『恋の特効薬 3』

 

「……っ!!」

 もうだめだ――漠然とそう思った瞬間、凄まじい轟音と共に聞き慣れた声が響き渡った。
 

「ポップーッ!!」

 その叫びと同時に、ポップの上に伸し掛かっていた重みがフッと消えた。
 と言うよりも、いきなり真横へと吹っ飛ばされたという方が正解だろう。あまりに一瞬のことで、ポップには何がどうなったのかさえすぐには理解できなかった。

 だが、自分に伸し掛かっている男の代わりに、仁王立ちになって自分を見下ろす男がいた。
 殺気だった雰囲気さえ放っている『男』は、ある意味ではヒュンケル以上に野性的な獣の気配を漂わせていて、ポップは怯えを感じずにはいられなかった。

 獣から別の獣に食われる運命に変わっただけのような感覚――が、獣と見えた男と目が合った途端、雰囲気が一変した。

「ポ、ポップ?! な、なんかひどい格好になっちゃってるけど、大丈夫?!」

 さっきまでとコロッと変わって、子供っぽい口調で心配そうに覗きこんでくる相手を見ては、警戒心など溶け落ちてしまう。

 ヒュンケルにそうされたように、今は相手が馬乗りに近い格好で伸し掛かってきているのに、少しも気にならなかった。
 なぜなら、その相手はポップにとっては世界で一番信頼できる相手なのだから。

「ダ、ダイ……かよ〜」

 心からホッとして、ポップは溜め息をつく。
 が、安心した途端、文句が出るのがポップの性格というものだ。

「つーかっ、遅いんだよっ! なにやってたんだよっ、おまえはっ?! どうせならもっと早くこいよなっ!」

 助けられた立場にも関わらず、感謝の言葉どころか言い掛かりのような文句をつけまくるポップに、ダイは怒るどころかすまなそうな顔をする。

「ごめんっ、ポップ。おれだって、もっと早く助けたかったんだけど……っ」

 そう言いながら、ダイがちらっと後ろを振り返ったのは、おそらくは無意識の行動だったのだろう。
 そのダイの視線に釣られるように、目でそちらを追ったポップは  絶叫せずにはいられなかった。

「――って、姫さん……っ!! あんた、なにやってんだよぉっ!!」

 と、ポップが怒鳴るのも無理はあるまい。
 なにせ眉目秀麗と頭脳明晰、さらには世界に名を轟かせるまでの勇猛さで知られたパプニカ王女様が、耳にしっかりとコップを当てた姿勢のままドアの外にしゃがみ込んでいたのだから。

 厳密に言うのなら、ドアの外というよりは、ドアがあったはずの場所の外、と言うべきか。

 壊れた……というか、ダイによって木っ端みじんに粉砕されたドアのせいで、バッチリと目が合ってしまう。その瞬間ばかりは、さすがのレオナもまずいと思ったのか一瞬顔をしかめたが、それで怯むような生易しいお姫様ではなかった。
 次の瞬間にはにっこりと笑顔を浮かべて、余裕綽々に言ってのける。

「あぁ〜ら、お取り込み中みたいだし、あたしのことは別に気にしなくていいわよ、お気遣いなく♪」

「気になるわっ?! 何がお気遣いなくだっ、気になりまくるわいっ!!」

 噛み付くように怒鳴りつつも、顔を赤らめたポップは手近にあったシーツを掴んでサッとマントのように身を覆い隠す。
 身持ちの堅い娘のようにしっかりと身体を隠してから、ポップは猛然とレオナに噛み付いた。

「つーかそっちこそ気を遣ったらどうなんだよっ?! 盗み聞きなんかしてる暇があったら、さっさと踏み込んで助けてくれりゃいいだろっ!」

「まっ、いやーね、ポップ君ったら、盗み聞きだなんて人聞きの悪い。状況が掴めないから、とりあえず情報収集していただけじゃないのー」

 ぱたぱたと無意味に手を振りつつレオナはそう言うが――半ば棒読みのその口調には何の説得力もありはしない。
 なにせ、その目ときたら好奇心で爛々と輝き、口許ときたらいかにも楽しそうにニマニマと笑っているのだから。

 それにレオナは、どんな時でも即座に状況判断をすることのできる、言わば即断即決の人だ。その彼女がこれだけ長く見物していて、状況を掴めないなど有り得っこない。

「何が情報収集だよっ、好奇心を優先させて人を見殺しにするのかよ、この薄情者っ!」


「何言っているのよ、あたしがそこまで非情な女だと思われているだなんて心外だわ。それに、いざとなったら手遅れになる前にちゃーんと助けるつもりはあったわよ?」

(嘘をつけ、嘘をっ!!)

