『タナバタの夜に 7』 |
それは、ジャックなどから見れば目が眩みそうなほど華々しいパーティだった。 夜だというのに、魔法の明かりが灯された幾つものシャンデリアは眩く広間を照らし出し、部屋の隅に控えている楽団達は軽やかな音楽を途切れることなく奏で続けている。 音楽に合わせて踊っている者や、楽しそうに談笑をしている者など人によって過ごし方は様々だが、共通しているのは男女問わずに美しく着飾り、堂々としている点だった。 そこが、貴族という者なのだろうかとジャックは思う。 そして彼らが輝かしく見えれば見える程、こんな場所に紛れ込んでしまった自分が途方もなく場違いに感じられてしまう。白鳥の群れの中に迷い込んでしまったアヒルの悲哀を味わいつつ、ジャックは手持ち無沙汰に突っ立っているだけしかできなかった。 (な……、なしてこげなことにっ!?) 心の底からそう思わずにはいられない。 これでもジャックは戦闘訓練をきちんと受けた兵士だ、城や砦を襲撃するならともかく、下級貴族の館程度ぐらいならば強行突破はできる。 大貴族ならば私兵を雇っていて館を厳重に警護をしている可能性が高いが、普通の貴族はそこまでの贅沢はしていない。家事を専門とする使用人がいる程度ならば、ジャック一人でも十分に切り抜けられるはずだ。……多分。 が、レオナの迫力に押し切られ、ジャックは駆け落ち大作戦を実行する機会を失ってしまった。明日の夜まで待ちなさいとレオナに厳命され、ポップにも悪いようにはしないからと諭され、ついでに諦観の表情を浮かべたヒュンケルにも『……こうなった以上、諦めて従った方がいい』と忠告されてしまうと、一兵士にすぎないジャックには逆らえなかった。 しかし、だからといって不安がなくなるわけではない。 だが、レオナとポップが何を企んでいるのか、何をするつもりなのか、ジャックはとんと分からない。聞いてはみたのだが、レオナは当日のお楽しみだからと秘密めかせて教えてはくれなかった。 そして、レオナが上機嫌に暴走気味の時には、大魔道士も勇者も、ついでに鬼隊長も全く役には立ってくれないことを、ジャックは経験上、嫌と言うほど思い知らされている。 (ああ……姫様、いったい何をなさる気なんですか……) 自分で馬に鞭を振るい、暴走覚悟で失踪させるのならば心構えも出来るが、目的地も分からない豪華な馬車に突然乗せられ、いつ暴走するのかとビクビクしているのとでは、まるっきり緊張感が違ってくる。 その上、こんなパーティに強制参加させられたのでは、もう落ち着くはずがない。 パプニカ王女レオナの名において、城の中庭で開かれたピクニック形式の野外パーティは、賑やかで楽しいお祭りのようだった。おそらく、どの孤児達にとっても一生の思い出となったはずだ。 しかし、子供達のための素朴で気楽なパーティと違い、タナバタを上流階級に広げるのが目的のこのパーティは、国の内外から貴人も呼び寄せた大規模かつ本格的なものだった。 王侯貴族にとっては、パーティはれっきとした外交の場だ。 本来なら、ジャックのような下っ端近衛騎士は、こんな時こそ会場の外で警備をしているものである。 だが、今日はジャックは騎士ヒュンケルの従者という役どころで、パーティに参加するように言いつけられた。そのために、わざわざ衣装まで整えてくれるという念の入れようである。 しかし、ヒュンケルについてパーティ会場に来たものの、その後はどうしていいのかジャックにはとんと分からない。ヒュンケルは、用はないから好きなようにくつろげとは言ってくれたのだが……。 (くつろげるわけないですよっ、隊長っ!! 無理っ、絶対に無理ですっ!!) おそらくは親切心から言ってくれたヒュンケルの気遣いは、ジャックには逆効果もいいところだ。 ベテランの近衛兵、あるいは騎士資格を持った近衛兵ならば、パーティ会場で従者がどう振る舞えばいいのかぐらいは知っているし、そつなく振る舞うこともできるだろう。しかし、いまだパーティ会場の外しか見張ったことのないジャックには、会場内で従者が何をすべきかなんて知識は皆無だった。 