『恋の特効薬 2』 |
(う……っ、な、なんか、これってすっげーまずい状況じゃね?) ポップの中でひしひしと、圧倒的な警戒の思いが喧しいぐらいに警報を鳴らす。なにやら、自分が非常にまずい立場に陥ってしまった――そんな気がしてならない。 例えるなら、気軽にピョンピョン跳ね回っているうちに自ら罠にはまっていまったおバカな兎の気分、とでも言うべきか。しかも、すぐ目の前には獣がいる気分だった。 「…………っ」 何かに苦悩するように、眉間に深い皺を刻ませてこちらを凝視する男。仲間として接するうちにいつの間にか見慣れてしまったが、こうして真正面から相対すると彼の本質は獣だと実感してしまう。 大戦から遠ざかってから長い間忘れていた、戦場での緊張感を久しぶりに思い出してしまう。 蛇に睨まれた蛙の気分を、ポップは数年振りに実感してしまった。
中でも一番、戸惑いを感じているのはダイのようだった。 だが、雰囲気が変にギラついているわりには、ヒュンケルに殺気は感じられない。だからこそダイはその意味を掴めず、戸惑っているらしい。 「いやぁね、どうしたのよ、男同士でそんなに熱く見つめあっちゃって。まさか、ヒュンケルがポップ君に恋しちゃったとか言わないでしょうね〜?」 からかい半分のレオナの言葉はどう聞いてもおふざけであり本気とは程遠いが、それでもその言葉はポップをギクリとさせる鋭さがあった。 (ど、どんだけ無駄に鋭いんだよっ、姫さんはっ?!) まさに図星を突かれて焦りながらも、ポップはとにかくこの場は何とか取り繕おうと試みた。 「ヒュ、ヒュンケル、痛えってば、とにかく手ぇ離せよ」 普段のヒュンケルなら、ポップがそう騒げばとりあえず手は離してくれる。癪に障るがほとんど保護者の視線で弟弟子を見ているヒュンケルは、たとえ半ば嘘だと分かっていても苦痛を訴えるポップを無視したりはしない。 だが、今のヒュンケルの視線はいつもと違っていた。熱に浮かされたような目でポップを見つめているヒュンケルは、手を緩める気配もない。 「痛っ?! ほ、本気で痛いんだって、離せよっ、この馬鹿力めっ!」 「ポップ、大丈夫?! ヒュンケル、どうしたのよ、あなたらしくもない。ポップが痛がっているじゃない、離してあげて」 騒ぐポップの様子を見兼ねたのか、マァムがやんわりと庇ってくるのが、有り難いというべきか、情けないと言うべきか。 だが、今のヒュンケルはマァムの制止の言葉すら全く耳に入っていない様子で、まるで挑むような視線でポップだけをじっと見つめている。 「……聞かせろ」 低い声で囁かれ、ポップは戸惑わずにはいられなかった。 「へ? 何をだよ?」 思わずそう聞き返すと、ヒュンケルの目付きが一層険しくなる。 「……今更、焦らすつもりか?」 声に苛立ちを含ませ、ぐっと顔を寄せてくるヒュンケルに、ポップはなにやら不安というか身の危険を感じた。具体的に何がどうというわけではないが、とにかく、よろしくないことが起きそうな気がするのだ。 「何の話だよ、離せったら! だいたい、こんなとこで何をする気だよっ、てめーはっ?!」
「え? う、うわぁっ?!」 いきなりの浮遊感と視界が反転したことに驚いてから、ようやくポップは自分がヒュンケルに担ぎ上げられたのに気がついた。 ポップ本人どころか、回りのみんなまで呆気に取られて何もできない中、ヒュンケルの動きは素早かった。 「え?! えぇっ?! おいっ、ちょっと待てよっ?!」 他のメンバーに対してはともかく、レオナに対しては過剰なぐらいに忠義を誓い、礼儀にとことんこだわるヒュンケルとも思えない暴挙だ。だが、肩に担がれているという情けない姿勢じゃ、何の抵抗もできない。 もちろん魔法を使えば別だが、それには抵抗があった。仲間に向かって魔法を放つのが嫌だというわけではない。