『レオナの初風呂体験記! 3』
 

「――これが『サウナ』なの?」

 その声音には、嬉しさ以上に戸惑いの色合いの方が強かった。
 ポップの呼び出しに、レオナを初めとしたマリン、エイミの三人はそれこそ喜び勇んでこの場に駆けつけた。

 マリンやエイミは仕事すらほっぽり出してきたし、レオナにいたってはダイとのお茶会を中断してまでやってきたのだ。まあ、放置されたダイもダイでまるっきり怒るでも不満を見せるでもなく、ポップがいるのならとむしろ喜んでついてきたのだが。

 が、目の前にある物はどう見たって、彼女達の期待からは大きく外れたものだった。

 風呂などとは無縁そうな、ただの物置き小屋。
 城の中庭にポツンと存在するその小屋など、その中に入る用事もないレオナ達は特に意識したことなどなかったが、それでもそれが有り触れた物置き小屋だとは知っている。

 ただ、もうもうとした煙が窓やら戸の隙間からあふれ出ているのが普段とは違うところだ。

「わっ、大変だよっ、煙がいっぱいだよっ!?」

 一緒に来たダイだけは慌てふためいているのだが。

 もし、その煙が焦げ臭い黒煙だったのならレオナ達も慌てただろうが、白く、お湯の匂いをたっぷりとまとったその煙が水蒸気なのは一目で分かる。温泉の湯煙を見慣れたパプニカ王国の人間にとっては、特に危険は感じなかった。……見た目こそは不審だが。

「平気だって、これがカール風の蒸し風呂なんだから。さ、さっさと入ってくれよ」

 そう言いながらポップは小屋の戸に手をかけ、くいっと手招きする。

「え……待って下さい、ポップ君。こんな所で、風呂に入れ、と?」

 眉を寄せ、困ったように言うマリンに続いて、エイミはもっとはっきりとした視線をポップへと向ける。

「それに、まさか……あなたも一緒に入る気なの?」

 申し合わせでもしたように三人揃ってポップへと向けられた視線は、不躾にも女湯に入ろうとする非常識な男を見やるような、非情極まりない絶対零度の眼差しだった。それに気づいたポップは、慌てて手を振って弁解する。

「や、違うッ、違うって! なにも、裸になって入れなんて言ってないって!? そりゃ、その方が手っ取り早いと思うし、何より嬉しいと思うけど――って、あ、いやいや、そうじゃなくって!
 それにサウナは、絶対に裸で入らなきゃいけないってわけでもないんだって!」

「…………」

 ポップの弁解に、三人は多少驚いた表情を見せて顔を見合わせる。が、ついでポップに向けられた視線は、先程に比べて改善されたとは言い難いものだった。

 この蒸気の中でさえはっきりとした冷たさの感じられる視線の意味は、たった一つ――。

『人が知らないと思って、デタラメぬかしているじゃないでしょうね、このスケベが』

 多少、言葉は違うかもしれないが、そんな幻聴すらひしひしと感じ取りつつも、ポップはただでさえ汗まみれになった上に冷や汗を掻きながら必死に説明する。

「う、うそじゃないって、ホントだから! サウナに入る時は裸の方が楽だけど、タオルや簡単な服を着て入ることもよくあるんだって、アバン先生が言ってたんだよ!

 特に男女混浴って言うか、男女が一緒にサウナに入る時は服を着たままってのも珍しくはないんだって……あっ、おれはそんな嬉しい……、いやっ、そんな大勢がいるサウナには入ったことはないけど、ちゃんと聞いたんだからなっ、先生から!!」

 これだけが頼りの綱とばかりにポップは最初の師の名前を連呼するが、三人の美女達は彼に対しては何も言わず、探るように互いの顔を見合わせている辺り、あまり効き目はなさそうだ。
 しかし、そこに助けとばかりに割り込んできた声があった。

「ポップ君の言うことは、本当ですよ。
 私も少し文献で調べて見たのですが、カールではサウナの前後に着る湯浴み着と言うものもあるそうですよ。ただ、絵までは載っていませんでしたし、どんな物かまでは分かりませんが」

