『竜の定め ー中編ー』 |
唸りを上げ、二つの呪文が平行して飛ぶ。 対象物を暴力的な物理で徹底的に破壊し尽くす竜の咆哮に、少しでも触れればただでは済まないと古代の竜さえも恐れさせる、人間の操れる魔法の叡智を尽くした呪文。 寄り添うように飛ぶ互いの呪文が互いに触れたのなら、おそらく二つの呪文は凄まじい余波を撒き散らしながら相殺される。 だが、そんなことなどあり得ないとばかりに、二人の術者はしっかとウェルザーを睨みつけていた。隣り合っているダイとポップの距離間そのままに、二つの呪文も揺るがなかった。 一見すると、すぐにでもぶつかり合って自滅してしまいそうに見える二つの呪文。 しかし、互いに互いの呪文の進路を見切っているかのように、二人の呪文はギリギリの距離を併走しながら、決してぶつかることはない。ペアを組んで動きをリンクさせて踊る踊り手よりも、もっと呼応し合った動きの見事さに嘆息するしかない。 だが、ウェルザーはそれが自分へと襲いかかる攻撃だと忘れなかった。 魔法力だけでなく竜の騎士特有の竜闘気も上乗せして放たれる竜闘気砲は、冥竜王と呼ばれたウェルザーにとっても驚異だ。忘れもしない15年前、竜の騎士バランが戦いの中で使用した竜闘気砲こそがヴェルザーの敗因となったのだから。 (やはり、竜の子は竜か……!) ぶるりと、ウェルザーの胸を何かが震わせる。それは、恐怖ではない。むしろ、歓喜に近い感情だった。 数年前にバーンとの戦いで垣間見たダイは、不甲斐ない出来損ないとしか思えなかった。父親には遠く及ばない、人間との混血児……そう思い、失望すら感じた。 不思議な縁から共に魔界の結界の中で封じられている間も、決してここから出ようとしないダイの弱腰に、苛立ちを感じたのは一度や二度ではない。 しかし、今ならば分かる。 今ならば、ヴェルザーはバーンに全面的に賛同できる。 (ああ、あの目だ……!) ダイの目は、バランの目に似ている。 冷静さを保ちながらも、その目の奥には戦いへの歓喜や渇望が見て取れる。 全てを諦めようとし、何かを我慢して自らの心を殺すように蹲っていた子供は、もういない。 ずいぶんと久しぶりに仲間に出会ったような感慨を覚えながら、ヴェルザーは彼の隣に並ぶ人間の少年に目をやる。 だが、彼はごく普通の人間にしか見えなかった。 しかし、ダイの変化はこの少年が来てから始まった。 その意味で、ヴェルザーは彼に注目していた。 ヴェルザーにとっては、ポップはおまけ以下に過ぎない。いかにダイと戦うか、それだけを考えていたヴェルザーは迫る魔法に対して冷静に対処しようとした。 (ふむ……やはり、ダイか) 同時に発射された二つの呪文を、完全に回避するのは不可能だとヴェルザーは直感していた。 そもそも結界内しか動けないヴェルザーは、広範囲にわたる魔法を避けることなど最初から不可能に近い。無理に動けば避けられないこともないかも知れないが、それも長くは続くまい。石から生身に戻ったばかりの今は、特に俊敏さに欠けている。 避けに徹するよりも、受けた方がいい――竜の本能はそう教えてくれた。 数千年を生きてきたヴェルザーの鱗は、天然の鎧だ。伝説の鎧並みの硬度お誇る鱗は、剣などの物理的な攻撃にも強く、並の魔法など軽く跳ね返す。 竜の騎士が闘気を身に纏うことによって身体の強度を各段に跳ね上げるのは、竜族としての特徴だ。当然、純粋たる古代竜の生き残りであるヴェルザーにも同じことができる。 気迫を高め受けに徹した方が体勢を崩さずに反撃しやすいため、回避するよりも有効な場合は多い。 竜の騎士は、魔法と闘気を同時に使用してくるから厄介だ。普通の魔法と違い、こちらも闘気を高めなければ防ぐのは難しい。