『お姫様と物言う花 ー中編ー』 |
「ところで、メルローズ。ボクは今日、何をすればいいのかな?」 ドライが真面目腐った顔でそう尋ねてきたのは、馬車が走り始めてからしばらく経った頃のことだった。 「え?」 思わず聞き返したメルルに対して、トライは軽く肩をすくめて見せる。 「いや、送り迎えを頼まれたからには、てっきりボクが馬車を走らせるのかと思っていたのだけど、そうじゃないみたいだし」 そう言ってのけるトライは、メルルの前の席――つまりは馬車の中にいる。 もちろん、王子の服装としておかしくない立派な物なので、一般庶民の目からはきらびやかな衣装としか見えないが、外出着ならいくらでも用意できるだろうに実用的なものをわざわざ選んだところを見ると、本気で御者をするつもりだったようだ。 「ええ、もちろんそうではありませんわ。私を相手のお屋敷まで連れて行ってくださって、ご挨拶してもらわないと」 送り迎えの役目を負ったとは言え、実際にドライが御者を務めるわけではない。馬車を走らせるのは、専門の御者の役目だ。 公的な場に出る際、女性は単独で行動しないのが普通だ。常に男性にエスコートされる形で動くのが常識であり、義務でもある。未婚の間は父や兄、もしくは騎士に、結婚後は夫と共でなければ公式の場に出ることもないのが貴婦人というものだ。 決して一人では行動せず、常に守られ、傅かれる存在……それこそが貴婦人の貴婦人たる所以だ。 「うへぇ、挨拶かぁ。苦手なんだけどな、そーゆーのは」 さも面倒くさそうにぼやき、頭を掻くドライに、メルルは不満はない。と言うよりも、そんな振る舞いに親しみを感じる。 「でも、今日のサロンとかは女の子だけでやるのだろう? その間、ボクはどうしていればいいわけ?」 そう聞かれても、正直、困ると言えば困る。 レオナのお茶会になら何度となく招かれたことがあるとは言え、まだメルルが普通の村娘だった頃から、彼女の態度や持て成しに変化はない。あくまで、友達として遇してくれるのだ。 しかし王女になると決めて以来、付け焼き刃ではあるがメルルは一通りの礼法やら貴族の娘ならではの習慣やらを学んだ。 「私にもよくは分からないのですけど……多分、今回はお茶会が終わるまで殿方は別室でお待ち頂くことになるかと」 「それは……喜んでいいのか、悪いのか、分からないね。 大袈裟に顔をしかめるだけでは足りないのか、ドライは芝居っけたっぷりに腕まで組んでみせる。 「やあ、やっと笑ってくれたね」 「え?」 戸惑うメルルに、ドライは持ち前の飄々とした口調で言った。 「今日のメルローズはずいぶんと緊張しているように見えたからね」 独り言のようにそう言うと、ドライはもうメルルに興味をなくしたように窓の外に目をやる。その視線に釣られるように、メルルもまた窓の外を見やった。 早くもなく、かといって遅すぎもしない一定の速度で走る馬車は、どこまでも軽やかだった。御者の腕がいいのか、それとも馬車がいいのかは分からないが、揺れも少なくていたって快適だ。 テランは、自然豊かな王国だ。 神秘的な湖を覆うかのような森の静けさ、凜とした山の佇まいなどの中を馬車で走るのは、メルルのようにテランの静けさを愛している者には心地よい。 祖母のナバラが馬車を嫌うので、旅の占い師時代にはほとんど馬車に乗ったことのなかったメルルは、王女になってから初めて馬車の楽しさを知った。もちろん王女と言う立場上、自由に馬車で出掛けることはできないが、公務で外出する際に馬車に乗るのは割と好きな方だ。 いつものメルルならば、距離は短くとも思いがけない小旅行を喜んだだろう。 思えば、緊張のあまりメルルは馬車に乗ってからも黙り込んでばかりで、ろくにドライと会話すらしていなかった。いくらメルルが内気とは言え、いつものメルルならば相手に気を遣って話そうかどうしようかと、迷っていただろう。 結果的にずっと沈黙していたとしても、内心は大きく違っていたはずだ。 だからこそ雑談混じりの会話で、メルルの気を解きほぐそうとしてくれたに違いない。 宮廷が苦手で、人との交流を一切拒んでいるように見えて、この義兄にはそんなところがある。他人を突き放しているようでいて、そっと細やかな気遣いを投げかけてくれる。 よくよく注意を払わなければ見逃してしまいそうな、細やかな手助け……それがドライ本来の気質による物なのか、あるいは義理とはいえ妹に対する情から生まれるものなのか、メルルには分からない。 「ありがとうございます、お兄様。少し、気が楽になりましたわ」 メルルの告げた感謝の言葉に、ドライは少し肩をすくめただけで、窓の外を眺めているばかりだった。 しかし、ドライの少しばかり斜にかまえた性格を知っているメルルにとって、その反応に不満があるはずもない。さっきまでよりもずっと落ち着いた気分で、メルルはつかの間の小旅行を楽しむことにした――。
