっただろう。 だが、言われた通りにしたのに、ヒュンケルは未だにジャックをじっと見ている。切れ長の目はただ見ているだけでも圧迫感があるというか、凄まじいまでの迫力を放っていた。 「あ、あの……オレ、いや、自分は任務へとつかせていただきますです!」 その緊迫感に耐えかね、ジャックはピシッと敬礼をしながら宣言した。訓練が終わったのなら任務に就くのは、兵士にとっては常識だ。ついでに言うのであれば、ポップに是非とも頼み事をしたいジャックにしてみれば、訓練が終わったのならさっさと回廊へと行きたい。 「いや、その必要は無い。現時刻をもって、おまえに解任を命じる」 「……っ!?」 衝撃を受け、ジャックはその場に立ち竦んだまま動けなくなる。 (ク……ッ、クビっ? オレ、兵士をクビになった?) 足下の大地がガラガラと崩れ去るような衝撃に、ジャックはその場にへたり込んでしまいそうだった。実際、そのままだったら、ジャックはヒュンケルの命令に従うどころか、その場に崩れこんで動けなくなったかも知れない。 「隊長〜、その命令じゃ、まるでジャックをクビにするみたいじゃないっすか。もう少し、言い方を工夫した方がいいんじゃないですかね」 「ふ……副長」 ヒュンケルの後ろに控えているのは、副長の呼び名で親しまれている副隊長だ。やたらと真面目で規律正しい隊長ヒュンケルとは正反対で、砕けた性格の持ち主の副長はおかしそうに笑いながら隊長の言葉を補足する。 「で、解任の件だが、これは一時的な物だから心配はいらないって。 痒いところにまで手の届くようなその説明を聞いて、ジャックはさっきとは違った意味でその場にへたりこみそうになった。ホッと安堵の息をつくと同時に、ようやくジャックは隊長の思いやりに気がついた。 ヒュンケルは、ジャックがあの孤児院出身だと知っている。だからこそ、ジャックを孤児達の世話係へと推挙してくれたのだろう。 一見ぶっきらぼうでとことん無口な男ではあるが、ヒュンケルは決して無情な男ではない。それはそれでありがたい話ではあるのだが――ジャックとしてはその前に、ポップに少しの間だけでもいいから会っておきたかった。 「あ、あの、隊長。それは大変ありがたいご命令なのですが……せめて午前中だけも通常勤務を――」 「命令が不服か?」 短い問いかけに、他意はなかっただろう。 ヒュンケルは単に見ているだけのつもりでも、目つきの険しさから睨んでいるように見えるだけだし、言葉が足りないからケンカを売っているようにしか聞こえないんだとは、ポップの言った言葉だったか。 だが、知ってはいても間近で見る魔剣士の迫力は、凄まじいの一言に尽きる。 「い、いえ、滅相もありません……っ」 かくして、ジャックの勇気はあっさりと砕け散り、密かな計画もまた水泡へと帰したのである。 「さあっ、諸君! 遠慮せずにかかってきたまえ!! 我らが獣王遊撃隊の力をお見せしよう!」 反っくり返らんばかりに胸を張って、得意げに宣言する大ネズミの言葉に、子供達は歓声を上げて次々と怪物達に飛びついていく。 最初は驚いた様子だったが、子供達の順応力は大人が考える以上のものがある。子供達が怪物達と平気で遊び出すようになるのは、付き添いの大人達の動揺が静まるよりもずっと早かった。 子供達はクロコダインやクマチャの巨体に遠慮無くしがみついて肩車をねだったり、チウや獣王遊撃隊達と互角の相撲やら鬼ごっこを楽しんだりと、実に楽しそうに遊んでいる。 女の子達でさえ、怪物を恐れてはいない。 しかも怪物達は、意外なぐらいに子守り上手だった。 おかげで、子供達の世話役としてここに来たレナやジャックは、ぐっと楽を出来ている。子供達に振り回されたり面倒を見るのでもなく、こんな風にただ、少し離れたところから見守っていられるだなんてゆとりのある時間を過ごせるのは、ずいぶんと久しぶりだった。 レナと並んでベンチに腰掛けながら、ジャックは中庭で遊んでいる子供達を眺めていた。どの孤児もおろしたての男女に分かれた服を着ているせいもあり、おそろいの格好が可愛らしい。 