『もう一つの出会い 中編』

  
 

「いやー、すみませんねえ、ありがとうございます。それでは、日が暮れる頃に迎えに来ますので、よろしくお願いします」

 ニコニコと陽気にそう言い、礼を述べたのは武器屋を立ち去るアバンの方だった。自分からここに残ると言ったヒュンケルは、無言のままポップの指さした方へ進む。

「それじゃあヒュンケル、いい子で待っていてくださいねえ〜」

 大げさにブンブンと手を振る養父に、見向きもしないという素っ気なさだ。背を向けたままだが、それでも軽く手を上げる素振りを見せたのが挨拶のつもりなのか。

(義理とは言え、よく父親にあんな態度をとれるよな)

 実の父親に逆らいっぱなし自分のことは完全に棚に上げ、ポップは呆れる。
 まあ、アバンもアバンで、明らかにポップよりも年上のヒュンケルに対して幼児にでも言うような口調だったのだから、反発したくなるのも分からなくはないが。

 とりあえずアバンが店から出て行くと、急に店が静まりかえった気がした。
 いや、単に元に戻っただけと言えるが……正直、一人でいた時よりも静かさが際立ってしまった気がする。なんとなく気詰まりなその沈黙の原因は、紛れもなく店の隅に壁を向いて突っ立っている男のせいだった。

「あのさぁ、あんた……なんで、武器を見ねえの?」

 確か、一応はその名目でこの場に残ったはずだ。
 が、ヒュンケルはポップに背を向けたまま短く答える。

「武器なら、さっき一通り見た」

「だからってなにも、壁の方を向いてなくてもいいだろ?」

 壁に向かって立っている図というのは、教会で行われている子供達の勉強の時間に、騒ぎすぎた男子がお仕置きされている図のようだ。

 ポップ自身も何度かくらったことのあるお仕置きで、やっている本人も見ている方も退屈極まりない上に、いたたまれないものだ。
 が、ヒュンケルは全く気にしている様子はない。

「邪魔をする気は無い。オレのことは、壁とでも思え」

「いやっ、思えねえよ!」

 思わず、ポップはツッコんでしまう。
 客に対しても、年上に対しても取る態度ではないのだが、この時点でポップはこの男を客扱いする気など完全に失った。そもそも、現段階で何も買っていないこの男は客ではないのだし。
 それに、こんな存在感と圧迫感のある壁があってたまるものか。

「そっち向かれているとかえって気になるから、普通にこっちの方を向いててくれよ」

 重ねてそう要求すると、ヒュンケルはようやくこちらに向き直った。
 しかし、自分からそう望んでおきながら、実際にそうされるとまた、さっきとは違った圧迫感がある。

 超絶美形と言っていい美貌――それだけならまだしも、この男、眼力が強すぎるのだ。まるで、敵を睨みつけているのかとでも言いたくなるほど力のこもった目は、殺気すら感じられてしまう。

(あー……こっちを向かせたのって、もしかして失敗?)

 と、ポップがそう思いかけた時、店の扉が開いた。

「よぉ、ジャンクさん、いるかい? って、なんだ、今日の店番はポップか」

 入るなりそう話しかけてきたのは、近くで農業をやっている男だった。小さな村なだけに、もちろんポップにとっても顔なじみであり、親しい隣人と言える。

「やあ、おじさん、ひさしぶりー。今日はなんか用?」

 ひらひらと手を振ってそう答える態度は、店員の接客態度としては問題アリアリだが、昔からの顔なじみなだけにポップも男もそんなことは気にしない。

「ああ、この前頼んだ鋤のことなんだけど――」

 当然のようにズカズカと店に入ってきた男は、そこで言葉をぷっつりと途切れさせた。
 彼は、たった今、気づいたのだ。
 平穏な村には似つかわしくない、剣呑な目つきをした戦士がそこにいることに。ヒュンケルも、店に入ってきた男に気づいたのか目をそちらに向けていた。

 仁王立ちした戦士から、殺気だった目で睨みつけられる――一介の農夫にとってはあまりにも重すぎる展開に、男はたじろいで後ろへと下がる。

「あ……あ、あー、いや、先客がいるようだね、はは。邪魔しちゃ悪いから、また今度にするよ」

 自棄に早口にそう言ったかと思うと、農夫はあっさりとその場から逃げ出した。

「えっ、ちょっと、おじさん!?」

 引き留めようとしたポップに見向きもせず、男はあっと言う間にいなくなってしまった。
 再び、店内に沈黙が立ちこめる。

「……やはり、後ろを向いた方がいいか?」

 ぼそりと、ヒュンケルが言った。

(いやっ、それで気を遣ってるつもりなのかっ!?)

