『無責任な嘘 ー後編ー』
  
 

 子供一人にすら耐えきれなかった橋が、小娘とは言えもう一人の体重に耐えられるわけがない。
 見る間に崩壊の速度が加速する。

 だが、マァムの動きに一切の迷いは無かった。落ちていく吊り板の上を跳ねるように駆け抜けて、少年を抱きしめる。
 しかし、その時にはすでに吊り橋は完全に崩落していた。が、マァムは迷いのない動きで少年をギュッと抱きしめ、谷底に背を向ける姿勢を取る。

「馬鹿かっ!?」

 あまりの無茶さに、思わず叫んでしまう。
 いくら下に川が流れていたとしても、落下して助かるような高さではない。なのに迷わずに少年を庇う無謀さに呆れつつも、ラーハルトもまたためらいなく行動に移っていた。

 槍を構えたまま、崖を駆ける。
 ほぼ垂直に近い崖ながら、それは岩と土で出来ている。十分に足がかりと摩擦のあるそこなら、落下速度よりも速い速度で走ることは可能だ。落下する二人を追って崖を駆けながら、ラーハルトの目は格好の場所を見逃さない。

 そして、槍を身構えたままラーハルトは強く崖を蹴った。水平方向へのジャンプはラーハルトもほとんど経験は無かったが、狙い違わず落下中のマァムの近くを飛ぶ。

 その勢いのまま、ラーハルトは腕を伸ばして少年ごとマァムの胴を攫う。余計な荷物を持ったせいで、落下角度が変わった。水平ではなくく、斜め下へと加速をつけて三人は落下していく。

「きゃっ!?」

 マァムが場違いな悲鳴を上げるのを無視して、ラーハルトは槍を持った手に力を込める。
 対面の崖に叩きつけられる寸前に、ラーハルトは槍を思いっきり崖へと突き立てた。

「きゃああっ!?」

「ひゃあぁああっ」

 甲高い二重奏を煩わしいと思いつつ、ラーハルトはそのまま両腕に力を込め続ける。勢いのせいか重みのせいか、崖に刺さった槍は土をえぐるように下方へと下がる。

 地盤が脆すぎてこのまま落下するかとも思ったが、崖はそこまでヤワでは無かったらしい。数十センチほどは位置がずれたものの、槍が外れることもなく、三人は停止した。

 高さを確かめると、下まではもうそれほどの距離もない。せいぜい、二階の窓ぐらいの高さか。

(思ったより高い位置になってしまったな)

 欲を言えば、もう少し下の位置の方が降りる手間が省けてよかったが、まあ、これぐらいなら許容範囲内だろう。それを確認してから、ラーハルトはマァムと少年に声をかけた。

「下まで降りられるか?」

「あ……あ、ああああああああ」

 なぜか少年ははいともいいえとも言わず、ぽかんと口を開けてそう呟くだけだ。顔色も悪いし、怪我でもしたのだろうかと疑問に思う。一応、二人が崖に当たらないように気をつけていたつもりだが。

 これぐらいも降りられないようなら、ラーハルトが下ろしてやるしかないが、その場合はちょっと面倒だなと思わないでもない。
 が、まだ少年を抱きしめたままのマァムが答えた。

「え、ええ。このぐらいの高さなら大丈夫。この子と一緒に降りるから、手を離して」

「ああ」

 出来るというなら、問題はない。
 だから手を離したのに、なぜか少年は素っ頓狂な悲鳴を上げる。が、マァムは空に投げ出された猫のようにしなやかに身をくねらせ、危なげなく足から地面に落下した。余計な荷物を抱え込んでいるままだというのに、たいした身のこなしだ。

 崖底は川が勢いよく流れていて、川原と呼べる部分は狭く、岩だらけだったが問題なく着地できたようだ。それを確認してから、ラーハルトは崖に足をかけて槍を両手で掴む。

 深く刺さった槍を全身の力を使って引っこ抜けば、その反動でラーハルトの身体は空に投げ出される。だが、それを承知の上での行動だ、川を避けて着地するぐらい造作も無い。

「ラーハルト、大丈夫?」

 心配そうにマァムと少年が駆け寄ってきた。動けるところを見ると、二人にも怪我はなさそうだ。

「ひとまず、命は拾ったようだが……問題はこの先だな」

 この崖を這い上がるのは、論外だ。
 ラーハルト一人でも、それはなかなか難しい。かといって、川沿いに回り道するのも難しそうだった。川原とは言っても、ここは本来川の一部なのだろう。