そもそも、孤児院育ちのジャックの知っているパーティは子供のお誕生日パーティぐらいのものだ。 なまじ用事を言いつけられなかったからこそ何をしていいのかも分からず、ジャックはとにかく他の参加者の邪魔にならないようにと、極力壁際に張りつくように立っているだけで精一杯だった。 壁の花ならぬ壁に張り付くヤモリのような気分で、場違い感に途方に暮れていたジャックに明るい声がかけられる。 「あれ? ジャックさん、こんなとこで何してるの?」 いつもと違って、騎士の盛装姿でばっちりと着飾ったダイは、普段と全く代わりのない口調で屈託無く話しかけてくる。 「あ、お腹空いたのなら、あそこら辺のお皿の物は食べていいんだよ。でもいっぱい食べすぎると怒られるから、気をつけてね」 ごく真面目な顔で忠告してくれた勇者のアドバイスは、ジャックの深刻な悩みにかすってもいなかった。軽食が立食のスタイルで用意されていることにはジャックも気がついていたが、食堂のセルフサービス食とはワンランクもツーランクも上のやたらと高級な食材は、食べてみたいという気分以上に尻込みを感じてしまう。 それに、そもそもレナが心配なジャックにしてみれば、食事などどうでもよかった。 「そっ、それより教えて下さい! 勇者様は姫の作戦をご存じなんですか!?」 すがりつく思いでそう聞いたのに、ダイの答えは無情だった。 「ううん。レオナは秘密だって言ってたよ」 「…………そう、ですか……」 半ば予測していたとは言え、心をいい感じに砕いてくれるその返事にジャックは落胆せずにはいられない。 「ポップにも一応聞いたんだけど、教えてくんなかったんだ。どうせおまえにゃ覚えられっこないんだから、話すだけ無駄だって。 (いやっ、そこで納得しないで下さい、勇者様……っ!!) ふるふると打ち震えつつ、ジャックはパプニカ国民の一員として勇者の今後を憂慮する。素直なのは美点だと思うのだが、ここまで素直すぎるのもいかがなものかと思うのだが。 「でも、心配は要らないよ。 なんの迷いもなくそう言いきるダイには、揺るぎない信頼が感じられる。オタオタとみっともなく迷い、不安でフラフラしているジャックと違って、どっしりと構えている。 心の底から二人を信頼しきっている純粋な勇者に感動をしつつも、ジャックはこっそり思わずにはいられなかった。 (でも、なぁ……) ちらりとジャックが目を向けた先には、ポップがいた。 気楽に一人でぽつんといるジャックと違って、ポップの周囲にはわらわらと男性が寄ってくる。地面に落としたあめ玉に蟻がたかるように、パートナーのいないお相手を狙ってくる者は多いのである。 (そういや、賢者様は男女どちらをパートナーに選んでもいいんだったっけ) 近衛兵の一員として、僧侶や賢者はパーティでは中性として扱われるという基礎知識はあったが、ジャックは実際にその現場を見るのは初めてだ。 中性扱いというのならば男女どちらをパートナーに選んでもいいのだが、パーティ会場で女性が目立つ行動を取るのは、はしたないとされている。特に、未婚の娘ほど慎み深く振る舞うことが求められるものだ。 その風潮のせいか、ポップに声をかけてくるのは男ばかりようだ。本人も嫌がっているのか、片っ端からその誘いを断ってはいるのだが、声をかけてくる男達もそう簡単には引き下がらない。 (…………大魔道士様も、あれで苦労しているんだな) 男色趣味皆無の一般青年であるジャックは、男にモテモテなポップを見て気の毒にと思ってしまう。あれでは、レナを助けるどころか本人の方が助けが必要な様に見えてしまうのだが。 一瞬、助けた方がいいんだろうかとも思ったが、それは無用な心配だった。 その途端、潮が引くように他の男達があっさりと引き上げていく。 いつもよりも装飾が多く、中性的なイメージの衣装を身につけた細身の魔法使いと、美形の銀髪戦士の組み合わせは、ジャックにとっては意外なことになかなかしっくりとハマって見えた。……ポップ本人は、さっきまで以上に不機嫌そうだったが。 