 思わずそうツッコミたくなったところを、ポップは辛うじて堪える。本当に辛うじて、だったが。

「……いや、いーよ。でもさ、そこに立ってられてもなんだから、そっちにでも座っててくんない?」

 さすがにそのままだと営業妨害だとまでは言えず、ポップはカウンター横に置いてある小さな椅子を指さす。そこはちょうど棚の陰になっていて、店に入ってきた客からは死角に当たる位置になる。

 壁と棚の隙間に無理矢理押し込めたようなその椅子は、実はポップのお仕置き、もしくは店の手伝い用の指定席だ。
 基本的に鉄拳制裁主のジャンクだが、悪戯が過ぎた時や仕事で忙しい時などは、ポップはそこに座らされて店の帳簿の計算だの、清書を強いられる。

 カウンターにいるジャンクに見張られつつ、そこでじっと過ごさなければならない時間はポップ的には控え目に言っても地獄の時間であり、そこに座るのは嫌で嫌でたまらない場所だ。

 椅子だって粗末な木製で座り心地が悪いわ、狭い隙間に無理矢理作られたようなスペースなだけに、閉塞感すら漂う。決して居心地だっていいとは言えないその場所は、客に勧めるには失礼すぎる場所だ。

(でも、こいつ、まだ客ってわけじゃないもんな)

 他の客に目につかない場所で大人しくしているならそれでいいし、こんな場所にいられるかと憤慨して出て行ってくれれば、もっといい。そう思って進めた場所だったが、ヒュンケルは文句も言わずに大人しくそこに座る。

 小柄なポップに合わせたような場所なせいでいささか窮屈そうだったが、ヒュンケルは特に不満も無いように大人しく座り込んだ。これで、店に入ってきた客に圧迫感を与える恐れは無くなったが、代わりにカウンターにいるポップに対しての圧が強まる。

 それに、せっかく無駄に殺気だった壁を排除したというのに、さっぱりと客は来ない。――いや、この来客数がこの店にとって通常営業ではあるのだが。

 退屈を持て余しつつ、ポップは大人しく座っているヒュンケルに目をやる。何を考えているのか全く分からない鉄面皮の男……沈黙が気詰まりなのと、ちょっとした好奇心から、ポップは話しかけた。

「あのさぁ、あんた達って旅をしてるんだろ? いったいどの辺から来たんだ?」

 旅は、ポップにとって憧れだ。
 山間に位置する小さな村に生まれ、そこで育ったポップは未だに村の外に出た記憶が無い。両親の話では、ごく小さい頃になら近くに旅行に行ったことがあったらしいが、ポップ的には全く覚えていない。

 物心ついて以来というもの、せめて一番近くにある大きな町でもあるベンガーナに行ってみたいと思い何度もねだったが、その度におまえにはまだ早いと却下されている。

 一生、こんな村で過ごすなんてつまらないと思うポップにとっては、村の外の世界は未知の場所であり、それだけに興味を掻き立てられる。村の外から来た旅人から話を聞くのだって、ポップにとっては楽しみの一つだ。

 ワクワクしながら答えを待つポップだったが、ヒュンケルはしばらく考え込んだ後、ぽつりと言った。

「遠くからだ」

(それじゃ、なんも分からねぇだろーがっ)

 あまりにも素っ気なさ過ぎる答えに、ポップは唖然とせずにはいられない。

「い、いや、そんなんじゃなくてさー。どこの村や町から来たとか、そーゆーのが聞きたいんだけど……あ、気が進まないなら無理にとは言わないけどさー」

 控え目に、だが粘り強く尋ねながらも、ポップは半分は諦めかけていた。
 見知らぬ旅人の全員が、親切なわけではない。むしろ、村の子供にうるさく旅の話を聞かれるのを嫌がり、素っ気なく振る舞う者が大半だ。

(こいつもそうなのかな……)

 そう思ってがっかりしかけたポップだったが、ヒュンケルは首を横に振った。
「いや、そうではない」

 そう言ってから、ヒュンケルは少しばかり眉をひそめる。余談だが、彼ほどの美形ならばそんな表情さえ愁いを帯びて絵になった。
 悲劇役者も裸足で逃げ出しかねない、実に雰囲気のある憂いた表情で、ヒュンケルは重々しく言う。