 今は水量が少ないから川岸が見えているが、雨が降るなどすればこの崖底全体が川に変貌する。そんな場所ならば、下流に辿っていくのも上策とは言い難い。

 現に目で見える範囲でも、川原が途切れてしまっている部分があるのが分かる。これから日も落ちて真っ暗になる中、そんな危険な川沿いに山を下るなど危険極まりない。この季節では川の水は冷たすぎて、川に落ちれば死ぬ危険性すらある。
 ましてや女子供連れでだなんて、論外だ。

「……ご、ごめんなさい……おれ、のせいで……」

 赤い夕日の中でも、真っ青になったのが一目で分かる少年がうな垂れながら謝罪する。
 ここにいたってようやく、自分の愚行を理解したらしい。

 ラーハルトはそれを聞いて、ため息をついた。
 自分勝手に突っ走られるのも困るが、こんな風にしょんぼりと恐縮されても、それはそれで扱いに困る。

(悪党が相手なら、頭を槍でぶち割ってやればいいだけの話だが……)

 こんな場合はどうすればいいのか考えていた時、少年の前にマァムが静かに屈み込んだ。しっかりと少年の目線を合わせ、彼女は優しく微笑みかける。

「気にしないで、あなたのせいじゃないわ」

 いや、どう考えてもその小僧のせいだ――と、思った言葉をラーハルトは辛うじて飲み込んだ。
 なぜか、その言葉が奇妙に懐かしいような気がして……文句を言う気が失せたのだ。

「ひとまず、川から少しでも離れましょう。大丈夫よ、私達がどこを探しているか、ポップ……私の仲間が知っているもの。私達の帰りが遅れれば、必ず探しに来てくれるわ」

 自信たっぷりにそう言ってのけたマァムに、ラーハルトは大方は賛成するものの、全面的には頷きかねた。

 ポップが見た目以上の魔法使いであり、驚くほど知恵が回る少年だとは知っているし、評価もしている。……が、あの魔法使いがとんでもなく無茶な上、ぽかっとミスをしかねないうっかり者だとも知っているのだから。

 だが、まあ、この場合は信じても良いだろうとは判断する。
 と言うよりも、他にマシな手段が思いつかない。これから日が暮れることを考えれば、ここで一夜を過ごしつつ様子見するのが無難なところだ。

 川の水飛沫から少しでも離れる場所を探し、マァムと少年は寄り添う合うように腰を下ろす。その二人から少しだけ離れた場所に、ラーハルトは崖に背を預けて立っていた。

「あの……兄ちゃんは、座らないの?」

 少年が気にしている様子だったが、ラーハルトは軽く肩をすくめるにとどめる。

 こんな場所でのうのうと休めるほど、ラーハルトは楽観的な性格ではない。いつ、鉄砲水が襲ってくるかも分からないような川原だ。自分一人ならまだしも、足手まといにしかならない女子供がいる今は、非常時には即座に対応できるようにしておきたい。

 まあ、マァムを非戦闘員に含めるべきかどうか、少し迷うところだが。
 周囲への警戒を怠らないラーハルトと違って、少年の隣に座り込んでいるマァムは彼にしか注意を向けていない様子だった。おびえを見せる少年を励ますように、優しく話しかけている。

「大丈夫よ、心配はいらないわ。きっと助けが来るから」

 マァムの言葉には、相変わらず何の根拠もない。なのに、彼女は心からそう信じているかのように、少年を励ましている。
 それを無責任だと呆れないでもなかったが……不思議と、文句を口にする気が起こらなかった。

「そうそう、お腹が空いたでしょう? 少しだけど、パンがあるの。みんなで分けましょう」

 荷物から取り出したパンをマァムは慣れた手つきで三つに分け、一切れを少年に与える。
 そして、当たり前のようにラーハルトにもそれを差し伸べた。

「はい、ラーハルトの分よ」

「…………」

 珍しく、ラーハルトは言葉に詰まってしまった。そんなラーハルトに対し、マァムは不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの? 遠慮しなくていいのよ?」

 その言葉に、ラーハルトは今度こそため息をつく。今更だが、ようやく――本当に自分でもどうかと思うが、ようやく気づいてしまったのだ。
 さっきから感じていた奇妙な懐かしさの正体に。

 普段ならば、マァムのとった数々の愚かしい行動に文句をつけていたに違いないのに、不思議とそうするつもりがなかった理由に。
 そして、自覚してしまった以上、尚更文句など言えるはずが無かった。

「……オレはいい。先程、食べたばかりだ」

「そうなの?」

 とってつけたような嘘を、マァムは疑う様子はなかった。
 パンが余ったからと、三分の一のパンをさらに二つに分け、少年に渡す。
 よほどお腹が空いていたのか、すでに自分の分を食べ終えてた少年は新しく増えた分もガツガツと食べ始めた。神速を捉えるラーハルトの目は、そのパンの大きさをラーハルトは見逃さない。