まあ、多少はそんな気持ちもあるが、ポップに魔法を思いとどまらせる最大の理由は、ここがレオナのプライベートルームだという事実だ。 王宮全てがレオナの物と言えばそうなのだが、彼女の自室に当たる部分は王宮の中でも特別な部分だ。特に、この私室はレオナが母親から譲り受けたものらしく、彼女はとても大切にしている。 単にヒュンケルに魔法を打つのならいいが、もし万一狙いが逸れてレオナの私室を焦がしたり壊したりした日には、いったいどんな目に合わされるかと思うと、怖くてとても魔法を放つ気にはなれない。 そんな理由で抵抗らしい抵抗もできないでいるポップを、ヒュンケルはズカズカと運んでいく。 (じょっ、冗談じゃないぜっ、こんなみっともない格好で城の中を歩かれたら、あとでなんて噂されるかっ!!) なにしろ、パプニカ城には常時多数の侍女や兵士が勤務している。彼らの前でこんな情けない姿を見られるのは、ポップとしては願い下げだ。 「てっ?!」 投げ出されたショックに思わず声を上げてしまったが、実際には身体には何の痛みもなかった。 見渡す限り棚に一面の布が並び、洗濯後のよい匂いの漂う空間――ここはリネン室だと気がついたポップの耳に、ガチャリと響く金属音がやけに大きく聞こえる。 「いきなり何をすんだよ、てめえは?!」 乱暴、かつ強引な扱いに、ポップは少なからず腹を立てていた。と言うより、ほとんどこれは拉致監禁に等しいんじゃないかと思う。 だが、ヒュンケルは気にした様子もなく、ごく当たり前のようにさっきと同じようにポップの肩に手を掛けてきた。 「ここなら、いいだろう? 二人っきりだ」 すぐ耳元に響く、低い声。 (……こーして見ると、ヒュンケルの奴ってやっぱ美形だよなー) そんなことを考えている場合ではないはずなんだが、ついそう考えてしまうのはめったにないほど間近でヒュンケルの顔を見ているせいか。 普段着ならごく平凡、衣装を整えて目一杯着飾れば着飾ったところで中性的に見えてしまうポップにしてみれば癪に障るが、いかにも大人の男と言った雰囲気にはとても太刀打ちできない。 ヒュンケルに反感を抱いているポップでさえ、かっこいいと認めざるを得ない魅力があった。 ……と、そこまで考えてからポップはようやく、ハタと気がついた。 そう気がついた途端、言うに言われぬ屈辱感とムカつきが込み上げてきて、ポップはヒュンケルに食ってかかった。 「な、なんなんだよっ、おめえはっ?! っていうか、いちいち顔が近えんだよっ!」 怒鳴るついでに、ポップは目一杯の力を込めてヒュンケルの手を外そうとするが、悔しいことにびくとも動かない。 それこそキスしかねないぐらいの至近距離に顔を寄せられると、怯まずにはいられない。 なんせ、相手はいくら美形だろうと男だ。相手が女の子だったのなら大喜びもできるだろうが、男が相手で嬉しくも何ともない。というよりも、確実にドン引きものだ。 思わず後ろに逃げようとしても、すでに背中は塞がれていてこれ以上後ろには下がれない。 (くそっ、いっそ魔法をぶっ放そうか……?!) そんな物騒な考えがポップの脳裏を過ぎったものの、ここはレオナの私室からそう離れてもいない場所だ。 「そっちこそ、いつまで焦らす気だ? どこまでも真剣にポップを凝視しつつ、そう尋ねてくるヒュンケルだが ポップはその意味を掴めずにぽかんとしてしまう。 この惚れ薬を飲んだ者は、目の前にいた者に惚れてしまう……薬を造ったポップ自身も半信半疑だったその効能は、どうやら確かだったらしい。 ヒュンケルの奇行が薬のせいならば、それを解除するキーワードを口にすればいいだけだ。 「おれは、てめえなんか大っ嫌いだよ!」 「………………」 ヒュンケルが、何度か瞬きをするのがはっきりと見えた。そして、そのまま深くうなだれる。 