 心の底から、ポップは突っ込まずにはいられない。……というより、突っ込みどころがあり過ぎて、どこに文句を言っていいのか分からなくなって、プルプルと震えているだけで精一杯だ。

 だいたい手遅れも何も、ポップ的にはすでに許容範囲を大幅に振り切りまくっている。男相手にあんなことをされるだなんて想像すらもしたことがなかっただけに、大ショックもいいところだ。

 しかもあまつさえそれをダイやレオナに見られていただなんて、羞恥プレイにも程がある……と、そこまで考えてから、ポップはハッとして周囲を見回した。

「マ、マァムはっ?! マァムはどこだよっ?!」

 この際、百歩譲ってダイやレオナに醜態を晒したのは我慢するにしても、マァムにだけはさっきの光景を見られるのは我慢できない。

(マァムにこんなとこ見られていたら、マジ、死ぬ! いや、ヒュンケルを道連れにメガンテしてやるっ?!)

 切羽詰まったような表情で目を血走らせて周囲を見やるポップを見て、レオナはくすくすと優美に笑う。

「あ、ご心配なく♪ マァムならね〜、マトリフさんを呼んでもらうために彼の所へ行ったわよ。
 感謝してよね、あなた達の後を追おうとした彼女を説得するのって、大変だったんだから」

 と、宣うレオナのその言葉を、思いやりと言えるかどうか。なにしろ、その後ポソッと、どうせならダイ君にも一緒に行ってもらっていればもっと面白かったんだけど、などと真顔で呟く辺りが恐ろしい。

(冗談じゃねえぞっ、ホントにっ)

 もし、そうなっていたらダイとマァムが戻ってくる前に自分がどうなっていたか――考えただけでポップは身震いした。

「どうもヒュンケルが変な薬を飲んでしまったらしくて様子がおかしいから、それを調べるために手を貸していただきたいんですが、って伝言を頼んだの。
 分かっていると思うけど、マァムならたとえ引きずってでもマトリフさんを連れてきてくれるわよ?」

 その言葉も、紛れもなく真実である。
 住んでいる洞窟からめったなことでは出たがらないマトリフは、王女の召喚だからといって従う男ではないが孫娘に等しいマァムには比較的甘い。
 機嫌によっては、マトリフも協力してルーラでパプニカ城にくる可能性は高い。

 もしマトリフが渋っても、マァムなら力づくで強引に担いででも彼を連れてくるなんて芸当はしそうである。
 城の兵士が同じことをしようとしたのなら、マトリフは魔法で逃げるか適当にあしらうかするだろうが、マァムが相手ならそこまではしまい。

 どちらにせよ、マァムとマトリフが戻ってくるまでそう時間はかからないだろうと予測はつく。
 そして、それをポップが理解するだけの時間を与えた後で、レオナはこれみよがしに自分のポケットから小瓶を取り出す。

 いまだに笑ったままの彼女の細い指に、しっかりと摘まれているのは見覚えのある二つの小瓶だった。

「そ、それ……っ?!」

「さっき、ポップ君がヒュンケルに抱き上げられた時に、あなたのポケットから落ちたのよ。
 で、聞きたいんだけど、これって本当は何の薬なわけ? 言っておくけど、ポップ君が素直に答えないようなら、同じことをマァムの目の前でマトリフさんに聞いちゃうわよ」


 すでに質問というよりは、脅迫か確認とでも言ったような方がいいような口調で、レオナはきっぱりと宣言する。
 その言葉を、ポップは疑いもしなかった。

 なにしろレオナは大戦の頃から、やると言ったのなら確実にやる、有言実行さで知れ渡った鬼姫だ。
 その聡明や判断能力の高さは政治的相棒としてはこの上なく頼りになるが、こんな時には空恐ろしい。

 実際、レオナはすでに薬の効果についても薄々察しているのだろう。が、それだけに、より恐ろしさが募る。

 ついでに言うのなら、ポップは自分の師匠の性格の悪さも知り抜いている。本気で困った時には頼りになるが、日常生活的にはあれ程困った人もいないと言うぐらい、困った人だ。

 世界最高の叡智を持ちながら偏屈で根性曲がりなマトリフは、弟子の失敗や窮状に優しく手を差し伸べてくれるような聖人とは程遠い。
 むしろ弟子の失敗を面白がり、それみたことかと、ここぞとばかりに大笑いする姿が目に見えるようだ。