魔法への備えを捨て、闘気を高めることだけに専念した方がいいと、ヴェルザーは判断する。 もっとも、この作戦には欠点もある。 しかし、元々ヴェルザーの鱗は魔法に対してもそこそこ以上の抗力を持っている。たとえ、複数の魔法使いが同時に放つ最高呪文でさえ彼に浅手を負わせるのが精一杯だろう。 それを考えれば人間の少年の撃つ魔法など無視し、竜闘気砲に対して気迫を高めればいい。 撃ち出された二つの魔法を見たヴェルザーが、そう判断するまでかかった時間は、心臓が数拍する程もかからなかっただろう。歴戦をくぐり抜けてきた者だけが身に供えた、ほぼ瞬時に最善手を判断する思考力――ヴェルザーにはそれがあった。 何百年、何千年物間戦い続け、戦乱渦巻く魔界を支配する一歩手前にまで上り詰めた竜の王は、王者の余裕を持って闘気を高めて二つの呪文を迎え撃とうとする。 ――が、その寸前に嫌な予感を感じた。 魔界を戦い抜いて勝ち得た戦士としての経験ではなく、生物としての直感が迫る二つの呪文の内、片方に強く嫌悪する。自分でも理解できないほどの強烈な嫌悪感に駆られ、ヴェルザーは咄嗟に叫び声を上げていた。 ヴォオオオオオオオオオオオ――ッ!! 竜の雄叫びが、轟き渡る。 空中に五芒星が浮かび上がるのと、二つの呪文がそれに直撃したのは、まさに同じタイミングだった。 (なん……だと……っ!?) 死を身近にする恐怖に、心の底からの驚愕。 嫌な予感のままにヴェルザーが唱えたのは、反射呪文――仕掛けられた呪文をそのまま跳ね返す効力を持つ魔法だ。あの瞬間、ヴェルザーはそれまでの判断を捨てて、人間の少年の放った魔法に対して反応してしまった。 反射呪文を張った瞬間はその行動を後悔したが、それはすぐに覆される。そう、彼の魔法が反射魔法にぶつかり合ったその瞬間に。 直接相手の魔法に触れた瞬間、ヴェルザーはメドローアと名付けられた呪文の本質を理解した。 それは、魔法力で編み上げられた傑作。 この魔法に対しては、防御もへったくれもない。たとえ古代から生きてきた竜の頑強な鱗ですら、無効化される。 魔法抵抗をしようにも、少しでも触れたその瞬間に片っ端から消滅させてしまう呪文だ。ある意味で竜闘気砲よりもよほど手に負えない、暴力的とも言える効力の魔法だった。 もし反射魔法を張るのが一瞬でも遅れていれば、闘気技に抵抗するまでもなくヴェルザーは消滅していた。 反射魔法などでは防ぎ切れない、絶対破壊の威力がヴェルザーを襲った。 鱗をごっそりと削り落とされるような痛みが、全身を走る。 気を緩めればこのまま消し飛ばされそうな呪文の威力を全身で浴びながら、ゾッと底冷えするような恐怖が、そしてそれを上回る驚きが冥竜王を脅かす。 (こんな超魔法を、あんな小僧が……!?) 痛みにのたうちながらもヴェルザーは人間を――ダイがポップと呼んだ少年を見やる。ダイとほぼ同じか、せいぜい少し上ぐらいにしか見えないポップは、どう見ても人間だった。 つまり、見た目通りの年齢に過ぎない。 だが、今までヴェルザーが会ったどんな人間も、いや、魔族を含めてでさえ、これ程の呪文を使って見せた者はいない。 事実、ヴェルザーはすぐ直前までそのつもりだった。 神々と匹敵する程の力を持ち、おそらくはこの世に現存する生命体の中で最も長く生きてきてこれから先も何千年も生きるであろう命が、一瞬で消滅するところだったのだ。 驚愕に値する攻撃を仕掛けてきたポップだが、皮肉にもその彼自身めがけて魔法が跳ね返される。 術者の力量によって、反射魔法の威力は違ってくる。ヴェルザーが使う半や呪文は、ほぼ100%の効力で呪文を跳ね返すことができる。