メルルの住んでいる離宮と比べても、広さの上でも豪華さの上でも引けをとらないと思えるその館は、小宮殿と言われても違和感のない物だ。しかも、その建物はまだ造られてから日付が建っていないらしい。 「……まだ、できたばかりの建物のようだね」 ドライの呟きはごく小さなものだったが、どこかしらに不満が混じっているように聞こえた。だが、彼の親切と同じようにその不満も細やかすぎて、メルル達を出迎えてくれた従者達には通じなかったらしい。 「はい、そうなんです! この別荘はできたてのほやほやなんですよ、ご主人様が出来るだけ早くと望まれたので、たった半年で作り上げたと聞いています!」 まだ少年と言っていい年齢の厩番は、自分のことのように得意げにそう言った。 実際、その気持ちは分からなくもない。 本来、庶民のメルルがもし値段を聞いたのなら、気が遠くなるような金額だろうと想像がつく。それだけに建物を見ただけで身が竦む思いだったが、ドライの視線は庭へと向けられていた。 「……テラン風の造園にすれば、もっと早くできただろうにね」 その呟きもひどく小さくて、すぐ近くにいたメルルにしか聞こえない程度のものだった。 自然のままを良しとするテランでは、庭であっても自然美を重視する。 この人工の迷路を造るために、決して少なくはない森の一部が潰されたのだと思えば、なにやら落ち着かない気分にさせられる。 「ようこそいらっしゃいました、お目もじいただけて光栄です。ドライアード王子、メルローズ姫。 おそらくは執事であろう初老の男が丁寧に二人を出迎え、テキパキと侍女に指示を与えながら別々の部屋へと案内する。そうなると最初から予想はしていたとはいえ、実際にドライと別れてしまうと、メルルは急に心臓がドキドキと脈打つのを感じていた。 やはり、緊張せずにはいられない。 金と暇を持てあましている様にしか見えない彼女達は、わがままな気質の者がほとんどだった。望んだことが叶えられて当然と考える彼女達は、意に沿わぬ占いを頭から受け付けてはくれない。 不吉な兆しを感じたからこそ告げる忠告を傲慢に払いのけ、なぜいい占いをしてくれないのかと身勝手に怒ってくる。 そのくせ、いざ占いが的中すると、なぜちゃんと言ってくれなかったのかと文句をつけてくるのも彼女達だ。かといって外れれば外れたで、大袈裟に騒ぎたてる。 金と暇を持てあましているとしか思えない、お金持ちのわがままさに振り回されたのは、一度や二度ではない。 だが、王女として招かれた以上、テラン王家に恥をかかせるような振る舞いをするわけにはいかない。緊張と義務感の板挟みになりながら、執事に導かれるままに長い回廊と歩いて行く。 もっとゆっくりと願っていたのに、心の準備ができる前にメルルは目的とする部屋へと連れて行かれた。 「お嬢様、メルローズ姫をお連れいたしました」 「まあ、お待ちしていましたわ! どうぞ、お入りになって」 執事の重々しい声とは正反対の、はしゃぎ気味の若い女性の声が聞こえたかと思うと、その扉はさっと開いた。魔法か何かの力で自動的に開いたかのように見えるほど自然なタイミングで開けたのは、扉のすぐ側に隠れるように控えていた侍従の仕業だ。 両開きのいかにも重そうな扉なのに、いとも軽々と開かれた先には、華やかな客間が広がっていた。 金と赤をメインとした、きらびやかな印象の家具はベンガーナ王宮で見かけるものと何ら遜色のない品ばかりだ。だが、それでいて厳めしさを感じさせないのは、部屋の至る所に花が飾られているせいだろう。 勇壮さを好むベンガーナ王は派手な装飾に加えて武器や防具を飾ることを好むのだが、この客間は溢れんばかりの花で彩られていた。