 今回のポップのやらかした騒ぎを聞けばいい暇潰しとばかりに、意地悪くニヤニヤと笑いながらからかい倒す姿が目に見えるようだった。
 二代目大魔道士となったポップにも頭の上がらない相手というのはいるものだが、レオナとマトリフはまさにその筆頭だ。

 そんな二人が手を組んでこの薬についてねちねちとからかってくるかと思うと、ポップとてお手上げだ。

「さ、どうするの? 急がないと、マァムが戻ってくるわよ〜」

 制限時間を効果的にちらつかせて迫ってくるレオナに対して、ポップはがっくりと肩を落とし、素直に兜を脱いだ。

「わ……かったよ〜。言うからよ、せめて、このこと……マァムには内緒にしててくれよ……!」

 

 

 

「ふぅ〜ん、惚れ薬とはねぇ〜♪ うふふふっ、そうだったのぉ〜」

 やたらとはしゃいで嬉しそうなレオナに対し、ダイはやけに不機嫌だった。

「ずるいや、ポップ。ヒュンケルにだけ、そんな薬あげておれにはくれないなんて!」

 なぜか膨れて、しかもとんちんかんな文句を言ってくるダイに、ポップは頭を抱えずにはいられない。

「バカか、おめえはっ?! おやつの取り分じゃあるまいし、ずるいもなにもあるかっ! おれがヒュンケルの奴に飲ませたくて、あの薬をわざわざやったとでも思ってるのかよーっ?!」

 ポップにしてみれば、これは純然たるミスだ。
 マァムにではなくヒュンケルに飲ませてしまったのは痛恨の失敗としか言い様がない。


(というか、今、話したのだって、失敗だったんじゃ……)

 せっかく覚悟を決めて打ち明けたというのに、案の定ダイは役に立ちそうもない。まあ、頭脳方面でダイを当てにできるとはポップも最初からかけらも思っていないのだが、頼み綱のレオナの方も好奇心が先に立っているらしく、効果ばかりを気にしているようだ。

「それにしてもキーワード式の惚れ薬ってのが、面白いわね。
 告白と同時に効果消滅なら、確かに惚れ薬としては使えないわね、惜しいわぁ。せめて、飲ませた相手の方に告白させる効果があるんなら、いろいろと使い道もあるんだけど」

「使い道なんかあるわけないだろ、こんな失敗作っ! もうそんなもの、捨てちまえよっ!」

 ポップの激昂もよそに、今すぐにでも自分でも使いたいとばかりに熱心に小瓶を見つめていたレオナだが、ふと真顔になって小首を傾げた。

「でも、さっきから気になってるんだけど、これって本当に失敗作なの? ヒュンケルの発情っぷりから見て、十分に効き目はありそうな感じに見えるけど」

「発情って……っ?! いや、姫さん、少しは言葉を選べよっ、ダイの前だぞっ!」

 聞いているポップの方が赤面したくなる露骨な言い方だが、幸か不幸かダイは『発情』の意味自体が分からないらしく、きょとんとした顔のままだ。

「あら、失礼、おほほほっ。
 ……こほんっ、で、話を戻すけれど、この薬が役に立つかどうかは置いといて、あたしには薬自体が失敗作とは思えないのよ。
 間違えているのは、ポップ君の方なんじゃない?」

「間違えてるって、なんのことだよ?! そりゃ、あいつに薬を飲ませたのはすんげー間違いだったけど――」

 そう文句を言いかけてから、ポップははたと今更のように首をヒュンケルの方へと向けた。

「…………って、そーいやヒュンケルの奴、さっきから全然動かないけど大丈夫なのか?」
 

 ダイがヒュンケルをぶっ飛ばして以来、彼はぴくりとも動かない。よほど強く壁に叩き付けられたのか、壊れかけた壁に半ば寄り掛かるような不自然な格好で、倒れたままだ。 魔王軍に在住しつつ不死身の異名をとった男だからと油断しきっていたが、考えればヒュンケルをぶっ飛ばしたのは神々の最終兵器とさえ呼ばれる竜の騎士である。