そしてポップから離れた男達は、あめ玉を取り上げられた蟻がまた別の甘味を探すように、新しいパートナーを探してまた会場をうろつき始める。そんな彼らが吸い寄せられるように惹きつけられたのは、会場の中央近くにいる貴族の母娘に対してだった。 パーティには原則、男女のペアで参加するのが決まりだが、未婚の女性に限っては母親や姉などの近親の女性が側に付き添うのも珍しくはない。 高く髪を結い上げ、シンプルながらも上品なドレスを着て、いかにもパーティに不慣れな様子で伏し目がちに佇んでいる貴族の娘を見て、ジャックは心臓が跳ね上がるのを感じた。 豪華な衣装としおらしげな態度のせいで、別人かと思うほど変わってみるが、それは紛れもなくレナだった。たとえ、どんな服を着ていようと、どんなに雰囲気が変わっていようと、ジャックが彼女を見間違えるはずがない。 (レナ……っ!!) レナは――いや、ここはレスフィーナと呼ぶべきか。いかにも貴族のお嬢様然とした彼女は、美しかった。シスターの衣装や、孤児院育ちの娘の持つ数少ない私服とは比べものにもならないほど、優美なドレス姿ではあった。 普段はほとんどノーメイクに近い彼女が、化粧をしているのもジャックには驚きだった。まだ若い女性なだけにそれ程濃い化粧ではないのだが、ほんのわずかの化粧でも雰囲気をがらりと変えるのが女性というものだ。 どちらかと言えば童顔な彼女が、一足飛びに大人の女性としての魅力を見せていた。どこか悲しそうな、薄幸そうな表情が儚い印象を与え、楚々とした魅力を付け加えている。 元々、レナは地元の村では器量良しで通っていたが、衣装や化粧を整えることでその器量は数倍跳ね上がって見える。 しかし、それを黙って見過ごすのはジャックには拷問だった。思わず、ジャックは彼女の元へ行こうと足を踏み出しかける。が、力強い腕がジャックを引き留めた。 「ダメだよ。悪いけど、ジャックさんはここにいて」 ジャックを引き留めたのは、ダイだった。 「大丈夫だから、もう少しだけ待ってて。そう、レオナが言ってたよ」 そう言われたのと、ダイの腕力で腕を押さえられて実質的に動けないせいで、ジャックは行動を断念せざるを得ない。 だが、それでもジャックの目はどうしてもレナに引きつけられてしまう。憂い顔のレナも気にかかったが、そのレナのすぐ隣で勝ち誇った様な表情を見せる貴婦人が、どうにも気がかりだった――。
パーティ会場で未婚の女性は、大抵は一冊の手帳を持ち歩く。持ちやすく、またダンスにも邪魔にならないように紐をつけ、手首に下げられるデザインになっている手帳は、贅をこらした洒落たデザインの物が多い。 それは、ダンスの予約表のようなものだ。その女性とダンスをしたいと望む男は、彼女の持つ手帳に署名をすることで、ダンスの意思を表明する。 本人、もしくは本人の保護者が許可しなければ、それはただの予約で終わる。終始無言のままのレナに変わって、男達の申し込みをそつなく裁き、手帳をチェックしているのはレナの母親でもある貴婦人の役目だった。 しかし、年齢を忘れさせる美貌の持ち主の貴婦人は、その手帳には全く満足していなかった。表面上は笑顔を欠かさないながらも、貴婦人は内心、舌打ちをしていた。 (ダメね、この娘も。全く、役に立たない娘だこと。ま、期待はしていなかったけれど) 確かに、レナの手帳に署名する男達は多かった。 貴族にとって、社交界は結婚相手を探すうってつけの場所だ。 タナバタというイベントに合わせたかのように、劇的な展開で再会したレナは、話題性という意味では申し分の無い娘だ。パーティが始まる前から話題の中心となっていたレナに対して、有力な求婚者が現れることを貴婦人は密かに期待していた。 自分の家柄よりも身分が高く、なおかつ裕福な貴族との婚儀を期待するのは、男女を問わず適齢期の娘や息子を持つ貴族としては当然の思考だ。 貴族にとって、長男か次男かでは大きく意味が違ってくる。 だが、貴婦人にとっては婿養子志願の次男達など、用はない。 