『竜の定め 3』

「うぁああああっ!!」

 気合いと共に一閃されたダイの剣は、明らかに竜の急所を抉っていた。青い血飛沫が派手に撒き散らされ、竜の巨体がゆらりと傾ぐ。
 地響きを立てて古代竜が地べたに倒れ伏すのを、ダイとポップは並び立って見下ろしていた。

 しかし、その表情に勝利の喜びはない。
 喜びや安堵とはほど遠い、険しさだけを表情に強く浮かべながら二人は荒い息を吐き続ける。全力で攻撃を仕掛け続けた結果、ダイもポップもすっかりと息が切れて肩で呼吸をしている有様だ。

 特にポップの方は立っているだけでもしんどいとばかりに、ダイに軽く寄りかかっている。
 が、寄り掛かっている様に見せてその手がほんのりとした光を放っているのは、回復魔法をダイへとかけているせいだ。

 二人は、すでに満身創痍だった。
 二人の着ていた服はあちこちが裂け、青と赤の二色の血に染まっている。もっとも、服が負っているダメージの割にはほとんど怪我が見当たらないのは、その度にポップの魔法で治癒してきたおかげだ。

 だが、それでさえ疲労を完全に取りきれなくなってきたらしい。それは回復魔法をかけているポップ本人も、そして回復されているダイ本人も気がついていた。

 しかし、二人ともそれをわざわざ口にしたりはしない。
 言うまでもないことだし、何よりそれだけの余裕もなかった。倒れ伏したはずのヴェルザーが、全身から仄かな光を発しながら首を持ち上げるのが見えたから。

 ついさっき光を失ったように見えた竜の目は、今は燃えさかるばかりの光を称えて光っていた。

「全く、嫌になるほど頑丈だよなぁ、竜って奴は。これで何度目だよ?」

 ダイにだけ聞こえる程度の小声で、ポップがぼやく。こんな絶体絶命の事態にも関わらず、どこかおどけたようなその口調にダイは意識せずに笑みを浮かべていた。

「さあ? 忘れちゃった」

 そう言った途端、ポップがなに暢気なことを言ってやがるんだと文句をつけてきたが、その文句さえ嬉しかった。この状況でもいつも通りに振る舞えるポップが、ひどく頼もしく感じられるから。

 それに、今言ったのは掛け値無しの本音だった。もう、数など覚えてなどいない。 

 死闘、だった。
 ヴェルザーとの戦いは、今まで戦った中でも一番の激戦だった。
 ダイにとってもポップにとっても、自分の力を残らずつぎ込んでの戦いになった。

 強さだけで言うのならば、大魔王バーンの方が強かったと言える。
 しかし、ヴェルザーと戦い始めてすぐ、ダイもポップも彼がなぜバーンと覇を競ったのかを思い知った。

 ヴェルザーにはバーンのような桁外れの魔力も、芸術的とも言える技を操る技巧もない。
 しかし、その代わりに彼にあるのは――無限の生命力だ。

 さっきからダイは何度となく、ヴェルザーに致命傷を喰らわせた。それこそありったけの力を振り絞って、ダイの使える最強の技を、魔法を、アバンに教えられた剣技の全てを冥竜王に叩きつけた。

 以前とは比べものにならないほど多彩なポップの補助魔法の助けを借りて、ダイは何度となくヴェルザーを倒した。

 だが、冥竜王は死なない。
 何度となく死に値するだけの傷を負いながらも、自動的に自然回復して復活してくる。

 それは大戦中のミストバーンとの戦いに似た、絶望的な戦いだった。
 ただ、彼との戦いと違うのは、ミストバーンの身体がバーンからの借り物であり、凍れる時間の秘法によって傷一つ負わなかったのに対し、ヴェルザーの身体は傷は負うものの復活速度が並ではない点だ。

 今のところ、攻撃力ではポップの援護を受けたダイの方が勝っているが、このままではじり貧だ。不死に等しい回復力を誇る冥竜王と違い、ダイとポップには疲れが少しずつ蓄積されていく。