 もしかすると、もしかするということがあるかもしれない  そんな不安が込み上げてきた。

「んー? 一応、手加減はしたつもりだけど。でも、さっき、ポップが危ないって思ったから、思いっきり殴っちゃったから」

 無邪気な顔で、ダイがこれまた恐ろしいことをさらっと言ってくれるのが尚更不安を煽る。

「お、おいっ、怖いこと言うなよな、ダイッ! ヒュンケル、生きてるか?!」

 思わずヒュンケルの元に駆け寄り、ポップはまず手を伸ばした。とりあえず相手が生きてさえいれば、回復魔法で一気に回復させることができる。
 が、ポップの手がヒュンケルの胸元辺りに触れた途端――逆にその手が掴まれ、引き寄せられる。

「……やっと、その気になったのか?」

「いゃぁああっ?! またかよっ?! てめーなんか嫌いだっ、嫌いだから離せっ、離せっつーのっ!!」

 痴漢にあった女の子のような悲鳴を上げ、身をよじるポップをヒュンケルは情熱的に抱き締める。

「き、聞けよっ、人の話をっ?! やだってば、マジでっ!! おいっ、ダイっ、助けろーーッ!!」

「あ、う、うんっ! ヒュンケルッ、えっと、ごめんっ!!」

 焦りながらもダイが再び手刀を構えてヒュンケルに殴り掛かろうとするが、今度は彼もそれに気が付いていた。

 ポップを腕に抱き込んだまま素早く立ち上がり、ヒュンケルもまた手刀を構えて対抗しようとする。たとえ素手だろうとも、その気になれば超必殺技を放てる二人の戦士達である。

 瞬間、修羅場の気配が空間に満ちたが、可憐な姫君の声がその気迫以上の強さで響き渡る。

「ちょっと! これ以上、あたしの城を壊したら、お仕置よっ! 罰として、勉強の時間を倍にするわよっ!!」

 二人を止めるというより、明らかに限定した一人を止めるためとしか思えない脅しに、激しく反応したのは、もちろんダイの方だった。

「ええぇええっ?! そんなぁっ、そんなのおれ死んじゃうよっ?!」

 どこか間の抜けた悲鳴を上げ、救いを求めるがごとくついレオナの方を見てしまったのが、ダイにとっては不運だった。
 一級の戦士達の戦いの最中にそんな隙を見せてしまったのは、致命的だった。

 ガゴンッ!

「あ……」

 やたらと堅いものがぶつかる音が聞こえたかと思うと、今度はダイが吹っ飛ばされて壁に叩き付けられる番だった。しかも、そのまま気絶してしまったのか起き上がってこないときている。

「わーッ、ダイのアホたれーッッ?! 勇者がなにやってんだよっ、ンな間抜けな脅しにひっかかるなぁっ?!
 ひ、姫さんっ、こーなったのも姫さんのせいだろっ、あんたがなんとかしてくれぇええっ!」

 もはや必死の形相で救いを求めるポップに、助けを与えてくれる騎士はすでにいなかった。

「あのね、ポップ君。かよわい女の子に、何を望んでいるのよ。勇者でさえぶっとばされるような相手に、非力なあたしなんかが何かできるわけないでしょ。
 それに、あたし、忙しいから」

 呆れたようにそう言いながら、レオナはリネン室を抜け出て廊下へと出て行ってしまった。

 向かい側の壁に叩き付けられて倒れたダイの側にいそいそと座り込み、その頭をそっと持ち上げて膝枕などをしてやる。
 そのまま呑気に回復魔法をかけ始めたレオナを見て、ポップは声の限りに悲鳴を上げる。
 

「なっ、何やってんだよーっ?! そんなことより助けてくれったらっ!! ちょ、ちょ……っ、ヒュンケルッ、て、てめえっー、なにしようとしてんだよっ?!」

 シーツをはぎ取られそうになっているポップは、それだけが最後の砦とばかりにシーツにしがみついてわめき立てる。
 明らかにさっきよりも悪化してしまった状況にポップは青ざめるが、レオナは落ち着き払ったものだった。

「いい? ポップ君。間違ってるのは薬じゃなくて、あなたのキーワードなの!
 貞操が大事なら、恥ずかしがらずにちゃんと告白することね。――じゃ、頑張って♪」


「がんばれって、んな無責任なっ?! 姫さん、頼むからなんとかしてく……っ」

 助けを求める声は、最後までは言葉にならなかった。
 廊下の向こうからひらひらと気楽に手を振るレオナに向かって必死で手を伸ばそうとしたポップだったが、その視界を白いものが遮った。

 ポップが必死でしがみついていたシーツがはぎ取られ、それが宙に投げられたのだ。まるで花嫁のベールのごとく視界を白く染めるシーツの中で、ポップは再びヒュンケルに押し倒されていた――。
                                       《続く》
 

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