貴婦人の家もそうだが、貴族は家柄こそは優れていても、内実はかなり苦しくて資金繰りに苦労している家の方が多い。ダンスの申し込みに夢中になっている次男達も、みんながそんな程度の家柄だった。 (どうやら、この娘には良縁に恵まれる程の器量は無いようね) 自分の若い頃のドレスを着せ、念入りに化粧をして整えさせたレナの顔を見ながら、貴婦人は辛辣に判断する。 生みの母親譲りの赤みがかった髪が印象的なレナは、標準以上の美貌とは言えるが、突出しているとまでは言えない。言っては悪いが、傾国の美女とはほど遠い。男性が目の色を変え、親の反対を押し切ってでも欲するレベルの美女ではないのだ。 (まったく、この子も、あの子も役に立たないわね) 扇の影でこっそりとため息をつきつつ、貴婦人はその目を壁際に向ける。 レナの姉に当たるセーラの手帳は、彼女の些か太めの腕に窮屈そうに下がったまま、どんな男の手に渡ることもない。 壁の花として大人しく壁に立っているどころか、母の監視の目から離れて一人になったのをいいことに軽食をぱくついている実の娘に対して、貴婦人はより強い苛立ちを感じてしまう。 (こんなことになるのなら、あの娘をもっと早く結婚させておけばよかった……!) 女王は存在しても、女伯爵は存在しない。 よって、セーラ一人しか授からなかった貴婦人は、ずいぶんと前から娘に婿養子を迎えようと考えていた。何せ庶子であるレナも女子だったのだ、どうしても跡継ぎになる男が必要だ。 貴族の結婚には、釣り合う家柄と財産が必須となる。 婿養子を納得させるだけの家柄と財力が無ければ、婿を取るのもままならない。 とは言っても、貴族も人間だ。 特に女性の場合は、若くて美貌であれば多少の難はカバーできる。現に、貴婦人自身もそうだった。貴族とは名ばかりの下級貴族の娘であった彼女が、一応は中級の下辺りに位置する貴族の家に嫁いだのは、若い頃の水際だった美貌のおかげだった。 幸いにも母親似のセーラは、幼い頃からなかなかの美貌に恵まれていた。社交界に参加したばかりの頃は、それこそ引く手あまたと言ってもいいほどのダンスの申し込みや結婚の打診があったものである。 だが、選択肢が多ければ多いほど欲が出てしまう辺りが、人間の愚かしさというものだろうか。 この娘の美貌なら、もっといい条件が巡ってくるのではないか――そう思ってしまって選り好みをしてしまったのが、失敗の元だった。十代半ばという貴族の娘の適齢期は、驚く程の素早さで過ぎ去ってしまった。しかも適齢期が終わりかけた頃から、甘い物好きなセーラは急激に太り始めた。 どうやら太りやすい体質や誘惑に弱い精神力は、父親に似たらしい。 求婚してきた貴族達はすでに結婚しているか、でなければもっと条件の整った新しい娘に求婚していて、適齢期を過ぎ、家柄も震わず、金銭的に窮乏した貴族の娘など見向きもしない。 だが、肝心のその金がない。 行き遅れたとは言え、セーラにもその手の打診なら幾つも来ている。 そこで養女を取って、その娘を商人にくれてやろうと考えたのだ。 貴婦人は、会場の一角でやたら大声で話している下品な男のいる位置をちらりと確かめる。 周囲の貴族達が迷惑がっているのも気づかず、商売などと言う貴族には無縁で場違いな話題と、金だけはかかっているものの品のないみっともない格好で目立っている中年の男を、貴婦人はおぞましい者を見やる目で一瞥する。 だが、彼こそがレナの結婚相手だ。 (全く、愚かな娘だこと。少しは愛想良く振る舞えば、チャンスぐらいはあるかも知れないのに) しかし、レナはダンスを申し込む男性に対して愛想を振りまくどころか、にこりとさえしない。まるで生贄に捧げられた乙女のごとく、悲壮な表情で俯いているだけだ。 『わたくしの言うことを聞かなければ、クリチーヌがどうなっても知りませんよ。それに……もちろん分かっていると思いますが、あの孤児院を潰すように手配するなど、簡単なことなのですからね』 レナの耳元に囁いたその脅しは、貴婦人が驚く程に効き目があった。 