 もちろん、まだまだダイの闘志は衰えていないし、ポップの魔法力にも余裕がありそうだ。
 ならば、力を全部出し尽くすまで戦うだけだとダイは決めていた。

 が、自分の肩に置かれていた手がぐいっと首に巻きつけられ、小声で囁かれる。

「なあ、ダイ。おれに一つ策があるんだけどさ、協力してくんないかな?」

 その頼みに、ダイは少しだけおかしくなった。

(ポップらしくもないなぁ)

 予めそんな風に頼まれなくとも、ダイはポップの策なら無条件で信じられるのに。

「うん!」

 強く頷いてから、ダイは目線をポップに向ける。自分が何をしたらいいのか、尋ねる意味を込めて。

 わざわざ言葉にはしなかったその目線を、ポップは正確に受け止めてくれた。一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、その顔に不敵な笑みが浮かんでいた。

「さっすが話が早いぜ、相棒! じゃあ、しばらく時間を稼いでくれ」

 その言葉以上の説明を、ダイは求めなかった。
 ポップが望むのなら、その通りに実行するまでだ。策を説明されなくても、一向に構わない。

 最初に出会った時からずっと、ダイはポップを信じている。勇者が自分の魔法使いに寄せる信頼には、一点の揺らぎもなかった。
 小さく頷くと、剣を振りかぶってダイはヴェルザーめがけて突進した――。







(ああ……賭けはおれの負けかぁ)

 不敵な笑みを浮かべながら、ポップはあっさりと己の敗北を受け入れていた。

 魔界に来ること自体、ポップにとって大きな賭けだった。
 仲間達の力を借りて二重、三重に手を打っていたとはいえ、失敗の確率も高かった。なにしろ、ポップが利用した竜の騎士の元へと移動する呪文が使われた最後の記録は、優に数百年は前の話だ。

 しかも当時、人形を依り代にして生け贄として奴隷を2000人捧げた当代の王達は、竜の騎士の怒りを買って全員死亡したと記録されていた。それ以来、誰も試しもしなかったどころか秘法中の秘法として忘れ去られていた呪文だ。

 レオナに語ったほど、ポップには勝算があったわけではない。それでも、曲がりなりにも呪文が効果を現してくれたのは幸運だった。

 だが、女神は二度は微笑んでくれなかったようだ。
 強気を装ってはいたが、ヴェルザーに勝てる算段についてもダイに言ったほどの自信なんかなかった。

 一番最初に放った同時魔法攻撃――あれこそが、最大の賭けだった。あれでヴェルザーを倒せなければ、自分達にはほぼ勝機がないと分かっていた。並外れた再生力を持つヴェルザーを相手に持久戦に持ち込むなど、自殺行為もいいところだ。

 この短い戦いの中で、すでにポップは悟っていた。
 自分達に、勝ち目はないと。

 元々、無理のある戦いだった。ダイの方はどうだか知らないが、ポップはこの二年間というものの戦いからは遠ざかっていた。ダイの捜索や秘呪文、古い竜の伝承の調査を最優先した結果、身体を鍛える余裕など持てなかった。

 ただでさえ悪化していた体調をなんとか維持するだけで精一杯だっただけに、体力面で言うのならポップはバーンと戦った時よりも劣っているだろう。魔法力については衰えてはいないものの、成長もしなかった。二発分の極大消滅呪文を使った今、三発目のメドローアは撃てない。

 そう遠くないうちに、ヴェルザーよりも先にポップの体力や魔法力の方が先に尽きる。そうなれば、芋づる式にダイも回復できないまま力尽きるしかない。

 それが分かっていても、最後まで足掻きまくる意思はある。バーンにさんざん悪足掻きだと言われた諦めの悪さは、未だに健在だ。
 だが、ポップの悪足掻きの方向性は、ダイとは違う。絶望的な特攻を仕掛ける前に、一つだけ試してみたい呪文があった。

 この先にもう望みがないと考えたポップは、目を閉じて呼吸を整える。精神集中を高めるためとは言え、戦場で目を閉じるなど噴飯ものだが、ダイがヴェルザーを引き受けてくれているなら何の心配もない。
 魔法だけに集中しながら、ポップは今こそ最後の呪文を唱えだす。