 おっとりとした口調でアポロがそう補足説明を加えると、彼女達が纏っていた雰囲気が大幅に和らぐ。

「へえ〜、ポップ君が言ったことって本当だったのね」

「アポロが言うのなら、間違いなさそうですね」

「そうね、アポロなら嘘をついたりしないでしょうし」

 打って変わったこの態度に、ポップは憮然とせずにはいられない。
 なぜ、こうまでも自分とアポロでは信頼度に差が生じるのか――ここにマァムがいたのなら、日頃の行いでしょと容赦なく叱りつけそうなものだったが、生憎と言うべきか彼女はここにはいない。

 とりあえず、痴漢扱いされなくなっただけでもラッキーだったと思い直し、ポップは再度促した。

「ま、まあ、これで分かってくれただろ? それじゃあ、さっさと入ろうぜ、急がないとせっかくのサウナが冷めちまうし」

「え、待って! やっぱり、ポップ君も入る気なの?」

 露骨に嫌そうな表情を見せるレオナに、ポップは己の信頼の無さを嘆きつつ、二重の意味でせめてもの抵抗を試みる。

「だって、姫さん達、サウナは初めてなんだろ? なら、付き添いがいた方がいいと思うんだけどなぁ〜」

 ポップの名誉のために言うのならば、それは半分以上は善意からの申し出だった。

 サウナはカール王国独特の風呂なだけに、注意点はいくつかある。ポップ自身も初めてサウナに入った時はアバンが付き添ってくれたし、いろいろ教わった。

 それに、こんなに苦労してサウナの準備をしたのに自分は入れないのは癪に障るという理由も、1/4程。残りは純然たるスケベ心がちらほらあったりしたのだが、まあ、第一動機は善意だ。

 だが、ポップの申し出に、エイミとマリンはどうにも信用できないとばかりに疑わしげな視線を向けてくるばかりだ。それでも面と向かって断りはせず、主君である姫に判断を任せるとばかりに、慎ましく沈黙している。
 決断力に長けた姫君は、少し迷うように黙り込んだ。


(うーん、どうしようかしら?)

 誤解は解けた――とりあえずは、だが。
 が、それをさておいても、レオナにしてみれば男女混浴には抵抗があった。

 大抵の国でもそうだが、パプニカでは風呂は男女別に入るのが普通だ。風呂を二つに分けられないような場合でも、時間で男女別に割り振るなどのけじめをつける。

 そんな常識に慣れ親しんだレオナにとって、たとえ服を着たままでも混浴したいとは思えない。
 特に、ポップが相手なら。

(あ、でも、ダイ君となら――)

 ちらっと、レオナは小さな勇者の方に目をやる。
 ポップがどう屁理屈をつけて頼み込んできても、一向に混浴したい気分にはならないが、ダイが望んでくれるのならば話は違う。

 さすがに裸で一緒に入浴するほど大胆には振る舞えないが、水着を着るなどの準備をしてもいいのなら、ダイとなら――。
 レオナの視線を見て取ったのか、ポップが絶妙なタイミングでダイに声をかける。

「なあ、ダイ。おまえだってサウナに入りたいだろ?」

 もし、ダイがその誘いに乗ったのなら。
 それなら、たとえポップと言ういらないオマケがついてきたとしても、混浴にチャレンジしてみるのもアリかも知れない。

 ドキドキとレオナの胸が騒がしく鼓動を刻み始めたが、ダイはと言えばとんでもないとばかりに首を横に振った。

「ええっ!? ……お、おれは、風呂なら一昨日も入ったし別に入らなくてもいいかな、って」

 勇者とは言え、苦手な物はある。
 南の島育ちで、身体を洗うと言えば水浴びしか経験のないダイは、元々入浴の習慣がなかった。その後、人間達の習慣に慣れてきたとは言え、ダイにとって風呂は面倒な物という意識が強いのか、あまり好まない。

 普通の風呂でさえそうなのに、初めて見る変な『さうな風呂』など、ダイにとっては完全に忌避すべき存在らしい。女の子に釣られて風呂に入りたがるどころか、異物を警戒する動物のごとくじりじりと後ずさって警戒している。