 マァムはパンの大きさを、少しばかり不公平に分けた。目立つほどの大きさではないが、少年に一番大きく分け、自分の分を一番小さくした。

 最初の時も、今もそうだった。
 なのに、ひどく満足そうな顔をしてパンを食べる少年を見つめている。
 それは、ヒュンケルにとってひどく懐かしい光景を思い出させた。

『お食べなさい。私はお腹が空いていないから』

 母親の声は、今ではもう忘れかけている。だが、優しく、穏やかな声音だったと記憶している。
 そして、ひどく嘘つきだった。

(空腹でないはずがなかっただろうに……)

 常に多くの食料を与えられていた幼いラーハルトでさえ、空腹はついて回ってきた。ひどく痩せていたとはいえ、当時のラーハルトよりも母の方が当然大きかった。
 あれっぽっちの食事量で、足りていたはずがない。

『大丈夫よ、ラーハルト。次の村に行けば、新しい仕事も見つかるでしょう。運が良ければ、住み着くことができるかもね』

 それも、嘘だった。
 どんな田舎の村に行こうが、どんな大きな町へ行こうが、魔族の血を引いたラーハルトは疎まれた。最初は同情してか、仕事を恵んでくれる者がいたとしても、長く続いたことなどない。

 しばらくは見逃されても、そのうち追い出されることになった。石を投げられることや、罵倒されることもしょっちゅうだった。
 しかし、それでも母は決まって『大丈夫』と言った。何の根拠もない、無責任な言葉を最後まで絶やさなかった。

『大丈夫……きっと、大丈夫よ。いつかは、あなたの肌の色のことなんか気にしない人に出会えるわ』

 その言葉を、信じたわけではない。
 むしろ、疑っていた。そんなことなど有り得ないと、当時でさえ思っていた。
 なのに、未だにその言葉を覚え続けていたことに、ラーハルトは今になって気がついた――。

 






ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ

「えっ、な、なんだっ!?」

 突如として響きだした音に、真っ先に反応したのは少年だった。聞き慣れない音にとっさに反応して、周囲に注意を張り巡らせる辺り、さすがは猟師の息子と言うべきか。

 だが、即座に音の出所が分からない辺りはまだまだ甘いと言わざるを得ない。

 ラーハルトはマァムの左手に目をやった。
 赤い宝石のついた指輪が、音に合わせて点滅を繰り返している。どういう仕組みなのかは分からないが、音が指輪から発生しているのは明白だった。その指輪を軽く抑えながら、マァムは嬉しそうに笑う。

「よかった……もう心配いらないわよ。助けはすぐに来るわ」







 
「おーいっ、聞こえるかーーっ!? マァムーッ、いるんだろ!? 聞こえたら返事してくれーっ」

 そんな声が聞こえてきたのは、指輪が鳴り出してからしばらく経ってからのことだった。もう日はほとんど暮れていたが、その分、指輪の光が目立つ。
 その光る指輪のついた手を大きく振って、マァムも叫び返す。

「聞こえるわ! ここよ、ポップ! 崖の下にいるわ!」

「うわっと!? あー、深そうだな、こりゃ。で、そこにいるのはマァムだけか?」

 影の上を見ると、二つの光るモノを振り回す人影が見えた。

「オレもいる。それに、探していた子供も見つけた」

「え、ラーハルトか!? マジかよ、おめーらもいたのか!?」

 ポップの反応に、ふと疑問を抱かないでも無かった。
 ポップは明らかに、マァムがここにいる確信した呼びかけをしてきた。が、その割にはここに他の人間がいることは分からなかったらしい。

「分かった、今、助けに降りるから」

 その声からしばらくして、光と共にけたたましい音が近づいてくる。
 その音はマァムの指輪から聞こえてきた音よりも一回りも二回りも大きく、耳障りな音だった。

 ビビビッ ビビビッ ビビビッ

 降りてくるほど、その姿がはっきりと見えてくる。
 光と音の源は、ポップが両腕にはめている腕輪からだった。腰にしっかりと縄をくくられ、下ろされているその姿は――縄で結んでぶらんと下げられた亀かなのかのようだとラーハルトは素直に思う。

 ついでに言うなら、猟師の子供も冷め切ったような目をしていた。その目はどう見ても待ちに待った救助隊に対するものではなく、罠にかかって無駄に足掻く獣を見やる目だ。

「ひっ、そ、そんなに揺らすなって! ってか、下ろすの早いッ、早いっ」

 喧しく喚きつつ、手足を無意味にジタバタともがかせているから尚更だ。そんな風に騒ぎながらポップを見かねたのか、マァムが手を伸ばして安全に崖底に足をつけられるように誘導する。