「――母なる海よ」

 ゆったりとした声で呪文を紡ぎながら、ポップは眼裏に海のイメージを描く。
 思い出すのは、初めて見た海だ。

 幼い頃から書物や地図を見る度に憧れていた海へ、ポップを初めて連れて行ってくれたのはアバンだった。尊敬して止まない最初の師は、ポップに世界の広さを教えてくれた。
 そして、世界の成り立ちを教えてくれたのも彼だった。

『ポップ、この世で最初の生き物は海から生まれたのですよ。海は全ての生命の母と言えるでしょうね』

 教会で習ったのとは全く違う知識は、なぜか不思議に納得できた。
 塩辛い水にはちょっとびっくりしたけれど、寄せては返す波のきらめきにポップは初めて見た時から魅了された。川や泉とは全く違う、躍動感に溢れる水をたたえた海は、確かに生命を生み出すのに相応しい場所に思えた。

 絶え間なく聞こえる潮騒も、嫌いじゃなかった。むしろ、波の音を聞いていると何となく安心できた。夜の森などでは、茂みや木立を揺する風の音は聞くだけでビクビクさせられたのに、潮騒の音色は誰かの心臓の音を聞いているかのように落ち着けた。

(ああ、そういや、デルムリン島でもそうだったっけ)

 ダイが育ったあの島は、ごく小さな島だ。どこに行っても潮騒が聞こえない場所はないし、海が常に目に入る。とんでもない成り行きから訪れる羽目になったが、ポップはあの島を気に入っていた。

 魔王や修行などとは無関係に、バカンスのためにあの島に行けたのなら良かったのにと、当時も後になってからも何度も思ったものだ。実際、魔王軍との戦いの最中にダイとそんな会話をしたこともある。

 大魔王を倒して平和になったのなら、今度は遊ぶためにデルムリン島に行こう、と。そうなったら、とっておきの場所を教えてあげるとダイがひどく嬉しそうに言っていたことを思い出しかけ……ポップは首を軽く横に振った。

 今は、呪文に集中すべきだ。
 精神集中を、途切れさせてはいけない。

「父なる大地よ」

 ダイの笑顔を敢えて押しやり、ポップは今度は地面のイメージを心に強く抱く。

 今度、イメージするのは草が生え繁る故郷の空き地だ。
 子供の頃、裸足で駆け回った土の感触を強く意識する。息が切れるほど走った土の感触も、疲れ果てて寝転んだ時に背中に感じた草の柔らかさや、草特有の青臭さを思い描く。

 父親に命じられていやいや手伝った畑仕事は、忘れようにも忘れられない。とってもとってもキリがなかった雑草の逞しさにはうんざりさせられたが、小さな種が季節を経て立派な野菜になるのは見ていて楽しかった。

 収穫の作業は、いつだってお祭りみたいだった。
 人手が足りないからと子供まで駆り出され、取り立ての野菜や果物をその場で頬張った記憶は今も鮮やかだ。農作業などは今でもお断りだが、収穫の時の賑やかさは今でもちょっと懐かしい。

「あまたに散らばる精霊達よ……」

 呼びかけながら思い出すのは、やはりアバンと一緒に旅をした時に訪れた遺跡でのことだった。
 古い環状列石の遺跡――あれは、今思えば古代の魔法陣だった。

 生まれて初めて魔法陣に入った時に感じた高揚感を、目には見えない何かに取り囲まれたような違和感を、思い出す。当時はそれが何なのかよく分からなくてひどく怯えてしまったが、今となっては魔法陣の中は不思議に落ち着ける。

 後になってから、魔法陣には精霊が集まると聞いた。ならば、きっとあの気配は精霊達だったのだろう。それからも魔法の契約をする時や、古い建物や古木などで見えざる気配を感じることは度々あった。

 一度も目で見たことはないが、ポップにとって精霊は身近な存在だ。ダイを探して一人で旅をしていた最中も、時々、見えないが暖かい存在が側にいるように感じたことは何度もある。