それは、実に牧歌的で平和な光景だった。 「……不思議ね。まさか、こんな日が来るなんて思いもしなかったわ」 ちょうど、自分が思っていたのと同じタイミングで告げられたその言葉に、ジャックは何となく嬉しくなる。 「ああ、そうだよな。オレも、本当にそう思うよ」 魔王軍との戦いに巻き込まれたジャックにとって、怪物という存在は怖くて恐ろしい物だった。人間とは決して相容れることの出来ない生物であり、一方的に襲われるか、出なければ人間側が勇気を振り絞って戦わなければならない相手だと思い込んでいた。 だが、どうやらそうではないらしい。 「これもみんな、勇者様のおかげなのね。勇者様や大魔道士様を初めとした、アバンの使徒様達が世界を守って下さったから、今日のこの日があるんだわ……」 心からの感謝をこめて呟きながら、レナが祈るように両手を胸の前で組み合わせる。シスターの格好に相応しいその仕草にドキッとしつつ、ジャックは頷いた。 「う、うん、そうだね」 そう答える声がなんとなく引きつるのは、実際の勇者らの実態を知ってしまったせいだろうか。 もちろん、ジャックとは勇者一行への憧れや感謝の念はしっかりと持っている。――が、実際に勇者達を知り合いになった今は、とても以前のように無邪気に、神を崇めるがごとく勇者達を尊敬などできはしない。 いや、今だって全く尊敬していないとは言わないが、以前に比べればその感情はずいぶんと薄まっているのは否めない。普段の彼らは、あまりにもごく普通の少年すぎるのだ。 だが、物語や噂でしか勇者一行を知らないレナは、夢を見るような目をして言う。 「それにしても勇者様達って、どんなお方なのかしら? 一度で良いから、お見かけしたいものね。せっかくお城に来たんだもの、機会があればいいんだけれど」 「そ、そお……、きかいが、あれば、いいよね」 声が掠れるのは、どうしようもない。 それは、弱者の直感だった。 とてつもない不安感に背を押される形で、ジャックは一つ、息を飲んだ。ポケットの中に手を入れると、そこには指輪を入れたリングケースの手触りがする。 「と、ところでさ、レナ。オレさ……大事な話があるんだ」 言いながら、少しばかりの無念さを感じないわけではなかった。 しかし、今はとてもそんな余裕などない。 「あ、あのさ、オレ、ずっと前からレナに言いたいことが……」 そこまで言った時のことだった。 「え?」 戸惑うジャックを置き去りに、レナは突然走り出した。あまりに唐突な彼女の行動に、ジャックは唖然とせずにはいられない。 (え? え? に、逃げられた? つーか、オレ、そんなに嫌われてたっ!?) どん底へと沈みかけたジャックだったが、その耳に子供達の悲鳴じみた声が響き渡った。 「やだっ、離してよ〜っ」 「痛いってば、何するんだよっ」 どんな喧騒の中でも、知り合いの声は強く耳へと響く。母鳥がひな鳥の助けを求める声を聞きつけ、真っ先に駆け寄ろうとするように、レナもまた自分の孤児院の子供達の声を聞き分けたらしい。 (い、いいところだったのに〜っ) 歯噛みをしたい気分を押し殺し、ジャックもまたレナに続いて立ち上がった。 どうも、孤児達は見知らぬ中年の女性と揉めているようだ。 今回の養子縁組に関しては、パプニカ城側は十分に気を遣ってくれている。 その決まりは養父母候補達にも知らされているはずなのだが、今、騒ぎの元になっている女性は明らかにルール違反を行っていた。 「ちょっと、あなた、年はおいくつ? 9才? 全然ダメね。11才? いやね、幼すぎるわ。15、6才程の子はいないのかしら? ああ、不細工な子や頭の悪い子は要らないわよ。 高圧的な声音でそんなことを言っているのは、中年の女性だった。 (ああ、貴族か、厄介だな) 特権階級である貴族は、自分達が優遇されるのが当然だと思っている者が多い。ルールに従うどころか、自分達に会わせてルールを変えるのが当然だと思っているような連中である。 そんな連中に注意をするのは、兵士であるジャックにも気が重い。