「大丈夫、ポップ?」

「お、おう! 助けに来たぜっ。……って、ああっ、くそっ、この縄、解けねえっ!? クソッ、どんだけ固く結びやがったんだよっ!?」

 やっと地面に足をつけてからも、ポップは自分の胴に結ばれた縄を自力でほどけないらしい。

(どの口が言うんだ……)

 呆れつつも、ラーハルトは結び目をサッと切ってやる。

「お、サンキューな。おーいっ、もういいぜーっ」

 自由になった途端、ポップは縄からささっと離れ、光と音が喧しい手をブンブンと振り回す。
 その途端、縄が踊った。上からシュッ、シュッと風を切る小気味よい音が聞こえるのに合わせ、縄が縄跳びのように跳ねる。

 崖を見やると、縄を伝って降りてくる影が見えた。
 それは、人と言うよりも猿を思わせる俊敏さだった。縄を支点にしているとは言え、崖を蹴って落下するように降りる速度は目を疑うほどに速かった。ポップがぶら下げられる形で降りる半分以下の時間で、縄を伝って降りて来た者を目の当たりにして、ラーハルトは目を軽く見張る。

 降りてきたのがヒュンケルなのは、別にいい。あの動きがとれるのは彼ぐらいだろうと最初から思っていたし、意外でも何でも無い。
 だが、ヒュンケルの背中に背負い紐でしっかりと負ぶさっているメルルの存在は、想定外もいいところだった。

「メルル!? あなたまで降りてきたの? 危ないじゃない!」

 心配そうにマァムが彼女に駆け寄るが……少なくとも崖を自ら落ちようとするよりはよほど安心だろう。

「平気、です……よ」

 明らかに無理をしていると分かる顔で、それでも微笑みながらメルルはポップに近づいて軽く右手で触れる。
 その途端、嘘のように光と喧しい音が消え去った。

「え? これ、なんの仕掛け?」

 少年が不思議そうに聞くが、ポップは言いにくそうに頭をポリポリと掻く。

「あー、その辺はちょっとややこしくてさー。それよりマァム、この子を早く村に戻したいから、ちょっと封印を解いてくれよ」

「マァムさん、お願いします」

 メルルの口添えに、マァムはしぶしぶのように頷いた。

「分かったわ。みんな、ポップにつかまってちょうだい」

 その指示の意図は、すぐに分かった。ポップが得意とする移動呪文は、術者の身体に触れていさえすれば数人をまとめて運ぶことが出来る。状況を理解していない少年はヒュンケルが抱え込むように引き寄せ、ポップ、マァム、メルルの三人を中心に一塊になった。
 それを確認してから、二人の少女達が唱和する。

「封印よ、退け」

 その言葉に続いて、ポップがすかさず呪文を唱える。光の軌跡は、深い崖などものともせず一瞬で抜け出した――。






「ありがとうございます……っ、本当になんとお礼を言っていいのか……っ」

 村人達が口々にそう言いながら、何度も何度も頭を下げる。ついさっきまで悲壮感が張り詰めていたはずの村は、今や祭りのように賑やいでいた。

 手放しの感謝は、正直、ラーハルトには些か重かった。
 助けよう、などと思ってなどいなかったのだから。むしろ、最初は見捨てるつもりだったことを思えば、こんな風に感謝されるのは居心地が悪い。

 いたたまれなくて騒ぎの中心になったポップから少し離れ、そっぽを向いた先に見えたのは、見覚えのある姿だった。

「父ちゃん……父ちゃんっ!」

 日に焼けた壮年の男にしがみついているのは、紛れもなくあの猟師の子供だ。そして、そのすぐ側で拭っても拭っても溢れる涙をこぼしている女は、おそらく母親なのだろう。
 親子と一目で分かる彼らを、ラーハルトはなんとなく見ていた。

「本当に、助かってよかったわ……! もう、ダメかと心配だったけど、お父さんも無事だったのね」

 そう声をかけてきたのは、マァムだった。というよりは、半ば独り言のような言葉だったが。
 彼女もさっきまでポップの隣にいたはずだが、いつの間にか少し離れた場所にきたらしい。

 普段のラーハルトなら、直接話しかけられたわけでもない言葉には反応はしなかっただろう。
 が、今は少しばかり聞きたいことがあった。

「『ダメかと思った』と言ったな。おまえは大丈夫だと確信していたんじゃなかったのか?」

 マァムは何度となく『大丈夫』だと言い切った。
 あれだけ大見得を切っていたからには、なんらかの勝算があるのだろう……そう思っていたのだが、マァムはキョトンとした表情を見せる。