 魔界でも精霊達の存在を感じ取れるのか少々疑問だったのだが、ふわりと頬を撫でるようにかすめた風を感じて安堵する。目に見えないままなのは変わらないが、むしろ地上にいる時も精霊の存在を身近に感じる。
 それに力を得て、ポップは強く呼びかけた。

「我が声に耳を傾けたまえ」

 自分の声に応じて、周囲の空気が張り詰めるのを感じる。澄み切った空気は、冬の朝を思わせる厳しさと緊張感があった。
 地上の海や大地とかけ離れた魔界の地でも、魔法の力はきちんと働いていた。

 自分を中心にして光の輪が出現する。
 鮮やかな銀色の光が二重の輪を描き、さらには中心から外へと向かって放射状に幾重もの線が延びる。
 瞬く間に、それは車輪に酷似した魔法陣へと変化した。

「――!」

 ヴェルザーが驚いたようにこちらに目を向けたが、ポップは気にしなかった。
 どうせ、目立つ魔法だ。

 儀式魔法は時間もかかるし、いずれヴェルザーに気づかれるのは最初から計算に入っている。
 そのために、ダイに時間稼ぎを頼んだのだ。

 ダイは望み通り、ヴェルザーの相手を一人で引き受けてくれている。そのせいでさすがの冥竜王も、ポップにまで攻撃を仕掛ける余裕はなさそうだ。
 邪魔をされなければ、見られたからと言って別に困る程のことはない。ポップは輪を見つめながらさらに言の葉を紡ぐ。

「命は巡る、果てしなく。
 廻る、廻れ 、輪廻の輪」

 その言葉に合わせるように、銀の車輪が回り始める。ゆっくりと、だが一定の速度で途切れることなく。

 それと同時に、心臓を鷲掴まれるような苦しさがポップを襲う。だが、その苦しみをポップはなんとかやり過ごす。
 この苦しみも、想定内だったから。

(ま、ただで済むわきゃあないよな)

 ポップはこの車輪の意味を知っていた。
 これは、人間の魂の象徴だ。この魔法で術者が賭けなければならないのは、生命などと言う生易しい代償では済まされない。生命を賭けるのは当然以前の問題であり、真に代償とされるのは魂そのものだ。

 その代償の大きさを思えば、魔法力を根こそぎ吸い取られるような脱力感を感じるだけで済んでいるのは僥倖だ。ともすればふらつきそうになる足に力を込め、ポップは声を張り上げた。

「我、望みてこの輪を止めん」

 見えざる精霊達に向かって、ポップは自分自身の意思で宣言する。
 それは、異例の望みには違いない。人間に与えられた輪廻転生の理は、魔族や怪物にはない神の慈悲だ。

 伝説は、かく謡う。もっとも弱く、短い生命を持つ人間を哀れんで、神は人に不滅の魂を与えてくれた、と。寄せては返す波のように、人は何度死んでもまた生まれ変わり、生を得ることができる。

 神より与えられた祝福であり、恩寵とも言える輪廻を自ら投げ出すなど、正気の沙汰ではない。少なくとも、ポップが読んだ古文書にはこの呪文の恐ろしさを大袈裟に書きたて、決して使ってはならない禁呪だと記してあった。

 だが、ポップはその戒めなどたいして気にならなかった。
 禁呪かどうかなど、ポップには関係がない。興味があるのは、それが自分にとって役に立つかどうかだけだ。

 竜に働きかける効力を持つ古代の呪文を、ポップは朗々たる声で紡ぎ続ける。

「母なる海よ、父なる大地よ。
 あまたに散らばる精霊達よ、我が声に耳を傾けたまえ。
 竜の血を受け継ぐ者が戻り場所は、父と母が生まれし場所。
 我、汝を還るべき地へ導かん。
 我が誓いを、聞き届けたまえ……!」

 言霊を受けて、魔法陣が最大限に光り輝く。その光は見る間に収束していき、軽く伸ばしたポップの手へと集まった。掌にくっきりと刻まれた光の車輪を見て、ポップは術の前段階が無事に終わったことに安堵する。

 これが、輪止双生の術。
 人の定めであり、業であり、権利でもある輪廻転生。
 何度でも生まれ変わることのできる無限の魂を捨てることと引き換えに竜族の運命を関与するための術。