それが、どんな意味を持つのかまだ理解していず、また、命令にさえ従っていればいずれは解放されると思っているらしいレナの愚かさを、貴婦人は嘲笑する。 (本当に、愚かな娘……!! この頭の悪さは、あの母親に似たのかしらね) レナの母親は、貴婦人の夫の浮気相手の一人だった。当時、嫡男が生まれなかったため、彼は侍女に片っ端から手を出していたが、子供を身ごもったのは彼女だけだった。 出産時に母親が死んだだめ、乳母に育てさせたはしたが、生まれたのは女の子だ。嫡男ならば跡継ぎとして育てるつもりはあったが、女の子など何の役にも立たない。ある程度育ったら、適当な修道院にでも放り込もうと思っていた娘だった。 その予定が、通りすがりの孤児院に変わっただけの話だった。 レナは、そこそこ美しい娘には成長していた。 簡単な脅しに負けて従順に振る舞うその愚かさも、都合がいいと言えば都合がいい。 彼女の乳母だったクリチーヌは、もうとっくの昔に解雇されてパトリオット家にはいないことも。レナを連れて旅に出た日に、乳母はすでにクビにした。あの時に、すでにもう貴婦人はレナを二度と家に連れて戻る気などなかったのだから。 レナが貴婦人に従おうと、逆らおうと、彼女は乳母に会えるはずもない。 だが、そのためには少なからぬ金が必要になる。 それを持たないパトリオット家が、縁もゆかりもない孤児院を潰すのは容易なことではないし、正直それだけの金などない。今のパトリオット家は体面を保つのがやっとで、余分な金など一切無いのである。 そんなことにも気がつかず、自分の言いなりになっている愚かな娘を、貴婦人は心ゆくまで蔑んだ。 その昔、一時とは言え夫の心を奪い、当時の自分の矜持を傷つけてくれたあの女への復讐ができたような気がして、愉快だった。この愉悦は、パーティの最後にこの娘とあの商人との婚儀を済ませることで、完璧となることだろう。 そうなれば、貴婦人は望み通りの大金を手に入れられ、できの悪い娘の婿取りを本格的に進めることができる。パトリオット家の誇りと安定は、間もなく取り戻せるのだ。 それと引き替えに、レナは見るからに悪党面で実の父親よりも年上の男の妻になることになるが、それもまた愉快だ。真実を知ったレナがどんなに嘆き、苦悩しても貴婦人にとっては痛くも痒くもない。 パーティが早く終わることを望みながら、胸を密かに高鳴らせている貴婦人は、また一人の男がレナに近づいてくるのを見た。 線が細く、すらりとした立ち姿が印象的だった。 仮面舞踏会ではないパーティで、顔を隠して参加するなどとは主催に対する失礼に当たる行為だ。それを敢えて実行するのは、よほど主催に親しいか、でなければパーティの決まり事も知らない世間知らずかのどちらかだ。 果たしてどちらだろうと思いながら、貴婦人は衣装から相手を値踏みしていた。 貴族なら当然のことだが、身につけた衣装や宝石はその者の身分と財力を計る判断材料となる。服装の質や流行の型かどうかで、その貴族の現在の経済状況が分かるし、代々受け継がれていく宝石はその貴族の格を如実に示してくれる。 (あら……これは) 些か厳しめに相手を計っていた貴婦人の目が、軽く見開かれる。 紛れもなく、最上級の貴族の服装だった。 「突然お声をかけるご無礼を、どうかお許し下さい、レディ・レスフィーナ。あなたが、タナバタに見つかった奇跡の乙女ですね」 大袈裟その台詞は、少しも浮き上がって聞こえない華やぎに満ちていた。一般人が口にしたのなら噴飯ものの気障な言葉が、舞台の上に立つ俳優の口から流れ出すと観客の感動を誘うように、その言葉は不思議なぐらいにすんなりと広間に響き渡り、自然に注目を集める。 澄んだその声と、一礼をした時に翻った長い栗色の髪を見て、貴婦人はようやく目の前にいるのが少年ではなく、男装の少女だと気がついた。マスクをしていても、隠しようもない頬のラインから端正な美貌を感じさせる謎の美少女は、古式に則った優美な仕草でレナの手を恭しく取った。 「タナバタの夜に、奇跡の乙女と会えるとは、私は運がいい。 《続く》 |