「いや、風呂ぐらい毎日入れよ! ちっともよくないだろ、それ!」

 せっつくポップの意見には全く同感だったが、レオナはがっかりしつつも気を取り直した。

「いいわ、二人とも。とにかくサウナは私達だけで入るから、注意点だけ教えて」

 ダイと一緒に初体験のお風呂、と言うのがあまりに魅力的すぎてつい目が眩んだが、第一目的を忘れてはいない。
 レオナの、と言うよりレオナ達の目的は、飽くまで美容だ。

 おしゃれをする時にずっと彼と一緒に居てもらうよりも、最終的に仕上がったところで綺麗と言ってもらう方が嬉しいように、サウナを共にするより後でその成果を見てもらう方がずっといい。

 そう判断したレオナに、ダイはパッと嬉しそうな、ポップは逆に残念そうな顔をしたものの、それで納得したらしい。

「ちぇっ、分かったよ。じゃ、説明だけしとくから」

 そう言って、ポップは戸を開けて中へと入る様に促した。
 もうもうたる水蒸気に一瞬躊躇したレオナだが、自ら冒険の旅に随行し、大魔王との決戦にまで挑んだ勇猛果敢な姫君が、この程度で怖じ気づくはずもない。

 好奇心のままに、真っ先に中に入る。
 が、入ってすぐにそれを後悔した。

「……ずいぶんと暑いのね」

 小屋に入るなり感じた、むわっと全身を包んだ湿気は、お世辞にも心地よいとは言いかねた。むしろ、夏場の不快指数の高い日を思い起こさせる暑さだった。

「そりゃ、蒸し風呂だもん。暑くしねえと、意味ねえだろ?」 

 ごく当たり前のように言い、ポップは部屋の中央に置いてある石の山と、すぐ側に置いてあるバケツとひしゃくを指さした。

「水蒸気が薄くなってきたら、この石に水をぶっかければいい。ほら」

 説明するより実演した方が手っ取り早いと思ったのか、自分もずかずかと入り込んだポップは無造作にひしゃくで水をひとすくいすると、石の上に振りまいた。途端にジュッと音を立て、水蒸気が沸き立つ。

「もし、水をかけすぎてあまり水蒸気が出なくなったら、石を熱すればいいからさ。こんな風に」

 そう言いながら、ポップは火炎魔法を石へとぶつける。たいした大きさの炎ではなかったが、吸い込まれるように炎が石にぶつかった途端、その場の温度がさらに上がった気がした。

「後はそこのベンチにでも座って、じっとしていりゃあいいんだよ。
 そのうち、どんどん汗を掻いてくるから、暑くて我慢できなくなったら外に出て水浴びして、さっぱりすればいい」

 その辺の説明はカール王国でフローラから聞いた話と同じだったので、レオナはおざなりに頷いた。

「分かったわ、ありがとう。
 ところでポップ君、これから夕方まで半休をあげるから城から出ていっていいわよ。そうね、城下町でも散歩してきたらどうかしら?」

「へ?」

 突然の休暇宣言に、ポップはきょとんとした表情を見せる。

「これからぁ? いや、そんないきなり言われても……それに今から散歩とかに行くより、風呂にでも入ってゴロゴロしていたいし――」

 ごく当然の要望を口にしたポップだったが、レオナはそれを最後まで言わせもしなかった。

「この特別半休は、今日中に消化しないと無効になるわよ。まあ、ポップ君がどうしても休みを入らないというのなら、この先半年ぐらいの休暇を見直してあげてもいいのだけど?」

 ニコニコと笑顔のまま告げられたその言葉の裏に潜む脅しを、読み取れない大魔道士ではない。

『言うことを聞かないなら、今後の休暇はないぞ』

 そうはっきりと言われたかのように顔色を変えたポップに向かって、レオナはとどめとも言える言葉を変わらぬ笑顔のまま進呈した。

「それにポップ君は城の外に散歩の行くのって、好きでしょう? もしかして、それも嫌だったのかしら? ならば、それも今後考えないといけないかしらね……」

 さも、今考えていますとばかりに小首を傾げるその姿は、見た目こそは可憐で可愛らしかった。が、その当のレオナの命令で、現在進行形で幽閉室での暮らしを強いられているポップにとっては、震え上がりそうな一言だった。