そのせいでベンガーナ風の家具が、より一層華やいだ雰囲気を増しているように見える。 さらに言うのならば、この部屋を花以上に華やがせているのは、ソファに腰掛けている少女達の存在だった。 「初めまして、メルローズ姫。お目にかかれて嬉しいですわ」 さっと立ち上がり、にっこりと微笑んだブルーのドレスの少女が、おそらくは今日の主催者なのだろう。 彼女はにこやかに微笑みながら挨拶し、時計回りに他の少女達も紹介していく。部屋には侍女や侍従なども複数いたが、紹介してもらったのは主催者の少女も含め、五人分の名前のみだった。 だが、一度に覚えるには多い上に、いかにも貴族らしく長い名前なので、メルルにはとても覚えきれる自信はない。 しかし彼女らは、文句なしに美しい少女達だった。最新流行の肩を大きく開いたデザインのドレスに身を包み、数え切れないぐらいの宝石で身を煌びやかに飾っている少女達は、未だに庶民感覚の抜けないメルルよりもよほど姫と呼ばれるのに相応しく思える。 実際、彼女達は誰もが知るような、名だたる貴族のご令嬢揃いだ。 王族に仲間入りして、姫と傅かれたとしても何の不思議でない高貴な少女達は、数年前まではただの村娘に過ぎなかったメルルから見れば眩いほどだ。 それに対し貴族の姫君は、あたかも彼女の方こそが王女であるかのように、どこまでも天真爛漫で無邪気だった。 「本当に、あなたにお目にかかれて、どんなに嬉しいことか! メルローズ姫はめったに舞踏会にもいらっしゃらないから、わたくし、とても残念に思っていましたのよ。だからこそお父様に無理を言って、お茶会にお招きしたの」 得意げに言う彼女の『無理』は、多分、彼女が思っている以上の大金や時間がかかっているのだろう。なにせ彼女の父親は、テランにわざわざ特別注文の別荘を建ててさえいるのだ。 「え、ええ……、それはお手数をかけてしまったよう、ですね」 つい反射的に、そこまで手間をかけさせて申し訳ないと言いそうになったのを、メルルはかろうじてとどめる。 王族は、頭を下げてはいけない――それは、王族の養女となった際、真っ先に受けた教えだった。他者に傅かれ、奉仕を受け取る存在となることが、王族としての義務だ。 他人に手をかけさせることを、申し訳ないとか、それぐらいは自分でできると言ってしまってはだめなのだ。それでは、王族に奉仕する立場の人間の立つ瀬がなくなる。 だからこそ、王族は他人の苦労や奉仕をごく当たり前のように受け止め、鷹揚に受け入れなければならない。 極論を言えば、扉を開けることすらする必要が無い。扉を開ける係の者が開くまで手を触れずに待つのが、王侯貴族側の常識らしい。もちろん、それは生活の細部にまで及び、雑務は一切人に任せるのが普通だ。 そんな理屈はなんとか理解した物の、根っからの庶民育ちのメルルにとってはなかなか慣れない習慣だ。 「あら、そんなこと! メルローズ姫に会えるのなら、どうってことありませんわ。さあ、それより席にお着きになってくださいな、今日はあなたのためにとっておきのお茶を用意させましたの!」 彼女がそう言っただけで、部屋の隅にあらかじめ控えていた侍女達が一斉に行動を開始する。 だが、いくらそれが最上だとしても、美味しいお茶を入れるのにはそれなりの修練が必要だ。礼儀に則ったあげく、不味いお茶を差し出すようでは本末転倒という物だ。 よって、招待主ではなく侍女が代わって、もしくは手助けをしながらお茶を入れることも珍しくはない。と言うよりも、実際にはそちらの方が多いだろう。特に年若い娘であればあるほど、技術が未熟なのはよくあることだ。 この貴族の姫君もその一例で、自分でお茶を入れる素振りを見せる気すらもないらしい。雑務は最初から侍女に任せて、メルルを座り心地のいいソファへと案内する。 そして全員が席に着くなり、お茶が注がれるのを待つこともなく、興味津々といった様子で身を乗り出してきた。 「ところで、メルローズ姫。あの、不躾かもしれませんが、伺いたいことがありますの。メルローズ姫は、昔、占い師をされていたそうですね。しかも、旅の占い師だとお聞きしたのですが、本当なのですか?」 まずは軽くご機嫌伺いとばかりに尋ねておきながら、相槌や答えすら待たずに食い気味に問いかけてきたその質問に、メルルは少し躊躇いながらも首を縦に振った。 