「ただ、覚えてないだけだ」

「は?」

 意外な答えに、ポップはあっけにとられてポカンと口を開けてしまう。そんなポップに対して、ヒュンケルは飽くまで真面目に、淡々とした口調のまま言った。

「村や町に行くこともたまにはあるが、名前など気にしたことはないからな。どうせ、地図を見たり行き先を決めるのはアバンだ。オレまで覚える必要はない」

 まさかの丸投げ方針に、ポップの呆れはますます強くなる。

「え、ええーっ、なんだよ、それ!? おまっ、せっかく旅をしてるのに、どこ行ったのかも全然覚えてないし、行く先も全然興味なし!? そんなの、もったいなさ過ぎだろっ!」

 旅に憧れる少年にしてみれば、ヒュンケルの発言は許しがたい。

「いくらなんでも、印象に残った町とか村とかはあるんじゃねえの? 出身地とか覚えている地名とかねえのかよ?」

 気づくと、つい友達に対するのと同じ対応で話しかけるポップに、ヒュンケルは気を悪くした様子はない。ただ、わずかに困ったような顔を見せて、再び考え込む。

「…………そうだな。オレが育った場所は、パプニカと言う名だとアバンから聞いた」

「パプニカ!?」

 言い回しが微妙に引っかかるが、パプニカの名を聞いて、ポップのテンションは一気に上がった。

「パプニカって、あの魔法王国と言われているパプニカ王国? あそこって、確かホルキア大陸にある唯一の王国なんだろ、うっわー、すっごく遠いじゃん!」

 ポップの脳裏に、世界地図がパッと浮かぶ。
 そこの出身者が目の前にいると知り、地図と本の中でしか知らなかった国がいきなり身近になったように感じられる。

 今までこの村に来た旅人は全員がギルドメイン大陸の者だったこともあり、他の大陸から来た旅人に会ったのは初めてだっただけに、ポップは興奮していた。

「なぁなぁ、パプニカって気候が温暖で冬でも暖かいって聞いたけど、マジ!? 魔法使いや僧侶が多くて、王族には賢者も多数いるって言うけど、それもホントだったりする? あ、それと――」

 本の知っているだけの知識が本当かどうか、確かめるいいチャンスとばかりに、ポップは立て続けに質問する。怒濤の質問に、さすがのヒュンケルも少しばかり驚いたのか軽く目を見張った。
 が、すぐにわずかな――本当に、見逃しかねないぐらいわずかに苦笑した。

「いや、オレはパプニカにいたのは幼い頃だったから、その辺は知らない」

「えー、そうなのかよ」

 今度のガッカリ感は、さっきよりもずっと大きかった。

(……顔はいい癖に、割とポンコツなヤツ……)

 心の中でひたすら失礼な評価を下してしまったが、そんなことを知らぬヒュンケルはかえって不思議そうに尋ねる。

「おまえの方が、よほど詳しいな。なぜ、そんなに知っているんだ?」

「そりゃあ、一度は行ってみたい国の一つだもんなー。本で、いろいろ読んだんだ」

 田舎の生まれの割にはポップは読み書きが達者で、本を読むのだって好きだ。村で普通に過ごしているだけでは一生知ることの出来ない知識を、本は教えてくれる。

「行ってみたい国の一つ? 他にも行きたい国でもあるのか?」

「そりゃあもう、いくらでも! まずはベンガーナに行ってみたいよなー、近い上にあそこってすっごく賑やかで大きな国だって聞いているし。あ、オーザムも見てみたい! うんと北の国だから夏でも寒いって聞いたし、珍しい風習がいろいろと根付いている国だって噂だしな。

 神秘の国テランも、外せないよなー。他国には秘密の、古くからの伝説がいろいろあるって聞いたぜ。リンガイア王国は城塞都市って呼ばれていて、防御にすごく気を遣っているって話だし、一度ぐらい見てみたいよなー。それとは逆に、森の王国ロモスは牧歌的でおとぎ話のような城だって本には書いてあった!」

 勢い込んでそこまで語ってから、ポップはふと正気に返る。
 無表情すぎて変化が乏しいが、ヒュンケルはどこかあっけにとられたような表情でこちらを見ていた。

(あー、またやっちまったか)

 遠くの国に行ってみたい――ポップが小さな頃から漠然と抱いていたその夢は、成長するにつれ他人からは苦笑されるような物になっていた。

 成長してから知ったが、田舎の村に住んでいる者はまず一生、その村から離れることはない。稀に故郷を離れるにせよ、せいぜい近隣の村に嫁入りしたり、婿を取ったりする程度の小さな移動をするぐらいのものだ。