「え? そんなの、分かるわけないじゃない」

「…………」

 絶句したのは、ある意味幸いだったかもしれない。でなければ、間の抜けた声をあげてしまっただろうから。
 なのに、マァムはごく当たり前のような顔をして言う。

「もしかしたら、もうあの子のお父さんは手遅れかもしれないって……何度も思ったし、あの子だって助けられるかどうか、不安だったわ……ラーハルトが来てくれなかったら、危なかったかもね」

 かもね、ではなくそれは確定事項だとラーハルトは思う。
 だが、それを指摘する前に、マァムは子供を見つめながらさらりと呟いた。

「――でも、あの子の前で弱音なんか吐けるわけないじゃない」

 子供を見つめるマァムの横顔は、年下の少女の物だ。
 決して痩せ衰えた女の物ではないし、薄れかけた記憶の中にある顔立ちとも似ても似つかない。

 だが、それでも。
 それでもどこまでも優しく子供を見つめるその目が、母親と重なって見える。

 あるいは、子供を助けるためなら、嘘も平気でつくところか。それとも、自分の身など顧みず、捨て身で子供を守ろうとするその姿勢のせいか。
 ラーハルトはしばし呆然と、彼女を見ていた。
 と、マァムは不意にこちらを向いた。

「そう言えば、あなたにお礼を言い忘れていたわ。ありがとう、ラーハルト」

「いや……」

 またも突きつけられた感謝の念に、ラーハルトはどう答えていいものやら当惑する。
 しかし、それに答える前に割り込んできた声があった。

「二人とも、何してんだよ? 今日は村長さんが家に泊めてくれるって言ってるし、もう行こうぜ」

 と、わざわざ物理的にもマァムとラーハルトの間に入り込んできたのは、ポップだった。そのまま二人分の腕を引っ張って、ぐいぐい連れて行こうとする。

「オレはいい。……と言うより、オレがいては迷惑だろう」

「はあ? なんでだよ?」

 意味が分からない、とばかりに聞き返すポップに、ラーハルトはため息交じりに言った。

「田舎の村ほど、魔族は疎まれる」

 ラーハルトにとっては、自明の理だった。
 それを聞いて、マァムは悲しそうに眉を寄せる。まるで、自分自身がその痛みを味わったかのように。
 が、ポップは一瞬顔をしかめはしたものの、腕をさらに強く引っ張った。

「それがどーした。試してみなきゃ、わかんねーだろ」

 ぶっきらぼうな言い方には、少しばかりの怒りが感じられる。

「おれんちだって田舎にあるけど、村はずれに魔族が住み着いてらぁ。気にするヤツもいるだろうけど、気にしねえヤツだっているだろ。……少なくとも、おれはそんなの気にしねえし」

 最後に付け加えられた言葉は、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの小声だった。村を挙げての喧噪の中だったし、もしかすると、マァムには聞こえなかったかもしれない。
 だが、ラーハルトにははっきりと聞こえた。

 ポップはぐいぐいと腕を引っぱっていたが、正直、彼の全力はラーハルトにとっては子猫のじゃれつき以下だ。その手を振り払うことは簡単だったが、ラーハルトは逆らわずに従った。
 そのついでに、ふと母の言葉を思い出す。

『大丈夫……きっと、大丈夫よ。いつかは、あなたの肌の色のことなんか気にしない人に出会えるわ』

 無責任で、根拠のない嘘の一つ。
 だが、その言葉だけは、嘘では無かったのかもしれなかった――。  END 


《後書き》

 700001hitリクエストその2『ラーハルトがマァムの慈愛の心(母性)に触れる話』でしたっ♪
 ラーハルトとマァムと言う珍しい組み合わせは、書いててめっちゃ楽しかったです。

 しかし、最後でポップがいいところを持っていったような気もするのですが。個人的なお気に入りは、吊り下げられた亀さんのような大魔道士です(笑)

 この話ではラーハルト視点に絞って書いたので、ポップがどうやってマァムを見つけたのか、腕輪が鳴っていた理由などは敢えてすっ飛ばしています。

 説明しようかな〜と思いつつも、天界シリーズでは何度か書いてきた設定なのと、どうせなら、後日、メルル視点で補足したいなと思ったのでラーハルトがマァムに母の面影を見る部分に話を絞りました。

 すでにこの時点で、思ったより話が長くなっちゃいましたしね(笑)
 腕輪の詳しい説明は、マイ設定倉庫の『3-05封印の腕輪』に足しておきました。

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