「ほら、もう気が済んだなら、そこ、どいてくれよ! ったく、早く部屋に戻らないとよ〜」 なにせ、あんな形で部屋を飛び出してしまったのだ、今ごろ仲間達はさぞや不信に思っているだろう。 ポップにしてみれば、レオナへの対処方法が何よりも優先事項であり、ヒュンケルの問題はすでに済んだと思っていた。 ちょうどいいとばかりにヒュンケルの脇をすり抜けて部屋を出ようとしたポップだが――不意に、背後から逞しい腕に抱き締められた。 「……っ?!」 驚いたからではなく、実際に息が詰まったせいで、ポップは絶句する。 だが――背後からそうされたせいか、ポップはそれがヒュンケルの仕業とはすぐには思えなかった。 「ひゃっ?!」 別に、痛くはない。それに、熱いといってもせいぜいが人肌程度のもの。騒ぐ程のものじゃないと、冷静になればそう思える。 「……敏感だな」 くぐもったような声は、ヒュンケルのものに違いない。だが、別人のものの様に聞こえるのは、首筋に唇を押し当てながら話されたせいか、いささか不明瞭なせいか。
妙に熱っぽく感じる舌が首筋を這い、荒い息がすぐ背後からかけられているのが分かる。それが、よく見知っているはずの兄弟子がしていることなのだと、ポップにはすぐには理解しきれなかった。 「なっ……?! なにやってんだよっ、離せよっ!」 仰天して抵抗するポップは、驚きの余り魔法を使うなんてことも忘れていた。だが、素のままのポップの抵抗など、ヒュンケルにとっては物の数にもならない。 「て、てめ、どこ触って……っ?! やめ…っ、言っただろ、おれはてめえなんか嫌いだって! だからやめろってば!」 さっきのキーワードは聞こえなかったのかと、ポップはもう一度声を張り上げる。 「――まだ、そう言うんだな」 フッとそう笑ったかと思うと、ヒュンケルの手に力が籠るのが分かった。その途端、ポップの服が悲鳴の様な音を立てて引き裂かれる。 「……っ!」 普段のヒュンケルなら決してやりそうも無い乱暴さに、ポップはギョッとせずにはいられない。 二度、三度と続け様に布が裂かれ、ポップはたちまち半裸に近い格好にされてしまう。 しかも、その間もヒュンケルの舌は休むことなくポップの身体を貪る。このまま食べられるのではないかという恐怖が頭を擡げるような勢いで、耳元を、首を、背を、犯されていく。 熱い、ぬめった様な感触がどんどん広がっていくのが、恐怖だった。 「や、やめろってば! やだっ、やめろよっ、おれはてめえが嫌いなんだって言ってんだろっ、離せよっ!」 暴れるポップの身体が、一瞬だけ自由になる。ホッとしたポップだったが、次の瞬間、その期待は裏切られた。 その時、床の上にシーツがタオルが散っていたせいで、痛くなかったのは果たして偶然か、それとも意図的なものか。 息を荒げ、欲望にぎらつく目でポップを見下ろしているその姿は、いつも自分を子供扱いする兄弟子の態度とは似ても似つかない。 獣じみた輝きをその目に宿し、ヒュンケルはポップの顎を捕らえてゆっくりと顔を近付けてきた。 「ああ……そう言われるから、余計に引けなくなるな」 「な、なんだよっ、それ?! おれ、キーワードを言ってるじゃねえかっ、聞けよっ! 声を張り上げて叫ぶポップを見つめるヒュンケルの目の熱っぽさは、消える気配もない。むしろますます熱さを増しているようで、ポップを押さえる手に力が籠る。 「ったく……。あまり煽るな……手加減できなくなる」 わずかに苦笑を滲ませてそう囁きながら、ヒュンケルがそのまま顔を寄せてくる。さすがに何をされそうになっているのか気づいて、ポップはもがいて逃げをうとうとした。 「や……っ、やだ…っ……やめ……っ」 自分でも情けなくなるぐらいか弱い声で助けを求めながら、なす術のないポップはギュッと堅く目を閉じていた――。
|