本能的な反射で咄嗟にやったこととは言え、ヴェルザーはこの結果に満足した。 (人間には、あれは避けられまい) 光の矢から巨大な光の球と変化したポップの魔法は、術者のポップを飲み込もうとしていた。あの体勢からでは、いかに瞬間移動呪文の使い手であっても逃げ切れない。 竜の騎士の必殺技の直撃を喰らう羽目にはなったが、それと引き替えにこれ程厄介な魔法使いを葬り去れるのなら、恩の字だ。 しかし、今にも光に飲み込まれそうなポップは驚きも怯えも見せなかった。それどころか、まるで待ち構えていたように両手を揃えて前に伸ばす。軽く開いたまま合わせられた両手は、魔法の光を真っ向から受け止めた。 バチバチと激しい火花を散らしながら魔法の威力が収束され、弱まっていく。その光景を目の当たりにして、ヴェルザーは大きく目を見開く。 (バカな、相殺した、だと!?) 向かってくる魔法は、同種の魔法で相殺できる――それは魔法使いならば誰もが知っている大原則でありながら、実現不可能な夢物語だった。 なにしろ、全く同じエネルギー量の魔法と魔法でなければならないのだ。そこまでタイミングを合わせるなど、そうそうできるはずがない。どちらかの呪文が強ければ、相手の方へ威力を跳ね返す結果になる。 相手の魔法を無効化するだけならそれでもいいかもしれないが、完全な意味での相殺にはならない。魔法同士の相殺は理論上は可能なはずだが、実現はひどく難しい。と言うよりも、ほとんど不可能だ。 なのに、今、ポップはそれをいとも容易くやってのけた。 しかし、これ程の威力の魔法を楽々といなすなど、そうできることではない。なにより、ヴェルザーを驚かせたのはポップが全く動揺を見せなかったことだ。 これが切り札だったのなら、策が破られた衝撃に打ちのめされてもおかしくない。なのに、ポップには落ち着き払っていた。待ち構えていたように自らに跳ね返ってきた魔法をあっさりと相殺して見せた魔法使いの少年と、ヴェルザーの目がぴたりと合う。 と、ポップはニヤリと笑う。 たった今攻撃を破られたばかりとは思えない、勝ち誇った笑みがポップの表情には浮かんでいた。魔界の頂点に限りなく近い位置にいる自分を前にして、こんな表情を浮かべたまま立った者など、それこそ片手で数える程しかいなかった。 背筋に感じる嫌な震えを、ヴェルザーは自覚していた。 相手はたかが、人間の小僧一人だというのに――そう考えてから、ヴェルザーはふと気づいた。 (一人、だと?) 苦痛と驚きのせいで忘れかけていたが、ポップの隣にはダイがいるのではなかったのか? そう思った時は、すでに遅かった。 「グギャァアアア――ッ!?」 あまりの激痛が、かえってヴェルザーの声音に人間味を与えていた。痛みに吠え、のたうつヴェルザーの首から血が流れる。 竜闘気砲で脆くなった鱗を突き刺した剣が食い込む激痛の中、ヴェルザーは何が起こったかをようやく悟っていた。 (ダイ、か……!!) ヴェルザーの注意がポップに集まるのを待っていたかのようにダイは宙高くへ飛び上がり、その勢いのままに剣を振るった。ポップが持ってきた剣は、ダイにとっては己の牙だ。同族の牙で噛まれたに等しい痛みが、的確にヴェルザーの急所を狙う。 どんな生き物であっても、脊椎を持つ動物にとって延髄は最大の急所だ。脳と身体を繋ぐ神経を断たれれば、その生き物を待つのは死だけだ。 だが、ヴェルザーは臆せずに大きく首をふるった。一歩間違えれば自分自身の動きで急所に余計な力がかかり、致命傷になりかねないと知りながら、首筋にまとわりつく敵を払いのけるために、思い切りよく。 「――っ!!」 ダイの小柄な身体がマリのように跳ね、地面に投げ出される。