 全種族の中で最強の名を欲しいがままにする竜族でさえ、この術には抗えない。
 後は、この手で対象とする相手に触れればいい。相手を一つの界へと封じ込めることができる。

 どこにいようとお構いなしに、世界を一瞬で移動させることができるが、その代わり決してその界からは移動できなくなる。千年以上も昔、とある竜を封じるために編み出されたこの秘法は竜と名のつくものには絶大の効果を発揮する。

 掌に浮かぶ魔法陣を見つめた後で、ポップはダイとヴェルザーに目をやった。
 戦いは、どうやらダイが優勢のようだった。

 ヴェルザーの動きはどこか精彩を欠いていると言うのか、さっきよりも幾分鈍い。ポップにでも隙を突けそうな冥竜王の戦いぶりを見て、拳を握りしめて駆けだした。

 もう、とっくに覚悟はできていたから。
 術者は術と同時にこの世から消滅することになるが、その魂は魔法陣となって相手の身体に残り呪縛し続ける。

 この効力は、術者が消滅した後も終わらない。
 輪止双生の術を使った後の自分がどうなるかなんてポップは知らないが、別に興味もなかった。

 どうしても叶えたい目的があり、そのために使える魔法がある――それだけで十分だ。術と引き替えに命が砕け散るのを恐れなかった魔法使いは、魂の停止も恐れない。

 そもそも、ポップは死後なんてどうでもいい。
 いや、どうでもいいと言えば語弊があるかも知れないが、死んでしまった後どうなるか怖がるよりも、大事なことを知っている。

『人間は誰でもいつかは死ぬ……。
 だから、……みんな一生懸命生きるのよ』

 幼い頃、母親から聞いたその言葉は、死への怯えを拭い去ってくれた。今も忘れられないあの言葉は、ポップのどこか深い部分を支えてくれている。
 輪廻転生の輪から外れようが、二度と現世に生まれ変われなかろうが、関係ない。

 今、この瞬間に自分の満足できるように生きれれば、それでいい。 
 ただ、ダイと二度と笑い合えないかもしれないことだけは心残りと言えば心残りだった。真相を知った後、さすがのダイも怒るかも知れない。
 だが、それでも『一緒に地上に戻る』と言う約束だけは守れる。

(悪ぃな、ダイ)

 ポップは走りながら腕を伸ばした――ダイに向かって。
 術の対象は、最初からヴェルザーではなくダイだった。
 ダイがたとえ望まなかったとしても、無理矢理にでも首根っこ引っ掴んで地上に送り届けると決めたのは、ポップだ。

 この決意を変える気なんて、さらさらない。
 ヴェルザーとの戦いを中断させ、理由も分からずに地上に移動させられたダイは、さぞや驚くことだろう。

 だが、問題はないとポップはほくそ笑む。
 こんな時のために、師匠には全てを話してきた。世界一と言っていい英知を誇るあの大魔道士ならば、何が起こったかをダイやみんなに説明してくれるはずだ。

 まあ、マトリフは最後まで苦い顔をするばかりで承知はしてくれなかったが、結果としては同じことだ。ポップが命を、いや、魂を賭けて勝負に出たのなら、それを見捨てるような男ではない。

 一見冷たく、突き放したような態度を取りながらも、人の心の機微に通じたマトリフは不肖の弟子の最後の後始末をやり遂げてくれると信じられる。

「ポップ?」

 常とは違う気配に気がついたのか、ダイが不思議そうにポップの名を呼ぶ。だが、それでいて自分に対して警戒心を見せない背中が嬉しくて、ちょっと寂しかった。

(ホントに悪いな、ダイ)

 あと、ほんの少し……それで終わる。
 ダイの身体のどこかに触れれば、ポップの目的は達せられる。
 ポップは最初から、いざとなったらこの術を使ってダイを地上界へと封じ込めるつもりだった。

 輪止双生の効果ならば、精霊の結界など問題にもならない。結界を破ることなく、そのまま瞬間的に世界を移動できる。この術の制限によりダイは二度と魔界にも天界にも行くことができなくなるが……それは別に、彼にとっては悪いことではないだろう。

