『タナバタの夜に 8』 |
(ダンス、ですって?) 謎の美少女の申し出に、貴婦人は思わず絶句してしまった。 こんな事態など、全く想定してはいなかった。 しかし、相手は男装の少女だ。 上流貴族の子女の中がパーティに男装して参加するのはよくあることとは言わないが、たまにはある。まだ結婚を望まないのにパーティに参加せざるを得ない娘が、結婚拒否の婉曲な意思表示として取る方法だ。 もちろん大抵の貴族は見合いの場として社交界に参加するのだから、男装の少女はごく少数と言っていい。 中級の下ぐらいのレベルの貴族である貴婦人にとって、見るのは初めてだった。そもそもパトリオット家は、パプニカ城で開かれるパーティに参加出来るほど身分は高くない。 パプニカ王家が唱えたタナバタとかいう新しいイベントに賛同し、養子を取るという形で協力すると意思表示したからこそ、抽選で参加を認められた……その程度の貴族なのだ。 下級か中級貴族同士の付き合いやパーティでの振る舞いには慣れていても、上級貴族のそれまでは熟知していない。 レナは賛成も反対もせず、答えを伺うように貴婦人を見上げているだけで、自分の意思は全く見せない。それは最初に貴婦人がそうしろと命令した通りの行動ではあるのだが、理不尽と思っていても考えを丸投げしているその態度まで、今は腹立たしかった。 (全く、どこまで役立たずな娘なのかしら?) 身勝手な文句を飲み込んで、貴婦人は物憂げな仕草で扇を使ってレナの手帳を指し示す。 「お申し出、光栄に存じますわ。それでは手帳にご記名下さいませ。後に、ダンスが始まってからお返事いたしますので」 とりあえずは他の貴族の次男らと同様に扱うのが無難だろうと、貴婦人はそつなく応じたつもりだった。 演奏は流れているし、お遊び程度にダンスを楽しんでいるカップルも幾組か存在するが、本来はダンスのための時間ではない。今は、ダンスパートナーを決めるための時間帯だ。 すでにパートナーが確定している者にとっては、ダンスの申し込みは社交の一つにすぎないが、未婚の男女ならば結婚に相応しい相手を選ぶ場だ。 男性が好みの女性を選んでダンスを申し込むように、女性もまた、申し込んできた男性の中から相手を選択する権利を持つ。舞踏の手帳に書かれたダンスの相手は、決して先着順ではない。 女性がパーティで真っ先に踊る相手は、結婚を考えてもいいと思える相手だと相場が決まっている。踊る順番が早い相手こそが求婚成立の見込みが高く、逆に後回しにされた相手ほど、結婚の可能性は低いと思っていいということだ。 もっとも、女性が複数の男性からダンスを申し込まれるように、男性もまた複数の女性にダンスを申し込むので、互いに誰を本命とするかという点で男女ともに駆け引きが求められるところである。 この微妙なやりとりには、実は貴族の娘達本人の好みや意思が反映されることはほぼ無くて、レナがそうであるように親が決める場合が多い。 実際、貴婦人はすでにダンスの順番は決めていた。 後は、ダンスが始まってから真っ先に、そして立て続けに二人を踊らせばいい。ダンスでは基本的に多くの人と交流を持つのを建前としているので、通常ならば一曲ごとに相手を変えるのが普通だし、同じ娘とダンスを踊るにしても時間を置いて、しかも一度のパーティで三回までの申し込みに抑えるのが礼儀だ。 しかし、結婚の意思が双方にあるのであれば、他の人の誘いに乗らずに連続して踊ることで、婚約の意思表示となる。 もちろん、貴族にのみ通用するこの常識はレナには教えてはいない。何も知らないからこそ、彼女は同じ相手とダンスするのを嫌がらないだろう。 その結末を待ち望む貴婦人にしてみれば、結婚に結びつかない踊りの申し込みなど迷惑でしかない。いくら上流階級の貴族の娘であっても、ただのお遊びに付き合ってなどいられないと思い、軽く流すつもりだった。 