それでも剣をしっかと握ったままなのはさすがだと、ヴェルザーは他人事のように思う。さすがは竜の騎士、戦いに対する執着心は並の物ではない。 しかし、ヴェルザーもまた、竜だった。 今がチャンスと、すうっと息を吸い込む。 だが、予想外にダイはまともにそれを食らった。 ダイの後には、ポップが控えている。 そんなダイに、ヴェルザーはためらいなく腕を振り下ろす。 (……存外、つまらん最後だな) 今にも敵にとどめを刺そうとしながら、ヴェルザーの心にふと浮かんだのはそんな感想だった。 ヴェルザーはあまりにも、長く生きた。 月が欲しくてたまらず、ついには水面に映った月に手を伸ばす愚か者のように。 だが、どちらにせよ結果は同じだ。月には手が届かず、水面の月は手にしようとしても揺らいで消える。 せめて戦いでもあれば気をそらせるものを、戦いの相手さえ現れない。まだ、若い頃は良かった。次から次へと現れる強敵を相手に戦い続けてきた日々は、悪くはなかった。 だが、バーンと敵対した頃から、ふと気がつくとヴェルザーの周囲には敵さえいなくなっていた。 だからだろうか――15年前にバランが来た時に、喜びを感じたのは。長い時を経て久々に出会った好手敵の存在は、ヴェルザーを楽しませてくれた。戦いが終わるのが、惜しいと思えてしまう程に。 あの戦いが精霊達の横やりで中途半端に終わってしまったことを誰よりも悔いているのは、きっとヴェルザーだ。その上、再戦も叶わずバランはバーン戦の最中に死んでしまった。 そのバランの息子ならばと期待する気持ちがあったのだが、戦いは思ったよりあっけなく終わりそうだ。それを心から惜しいと思いながらも、ヴェルザーは手を緩める気はなかった。 殺せる時に相手を殺しておくのが、戦いの鉄則だ。 「……っ!?」 「――――――――っ!?」 ヴェルザーとダイ、二人の息の飲む音が見事に重なる。そして、二人揃って驚きに目を見張っていた。 鉄をも砕く竜の爪を受け止めたのは、細い杖だった。 「ポ……ポップ? それ……」 どちらかと言えば、ダイの驚きの方が深いらしい。掠れ気味の声でそう問いかけるダイに向かって、ポップは陽気にウインクして見せた。 「へへっ、こいつはロン・ベルク特製のブラックロッド?なんだよ。見ての通り、防御にも効果的でね……よっと!」 その声と同時に、ヴェルザーの爪が撥ねのけられる。力づくなら負けはしないが、ポップの持つ杖先は魔法の光に覆われていた。魔法力を駆使して器用に力を受け流したのだと気づいた時は、ポップだけでなくダイも後方へと一旦下がって姿勢を整えていた。 それを追わなかったのは、懐かしい名のせいだった。 だが、ロン・ベルクは気まぐれにも魔界を捨てて地上へと行ったという。それっきり名も聞かなかった男の行方を、こんなところで聞こうとは。 「見ての通り、攻撃も! 魔法も! ブレスだって防げるんだ!!」 挑発的にヴェルザーの目の前で杖をくるくるっとバトンのように振り回した魔法使いは、その切っ先を味方であるはずのダイへと突きつける。 「そんなわけだ、ダイ。もう二度と、後ろは気にすんじゃねえぞ」 怒りを含んだ一言は、本気の怒りを感じさせる。 「う……、うんっ」 力強く頷いたダイに、ポップの表情も変わる。険しい表情から一転して、どこかおどけた笑顔を浮かべたポップは、杖を持っていない方の手を軽くあげた。 「ダイ、援護は任せなっ!! 思いっきりやれっ!」 「うん、分かったっ!!」 空中で軽く手が叩き合わされ、パシッと小気味の良い音を立てる。 それは、さっきの魔法の攻撃を彷彿とさせる攻撃だった。 その息の合い方は、脱帽するしかない。 戦いを寿ぐのは、竜の本能だ。 |