が、孤児達を守ることを第一に考えるレナは、躊躇しなかった。素早く子供達を後ろに庇い、貴族の貴婦人に向かって些か尖った声で注意する。 「奥様、申し訳ありませんが、養子縁組前の子供達に勝手に話しかけるのは規則違反です。どうか、お引き取り下さい」 口調こそは丁寧だがきっぱりと言い切るレナに対して、貴婦人は高慢な目で一瞥する。 「邪魔をなさらないで欲しいのですが? わたくし、急いでおりますの。早急に養女を探さなければならないのですわ」 まず、見た目は美人と呼べる範疇に入る女性だなと、ジャックは思った。が、その分を差し引いても有り余るほど、高飛車で印象の悪い女性だとも思ったが。 (こりゃ、レナと一戦やらかすかな?) 勝ち気なレナは、子供達を庇うためならば相手が貴族だろうと大人しく引き下がる様な娘ではない。さぞや派手な口喧嘩を仕掛けるのではないかと危惧して、ジャックはレナを制止しようとした。 だが、ジャックにとっては意外なことに、レナは言い返しはしなかった。 「お……お母様……っ!?」 掠れた、小さな呟き――それはジャックを驚愕させたが、貴婦人の落ち着きを崩すには至らなかった。 だが、その驚きはひどく小さな物だった。道で、偶然知人に会った時に見せる程度の驚きにすぎない。相手に呼びかけられてから、ようやく相手を思い出したと言わんばかりの軽い口調で問い返す。 「…………あら。あなた、もしかして、レスフィーナ?」 そう呼びかけてから、貴婦人はレナの髪を覆っているベールに手をかけ、いきなり引きはがした。 「……っ!?」 普段は隠されているレナの少し癖のある赤毛が、ふわりと広がった。 それを勝手に引きはがすなどとは非礼にも程があるが、貴婦人は一向に気にする様子もなかった。 確認でもするように、まじまじとレナを見つめる。だが、その視線はお世辞にも好意的とは言いがたい物だった。むしろ、眉をひそめたその目つきは、不快感さえ漂っているようだ。 「驚きましたわ。あの女にそっくりになったこと。まさか、まだ生きていただなんて。 一応は相手の安否を尋ねるはずの言葉が、これ程までに冷たく聞こえるのをジャックは初めて聞いた。少なくとも、親が娘に話しかける言葉とは到底思えない。 その冷たさは、直接声をかけられたレナの方が強く感じているのだろう。レナは青ざめた顔で、小刻みに震えていた。こちらもまた、母と再会した娘の取る行動とはとても思えない。 普段の勝ち気さはどこに消えたのか、レナはひどく緊張した面持ちでその場に立ち竦んでいる。それでも子供達だけは庇うのだとばかりに、彼女は後ろにいる子供達から離れなかった。 「……え、ええ。お母様こそ、お元気そうで何よりです。あの……」 そこで一瞬言いよどんでから、レナは思い切ったように言葉を続ける。 「乳母やは――クロチーヌは、お元気ですか?」 その名前は、ジャックには初耳だった。だが、お母様と呼びかけた言葉とは段違いに暖かいその呼び名に、ジャックは悟っていた。 レナにとっては、クロチーヌという名の乳母は、母よりもずっと大切な家族だったのだろう。こんな状況であっても、また、望まぬ再会をした母親に対してでさえ、どうしても聞かずにはいられないほどに。 だが、祈るような思いを込められたはずのレナの質問を、貴婦人は鼻先で笑い飛ばす。 「まあ、そんなくだらないことを尋ねるだなんて。今、パトリオット家では大変なのですよ、使用人など気にしている暇があるのなら――」 咎めるような口調でそう言いかけた貴婦人は、そこでふと、レナを見返した。蔑みの混じった先程とは全く違う目つきは、とっかえひっかえ子供達を見ていた目と同じものだ。 そして、竦んだまま身動き一つできないでいるレナの手を掴んで引き寄せる。いかにも貴婦人らしいたおやかな手なのに、レナはそれを振り払えなかった。 「そうね、ここであなたと会ったのも、神様の思し召しというものだわ。養女よりも、義理とは言えパトリオット家の血を引く娘の方が相応しいですわよね。 そう言って、貴婦人は初めて微笑んだ。
《続く》 |