 ポップのように一度も行ったことのない国に憧れて行きたいと思うなど、まず、いない。

 物心つく前の子供が空を飛びたい、と言うのと同じぐらい、現実味のない馬鹿馬鹿しい話だと思われるのがオチだ。数年前まではただの子供の憧れと思われていたが、子供の年齢を脱しかけ始めた今のポップには相応しくないと思われるようになった。

 実際、ポップよりも少し年上の悪ガキ連中にはこれまで何度となくからかわれたり、バカにされた。

 昔、サンタクロースが実在するかどうかで言い争って結局は負けたように、この話題でだってポップの敗色は非常に濃い。最近では、同年齢に呆れられるだけでなく、大人でさえたしなめるようなことが多くなってきたぐらいだ。

 だが、小さな頃、勇者に憧れてつけてみたバンダナを手放せないように、ポップはそれでもまだ見ぬ場所への憧れを捨てきれない。だからこそ、それをバカにされるのはけっこうへこむ。

 この旅人も否定するのだろうか――そう思ったポップだったが、ヒュンケルの言葉は予想外のものだった。

「なら、実際に行けばいい」

 ごく当たり前のように、あっさりと。あまりにもさらりと言われたせいで、逆にポップの方が戸惑うぐらいに。

「いや、でもさぁ……そんなの無理だろ?」

「なぜだ?」

 心底不思議そうに聞かれ、ポップは一瞬詰まってから答えた。

「だって……親父だって反対するだろうし、母さんにも心配させちまうし……第一、旅なんて危険だろ? 怪物とかだっていっぱいいるって言うし、悪いヤツらだっているだろうし……」

 世界には無数の怪物がいると言うが、村や町にいさえすれば怪物もそうそうお目にかかることはない。野生動物と同様、大抵の怪物は人の気配を嫌い、人間を避ける傾向がある。

 だが、人間の方から怪物の領域に入り込んだのなら、その限りではない。むしろ、自分の縄張りを守ろうと積極的に襲ってくると聞いている。
 さらに言うのなら、旅の危険は怪物だけに限るわけではない。

 悪党だって、どこにでもいる。誰もが知り合いの小さな村と違い、外の世界には危険への遭遇率はきっと比較にならないほど高いだろう――。
 なのに、ヒュンケルはこともなげに言う。

「邪魔をする相手は、倒せばいいだけだ」

 あまりにも強気な言葉に、ポップは唖然とせずにはいられない。

「いや、無理無理無理っ、そんなのっ。できっこねえって!」

 自慢ではないが、ポップは腕っ節には全く自信が無い。
 怪物どころか、村で同年代の子供らと喧嘩したって勝てる気はしない。口の達者さと逃げ足だけが、ポップの強みだ。

 まして、ポップが何かをやろうとした場合に一番の障壁になるであろう父親には、勝てるどころか立ち向かえる気さえしない。
 だが、目の前にいる男はどこまでも真顔のまま言い放った。

「一番肝心なのは、自分がそれをやりたいかどうかだ」

 真正面からそう言ってのけたヒュンケルは、ふと、何かに気づいたように顔を入り口の方向へ向ける。

 だが、それはこの上なく無意味な行為なはずだ。
 外部からは棚に完全に隠れてしまうその椅子の位置は、逆に言えば棚が邪魔になって入り口の方など見えない。が、ヒュンケルはまるでそちらが見えているかのように、険しい目を向ける。

「それに……旅先だけでなく、悪党はどこにでもいる」

 呟くようなその言葉が終わるか終わらないかのうちに、店の扉が開いて数人の男達が足音を立てて入ってくる。

「え……っ、あ、らっしゃいー」

 この店には珍しくも複数の客が来た以上に、扉が開く前にそれを察知したようなヒュンケルに驚きつつも、ポップは入ってきた男達に目を向ける。

 彼らは、初めて見る顔ばかりだった。
 服装から見ても旅人らしく、二十代半ば程度の男ばかりだ。泥まみれの靴で無遠慮に入ってくるのを見て、ポップはちょっと顔をしかめる。旅人なら靴が汚れているのは仕方が無いとは言え、後で掃除する手間を思えばさすがにイラッとする。

 朝、母のスティーヌが綺麗に掃き清めた床にはっきりとした泥汚れをつけつつ入ってきた男達は全員で四人いた。一番先頭を歩いていた男が、ニヤリと笑って声をかけてくる。

「よぉ、坊主。ちっとばかり、武器を見せてもらうぜ」

「……?」

 その男と顔を合わせた途端、ポップはなんとなく嫌な予感がした――。  《続く》 

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