メルルが占い師であることは、公然の事実だ。 中でも、メルルは勇者一行に助力した占い師として、一気に知名度を上げた。さらには、その能力を認められた形で王女となっている。 だが、それでも少しばかり返答をためらってしまったのは、旅の占い師時代の記憶のせいだ。 いくらテランの占い師が名高くとも、占い師自体はそれほど珍重される職業ではない。戦士や魔法使いのように戦いの役に立つわけでもなければ、商人や農夫のように生活に欠かせない職業というわけでもない。いれば多少は便利かもしれないが、いなかったとしても一向に差し支えのない職業だ。 むしろ胡散臭いと疎んじられたり、不吉な占いを告げた時にはあからさまに嫌がられたりもする。 そのため、メルルは必要が無ければ占い師だと名乗らないようにしていた。実際に、旅をしていた頃に占いのメインは祖母のナバラが行っていたため、メルルが主体的に占う機会は少なかった。 まあ、実際にはメルルが望まなくても予知が降りてきてしまうことがあるため、占いの経験自体は年齢の割には豊富ではあるが、人見知りな性格の彼女は常にナバラの背に隠れるように過ごしてきた。 (どうしよう、もし占いをしてくれと言われたりしたら……) メルルが勇者ダイをも助けた占い師と知ると、大抵の人間は一つ自分も占ってほしいと思うらしい。 メルルに言わせれば、なぜそう思うのかが分からない。ダイ達が大魔王を倒したのは本人達の実力であり、メルルの占いなど全く関係ないのだから。だが、世間の人はそうは思わないのか、メルルの占いを望んでテランを訪れる物は引きを切らない。 それは、メルルにとっては全然嬉しくないことだ。 そもそも希望者全員を相手にしていたら、たとえ朝から晩までずっと対応し続けていても、とても時間が足りやしない。 テラン王の許可が無い限り、メルルは他人を占うことができない――そう聞くと一見横暴なように思えるだろうが、これは実際にはメルルを守り、助けてくれるものだ。 知り合ったばかりの他者から占いを望まれても、王命により禁じられていますので、とやんわりと断ることが出来るのだから。 王女となって以来、パーティなどで見知らぬ他者に占いを望まれた際も、メルルはそうやって断ってきた。今回も、もし占いを望まれたら最初からそうするつもりではあったが――いくら便利な口実があったとしても、万能ではない。 せっかくここまでお膳立てしたのに、占ってもらえなかったと不機嫌になることまでは、止められないだろう。そこまであからさまではなくとも、どうしたってこの場の空気が悪い物になる。 これがパーティ会場ならば、人数も多いことだし別の場所に移動でもすればいい。 礼儀上、訪れた客人が早々帰るわけにもいかない。一定時間はこの場にいなければいけないことを考えれば、まだお茶会が始まってもいないのに気まずい空気が発生することが恐ろしかった。 メルルはこの場にレオナがいればどんなに心強かっただろうと、思わずにはいられなかった。 頭の回転が速く社交的なレオナならば、初対面の相手でも全く怖じ気づくことない。しかも、空気を読むことにかけては素晴らしく勘が冴える彼女は、自分にとって都合の悪い話題はさらりとさけつつ、別の話題でその場を盛り上げてくれるだろうが、メルルにはとてもそんな真似はできやしない。 早くも、ここに来たことを後悔しかけたが、今となって逃げ出すわけにもいかない。 「まあ、やっぱり!」 「噂は本当だったのですね」 その場にいた貴族の令嬢らは表情をパッと明るくし、嬉しそうにはしゃいだ声を上げるが、メルルの気分はそれとは逆に沈み込んでしまう。そんなメルルとは対照的に、主催者の令嬢は輝くような笑顔を浮かべた。 「それならば、一つお願いがありますの。よろしいかしら?」 尋ねるような言葉ではあるが、それはすでに確定事項を口にするに等しい。 (どうか、断りやすい占いか……でなければせめて、明日の天気とか占っても構わないような依頼でありますように……!) などと、必死に祈るメルルの想いを知ってか知らずか、目の前にいる主催者の令嬢はひどく楽しげに微笑みながら、ねだるように言った。 「旅をしていた頃の話をお聞かせ願えませんか?」 《続く》 |