「あっ、そ、そうだっ、せっかくの姫さんの申し出だし、ゆっくり散歩でもさせてもらおうかなー、はっはっはっ」

 いささかわざとらしく意見を急変換させたポップに、レオナはなおも優しく微笑みかける。

「そう、良かったわ、喜んでもらえて。
 そうそう、たまにはダイ君と一緒に散歩に行くのもいいんじゃない? ね、ダイ君?」

 この言葉にも、裏があった。
 そもそも、レオナはダイとポップがしょっちゅう行動を共にするのを面白く思ってはいない。

 恋する乙女の常として、好きな男の子にはいつだって自分のことを一番に思って欲しいと思う少女にとって、彼の親友というのは微妙な存在だ。もちろん、レオナは恋する人を心理的に束縛しなければ気が済まないと言うような、焼き餅妬きの女の子ではないつもりだし、公平に見て世間からもそう思われているだろう。

 レオナはダイの自由を望んでいるし、彼には好きなように、伸び伸びと暮らして欲しいと願っている。

 ――が、そうは思っていても、自分をほったらかしにして朝から親友のことを起こしに行ったり、昼ご飯は必ず親友と一緒に食べ、自由時間の大半は親友の側で過ごし、あまつさえ夜にはちょくちょく同じベッドで眠っているともなれば、さすがに心穏やかではいられない。

 ダイの行動に制限を加えるほど狭量ではないが、決して二人で共に行動するようにと勧めることはない。
 それを敢えてする時は、必ず理由がある。

 ダイを、もしくはポップを、あるいは両方を城から遠ざけておきたいと言う明確な理由が。

「……分かったよ、夕方ぐらいまでどっかに行くことにするよ。おい、ダイ、どこかに水浴びにでも行こーぜ、おれもいい加減、汗を流したいしさ」

 いち早くレオナの思考を汲み取ったポップは、諦め半分のように親友に誘いをかける。もちろん、他人の言葉の裏になど全く気がついてもいない無邪気な勇者様は暢気なものだ。

「わっ、ホント!? じゃあさ、デルムリン島に行って一泳ぎしようよ!」

「アホかっ、おれは汗を流したいだけで泳ぎに行くわけじゃないんだよっ! 行くんなら、泉か湖辺りだろ。
 あ、テランならいいかな、あそこの湖なら静かだし」

 仮にも竜の神が眠ると言われている、テランの神聖な湖に対して不遜にも程のあることを言っている様な気もしたが、レオナは気にしないことにする。

 幸いにもエイミやマリンはこれから入る予定のサウナに気を取られているのか勇者達の会話など耳に入っていないようだし、空気の読めるアポロは追い出しをかけられるよりも早く、すでにこの場を去っている。

 バダックに至っては、レオナ達がこの場に呼び出される前にはもういなくなっていた。

「じゃ、レオナ、行ってくるね! お風呂、がんばってね!!」

 どこかずれた挨拶を残し、ダイとポップが光の軌跡を残してその場から飛び立ったのを見送ってから、レオナは満足げに頷き、腹心の部下達を振り返った。

「さて、これで安心してゆっくりとサウナを楽しめると言うものよね♪」

 ポップには少しばかり、そう、ほんの少しばかりは可哀想なことをしてしまったかもしれないとは思ったが、これも彼の日頃の行いが悪い。

 いつ覗きが現れるかと思えば、おちおちと落ち着いて風呂を楽しむことなどできないではないか。やはりここは、女だけで気を抜いてゆっくりと初風呂を楽しみたい。

「ええ、楽しみですわね、姫様!」

 声を弾ませながら、マリンとエイミが小屋に入ってくるのを、レオナは笑顔で迎え入れた――。                 《続く》 

 
 

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