しかし、ダンスを申し込んできた男装の美少女は、貴婦人が思っていた以上に強引だった。 「後で、だなんてつれないお言葉ですね。 仮面から微笑みを浮かべ、男装の美少女はスッと手を差し伸べてくる。断られることなど微塵も考えてもいないようなその口調に、貴婦人は苛立ちを感じずにはいられない。 他人が自分の意向に従って当然とばかりに堂々と振る舞うのは、貴族に共通する特徴だ。 (まあ、なんて傲慢な娘なの!?) だが、そんな尊大な態度は、自分がそう振る舞うのはいいとして、他人にそう振る舞われるのは、我慢ならないほどに腹立たしく感じる。正直、そんな風に腹を立てるのは同族嫌悪に等しかったが、貴婦人は自分のことは棚に上げて見も知らぬ男装の美少女を追い払いにかかる。 「ですが、このこの娘の最初のダンスのお相手はもう決めてありますので、ご容赦を」 「そうそう。なにしろ、その娘の『初めて』は、ワシのものと決まっておりますからな、わははははっ!」 図々しくも話に割り込んできた商人の下品さにムカッ腹は立ったが、まあ、これもちょうどいい機会だろうと貴婦人は敢えて彼の言動をそのままにしておく。 「……っ」 レナが商人の男を見て、嫌悪とも怯えともつかぬ表情を浮かべて一歩後ずさろうとするが、貴婦人はもちろんそんなことは許さない。 「レスフィーナ。 やんわりと優しげに、そんな言葉を囁くだけでいい。それだけで、レナは一切の抵抗を止めるのだから。 しかも、他人の耳に入ったとしても、優しい気遣いと見せかけることのできる点が、貴婦人は気に入っていた。あからさまな脅しなどエレガントではないし、他聞が悪すぎる。だが、この言葉だけならば知らない者から聞けば、孤児院で育った哀れな娘を労っているようにしか聞こえまい。 事実、これまでの貴族達は誰一人として貴婦人の言葉に疑問を抱いた者はいなかった。 「……なるほどね。そうやっていたとはね」 独り言の様なその囁きには、固い強ばりが感じられた。目が隠されているため表情を読み取りにくいが、一瞬とは言えそこに怒りの感情が揺らいだように見えた。 しかし、その怒りをそのままぶつけるような真似は、彼女はとらなかった。ニッコリと微笑みを浮かべ、見とれるほどに優美な仕草で一礼してみせた。 「ならば、尚更、今夜のダンスは譲れませんね。 朗々とした声は、大声というわけではないが良く通る。 だいたいただでさえ話題の奇跡の乙女や、王宮のパーティには相応しくない商人などが揃っている段階で、一種の見世物となっていたのだ。そこに男装の美少女なんて更に珍しい人が加わって目立たないはずがない。 「さあ、レナ」 それは、今までの芝居がかった態度とは一変した、柔らかさを感じさせる声音だった。それを聞いて、レナが思わずのように息を飲む。 「……っ!?」 パチパチと何度も瞬きを繰り返すレナの驚きも気になったが、今、優先すべきは男装の美少女の撃退だとばかりに貴婦人はぴしゃりと言ってのける。 「わがままを言うのも、いい加減になさったらいかが? 隠そうともしない相手への蔑みをこめ、貴婦人は嘲る。 となれば、考えられるのは、親の目を盗んで勝手なことをしているわがまま娘の気まぐれといったところだろう。 本来ならば未婚の娘のパートナーには、親や兄などの親族が保護者としてつきそうものだ。が、それを嫌って一人でパーティに参加したがる貴族の娘は、珍しくはない。 しかし、そんなわがままは長続きしない。 後ろ盾のいない貴族の娘には、何の権力も無い。せっかくパーティに参加しても、パートナー抜きではまずまともな扱いもされないため、常識から外れた行動を取った娘はその思い上がりをこっぴどく思い知らされることになる。 と言うよりも、貴婦人自身がこのわがまま娘の鼻をへし折ってやる気だった。 (全く、威張るのならば自宅だけにしておけばいいものを) 世間知らずの跳ねっ返り娘が一人で、正義感ぶったところでなにができるというのだろうか。 「先程から騒がしいようだが……何か、不都合でも?」 貴族に対して非礼と言えそうな程ぶっきらぼうな声音で話しかけられ、貴婦人は反射的にムッとしたが、声の主を見てコロリと機嫌は直った。 声をかけてきたのは、銀髪の騎士だった。 が、惜しむらくはと言うべきか、銀髪の騎士は黒髪の賢者の少年を伴っていた。女性を誘う気はないと最初から宣言しているも同然の態度がやや癪に障ったが、とりあえずそれは置いておく。 肝心なのは、銀髪の騎士が近衛隊の紋章の入った盛装を身につけていると言う点だ。たとえ今がオフだったとしても、王宮の治安を守る立場の近衛隊の一員ならば、パーティで揉めごとが起こった時には対処する役目を負う。 「ああ、これは良いところに来て下さいましたわ、騎士様。先程から、こちらの娘がわがままを申しておりまして、途方に暮れておりましたの。 勝利を確信しつつ、貴婦人は勝ち誇った目を男装の美少女に向ける。そのまま美少女が慌てて逃げ出すようなら、追わないでいてやろうとは思っていたのだが、美少女は逃げる気配すら見せない。 「ああ、何とかして欲しいな。 身の程知らずにも、近衛騎士に向かって用事を言いつける娘を見て、貴婦人は笑いを噛み殺すのに苦労する。 これで、あの娘のおしまいだ。 あの生意気な娘がいかに惨めに近衛騎士の叱責を受けるかと、心待ちにしていた貴婦人だが、銀髪の騎士の反応は予想外のものだった。 「承知」 短く、そう答えた銀髪の騎士は右手を高々と上げる。 その途端、大広間の楽団の演奏がぴたりと止まり、ぱらぱらと楽譜をめくる音が一斉に響く。 本来、楽団はパーティの最中は伴奏を途切れさせないことを誇りとするものだ。主催者に命じられでもしない限り無音になるなど有り得ないのだが……、実際に今、楽団は演奏を止めた。 そして、銀髪の騎士はまるで指揮者のように勢いよく右手を振り下ろす。 「ワルツは好きだと嬉しいね」 「え、あ、あのっ、そのっ!?」 戸惑いながらも、レナも美少女の手を拒みきれないのかドレスを翻して貴婦人の前をすり抜けていく。 「お、お待ちなさ……」 止めようとした貴婦人の声を遮るように、男装の美少女が再び声を張り上げる。 「音楽だけでは、足りないな。 「へいへい、了解ー」 ちょっとふざけた感じの返事と共に一歩進み出たのは、銀髪の騎士の隣にいた少年だった。立派な賢者の衣装は着ているものの、上に超がつくほどの美形である騎士に比べれば、あまりにも平凡に見える少年。 だが、どこにでもいそうな凡庸な少年と見えたのは、彼が呪文を唱え出すまでだった。 「――精霊達よ、我が元に集え」 ついさっきの、ふざけた返事をした人物とは別人かと思える程、その声音は静かに響き渡る。 広間の中にあった魔法の光が色を失い、その代わりのように少年の身体が光を生み出す。 その輝きに、誰もが目を奪われた。 「光よ、集いて一つに」 その言葉に応じて、賢者の少年の身体から光が消え、彼の両手の中に光が球となって集まっていく。 太陽の眩しさの代わりに、月の優しい光をまとめたような光だった。小さな月を生み出した少年は、それを広間の真ん中へと浮かび上がらせた。 他の場所から灯りが消えた分、スポットライトを一身に浴びるように二人の姿だけがはっきりと浮かび上がって見える。もはや、誰もが息を飲んで成り行きを見ているしか出来なかった。 最高の舞台を整えた男装の美少女は、これ以上ない程得意そうな声でレナへと手を差し伸べる。 「さあ、奇跡の乙女よ、今度こそダンスを」 「え……ええ」 驚きすぎて戸惑うことさえ出来ないのか、レナは誘われるがままにその手を取っていた――。 《続く》
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