 ダイ本人の意思を確かめたことは無いが、ダイには魔界や天界に自ら望んでいきたい理由などないはずだ。竜の騎士の使命感とやらがダイに三界へ行くように強制する可能性はあるが、そんなのはポップにとってはどうでもいい。

 と言うよりもむしろ気に入らないし、積極的に邪魔してやりたいと思っている。ダイやダイの父親に勝手な宿命やら面倒ごとを押しつけた古代の神々に対して、ポップは腹立ちすら感じているのだから。

 その意味では、この魔法の効力は望むところだった。
 地上に呪縛されたダイは、竜の騎士としては役に立たなくなる。ならば、普通の人間として生きていけばいい。
 見事に魔王を倒した勇者には、それぐらいのご褒美があってもいいはずだ。

「汝、疾く還るべき地へ戻られよ!」

 確信を込めて、ポップはそう断じた。
 魔界に来て、思った。この場所は、ダイには似合わないと。まるで太陽の様なような笑顔を持った彼には、地上が一番好きだと言った親友には、地上の太陽の下こそが相応しい。

 最後の呪文と共に伸ばした腕が、魔法陣の刻まれたポップの手がダイの背に触れる――ダイもポップもそう思った時のことだった。
 吠え立てるような叫びと共に、横殴りの風が吹き抜ける。そうダイが思った後で、聞き慣れた悲鳴が響き渡った。

「うわぁああああっ」

 丸太のような豪腕が、ポップをしっかと捕らえていた。小さな女の子がお人形を片手で掴むように、巨大な竜の手が魔法使いの少年を捕らえている。薙ぎ払う様の伸びた腕が、ポップを捕まえたのだ。

 それは、押し潰す程の力は込められていなかった。
 だが、巨体に見合った力で全身を締め上げられ、ポップの喉から苦痛の呻きが漏れる。高々と伸びた手が、虚しく空中で藻掻いているのが見えた。

「ポップッ!?」

 咄嗟にダイは剣を構える。
 だが、そのまま飛び出すよりも早く、ヴェルザーの口から息吹が放たれた。それが炎の息だというのなら、ダイは迷いもせずそのまま突っ込んでいただろう。

 身体を多少焼かれることなどお構いなしに、ポップを助けるために。
 だが、ヴェルザーの口から生み出されたのは紫がかった雲のような気体……炎のつもりで突っ込んだダイが、身体の微妙の痺れに気がついた時には、もう遅かった。

「し……痺れる息……っ!?」

 がくりと膝を地べたについてから、ダイはヴェルザーが竜の中の王だという事実を思い出す。
 竜族は普通、一種類の息吹しか操れないはずだが、竜の長たる者ならば複数の息吹を自在に操れても何の不思議もない。

「く……っ」

 自分の判断の甘さに歯噛みをしながら、ダイは悔しそうにヴェルザーを見上げるしかできない。

 しかし、ヴェルザーの目はダイ以上の悔しさに燃えていた。竜の表情は人間に比べれば乏しく、分かりにくいはずなのに、それでもなお理解できるほどの激情が彼の顔には浮かんでいた。

 焦りと怒り、そして不安……ダイの目にも浮かんでいる感情がはっきりと感じ取れるほど、今のヴェルザーは動揺していた。そして、その動揺のままに彼は叫ぶ。

「なぜ……っ!? なぜ、貴様がその呪文を知っている!?」

 怒りのあまり吠え立てる冥竜王の喉元が、むき出しになる。
 感情の高ぶりに合わせてか、ヴェルザーの鱗の色合いは先程までとは微妙に変わって見えた。

 中でもそれが際立つのは、首筋だった。
 ヴェルザーの喉元……俗に逆燐と呼ばれる場所に一輪だけある逆さの鱗が鮮やかに色づいている。弱点がさらけ出されている状態だったが、驚くのはそこではない。

 逆鱗に刻まれた、銀色の小さな魔法陣。 それは、今、まさにポップが使おうとした輪止双生の魔法陣と同じものだった――。      《続く》

  
 

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